おお、と思わず足を止めてその外観を眺めやるわたしを促し、鋼鉄の心臓を持つリルムが洗練された入口のドアをためらいなくくぐる。彼女の後に続いてピカピカに磨き上げられた床を通りフロントまで行くと、線の細い綺麗な顔立ちをした男性スタッフがにこやかにわたし達を出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」
「ああ、ううん、予約を取りに来たんだ。これをもらって……」
お金持ちの屋敷にいる執事のような格好をした彼にエリスからもらったチケットを見せると、それを確認した彼はふわりと笑んで、わたし達をフロント近くにあるソファー席へと案内した。
「本日はご来店ありがとうございます。当店の予約状況はひと月先まで埋まっている状態なのですが、実はつい先程、明日のご予約をキャンセルなさったお客様がいらっしゃいまして……本来なら順番をお待ちのお客様から順次ご案内させていただくところなのですが、こちらはプレミアムチケットになりますので、優先的にご予約をお取りすることが可能です。いかがなさいますか?」
「本当!? ぜひお願いするわ!」
わたしの同意も得ずに目を輝かせたリルムが即答する。
あんたねぇ……まあいいけどさ、わたし的にも早めの方がありがたいし。普通に待っていたらひと月かかるトコだもんな。
「かしこまりました。では二名様、ご予約を入れさせていただきますね。ご希望のスタッフのタイプなどはございますか?」
「そんなのも選べるの?」
目を瞠るわたしに彼は「はい」と答えると、このお店のシステムについて事細かに説明してくれた。
その内容を聞いてわたしは驚いた。もう、細かい細かい。それはもう、客の好みにここまで合わせてくれるのか!? という感じの細やかさで。
これ、自腹で来たらえらい金額がかかりそうだなぁ……。
わたしは丁寧な対応を続ける美青年スタッフの話に耳を傾けながら、ゆったりとして座り心地の良いソファーに背をもたれた。
店内は天井が高く広々とした高級感溢れる造りになっており、目に付くところにあるインテリアも全てが格調高くて、空間には仄(ほの)かに香水のような香りが漂っている。
わたしは希望スタッフ特になしの全身美肌コースというのをお願いすることにした。リルムはあれこれ説明を聞いて悩んだ末、わたしと同じ全身美肌コースで繊細な技術を持つスタッフ希望、という注文を付けた。
ひと口に全身美肌コースとは言っても、使われる香油の種類から個室の施術ルーム内で焚く香の種類や効能、リラクゼーション目的なのか痩身を兼ねるのか美肌を追及してワンランク上の施術をプラスするのかといった客の要望やマッサージの力加減、それに付随する諸々が選択可能で、それがあまりにも多かったから、わたしはもう途中で何が良いのか分からなくなってしまって、最終的に全部おまかせにしてしまった。
リルムは逐一全部自分でそれを決めていたからスゴい。
「会員様限定の特典もございますので、体験してご満足いただけましたら、ぜひ当店の会員登録をお願い致します」
にこやかにそう締めくくられて予約を終える頃には何だかドッと疲れてしまった。
「ラッキーだったわね、明日の予約が取れて」
帰り道、リルムは終始上機嫌で、にこにこしながら頭ひとつ分ほど高い位置にあるわたしの顔を見上げた。
「そうだね、ちょっと疲れたけどね……」
「今夜は節制して絶対に飲んじゃダメよ。酒臭いのとか言語道断だから! それと、綺麗になる為にも身だしなみから気を遣うことをお勧めするわ。明日は気合を入れた下着を着けてきた方がいいわよ」
「ええー、何、そこまでするの?」
わたしはげんなりとしながら、でも身につまされる思いでその言葉を聞いていた。
まあね、普段から気を遣っていないから、いざという時に「可愛い下着がない!」っていう事態に陥っちゃうんだよなぁ……反省。
「ねえリル、わたし丁度新しい下着が欲しかったんだ。買うの付き合ってくれない?」
良いタイミングとばかりにそう誘うとリルムは白い頬をほんのり赤らめてぎこちなく頷いた。
「い、いいわよ。あたしも下着を見たいって思ってたし。女同士で買い物に行くの、久し振り……」
「リルもか。お互い相棒が男だとそうなるよね」
「そ、そうね。一緒ね……」
どことなく嬉しそうにはにかんだ彼女の表情が可愛らしくて、何となく微笑ましい気分になる。
そしてランジェリーショップに立ち寄ったわたし達は色とりどりの下着を手に取りながら入念に品定めした。
うーん、こんなに真剣に下着を選ぶの、何年振りだろ?
