もったいない!
18


 夜九時を過ぎた頃、就寝時間を迎えたおじいちゃん達は寝室へと引き揚げていった。

 あたし的にはまだまだ夜はここから! っていう時間帯だけど、朝が早いおじいちゃん達は、その分眠りにつくのも早い。今日はあたし達がいるから、これでもいつもより長く起きていた方なんだそうだ。

 おじいちゃん達とおやすみの挨拶を交わしたあたし達は、そのまま今夜休ませてもらうことになっている客間へと足を向けた。

 喉が渇いた時にとおばあちゃんが持たせてくれた麦茶のペットボトルを一本ずつ持って廊下を歩いていると、カーテン越しに遠くの方で稲光がチカチカ光っているのが分かった。

「ねえ蓮人くん、今日はもう疲れちゃった? 眠たい感じ?」

 そう尋ねると、解禁されたばかりの名前呼びにまだ慣れない様子の蓮人くんは、若干くすぐったそうに答えた。

「いや、まだ大丈夫だけど」
「良かった。じゃあさ、ちょっとふすま開けて布団に寝っ転がりながら話さない? 眠たくなったらそのまま寝ちゃってかまわないから」
「うん。いいよ」

 やったー! なかなかない機会だし、こんなに早く寝ちゃうのもったいないもんね!

 しとしと降る雨の音をBGMに、しばらくはふすま越しのトークを楽しんだあたし達だったけど、小康状態を保っていた雨が再びその勢いを増してくると、屋根や窓を強く打ちつけるその音に、やがて会話もままならなくなってしまった。

「うわ。何かまたひどくなってきちゃったね……」

 雷の音も近付いてきている気がするし、勘弁してよと思っていると、カッと稲妻が光った直後、ドガーン! と思いの外(ほか)大きな音が近くに轟いて、思わずビクッと肩を跳ね上げてしまった。

 ビ、ビックリしたー! 今の、かなり近かったんじゃない!? さっきまではそうでもなかったのに!

 ドキドキする胸を押さえながら上空のゴロゴロという響きを追っていると、あまり間を置かないうちに再び空が光って、稲妻がピシャーンと夜の闇を斬り裂きながら、唸りを上げて大地に落ちた。

 ドオォォォン!

 轟音と共に家が細かく震える衝撃が伝わってきて、隣の部屋から「だいぶ近いね」という蓮人くんの声が聞こえた。

 それに応えようと口を開きかけた瞬間、今度は今までで一番大きな雷が落ちて、耳をつんざくような轟音と共に部屋が大きく揺れ、その凄まじさに、あたしは小さく悲鳴を上げた。

 一瞬遅れて、枕元に置いてあったレトロなスタンドライトがブツッ、と切れて光源がなくなり、辺りが真っ暗闇に閉ざされる。

 ―――ウソ! 停電!

 ヒュッ、と息を飲んだ時、再び走った雷光が部屋の中を不気味に照らし出し、反射的に布団を抜け出したあたしは、少しだけ開いていたふすまを勢いよく開け放つと、雷鳴が轟く中、蓮人くんの元へと走っていた。

「わっ!」

 布団の上で上半身だけ起こしていた蓮人くんにタックルするような勢いで抱きつき、自分のものよりたくましいその身体に無我夢中でしがみつく。

 あたしに勢いよく抱きつかれた蓮人くんは、大きく上半身をのけ反らせながらもどうにか堪えて受け止めてくれて、怯えるあたしを気遣ってくれた。

「だ、大丈夫? 岩本さん」
「ゴ、ゴメン。ちょ、こうしてていい?」

 もう、雨も雷もスゴい音で、真っ暗な中、稲妻が走った時だけ映し出される白黒の風景が何とも言えない薄気味悪さを醸し出していて、この状況で一人でじっとしているのが無理だった。

「雷、苦手?」
「苦手、ってほどじゃないんだけど……」

 ゴロゴロと不気味に尾を引く雷の残響に肩を強張らせながら、あたしは無意識に蓮人くんにしがみつく指に力を込めた。

「ここまで近くて停電も重なるとか、無理」

 蓮人くんにしがみついた掌が、冷たい汗でじっとりするくらいには怖い。

「―――明りがあれば、少しはマシかな?」

 蓮人くんが片手であたしの背中を支えたままもう片方の手で何かを探る動きを見せた後、視界の端に眩い光源が灯った。

 ―――あ!

