そして図書館を後にしたあたし達はその足で電車に乗り、久々に明るいうちに家路につくことが出来たのだ。
先に電車から降りて、駅のホームから手を振って喜多川くんを見送るのは初めてで、新鮮だった。
「よし! おじいちゃんに電話するぞ!」
家についてすぐに、そう気合を入れたあたしは、さっそくスマホの通話開始ボタンを押した。
父方のおじいちゃんは県外に住んでいて、大きくなってからはお盆とお正月くらいしか会う機会がない。
久々のあたしからの連絡に、おじいちゃんは驚きながらも嬉しそうに応じてくれた。
「おおー、陽葵(ひまり)。久し振りだなぁ、元気かぁ?」
「うん、元気元気ー。おじいちゃんも元気そうだね。ねっ、今話しても大丈夫?」
「おぅ、全然かまわんぞぉ」
あたしは以前お父さんに話したみたいに「最近同じ夢を見続けていて、毎回そこに二十代後半くらいの男の人が出てきて気になる」といった趣旨の話をして、それに関連付けておじいちゃんのお兄さんに関する情報を求めた。
「ほー不思議な話だなぁ。お前の言うその男の人の特徴は、確かにじいちゃんの兄ちゃんに似とるかもしらんなぁ」
「本当? ねぇ、おじいちゃんちにそのお兄さんの写真ってある?」
「うーん、どうだったかなぁ。じいちゃんはばあちゃんとこに婿入りしたから、昔の写真はあまり持って来とらんのよ」
あー、そういえばそうだったっけ……すっかり忘れていたけれど、確かにそうだ。おじいちゃんは岩本家に婿入りしたんだった。
「ああ……でも結婚式の時の写真があったな。兄ちゃんも出席してくれたから、みんなと一緒に写っとるはず……」
「! ホント!? あのさ、悪いんだけどそれ、スマホで撮って送ってくれないかな!?」
「スマホで撮って送るのかぁ? うーん……最近前のが壊れて新しいやつに買い換えたばかりで、操作の仕方がイマイチ……」
「そんなんそう大差ないから! あたしが教えてあげるからさ! ね!」
あたしは渋るおじいちゃんをなだめすかして電話で操作方法をレクチャーしたんだけど、これがなかなかに大変だった。
写真を撮るのはさほど苦もなく出来たんだけど、そこからが大変で、おじいちゃんも頑張ってやってくれたんだけど、えらい時間がかかった上、やっとこさ送られてきた写真はブレブレで、肝心なところが良く見えなかった。
もう一度頼んでみるものの、精も根も尽きたおじいちゃんは断固拒否。
大事な結婚式の写真を郵送してくれと言うわけにもいかず、「じゃあ今度写真見せてもらいに行っていい?」と尋ねると、不機嫌だったおじいちゃんは途端に上機嫌になって、「いつでも来なさい」と言ってくれた。
「……。ねぇおじいちゃん、その時さ、何なら友達連れて行ってもかまわないかな? その件でよく相談に乗ってもらってる人がいて……」
「おぅおぅ、陽葵の友達ならじいちゃんもばあちゃんも大歓迎だよ! 遠慮せんで連れてきなさい」
「うん! ありがとう。友達にも確認してまた連絡するね!」
―――喜多川くん、誘ったら一緒に行ってくれるかなぁ?
通話終了ボタンを押しながら、あたしはそんなことに思いを馳せた。
ちょっと遠出になるけれど、電車に乗れば片道二時間くらいだし、日帰りで行けない距離じゃないもんね。
喜多川くんとは学校帰りに制服で駅近辺にしか行ったことないし、休日に私服で一緒に出掛けてみたいなぁ……喜多川くんて私服、どんなんだろ?
爽やか系? それともキレイめ? 意外とワイルド系だったりして?
勝手に想像してニヤニヤしていると、そこにノラオが割って入ってきた。
『おいヒマリ、用事済んだんだろー? そろそろ代わってくれよ。オレ、借りてきた本読みてぇんだけど』
あ、そうだった。
あれ? でも喜多川くんいないのに……無理じゃない? どうすんの?
『ヒマリさぁ、昨日レントに抱き寄せられた時、どう思った?』
―――えっ!?
唐突にノラオにそう振られたあたしは、ボフン、と赤くなった。
きゅ、急に何っ……! あれはあんたのせいであたしが泣いてたから胸を貸してくれてただけでしょ!?
『まぁそうなんだけど。あいつさ、意外と着やせしてると思わねぇ?』
え?
