Aランク以上の依頼は例えSランクの傭兵であっても複数名で行わなければならないという規定がギルドにあり、わたしは同行者が現れるのを待つことになった。
Aランクを超える依頼になると、行ってみたら実際は状況がSランク級だった等、過去に度々予測を超える事態が発生した為、こういう規則になったらしい。わたしはSランクの傭兵なので今回のAランクの依頼に赴く為には後一人Aランク以上の傭兵が必要だった。ちなみにSランクの依頼になると最低でも一人以上のSの傭兵と十名以上のAの傭兵、それに準ずる戦力が望ましいとされている。AとSのランク差は、比べようもなく大きいのだ。
「『紅蓮の破壊神』と一緒なら、大船に乗ったも同然だからね。すぐに名乗りが上がるんじゃないかな」
そう言って笑う職員のおじさんにわたしは苦笑を返した。
「どうかな、わたしのイメージひどいからね。恐れをなしてなかなか集まらないかもしれないな」
「はは、こんな若い娘さんにあの二つ名はないよなぁ。まあ傭兵ってのは現金な奴が多い、あんたと一緒に仕事をしたとなれば箔が付くし、楽に取れると分かっているAランクの依頼はおいしい、きっとすぐに決まるよ」
「だといいけど。じゃあ、決まったらここに連絡くれないかな」
わたしはおじさんにあらかじめ予約しておいた宿の名を告げた。
「ああ、いいよ。決まったらすぐに連絡をしよう」
ギルドを出たわたしは今夜の宿に向かって街の大通りを歩き始めた。
日が傾き始めて街の景色が夕焼け色に染まる中、様々な店舗が立ち並ぶ賑やかな通りを目で追っていると、一軒の雑貨屋がわたしの心の琴線に触れた。
通りに面した陳列棚(ウィンドウ)にわたし好みの雑貨がこれでもかと飾られ、店内からは街の女の子達の楽しそうな声が聞こえてくる。それに誘われるようにして店に入りかけ、鎧を着込んだ自分の格好に気が付き、不自然に踵(きびす)を返した。
ああくそ、今はダメだ。こんな格好でこんな可愛い場所に入ったら浮きまくってしまう。宿に入って着替えてからでないと……。
そう思いつつ後ろ髪を引かれて振り返ると、陳列棚に並んだ淡いピンクのもふもふと目が合った。ころんとしたフォルムが愛らしい、小さな兎のぬいぐるみが付いたストラップが三つ、すみっこに並べて置かれている。
うわぁ、可愛いなぁ。
わたし、雑貨とか可愛いものとか大好きで、暇さえあれば雑貨屋さんを覗いているんだけど、何しろ家を持たない定宿なし根無し草の生活を送っているから、自分の部屋を自分好みの雑貨で飾ったりとかはしたくても出来ないんだ。極力荷物になるようなものは持たないようにしているしね。……でもあのストラップくらいなら、何かに付けてひとつくらい、道具袋の中に入れておいても邪魔にならないかな。
そんなことを考えていた時、くるるる、とお腹が鳴って、わたしは現実に引き戻された。
ああ、そういえば今日はお昼を軽くしか食べていないんだった……お腹減ったな。
意識してしまうと、お腹だけでなく喉の渇きも感じてきた。
今日はもう時間もないし、お店を吟味するのは明日にしよう。素敵な雑貨に囲まれた空間で、束の間の癒しに浸るんだ。仕事が殺伐としている分、そういうのは大事だよね。
*
宿に着く頃には空腹がピークを迎えていて、わたしはチェックインもそこそこに部屋へ荷物を投げ入れるようにして、宿の一階にある酒場へと向かった。
ドアを開けるとアルコールや煙草の入り混じった独特の匂いがして、軽快な楽曲や客達の喧騒が耳に響く。夕食時だから店内は混んでいて、ほぼ満席だった。正面寄りのカウンターが一席だけ空いていたので、急いでそこに向かう。左側の席の人は隣の仲間と何やら熱心に話している最中だったので、右側の席の人に声をかけた。
「ここ、空いている?」
「空いていますよ」
尋ねた相手はそう応えてわたしを見上げ、何故か一瞬軽く目を瞠った。そういうわたし自身も相手を見て目を瞠ってしまった。
え、子供!?
第一印象は子犬みたいだ、という相手からしたらやや失礼かもしれないものだった。
15? 16? 年齢的にはそれくらいだろうか。こんな場所で遭遇するのに似つかわしくない、まだあどけなさを残した、整った容貌をした少年―――大きなこげ茶色の瞳は人畜無害そうで、可愛らしい子犬を連想させる。瞳と同色の髪は大人っぽく見せる為か前髪を整髪料で立ち上げていた。わたしが驚いたのはその容姿もさることながら、彼が自分と同じように防護スーツの上から鎧を身に纏っていたことだ。
同業者……?
