魔眼 another side

07


 きらびやかな輝きを放つ極彩色の羽根。肉厚な羽根が動く度、きらきらと宝石のような鱗粉が舞う。

 だが、幻惑のかかっていない身からすると、その姿は妖精に似ても似つかなかった。ド派手で凶悪な面構えの、巨大蛾の女王だ。

 大きさは人間の子供くらいあるだろうか。鋭い牙の突き出た口を開き、幻惑蛾の女王はフレイアに向けて恨めしそうな人語を放った。

「マタ……マタ『傭兵』カ! モウ少シ……モウ少シデ、我ラノ餌場ガ出来上ガッタモノヲォォ!」

 また傭兵、ときたか。やはりこいつはオルフラン地方から逃げ延びてきた女王の幼生だったらしい。

「そんなモノ、作らせてたまるか!」

 叫ぶフレイアに女王が憤怒の声を放つ。

「私ノ赤チャン……子供……タクサン、タクサン殺シタナ……! 許サナイ!」
「先に手を出したのは、お前らだ!」

 剣を構えるフレイアの前で女王が咆哮した。長く間延びした、何かを呼び寄せるかのような声だ。

 まだ仲間がいるのか?

 警戒するフレイアに女王が牙を剥き襲いかかる! 彼女がそれを素早くかわし体勢を返すと、空高く舞い上がった女王は口から粘糸を吐き出してきた。

 フレイアは飛び退(すさ)ってそれを回避したが、何かを感じたのか次の瞬間、もう一度跳んだ。直後、地中からグロテスクな姿をした魔物が彼女に牙を剥き飛び出してきた!

 ―――オロフ!?

 四つん這いになった人間を肉塊に変えたような醜悪な姿の盲(めし)いた魔物は、鋭利な牙の並んだ三つの口をカチカチと鳴らしながら襲いかかってくる。

「くっ……!」

 フレイアは体勢を崩しながらもどうにか立て直し一体を両断したが、オロフは次々と現れた。

 さっきの咆哮は、これか? だが、幻惑蛾とオロフの共生関係など聞いたことがない。

 まさか―――女王は幻惑でオロフを操っているのか。虫けら風情がそこまでの知能を持っているのか?

 オロフの扁平で大きな長い指の先についた黒い鉤爪がフレイアの頬をかすめる。彼女の防護マスクが衝撃と共に破り取られるのが見えた。

 行くか―――。

 合流し時と判断し、オレは防護マスクを身に着けて外へ出た。地面を埋め尽くすようにして、成虫も幼虫も、おびただしい数の幻惑蛾の死骸がそこら中に転がっている。

 幻惑蛾の女王はここぞとばかりに上空から鱗粉をまき散らしていた。フレイアは左手で鼻と口を覆うようにしながら右手一本でオロフと応戦していたが、反撃力の低下はいかんともしがたい。

 地を踏みしめて風を切り、走る。

 フレイアの前に駆け付けたオレは、自分達の周囲に円を描くようにして魂食い(ソウルイーター)を一閃させた。轟く魔物の断末魔と共に、精気を吸い取り歓喜する魂食い(ソウルイーター)の声なき声が伝わってくる。動くオロフはこの場にいなくなった。

「豪気ですね。これだけの魔物の屍を累々と……オレの分も残しておいてくれないと困りますよ」

 フレイアに背を向けたままそう言葉をかけると、溜め息混じりの彼女の声が返ってきた。

「豪気なのはあんたの剣でしょ……」

 いったい一撃で何体のオロフをやっつけたんだ、などと呟きながら、幼い兄妹の安否について尋ねてくる。

「……子供達は?」
「眠らせて、安全を確保した場所に避難させてあります」
「そうか……それは、良かった」

 フレイアは安堵の息を吐いた。その様子から、彼女がオレと同じく、出来ればこの光景を子供達に見せたくないと考えていたことが窺えた。

「ここからはオレの番です」

 そう告げて、フレイアを振り返る。振り返ったオレの瞳を見た彼女は息を飲んだ。

 いつものこげ茶色から金色へと変わった瞳―――魂食い(ソウルイーター)を見た時から薄々勘づいてはいただろうが、これでオレが自分と同じ魔眼だと分かっただろう。

「オ前モ……オ前モカ! 目ノ色変ワル傭兵……死ネ!」

 怒りに震える女王がオレ達に向かって粘糸を吐き出す。それを左右に飛び退(の)いてかわし、自分の外套で鼻と口を覆ったフレイアから距離を取りながら、オレは挑発するような言葉を女王に投げつけた。

