「さっきはどうもー。相変わらず時間きっかりだな、ランヴォルグ」
「それが普通だろう。それで、どんな仕事の話なんだ」
「まあ、まずは乾杯してからにしようぜ。お前麦芽酒(ビール)だろ? フレイアは?」
「ああ、わたしも同じので」
「了解」
ベルンハルトが手を上げてわたし達の飲み物を頼んでくれた。
「フレイアは飲める方なんですか?」
アレクシスがにこやかにわたしに尋ねる。
「うん、まあそこそこ」
本当はかなり飲める方だけど、ドルクに痛い目に遭わさせた過去もあり、無難に答えておく。
「アレクシス達は?」
「僕は普通かな。ベルンハルトはけっこう飲めますよ、ランヴォルグには負けますけど。リルは弱いですね。リル、今日は飲み過ぎないように。フレイアがいるから気を付けて」
「そんな何度も言わなくても分かってる! 最初の一杯だけで後はジュースでしょ!」
わたし達が来る前によほど口酸っぱく言われていたのかリルムが頬を膨らませた。
「あー……今更だけどフレイア、敬語なしでいいかな? オレら堅っ苦しいの向いてなくて……特にリルが」
ベルンハルトの言葉を聞いてリルムはますます愛らしい容貌をむくれされた。
「何よ、ベルンハルトだってそんなキャラじゃないクセに!」
「オレは常識は持ってるからさ」
リルムは初めのひと言からして非常識だったもんな。
「いいよ、それで。わたしも初めからみんなに敬語使ってないし。同年代だしね」
「良かった! じゃあそういうことで。ちょうど飲み物も来たし乾杯しよう!」
リルムは甘めのカクテル系で、後はみんな麦芽酒(ビール)だった。ジョッキとグラスをカツンと合わせて乾杯する。
「―――それで、仕事ってのは?」
「ランヴォルグ、お前相変わらずガツガツしてるな。仕事の鬼め」
辟易するベルンハルトにドルクは当然のように返した。
「酒が回る前に話しておくべきだろう。特にリルム」
「分かった分かった。んじゃ、いきなり仕事の話に入ろう」
溜め息混じりにベルンハルトが仕事の話を切り出した。
「フロールの僻地にある通称『ゴート城』って呼ばれてる廃墟の屋敷、知ってるか?」
わたしとドルクは顔を見合わせた。
「名前は聞いたことあるけど……」
「確かずいぶん昔にごたごたの末、当時の領主から放逐されたかつての有力者が軟禁されていたという場所だったか?」
「そう。何か暗い謂れのある場所らしいんだけどさ。長い間廃墟のまま放ったらかしになってて、魔物も住み着いて荒れ放題だったらしいんだけど、どういう理由からか今の領主がそれを片付けようと思ったらしくてさ。いざそれを実行しようとしたら厄介なヤツが居着いていて、それの討伐要請がギルドに出たってわけ」
「そんな依頼出てた? この間ギルドに行った時にはなかった気がするけど」
「今日の昼頃出たばかりの案件だよ」
「―――で、居着いていた厄介なヤツってのは?」
「虚影(ホロウ)だ」
虚影(ホロウ)―――それは、核となる負の要素を軸に陰の気を取り込むことで実体化した、いわば怨念の塊のような存在。
過去の一例をあげると、家族を惨殺された女が毎日呪詛を吐きながら髪を梳いていた櫛が、長い時を経て強い負の要素を持つ物となり、そこに人々の放つ小さな不満や嘆き、怒りといった陰の気が引き寄せられて取り込まれ、虚影(ホロウ)として実体化したものなどがある。
魔物というよりは霊的な存在になり、構成要素や存在期間によって難易度が変動する為、ひと括りに『虚影(ホロウ)』といっても討伐ランクにはかなりの幅が出る。
「今回の虚影(ホロウ)はB〜Aで見積もられていたけど、実際のところ戦(や)ってみないと分からないじゃん? 虚影(ホロウ)って判断が難しいし。普段なら避けて通るトコなんだけど、今回のは何たって依頼主が領主だから報酬がスゴいし、今後のことを考えても領主と繋がりが出来るって大きいだろ。もしかしたら名前とか覚えてもらえて、今後美味しい仕事を回してもらえるかもしれないし」
「……そう考える連中は多いだろうな」
「そうなんだよ、だから早い者勝ちなんだ。でも虚影(ホロウ)だしどうすっかなーって相談してたトコでランヴォルグ達に会ったんだ。これはもう誘うしかない! ってコトで、今ここ」
なるほど。虚影(ホロウ)か……。
ドルクは眉をひそめてベルンハルトに意見を付けた。
「誘う相手を間違っている。虚影(ホロウ)なら魔導士系を誘うべきだろう。魔眼とはいえオレ達は剣士だぞ……しかも虚影(ホロウ)だと魂食い(ソウルイーター)との相性が悪い。オレはほとんど戦力になれないぞ」
確かに。ドルクの魂食い(ソウルイーター)は相手の精気を奪う能力を持った魔剣で、斬った相手の生命力を活力に変えて使用者に分け与える特性を持っている。魔物と違い生命力を持たない虚影(ホロウ)相手ではその特性が殺され、下手をすれば使用者であるドルクに危険が及ぶことになる。