『見た目文化部っぽいのに、けっこう引き締まったカラダしてるっつーかさ……くっついててそう感じなかったか?』
ええーっ!? そ、そんな余裕なかったし……!
そういうのよりは包み込んでくれてる胸の広さとか、温かさとか、安心出来る匂いとか……!
そんなことを思い出していたらあの時のリアルな感覚が甦ってきてしまい、どうにも心臓が落ち着かなくなった。
あの時、迷いながらかけてくれた言葉。ためらいがちに伸ばされた腕。控え目に提供してくれた、広い胸……。
喜多川くんも多分、かなりの勇気をもってあたしに接してくれたんじゃないのかなぁ……。
―――なんて乙女モードに入っていたら、ノラオにぐんっと意識を持っていかれた。
「はい、一丁上がり!」
あっ……あ―――っ!?
ちょ、あんた……! 何!?
こんな方法で入れ替われるんなら、図書館でのあれはいったい何だったワケ!?
「いや、せっかくレントがいるんだから本物にドキドキした方がいいだろ? オレなりの配慮」
ドヤ顔でバチコーン、とばかりにウインクしてくるその様にあたしが引くのが分かったんだろう、ノラオは口を尖らせながら嘯(うそぶ)いた。
「ンだよ。つーか、あの場で妄想にふけってドキドキしろっつっても逆に無理だろー?」
まあ……それはそれであたしがヤバい人みたいだもんね。
あたしはひとつ溜め息をついて、ノラオに言った。
キリのいいとこで代わってよー? あたしも宿題とか、やらなきゃいけないことあるんだから。
「お、ちゃんと学生してんじゃん。りょーかい! 一冊読んだら代わっから」
言葉通りノラオは一冊読み終わったところであたしと交代してくれたんだけど、それをやってみて驚いたことがあった。
まるで睡眠学習でもしたみたいに、ノラオが読んだ本の内容が頭に入っている……!
『あーまあ、お前の身体使って読んでるわけだから、当然と言えば当然なのかもな? 脳は働いているわけだし』
そっかー! じゃあノラオに勉強してもらえれば自然とあたしが学習したことに……!
『……おい。こずるいこと考えてんじゃねーぞ』
あ、でもそもそもノラオが賢いとは限らないか。あまり頭良さげには見えないし。
『てめぇ失礼だな!? そういうてめぇはどうなんだよ!』
あ―――あたしはフツーだよ、フツー。
『ふーん……レントは頭良さげだけどな』
喜多川くんは実際頭いいらしいからねー。多分学年でも上位の方なんじゃないのかな。
『へーぇ。……。…………おい。お前、フツーじゃねぇだろ』
あたしの宿題の状況からノラオはそう看破した。
『授業風景からも薄々察してはいたけどな』
す、数学は苦手なの! あたしは文系なの!
『ふーん。それも怪しいなぁ。……おい、何でここにこの公式持ってくんだよ。ちげーだろ!』
あたしは遅ればせながら思い出した。ノラオがエージを大学時代の友達だと言っていたことを。
しまった! 普段の言動が子どもっぽ過ぎて忘れてたけど、こいつ、大卒者(推定)だった!
『これも何かの縁だ。頭良さげに見えないオレが、頭悪いお前に勉強を教えてやるよ。遠慮しなくていいぜー? でも感謝はしろよ』
うわぁ、大人げな! さっきの超根に持ってるじゃん!
『うるせ』
こうして、図らずも超スパルタな専属の家庭教師が爆誕することとなり、ここからあたしの学習レベルはちょっぴり上がっていくことになるのだった。
*
あたしからそれを聞いた紬は大口開けて爆笑した。
「あっは、マジかよ! あいつあんな感じで頭いいんだー! やば、ウケる」
「記憶ないのにさー、そういうのは覚えてんだって。もう何ソレって感じ」
「まあソレ言ったら言葉だってそうじゃんね? 記憶ないけど喋れてるわけだし。思い出とかとは別モンなんでしょ。まあタダで家庭教師(カテキョ)雇えたと思えばお得な感じがしていいじゃん」
「でも超スパルタなんだよー、人の心をへし折る言い方してくるんだよー」
「あー……」
察する感じで頷いた紬は、なだめるようにあたしの背中をポンポン叩いた。
「まあまあ。それよか来週末、おじいちゃんちに喜多川と一緒に行けることになったんでしょ? 良かったじゃん」
そうなの!
