魔眼

プロローグ


 その日わたしは久し振りにガランディア地方の中心都市ガランディのギルドのドアを開いた。

 カララン、と軽やかな音を立ててドアに付けられた鈴が鳴り、中にいた何組かのいかつい風貌の男達の視線がこちらへと集まる。彼らの装いは鎧や長衣(ローヴ)、胸当てと様々で、携帯する獲物も剣や杖、弓……とこれまた多様だが、全員がこのギルドに属する傭兵だ。わたしの姿を見た彼らはひそひそと会話を交わし、時折値踏みするような眼差しを送ってくる。彼らの間でいくつか聞き慣れた用語がやり取りされているのを耳にしながら、わたしはカウンターへと足を進めた。

 ここは、傭兵ギルド。個人や自治体から持ち込まれた様々な依頼を難易度別に管理し、所属するメンバーに割り振って、その成功報酬を得ることによって運営されている組織だ。世界中に支部があり、ここはそのひとつ。

 持ち込まれる依頼は様々あれど、魔物退治を主としたそのほとんどが危険を伴うものといった事情もあり、構成員はほぼ男性で、女性は極端にその数が少ない。

 わたしフレイアは、その中の一人。職業は剣士で、黒の防護スーツの上から竜の鱗を加工して作った青銀色の鎧を身に着けている。腰には長剣を帯び、生成り色の外套を羽織った格好だ。足元は膝下まである茶色のブーツ。兜は視界が狭まっちゃうのが嫌で着けない主義。盾も重いから使わない。

 緩いクセのある赤い髪は邪魔にならないようにバッサリショート。前髪は眉の上でざっくりカットしてある。女性剣士の中には長い髪を束ねたりまとめたりして頑張っている人もいるけれど、面倒くさがりのわたしには無理。職業柄野宿なんてこともままあるし、洗ったり乾かしたり、手入れをするのが大変だもんな。

 瞳の色は茶色でどちらかと言えばきりっとしている感じ? 背が高めなこともあってか、よく性格がきつそうに見られてしまう。仕事上はその方が都合がいいというかそれで一向に構わないんだけど、プライベートでは損な感じになってしまうのかもしれない。

「おおフレイア、久し振りだね」

 顔なじみの職員のおじさんがわたしに気が付いて、カウンター越しに声をかけてくれた。

「お久し振り。久々にこっちの方まで足を伸ばしてみようと思って」

 笑顔を返しながらカウンターの端に置かれた器械の前で足を止め、掌サイズの金属製のプレートをかざす。すると器械がそれに反応して、画面上にわたしの胸から上の画像と仄かに輝く青い文字が浮かび上がった。

 これはギルドが一元管理する魔法を応用したネットワークで、世界各地の地区別情報や過去から現在における依頼内容の詳細等様々な情報を共有出来るものなんだ。ギルドに所属する者は加入時に各々この金属製のプレートを支給される。このプレートは身分証明兼ネットワークへのアクセスキーになっていて、これによってギルド側は対象者の個人情報やらネットワークの使用履歴やら諸々管理しているらしい。

 ギルドと提携している宿泊施設や商業施設ではこのプレートを見せると割引サービスや様々な特典が受けられることもある。

「はは、相変わらず活躍しているそうだな。噂がここまで届いているよ」
「そうなんだ? おかげさまで。頑張ってます」

 ネットワークにログインしながら、最近のガランディア地方における依頼内容にざっと目を通していく。それから、最近解決したばかりの案件についても。

 …………。ない、か……。

 しばらく検索した後(のち)、目当ての名前にたどり着けず、わたしは心の中でそっと溜め息をついた。

『彼』はどうやら、最近はこの地を訪れていないようだ。

 今度こそ会えるかもと、期待したんだけどな……。

 素直に落胆している自分の気持ちの有り様に、『彼』への想いの深まりを再認識させられる。

 名前だけを知っている男(ひと)。

 ランヴォルグ。あなたは今、いったいどこにいるのか……。



*



 ギルドの外へ出ると、そこには大体どこの支部でも同じような光景が広がっている。

 入口の傍らに立つ大型の掲示板には所狭しと種々の嘆願書が貼り付けられ、そこからあぶれたものは手製の粗末なボードに貼られて周辺に勝手に立てかけられている。中には嘆願内容を記したプレートを抱え込むようにして座っている人もちらほら―――これらはギルドに正式に依頼する財源を持たない人々からの切実な訴えだ。

 運営上ギルドは依頼に対して報酬を求める。その依頼には難易度別にランクが付けられ、下からE、D、C、B、A、Sへと上がっていく。ランクが上へ行くほど危険度が増す為、当然その分だけ報酬額は上がる。すると内容によっては個人や財源不足の自治体には依頼すること自体が厳しい状況になる場合がある。

 そういう状況が反映されたのがこの光景だ。のっぴきならない状況に置かれた人達が一縷(いちる)の望みを託してギルドの前に集まり、こうして非公式の依頼を願い出ているのだ。

 こういった非公式の依頼は正式な依頼に比べて報酬額が低く、確実に支払われる保障さえもなかったが、腕試しや鍛錬、小遣い稼ぎといった目的で引き受ける傭兵もいた。それにわずかな期待を寄せ、人々はここを最後の拠り所として集まってくるのだ。