「幻惑が使えないとなると哀れなものだな。お前の武器は当たりもしない粘ついた糸と無様に突き出たその歯だけだ。仲間は全て死に、操っていた不細工な魔物の手駒も尽きた……さあ、どうやってこのオレを倒す? それとも逃げるか? 一年前のように、ラダフィート山脈の向こう側へ!」
「……ギギィ!」

 下手に知能が高いというのは、哀れなことなのかもしれないな。易々と挑発に乗った女王は目の色を変えてオレに襲いかかってきた。

「喰らい尽くせ、魂食い(ソウルイーター)」

 オレの意思に応じ、手にした魔剣が仄暗い輝きを帯びる。刀身からざわざわと黒い瘴気のようなものが立ち昇り、力に満ち満ちた圧倒的な闇の気配がオレを取り巻いた。怒りに我を忘れオレを噛み殺さんと飛び込んできた女王の口に、刹那の速さで闇を纏った魔剣を突きこむ!

「捕食」

 オレがひと言放つと、不気味な音を伴い肉体の内側から魂食い(ソウルイーター)に全てを喰い尽くされる女王の身体が苦悶にのたうった。

「オッ、ブッ……ギュウゥゥゥッ!」

 捕食者に囚われた幻惑蛾の女王は苦しみに満ちた末期の声を上げ、ほどなくして中身を全て吸い尽くされた亡骸が、力なく地面へと落ちていった。

「他の魔物に比べて知能が高かろうが、所詮は虫だな」

 それを見下ろし、皮肉気に嗤(わら)う。そのオレの耳に、激しく動揺した様子のフレイアの声が飛び込んできた。

「なっ、なっ、なっ……」

 言わずもがな、手にした魔剣を『魂食い(ソウルイーター)』と呼んだオレの正体が『ランヴォルグ』であることを彼女は悟ったのだろう。よほどの衝撃を受けたらしく、身体をわななかせたまま二の句が継げずにいる。そんな彼女にオレは人を食ったような笑顔を返した。

「どうしたんですか? ふるふると震えて」
「あっ、あっ、あんたっ……何で!? ドルクって……偽名!?」
「偽名じゃありません」
「そんなっ、だって、じゃあ何で!? その剣……魂食い(ソウルイーター)なんだろう!?」
「そうです」
「偽名じゃないんなら、何でっ! おかしいじゃん! 何で、ランヴォルグの剣をあんたが!?」

 噛みつくように問い質すフレイアとは対照的に、オレはどこまでも落ち着き払って答えた。

「ああ……ギルドの誤登録なんです、それ」
「はぁ!?」

 フレイアが紅蓮の瞳をまんまるに見開く。

「あなたの言うランヴォルグという名前……ギルドの、誤登録なんですよ」
「えええ!?」
「オレの本名はランドルクなんです。ドルクというのはまあ、愛称ですね」

 フレイアは信じられない、といった面持ちでしばらく言葉を失った後、我に返ったように大声を上げた。

「何それ!? な、何で誤登録の申請をしてないの!?」
「面倒くさくて」
「はぁ!?」
「というのは半分冗談なんですが、まあ偽名で登録されていた方が色々な意味で好都合かもしれないと思って。何かの時に使えるかな、と。それでそのまま放ったらかしているんです」

 この女(ひと)は、本当に表情が豊かなんだな。

 感情のままにくるくると表情を変えるフレイアを見て、思わず口元から笑みがこぼれる。本人は現実を飲み込むのに必死なので、とてもそんなことを言えた状況ではないのだが。

「ならどうして『ドルク』なんてわたしに名乗ったのさ! 同業者だってのは分かりきってるし、始めからランヴォルグで名乗れば良かったじゃん!」
「何でですかね……自分でもそこは少し不思議だったんですけど。……あなたに嘘をつきたくなかったんだと、今ではそう理解しています」

