ひとつの村が壊滅に至る大きな事件だったし、関係機関に然るべきその後の処理を行ってもらう必要があったからだ。
「幻惑蛾か……これはまた、大変な案件だったねぇ。奇跡的に魔眼が二人そろっていて良かったよ。そうでなければ解決は厳しかっただろうね」
顔見知りの職員のおじさんはそう言ってわたし達をねぎらった。
「ランヴォルグがかなり強引にガラムの依頼をもぎ取っていったのは、もしかしてこういうわけだったのかい?」
「え?」
「いや、Aの傭兵二人組がエントリー直前だったんだよ、ガラムの依頼。それをランヴォルグが……」
その瞬間、わたしは隣から迸(ほとばし)った不穏な空気に首筋がチリッとする感覚を覚えた。見ると、剣呑な表情になったドルクが射る様におじさんを見据え、遠雷を孕んだ声音を放っている。
「……余計な口を挟まないでもらえます?」
それ以上喋るな、という殺意にも似たプレッシャー。おじさんは冷や汗たらたら、逃げるように通常業務へと戻っていった。
な……何? どういうことなんだ??
ギルドを出てからもドルクの様子は何だかピリピリしていて、さっきのことを冗談めかして聞ける雰囲気じゃなかった。
特に言葉を交わすわけでもなく、何とはなしに前回泊まった宿屋方面へと足を向けながら、これからのことを考える。
完了依頼書を提出したから、普通ならここで解散となるところだ。
つい先日までは一刻も早くドルクから離れたいと思っていたのに、彼がランヴォルグと同一人物だと分かった今は、何だか複雑な気持ちになる。
ずっと会いたかったのに、ずっと会えなかったランヴォルグ。ここで別れたら、多分またしばらく―――いや、下手をしたら二度と会うこともないのかもしれない。
こんなことを考えて、わたしはいったいどうしたいんだろう?
そんなふうに心の中で自問していた時、あの雑貨屋の前を通りかかった。
あ……そういえばガラムの町へ行く前、このお店を見たいと思っていたんだった。今日はまたあいにくの鎧姿だから、寄れないな。
通りに面した陳列棚(ウインドウ)からはまた数を減らしたピンクのもふもふがひとつだけ見えて、今日立ち寄れないことを残念に思う。
もしかしたらこのまま売れちゃうかもしれないなぁ……だとしたら縁がなかったってことになるんだろうけれど。
「好きなんですか? 雑貨」
お店の前で足を止めていたわたしにドルクが話しかけてきた。
「え?」
「ガラムへ向かう時も馬車の中から見ていましたよね、この店」
言い当てられて、思わず頬を赤らめる。
そ、そんなところ見ていたのか。
「な、何、破壊神に似合わないって思っている?」
気恥ずかしくてつい可愛げのない言い方をしてしまう。するとドルクは意外そうな顔をした。
「? 女性はこういうのが好きなものなんじゃないんですか?」
「いや、そうなんだけど……実際、好きなんだけど。わたしの場合その、巷のイメージがひどいからさ。柄じゃないと思われるんじゃないかと思って」
「考えすぎですよ。少なくともオレはそんなふうには思いません」
当たり前のように苦笑されて、ふわっと胸が温かくなった。
うわっ……、何だ、これ。
「このピンクの丸いのですか?」
「え? ああ、うん……好きなんだ、こういうころんとしたフォルムとか、もふもふ感とか」
「へぇ……確かに可愛いですね。欲しいんですか?」
「まあ……でも、今はこんな格好だし。出直すよ」
「売れてなくなるかもしれませんよ。鎧を着て入店してはいけないルールがあるわけじゃないでしょう?」
「そりゃそうだけどさ……こんなガッチリ武装した状態でこんな可愛いお店に入ったら浮くじゃん! 絶対! 他のお客さんドン引きだよ!」
「他人にどう見られようが、そんなの関係ないじゃないですか。前にあなたも似たようなこと言っていませんでした? 『下らない世間の評判なんかクソ食らえ!』って。手に入れられる時に手に入れておかないと、後悔しますよ」
ドルクはそう言って笑うとわたしの手を取り、力強く引っ張った。わたしは驚きに瞳を瞠って彼を見やる。こんな顔をしたドルクを見たのは初めてだ。たたらを踏み、彼の後を追うようにして雑貨店の中へ入る。
予想もしなかった展開で、何だか現実離れをした体験をしているような不思議な気分になった。
入口のドアに付けられたベルがカララン、と軽やかな音を立てて、店内にいた客の女の子達が鎧を着こんだ二人連れの客を物珍しそうに見やった。
うわっ、やっぱり変な注目浴びちゃっている! そうだよね! こうなるよね!