上下おそろいで派手過ぎない可愛いのがいいんだけどなー。ドルクはどういうのが好みなんだろう? 本人は特段気にしないとか言っていたけど……。
あれこれ手に取り悩んでいると、わたしのチョイスを見ていたらしいリルムがそっと耳打ちしてきた。
「ねえ……もしかして、ランヴォルグに見せるヤツ選んでいる?」
うっ! な、何で分かるんだ……!
「いや、あ、あんたが明日は気合を入れた下着を着けてきた方がいいって言ったんじゃん」
ごまかそうとして不自然にどもってしまった、あああ、わたしの正直者!
「ふぅ〜ん? やたら清楚な感じのラインが多いけど……気合を入れるならこういうのじゃない?」
「こ、これは気合の方向が間違ってるじゃん! 大事な部分に布がないし!」
「これは?」
「お尻が全部出ちゃってるじゃん! キワモノを勧めるな!」
「男なら興奮すると思うけどな〜アレクなんか喜びそう」
「アレクとドルクは違うでしょ!」
あ。
しまった! 盛大に後悔したけれど、時すでに遅し。
「やっぱりそうなんじゃない。っていうかあんた達、まだヤッてなかったの? そのガチガチのラインナップ、絶対初めてでしょ」
えええ、下着のチョイスでそこまでバレるのか!? リルム、恐るべし!
「う、うるさいな。わたし達にはわたし達のタイミングがあるんだよ」
頬を染めてふてくされ気味にそう言うと、彼女は実にさらりとこんな問いかけをしてきた。
「フレイアってもしかして処女?」
小声とはいえ、こんなところで何て直球の質問を!
「違うけど。いいじゃん、ゆっくりだって」
真っ赤になりながら声を潜めて返すと、何故かリルムはホッとしたような顔になった。
「? 何でそれを聞いてあんたがホッとするのさ」
「何でそれを聞いてあたしがホッとしてるって思うのよ」
それはわたしが聞きたい! だって今、そういう顔していたじゃん!
「それにしてもランヴォルグ、こんなに長い間よく我慢しているわね。嘘みたいだけど、本当にフレイアのことが好きなのね……」
しみじみとそう言われて、失礼発言が織り交ぜられていたにも関わらず、わたしは赤くなってしまった。
「嘘みたいは余計だろ……」
「だって、あんたは知らないだろうけど、昔のランヴォルグって異性に対してスゴく冷めたところがあって、徹底的に割り切った関係しか持たなかったのよ。このあたしだってそういう意味では一回こっきりなんだから。
だから、この人は多分、誰も好きにならない人なんだろうなーって漠然と思っていたのに―――それがさあ、しばらくぶりに再会したらこんな変わり種に落ち着いていて、あたしがどれだけビックリしたと思う? しかも大事に大事に未だに手を付けてないわけでしょ?」
いや、最後を守っているだけで、手自体は結構出されていると思うんだけどさ。
「ようやく出来た好きな相手が傍にいるっていうのに、ずぅっと生殺しの状態が続いているなんて気の毒〜。あんた、鉄のパンツをはいた鬼よ」
鬼呼ばわりか! あんたのその発言の方が鬼だっての!
