魔眼 カンタネルラ

03


 翌日カンタネルラを訪れたわたしとリルムは、女性と見紛うような可愛らしい顔立ちをした男性スタッフに更衣室まで案内されていた。

「こちらで施術用のお召し物にお着替えいただきます。お着替えが終わりましたら更衣室内にございますガウンを羽織っておいで下さい。施術ルームまでご案内致します」

 そう言って手渡されたのは小洒落たカゴの中に入った三角ビキニとショーツのセットだった。

 またビキニ! 何かダハールへ来てから、ビキニばっかり着ている気がするぞ!

 まあ、香油を使っての施術となると仕方がないのかなぁ? それにしても昨日から男性スタッフしか見ていない気がするんだけど……こういうところを利用するのが初めてだから何とも言えないけど、エステティックサロンって、女性スタッフが主なものなんじゃないのかな? 女性専用の美容サロンなんだし……。

 利用者がかち合わないように配慮されているのか、予約がいっぱいなはずなのにも関わらず、通された更衣室内にはわたし達の姿しかなかった。

「ここって男性スタッフが多いけど、施術者はさすがに女性だよね?」

 ガウンを羽織りながら少し気になったことをリルムに切り出すと、彼女は大きな緑色の瞳を瞬かせて爆弾発言をした。

「何言ってるの、ここのスタッフは全員男性でしょ? 昨日説明を受けた時、最後の方でチラッと言っていたじゃない」

 ―――ええ!?

「き、聞いてない! 聞いてないぞ!?」

 心底驚いて、目を見開きながらそう訴えると、溜め息混じりに諭された。

「フレイア、後半ほとんど話を聞いてなかったでしょ」
「うっ」

 それを言われると! だって色々細かくて細かくて聞く気力が持たなかったんだあぁ!

「わ、わたしやっぱりやめる。男性スタッフだとは思ってなかった」
「今更何言ってんの? 処女じゃあるまいし、水着の上からマッサージしてもらうだけじゃない。ほら、行くわよ!」
「わわ、ちょっと!」

 混乱して頭の整理がつかない状態のまま、わたしはリルムに強引に腕を掴まれ外へと引っ張り出されてしまった。

「では、ご案内させていただきますね」

 廊下で待っていた可愛らしい顔立ちの男性スタッフににっこり微笑まれて、そのまま流されるように施術ルームへとたどり着いてしまう。リルムとは隣り合わせの部屋だった。

「じゃあね、フレイア」

 晴れやかな顔でひらひらと手を振って、リルムが隣の個室の中へと消えていく。

「間もなく担当スタッフが参りますので、こちらでお座りになってお待ち下さい」

 案内してくれた男性スタッフに折り目正しく一礼されて通された部屋のドアを閉められてしまい、一人になったわたしは呆然と室内を眺めやった。

 清潔感のある落ち着いた造り。広さ的には一般的な宿屋の一人部屋くらいだろうか。施術用の大きなベッドが中央に置かれ、壁に飾られた絵画や小洒落た調度品、さり気なく飾られた花なんかがどことなく格調高さを醸し出している。

 室内には仄(ほの)かな花のような香りが漂っていて、傍らには立派な背もたれのついた貴族の令嬢が腰掛けるような椅子があったけれど、とてもそれに座る気にはなれなかった。

 え……ええーと? ちょっと待て。何か変だぞ。

 顎に指をあてがい、混乱中の思考を慌ただしく整理する。

 ここは女性専用の高級美容サロンで、ひと月先まで予約が埋まっているほどの人気で、でもスタッフが全員男性で……!? ど、どうなっているんだ!? 何か変じゃないか!?

 こんな格好で男の人に施術されるの、世の女性達は恥ずかしくないのか!? 嫌じゃないのか!?

 わ、わたしは嫌だ! どんな目的であれ、ドルク以外の男の人に肌を触られるなんて!

 リルムには悪いけど、やっぱりやめて帰ろう!

 その結論に達した時、静かなノックの音が響き渡り、わたしはぎくりと背を強張らせた。

「失礼致します」

 そして続いたその声に、耳を疑った。

 ―――え!?