たじろぐわたしとは対照的に、全く意に介さない様子のドルクはわたしの手を取ったまま、目的のものへ向かって店内をずんずん進んでいく。
何か、手、繋いだままだし! これ、周りにはどう見えているんだろう?
「ありましたよ。ほら」
ドルクがわたしに小さな兎のぬいぐるみがついたストラップを手渡してくれた。
「わぁ……」
実際に手に取って、思わず顔がほころぶ。もふもふの手触りがとても良くて、そのころんとした愛くるしさに幸せな気持ちになった。
やっぱり可愛いなぁ。せっかくドルクに背中を押してもらえたんだ、これはもう買うしかない。
意を決してレジへ持って行こうとすると、横合いからドルクがひょい、とそれを取り上げた。
「持ちます」
「いいよ、重いわけじゃないし」
もしかして女の子扱いされている? 慣れない状況に照れもあって若干あせる。
ドルクは聞く耳持たない感じでストラップをそのままレジまで持って行くと、店員のお姉さんにこう言った。
「包んでもらえますか? プレゼントにしたいので」
えっ!?
驚くわたしの前で、ややうっとりした表情の店員さんが手際よく可愛い袋に入れて、その口を綺麗なリボンで結んでくれた。
……何だか、雑貨屋中の視線を集めているように感じる。気のせいじゃないぞ。
ドルクはいったい、どういうつもりであんなことを言ったんだろう? 言葉通りの意味?
いやいやドルクのことだ、何か裏があるのかもしれない。
疑心暗鬼に陥りながら雑貨屋を出たところで、ドルクからラッピングされたストラップを手渡された。
「どうぞ」
本当にプレゼントされた!
「えっ……あの、何で? 自分で買うつもりだったのに」
戸惑うわたしにドルクは真っ直ぐな視線を向けて、こう言った。
「オレがあなたに買いたいと思ったんです」
「えっ……えっ? 何で?」
「理由がいります? 好きな女(ひと)にプレゼントを贈りたいと思うことに」
わたしは目を見開いた。
赤く色付いた音符がひとつ、胸の中に生まれたのを感じる。
次いで、全身がカァーッと熱くなった。
好っ……。
「……少し歩きましょうか」
真っ赤になったまま動きの止まったわたしを促して、ドルクがゆっくりと歩き始めた。我に返ったわたしは、少し距離を置いてぎこちなくその後を追った。
*
大通りから少し離れた小路に入った、小さな用水路の流れる石造りの橋の上。他に人通りのないそこで足を止めて、ドルクはわたしを振り返った。
何となく居住まいを正す自分を感じる。そんなわたしに大きなこげ茶色の瞳を向けて、ドルクは静かに口を開いた。
「……オレはずっと、自分をもっと冷静な人間なんだと思っていました。誰かの為にペースを乱したり、我を忘れるような激情に駆られることは今までなかった。でも、この街であなたに会って……出会いから、不思議と心が動かされた。……初めはそれが嫌だったんです。あなたの一挙一動にいちいち過剰に反応してしまう自分が、まるで自分ではないようで。そんな自分の心の有り様にイライラして―――オレの予測を簡単に裏切るくせに、全くその自覚がないあなたにもイライラして。どうしてあなたの存在はこんなにオレをイラつかせるのか。その疑問がどうしても拭いきれなくて」
わたしはガラムの町へ向かう乗合馬車の中で、ドルクにどうしてこの依頼を受けたのか尋ねた時のことを思い出した。あの時彼はどこか不機嫌そうな顔になって、こう言ったのだ。
『……少し気になったことがあって』
『気になったこと? この依頼について?』
『あなたに言うことじゃありません。これはオレの問題なので』
この時の彼の態度に腹が立ってわたしも不機嫌になったので、この話はこれで終わって、その後再び話題に上ることはなかった。
あの時彼が言っていた「気になったこと」というのは、もしかしてこのことだったんだろうか。
「……でも、ラーダであなたの魔眼を見た時。不意に、腑に落ちたんです。全てが」
少年のようなあどけなさの残るドルクの顔がどこか愁いを帯びて、年齢相応の大人びた表情を作った。
「オレは、出会ったその瞬間からこの瞳に囚われていたんだって―――そう気が付きました。あの夜、あの瞬間に、オレはもうあなたに囚われていたんだと。これまでみんなが当たり前のように言う、誰かを好きになるという感覚が分からなかったから、時間がかかりました。でも、認めてしまえば全てが繋がって納得出来た」
わたしは胸が落ち着かなくなるのを覚えながら、でもどこか違和感を持って彼の言葉を聞いていた。
どうしてわたしの魔眼を見た時に、ドルクはそう悟ったんだろう? 出会った時は開眼していなかったのに。
まあ直感的な感覚は人それぞれだろうから、気にするようなことじゃないのかもしれないけど……。
「あなたが好きです、フレイア」
ドキリと心臓が高鳴った。彼に名前を呼ばれるのは二度目だ。心地良い低音で耳に響くドルクの声は、わたしの心を震わせた。
あ……わたし……わたしはどうなんだろう……?
