その夜は、おばあちゃんがあり物を使って腕によりをかけた見事な料理の数々が振る舞われた。
賑やかな食卓を囲み、食後にあったかいお茶を出してもらって、和やかに団欒(だんらん)した後、喜多川くんを一番風呂に送り出したあたしは、非日常な幸せを満喫してぽわぽわしていた。
あ―――、この状況が不思議で尊い! おじいちゃんおばあちゃんと一緒に喜多川くんと夕飯食べてるって、何なのさ〜!
しかも、この後もまだずーっと一緒にいられるとか、最高なんだけど!
電車が止まった時はマジついてないって思ったけど、超ついてるじゃん〜!
「―――お風呂、先にありがとうございました」
しっとりとした声に顔を上げると、来客用の浴衣に着替えた喜多川くんがそこに立っていて、湯上がりの彼の姿にあたしは目が釘付けになってしまった。
―――超、色っぽい!
上気した肌に、浴衣! 洗いざらしの髪! 衿の合わせ目から覗く鎖骨がいい〜!
眼福!! 神様ありがとうー!!
そんな彼におばあちゃんが笑顔で言った。
「浴衣のサイズ、問題なさそうで良かったわ〜。背が高いからおじいちゃんのパジャマじゃ小さいだろうし、つんつるてんじゃ申し訳ないもの。着ていたお洋服は後で洗濯して乾燥機にかけて、明日には着られるようにしておくわね」
「ありがとうございます。本当に何から何まで……」
ぺこりと頭を下げる喜多川くんにおばあちゃんは首を振った。
「いいのよ〜。二人が泊まってくれて、わたし達はとっても嬉しいんだから。さ、次は陽葵(ひま)ちゃんが入ってらっしゃい。喜多川くんとおそろいであなたも浴衣ね」
「ありがと、おばあちゃん。じゃあ喜多川くん、ちょっと行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
おばあちゃんから浴衣とバスタオルを受け取ったあたしはお風呂場へと向かった。
小さい頃からお盆やお正月、この家に泊まりに来る度に家族みんなで入ったお風呂。このお風呂にさっきまで喜多川くんが入っていたなんて、何だか不思議ー。
頭の中でノラオに一応「お風呂に入るから覗かないでよ」と言い置いて服を脱ぎ、おばあちゃんのクレンジングを借りてメイクを落としてすっぴんになったあたしは、仕上げに洗顔料で顔を洗うと、シャワーで身体を綺麗に洗い流してから湯船に浸かった。
お湯の温かさがじんわりと包み込む快(こころよ)さに思わず溜め息をこぼしながら、喜多川くんもこんなふうにくつろぎながら入っていたのかなーなんて想像してしまい、自分の発想が思春期の男子みたいかもとちょっぴり自戒する。
いや〜でもね、どうしても考えちゃうよね、意識するなって方が無理だよね〜。
あまり長湯して喜多川くんを一人にさせちゃうのもあれだなと思って、いつもより短めにお風呂タイムを切り上げたあたしは、濡れた髪をタオルで巻くと、洗面所にあったおばあちゃんの化粧水を借りて軽くパッティングした。
おっ、あたしが普段使っているヤツよりずっと保湿効果が高い。いいヤツだ〜!
あたしの年齢だとコレ、化粧水だけで充分なレベルだなー。乳液までつけるとベタベタになっちゃいそう。
鏡の中に映るすっぴんの自分は、メイクしてる時に比べて素朴でどうしても子どもっぽく見えて、このまま喜多川くんの前に出ることが今更ながら気になった。
―――いや、こんなの多分、喜多川くん的にはどうってことないことなんだよね……あたしの単なる自意識過剰だし。うん、分かってる。
こういうのって、女子が気にするほど男子は気にしてないってよく聞くし、喜多川くんもきっとそう。すっぴんのあたしを見たって、メイク落とすとこんな感じなんだ、くらいにしか思わないはず……。
何か思ってたのと違うとか、何か思ってたよりイケてないとか、そんなふうにはきっと思わない、はず!