昨日あれから喜多川くんのSNSにおじいちゃんちへのお誘いをドキドキしながら送ったら、今週末は用事があって無理だけど、来週末なら行けるって返事が来て、あたしはかなり舞い上がった。
喜多川くんと初めてのお出掛け! 楽しみ過ぎる!
さっそくおじいちゃんに連絡すると、その日は用事もないから来てもらって構わないって言ってもらえて、ソッコー折り返し喜多川くんに連絡して、来週末の約束を確定した。
あ〜もう、それを考えると今から顔が緩む。
何着て行こうかなー、晴れるといいなー、早く来週末にならないかなー。
ぽわぽわしていると、渡り廊下からこんな声が聞こえてきた。
「蓮人くん、明日十時に駅前で待ち合わせだよ。覚えてる?」
「うん。覚えてるよ」
―――蓮人くん!?
渡り廊下に面した花壇付近にいたあたしと紬は同時に顔を見合わせて、思わず壁際へと身を寄せながら声の方を窺った。
同名の別人!? でもこの声は―――!
あたし達の目に映ったのは、段ボール箱をひとつずつ持った喜多川くんと長い黒髪の女子生徒が並んで廊下を歩いてくる光景だった。
背が高くスラリとした印象の彼女は、落ち着き過ぎない上品さを持った、あたしとは正反対のタイプの清楚な感じの子だ。
あの子は確か―――……。
記憶を探るあたしの隣で紬が言った。
「あれ、隣のクラスの阿久里(あぐり)じゃない? へー、喜多川と仲いいんだー。知らなかった。陽葵(ひま)、知ってた?」
そうだ、阿久里さんだ。フルネームは確か、阿久里ちさ。
「ううん。同じ委員会なのかな?」
「あー、そう言われてみればそうだったかも。あの二人、もしかして付き合ってんのかな? 名前呼びだし、明日待ち合わせしてどっか行くみたいなこと言ってたし」
喜多川くんと阿久里さんが、付き合ってる―――?
「え……そうなのかな?」
あれ? 考えてみたらあたし、喜多川くんのことほとんど何も知らないな?
知ってることと言ったらご両親が共働きで、喜多川くんが一人っ子っていうことくらい……?
うわ、ちょっと待って。改めて考えてみるとあたし、喜多川くんの誕生日も血液型も趣味も食の好みも、好きな異性のタイプはおろか、彼女の有無すら知らない!
―――自分でもビックリするくらい情報持ってない!
今更ながらそこに気付いて呆然とするあたしを気遣ってくれたのか、紬が明るめの声をかけてきた。
「―――や、でもあの二人、多分付き合ってはないな。阿久里が頻繁にうちのクラスに来ることないし、喜多川もあっちのクラスにそんな行ったりしてないし、二人で一緒に帰るのも見たことない気がするし……むしろ陽葵が一緒に帰ってるのしか見たことないわ。あれじゃない、名前呼びなのは同中とかで、昔から知ってるからなんじゃない?」
あたし、喜多川くんがどこの中学だっかのかも知らないや……。
「喜多川面倒見良さそうだしさ、待ち合わせもきっとそういう類なんじゃない? 何か頼まれて、それに付き合ってあげる的な」
―――あたしがまさにそれだ!
その時、段ボール箱を運び終えたらしい二人が渡り廊下を戻ってきて、陰からこっそり様子を窺うあたし達の前を通り過ぎて―――行かなかった。
「蓮人くん」
阿久里さんが喜多川くんの名前を呼びながら足を止めて、何事かと振り返る彼の肩におもむろに手を伸ばした。
「髪の毛ついてる」
「え? ああ……ありがとう」
阿久里さんはにっこり微笑んで、「どういたしまして」なんて言いながらそのまま立ち話を始めた。
「蓮人くんて背が高いよね。身長いくつ?」
「あー……春に計った時は181ちょっと、だったかな」
「そうなんだぁ。あたし168」
「阿久里さんも背が高いよね。もしかしてクラスの女子の中では一番?」
あっ、苗字呼び! 何だー、みんなと一緒じゃん。
そんなことに何だかホッとする。
阿久里さんは小さく肩をすくめると、上目遣いに喜多川くんを見上げてしなを作った。
「そうなんだよー。巨人扱いされて嫌になっちゃう。だけど蓮人くんといる時は丁度いい女の子目線になれるから、何だか嬉しいんだ」
「ああ……身長差的に?」
「そう。前にテレビか何かで言っていたんだけどね、キスするのに丁度いい身長差が13センチなんだって。偶然だけど一緒だね」
―――は? 何、その話の振り方!?
