魔眼 虚夢の館

01


 フロール地方の主要都市フローレにある傭兵ギルドの支部、その近くにある馴染みのカフェのテラス席で、わたしとドルクは少し遅めの昼食を取っていた。

 午後の穏やかな太陽の光が差す青空の下、海を臨む場所にあるそのカフェには、時折吹きつける緩やかな風が潮の香りを運んできて、ゆったりとした昼下がりの時間を演出してくれている。

 わたしの名前はフレイア。

 傭兵ギルドに所属するランクSの剣士で、黒の防護スーツの上から竜の鱗を加工して作った青銀色の鎧を身に着け腰には『壊劫(インフェルノ)』という名の魔剣を帯び、生成り色の外套を羽織った格好だ。

 緩いクセのある赤い髪は邪魔にならないようにバッサリショート。前髪は眉の上でざっくりカットしてある。茶色の瞳はどちらかというときりっとしている感じなのかな。身長が高めなこともあって、性格がきつそうに見られがちなのが悩みと言えば悩みだ。

 わたしの正面の席に座る連れの名前はランドルク。訳あって、わたしは彼を愛称のドルクで呼んでいる。

 この男は口さえ閉じていれば整った純真な容貌で、見た目は15〜16歳くらいの少年に見える。実年齢はわたしのひとつ下の21歳なんだけど、とてもそうは見えない。本人がそれを気にしているのかは定かでないが、こげ茶色の前髪を整髪料で立ち上げている辺り、若干見た目年齢を上げようとしているのかな……とも思ったりする。髪と同色の大きなこげ茶色の瞳は澄んだ幼気(いたいけ)な光を帯びているが、この瞳は彼の気分によって大きくその表情を変え、それは大抵の場合、心臓に良くない。

 身長は女性にしては長身のわたしよりやや低く、酒豪で皮肉屋で腹黒い。腹立たしいことに、わたしはこいつに口で勝てたためしがないんだ。

 わたしと同じく傭兵ギルドに所属するランクSの剣士で、登録されているコードネームは本名のランドルクではなくランヴォルグ。彼がギルドの誤登録を好都合と考えて放ったらかしている為、何も知らなかったわたしはそのおかげで散々な目に遭った。

『魂食い(ソウルイーター)』という魔剣の所有者で、黒の防護スーツの上から黒い金属製の鎧を身に着け、これまた黒い外套を羽織っている。

 わたしとドルクはこの世にごく稀に存在する意思を持つ武具―――『魔具』に所有者として認定された『魔眼』と呼ばれる存在で、この日も一件依頼を済ませてきたところだった。

「泳げないんですか?」

 海から始まった話の流れでその告白に至った時、ドルクはこげ茶色の瞳を瞠って、やや驚いた様子を見せた。

「うん。育ったところは海が近くになかったし、男の子は近くの川で下着一枚で遊んでいたりしたけれど、女の子はそんなことをしちゃいけないって親に止められててさ。足を浸す程度のことしかさせてもらえなかったんだ。ギルドに入ってからは剣術や体術の鍛錬やら実務訓練やらでそんな暇なかったし、独り立ちしてからはもう泳げるようになろうって気もなくて、海や川は極力避けるようにしていたかな」
「へぇ……意外ですね。でも何があるか分かりませんから、泳げるようになっておいて損はないと思いますよ」
「わたしもそうは思うんだけどさ」
「良ければオレが教えますよ。この辺りはまだ泳ぐには肌寒いですが、もう少し南下すれば暖かくなって海水浴場があったりしますから、その時にでも」
「ホント!?」

 彼の申し出にわたしは茶色の瞳を輝かせた。

 いい年して泳げないの、実は密かなコンプレックスだったんだ。ドルクの言うようにいつ何時、どんなことがあるか分からないし、泳げるようになっておいて絶対に損はないもんな。

「約束! 絶対だぞ」
「分かりました」

 やったあ、これで近いうちに脱かなづちだ!

 わたしは小躍りしたい気分で運ばれてきた食後のコーヒーに口をつけた。

 身体を動かすのは得意だし、コツを掴むのは早い方だと思うんだ。教えてさえもらえれば、多分すぐに泳げるようになる。

 その時、ドルクの後ろの席に同業者らしい男女三人組が着いた。このカフェはギルドのすぐ近くにあるから傭兵の客も多い。何を注文しようか賑やかに会話を交わす彼らを何気なく眺めていると、ドルクが心なしか低めの声で静かにわたしを促した。

「―――そろそろ出ましょう」
「え?」

 わたしは驚いて彼を見た。だってまだ、食後の飲み物が運ばれてきたばかりだ。ドルクだってまだ全部飲み切っていないのに。

「後で説明しますから」

 そう言って立ち上がった彼の背後から、甲高い声が上がった。

「ああーっ! ランヴォルグ!!」

 ドルクが瞑目するのと、後ろから伸びた華奢な腕が彼の胴に回されるのとが同時だった。

「ひっさしぶり〜! 元気だったぁ!?」
「……リルム」

 諦念混じりの顔で華奢な腕の持ち主を振り返りながら、ドルクが溜め息をつく。

「えっ、ランヴォルグ!?」
「おおーっ、ホントだ、ランヴォルグじゃん。スゲー偶然!」

 同じテーブルの男二人もドルクの顔を見て親しそうな反応を見せた。

 えっ、何? ドルクの知り合い??