 それを確認したあたしは今更ながらその存在を思い出した。

 そうか、スマホ! テンパってて忘れてた。

 スマホの青白い光を整った顔に映した蓮人くんは、スイスイッと画面に指を滑らせながら呟いた。

「……やっぱりこの辺り一帯、落雷の影響で停電になっているみたいだね。すぐに復旧するといいんだけど」

 その時スラッと客間の障子戸が開け放たれて、ハッとそちらに視線をやったあたし達の視界の先に、雷光に映し出された不審な人物の影が浮かび上がり、恐慌状態に陥ったあたしは、背中の毛を逆立たせた猫みたいに蓮人くんの首にしがみつきながら、引きつった金切り声を上げてしまった。

「キャッ……キャアァァァ―――ッッ!」
「―――陽葵(ひまり)! じいちゃんだ、じいちゃん!」

 えっ!? おじいちゃん!?

 よくよく見てみると、確かにその人物は懐中電灯を手にしたパジャマ姿のおじいちゃんだった。

「おっ……おじいちゃん! おどかさないでよー、もう! 怖かったー! 不審者かと思ったじゃんー!」
「停電したから困っとるだろうと思って、予備の懐中電灯を持ってきてやったんだ。お前は昔から暗がりが苦手だったから怖がっとるだろうと思って」
「あ……ありがとう。ごめん……」
「……とりあえず、喜多川くんを離してやりなさい。困っとるから」

 へっ?

 おじいちゃんの指摘を受けて目線を下げると、あたしに頭を抱き込まれるようにした蓮人くんが、持って行き場のない手を左右に広げたまま、窒息しそうになっていた。

 ―――!!!

「ゴゴゴ、ゴメン、れ、喜多川くん! 大丈夫!?」
「……う、うん」

 あたしのせいでずり上がってしまっていた眼鏡を直しながら答えた蓮人くんのダメージは大きそうで、若干動きがおぼつかない。

 やらかしたー!

 力いっぱいオッパイ押し付けちゃってたし、あやうくそれで窒息させちゃうトコだった!

 その様子を見ていたおじいちゃんが溜め息をつきながら、少々苦い顔であたしを諭した。

「陽葵(ひまり)、こういう状況だから一緒の部屋にいるのは構わんが、あんまり喜多川くんに迷惑を掛けんようにな。お前は女の子なんだから、簡単に抱きついたりせんように」
「うん、分かった……気を付ける」
「……。じゃあじいちゃんはその辺をちょっと見回ってからばあちゃんのとこへ戻るけどな、何かあったらすぐに声をかけるんだぞ。そういうわけで喜多川くん、悪いけど陽葵を頼むな。兄ちゃんも憑いてるってことだから滅多なことはないだろうが、大事な孫娘をくれぐれも宜しく」
「―――っ、はい」

 おじいちゃんから少々圧のある視線と言葉を受けた蓮人くんが、気持ち背筋を正す。おじいちゃんはそんな彼にひとつ頷いてみせると、予備の懐中電灯を置いて客間を後にした。

「―――な、何かゴメンね蓮人くん。……顔、大丈夫? 眼鏡のフレーム曲がったりしなかった?」
「うん、明るくなってからじゃないとよく分からないけど、多分大丈夫」
「もしおかしなトコあったら後で言ってね? 本っ当にゴメン。あたし……」

 小学生じゃあるまいし、おじいちゃんの影を見てガチ絶叫するとか……ないわー。

 さっきの醜態を思い出して少々ヘコんでいると、そんなあたしを見た蓮人くんが気を取り直すように言った。

「懐中電灯がひとつあるだけでもだいぶ違うね。岩本さんも落ち着いたみたいだし」
「うん……。こんな小さな灯りなのに、心強く感じるから不思議だよね。雷もちょっと遠ざかったみたい」

 まだピカピカゴロゴロはしているけれど、さっきに比べたらだいぶ音は小さくなってきた。

 雨も少し弱まってきたみたいで、窓を叩くような激しさはなくなり、暗闇にも目が慣れてきたあたしは、蓮人くんにタックルまがいのアタックをかましてしまった辺りからの一連の出来事を思い返して、全身を沸騰させながら、心の中で頭を抱え込んだ。

 ―――あたしっ……今思うとめちゃくちゃ抱きついていたよね!?

 以前胸を貸してもらった時の比じゃなくて、かなりしっかり、がっしり、自分からしがみついていた。

 でもって、蓮人くんもそんなあたしの背中に優しく手を回してくれていた。

 だから―――だから、今も蓮人くんの感触が身体のあちこちに残っている。

 あたしはカーッと頬を紅潮させながら、自分の腕を抱くようにしてその余韻を抱きしめた。

 あったかくて、骨組みががっしりした、あたしとは全く違う硬い質感。

 男の人の身体の質感。

 ―――あいつさ、意外と着やせしてると思わねぇ?