妙な緊張感を覚えながら居間に戻ると、おじいちゃん達とテレビを見ていた喜多川くんがこっちを向いて、すっぴん&浴衣姿になったあたしに眼鏡の奥の瞳を瞬かせるのが分かった。
その様子にちょこっと心臓が跳ねるのを覚えながら、何でもないふうを装っておじいちゃん達に声をかける。
「お風呂ありがとう。次どうぞー」
「おー。じゃあ次はじいちゃんが入ってくるかな。おーいばあちゃん、着替え頼むわー」
「はいはい」
おじいちゃんの声に応じておばあちゃんが腰を上げ、二人が居間を出て行くのを見送りながら、あたしは喜多川くんの隣に腰を下ろした。
「ふふ。何かさーぁ、二人だけ浴衣って、変な感じだね。旅館に泊まりに来たのか、みたいな」
「そうだね。何ていうか、不思議な特別感があるよね」
「それそれ! 思いがけずレアな喜多川くん見れちゃったみたいなー」
「それを言うなら岩本さんだって」
「あー、すっぴんだしね」
言われる前に言ってしまえ! 的な考えで自分からそう振ると、喜多川くんは「それもそうだけど」と言い置いてまじまじとあたしを見つめた。
「浴衣と、その、頭にタオル巻いてるの。プライベート感、半端ないっていうか……日常じゃ絶対見れない姿だなって思って」
気持ち頬を赤らめながらそう言われて、あたしは自分の体温がガーッ、と一気に上昇するのを感じた。
「あっ……たたた、確かにね!? 学校生活で見ることないもんね!?」
「うん……」
「ふ、普段の印象と違う?」
「うん」
「ど、どんなふうに? いつもより、子どもっぽい、かな?」
すっぴんだし―――。
「いや―――どっちかっていうと、逆かな。色……いや、ちょっと……大人びて見えるっていうか」
「えっ、すっぴんなのに!?」
意外な言葉に驚いて勢いよく食いつくと、目を丸くした喜多川くんは思わずといった感じで小さく吹き出した。
「ふっ……気にするの、そこなんだ……」
えっ……だってだって、超意外だしメチャクチャ気になるし!
「だってさ、メイク落とすと子どもっぽい印象にならない? あたし」
「別に年齢相応じゃないかな? 子どもっぽいとはオレは思わないけれど。だから、浴衣っていう落ち着いた印象のあるものを着ていると、いつもと趣(おもむき)も違って、少し大人びて見えるっていうか……いつも下ろしている髪を上げているのも大きいかも」
「じゃあ、この格好でメイクしてたら?」
「それはそれでまた印象が違ってくるだろうけど……どっちでも、いつもより大人っぽく感じられるんじゃないかなって気はする。あれかも……その、うなじとか、後れ毛とか……普段隠れてて見えないところが見えているっていうのが要因として大きいかもしれない」
へぇー!
男子目線、新鮮だ。
「勉強になります……」
「っふ、何で敬語?」
可笑しそうに肩を揺らす喜多川くんに、トクンと心臓が反応する。
穏やかに笑うことはよくあるけれど、こんなふうに砕けた笑い方をするの、初めて見たかも。
「いや、思ったのと違った反応返ってきて……男女の目線の違い、学ばせていただきましたって思って」
初めての表情にキュンキュンしながら言葉を返すと、喜多川くんはこう尋ねてきた。
「岩本さんは、メイクしていない時の自分の顔はあまり好きじゃないの?」
「そういうわけじゃないけど……メイクしてない自分よりはメイクしてる自分の方がちょっとはイケてるんじゃないかなって意識があるから」
ちょっとでも可愛く見られたい、綺麗でいたい、そういう意識があってのメイクだから。
すると喜多川くんはサラッと心臓破りな発言をしてきた。
「オレはどっちの岩本さんも好きだけど……メイクしてる普段の岩本さんはより元気で可愛い感じがするし、今日初めて見たすっぴんの岩本さんはナチュラルで温かみがあって、それぞれの良さがあるっていうか。うん……どっちも好きだな」
無自覚たらし、キタ――――――!!
あたしは脳内で絶叫しながら、耳まで赤くなった。
分かってる! 多分、深い意味はないんだって。
でもでも、友愛精神に満ちた発言なんだろうと分かっていても、好きな男子に言われたらキュン死する―――ッ!
脳内で悶えながら、現実では真っ赤になったままフリーズしてるあたしを目にした喜多川くんは、遅ればせながら自分の無自覚たらし発言に気が付いたようだった。
「! あっ、オレまた……! ゴメン、ええと、今のは別に変な意味じゃなくて……! その、メイクしていてもしていなくても、岩本さんには充分魅力があるってことを伝えたかっただけで……!」
おふぅっ! 追いキュン!
「あ〜〜〜、も、ゴメン。何かオレ、さっきからキモいね……。旅先に来た感覚で、変に開放的な気分になっちゃってるのかな―――」
やらかした感を全身に滲ませながら、再び顔を覆う勢いになる喜多川くん。そんな彼の姿が何だか可愛くて可笑しくて、あたしは照れながらも吹き出してしまった。
「ふはっ、何かもう……そういうトコも全部ひっくるめて、喜多川くん、好き」
「えっ?」
鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔になる喜多川くんの目を真っ直ぐに見つめて、あたしはニカッと歯を見せた。
「そうやって何の気なしに褒めてくれたり、自信のないトコを優しく拾い上げて、新しい見方を教えてくれるところ。でもって、無意識にそれやってるから、後で気付いた時に変に照れちゃうところ。喜多川くんの人柄が出てて、いいなぁって思う。人に寄り添って物事を考えられる、喜多川くんらしいなぁって。そういうところ、好きだなぁって思うよ」
―――よしっ、言ってやった!