 見たところわたし達とほぼ同年代らしい三人組は、女が術士(メイジ)、男は一人が剣士でもう一人は療法士(ヒーラー)という感じの装いだった。

 久々の再会に盛り上がる彼ら(ドルクはかなり微妙な表情だったけど)を傍観しながらコーヒーを飲んでいると、リルムと呼ばれた術師の娘(こ)がわたしを見やり、上から下まで眺めるようにした後、ひと言放った。

「何、このでっかいの?」

 ああ〜という、連れの男二人から同時に漏れた長い溜め息、諫めの声を上げるドルクの苦い顔、自分の中でぶちっと理性が切れる音―――ほぼ同時にこの現象が起こった。

「ちょっと!」

 ガタンと椅子から立ち上がり、わたしは自分よりだいぶ背の低い失礼女に物申した。

「初対面の人間にかける言葉が言うに事欠いてそれ!? 失礼過ぎるだろ!」
「ほら、やっぱりでっかいじゃない。ランヴォルグよりでかいんじゃないの?」

 大の男でも怯むわたしの圧力に全く動じない様子で、失礼女は反省の色も見せず更なる暴言を吐く。

「なっ―――」

 何だとぉっ! と怒鳴りかけるわたしの前にドルクが割って入り、男二人がリルムをわたしから引き離して、事態の鎮静化を図った。

「すみません、あいつは昔から敢えて悪気をひけらかすというか、誰に対してもこんな調子で―――出来ればあなたと引き合わせたくなかったんですが」

 ドルクがそう言いながらわたしを落ち着かせようとする。

「だからってそれを許しちゃダメだろ! 何なのあの失礼女!」

 気が収まらないわたしはがなりながらリルムをにらみつけた。

「リル、今のはお前が悪いぞ、きちんと謝れ」
「そうだよ、ランヴォルグの連れに失礼過ぎるって」
「えー、ホントのこと言っただけなのに」

 仲間達にたしなめられて口を尖らせるリルムは、よく見ればけっこうな美人だった。緩やかに肩まで流れる赤みの強い金髪が優しく日に透け、長い睫毛に縁取られた大きな緑色の瞳は宝石のように煌めいて、艶やかなパールピンクの唇さえ開かなければまるで天使のような容貌をしている。その辺り、ドルクと共通するものがあるように思えた。

 身長は150センチ前半といったところだろうか、首元の大きく開いた淡い紫色の長衣(ローヴ)を身に纏い黒っぽい外套を羽織った彼女はほっそりとした肢体ながらも出るところはキッチリ出ていて、年相応の女性らしさを感じさせた。

「何か、言い方が明け透けすぎたみたいでゴメンナサイ」

 謝られているのにさっぱりそんな気がしないのは、彼女の口調と態度が大柄だからだろう。片眉が跳ね上がるのを覚えながら、落ち着けと自分に言い聞かせて、怒りを飲み込む。

「……次回から気を付けてくれればいい」

 わたしのその言葉を聞いたリルムの仲間がホッとした表情を見せ、遅ればせながらの自己紹介に入った。

「えーっと、何か突然失礼があってスイマセンでした。オレ、ベルンハルト。年齢は22です。ランクAの剣士です」

 黒髪黒い瞳のベルンハルトはわたし達と同じように黒色の防護スーツを身に着け、その上から鈍色の金属製の鎧を纏い蒼い外套を羽織っていた。武器は大剣。背は高く、180以上あるんじゃないだろうか。すっきりとした嫌味のない顔立ちをしている。

「僕はアレクシス。アレクって呼んで下さい。年齢は23、ランクAの療法士(ヒーラー)です」

 褐色の髪に柔らかな飴色の瞳のアレクシスは生成り色の法衣の上に銀色の金属製の胸当てを身に着け、黒い細身のパンツをはいていた。武器は鎚矛(メイス)。背はわたしより少し高く、優男風の甘い顔立ちをしている。

「あたしはリルム。みんなにはリルって呼ばれているわ。年齢はランヴォルグと一緒よ。ランクAの術士(メイジ)」

 リルムの武器は先端に魔玉の付いたワンドだった。魔力を増幅させる効果があるのだろうか、彼女は首元にも魔玉の付いたチョーカーを着けている。

「わたしはフレイア。年齢は22―――」
「フレイア!?」

 わたしも自己紹介に入ろうとしたら、名前で三人に勢いよく食いつかれ、その後を続けられなかった。

「フレイアってあのフレイアなの!? 『紅蓮の破壊神』!?」
「容姿から、もしかしたらとは思っていたけど! マジで!?」
「わぁ、スゴいな〜初めまして。ランヴォルグとはどうやってお知り合いになったんですか?」
「―――え、ええと」
「22ってあたしとランヴォルグのいっこ上じゃない! 昔から名前聞くけど意外と若いのね……」
「噂はかねがね! その剣が『壊劫(インフェルノ)』ですね!? ランクSが二人で一緒に行動してるなんて驚きだな〜」
「ランヴォルグ、手が早いでしょう? ちょっかい出されていません?」

 三人同時に話されても! 答えるのに困るんだけど! あと何か変な質問出てるし!