 わたしは唇を結び、その光景を改めて目に焼き付けた。

 ここへ依頼を持ってくる人達が本当に困っていることは分かっているんだ。でも、わたしの身体はひとつしかない。その全てを助けることなんて、出来やしない。

 でも、せめて。助けられる分だけは助けてあげたい―――そう、思っている。



*



 その名前を初めて耳にしたのは、もう何年前のことになるのか―――それは気にかけていながらどうしても仕事の調整がつかず、後回しにしていた嘆願書を確認しに行った時のことだった。

 あれ? ない……。

 大型掲示板はギルドが管理をしていて、貼られている嘆願書は一定期間を経過した後(のち)撤去されることになっている。放っておくと収拾がつかない状態になるからだ。あの嘆願書はまだ撤去される期限にはなっていなかったはずだから、ここにないということは、誰かがそれを引き受けたということになる。

 良かった。誰か引き受けてくれた人がいたんだ……。

 非公式の依頼についてはギルドの記録に残らない為、詳細は確認しようもなかったけど、その時はとりあえず安堵したのを覚えている。

 それからしばらくして別件でその嘆願書の依頼があった近くを訪れた時、それを思い出したわたしは何とはなしに足を伸ばしてそちらへと立ち寄ってみたのだ。そこで、依頼を引き受けてくれたという一人の剣士の話を耳にする。

 剣士の名は、ランヴォルグ。

「鬼神のような強さの戦士様でしたよ。雄々しくて、崇高で―――ああ、あの時のお姿を思い出すと今でも身体が震えてきます。近くに魔物が住み着いて困っていましたから、本当にありがたかったですねぇ」

 それが彼との『縁』の始まりだった。

 理由は分からなかったけど、ランヴォルグはわたしと同じで非公式の依頼を積極的に受けているようだった。それにどうやら、引き受ける『基準』がわたしと似ているらしい。彼はどちらかというと非公式の依頼に重きを置いていて、そのついでに近くの公式の依頼を受けているといった印象を受けた。

 行動範囲も近いものがあるようで、自然と受けようとする依頼がかち合うようになり、気にかけていた嘆願書がいつの間にか消えていると、その近くの公式依頼の解決記録にはたいていランヴォルグの名があった。

 わたしはまだ会ったこともない彼に得も言われぬ興味と好感を持った。この男(ひと)は多分自分と価値観が似ている。まだ見ぬ同志を持ったような気分になった。

 向こうも多分、わたしの存在には気が付いているはずだ。

 けれど会ってみたいという思いとは裏腹に、不思議なほどわたし達は顔を合わせる機会に恵まれなかった。

 わたしもランヴォルグも非公式の依頼をこなすついでに近くの公式の依頼を受けるようなスタンスを取っていたから、ネットワークのデータベースで確認すると、

 あっ、一昨日解決になってる! ついこの間までここにいたのか〜!

 なんていうニアミスは度々あった。でも、残念なことに本人には一度も会えないままだ。

 ギルドのデータベースでは他者の個人情報は閲覧出来ないようになっているから、わたしは未だに彼の顔を知らない。

 やがて、彼の名は別のところから耳にするようになった。

『冥府の使者』ランヴォルグ。

 彼に付いた二つ名は、彼がギルドから『魔眼(まがん)』に認定され、傭兵の最高ランクであるSランクに位置付けられたことを示していた。

 魔眼―――それは、この世界に稀に存在する意思を持った武具―――『魔具(まぐ)』に使用者として認められた者を指す総称。

 ランヴォルグは『魂食い(ソウルイーター)』と呼ばれる魔剣に所有者として選ばれたのだ。

 魂食い(ソウルイーター)はギルドで厳重に保管されていた魔具だったけれど、非常に気性が荒く制御が難しいとされ、暗い噂に事欠かない魔剣だった。確かここ二百年ほどは所有者を持たなかったはずだ。巷では血塗られた剣をも魅了した魔眼として、やっかみ半分の無責任な尾ひれがついたランヴォルグの噂が広がっていった。

 残虐非道、冷酷無比、目的を達する為なら手段を選ばない冥府の使者―――奴の通った後には無念の渦巻く骸(むくろ)の道が出来る―――。

 これにはほぞを噛む思いだった。

 わたしは声を大にして言いたい。ランヴォルグはそんな噂とは正反対の人間だと。

 ギルドの記録に残らない陰で、彼に助けられた人がどれだけいることか。みんな、分かっていないんだ。

 だいたいにして、ギルドは二つ名のセンスが悪すぎる。対象の魔具をイメージして付けたという建前だが、もっとどうにかならなかったのか。

 大いなる義憤に駆られる背景には、実のところ自分の諸事情も絡んでいたりする。

 実は、かくいうわたしも魔眼の一人。『壊劫(インフェルノ)』という魔剣に選ばれ、ひどい二つ名を付けられているのだ……。

『紅蓮の破壊神』。それがわたしに贈られた二つ名。

 これを賜った時には本当にもう、絶句した。

 うら若き乙女に付ける二つ名か、これ!? ひどすぎるだろう!!

 これのおかげで、わたしの巷でのイメージもランヴォルグと同じくらいひどいものになっている。

 ―――会いたいな。会って、話してみたい。

 最初はまだ見ぬ同志のように感じていた彼に対する思いが、会えないまま時を経て、今では一線を越えた『想い』に転化しているような気がする。

 ひどい二つ名のこと、非公式の依頼のこと、会って話せばきっと共感出来ることも多くて、盛り上がれるんじゃないかと思う。

 日に日に強まっていく、彼に会いたいというこの気持ち。

 顔も知らないランヴォルグ、あなたに会って話したいことがたくさんあるよ。
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