「あいにく誘えるような魔導士がいなくてさ。確かに攻撃面からしたら魂食い(ソウルイーター)との相性は最悪だろうけど、防御面からしたらどうだ? 負の力を放つ虚影(ホロウ)の攻撃は同じような属性を持つ魂食い(ソウルイーター)には効かないんじゃないか? 魂食い(ソウルイーター)の力で味方に結界みたいなヤツを張れないか?」
「……オレに後方支援へ回れと?」
ドルクがしかめっ面になる。
「気を悪くするなよ、たまには違う立ち位置で戦ってみるのもいい経験になるぜ。視野が広がるっていうの?」
「サポート役はけっこう頭を使うから、抜け目がないランヴォルグに向いていると思うけどね〜」
アレクシスがベルンハルトをそうフォローした。
「昔からのよしみでいいじゃない、ランヴォルグ。あたし、久し振りに一緒に戦いたいな〜」
ドルクの左側に座っていたリルムが彼の腕に腕を絡めながら顔を覗き込むようにする。乾杯ドリンクだけで彼女の白い頬はバラ色に上気していて、女のわたしから見ても可愛らしかった。
「戦っているランヴォルグの姿、セクシーで好きよ。ランヴォルグの魔眼、見てみたいな」
「あ、それはオレも見てみたいな」
「僕も! それとリル、くっつきすぎ」
リルムの正面の席のアレクシスが立ち上がって手を伸ばし彼女をドルクから引き離した。
リルム達はまだドルクの魔眼を見たことがないのか。それに、ドルクの本名がランドルクであることも知らない様子だ。ドルクは親しい昔からの仲間にも「ランヴォルグ」で通しているんだな……。
「オレ達フレイアのことは噂でしか知らなくて、どんな戦い方をするのかよく分からないんだけど……虚影(ホロウ)と戦ったことはある? 相性としてはどうなのかな? あ、ついでに言うとオレの大剣には精霊の加護がかかってて虚影(ホロウ)相手でも問題ないよ」
「虚影(ホロウ)と戦ったことなら何度かある。壊劫(インフェルノ)は元々神殿に依り代として祀られていた神剣だったんだ……虚影(ホロウ)からしたら嫌な相手だと思うよ」
ベルンハルトに尋ねられてそう返すと、彼らは一様に色めき立った。
「へぇ! そうなんだ!?」
「神剣とは対極にあるような名前なのに……面白いわね」
「これはもう決まりじゃない? 一緒に行くしかなくない? ねぇランヴォルグ」
アレクシスにそう促されたドルクが若干げんなりした様子でわたしを見やる。
「……どうしますか? オレは正直、気乗りしませんが」
「うん……この辺りの気になる依頼はあらかた片付けたし、虚影(ホロウ)は放っておくと厄介だからね。わたしは同行してもいいかなと思うけど」
亡くなった神官の父がよく言っていた。虚影(ホロウ)は悲しく恐ろしい存在だと。実体化する時間が長ければ長いほど陰の気を吸収して強大になり、本来在るべき場所へと還れなくなる。なるべく早い段階で見つけて自然の流れに還してあげるのが神官の務めでもあるのだと、父は常々そう言っていた。
「やった、決まり! んじゃ、飲むもの飲んでさっそくエントリーしてこよう! 誰かに先を越される前に!」
「案外もう決まっているかもしれないぞ……」
「いや、まだ大丈夫だ! そう信じて急げ! ほら、リルも! 飲め飲め!」
ベルンハルトに急かされる感じで酒場を出てギルドへと向かったわたし達だったが、残念ながら既に他のチームにエントリーされた後だった。さすがは領主直々の依頼。打って変わった重い足取りで元の酒場へと戻り、今度は残念会という名目で飲み始める。
「くっそ、世の中、甘くないな……」
ジョッキをあおりながらベルンハルトが溜め息をつく。そんな彼に苦笑を返しながらアレクシスが頷いた。
「残念だったねぇ。せっかく魔眼二人と同行出来るチャンスだったのに」
「ああ、こんなチャンス滅多にないのになぁ……」
お酒に弱いと言っていたリルムは飲んだ直後に歩かされて酔いが回ったらしく、すっかり出来上がっていた。右隣の席のドルクにしなだれかかるようにしながら、潤んだ瞳で彼を見上げ、ひっきりなしに話しかけている。そんな彼女の左隣にはアレクシスが座り、ベルンハルトの愚痴に耳を傾けながら時折リルムの腕を引っ張るようにしては適正な距離を取らせようと苦心していた。
何かあれだなー、アレクシス→リルム→ドルクっていう流れが透けて見えるんだけど。
それにしてもリルムは積極的というか、さっきから触り過ぎじゃないのか? ドルクもその気がないならもう少し邪険にしてもいいような感じがするけれど……何だか見ていてアレクシスが気の毒だ。
そんなわたしの考えを読み取ったようにベルンハルトが話しかけてきた。
「分かりやすいでしょ? あれ」
「うん……ベルンハルトは入ってないの? あの流れに」
「オレはもっとミステリアスな感じなのが好みなんだ」
ふうん、と相槌を打った時、リルムの爆弾発言が耳に飛び込んできた。
「ねぇランヴォルグ、どう、今夜? 久し振りに」
飲みかけの麦芽酒(ビール)を思わず吹くところだった。どうにか堪(こら)えたものの気管に入ってしまい、派手に咳込む。
えっ? ちょ、ちょっと待って。今のって、あれ、そういう意味だよな!? 久し振りにって言ったか? 今!