「お前ら少しはしゃぎ過ぎだ。フレイアが困っているだろう」

 ドルクが苦り切った顔で間に入った。

「あとアレクシス。妙な質問織り交ぜるな」
「アレクって呼んでよーランヴォルグ。そんな怖い顔しないで」

 軽口を叩くアレクシスを横目でにらみつけながらドルクはわたしに謝罪した。

「騒々しくてすみません……昔からこういう奴らで。前に少し話しましたよね、何度か仕事で組んだことのある連中がいるって。それがこいつらなんです」
「ああ……」

 そういえばラナウイで確かにそんな話を聞いた覚えがある。

「同期なんですよ、オレ達。ランヴォルグだけひと足先にそっち行っちゃいましたけど」

 ベルンハルトがそう教えてくれた。三人の中では彼が一番常識人というか、話しやすそうだ。

「そうなんだ? 三人は昔から組んでいるの?」
「ええ。傭兵になりたての頃からの知り合いだし、職業的にもバランスがいいというか仕事がやりやすくて」
「ふうん、確かに職業バランスいいよね。もう一人戦士系がいたらより良い感じはするけれど。ドルク……ランヴォルグと一緒の仕事はどうだった?」
「ランヴォルグは同期の中でも頭ひとつ抜き出ていましたからね。奴がいる時は楽させてもらいましたよ。そっちはどうですか? こいつと組んでみて」
「うん、スタンスが似ているし一緒にいて楽かな。口が減らなくて腹黒いのがたまに傷だけど」

 そう言うとビックリした顔をされた。

「オレが言ってる『楽』と意味が違う……スゲェ! さすが『紅蓮の破壊神』! ランヴォルグの鬼のような仕事のこなし方にさらりと乗れるとは……!」
「というかランヴォルグ、『紅蓮の破壊神』の前でも相変わらずの皮肉屋みたいですね。最初、彼の見た目とのギャップにビックリしませんでした?」
「何言ってるの、ランヴォルグはそこが魅力なんじゃない。それよりランヴォルグ、そんなあなたがどうして『紅蓮の破壊神』の前では敬語なのよ!」

 いや、ちょっと、そんな恥ずかしい二つ名を連呼しないでくれる? 同業者の多い場所で変な注目集めるじゃん!

 実際さっきからスゴく見られているよ、わたし達! 色んな方向から視線を感じて居心地悪い。

 それにしても、昔馴染みからするとドルクの敬語ってそんなに違和感があることなんだろうか? 出会った時からそうだったし、逆にわたしは彼の敬語が馴染んでいて、それじゃない方が変な感じがするんだけど。

「若干主従関係みたいな感じなのかな?」
「噂通り『紅蓮の破壊神』は恐ろしい存在だったと。あのランヴォルグですら膝を折るほどに」
「まさか! そんなランヴォルグ嫌よ!」

 いや、あんたら、わたしの前でそれを言う?

 類は友を呼ぶというヤツだろうか、ドルクの知り合いは遠慮会釈もない。

 ドルクは頭が痛いというように長い溜め息を吐き出した後、勝手に盛り上がる彼らに向けて遠雷を孕んだ声音を放った。

「オレがそれに値する相手と見ているからだよ……お前らもう黙れ。ここへは食事をしに来たんだろうが」
「おお、怖っ」
「威圧はダメだよ〜」
「それよ、その感じがランヴォルグよ!」

 すごいぞ、ドルクのこの威嚇に動じないなんて。何だかんだで仲がいいんだな……。

「行きましょう」

 変なところで感心しているわたしを促し、店を後にしようとしたドルクに向かってベルンハルトが声をかけた。

「ランヴォルグ、夜いつもの時間に例の酒場に来てくれよ。ぜひフレイアも一緒に。仕事の話があるんだ」
「仕事の?」
「ああ。せっかく久々に会えたんだ、酒でも飲みながらゆっくり話そうぜ」
「……どうしますか?」

 ドルクがわたしに気を遣って尋ねてきたから、少し考えてからこう返した。

「話を聞くくらい、いいけど」

 ひどく疲れそうな予感はしたけど、魔眼二人を相手に振ってきている「仕事」の話だ、それ相応の案件なんだろう。

 彼らと後で酒場で落ち合う約束をして、わたし達は海辺のカフェを後にした。この時はまだ、これが波乱含みの仕事の幕開けになるのだとは思いもせずに―――。
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