「……そう、なんだ」
喜多川くんは言葉の返しに困ったような返答をして、少し戸惑ったように視線を泳がせた後、またゆっくりと歩き出した。それを追うように、笑顔を保ったままの阿久里さんもその場から離れていく。
その様子を見送っていた紬が眉を跳ね上げた。
「さっきは気付かなかったけど―――阿久里さ、あれ絶対ワザとだね。最初っからうちらがここにいるのに気付いて、わざわざ待ち合わせの話出したんだ。見た目に反してあざといヤツ! 肩に髪の毛がついてたってのも怪しいなー。あれ多分、ここで足を止めて話する為の口実だよ。いい性格してるじゃん」
つまり、阿久里さんはあたしに対してマウントを取っていたってこと―――?
ノラオのせいで広がった噂が彼女の耳にも入ってのことなんだろうけど、そういう行動を取るってことは、少なくとも彼女は喜多川くんに好意を持っていて、あたしをライバル視しているっていうことだよね。
ちゃんと確認したわけじゃないけど、今のやり取りを見た限りでは喜多川くんと阿久里さんは付き合っていないと思うし、この数日間あたしにかかりっきりで付き合ってくれている辺り、喜多川くんには多分今付き合っている人はいないんだと思う。
けれど、それはあくまで現時点での話だ。
喜多川くんの魅力に気付いているのはあたしだけじゃなくて、いいな、素敵だなって感じている子は他にもいるんだ。
いつか、その中の誰かが彼の特別になって、その隣にいることを想像した時―――スゴく、スゴーく嫌だなぁ、って思ってしまった。
同時に、ああ好きになっちゃってるんだなって理解した。
今までは喜多川くんにキュンキュンする度、ノラオのエージへの気持ちに引きずられてそうなってるんだと思ってたけど、これはもう完全に―――あたしの気持ちじゃんね。
あたし、喜多川くんのこと、もう好きになっちゃってるじゃん。
そう気付いた瞬間、阿久里さんへの負けん気がメラメラと燃え上がってきて、あたしは一人気を吐いた。
「ヤッバ、負けてらんない……!」
「そうそう、その意気! 負けるな、陽葵!」
紬が拳を握りしめて、あたしの背中を後押しする。
喜多川くんに惹かれているのは、あたしだけじゃないんだ……!
そうだよね! あんないい人、周りが放っておくわけないもんね!
喜多川くんへの恋心に覚醒し鼻息荒く意気込むあたしに、それまでだんまりを決め込んでいたノラオが愉快そうに煽ってきた。
『そうそう、あいつ無自覚たらしだし、タチ悪いよなー、何つーか、自分の持ってる魅力に気付いてないトコあるし、すれてなくて純情で、頼られると無下に出来ないし、悪く言えばつけ込まれやすいから、ああいう肉食系の女に対する防御力はゼロに近いと思うぞー。ボヤボヤしてるとレント兎はかっさらわれて、あっという間に食われちまうかもなー』
いやあぁぁぁ! ―――そっ、想像が出来過ぎる!
思わずその光景を思い浮かべてゾッとしたあたしは、紬とノラオにこう宣言した。
「あたし、絶対負けない! まずは誰よりもあたしが喜多川くんと仲良くなって、一番の喜多川フリークになる!」
「ん―――うん?」
「でもってあたしも名前呼びデビューする! ノラオも阿久里さんも名前呼びなのに、あたしだけ苗字呼びなんてずるい!」
「ええ……ソコなの……?」
「まずはだよ、まずは!」
そう強調するあたしに、紬とノラオが同時に突っ込んだ。
「最終的にあんたはどこを目指したいワケ?」
『お前の目指す着地点はどこなんだよ?』
「―――そっ、それはぁっ……! ここでは言えないっ! でも、お察しのとおり……だから」
最後の方は尻すぼみになってしまったあたしの肩を紬が抱いて、ニヤッと笑った。
「なら、頑張んなよー? あたしはあんたら何気に似合いだと思うし、応援するから」
『オレは特に応援はしねーけど、生温かく見守ってやるよ』
ノラオは鼻で軽く笑う感じだったけど、その口調にはどことなく温かみのようなものがあった。
―――よし! まずは情報収集、そして当面の目標は名前呼び!
誰よりも喜多川くんと仲良くなれるよう、頑張るぞ!
喜多川くんへの想いを自覚したあたしはそう決意新たに、心の中で高々と拳を突き上げたのだった。