可愛らしい顔立ちとのギャップに違和感ありありだ。
彼がふい、と目を逸らしたので、わたしも黙って席に腰を下ろした。
まあ、世間では一般的に16歳から成人として認められるし、傭兵ギルドにも加入することが出来る。もしかしたら傭兵デビューしたてなのかな? 同業者ならわたしの顔を知っていてもおかしくないし、さっきの反応も頷ける。
でもこの子、無骨な鎧を着ているのが何だかもったいないな、童話に出てくるようなカボチャパンツをはいた王子様の格好の方がよっぽど似合いそうだ。
本人が聞いたら怒るかもしれない失礼極まりないことを勝手に考えながら、麦芽酒(ビール)と食事を注文する。すぐに運ばれてきた麦芽酒(ビール)を一気に飲み干すと、爽快感に頬が緩んだ。
うーん、喉越し最っ高ー! 今日もお疲れさん、自分!
隣の少年もどうやら一人で来ているようだった。黙々と飲み、食べ、淡々と麦芽酒(ビール)の追加注文をしている。
最初は何気なくそれを見ていたんだけど、彼の麦芽酒(ビール)が五杯、六杯と進んでいくと、老婆心が疼いてきた。
おいおい……大丈夫か? 麦芽酒(ビール)の味を覚えたばかりの、まだお酒の飲み方を知らない雛鳥が潰れるところなんて、見たくないぞぉ。
「ねえ」
少年が七杯目をオーダーしたところで、わたしは声をかけた。少年が整った容貌をこちらに向ける。
この子、お酒が顔には出ないみたいだな。本人も自分は飲めるって自覚があるからグイグイいっちゃうんだろうね。
「余計なお世話かもしれないけどさ、ちょっとペース早すぎるんじゃない? 急に限界が来るってコトあるからさ、もう少しゆっくり飲んでみたら?」
わたしとしては年上のお姉さんらしく、やんわり諭したつもりだった。けれどそれを聞いた瞬間、少年の雰囲気がやや尖った方向に変わったのが感じられた。
「……誤解があるのかもしれないので先に言っておきたいんですが」
そう言い置いて、彼は大きなこげ茶色の瞳に険を宿した。
「オレ、こう見えて21ですから。自分なりの酒の飲み方は心得ているつもりです」
「えっ!?」
衝撃発言に、わたしは目を剥いて椅子から半分腰を浮かしかけた。
「ウソ、わたしのひとつ下!?」
思わず大声で失礼なことを言ってしまい、周囲の注目を集めてしまう。
「あ……、ゴメン」
遅まきながら口元を押さえて辺りを見渡し、わたしはきまり悪く椅子に座り直した。
えっ、21って……ええっ、マジで!? どんだけ童顔なんだ!? こんな可愛い顔をした21の男、見たことない!
「えーと、ゴメン、あんまり可愛い顔しているからてっきり16歳くらいかと……お酒の味を覚えたての子が調子に乗っちゃってるのかと思って……何かこのまま潰れるのを見るのも忍びないなぁと思って、差し出がましい真似しちゃったね、悪かった」
「それ、謝罪してるつもりですか? 正直すぎてけっこうな失礼発言になってますけど。それとも弁明しようとしてドツボにはまっているパターンですか?」
うっ……この子犬、見た目に反して結構な辛口だぞ。まあ悪かったのはこっちだし、ここは素直に謝っておくか……。
「前者です……ゴメンナサイ」
「……話に聞くのとだいぶ印象が違いますね。『紅蓮の破壊神』フレイア」
少年……いや青年は右手で頬杖をつき、斜に構えた態度でわたしの二つ名を口にした。やはり同業者だったらしい。
「わたしを知っていたの?」
「有名人ですからね」
事もなげに肯定した彼が腰に帯びたモノの異質な存在に、その時わたしは気が付いた。彼は黒い金属製の鎧の上からこれまた黒い外套を羽織っていたので、それに隠れてこれまで見えなかったのだ。
物々しい装飾の施された鞘に収まった、ひと振りの剣―――そこから伝わってくる、寒気を伴うような威圧感に満ちた感覚に、わたしは表情を引き締めた。
……これは。この感じは。
「―――怖い剣を、持っているね……」
わたしの呟きに青年はさらりと返した。
「さすがは魔眼……ですね。コイツはいわくつきの代物です」
「あんた……誰?」
魔眼の一人か? それとも……?
青年を見つめる瞳が自然と険しさを帯びる。
「オレの名前を尋ねているんだとしたら、ドルクです」
ドルク? ギルドの魔眼の中にはない名前だ。
「その剣は……魔具?」
「さあ……どうでしょう?」
はぐらかすような彼の言い回しはわたしをイラッとさせた。
ああもう、こいつ、見た目と違って可愛くない! 苦手だ!