 いつかのノラオの言葉が耳に甦ってきてしまって、ただでさえ落ち着かないあたしの動悸を、ますます落ち着きのないものにさせていく。

 ―――見た目文化部っぽいのに、けっこう引き締まったカラダしてるっつーかさ……。

 当たり前だけど、今日はシャンプーも石鹸もおじいちゃんちのものを使っているから、蓮人くんからはあたしと同じおじいちゃんちのお風呂の匂いがした。けれど、それとは違う蓮人くん自身の香りがあって、しがみついている時にふと感じたその香りに、どこか安心感みたいなものを覚えている自分がいた。

 今になってそれを思い出してしまったら、きゅうっ、と胸が苦しくなって、止まらなくなって、あたしは思わず浴衣の上から手でそこを押さえた。

 ―――ヤバ。何か、スッゴいぎゅうってする。ほっぺた熱くて、落ち着かない……。

 その時だった。

 ぐんっ、と唐突に意識を引っ張られて、まったくの無防備だったあたしは、気付いた時にはあっという間に深層意識の底に追いやられてしまっていた。

 ―――ノラ……!? 目が覚めたの!?

 驚いて目を見開くあたしの意思に頷き返すような気配が伝わってきて、目の前の窓みたいなところから徐々にアップになっていく蓮人くんの顔が見えた。

 ―――ノラオ!? 何―――。

 訝(いぶか)しむあたしの前で、立ち膝になったノラオに至近距離から顔を覗き込まれるような格好になった蓮人くんが、怪訝(けげん)そうにあたしの名前を呼んだ。

「……岩本さん?」
「……。改めて見ると、浴衣、良く似合ってるなぁと思って」

 どういうつもりなのか、あくまで陽葵(あたし)を装って話しかけるノラオに、蓮人くんは少し面映(おもは)ゆそうに小首を傾げた。

「え? そう、かな? ありがとう」
「ふふ。蓮人くん、スゴくセクシー。……何でだろうね、浴衣姿って色っぽく感じるよね」
「えっ?」

 瞬いて、思わずそう聞き返す蓮人くんに微笑みながらにじり寄るノラオは、戸惑う彼のことなどお構いなしに、座っているその膝の上にまたがってしまった。

 ―――ぎゃあ!? ちょっ、あんたっ、何すんの―――ッッッ!?

「!? 岩本さ―――」

 驚きの声を上げかけた蓮人くんは、一拍置いて何かを悟ったような顔になると、自分の頬にピタリと添えられたノラオの手首を掴み、確信を込めてこう言った。

「―――ノラオだな」
「当ったり〜」

 途端におちゃらけた口調になったノラオは、あっさりとそれを認めて彼から手を離した。

 その時、停電の影響で消えていた室内のスタンドライトが点滅したかと思うと、次の瞬間一斉に点灯して、カーテン越しにも全ての明りが街に戻ったのが分かった。

「お、停電が解消されたみてーだな」

 呟いて周りを見渡すノラオの視界下で、真っ赤になった蓮人くんが眼鏡を押さえて不自然に顔をそむける光景が映り、嫌な予感を覚えた直後、立ち膝で蓮人くんの足をまたいでるノラオの浴衣が着崩れて、下前の部分がはだけている様子が「窓」に映り、そこからしっかり自分の太腿がはみ出てしまっているのを確認したあたしは、思わず悲鳴を上げた。

 きゃああぁぁぁ!

「あ」

 あ、じゃなーいッ! ノラオのアホーッ!

 このはだけ方、蓮人くんの位置からはもしかしたらチラッとパンツが見えてしまっているかもしれない。

 ―――バカ―ッ! 何してくれてんの!? 今は自前のパンツじゃなくて、おばあちゃんから借りた未使用品のパンツをはかせてもらっている状態なのにぃぃぃ!

 決して、決して蓮人くんに見せていいパンツじゃないのに―――っっ!

 ノラオのアホ! 早くどいて浴衣を直して―――っっ!

「いや、まさかこんなタイミングで停電が復旧するとか思わねーじゃん? 悪ぃ悪ぃ」

 てへっ、てなくらいの詫び方で、こっちのダメージなんてどこ吹く風のお気楽口調で浴衣を直したノラオは、赤くなって顔を逸らしたままの蓮人くんに少し悪い顔で尋ねた。

「見えちゃった? レント」
「聞くなよ!」
「お、珍しい口調ー。あのな、あれ、タケの嫁さんのパンツなんだって。決してヒマリの趣味じゃねーらしいから」
「その情報はいらないし、そういう問題じゃない!」

 うう、蓮人くん、お目汚ししてスミマセン……!

「ははっ、思春期コワー! んじゃーオレ、ちょっくらタケのトコに行ってくっから、その間に煩悩(ぼんのう)鎮めるついで、怒りの方も鎮めといてー」
「……!」

 真っ赤な顔で口をわななかせる蓮人くんに煽りでしかないコメントを残したノラオは、逃げるが勝ちと言わんばかりに、すたこらさっさとその場を後にしたのだった。

 ゴメ〜ン、蓮人くん!
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