もったいない!
12


 翌日の放課後、あたしと喜多川くんの姿は市の図書館にあった。

「―――あった。これだよね、ノラオが見たがっていた本」
「そうだね。もう一冊は―――ああ、これかな」

 長身を活かして、いとも簡単に本棚から目当ての本を取り出してみせた喜多川くんは、たくさんの本が整然と陳列された館内に目を走らせてこう言った。

「どうする? 五冊まで同時に貸し出し可能なんだけど、ノラオは他に読んでみたい本とかあるのかな」

 その言葉に、あたしは少し緊張感を覚えながら頷いた。

「ちょっと―――聞いてみる」

 昨日はあれから何となく話しかけづらくて、それにまだ少し怖くて、ノラオとろくに会話出来ていなかった。

 ノラオの方も気を遣っているのか、向こうから特に話しかけてくることもなかった。

 でも―――ずっとこのままでいるわけにもいかないもんね。

 意を決して、あたしはノラオに話しかけた。

 ―――ノラオ。聞こえる?

『……。聞こえてるよ』

 あたしの呼びかけに応じたその声に、無意識に生唾を飲み込んでしまいながら、きつく拳を握りしめて、臆病な気持ちを奮い立たせる。

 ―――あと三冊、本が借りれるんだって。あんた、他に読んでみたい本とかある?

『あー……だったらあれが読みてぇかな。昨日の本屋のBLコーナーにあったヤツ』

 そう来るとは思っていなかったあたしは、少々面食らった。

 え―――あ、ああいうのって市の図書館に置いてあるものなのかな!?

「……喜多川くん。何かノラオ、昨日の本屋のBLコーナーにあった本が読みたいみたいなんだけど。ああいうのって、図書館にも置いてあるものなのかな?」
「えっ」

 やっぱり予想外だったのか、軽く目を瞠った喜多川くんは少し考えてからこう答えた。

「……漫画はないと思うけど、小説の方ならもしかしたら置いてあったりするのかも」

 あたし達はティーン向けの小説が置いてある文庫本のコーナーに行って、それっぽい作品が置かれていないか確認してみた。すると、その近くの本棚にそれっぽい本が別途置かれているのが目に入った。

「あ、喜多川くん、これ! これじゃない?」
「あ、本当だ。それっぽいね」

 ノラオが本を選んでいる間、喜多川くんには図書館内の別の場所で時間を潰していてもらうことになった。

 ―――ノラオ、小説ならあったよ! ほら、どれがいい?

『……ん。ちょっと端っこから背表紙バーっと流し見してくんね?』

 ―――分かった。

『ちょ、早ぇ。もっとゆっくり』

 このくらい?

『―――ん。ちょ、戻って。あ、行き過ぎ』

 う、ううん。加減が難しいな―――あんたさ、幽霊なんだからあたしの身体からパッと出て、勝手にその辺見て回るとか出来ないの?

『出来たらこんなこと頼んでねぇよ……』

 それもそうかぁ。漫画とかと違って、実際の幽霊って案外不便なものなんだな。

『左から五冊目の表紙見せて。あと、その隣の隣の表紙。次は―――』

 自分で何かを選ぶ時って、気になるものが分かっているから何の苦もなくそれを行えるけど、出された指示に従ってその動作を繰り返すのって、結構大変!

 そんなことを続けていたら、あたしもノラオも何だか疲れてしまった。

『……なぁヒマリ。ものは相談なんだけどさ―――昨日みて―なことはもうしねーから……本を選ぶ間、ちょこっとオレに代わってくんねーかな?』

 ―――え……。

 それを聞いた瞬間、ドクン、と心臓が緊張の音を立てて、顔からすぅっと血の気が引いていくのが分かった。

 そんなあたしの変化はノラオにも伝わったらしい。

『―――あ、やっぱいいわ。悪ぃけどもう一回、中段ざっと見てくんね?」

 そう気を回すノラオに、あたしはきゅっと唇を噛みしめた。

 ―――根は……悪いヤツじゃないんだよなぁ、多分。

 昨日はちゃんと謝ってくれたし……今だって、強引に身体を乗っ取らずに確認取ってきてくれてるし。何だかんだ、話せば分かってはくれるヤツなんだよね……。

『……ヒマリ?』

 でも、やっぱり。何の保障もなしに信じるのは、まだ怖いから―――ちょっと気は咎めるけど、保険を掛けさせてもらおう。

 あたしは短い逡巡の後、そう決意を固めてノラオに声をかけた。

 ノラオ―――身体、貸してあげてもいいけど……あたしが「戻して」って言ったらちゃんと身体を返すって、エージに誓って約束出来る?

