生ぬるい海風に煽られてたなびく雲が、空に浮かぶ三日月を出したり隠したりしている。
「あの年頃の女の子にあまり気安く手を触れるのは、どうかと思うぞ」
微かな潮騒が響く中、隣に座るドルクを見やって今日の彼の行動に苦言を呈すると、意外そうな反応を返された。
「え? アデライーデのことですか?」
「そう。もし勘違いされたらどうするんだよ」
「そんなつもりはなかったんですけど……彼女は大丈夫ですよ。好きな相手がいるらしいですから」
「何でそんなこと知ってんの!?」
驚いて目を剥くわたしに、ドルクは人畜無害な顔でにっこりと微笑んだ。
「本人に聞きましたから」
えええ! 年頃の女の子の最重要機密だぞ、どうやったら昨日会ったばかりの相手からそんな情報を聞き出せるんだ!?
こいつ、本当に食えない!
「何にしても、誤解を招きかねない行動は慎んだ方がいいぞ」
多感な年頃は特に、他に好きな相手がいたって、そういうちょっとしたことがきっかけで気持ちが変わってしまうことだってあるんだから。
重ねて釘を刺すわたしを見やり、ドルクはふと微笑んだ。
「忠告ありがとうございます。そんなに心配することはないと思いますけど、心に留めておきます」
「心配って……別に。そんな大げさなものじゃないけど」
口を尖らせつつ瞳を逸らすと、岩場に置かれたわたしの手にドルクが手を重ねてきた。指と指を絡めるようにされて、小さく鼓動が跳ねる。
「なっ、何……」
「嫉妬―――してくれたんですよね?」
甘く見据えられ、そう断定されて、カッと全身が熱くなった。
「そういうわけじゃっ……」
「嬉しいです。リルムの行動にも妬かなかったあなたが、まさかアデライーデに対して妬くとは思わなかった」
完全に否定出来ないうちにそう返されて、思わず言葉に詰まった。
だって、リルムの時はリルムが一方的に迫っているだけで、ドルクの方から彼女に対してアクションを起こすことはなかった。でも今回、行動を起こしているのはドルクの方だ。だから……!
赤くなったまま口をつぐんでいたわたしはその時、ある違和感に気が付いた。
……ん? 何か変じゃないか? ドルクの今の言い方。
わたしは視線を上げ、感じた疑問を面と向かって問い質した。
「その言い方だと、まるでわたしにやきもちを焼かせる為に、リルムに好き勝手させてたみたいに聞こえるんだけど……」
あの時はリルムがどんなにべたべたしてきても一切制止しないから、アレクシスが気の毒だ、その気がないならドルクももう少し邪険にすればいいのに、と思った覚えがある。
「ああ……バレました? もっともリルムとは普段からあんな感じで、敢えてそうしていたわけではないんですが、意識的に制止しなかった部分もありましたね。あわよくばと期待したんですけど結局妬いてもらえなくて、アレクシスには悪いことをしました」
涼しい顔であっさりとドルクは認めた。悪いことをしたと言いながら全く悪びれていないぞ、この男。
「あっ、あんたねぇ!」
「あの時言ったでしょう? オレはあなたの前では格好つけている余裕がないんだ―――って」
あの時というのは、ゴート城で虚影(ホロウ)と戦った後、フロマの実を採りに行った時のことか。確かに彼は、そんなことを言っていた。
絡める指に少し力が込められて、心臓が脈打つ。不意に右の肩にとん、とドルクの額が乗せられて、彼の髪が頬にかかり、わたしは呼吸を止めた。
『フレイア……あなたが好きだ……どうにかなってしまいそうなくらい、あなたが好きです……』
耳に甦る、狂おしいくらいの激情を滲ませたあの時の彼の声。
『あなたが、好きです……』
繰り返し切ない熱を吐き出すようにして紡がれた、彼の想い―――。
ドルクの香りが、温もりが近くて、鮮やかに色づいて甦る記憶とこの現状に、握られたままの手がじわじわと熱を帯び、どうしようもなく頬が火照ってくる。
それを言うなら……わたしはあんたの前で余裕があったことなんか、一度もないんだけどな。
出会いから翻弄されて……ドキドキさせられっぱなしで。
リルムがドルクにくっついていた時も、ただ表に出さなかっただけで、決して気分良くはなかった。
今は―――あんたへの想いを自覚して、もう、逃げることも敵わないくらい囚われていて―――。