「リルム……」
ドルクが苦々しい表情で傍らの彼女を見やる。
「よせ。そういう関係はもう持たないと言っただろう」
「アレクがあたしを好きだから?」
「それもそうだが、元々一度きりで後腐れなく、という前提だったはずだ」
「だってランヴォルグ、良かったんだもん。アレクは良くなかったんだもん」
おいおい! 何かものスゴいコトになっているんだけど!
咳込みながら思わず心の中で突っ込む。
「あーあーフレイア、大丈夫? ビックリするよな」
背中をさすってくるベルンハルトをまさか、と思いながら涙目で見上げると、微苦笑された。
「あ、ちなみにオレはブラザーズじゃないから」
エスパーか!
「リル、そんなバッサリ、ひどいよ。僕傷付くじゃん……」
「だって、アレク弱すぎ。最初は当てただけでイッちゃうし、次は挿れただけでイッちゃうし、最後は三こすり半でイッちゃうし、全っ然満足できなかったんだもん! あたしはね、女として生まれた以上は女の悦びを得たいの! 心も身体も満足したいの!」
うっわあぁぁぁ……。リルム、この場でそれを言うか。アレクシス、気の毒すぎる。
「あっはっは! アレク、お前、そりゃヒドいわ!」
ベルンハルトに爆笑され、アレクシスはテーブルに顔を突っ伏した。
「ぼっ、僕は、僕は、それだけリルが好きなんだ〜! 万感の想いを堪(こら)えきれなかったんだぁ〜!」
おいおいおい……。
「いい加減にしろ、お前ら。フレイアがドン引きしている」
席を立ったドルクがわたしのところへやってきて、背中に置かれたままのベルンハルトの腕を掴んだ。
「いつまで触ってるんだ」
「ああ、悪い……」
ドルクはそのままベルンハルトとわたしの間に入り込むようにして彼に背を向けると、わたしを見て、ばつが悪そうな顔になった。
「言い訳させて下さい」
「え?」
「さっきの話。リルムとは出会った頃、一度だけ関係を持ちました。互いに恋愛感情はなかったし、その場限りの関係という前提で。その後ベルンハルトやアレクシスと知り合って、アレクシスがリルムに好意を抱いているのを知りましたし、それから彼女とのそういう関係は一切ありません」
「う、うん……分かった」
同時進行とかドロドロとかそういうものではなかったわけだな。少しホッとする。
それにドルクがきちんと話してくれたことが思いのほか嬉しかった。下手なわだかまりみたいなものを持たなくて済んだ気がする。
その光景はリルム達に大きな衝撃を与えるものだったらしい。
「ど、どうしちゃったのよランヴォルグ!?」
「ランヴォルグ、君―――」
「マジか? 背に置いたオレの手にすら嫉妬しちゃう?」
三人三様の反応を見せた後、彼らは一斉に沸き立った。
「まさか、『紅蓮の破壊神』が好きなの!? ウソ!?」
「言い寄る女をちぎっては投げちぎっては投げしていた君が……恋をする気持ちが分からないと言って人を小馬鹿にしていた、あの百人斬りの君が!?」
「お前もようやく人間らしい感情に目覚めたんだなぁ、良かったなぁ」
うわぁ、アレクシスの言葉、悪意がこもっているなぁ……。
「だからお前達と顔を合わせるのは嫌だったんだ……」
ドルクは苦虫を噛みつぶしたような顔になってそう言うと、憤懣(ふんまん)やるかたない息をついた。
*
「うーん、トイレ……」
お開きになる寸前、わたしは泥酔したリルムをトイレまで連れて行く羽目になった。女子が二人しかいないから仕方がないんだけど。
ドルクがわたしを好きだと知った後、手近にあった誰かのジョッキを勢いよく飲み干した彼女はあっという間に真っ赤になってぐでんぐでんになってしまった。
「しっかりしなよ」
リルムに肩を貸す形で半ば引きずるようにしてトイレへと連れて行く。こんなふうに女の子に付き添うのが久々で、その軽さと華奢加減に驚いた。
丸い、小さな肩。頼りなさげな細い線の肢体。柔らかくて、力加減を間違うと壊してしまいそうでちょっと怖い。
ああ、女の子だなぁという感じだ。
同性でも、わたしとは全然違う。男の人が守ってあげたいと思うのって、多分こういう感じなんだろうな。
そんなことを思いながらアルコールで上気したリルムの可愛らしい顔を見ていると、酔いで半分据わった大きな緑色の瞳がわたしの茶色の瞳を捉えた。
「何でこんな特異物件にあたしが負けるワケ……!? おかしいわ、納得いかない!」
何だと!? 失礼な!