 まさか、と思いながらドアを見やると、施術スタッフ用とおぼしき淡い青色をしたゆったり目の半袖長ズボンを着用した見覚えのある容貌がそこから覗いて、言葉を失う。

 施術用の道具を乗せたワゴンを押しながら室内に入ってきたその人物は、穢れのない清らかな面差しをこちらへ向けてにこやかに微笑み、立ち尽くすわたしにこう名乗った。

「本日お客様を担当させていただく一日限定スタッフのランヴォルグです―――宜しくお願いします」



   
*



 これが、この状況が、混乱しないでいられるだろうか。

「な……何? 何やってんの? 一日限定スタッフ? 意味が分からな……」

 困惑しながら言葉を紡ぐ立ったままのわたしを見やり、スタッフ用の制服を身に着けたドルクは少し口角を上げるとこう尋ねてきた。

「もしかして、帰ろうとしてました?」
「う……うん。さっきここのスタッフが全部男性だって知って……」
「恋人としては嬉しい判断ですね」

 まだ慣れない「恋人」というワードに面映(おもは)ゆさを覚えながら、わたしはドルクに訴えた。

「説明してよ、状況が掴めないんだけど」
「一昨日の飲み会の席であなた達が帰った後、戻ってきたベルンハルトからの情報で知ったんです。ここが『淑女達の火遊び場』と噂されているということを」
「火遊び場!?」
「表向きは高級美容サロンですが、その実は富裕層の婦人達をターゲットにした会員制男娼クラブなんですよ、ここは。会員は金さえ出せば一夜の相手として気に入ったスタッフをお持ち帰り出来るんです」
「えええ!?」

 予想もしていなかったその話にわたしは驚いて目を剥いた。

 嘘だろ!? もしかして「会員特典」ってそれ!?

「リルムは、それ」
「知っていましたね、ほぼ間違いなく」

 だからか! だから気合を入れた下着を着けて来いって……だからわたしが処女でないと知って安心した顔をしていたのか!

 さすがに男性経験のない相手をこんなところへ連れて行くのはリルム的にも憚(はばか)られたということなんだろうけど、うーん、この事実を黙っていたことを好意的に取っていいものかどうか。

「エリスはこのこと」
「知らなかったでしょうね、間違いなく」

 だよなぁ。彼女、このことを知ったら卒倒するんじゃないかな。誰だよ、エリスにこんなものを贈った輩(やから)は。

「で、あんたはどうしてそんな格好をしているわけ?」
「言うなれば『恩返し』ですかね? この事実を伝えたところであなたはともかく、リルムが説得に応じるとは思えなかったので。いつもなら放っておくところですが、今回はアレクシスにも世話になった手前、そういうわけにもいかなくて。行くことを止められないのなら、こちらから乗り込もうと」

 何ていう、無茶で大胆な発想と実行力だろう。

「よくカンタネルラ側が許したね? こんな横暴」
「こういう稼業を営む者は大概、脛に傷を持っているものでしょう? クンツの一件と併せてそれとなく匂わせてやったんです」

 脅しだな。完全なる脅し。

「渋々ながら了承してくれましたよ」

 人畜無害な顔でにこやかに語りながら、ドルクは手際良く施術用とおぼしき道具の準備を進めていく。

「じゃあアレクも来てるの?」
「隣のリルムの部屋に行ってますよ。ベルンハルトも来ています、カンタネルラ側を見張る要員として」

 ベルンハルトまで駆り出されているのか、ご苦労様。

「でも、その割には静かだな?」

 わたしはちら、とリルムの部屋の方に視線を投げた。あの二人のことだ、騒々しく言い合いに発展しそうなものだけど……。

「ここ、壁が特殊な防音になっているんですよ。ある一定の音域の声以外は通らないようになっているんです」
「ある一定の音域?」
「そのうち分かると思いますよ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべてドルクはわたしを促した。

「それはさておき、せっかくですからこの状況を楽しみましょう? おまかせの全身美肌コースでしたよね? ガウンを脱いでうつ伏せになって下さい」
「え? やるの!?」
「この為に昨日一日研修を受けたんです、マッサージの組み合わせから使う香油や室内に焚く香の種類までオレが考えて決めました。試してみて下さい」
「研修受けたの!?」
「まがりなりにも一日限定のスタッフですからね。無償ですけど。ノウハウは学んでおかないと」
「じゃあ昨日わたしと会ったのは、もしかしてここの研修の帰りだった!?」
「ええ、そうです」

 な、何だってぇぇ!

 何でもないことのようにあっさりと認めた彼に、わたしは仰天した。まさかそんなことをやっていたなんて、あの時は夢にも思わなかった。小さな動揺を押し隠したわたしより、ドルクの方がよっぽど上手に素知らぬふりを決め込んでいたということか。

 その事実に人知れず小さな敗北感を覚えたけれど―――まあ、いいか。化かし合いでこの男に勝てないのは分かってるし、今更だ。

 それにちょっと恥ずかしいけれど、好きな相手の手で綺麗になれるなら嬉しいし、それから……本番前に心臓を慣らしておくのもいいかもしれない。

 何より……ドルクがわたしの為に色々考えて決めてくれたということ自体が、嬉しかった。

 室内に満ちる仄かな花の香り……落ち着いて嗅いでみれば、わたしが好きな優しい花の香りだ。

「じゃあ……せっかくだし、お願いしようかな」

 ガウンの合わせ目を解いて静かに脱ぎ去ると、ドルクが小さく息を飲むのが分かって、わたしは頬を赤らめずにはいられなかった。

「な、何」
「いえ……水着が変わるとまた新鮮だと思って」

 そんなふうに言われると、恥ずかしいじゃん! 意識させるなよ!