すぐそこに感じる彼の体温に、とくとくと心臓が早鐘を打つ。
ドルク、わたしは―――わたしは、あんたのことが―――。
溢れる想いを唇に乗せかけたけど、今が仕事中であることを思い出し自重した。
今は、その時じゃない。依頼を引き受けた以上は、それに集中しなければ。
自分の肩に額を乗せたままのドルクを見つめ、わたしはきゅっと唇を結んだ。
―――この仕事が終わったら伝えよう、今度こそ。
そう決意を新たにした時、予期していた不穏な気配が現れた。甘いひと時から現実に立ち戻り、そちらに視線を向けたわたしの肩からゆっくりと顔を上げたドルクがそれを確認して立ち上がる。
「……来ましたね」
「ああ。結構いるな……30人くらいか?」
「妙ですね……」
こちらへ向かってくる人影を見やり瞳をすがめるドルクにわたしは同調した。
「ああ、妙だ。いくら希少価値があるとはいえ、カールマーン一体にこんな人数を差し向けるなんて……しかもあの子はまだ子供で、角もさほど大きくないのに」
採算を考えたら、おかしい。
「理由は連中を捕まえて聞き出しますか」
「そうだな」
軽く頷き合って剣を抜いたわたし達は、静かな潮騒の響く夜の海岸で襲撃者達と対峙した。
*
小型船に乗って海から現れた者、徒歩で陸からやって来た者―――同時に姿を見せた30名ほどの襲撃者達は見たところ装備に統一感がなく職業もバラバラで、動きもあまり統制がとれていないように思えた。
「傭兵の寄せ集めっぽいな……ギルドに属している連中なのか、流しの奴らなのか……」
「分かりませんが、この件の黒幕は徹底して捨て駒主義ですね。自分に直接繋がりのある者はこういう現場に差し向けない」
「また半分だまして雇ってるようなパターンかな?」
「有り得ますが、それを確認している暇はありませんから、戦意を喪失させる程度で行きましょう」
単純にやっつけるのと違って、それ、結構面倒なんだよね……まあ仕方がないな。
「了解」
集団の先頭にいた重戦士が、洞窟の手前で背中を合わせるようにして佇むわたし達に気が付いた。
「おい、情報が漏れてるぜ。待ち構えられてる」
「男一人に女一人か? 辺りに他の仲間も潜んでいる可能性がある。何人いるか分からねぇ……用心しろ」
警戒する声が囁かれ、陣形が展開された。
盾を持った重戦士を前面にしてその後ろに剣や槍を携えた主戦力、さらにその後方に術士(メイジ)や弓使いといった配置で、海側と陸側からわたし達を取り囲むようにして迫ってくる。夜の闇に響く術士(メイジ)達の詠唱が戦闘の口火を切った。
盾を構えた重戦士達が一斉に突っ込んでくる。わたしとドルクも同時に反対方向へ駆け出した。
「! はっ、速っ……!」
鎧を身に着けていない分、いつもより身体が軽い。驚愕する重戦士達を跳び越え、その後ろにいた剣士達を豪快に薙ぎ払う!
「うああぁぁっ!」
「ぎゃあっ!」
「―――魔法の矢(マジック・アロー)!」
術士(メイジ)がかざしたロッドの先端から放たれた無数に閃く高速の矢が、わたし目がけて夜空を貫く! 壊劫(インフェルノ)を操りその全てを両断すると、慄いたどよめきが上がった。
「マジかッ……」
「あんな速ぇの、斬れんのかよ……!」
その間にもわたしは剣を振るいながら敵陣を駆け抜け、立っている相手を着実に確実に減らしていく。敵は瞬く間に及び腰になり、敗走状態になった。
ふぅ。こんなところかな。
情報を得る為、逃げ遅れた奴を一人捕まえて後ろを振り返ると、ドルクの方も片が付いたところだった。彼も同じように男を一人拘束している。
「お疲れさん」
「お疲れ様でした」
ねぎらいの言葉をかけ合い、さっそく捕えた奴らを尋問すると、出てきたのはまた「シュライダー」という名前だった。
彼らは主に薄暗い仕事を引き受ける流しの傭兵で、シュライダーなる人物から「ある組織が横流しを画策して洞窟で匿っているカールマーンを奪ってこい」という趣旨の依頼を受けてきたらしい。
「けっこうな人数が動員されてたから何かあるとは思ってたけどよぉ、成功報酬が魅力的で……。くそっ、何なんだよ、でたらめだろ、お前ら……」
「シュライダーには会ったのか?」
「会ってねぇ。そいつは依頼人で、オレらが実際に会ったのはその代理人ってヤツだ」