昨日は何だか勢いでキスしちゃったけど、彼に対する自分の気持ちがいまいち分からない。
ドルクはもうわたしへの好意を隠さず真っ直ぐにそれを向けてくれている。自分の今のありのままの気持ちを正直に彼にぶつけるべきだと思った。
わたしがこれから、「どうしたい」と思っているのか。
「……ありがとう。ドルクの気持ちも、ストラップも、すごく嬉しい。本当に嬉しいよ。でも……正直今は、分からないんだ。その……まだ軽く混乱していて。何ていうか……その、勝手にわたしが思い描いていた『ランヴォルグ』が突然、別人格になって現れたような感じというか……本人を目の前にして、何を言っているんだって感じなんだけど。本当に、そんな感じで」
視線を彷徨わせながら、伝えたい自分の気持ちをひとつひとつ言葉に乗せていく。
「それに……正直、どうしてドルクがわたしに好意を持ってくれたのか、掴めないんだ。ハッキリ言って出会いから醜態しか晒していないし、そんなふうに思ってもらえる流れが見えないっていうか……。でも、このままドルクと別れるのは嫌だ。あんたに会えたら話したいと思っていたことがたくさんあるのにまだ何も話せていないし、このまま別れて会えなくなったら後悔するっていう、根拠のない確信だけはある」
何だか子供のワガママみたいな話になってきた。でも、言い切るんだ。
さっきドルクが教えてくれた。手に入れられる時に手に入れておかないと、後悔するって。
プレゼントしてもらったストラップ。ドルクがわたしの手を引いてくれなかったら、もしかしたら永遠に手に入らなかったのかもしれない。
これは多分一度きりのチャンスなんだ。二度とはない、分岐点。後悔しない為に、頑張らなければいけない瞬間なんだ。
わたしは覚悟を決めて、ドルクの瞳を真正面から捉えた。
「わたしはもっと、ドルクのことを知りたい。わたしと一緒に組まないか。あんたが飽きるまででいい、一緒に各地を回って、色々な依頼をこなしてみたい」
わたしの提案にドルクはどう応えるのか。体験したことがないような緊張感を味わった。
「本当にあなたは、オレの予測を踏み越えていく……」
数瞬の沈黙の後、ドルクはそう言って可笑(おか)しそうに吐息をもらした。
「いいですよ。オレもそれ、提案しようと思っていたので。まさかあなたからしてくれるとは思いませんでしたが」
あ……。
彼の承諾を得られたことにホッとして、全身の力が抜けるような脱力感に見舞われた。自分で思っていた以上に緊張していたらしい。
「あなたの気持ちが今は『ランヴォルグ』の方に比重を置いていることは知っています。突然向けられたオレの好意に戸惑う気持ちも分かる。でも、これだけは言っておきますが―――」
ドルクはそう言ってわたしに歩み寄り、魔性の笑顔を見せた。
「あなた絶対、オレのこと好きですよ」
とんでもない不意打ちを食らって、言葉を失う。そんなわたしの唇に、そっとドルクの唇が重なった。ほんの一瞬だけ合わせて離し、至近距離で微笑む。
「オレは世間の噂とは正反対の男で、他者を思いやれる心根の優しい人間だって、熱く言い切っていましたもんね」
「! なっ……」
初めに爆弾発言を放たれ、次にかすめるようにして唇を奪われ、その上何も知らずに本人に向かってわめいていた過去の恥ずかしい語録を引っ張り出されて、わたしは全身を朱に染めた。
「こっ……ここでそれを持ち出すか、このっ! それと当たり前のようにキスするな!」
真っ赤になってかなり本気の拳と蹴りを繰り出したけど、憎たらしいくらい軽々とそれをかわされて、これから始まる波乱含みの予感に、わたしは思わず頭を痛めた。
魔眼に捕まったのは、わたし? ランドルク?
いったいどっちの方だったのだろうか―――。
<完>