魔眼 新たな日常

02


 お出掛けといっても、どの服を着ていこうとか迷う、そういう選択肢はないんだよなぁ……。

 ドルクと外出する日の朝、部屋に備え付けの姿見の前で髪を整えながら、わたしはそんなことを思った。

 何しろ根城を持たない、地方を巡回する移動暮らし。荷物は極力持たないようにしているから、戦闘服以外の私服となると洗い替え用の二種類しか持っていない。

 わたしは胸元がV開きになった白のスタンドカラーのスキッパーシャツとインナーに黒のタンクトップ、下はストレッチの利いた黒のアンクル丈の細身のパンツスタイルで、足元はコロンとした茶色のフォルムの踵のない靴を履いていた。腰には剣帯を巻き、壊劫(インフェルノ)を装備している。

「ドルク」

 隣の部屋のドアを軽くノックすると、中で待っていた彼がドアを開けた。わたしの方の準備が時間がかかるから、支度が出来たら彼を呼びに行くことになっていたのだ。

 ドルクは首元が広めに開いた白に近い淡い灰色の涼し気なリネン素材のプルオーバーを着て、いい感じに色落ち感のある藍色のフード付きベストを羽織っていた。プルオーバーの袖をラフに肘の辺りまで捲り上げていて、男の人らしい前腕の筋が浮き出ているのが見える。膝上の左右に大きなポケットがついて裾がリブになったやや細身のカーキ色のパンツを履いていて、足元は歩きやすそうなハイカットの編み上げシューズだった。彼も腰には剣帯を巻き、魂食い(ソウルイーター)を装備している。

 わあ……武装した姿と宿屋の備え付けの部屋着姿しか見たことがなかったから、新鮮だ。

 わたしと同じようなことをドルクも思ったらしい。

「毎日顔を合わせているのに、不思議な感じですね」
「そうだね。何かちょっと照れるかも」
「行きましょうか」

 わたし達は連れ立ってラナウイの町へと繰り出した。

「ラナウイは何度も来てるけど、こんなふうに散策するのは初めてだなぁ」
「オレもです。ここはいつもフロール地方のギルドへ向かう通過点という感じで……」
「わたしも。やっぱりそういう感じになっちゃうよね」

 ガランディア地方の南に位置するフロール地方の入口にあたるラナウイはガランディアとフロールの文化が融合したようなところがあって、ここにしかない独特の雰囲気を醸し出している。両地方の料理をいいとこどりしたご当地メニューや伝統的な民芸品、色とりどりの地産の恵みや珍しい品物はわたし達の目を楽しませた。

 せっかくだからお昼はご当地メニューを食べることにして、雰囲気の良さげなカフェのテラス席に落ち着く。

 あれもこれも食べてみたくてどれにしようか決めきれずに悩んでいると、ドルクがシェアを提案してくれた。どうせなら一種類じゃなくて何種類か食べてみたい。即答でそれに乗ると笑われた。

 だって名案だと思ったんだもん! まあいいけど。

 やがて運ばれてきた料理に幸せを感じながら舌鼓を打っていると、そんなわたしを見やりながらドルクが尋ねてきた。

「体調は大丈夫ですか?」
「うん? 見て、この食欲。平気だよ」
「ならいいんですけど。急に具合が悪くなったりしたら言って下さいよ」
「その時はちゃんと言うよ。あんた相手に我慢したりとかしないから」
「それだけ気を許してくれているっていう意味で取ります」

 うっ、そう来るか。

「……好きにしたら」

 わたしは視線を逸らしてぶっきらぼうに言った。もしかしたら頬が少し赤くなっているかもしれない。

 こいつはどうして、こういう……。

「そういえば聞いたことなかったけど……ドルクはさ、今まで誰かと組んでいたことあるの?」

 あんな女とか。こんな女とか。

 少しスレ気味にそんなことを考える。

「オレですか? 特定の相手と組むのはあなたが初めてですけど……複数対応の依頼を受ける時に何度か組んだことのある連中ならいます」
「へー……そうなんだ」
「あなたは? フレイア」

 名前を呼ばれて小さく鼓動が跳ねる。

 ドルクは普段わたしのことをあまり名前で呼ばないから、時々こうして名前で呼ばれると少しびっくりしてしまうみたいだ。

「わたしも似たような感じかなぁ……傭兵として活動を始めた最初のうちだけ、小さなグループに入っていたけど。二つ名を戴く頃には基本的にはもう一人で活動していたかな。複数対応の依頼だけ、その場限りの誰かと組む感じで……」
「あなたは魔眼に認定されるのが早かったですよね? そんなに早くから一人で活動していたんですか?」
「わたしの場合は普通と逆で、12歳の時に壊劫(インフェルノ)に選ばれたのがこの世界へ足を踏み入れるきっかけだったからね。それまでは剣を握ったこともなかったから、ギルドに引き取られてしばらくは剣技や体術の訓練漬けだったよ、地獄だった」

 あれは……キツかったなぁ。帰る場所さえあったなら、多分逃げ出していた。

「14歳で実戦訓練を始めて、その時小さなグループに入っていた。16歳になって魔眼として公式に認定されて、『紅蓮の破壊神』っていう不名誉な二つ名を戴いてからは基本的に一人だな」

