魔眼 another side

エピローグ


 ガランディの街へ戻り、ギルドにガラムの町の完了依頼書を提出したオレ達は、ラーダの村の件についても報告書を上げた。

 ひとつの村が壊滅に至る大きな事件だったし、関係機関に然るべきその後の処理を行ってもらう必要があったからだ。

「幻惑蛾か……これはまた、大変な案件だったねぇ。奇跡的に魔眼が二人そろっていて良かったよ。そうでなければ解決は厳しかっただろうね」

 フレイアとも顔なじみらしい、あの夜居合わせた古株の職員がそう言ってオレ達をねぎらった。

 よりによってこいつか……。余計なことを喋らないといいんだが。

 密かにそう思っていた傍から嫌な予感が的中した。

「ランヴォルグがかなり強引にガラムの依頼をもぎ取っていったのは、もしかしてこういうわけだったのかい?」
「え?」

 何も知らないフレイアが古株の職員を見やる。

「いや、Aの傭兵二人組がエントリー直前だったんだよ、ガラムの依頼。それをランヴォルグが……」

 空気を読めよ、じじい!

 オレは殺気を纏ったプレッシャーを放った。

 あの夜取った自分の行動は、何もかもが記憶から消滅させたい黒歴史だ。みっともないほど必死だったあの時の自分を、フレイアには断じて知られたくない。

「……余計な口を挟まないでもらえます?」

 オレの気迫は職員のじじいに伝わったらしい。古株の職員は冷や汗たらたら、逃げるように通常業務へと戻っていった。

 フレイアは何が何だか、といった風情でオレを見つめていたが、オレはこの件に関しては一切話すつもりがなかった。足早にギルドを後にする。

 完了依頼書を提出したから、普通ならここで解散となるところだ。

 だが、フレイアは困惑した様子のままオレの後をついてきた。特に言葉を交わすわけでもなく、しばらく無言で街の通りを歩く。

 その時、彼女がふと足を止めた。ガラムへ向かう馬車の中から見つめていたあの雑貨屋の前だ。

「好きなんですか? 雑貨」

 そう尋ねると、フレイアは瞳を瞬かせた。

「え?」
「ガラムへ向かう時も馬車の中から見ていましたよね、この店」

 そう言うと、彼女は頬を赤らめた。そんなところをオレが見ていたとは思わなかったのだろう。

「な、何、破壊神に似合わないって思っている?」

 気恥ずかしさからか、彼女は唸るような言い方をした。そう返ってくるとは思っていなかったので、オレはその反応を意外に感じた。

「? 女性はこういうのが好きなものなんじゃないんですか?」
「いや、そうなんだけど……実際、好きなんだけど。わたしの場合その、巷のイメージがひどいからさ。柄じゃないと思われるんじゃないかと思って」

 唇を尖らせながらフレイアが理由を話す。豪胆な彼女らしからぬ可愛らしい理由にオレは思わず苦笑した。

「考えすぎですよ。少なくともオレはそんなふうには思いません」

 意外だな、そんなことを気にするなんて。

「このピンクの丸いのですか?」

 フレイアが見つめていた陳列棚(ウインドウ)の片隅に並べられている小さな兎のぬいぐるみがついたストラップを指すと、彼女は小さく頷いた。

「え? ああ、うん……好きなんだ、こういうころんとしたフォルムとか、もふもふ感とか」
「へぇ……確かに可愛いですね。欲しいんですか?」
「まあ……でも、今はこんな格好だし。出直すよ」
「売れてなくなるかもしれませんよ。鎧を着て入店してはいけないルールがあるわけじゃないでしょう?」
「そりゃそうだけどさ……こんなガッチリ武装した状態でこんな可愛いお店に入ったら浮くじゃん! 絶対! 他のお客さんドン引きだよ!」

 フレイアは案外人目を気にするんだな。

 この女(ひと)は、思ったより繊細な神経の持ち主なのかもしれない。

「他人にどう見られようが、そんなの関係ないじゃないですか。前にあなたも似たようなこと言っていませんでした? 『下らない世間の評判なんかクソ食らえ!』って。手に入れられる時に手に入れておかないと、後悔しますよ」