 エージは、ノラオにとって唯一絶対の存在だ。エージに会いたい一心でこの世に留まり続けているノラオにとっては、エージはある意味信仰の対象的な、神聖な存在でもあるんじゃないかと考えて、彼の名を盾のように持ち出すことで、自分の保険にしようって考えたわけ。いわゆる踏み絵みたいな感じ?

 ノラオは多分、エージの名を汚すような真似はしないはず―――これで渋るようなら、身体は貸さない。

『え―――いいの?』

 ノラオはためらう素振りもなく、前のめりになる気配すら感じられて、そんな彼にあたしはもう一度釘を刺した。

 ―――エージの名に誓って、約束出来るならね。あんたは多分、エージに対しては誠実だと思うから。

 それを聞いたノラオが苦笑する気配が伝わってきた。

『……お前、お人好しだな。昨日あんなに泣いてたのに』

 うるっさいな! ホラ、どうすんの!? 誓約するの、しないの!?

『……誓うよ。エージに誓って、お前の制約に従うと誓う。……。ありがとうな』

 ―――うん。

『じゃあヒマリ、レントのトコ行って壁ドンしてもらって』

 神妙な口調から一転、何でもないことのようにとんでもないことを言い出したノラオに、あたしは自分の耳を疑った。

 はッ―――はあぁぁぁぁッ!?

 思わず肉声が漏れそうになって、慌てて両手で自分の口を押えながらノラオにブチ切れる。

 ―――何でそうなんの!? 意味不明なんだけど! てか、あんたそんな言葉どこで知ったの!?

『昨日の本屋の立ち読みで知った。レントにあれされたら、お前キュンとするだろ?』

 そりゃあキュンというかギュンというか、死ぬくらいドキドキすると思うけど!? あんなシチュエーション、現実はそうそうあるモンじゃないからね!?

 ―――って、いや、そうじゃなくて、何でそんな話になるのかってことを言いたいワケ、あたしは!

 するとノラオはあっけらかんとこう言った。

『何でか、お前がレントに対してときめくような気持ちになると、心の琴線みてーなのが現れるんだよ。それ引っ張ると、お前と入れ替われるんだ」

 えっ―――。

 寝耳に水のその話にあたしは愕然として―――またしても叫び出しそうになってしまい、慌てて自分の口を両手で押さえた。

 なっ……何それぇぇぇ―――ッッッ!!?

 さっ……最悪! サイアク!! まさかそんなことが入れ替わるキッカケになってたなんて―――!?

 ウソでしょ!?

 あたしは頭を抱える勢いで記憶をさらってみたけれど―――確かに思い返してみても、ノラオが現れるのはいつも喜多川くんと話している最中で、キュンとしたりドキッとしたり、そうでなくても彼に対して何らかの感情が動いた瞬間だった―――と認めざるを得ない……ような気がする。

 ええっ―――ちょ、これ、喜多川くんにバレたら恥ずかし過ぎない!? 軽く死ねる!!

 全身真っ赤になって困惑するあたしに、ノラオがのんきな声をかけてきた。

『ヒマリ? おーい、スゲェ動揺してんじゃん』

 当たり前じゃん! こんなん、動揺すんなって方が無理!!

 ―――ノラオ、このことは喜多川くんには絶対秘密だからね!? エージの名に誓って、絶っっ対に秘密だからね!?

 分かった!? 分かったね!?

『―――お、おぅ。わぁーったよ。だから壁ドン……』

 ―――出来るか! どんな顔してお願いしろって!? そんなんお願いするだけで死ねるわ!

『んだよ、大袈裟だなぁ……』

 ―――はぁ!? 自分とエージで想像してみ!?

『……。スミマセン。オレが悪かったデス……』

 ―――よし!

『じゃあ何ならイケるんだよ? イケるキュンは何なんだ?』

 あんたそれ、鬼のような難問出してるからね!?

『じっと互いの目を見つめ合う―――とかでもキュンとするのか? なぁ、これくらいならイケんじゃね? ちなみにこれならオレはやれるぞ!』

 う、うぅーん……。まあそれくらいなら、やれなくはない……かな?

 人の目を見て話すの、得意な方だし。

 いや、いっそノラオに代わるのをやめるという選択肢も……。

『―――おい。エージの名を使ってオレに誓約させた以上、取り消すとかはナシだからな!』

 うっ……!