「ランヴォルグったら見る目ないわ。赤い髪の女ならごまんといるのに、何でまたこんな変わり種に落ち着くのかしら……」
「は? 赤い髪?」
彼女の口から出た意外なワードにわたしは眉をひそめた。
それが何の関係があるんだ?
「知らないなら教えてあげる。あたしの知る限りねぇ、ランヴォルグが関係を持った女ってだいたい赤い髪要素が入っているのよ。あたしの金髪も赤みが強いでしょ」
まあ確かにそうだけど。ドルクの過去の女関係なんて知らないし。
「あたしの予想では、過去に多分すっっごく好きな赤毛の女がいたのよ。その女が忘れられなくて、今もその女の面影を求めているんだわ」
ドキリ、と心臓が不吉な旋律を放った。
そうなのか? いや、あくまでリルムの主観であって、それを裏付ける証拠も何もないんだけど。
わたしの心臓が反応したのは、ドルクがどうしてわたしを好きになってくれたのか、その流れが未だに掴めていない漠然とした今の状況を彼女の言葉が反映したからなんだと思う。
この赤い髪の色が大きな要素を占めていたから? 過去に届かぬ想いを寄せていた女(ひと)に重なったから?
予想外にリルムの言葉が引っ掛かり、そんな自分に驚く。
バカバカしい。何の根拠もない話なのに。
「リルム、あんたさぁ、何でもかんでもちょっと明け透けすぎない? さっきのアレクシスの話にしたって、何もわたしの前で言うことないだろう? ちょっとは状況を読むとか人の気持ちを考えるとかしなよ」
先程からの彼女の言動に苦言を呈すると、リルムは気色ばんだ表情になって早口にまくしたてた。
「実際には心の中で思っていることを婉曲的に別の言葉に変換して、何の意味があるの? 言ってることと心の中で思っていることが違うなんて気持ち悪い」
ううん、微妙に論点がずれている気がするぞ。
「そういうことじゃなくて、言っていいことと悪いことがあるじゃん。わざわざ言わなくていいこともあるし。あんたは思ったことを言っててスッキリするかもしれないけど、そのせいで周りのみんなが嫌な思いをするのはおかしいでしょ」
「アレクもベルンハルトもランヴォルグもそれで受け入れてくれているもん!」
「だーかーらーそれに甘えんなって言ってんの! 彼らはある意味出来過ぎているんだよ。世間一般の男にそれ、通じないから」
「あたし、モテるのよ!?」
「その見てくれで一時的にね! 中身がそれじゃ宝の持ち腐れだっての。あんた、同性の友達いないでしょ」
わたしの言葉は痛いところを突いたらしい。リルムはうっと詰まり、涙目でわたしをにらみつけた。
「女なんかキライ! 嘘で塗り固められた友達なんかいらない! そんなのいない方がマシよ! あたしにはアレクとベルンハルトとランヴォルグがいればいいんだから!」
「じゃあもっと彼らを大事にしてあげなよ、特にアレクシス」
言葉から察するに、リルムは女友達絡みで相当嫌な思いをした過去があるんだな、多分。
それと、意外なことにどうやらアレクシスを大事に思っているらしい。無意識なんだろうがさっきから彼の名前が一番に出てきている。
まあ、親しい相手と好意なしに何度も身体を重ねるとか、普通はしないだろうからな。
「うーっうーっうーるーさーい! 余計なお世話よ、この破壊女っ!」
「だからそういうトコを直せって言ってんの、この性悪女っ! 待っててやらないぞ!」
たどり着いた女子トイレの個室にリルムを半分押し込むようにしてドアを閉める。個室の中から歯ぎしりするような、嗚咽を堪(こら)えるような声が聞こえてきて、わたしはしばらくの間、その場で彼女を待ち続けなければならなかった。