魔眼 情動

18


 出会う前から、その本質には惹かれていた。

 けれど、出会った時の印象は、最悪だった。

 散々翻弄されて、思い描いていた理想像とまるでかけ離れた生身の彼自身に、大きな戸惑いを覚えた。

 だけど、その本質はやっぱり、わたしが感じていた通りの彼で―――。

 共に旅をすることになり、理想の殻を抜き出て輝きを増していく生身の彼が眩しく感じられるようになっていったのは、いったいいつからだったんだろう。

 目の前のドルクを見つめ、わたしはそんなことを思った。

 清らかに整った、穢れのない少年のような容貌。燃え立つような輝きを宿す大きな金色の双眸を見開いて、彼はわたしを見つめている。

 ランドルク。

 あなたが、好きだ。

 その想いを言霊に込めるようにして、唇に乗せる。

「ランドルク」

 きちんと本名で彼の名を呼ぶのは、これが初めてのことかもしれない。

 わたしに真名を呼ばれ、ドルクが微かに息を飲んだ。

 わたしを魅了してやまない彼の魔眼を見据えながら、わたしはずっと心に抱え込んでいた熱情を吐き出した。

「あなたが、好き―――どうしようもないくらい、あなたのことが好きなんだ……」

 言葉ではとても伝えきれない、溢れ出すこの想いを―――ランドルク、どうやったらあなたに伝えきれるのだろう。

 綺麗な金色の瞳を見つめて、祈るような想いを込め―――眼差しで、表情で、精一杯彼に訴えた。

 すごくすごく、好きなんだ……どうかこの気持ちが余すところなく、あなたに伝わりますように―――。



*



「好きだ……」

 彼女の唇がその言葉を刻んだ瞬間―――オレは呼吸をするのを忘れて、目の前の愛しい女性の顔に見入った。

 オレの唇に触れているのは、しなやかな彼女の指先―――彼女の言葉を待とうと心に決めていたはずが、溢れる想いを堪えきれずに吐露しかけたところを、その指で静かに止められていた。

 そこからの、告白。

 この時点で彼女の口からその言葉が出て来るとは全く予想もしていなかったから、率直に反応する鼓動とは裏腹に何かの聞き間違いではないか、と疑(うたぐ)る理性がいた。

「ランドルク」

 面と向かって本名を呼ばれ、心臓が呼応する。凛とこちらを見据えてくる茶色の双眸に、自分という存在の本質を改めて射抜かれたような錯覚を覚えた。

 過去、会話の流れの中で彼女がオレの本名を口にしたことはあったが、「会話文」ではなく「名前」としてその名を呼ばれるのはこれが初めてだった。

「あなたが、好き―――どうしようもないくらい、あなたのことが好きなんだ……」

 ひたむきな表情で、真摯な眼差しで、オレに気持ちをぶつけてくる彼女の様子を目の当たりにして、オレはようやく、紛れもなく彼女が自分に告白をしたのだと理解した。

 フレイア―――あなたは本当にいつも、オレの予測を踏み越えてくるんだな。

 いつだってそうだ。あなたはオレの尺度では計れない、無自覚にオレを翻弄する術(すべ)を心得ている。

 だが―――それがいい。

 あなただけだ。

 いっそ小気味よいと感じるほど、オレを振り回してくれるのは―――。

 紅い月の夜から無意識のうちにずっとずっと囚われ続けていた魔性の瞳―――その瞳が今、オレをその中に映し出し、熱く滾る情動を孕んで揺れている。

 あなたを映すオレの瞳と同じように、溢れるような想いを内包して―――……。

 狂おしいほどに惹かれ続けた存在に、同じ気持ちを向けてもらえるというのは、何という悦びだろう。

 胸に沁み入る、熱く、震えを伴うような充足感―――少しだけくすぐったいような、経験したことのない感動で心を満たされながら、オレは目の前の愛しい女性に微笑みかけた。



*



 祈るようにドルクを見つめるわたしの前で、驚きに彩られていた彼の表情がゆっくりとほころび、春の木漏れ日のような、柔らかな笑顔へと変わっていった。

 その変化に息を飲み、彼の言葉を待つわたしに向かって、ドルクはゆっくりと腕を伸ばすと、わたしを包み込むようにして、静かに優しく抱きしめてくれた。

「フレイア―――嬉しいです」

 わたしの髪に頬を押し付けるようにして、瞳を閉じ紡がれる、深い想いの滲んだ語調。ドルクに想いが伝わったのが分かって、胸が熱くなる。わたしもぎゅっと彼を抱きしめ返した。

 こんなにも満たされた気持ちになったのは、初めてだった。

「オレからも言わせて下さい」

 わたしの耳に唇を寄せ、万感の想いを込めるようにしてドルクが告げる。

「あなたが好きです、フレイア―――本当に、どうしようもないくらいに」
「嬉しい。ありがとう」

 わたしは満面の笑顔で彼に応えた。

 何だか胸の辺りがくすぐったい。

 額をくっつけ合うようにして微笑み合った後、そっと唇を合わせるだけの純真なキスをされた。

 一度離れて、見つめ合い―――今度は深く口づけられて、優しく官能的に舌を吸われる。こんなふうにされるのは初めてで、ぞくぞくと後頭部を突き抜けていくような快感に身体から力が抜けていき、甘く切ない吐息がこぼれた。

「これ―――取っていいですか」

 互いの想いを確かめ合った濃厚な口づけの後、首の後ろのホルターネックの結び目をつんとドルクに引っ張られて、夢見心地に浸っていたわたしは我に返った。

「ダッ……ダメに決まっているだろ!」

 目を見開き、慌ててそう言い返す。

 いくら何でも、それくらいの分別はあるぞ!