 ノラオに気取られて先手を打たれたあたしは、渋々とBLコーナーから離れたところにいる喜多川くんの元へと向かった。彼は、推理小説コーナーで何やら分厚い本を手に取って目を落としている最中だった。

「喜多川くん」
「岩本さん。選び終わった?」
「ごめん、それがなかなか時間かかって、手間取ってて……」
「そっか。オレのことなら気にしなくていいよ。気になった本、何冊か見繕ってあっちで読んでいるから。ゆっくり選んで、終わったら声かけて」
「あー、うん。あの、それでね……」

 あたしは歯切れ悪く言いながら、長身の彼の瞳を見つめた。

 うわー、改めて見ると睫毛長……あたしより全然長いんじゃない? 付け睫毛(ツケマ)いらず……。

「このままだと効率悪いから、一度ノラオに変わろうと思って―――喜多川くんをビックリさせると悪いから、一度それ言っておこうと思って」

 そう言うと喜多川くんは軽く目を見開いて、驚いた様子を見せた。

「……岩本さんはそれで大丈夫なの?」
「うん。エージの名に誓って、あたしが戻してって言ったらちゃんと身体を返すって、そう約束してくれたから、信じる」
「……そうか。これからもしばらくはノラオと過ごすことになるんだろうし、二人の間でそういう誓約が成されてそれが守られるなら、それが何よりだと思う。岩本さんが納得してそう望むなら、オレはそれを尊重して見守るよ」

 その間もあたしはずっと喜多川くんの目を見続けていて、彼もまたあたしの目を真っ直ぐに見つめていたんだけど、真面目な話をしているからかドキドキ感が足りないらしく、いっこうにノラオが来る気配がない。

「―――ところで、そうやって二人の意思で入れ替われるようになったっていうことはつまり、ノラオとスイッチするキッカケが何なのか分かったっていうことだよね? それって何だったの?」

 喜多川くんからそう突っ込まれたあたしは、ドキーンと心臓を高鳴らせた。でもこの高鳴らせ方ではノラオの言う琴線とやらは現れないらしく、こんなふうに突っ込まれることを想定していなかったあたしは、とっさに上手い返しを思いつくことが出来ず、口をもごもごさせながら、真っ直ぐな彼の視線に耐えかねて、思わずふい、と視線を逸らしてしまった。

 あ、あう〜! 何てかわしたらいい!? こうやって突っ込まれるのを想定していなかったー!

 ああもう、アホ過ぎ……! あたしとノラオのアホー!

『何だよ、お前が早くときめいてくれりゃ済む話だろ』

 簡単に言うなー!

「岩本さん?」

 視線どころか顔ごと逸らしてうつむいてしまったあたしに、喜多川くんが心配そうな声をかけてくる。

 ああ、これじゃ心配させちゃう……!

 こんなふうに心配かけちゃダメだ! 喜多川くん、ゴメン! ずるいけど、ここは女の武器を使わせてもらって、多少強引にでもごまかして乗り切ろう……!

 そう思って勢いよく顔を上げたあたしの視界に、予想外の喜多川くんのドアップが映って、あたしはぴゃっ、と、肩をすくめた。

 どうやらあたしを心配した彼がこちらの顔を覗き込むようにしたところへ、あたしがちょうど顔を上げてしまったらしい。

 タイミング悪! けれど、キスする寸前の恋人みたいな距離感で、顔面偏差値の高い顔を見てしまった破壊力は大きかった。

 自分でもヤバいくらい顔が熱くなるのを覚えながら、あたしはぎこちなく瞳を逸らして、消え入るような声で言った。

「―――ゴ、ゴメン。秘密にしてもいい? ちょ、恥ずかしくて言えないや」

 何とかそう言い切るのと同時に、意識をぐんっと引っ張られるあの感覚が来て、あたしはノラオと入れ替わっていた。

 ノラオの視線の先には、驚いたような顔のまま赤くなって、フリーズした喜多川くんがいる。

 そんな彼の首にするりと腕を回して、ノラオは悪戯っぽくその耳元で囁いた。

「ダメだよレント、女の子にあんなこと言わせちゃ」
「! ノラ……!?」

 ノラオから慌てて距離を取った喜多川くんは、くすぐったそうに耳元を押さえながら、少しあせった様子でこう言った。

「いや、オレは別に、そういうつもりじゃ……!」
「ははっ、分かってる分かってる。可愛いな―もう、レントは」
「……!」

 喜多川くんは何か言いたげにしながらも、ここが図書館であることを思い出して自重したようで、周囲を気にする素振りを見せながらノラオをBLコーナーへ追いやった。

「代わってもらえたんなら、早く選んできなよ」
「ははっ、りょーかい」

 軽やかな足取りでそちらへと向かうノラオを見送りながら、喜多川くんが平常心を取り戻すように眼鏡の真ん中を押さえながらこう呟いたことを、あたしは知る由もなかった。

「……っ。あれは……あの顔は、不意打ちが過ぎるだろ―――」
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