「ところで避妊具はちゃんと用意してる? ランヴォルグのことだからぬかりなく準備はしてくれるだろうけど、自分でも用意しないとダメよ、この職業を続けたいと思ってるならね。妊娠するのは女なんだから」
リルムの口からまともな発言が出た。それに少し驚いて、わたしは瞳を瞬かせながら小さく頷く。
「用意しようとは思ってるけど……」
「あたしのお勧めはねぇ、女性が飲む用の避妊薬かなぁ。男性用の避妊具を使うより、そっちの方が生で挿入出来るから気持ちいいし。形が分かるものね」
明け透けなその言いように、わたしは思わず赤くなって周囲を気にしてしまった。
「誰も聞いてないわよ」
だ、だって! あんたの発言、時と場所を選ばず自由過ぎるんだもん!
とはいえ―――気になる有益な情報ではあるので、わたしはリルムに額を寄せるようにして小さな声で尋ねた。
「女性用って、使ったことないんだけど……その、直前に飲めばいいの?」
「ものにもよるけど、何時間か前に飲んでおかないとダメなのが多いんじゃないかしら。だから急にそういう雰囲気になった場合は男性用の避妊具を使うしかないわね」
そ、そうなのか。
「ちなみにその、リルのお勧めは何ていうヤツ?」
「ええっと―――こういうショップにも置かれていたりするから、探せばあるんじゃないかしら」
リルムはそう言って売り場を移動すると、棚に置かれていた商品を手に取った。
「あったあった、これよ。お値段ちょっと高めだけど、効果はあたしで実証済み」
商品名が「ラブポーション」。分かりやすくて恥ずかしい。
液状(ポーション)タイプの少し青みがかった薬がいくつか小分けされたものが、乙女っぽいピンク色のパッケージに詰められている。
う、ううん。どうしようか? せっかくだし買っておく? 買うならこのタイミングでないと多分、勇気が出なくて買えない気がする。
―――ええい、女は度胸だ、勢いだ! こうして売っているってことはみんな買ってるんだもん、恥ずかしくない!
自問自答の後、わたしはそう奮起するとリルムお勧めのラブポーションと目を付けていた下着数点を手に取り、勢いのままにレジへと持ち込んだ。愛想の良い店員のお姉さんが顔色ひとつ変えずに伝えてくる商品の合計金額を手早く支払い、心の中でこっそりと汗を拭う。
は、初めて自分で買ってしまった、避妊薬。
こんなふうに変な緊張感を覚える買い物、初めてだったかも。
でも、とにもかくにもこれで「準備」は出来たから……後は明日のエステで少し綺麗にしてもらって、そうしたら―――そうしたら、今度こそ、ドルクと。
そこに思いが至ってしまったらカーッと全身が火照ってきてどうにもいたたまれなくなり、わたしは慌ててその考えを打ち切ったのだった。
*
そんなことがあったもんだから、外出先から戻ってきたらしいドルクと宿の部屋の前で鉢合わせた時、わたしは少なからず動揺してしまった。
「ああ―――今帰って来たんですか?」
いつもと変わらない口調で声をかけてきた彼に、平静を装って言葉を返す。
「うん、ついでに買い物もしてきちゃった。女同士で買い物するの久々だったから楽しかったよ」
「良かったですね。リルムも喜んだんじゃないですか? カンタネルラの予約は取れました?」
「ああ、リルも女同士での買い物が久々だってはにかんでた。カンタネルラの方は本当はひと月先まで予約で埋まっていたらしいんだけど、運良くキャンセルが出てさ。明日施術を受けられることになったんだ」
「それは幸運でしたね」
よし、動揺をおくびにも出すことなく自然に話せているぞ。ドルクもまさかわたしが手にした袋の中に避妊薬が入っているとは思わないだろうなぁ。
「そんなわけでわたしは明日リルとカンタネルラに行ってくるけど、あんたは?」
「アレクシスとベルンハルトと約束があるので、出掛けてきます」
「そっか、なら丁度良かった。二人に宜しく言っといて」
「伝えておきます」
わたし達はそんなやりとりを交わして別れ、それぞれの部屋へと入った。
でもその翌日、わたしは思い知ることになるんだ。
実はこの時、わたしなんかよりこの男の方がよっぽど何食わぬ顔でわたしに接していたんだという、その事実を。