魔眼 虚夢の館

08


 任務を終えフローレまで戻ってきたわたし達はベルンハルト達に今回の依頼書を託した。

「じゃあ、悪いけど領主様に任務完了の印をもらってギルドに提出しておいてくれる?」

 そう言ったわたしに戸惑い混じりの表情を向け、ベルンハルトが尋ねた。

「それは構わないけど……本当に行かなくていいのか? 二人共。領主とお近づきになれるチャンスなのに」
「なかなかないことだし、もったいない気がするけどねぇ」
「おかしいんじゃないの!? あんた達。こんなチャンスをふいにする気が知れないわ!」

 アレクシスは苦笑気味に、リルムは憤然とした面持ちでわたし達にそう意見した。

「下手にお近づきになって気に入られでもして、行動を抑制されるようなことになっても困るからな……オレ達は次の仕事があって取り急ぎそちらに向かったことにでもしておいてくれ」

 ドルクの言葉にわたしも同調する。

「ゴート城に戦果を確認する人員が飛んで帰ってくるまで、ひと晩かふた晩足止め食らっちゃうしね」

 それを聞いたリルムが目を吊り上げて噛みついた。

「バカなの!? その間、領主の城に滞在出来るのが美味しいんじゃない!」
「わたしはそういうの、窮屈で美味しいって思えないんだよ」
「信じられない! 脳みそ破壊されてんじゃないの!?」
「何おぅっ!? みんながみんな、あんたと同じ考えじゃないんだよ!」
「まあまあまあまあ、フレイアもリルも落ち着いて」

 アレクシスが穏やかにいなしながら一触即発のわたしとリルムとの間に入った。

「ほら、リル膨れないで。それじゃフレイアに誤解されたままお別れになっちゃうよ」

 誤解? 

「リルはさー、フレイアとランヴォルグとここでお別れになっちゃうのが寂しいんだよな。一緒に領主の城まで行きたかったんだよな」

 ベルンハルトにそう揶揄されて、リルムの白い頬が赤くなった。

 ええ!?

 ビックリして目を丸くするわたしにアレクシスが溜め息をこぼした。

「致命的に言い回しが不器用なんだよねぇ、リルは。フレイアのこと気に入ったみたいなんだけど、それが上手く伝えられていないんだ」

 はあ!? ウソだろう!? まったくもって、そんなの伝わってこないんだけど! 

「リルがこんなに食いつくの珍しいよなー、さすが『紅蓮の破壊神』! 同性嫌いのリルのガードを打ち破るとは!」

 ベルンハルトが愉快そうに笑う。

 本当にそうなのか? いやいや、あれじゃ、あの言い方じゃホント、伝わらないだろう、普通。

 戸惑って傍らのドルクを見ると、彼は苦笑混じりに彼らの言葉を肯定した。

「リルムがあなたを嫌っていないのは間違いないと思いますよ、オレも」
「ええぇ……でも言い合いしてばかりだったのに、どうして……」
「そこが良かったんじゃないですか? あなたの言葉は真っ直ぐで裏表がないし、さばさばしていて後腐れがないですから」

 そう、なんだろうか?

 リルムに視線を戻すと、彼女は真っ赤になって小さく身体を震わせていた。

「うう……何よ、みんなして人の気持ちをそんな明け透けに……! 嫌いじゃないけど、嫌いじゃないだけなんだから……! ランヴォルグのことは好きだけど! ここでお別れになっちゃうの嫌だけど!」
「リル〜、君は本当に、どうしてそんなに可愛いんだ……!」

 アレクシスがたまらない、といった様子でリルムに頬を寄せる。

 分かりづらいけど、まあ憎めない娘(こ)ではあるんだよな……虚影(ホロウ)との戦いを見ていても根性はあるし、結論から言えば、わたしもまあ、嫌いではない。

「リルム、わたしもあんたのこと、嫌いじゃないよ」

 一歩踏み出して微笑みかけると、リルムは赤く染まった顔をわたしに向けた。

「今回はこれでお別れだけど、機会があったら今度また、一緒に戦おう」
「……。その時はリルって呼んでもいいわよ……」

 大きな緑色の瞳を逸らしてぶっきらぼうにそう言った彼女は、可愛らしかった。

「うん。その時はアレクシスのこともアレクって呼ぼうかな」
「聞いた? 聞いた、ランヴォルグ? 妬ける!? 何なら君も僕のことアレクって呼んでくれていいんだよ」
「……検討しておくよ、アレクシス」
「聞いた? 聞いた、フレイア? 君の相棒、これっぽっちもそんな気ないよ!? ひどいよねぇ、いい加減長い付き合いなのにさぁ」

