「おおーっ、ランヴォルグ! フレイア! オレ達やっぱり、縁がある!」
諸手を挙げてハグしようとしてきたベルンハルトを面倒くさそうにかわし、冷めた目線でドルクがいなす。
「何なんだ、暑苦しい」
「聞いてくれよ! 例の虚影(ホロウ)、ランクがA+〜Sに引き上げられたんだ! ギルドの見積もりが甘くて、前にエントリーした連中、ヤラれちまったらしい」
「何だって?」
驚くわたし達にアレクシスが概要を伝えた。
「ランクAとBで構成された十人程度のグループだったらしいんだけどね、てんで歯が立たなかったらしいよ。ほうほうの体で逃げ帰ってきたみたいだ。報奨金も跳ね上がっている」
「幸い死者は出なかったらしいわよ、実力はないにしても運がいい連中ね」
リルムは相変わらず毒舌だな。
「その情報とランクが上がったのとで、さすがにみんな二の足を踏んでいるらしい。今ならエントリー出来るぜ、どうだ!?」
ベルンハルトは勢い込んでそう言うと、期待のこもった目でわたし達を見つめてきた。
……いや。何というか……。
「あんた達はそれを聞いて全く臆してないんだね……」
「怖いって気持ちがなくはないけど、やってやるぜって意気込みの方が大きいんだ! な!?」
「そうだねぇ」
「報酬額半端ないし」
ベルンハルトに同意を求められたアレクシスとリルムがためらいなく頷く。
A+〜Sの虚影(ホロウ)か……彼らの実力からして、どんなもんなんだろう?
目でドルクに尋ねると、彼はひとつ息をついてこう答えた。
「こいつらの実力はAの中でもまあまあというところなので、冷静に見積もって、オレとあなたが加わればやれないことはないと思います」
そうか……。
ドルクの言葉を受けて、三人の熱い視線がわたしに集まる。それを受けて、わたしは苦笑混じりに言った。
「なら、二度目のエントリー行ってみる? 強い虚影(ホロウ)ならなるべく早く倒すに越したことはないし」
「よっしゃ! エントリーするぜー!」
ベルンハルトが雄叫びを上げる。
まさか、こんな展開になるとは思わなかったなぁ。
現金支給機で支度金を下ろしに来たつもりだったのが、予想外のそんな流れで、フロール地方を後にするつもりだったわたし達の旅路は虚影(ホロウ)討伐の旅立ちへと変わることになったのだった。
*
通称ゴート城と呼ばれる廃墟の屋敷は、ギルドの支部があるこの地方の主要都市フローレから乗合馬車で丸一日移動した更にその先の寂しい山間に朽ち果てたその姿を晒していた。
一番近くの町からでも徒歩で半日以上はかかる。小さな湖が近くにある他は何もない、軟禁の為だけに建てられたような立地だ。
最寄りの町で一泊した後、徒歩で移動し、昨夜は森の中でキャンプを張ったわたし達は、朝露に濡れる緑を踏みしめ、目の前に現れた物々しい今回の案件を見やった。
「うわー、いかにもって感じだな。怨念が渦巻いていそう……」
「ここの主は何をやらかしてこんな辺鄙(へんぴ)な場所まで追いやられたんだろうねぇ……」
ゴート城の醸し出す異様な雰囲気に舌を巻くベルンハルトとアレクシスの傍らで拳を握ったリルムが気を吐いた。
「日が落ちるまでにとっとと片付けちゃいましょ。明るいうちが勝負よ!」
通常虚影(ホロウ)などの霊的な存在は日中は力が弱まり、夜間は力が強まるとされている。日没前に片を着けるのがわたし達の絶対条件だった。
「逃げ帰った連中の話では、ヤツは一階の大広間にいたらしいな」
ドルクの声にベルンハルトが頷いた。
「そうらしい。領主からの依頼書にもそう記されている。ただ、妙な力が働いているらしくて素直にはそこへたどり着けなかったって話だ。気を引き締めていこう」
わたし達は慎重にゴート城の内部へと足を踏み入れた。
主を失ってから長い年月が経ち、屋敷内は荒れ果てていた。壁はところどころ剥がれ落ち、床は腐っていたるところに穴が開き種々の生物の足跡だらけ。調度品は倒れたり荒らされたりしていて原形を留めておらず、飾られていた絵画は痛んでいて何が描かれていたのか分からない。蜘蛛の巣が張り巡らされた吹き抜けの天井はそこかしこが崩れ落ち、そこから日の光がまばらに差し込んでいた。