自分で自分にドヤ顔を決めながら、じわじわ今の発言がボディーブローのように効いてきて、変なアドレナリンが全開になる。
―――きゃーっっっ! どさまぎで「好き」って言っちゃった!
もうね、好きの気持ちが高まり過ぎて言いたくて言いたくてたまらなかったから、本来の意味として捉えられなくても、こうやって吐き出せただけでちょっとスッキリ!
そのテンションのまま、目を見開いて固まっている喜多川くんにちょっぴり悪戯っぽく囁いた。
「でも、相手と場所をわきまえないと変な勘違いされちゃうかもしれないから、そこは気を付けないとダメだよー」
特に、阿久里さん!
「えっ……う、うん……」
一拍置いてフリーズが解けた喜多川くんが、頬を赤らめながらモゴモゴ頷いて、そんな彼に急に距離詰めすぎかなぁと思いながらも、あたしは勢いで聞いてみた。
「―――あのさ、今度から喜多川くんのこと、蓮人くん、って呼んでもいいかな?」
「えっ?」
急な話の切り替わりに頭が付いていかなかった様子で、眼鏡の奥の長い睫毛が何度か瞬く。
「……。別にそれは構わないけど―――急にどうしたの?」
―――っしゃ! オーケーもらえた〜!
内心かなりドキドキしながら返答を待っていたあたしは、その瞬間、心の中で両拳を突き上げた。
やった〜〜〜っ、当面の目標、クリア!!
「―――や、この間、別のクラスの子が喜多川くんのこと名前呼びしてるの、偶然耳にしてさ―――ノラオも名前呼びだし、苗字呼びより名前呼びの方が距離感近い感じがして、うらやましいなって思って」
「ああ……多分、同じ委員会の人かな。委員会に同学年で漢字違いの北川がいて、紛らわしいからオレとそいつだけ下の名前呼びなんだ」
! そういうこと!?
あたしは胸の中にあったモヤモヤがパァッと晴れていくのを感じた。
「そうなんだー、同中(おなちゅう)の人がそう呼んでるのかと思ってた」
「同じ中学でそう呼ぶやつもいなくはないけど……高校で名前呼びするのは基本、委員会の人かな」
なんだー! 阿久里さんだけじゃなくて、委員会の人みんながそうなんじゃん!
そういうことだったのかぁ、良かった〜!
知り得た事実にホッとしながら、あたしは喜多川くんに笑いかけた。
「じゃあこれからは蓮人くんって呼ばせてもらうね! あたしのことも名前呼びでいいから」
「えっ? 名前って、急に言われても……、何て呼べば―――」
「陽葵(ひまり)でも陽葵(ひま)でも、何でも。呼びやすいのでいいよー」
あたしにそう振られた蓮人くんは、大いに戸惑いながら、ぎこちなく下の名前であたしを呼んだ。
「えっ、えっと……じゃあ、陽葵(ひまり)?」
「何? 蓮人くん」
「いや、あの、陽葵(ひま)?」
「はーい」
「〜〜〜っ……ちょ、待って。恥ず……急に無理なんだけど……」
突然の名前呼びに苦戦する蓮人くんは首まで赤くなると、口元を片手で覆った。
かっ、かわゆ〜〜〜っっっ!
その様子にあたしは再びキュンキュンしてしまう。
「何で岩本さんそんなに抵抗ないの? 呼び方急に変えるのって、難しくない?」
「こういうのは勢いだよ、蓮人くん! 思い切りが大事!」
「陽葵(ひまり)、陽葵(ひま)、陽葵(ひまり)……さん。……。と、とりあえずいったん持ち帰らせてくれない? おじいさんおばあさんの前で急に呼び方を変えるのもアレだし……」
確かに、それはそうかも。
「んー……じゃあ、おじいちゃんちにいる間はあたしも今まで通り喜多川くん呼びするね。でも二人の時は蓮人くんって呼んでもいい?」
「うん、それは全然」
「へへ、嬉しい」
あー、念願の名前呼び! 思わず顔が緩んじゃう〜。
目尻を下げてウキウキと喜びを噛みしめるあたしの隣で、へにゃっと崩れたその顔が見るに堪えなかったのか、自分の膝に視線を落とした蓮人くんは眼鏡の真ん中辺りを押さえていた。