やっぱりまた同じようなパターンか……現場に出てくる連中をいくら捕まえたところで、これじゃ黒幕どころかシュライダーにすらたどり着けないな。
男達を縛り上げて転がしていると、遠くから覚えのある声が聞こえてきて、振り返るとクラウスとアデライーデが砂浜を走ってくるところだった。
「どうしたんだ? こんなトコへ来たら危ないじゃないか」
ドルクに男達を任せて二人の元へ駆け寄ると、彼らは息を切らせながらこう応えた。
「ごめん。アデラから話を聞いて、ここから派手な光と物音が上がるのが見えたら、居てもたってもいられなくなって―――それに、取り急ぎ話したいこともあったからさ」
「だからって」
「一応、戦闘が終わったらしいのを見計らってから海岸へ下りてきたよ。君達がやられることはないと思っていたし」
「フレイアさん、ごめんなさい。でもあたしも、お二人とキューちゃんのことがどうしても気になって」
もう……仕方がないな。
「今後は控えてよ。何かあったら困るから……で、話したいことって?」
「ああ。ドルク君にも一緒に聞いてもらいたいんだけど」
ドルクを手招いて呼ぶと、クラウスは呼吸を整えながら改めて口を開いた。
「最近プライベートビーチを設けた人物、調べてみたら一人だけいたんだ。クンツ・オーヴェルフという実業家でね。ここ十年ほどの間で急激に財を成した人物らしい」
クンツ・オーヴェルフ……。
「まぁそういう経歴の持ち主にありがちな話なんだけれど、黒い噂が絶えない人物らしくてね。それが本当かどうかは分からないんだけど……彼にはどうやら、『シュライダー』という名の部下がいるらしいんだ」
「本当!?」
「そういう界隈に詳しい知人に聞いただけだから、ロッホ商会のシュライダーと同じ人物なのかは分からない。偶然同じ名前なだけかもしれないし、もしかしたらそうでないのかもしれないし……。でね、ここからが肝なんだけど」
クラウスはそう言って話の核心に触れた。
「実は明後日―――正確に言えばもう明日か。明日の朝からクンツの別荘の敷地内を会場にして『ミス・オーシャンブルー』コンテストなるものが開催されるそうなんだ」
ミス・オーシャンブルー?
「いわゆるミスコンなんだけどね。半年前から大々的に告知されていて、当日はダハールの有名店がたくさん出店してお祭り騒ぎになるみたいだよ。賞金もスゴいらしくて、大勢の参加者が見込まれているそうだ。何でも出場者と同行の三名までが会場となる敷地内に入ることが出来るらしい」
おおっ! それって……!
「クンツの懐に堂々と潜り込めるチャンスじゃないか!」
「そう、またとない機会なんだ。時間的な余裕もないことだし、出来るだけ早く報せたいと思って」
「でかした、クラウス!」
「うん、じゃあ頼んだよ、フレイア」
え? わたし?
「“ミス・オーシャンブルー”だからね。出場資格は16歳〜25歳の未婚の女性なんだ。その日は僕も休診日で行けるから、頑張って」
えええ!
「ミスコンと言っても色々ありますけど、どういうミスコンなんですか?」
尋ねるドルクにクラウスが答えた。
「単純に見た目の美しさを競う、よくあるやつみたいだよ。美しい海が似合うナンバーワン美女を会場の審査員の選考で決めるらしい。ちなみに水着審査だって」
水着!! う、うーん……。
たじろいだけど、出場資格がそうと決まっている以上、この中で該当するのはわたししかいないもんな……アデライーデはまだ14歳だし。
「仕方ない、出るだけ出てみるか。……とりあえずエントリーさえすれば会場内に入れるんだろ? クンツの身辺を探れる絶好の機会を逃すわけにはいかないし」
不承不承ながら頷くと、クラウスが失礼な物言いをした。
「そう、何よりコンテストに出ることが重要だからね。それさえ果たせれば結果はどうでも」
ムカつく! わたしだって自分ってものを心得てるよ!
無言でクラウスの頭を叩くと、「たっ」と声を上げる彼にアデライーデが眉根を寄せて物申した。
「先生、失礼過ぎ! 冗談でも女の人にそんなこと言っちゃダメなんだから!」
アデライーデ! いい子だな!
彼女はわたしを上目遣いに見やると、何故か少し困ったような表情になり、視線を逸らしてうつむいた。
「それに……フレイアさんは、充分綺麗だよ……」
えっ? どっ、どうしたんだアデライーデ!?