 ここは敵陣の只中、本当はこんなことしてる場合じゃないんだ!

 頬を赤らめてダメ出しをするわたしに、ドルクは素直に頷いた。

「……分かりました」

 さすがにここは彼もわきまえる、そう安堵した時だった。

 ドルクは確かに結び目を取らなかった。

 彼はおもむろに、わたしの水着をたくし上げたのだ。

 解放感と共にホルターネックタイプのビキニからふるん、とよく見知った自分の胸が勢いよくこぼれ出すのが見えて、一瞬思考がフリーズする。

 一拍置いて状況が理解出来た瞬間、顔が真っ赤に爆ぜた。

「やっ……!」

 慌てて胸を覆い隠そうとするわたしの手首をドルクが捕え、邪魔をする。

「ずっ、ずるい! ―――ずるいぞ!」

 かぶりを振って抗議するわたしに彼は涼しい顔でこう返した。

「嘘は言っていませんよ」
「屁理屈だ!」
「分かってます」
「やっぱずるいじゃん!!」
「そのずるい男が、好きなんでしょう?」

 人畜無害な顔でにっこりと微笑まれ、わたしは思わず低く唸った。

「う、うう〜!」

 早まった! 早まったかもしれない!

 涙目でにらみつけるわたしをしたり顔で見やりながら、ドルクは臆面もなく促した。

「隠さないで見せて下さい、フレイア」
「バカッ、こんなことしてる場合じゃ……!」
「オレも一応、そこをわきまえようとは思っているんですよ。色々我慢はしますから」
「なら、ここも我慢しろよ!」
「無理です。あなたの水着姿を見た時から、こうしたくてたまらなかった。ずっと我慢していたんです」
「……!」

 平然ととんでもない告白をされて、頬を紅潮させ言葉を失うわたしの瞳を覗き込み、甘えるような口調でドルクがねだる。

「だから見せて、フレイア。お願いです」
「……っ」

 ああ、もう、この魔狼め!

 したたかなドルクにわたしは真っ赤な顔で歯噛みした。

 コイツ絶対、計算して言っている。

 この余裕のない状況で、断れない雰囲気を作って、諦めざるを得ない状態にわたしを追い込んで―――。

 悔しく思いながらもこれまでの経験から、どうしても勝ち目がないと悟ってしまう。そしてドルクの思惑通りまんまと諦めの境地に至らせられたわたしは、本当に本当に不承不承ながら―――ゆるゆる力を抜き、彼に身を任せたのだった。

 ドルクの手によって自分の手首が顔の両脇に柔らかく縫い留められ、胸元が露わになるのが分かると、どうにも恥ずかしくてたまらなくなり、顔を横に向けきゅっと目をつむった。

 見られてる、ドルクに。さして特筆すべき美点もない自分の胸を―――。

 晒された肌に彼の視線が注がれるのが分かって、その辺りがじりじりと焦げつくような感覚に囚われる。

「……綺麗ですね。つんと上向いて……淡く色づいて」

 そう感想を述べられて、恥ずかしさがピークに達する―――もう無理だ!

「もう、いいだろう! もう無理! 離せって!」

 肌を朱く染め上げて身をよじりながら抗議すると、隠し切れない興奮を滲ませた相手の声が耳朶をかすめた。

「そんなふうに、見せつけるように揺らされると……」
「そ……そんなつもりじゃ……!」

 そもそも、見せつけるほどの質量はないぞ!

 赤面しながらまるで自慢にならない一人突っ込みを心の中でした時、胸と胸の間にドルクに口づけられて、身体がびくっと大きく震えた。

「あっ……!」
「あまり可愛い反応をされると、我慢が利かなくなりますよ……」

 幾分呼吸を荒げたドルクが低い声で囁きながら心臓の真上へと唇を移動させて、そこの肌をきつく吸い上げた。

「ああっ! やっ……!」

 その熱さにびくびくっ、と身体が跳ねる。わたしは顔を真っ赤にして頭を振り、気を逃がそうとしたけれど、ドルクは時折唇をずらしながらその辺りを容赦なくきつく吸い続けて、心臓の上に大きな赤い花を咲かせていく。

 その部分が、熱い。熱くて、どうにかなってしまいそうだ。わたしはたまらず声を上げていた。

「ま、待って! は、っ……! ドルクッ……!」

 痛いような心地いいような倒錯的な刺激に、じっとしていられない。おかしくなりそうになって、わたしは胸元にある彼の頭を抱え込み、縋るようにその髪に指を差し入れ、絡めた。

「ぁ……はっ……」

 息も絶え絶えに切なく悶えるわたしの心臓の真上に大きな赤い花を咲かせ終わったドルクは、ちろりと赤い舌を覗かせてわたしの目尻に滲んだ涙を指先で拭うと、汗ばんだわたしの前髪をそっと撫で上げ、ひどく色気のある声で囁きかけた。

「ここ―――後で、治させて下さいね」
「……!」

 それがどういう意味なのか―――聞かずとも分かってしまい、わたしは耳まで赤く染め上げながらひと通り目を泳がせ、それから―――ぎこちなく頷いた。

 たくし上げられていた水着を手早く直しながら、ドルクをにらむようにして念を押す。

「でも、今みたいなのはダメだからな! ちゃ……ちゃんと時と場合を考えて、だぞ」
「もちろん」

 さっきまでわたしにあんな所業を強いていたのが嘘のような清々しい顔で頷くと、ドルクは身体を起こしてわたしに手を差し伸べた。

「行きましょうか―――未踏の三階へ」
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