「埃っぽい上、じめっとしているな」
「空気悪い! 獣臭い!」
「ずうっと放ったらかしで魔物が住み着いていたって話だからなぁ」
「住み着いていた奴らは前の連中がそこそこ片付けてくれただろうから、少しマシかもしれないな」
「足元、気を付けて」
そんな会話を交わしながらベルンハルトを先頭にアレクシスとリルムを挟み、わたしとドルクが殿(しんがり)を務める格好で一階の大広間を目指して歩いていく。時折魔物と遭遇して刃を交えながら進んでいくと、しばらくしてひと際大きな扉の前に着いた。
「ここじゃないか? 大広間」
わたしの声にアレクシスが相槌を打つ。
「間取り的にそれっぽいよね……ずいぶんあっさりと着いたけど」
「扉は開くのか?」
ドルクに問われてベルンハルトが用心深く扉に手をかけた。
「開きそうだ。開けると何かしらの罠が作動したりするのかな?」
「有り得るな……注意しろ」
全員臨戦態勢に入り、それを確認したベルンハルトが細心の注意を払って扉を開ける。
ギギイ……と軋んだ音を立てて、大広間の中へ向かって大きな扉が開いた。
「! これは……!?」
その光景を目にした全員が息を飲んだ。
廃墟の屋敷の大広間は、往年の鮮やかな色彩に彩られていた。まるでそこだけが、悠久の時を刻んでいるかのように。
室内は季節の花や紙細工で華やかに飾り付けられ、白い上等なクロスの掛けられた長いテーブルの上には豪華な料理が並んでいた。その中心には大きなケーキ。その正面の席には性別不明の子供が座り、左右に座した両親らしき人物が子供に祝福を送っている。
まるで、子供の誕生日を祝うかのような一場面。
だが、彼らには顔がない。輪郭の中に口紅で殴り書きされたような微笑んだ口があるだけで、顔がなかった。
オホホホ……。
アハハハ……。
どこから響いてくるのか判然としない、不気味にこだまする笑い声。
やがて楽器を演奏する天使達の抽象的な図画が背景から浮かび上がると、それが瞬く間に具現化して、不吉な旋律を奏でながら大広間の上空をくるくると回って薄気味悪い演出を盛り上げた。
「―――な、何よこれ……」
目の前で繰り広げられる異様な光景にリルムが鼻白む。
この虚影(ホロウ)、相当強力だ。これほどの幻影を見せる力を持っているとは……!
息を潜めるわたし達の前で、顔のない親子の声なき声が大広間に反響した。
オ客様ヨ。
アア、オ客様ガイラシタ。
ワーイワーイ。
オモテナシヲ。オモテナシヲ。オモテナシヲ。
天使達の奏でる楽曲が激しさを増し、ぐねぐねと空間がたわむ。
「―――来るぞ! 気を付けろ!」
わたしが声を上げるのと、顔なしの親子が牙を剥くのとがほぼ同時だった。とぐろを巻くようして首が伸び、ぞんざいに描かれた口から長い舌が飛び出して、鞭のようにしなりながらわたし達へと襲いかかってくる!
わたしとドルクとベルンハルトの剣がそれを両断した瞬間、耳をつんざくような絶叫と共に大量の血飛沫のようなものが飛び散り、わたし達に降りかかった。それに申し合わせたように天使達の奏でる旋律がひと際大きくなり、次の刹那、視界を焼き尽くすような光が辺りを包み込んだ―――!
「……!」
視界が戻ってくると、わたしは独り、薄暗い朽ち果てた部屋にいた。
周囲にドルク達の姿はなく、辺りは不気味な静寂に包まれていて、身体に降りかかったように感じた血飛沫のようなものは消えていた。
屋敷内のどこかへ転移させられたか―――恐らくみんなが同じような状況に陥っているのに違いない。
一階の大広間に虚影(ターゲット)がいるのは分かっているのに、妙な力が働いていて素直にそこへたどり着けないというのは、こういうことか。
目の前の壁にはあからさまに怪しい、鮮やかな色彩の失われていない大きな絵画があって、描かれているのは剣を持つ身なりの良い男と舌を切り落とされたドレスを纏う女の絵だった。
それに注意を払いながら冷静に部屋の様子を窺う。目の前の絵画以外は特に怪しいものは見受けられず、後方にドアがあるのが確認出来た。絵画の横には窓があったが鎧戸が閉められており、簡単には開きそうにない。
―――このドア、開くのか?