こういうタイプのヤツは何を聞いてものらりくらりとかわすと相場が決まっている。せっかくの麦芽酒(ビール)と食事がまずくなるだけだ、これ以上は関わらないことに決めた。
こいつが誰だろうが正直どうでもよかったし、魔眼だろうが魔具だろうがその他だろうが仕事で関わってこない分にはわたしには関係ないことだ、興味もない。
黙々と食事に戻ったわたしを見て、ドルクも中断していた麦芽酒(ビール)のオーダーを再開した。
わたしもジョッキが空になったのでおかわりをオーダーする。
お腹も落ち着いたし、後はもうちょっと飲んだら部屋へ戻ろう。
そう思っていたのに麦芽酒(ビール)が美味しくて、ついそのまま杯を重ねていると、隣から静かな声がかかった。
「……そっちこそペースが早すぎるんじゃないですか。女一人で潰れたら危ないですよ」
「ご心配なく。自分のペースはよく分かっているし、潰れたことは一度もない」
こちらを見ていたドルクにじろりと横目で返し、当てつけのように麦芽酒(ビール)の追加を頼む。
実際わたしはお酒に強いんだ。飲んでも気分が良くなるだけで、潰れたこともなければ足元が怪しくなったこともない。
「……へえ」
どこか小馬鹿にしたようなドルクの相槌にカチーンとくる。変な勝負スイッチが入った。
―――こいつが帰るまで絶対に飲み続けてやる!
ところがドルクは中々腰を上げなかった。それどころか張り合うように追加の麦芽酒(ビール)を頼み続ける。
雰囲気は完全に勝負の様相を呈してきた。カウンターには空になったジョッキが林立し、他の客もわたし達の尋常でない様子に気が付く。ざわざわとカウンター周りが騒がしくなってきた。
「何だ何だぁ?」
「おおっ、見ろ、この姉ちゃんと兄ちゃんスゲェ!」
「うおっ、本当だ! ヤルねぇ」
「何だぁ、何の勝負だ!?」
「オレは可愛い面(ツラ)した兄ちゃんに賭けるぜ!」
「よぉし、じゃあオレは赤い髪の姉ちゃんだ!」
辺りで勝手に賭けが始まり、酒場は異様な熱気に包まれた。わたしとドルクが麦芽酒(ビール)をあおる度、割れんばかりの歓声が響く。
何がどうしてこんなことに?
麦芽酒(ビール)をあおりながら隣のドルクをチラ見すると、涼しい顔で同じようにジョッキを傾ける彼の姿が目に入った。
こいつ、本当にお酒に強いんだな……顔色ひとつ変えず、このペースでわたしと張り合う人間は初めてだ。
絶っっ対に、負けないけどな!
負けず嫌いは筋金入りだ。完全に火が付いた。
「おかわり!」
空のジョッキをだんっとカウンターに叩きつけコールする。
「うおおー、いいぞー姉ちゃん!」
「兄ちゃんも負けるな! 行けーっ!」
お金がかかっているからギャラリーのテンションも高い。
わたしもドルクもお互いに譲らない状態が続き、ついに酒場側から悲鳴が上がった。
「もう品切れだよ、麦芽酒(ビール)がなくなっちまった!」
それを聞いたギャラリーからも悲鳴が上がる。
「うわあ〜、マジかよ! 何だよ、それ!」
「もっと麦芽酒(ビール)を用意しとけよな〜酒場なんだからよ〜」
まさかの引き分け(ドロー)に憤懣(ふんまん)やるかたない声が上がったけど、勝負するモノがなくなってしまってはどうしようもない。
勝負がつかなかったのはわたしも残念だったけど、同時にちょっとホッとしてもいた。酔っ払ったわけじゃないけど、麦芽酒(ビール)がお腹にたまって正直きつくなってきていたからだ。
ううー、早くトイレに行きたい。
ギャラリーが散っていくのを待ってトイレに立ち、人心地ついて席へ戻ってくると、カウンターの上に赤い液体の入ったグラスが置かれていた。
「勝負に水を差しちまって悪かったね、これはウチからのサービスだよ」
酒場のマスターがそう言って片目をつぶる。見ると、ドルクの席の前にも同じものが置かれていた。彼はさっきまでの勢いが嘘のようにゆっくりとそれを味わっている。
「この辺りで作られている果実酒だよ。ちょっとアルコールはキツ目だがお客さん達なら大丈夫だろう」
「へえー……ありがとう」
わたしはグラスを手に取って鼻を近付けた。甘い花のような香りがする。少し口に含むと芳醇な味わいがふわっと舌の上に広がった。
うわあ、美味しい。確かにアルコールはキツ目だけど甘くて口当たりがいい。
それをくいっと流し込み、わたしは席を立った。
「美味しかった、ごちそうさま。お代は宿泊代にツケといて」
部屋のキーをマスターに見せて酒場を出ると、何だか地面が揺れているような感じがした。
んん? 何だ?