「うつ伏せになればいいの?」

 気恥ずかしさを押さえつけて、そう尋ねる。施術用のベッドは上部の中央部分に縦長の丸い穴が開いていて、その左右は手を置きやすいよう特化した造りになっていた。

「ええ。そこの穴を覗くようにして顔を置いてもらって、脇を軽く開いて肘を曲げた状態にして腕を置いて下さい。腕を置いた部分は可動式なので若干上げ下げ出来ます。もう少し上げたり下げたりした方が楽であれば言って下さい」

 言われた通り穴を覗くようにしてうつ伏せになると、ベッドの下の磨き上げられた床が見えた。

 おお、これなら呼吸も苦しくないし首も楽だ。良く考えられているな。

 手の位置も辛くはないし、このままで特に問題なさそうだ。

「このままでいいよ。大丈夫」
「分かりました。何かあったら言って下さいね。では、始めさせていただきます」

 ドルクの声と共に、腰から下に大判のバスタオルらしきものが掛けられた。

「まずは背中から入りますね。香油マッサージで筋肉をほぐしながら血行を促進していきます。この香油は七種類の花から抽出したエキスと上質のマホバ種子オイルをブレンドして作られたもので、凛と咲く美しい花々を連想させる清涼で洗練された香りがあなたのイメージに合うと思いました。肌の潤いや弾力を保つ効果があって、日焼けのダメージなども回復してくれるそうですよ。
ちなみに室内に焚かれた香は、落ち着きと癒し効果があると言われるハーブと相性のいい柑橘系の花のブレンドです。あなたが好きな上品で優しい花の香りに近いものを選びました」

 そんなことを考えて選んでくれたんだと思うと、温かい感情で胸がいっぱいになった。

 ヤバい、どうしよう。スゴく嬉しい。

 けれどその胸の高鳴りはすぐに、別の意味を持つものへと置き変わった。

「失礼します」

 形式的な断りと共に背中で結ばれていたビキニの紐が解かれ、わたしはぎょっとして声を上げた。

「えっ、ちょっと!?」
「大丈夫、脱がせるわけじゃありませんから。施術の間、邪魔にならないようこうさせてもらうだけです。終わったらちゃんと直しますから」

 苦笑混じりにそう言われて、恥ずかしかったけどホッとした気分になる。

 ああ、こんなんでホッとしてちゃ本番持たないな―――そうは思うけど、人間急には変われないよなぁ。どうしたって恥ずかしいものは恥ずかしいし、緊張するものはしてしまう。

「では香油を塗っていきますね」

 そう前置きを入れて人肌程度に温められた香油を馴染ませたドルクの掌が背中に置かれ、優しく円を描くような動きを見せながら全体へと塗り広げられていく。

「ふわ……あったか……」

 無意識のうちにそんな呟きが唇から漏れた。

 とろみを帯びた伸びの良い香油はドルクの手に導かれ、清涼な香りをするすると肌の上に広げながら、わたしの疲れを癒すように筋肉の凝りを解きほぐしていく。

 ぬるま湯のようなその温かさと絶妙な力加減のドルクのマッサージが心地良くて、わたしはうっとりと瞳を閉じた。

 あったかい……ドルクの手、気持ちいい……。どうしてこんなに気持ちいいのかな……。

 背中に触れる男の人らしい掌としなやかな指先を意識しながら、わたしはうとうととそんなことに思いを馳せた。

 思い返してみればいつだってそうだった。

 彼の手は、指先は、その心地良さでわたしをいつも陶然とさせる。

 ドルクの手に触れられた箇所は甘やかな熱を帯び、特別な心地良さを訴えるんだ―――。

 こうして柔らかく筋肉をほぐされていくと、日々の中でいつの間にか疲れが溜まっていたんだなぁと実感する。意識していなくとも、知らず知らずのうちに肉体には負荷がかかっているものなんだな。時折自分でマッサージやストレッチをしたりもするけれど、それだと細かいところまで行き届かないものな。

 凝り固まっていた部分を優しくほぐされて、その部分がふわりと軽くなり温かさを帯びて、気持ちまでほっこりと癒されて、何だか眠たくなってきた。

 やがてドルクのマッサージは首の後ろや肩、そして両腕へと及んでいき、掌や指の先にいたるまで丁寧に揉みほぐしていく。血流が良くなり上半身がポカポカしてきて、心地良いドルクの指のリズムも手伝って、わたしの意識は次第にまどろみ、薄らいでいった。
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