 オレはそう言ってフレイアの手を取り、引っ張った。彼女が驚きに瞳を瞠ってオレを見やる。たたらを踏み、オレの後を追うようにして雑貨店の中へ入った彼女は、店内にいた女性客達の注目を集めたことにたじろいだ様子を見せた。

 そういうことにあまり頓着しない質(たち)のオレは彼女の手を取ったまま、目的のものへ向かって店内を真っ直ぐ進む。

「ありましたよ。ほら」

 小さな兎のぬいぐるみがついたストラップをフレイアに手渡すと、実際にそれを手に取ったフレイアは、思わず顔をほころばせた。

「わぁ……」

 幸せそうな表情になって、好きだと言っていたもふもふ感を堪能する。

 無防備な、年齢相応の女性らしい表情。オレからすれば、そんな彼女の方がよほど愛くるしかった。

 実際に商品を手に取ってみて、フレイアは購入を決意したらしい。ストラップをレジへ持って行こうとする彼女の手から、オレはそれをひょいと取り上げた。

「持ちます」
「いいよ、重いわけじゃないし」

 フレイアが困惑気味に言ったが、オレはそのままストラップをレジまで持って行くと店員に告げた。

「包んでもらえますか? プレゼントにしたいので」

 背後でフレイアが驚く気配が感じられる。彼女からすればわけの分からない展開だろうから、仕方がない。

「どうぞ」

 雑貨屋を出たところで綺麗に包装されたストラップを手渡すと、フレイアは戸惑った表情を浮かべた。

「えっ……あの、何で? 自分で買うつもりだったのに」

 オレはそんな彼女を真っ直ぐに見つめて、自分の気持ちを伝えた。

「オレがあなたに買いたいと思ったんです」
「えっ……えっ? 何で?」
「理由がいります? 好きな女(ひと)にプレゼントを贈りたいと思うことに」

 それを聞いたフレイアは目を見開いて硬直した。次いで、全身をカァーッと朱に染める。

「……少し歩きましょうか」

 突然の告白を受けて真っ赤になったまま動きの止まったフレイアを促し、オレはゆっくりと歩き始めた。彼女は我に返った様子で、少し距離を置いてぎこちなくオレの後をついてきた。



*



 大通りから少し離れた小路に入った、小さな用水路の流れる石造りの橋の上。他に人通りのないそこで足を止め、オレはフレイアを振り返った。

 フレイアが面映(おもは)ゆそうに居住まいを正す。そんな彼女を見やりながら、オレは静かに口を開いた。

「……オレはずっと、自分をもっと冷静な人間なんだと思っていました。誰かの為にペースを乱したり、我を忘れるような激情に駆られることは今までなかった。でも、この街であなたに会って……出会いから、不思議と心が動かされた。……初めはそれが嫌だったんです。あなたの一挙一動にいちいち過剰に反応してしまう自分が、まるで自分ではないようで。そんな自分の心の有り様にイライラして―――オレの予測を簡単に裏切るくせに、全くその自覚がないあなたにもイライラして。どうしてあなたの存在はこんなにオレをイラつかせるのか。その疑問がどうしても拭いきれなくて」

 オレはこれまでの自分の心情を素直に吐露した。フレイアは静かにオレの話に耳を傾けている。

「……でも、ラーダであなたの魔眼を見た時。不意に、腑に落ちたんです。全てが」

 あの瞬間は衝撃だった。雷に穿たれたかのようだった。

「オレは、出会ったその瞬間からこの瞳に囚われていたんだって―――そう気が付きました。あの夜、あの瞬間に、オレはもうあなたに囚われていたんだと。これまでみんなが当たり前のように言う、誰かを好きになるという感覚が分からなかったから、時間がかかりました。でも、認めてしまえば全てが繋がって納得出来た」

 命を救われたあの夜から、オレはあなたのようになりたいと切望した。そして、どうにかその場所まで上り詰めたいと考えてがむしゃらにやってきた。必死だったのだ。対等の位置に並んで、対等に扱ってもらえるようになりたかった。