壊劫(インフェルノ)を構えながら後退(あとずさ)るようにしてドアノブに手をかけると、固い感触が伝わってきた。
やはり、開かないか。
そう思った時、目の前の絵画に変化が起こった。カタカタと揺れ始めたかと思うとそこから一斉に青黒い稲光を伴った淀んだ気流のようなものが噴出し、あっという間に部屋中を覆い尽くす。同時に、脳裏に直接響くような女の絶唱が大音量で響き渡り、景色がぐねぐねと歪み始めた。
破滅的な、怒りと嘆きに満ちた旋律。わたしは消えたと認識していた血飛沫のような飛沫が稲光の陰影で自分の身体に浮かび上がるのに気が付いた。
ぐねぐねとした景色に覚えのある光景が浮かび上がる。
これは―――あの日か。
すぐにそれを悟り、わたしは茶色の瞳をすがめた。
わたしの故郷が魔物に滅ぼされたあの日、自分の人生が決定的に変わった日、忘れようとしても忘れられない、嘆きと怒りに満ちた、慟哭の光景―――。
わたしはそれを直視し、ぎゅっと唇を結んだ。
何てリアルなんだ。あの時感じた匂いも、痛みも、熱すらも甦ってくる。
人の心の弱いところを突いてくる―――虚影(ホロウ)の典型的な攻撃のパターンだ。それと分かっていてもざわめく自分の心に言い聞かせる。鎮まれ……これは、揺り起こされたわたしの記憶をわたし自身が見ているだけ―――。
この光景は夢の中でも、現実に起きている時間でも、わたしの頭の中で何万回と再生されたものだ。今でもつぶさに覚えている。忘れられるものか。今のわたしを作り上げる礎となった、愛しくも悲しい者達を。それらを奪い去った紅蓮の記憶を。
目は逸らさない。わたしはこの記憶の上に立ち、今のわたしとなったのだから。
けれど、どうしようもなく生理的な涙が溢れ、頬を伝うのを感じた。わたしは壊劫(インフェルノ)を構え、幻影の影、負の気流の中心にいる魔性の絵画に斬りつけた。
絹を裂くような女の絶叫が轟く。悪夢の闇が晴れ、真っ二つになった絵画から目を疑うような光景が現れた。胸から腹部にかけて深く斬りつけられ、鮮血を噴き上げるドルクの姿が現れたのだ。
「!? ドルッ……」
絵画ごと彼を斬りつけてしまったような錯覚に、心臓が一回、鼓動を飛ばす。
「フレイア……」
苦悶の表情を浮かべたドルクがわたしの名を呼びながら床に崩れ落ち、彼の身体から溢れ出た深紅の血が床をみるみる赤黒く染めていく。
悲鳴が迸(ほとばし)りそうになり、わたしは自分の口を手で塞いだ。
落ち着け! 幻覚だ!
そう自分に言い聞かせながら、あまりにリアルなその光景が怖くてたまらなかった。
ぬめる血にまみれたドルクの震える腕が、何かを訴えるようにわたしに向かって伸ばされる。その腕が徐々に力を失くし、パシャンと赤い飛沫を上げて自らの血溜まりに沈みこんだ。小刻みに痙攣を起こす彼の身体が、次第に動かなくなっていく。それを見つめるわたしの前で、血の気を失い青白くなっていく整った彼の容貌。恐ろしいことに、血臭までが感じられた。
―――幻覚だ! 幻覚だ!
心を強く持とうとする理性とは裏腹にガクガクと膝が震え、心臓が凍りつくような感覚に襲われる。堪(こら)えようとして堪えきれない、先程のものとは違う新たな涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
どのくらいの時が経過してからのことだろう。
ようやく幻覚が薄らいでいき、カチリ……と部屋のドアが開く頃、わたしは心からの安堵と精神的な消耗で、そのまま倒れ込みたい気分になった。
*
気力を奮い立たせドアを開けて廊下に出ると、腐食した床の隙間から階下が見え、どうやらここが二階であるらしいことが分かった。
この屋敷は二階建てだったはずだから、みんな、このフロアのどこか別の部屋にいるのか……?
思った傍から古びた屋敷を揺るがす爆音が轟いた。
リルムの魔法か!?