 そのやりとりが可笑(おか)しくて、わたしは思わず吹き出した。それにつられるようにして、みんな笑う。

 ああ……何だかいいな、こういうの。胸の辺りが、あったかい。

 久々に充実感を覚えた任務になった。

 和やかな雰囲気に包まれて、手を振り合い、わたし達は彼らと別れた。

 いつかまた、共に戦う時を再会の時と位置付けて―――。



*



「騒がしい連中だったでしょう?」
「うん。でも悪い騒がしさじゃなかったよ」

 乗合馬車のターミナルへと足を向けながら、わたしとドルクはそんな会話を交わしていた。

「あんたが長年つるんでいる理由、分かる気がする。わたしを前にしても全く動じないし、肩肘張らないで対等に接してきてくれて、そういうのあんた以外で久々だったから、居心地悪くなかった。
みんなハートが強いんだろうな。あのレベルの虚影(ホロウ)を相手に全く怯むところ見せなかったし」
「強心臓なのか、単に神経が図太いのか、微妙なところではありますけどね……」
「類は友を呼ぶって言うからね」

 口の悪いドルクに当てつけるようにそう言うと、涼し気に返された。

「その言葉、自分に跳ね返ってくるの分かってます? 自爆ですよ……」

 うぐぐ、口が減らない男め!

 分が悪くなったわたしは話題を変えた。

「あの虚影(ホロウ)さ、最後に何とも言えない声で叫んでいたね。『愛されたかった』って……」
「耳に残るような声でしたね……」

 半眼を伏せ、ドルクが相槌を打った。

「金色の高級そうな容器に入った口紅が核だったけど、あれ、ゴート城の女主人のものだったのかな?」
「おそらくはそうじゃないかと推察されますけどね。今の領主がその辺りの事情を傭兵(オレ)達に詳しく語ることはないでしょうし……想像するしかありませんが、その口紅の持ち主はきっと、大広間に映し出されたような家庭を築きたかったんでしょうね。豊かな色彩と温かさに溢れた、裕福で幸せな家庭を……」

 それは多分、身分も財産もある『彼女』にとっては当たり前のように望めるはずのものだったんだろう。

 けれど、どこかで取り返しのつかない歯車が狂い、『それ』は彼女にとって手の届かないものになってしまった―――。

「虚影(ホロウ)絡みの仕事では毎回感じることだけど、想像するとやるせない気分になるなぁ」

 深々と溜め息をついたわたしにドルクが言った。

「反面教師じゃないですけど、そうならないよう、後悔のないように生きていくのが大事ってことじゃないですか?」
「うん、確かにそうだね……」

 身を切るほどの切ない想いが、取り返しのつかない後悔の念が、虚影(ホロウ)という悲しい存在を生む。わたし達自身が彼らを生み出すことのないように、毎日を精一杯生きていくこと―――それがきっと、より良い人生を歩むことに繋がっていくんだろう。それが、今を生きるわたし達がやるべきことだ。

 そんなことを思っていた時、隣を歩くドルクがそっとわたしの手を握ってきた。

 えっ?

「な、何……」

 驚いて赤らんだ顔を彼に向けると、清らかな邪気のない顔で微笑まれた。

「後悔のないように生きていこうと思って。……嫌ですか?」

 い、嫌じゃないけど。嫌じゃないけど……。

「……じゃないけど……恥ずかしい」

 小さな声で唸るようにそう伝えると、手の繋ぎ方が指と指を絡ませる恋人同士のような繋ぎ方へと変わって、鼓動が跳ねた。

「ちょっ……」
「誰も見ていませんよ……」

 そう言ってわたしの手を引く、少年のようなあどけなさの残るドルクの顔が少しだけ色気を帯びて、年齢相応の大人びた表情を作った。ドキリと心臓が音を立て、思わず伏し目がちになる。そのまま彼に促されるようにしてターミナルへの道を歩みながら、この強引さが心地良いと感じている自分を意識せずにはいられなかった。

 ああ―――。

 少女のように頬を染めて、高鳴る左の胸の鼓動に耳を傾ける。

 ランヴォルグではなく、ランドルクが好きだ。

 理想の殻を抜き出て現れた、生身のこの男(ひと)が好きだ―――。

 そう、気付いてしまった。気付かされてしまった。

 けれど、今はまだ、自分自身が生まれたてのこの気持ちを受け止めるのにいっぱいいっぱいで。

 もう少しだけ。もう少しだけこの気持ちを実感してから、あなたに伝えたい―――そう、思った。

 ランドルク。

 皮肉屋で、腹黒くて、意地悪で―――でも心の奥にはわたしと通じる熱いものを秘めている、心根の優しいあなたに―――わたしはとっくに囚われているのだ、と―――。



<完>
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