格好いいとか素敵とか、そういう言葉は同性から言われたことがあるけれど、綺麗というのはあまり記憶になくて、何だかとてもむずがゆい気分になってしまった。
うわぁ、これ、下手に男の人に言われるより照れるかも……。
アデライーデに怒られてしまったクラウスは素直にわたしに謝罪した。落ち着いた大人の男性である彼が、ずいぶん年下の彼女に諭されて頭を下げるその光景が何だかおかしくて、溜飲が下がる。
そのままわたしとアデライーデが他愛もない話に脱線する一方で、ドルクとクラウスは言葉少なに何か会話を交わしていたみたいだった。
今後の予定を確認し合いクラウス達と別れた宿への帰途、ドルクがわたしを横目で見やるようにしながら忠告してきた。
「知り合いの男性にあまり気安く手を触れるのは、どうかと思いますよ」
「え?」
「それこそ勘違いされたらどうするんですか」
これ、ついさっき聞いたような問答だな。クラウスの頭を叩いたことを言っているのか? でもあんなの、勘違いも何も……それにクラウスは既婚者だぞ。あんたの場合と違って、嫉妬する要素が見当たらないんだけど。
「失礼発言をしたからブッ叩いただけじゃん」
口を尖らせるわたしに対し、ドルクは思いがけない切り返しをしてきた。
「気安い関係じゃないとあんな勢いで腕は振れませんよね……クラウス先生とはずいぶん親しい間柄だったみたいですね」
「……!」
そう突っ込まれて、ぎょっとする。動揺を取り繕う前に、更に切り込まれた。
「昔の恋人でしょう? 彼」
これには本当に驚いた。
―――バ、バレてる!
「なっ、何で」
思わずそう口を突いて出ていた。
クラウスは約束を破るような男じゃない。何で、どうしてドルクがそれを!?
「あなた達の様子を見ていれば、聞かずとも察しはつきますよ」
言わずもがな、当然のようにそう告げられて、変な汗が吹き出てきた。
ウソ!? どこにそんな要素あった!?
息を飲んで固まっていたわたしは、こちらをじっと見据えるこげ茶色の双眸に観念し、諦めの思いと共にゆるゆるそれを吐き出した。
「……黙ってたのはゴメン。ずいぶん昔の話だし、余計な波風立てる必要もないかなと思って」
わざわざそれを言って、ドルクに穿った見方をされたくなかった。でも、それを隠されてることを悟ってしまった方はどうだろう。ドルクは……スゴく嫌な気分になったんだろうな。
完全に、裏目だ。
「嫌な思いをさせてしまったんだったら……悪かった……」
しゅん、とうなだれるわたしにドルクが小さな吐息をついた。
「正直、いい気分はしませんでしたけど……あなたの言い分は理解出来ます。逆の立場なら、オレもそうしたでしょうし。……それを黙っていたことを責めているわけではなくて、オレが言いたいのは、あなたにもっと自覚を持ってほしいということなんです」
「自覚?」
どういうこと……?
「あなたはどうしてか、女性としての自分を過小評価しすぎなんですよ。世の男から見たら、あなたは充分女性として魅力的なんです。その自覚を持って下さい」
わたしにとっては青天の霹靂の言葉だった。
「何言って……わたしのギルド内での評判を知ってるだろう? 女扱いすらされていない」
「あれは『紅蓮の破壊神』の通り名が独り歩きしているにすぎません。そんなギルド内ですら……男達はあなたのことを『見た目はいい女』として噂しているんです。手の届かない存在として遠くから見ている男も、いないわけではないんですよ。ギルドの外は言わずと知れますよね」
「ウソ」
「自分を知らないだけで、あなたは充分人目を惹くんです……だから、心配なんだ。あなたのその無自覚さが」
ドルクのこげ茶色の瞳の奥がやるせない光を宿して揺れた。
「もっと自覚して下さい。自分がどれだけ、男を惹きつける存在なのか―――それがどれだけ、オレをたまらない気持ちにさせているのか―――あんなミスコン、他に有効な手立てがあれば、絶対に出したくない」
気の昂りを抑えようとするかのように自身の指を握り込んで、ドルクは形の良い唇を引き結んだ。
「……。ようは、もっと危機意識を持ってほしいということをあなたに伝えたかったんです。分かりましたか?」
「……うん。にわかには、信じがたいけど……あんたが言ってる意味は、理解した」
わたしは気恥ずかしさを覚えながら、目の前でどこかふてくされたような表情になってしまっているドルクを見た。
既婚者のクラウスに妬いたり、不特定多数の人の目に晒されるイベントに出ることをこんなふうに案じてくれるほど、わたしのことを好きでいてくれている―――ということだよな?
ヤバい。その憮然とした面持ちがひどく可愛く思えて、困ってしまう。
「ドルク―――その、この仕事が終わったら、聞いてほしい話があるんだ。後で、時間―――作ってくれるかな?」
そう窺うとドルクはやや目を見開いて、しばし沈黙した後、鷹揚に頷いてくれた。
「ええ―――もちろん」
ふわり、と柔らかく変化した彼の表情につられて、わたしの顔にも穏やかな微笑が広がった。
想定外のことはあったけれど、どうにか約束を取り付けれてホッとする。やっと一歩、踏み出せたと言えるかな。
この言葉を実行に移す為にも―――まずは、今の依頼を全力で成し遂げよう。