床を踏み抜かないよう気を付けながら音のした方へ急ぐと、ちょうど目の前のドアを開けて嗚咽するリルムが出てくるところだった。
「リルム! 大丈夫か!?」
声をかけると、彼女は涙で濡れた顔を上げてわたしを見、手にしたワンドを構えた。
「フレイア……あんた、本物!?」
「本物だよ! 物騒な真似はやめろ!」
「……。まあそうよね、あんたの偽物が出てきたところであたしには意味がないもの」
少し考えてからワンドを下ろし、リルムは失礼な物言いをした。
ああ、その憎たらしい言い方、あんたも間違いなく本物だね。
「どうした? 部屋の中で何があった?」
「気持ちの悪い絵画が一枚あって、そいつにひどい幻を見せられたわ……あー、思い出しても胸糞悪い。女はやっぱりキライよ、あたしが可愛いのはあたしのせいじゃないし、勝手に好きでもない男に好かれたのに取った取られた騒がれても知らないっていうの!」
無駄に可愛いのも大変なんだな、色々あって。
「そっちは?」
「こっちも同じ。気味の悪い絵画に嫌な過去を見せられた」
「絵をやっつけた後、誰か出てきた?」
「……うん。血まみれのドルクが」
正直に言うのを若干ためらったけど、悪夢を誰にも話さないとそれが現実になるという迷信が頭をよぎって、わたしは素直にそれを話した。厳密には悪夢でなく幻覚だったわけだけど。
「ドルク? 誰?」
「あー……ランヴォルグのこと」
「ランヴォルグ? そういえば一度そんな名前で呼んでいたわね。何でドルクなの?」
リルムの大きな緑色の瞳が何かを探るような色になったので、わたしはざっくり端折(はしょ)って話を進めた。
「その辺はまあ色々あって。リルムは誰が出てきたのさ」
「……。アレクシスだけど」
やはり、対象の親しい人間が現れるようになっているのか。
「そうなんだ? スゴくリアルじゃなかった? 本当に本人かと見紛ったよ」
「リアルすぎて泣けたわよ! 見たでしょ、あたしが号泣してたの! アレクには絶対言わないでよ!」
「わ、分かったよ」
その時、わたし達の名前を呼びながらベルンハルトとアレクシスが姿を見せた。
本物!? と再びワンドを構えるリルムに二人があわを食った様子で本物だと伝える。アレクシスは落ち着いたリルムを見ると感極まった様子で彼女を抱きしめていた。
「リル! さっきはゴメンよ〜! 僕は、僕は―――!」
「絵を破壊した後にリルムの幻が出てきたらしくてさ」
ベルンハルトが彼の言動をそう補足した。
「多分みんな同じパターンだったろ? あれ、スゲー心臓に良くないよな。二人は何が出てきた? オレは田舎の母親が出てきたけど」
それを聞いたリルムが白い目になった。
「……あんた、ミステリアスな女が好みとかほざいてなかったっけ?」
えっ、あれっ、そういうこと!? 親しい人間というより、一番大切に想っている人物が出てくるってこと!?
遅ればせながらそれを悟って、頬が羞恥に火照る。
うわぁ……。
「ランヴォルグは?」
ベルンハルトの声に小さく鼓動が跳ねた。
「分からない。多分この階のどこかにいると思うんだけど……」
答えながら、先程の幻覚を思い出し心臓がひりつくような感覚を味わった。
普段なら彼の安否を気遣うことなどなかったけれど、虚影(ホロウ)とドルクの魔剣魂食い(ソウルイーター)は相性が悪い。あの絵画は虚影(ホロウ)そのものではなかったけれど、もしかしたら何かあったんだろうか。
そんな一抹の不安が胸をかすめた時だった。
「みんな無事だったか」
聞き覚えのある声がして振り向くと、廊下の角から姿を見せたドルクがこちらへ歩み寄ってくるところだった。
無事に現れた彼の姿に、心の中でそっと安堵の息をもらす。ドルクはわたしの顔を見て、わずかに何かを堪(こら)えるような表情をした。それはほんの一瞬ですぐに消え去り、彼は無事を確認し合う仲間達にいつも通りの口調で告げた。
「大広間に直で行ける道を見つけたぞ」
「マジか!? さすがランヴォルグ!」
全員が合流したことも相まって盛り上がりを見せる仲間達をそこへと誘導するドルクの背中を見やりながら、わたしはさっきの彼の表情の意味を考えた。
ドルクはわたしの幻覚を見たんだろうな。多分、相当ひどいヤツを。
虚影(ホロウ)とは何度か戦ったことがあるけれど、あんなにリアルで生々しい幻覚を見せられたのは初めてだった。
この虚影(ホロウ)のランクは間違いなくS級だ―――心してかからなければ、殺られる。あの幻覚が現実のものにならないように、気を引き締めていかなければ……。