 最初は、あなたの影に魅せられて。次に、あなた自身に魅せられて―――気付かないうちに自分で作り上げていた理想像と本当のあなたとのギャップに大きく混乱はしたけれど、気付いてみれば、目にした全てがあなたを構成する要素のひとつだった。

 オレはフレイアの凛とした茶色の双眸を真正面から見据えて告げた。

「あなたが好きです、フレイア」

 その言葉に万感の想いを乗せた。

 フレイアは微かに息を飲んで、戸惑いの入り混じった表情をオレに見せた。

「……ありがとう。ドルクの気持ちも、ストラップも、すごく嬉しい。本当に嬉しいよ。でも……正直今は、分からないんだ。その……まだ軽く混乱していて。何ていうか……その、勝手にわたしが思い描いていた『ランヴォルグ』が突然、別人格になって現れたような感じというか……本人を目の前にして、何を言っているんだって感じなんだけど。本当に、そんな感じで」

 視線を彷徨わせながら、自分の気持ちを誠実にオレに向けてくる。

「それに……正直、どうしてドルクがわたしに好意を持ってくれたのか、掴めないんだ。ハッキリ言って出会いから醜態しか晒していないし、そんなふうに思ってもらえる流れが見えないっていうか……」

 フレイアは聡い女性だ。

 確かにそうだ、八年前のことを知らない彼女には、オレがこの告白に至るまでの全貌が見えていない。オレの想いの深さを知らない彼女からしたら、戸惑いを覚えて当然なんだ。

 だが次の刹那、彼女の口から予想もしなかった言葉が続いた。

「でも、このままドルクと別れるのは嫌だ」

 オレは目を見開いた。そんな台詞が彼女の口からこぼれるとは思わなかった。

「あんたに会えたら話したいと思っていたことがたくさんあるのにまだ何も話せていないし、このまま別れて会えなくなったら後悔するっていう、根拠のない確信だけはある」

 フレイアは声を震わせ、顔を上げてオレの瞳を真正面から捉えた。

「わたしはもっと、ドルクのことを知りたい。わたしと一緒に組まないか。あんたが飽きるまででいい、一緒に各地を回って、色々な依頼をこなしてみたい」

 ―――この女(ひと)は。

 改めて心ごと鷲掴まれた。身体の奥底から込み上げてくる心地の良い高揚感に、知らず、口角が上がる。

「本当にあなたは、オレの予測を踏み越えていく……」

 数瞬の沈黙の後、オレはそう言って吐息をもらした。

「いいですよ。オレもそれ、提案しようと思っていたので。まさかあなたからしてくれるとは思いませんでしたが」

 フレイアはオレの承諾を得られたことにホッとした様子を見せた。そんな彼女を見やりながら、言葉を紡ぐ。

「あなたの気持ちが今は『ランヴォルグ』の方に比重を置いていることは知っています。突然向けられたオレの好意に戸惑う気持ちも分かる。でも、これだけは言っておきますが―――」

 そう言ってフレイアに歩み寄り、オレは人の悪い笑顔を見せた。

「あなた絶対、オレのこと好きですよ」

 とんでもない不意打ちを食らって言葉を失ったフレイアの唇に、そっと唇を重ねる。ほんの一瞬だけ合わせて離し、至近距離で微笑んだ。

「オレは世間の噂とは正反対の男で、他者を思いやれる心根の優しい人間だって、熱く言い切っていましたもんね」
「! なっ……」

 初めに爆弾発言を放たれ、次にかすめるようにして唇を奪われ、その上何も知らずに本人に向かってわめいていた過去の恥ずかしい語録を引っ張り出されて、フレイアは全身を朱に染めた。

「こっ……ここでそれを持ち出すか、このっ! それと当たり前のようにキスするな!」

 真っ赤になってかなり本気の拳と蹴りを繰り出してくる。それを紙一重のところでかわしながら、とりあえず八年前のことはしばらく自分の胸の内にしまっておこう、とオレは思った。

 今八年前のことを話して、フレイアに色眼鏡で見られたくない。

 彼女には現在(いま)の、まっさらなオレを見てもらって、そして好きになってもらいたい。そう考えたのだ。

 いつかこれを知った時―――フレイア、あなたはいったい、どんな表情をオレに見せてくれるのだろうか―――。



<完>
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