 そうだ……今なら分かる。オレは彼女に嘘をつきたくなかった。

 ランヴォルグを連想されかねない本名のランドルクと名乗るには抵抗があった。だから、愛称のドルクを名乗ったんだ。

「はあぁ!? どの口が! どの口がそう言う!? 結果的にスゴくだまされているんだけど!」
「嘘はついていませんよ。あなたがオレを知らなかっただけで」

 そう言うと、フレイアは一瞬考えるように黙り込んだ後、弾けるようにして言い募った。

「でも、じゃあどうして『ランヴォルグ』をおとしめるようなことを言ったのさ。わたしにあんな真似までして……!」

 言葉尻に、悲し気な語調が滲んでいた。彼女としては好意を抱いていた他でもないランヴォルグ自身に手ひどく裏切られた思いなのだろう。屈辱に頬を赤らめ、沈痛な思いを噛みしめる彼女を見て、改めてあの夜のことが後悔された。

 あの時のオレは最低だった。自分の子供じみた感情に振り回されて、行き場のない激情をそのままに彼女へとぶつけた。完全な八つ当たりだ。

 どれだけ、彼女を傷つけたのだろう。

「あれは―――すみませんでした」

 心からの言葉が出た。

 オレをにらみつけるようにしていたフレイアが、耳にした謝罪の言葉に驚きの表情を見せる。

 いくら詫びても、詫び足りない。せめて、真実を伝えよう。例え、どれだけ格好悪くとも。

「あれは……目の前にいるオレ自身を差し置いて、あなたがあまりに『ランヴォルグ』を持ち上げるような発言をするから……面白くなくて」
「え……何、それ」

 まあ、そういう反応になるよな……。

 発言の真意が掴めなかったのだろう、困惑を刻みながらねめつけてくるフレイアに、オレは苦り切った表情で言い切った。

「面白くなかったんです。あなたが、『ランヴォルグ』に好意的な発言をすることが」
「な……何それ……自分で自分にやきもちを妬いていた、ってこと!?」

 ああ、その通りだ、自分でもバカすぎて格好悪すぎて頭が痛い、だが実際にそうなんだ、仕方がない。

 半分ヤケだ。オレは開き直って彼女に宣言した。

「まあ、端的に言えばそうなりますね。あれはあなたが頭の中で作り上げた理想の男であって、オレ自身ではありませんでしたから」

 フレイアは混乱の極みに達したようだった。

 ここまで愛想のあの字もなかった相手から突然好意を向けられたのだ、当然と言えば当然の反応だ。何しろオレ自身、ついさっきまで自分の気持ちに気が付いていなかった。彼女の魔眼を見て、ようやく自分の気持ちに気が付いた次第なのだから。

 思考の渦の只中にいるフレイアは傷を負っていた。オロフの爪で防護マスクを剥ぎ取られた時の傷だ。右側の頬から耳にかけて擦過創と、耳の上部、耳輪(じりん)にオロフの爪痕がざっくりと刻まれて痛々しく裂けている。出血もかなりしていて、彼女の右肩は流れ落ちた鮮血で赤く染まっていた。

「それよりも、見ていて痛そうなんですけど―――それ」

 混乱の最中にいるフレイアに声をかけると、「ひゃえっ!?」というような妙な声を出された。そんな彼女の様子に思わず頬を緩めながら尋ねる。

「耳。痛くないんですか?」
「え? あ……」

 オレに言われてフレイアは怪我をしていたのを思い出したようだった。思い出したことで痛みが甦ったのだろう、わずかに顔をしかめる。

「治しますよ」

 オレは自らの防護マスクを外し、フレイアに歩み寄った。途端、彼女があせったように後退(あとずさ)る。

 オレの「治す方法」を知っている彼女とすれば当然の反応だ。傷を癒したい気持ちと、その為には「あれ」を受け入れねばならないジレンマに苛まれ、動揺している様子が伝わってくる。

「……見せて下さい」

 フレイアが迷いを見せているうちにオレは手を伸ばし、彼女の左の頬に右手を添えた。同時に自分の左手で彼女の左肩を抱き寄せるようにしてやや強引に右側を下向かせる。

「ま、待って、ちょっと」

 フレイアが遅まきながら制止の声を上げた。だが、もう遅い。

「待ちません」

 薄く笑って、オレは傷を負ったフレイアの耳に口付けた。
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