ほどなくして頭の芯が心地良く痺れるような感覚に襲われる。踏みしめている足の裏の感覚が何だかあいまいになって、平衡感覚に異変を覚えた。
え? ちょ、ちょっと……。
初めての感覚に軽くあせる。
何だこれ? わたしもしかして酔っている、のか? でもさっきまで何ともなかったのに……。
そこまで思ってハッとする。
あ、さっきのお酒? あれけっこうキツかったもんな……あのキツいのを一気に飲んじゃったから? それとも麦芽酒(ビール)との飲み合わせが悪かった? それかわたしの体質に合わなかったから、とか?
「どうかしたんですか?」
酒場のドア付近で立ち止まっていたわたしに後ろから声がかかった。
この声は……。
嫌な予感を覚えながら振り返ると、思った通りそこにはドルクが立っていた。見たところ彼は平然としていて、酔っているような様子はない。
ああ、何でこのタイミングで現れるかな、こいつは。こいつの前でだけは醜態を晒すわけにはいかない。
「何でもない」
ぶっきらぼうにそう告げて、上階へと続く階段を目指す。
しっかりしろ、わたし! こいつに酔っていることを悟られたら何だか負けたみたいになるじゃないか。
負けず嫌い魂に再び火が付く。わたしは慎重に手足を操って、階段を上り始めた。その後ろをドルクが付いてくる。
「何か用? 付いて来ないでよ」
「誰が……この上に部屋を取っているんです」
心外な、と大々的に顔に書いてドルクがわたしをいなす。
ああ、そうかい!
この宿屋は五階建てで二階から五階までが宿泊施設、一階が酒場という造りになっている。わたしの宿泊する部屋は三階にあった。
くそう、三階が遠い……ていうかこいつと早く別れたい……。
気力を振り絞ってやっと三階にたどり着いた。ここでようやく離れられると思ったらドルクの部屋もこの階だったらしく、まだわたしの後ろを付いてくる。
「…………」
うう、後は部屋まで……もう少しだ、頑張るんだ、自分!
その部屋はまさかの隣同士という顛末だった。
うわあ、最悪……でももうどうでもいいや、関係ない。
鍵、鍵……と剣帯に付けたポーチのポケットをまさぐるが、部屋のキーがなかなか出てこない。
「あれ?」
さっき酒場のマスターに見せて……それからどこにしまったっけ?
わたしがもたもたしている間にドルクは隣の部屋の中へと消えていった。
ああ、やっといなくなった……。
それまで張り詰めていた緊張から解放され、ホッとするのと同時に全身から力が抜ける。
鍵はまさぐっていたのと別のポケットに入っていた。
ああ、あったあった……。
わたしは鍵穴に部屋のキーを差し込もうとしたけれど、これがなかなか入らない。真っ直ぐに差し込んでいるつもりがそう出来ていないらしく、ガチャガチャと音を立てるばかりでいっこうにドアを開けられない。そうこうしているうちに鍵を取り落とし、それを拾おうとかがんだらそのまま尻もちをついてしまった。
ああ、もう……何なんだコレ。身体が思い通りに動かない。
苛立たしく思いながらわたしは立ち上がろうとしたけれど、今度は足がもつれて転んでしまった。
うう……酔っ払うって厄介だ。次からは飲み方に気を付けよう……。
「……何しているんですか?」
柄にもない反省をしていた時、頭上からそんな声が降ってきた。顔を上げると、武装を解いて部屋着姿になったドルクがいつの間にか傍らに立ってわたしを見下ろしている。
「うわっ……」
わたしは本気で驚いた。彼が部屋から出てきていたことに全く気が付いていなかった。
ドルクはへたり込むようにしたわたしと通路に落ちたままの部屋のキーを見て、おおよその察しがついたらしい。溜め息混じりに片膝をついて、わたしの瞳を覗き込んだ。
「……そんな状態で、よくもまあさっきまで平然と歩いていましたね。すっかりだまされましたよ」
とっさに言い訳が思いつかない。目を泳がせていると、ドルクに肩を貸される形で助け起こされた。見た目に反するがっしりとした感触。自分のものとは違う香りがふわりと鼻先をかすめる。
ドルクの身長はわたしとほぼ同じくらいだった。少しだけわたしの方が高い、か? 横を見ると、すぐそこに大きなこげ茶色の瞳がある。
「……開けますよ」
さっきまで難攻不落に思えた部屋のドアがドルクによってあっさりと開けられた。それを情けなく思いながら、わたしは彼と共に部屋の中へ入った。