 わたしの話を聞いたドルクは驚いた様子で、こげ茶色の双眸を瞠った。

「剣を握ったこともなかった女の子が、わずか二年で……」
「そうだよ、ひどい話だろ? 死んだ方がましだって何度思ったことか」
「……。それにしても今更ですが、いくら魔眼とはいえ、傭兵の世界で16歳の少女が単独活動をするというのはかなり無謀じゃありませんか? 無事にここまで来れたから良かったものの、危険すぎますよ」

 わたしが単独行動を取るようになったのは、実はあるきっかけがあったからなんだけど……まあ今ここでドルクに言うことじゃないな。せっかくの楽しい気分をふいにしちゃうの、もったいないし。

「世の中を知らなかったからね、無謀だったんだ。でもそのおかげで色々と勉強になったこともあったから、結果的にはまあ良かったのかな」

 無難に答えて、煙に巻く。そして存外、自分がこの外出を楽しんでいるのだと自覚した。

 ……まあ、昨日までは特に何をするわけでもなく、時々来る生理痛をいなしながら心ゆくまで惰眠をむさぼったり、溜まった洗濯をしたり、武具の手入れをしたり……久々にゆっくりしすぎてちょっと暇だったからね。うん、その反動もあるのかもしれない。

 美味しいご当地メニューを満喫しながら初めての相棒とこうして過ごす穏やかな休日は、ゆったりと流れる時間が心地良くて、悪くなかった。



*



 昼食を堪能し終えたわたしは、カフェの近くにある公衆トイレまで足を運んでいた。

 ドルクはさっきのカフェで食後のコーヒーを飲みながらわたしを待っている。

 手を洗っていると、わたしの隣で手を洗っていた10歳くらいの女の子がびしょびしょの手をわたしに向かって差し出してきた。

「お姉さん、手を拭くもの、貸して」
「いいよ、どうぞ」

 ハンカチを差し出そうとしたその時、剣帯に付けたポーチの辺りに怪しい気配を感じて、わたしはそれをとっさに掴んでいた。

「いたた!」

 13〜14才だろうか、手を濡らした女の子より年長の女の子が、わたしに手首を掴まれて悲鳴を上げた。片っぽがターゲットの気を逸らしている間にもう片っぽが獲物をいただく、典型的な二人組のスリだ。

 通りにもそれっぽいのがけっこういたけど、人の出入りのある町はどうしてもこういう連中がはびこる傾向にあるな。

「コラ! あんた達、こんなことしちゃダメでしょ!」

 大人として正しい道を説こうとすると、わたしに手首を掴まれた年上の方がわたしをにらみながらキイキイわめいた。

「いったーい! 離してよ、怪力デカ女ッ!」

 な、何だとぉっ!

「お姉ちゃんを離せっ!」

 気色ばむわたしの背後から妹が叫びながら派手に手洗い場の水を引っ掛けた。

 うわっ! 冷たい!

 思った以上の冷たさに身が竦む。一瞬の隙を突いて姉がわたしに掴まれた腕を奪還し、もう片方の手で剣帯のポーチから素早くピンクのもふもふを抜き取った。

 ―――あ!

 ガランディの街でドルクに買ってもらったうさぎのストラップだ。わたしはそれをドルクとの共用の財布に付けていた。

 一緒に行動するようになってから、会計をいちいち分けるのが面倒なので、お互いに同じ金額をこの財布に入れておき、なくなったらまた同じ金額を入れるようにして、交代で持つようにしていたのだ。ラナウイではわたしが管理する番だった。

「ちょっ……コラ! 待ちなさい! 待てって!」

 子供だと思って油断した!

 慌てて後を追いかけるがスリの姉妹はすばしっこかった。自分達の縄張りを風のような速さで路地から路地へとすり抜けていく。

 ここ、道か!? というようなところを何度か通り、廃屋が立ち並ぶ、まともな地元民が立ち入らないような完全に怪しい場所へ出た。

「しつっこいな、デカ女!」
「大人をナメるなよ、ガキんちょ!」

 その時だった。路地の影から出てきた体格のいい男達に衝突するようにして姉妹が派手にすっ転んだ。姉の手から投げ出された財布が地面に転がり、それを男の一人が拾い上げる。

「おお、いってぇぇぇぇ……前見て歩けよ、クソガキ!」
「ごめんっ! あ、それ、返して、あたし達の!」

 うさぎのストラップの付いた財布を指し慌てて手を伸ばす姉妹を、男達は鼻で笑って見下ろした。

「はァ? コイツは迷惑料でオレ達がいただくに決まってんだろ」
「え!? そんなっ!」

 いやいや、それ以前にそれ、わたしのものだからね。

「ちょっと! 本当の持ち主を差し置いて何言ってんのあんた達。それ、わたしのだから。返しなさい」

 見るからに怪しい奴らに取られてたまるか。ドルクにどんな嫌味を言われるか分かったもんじゃない。

「何だおネエさん、腰に物騒なモンぶら下げて。剣士さんか? あんたのモンだっていう証拠はあんのかよ?」
「証拠はないけど。このスリの姉妹に財布をすられて追いかけているの、状況的に見て分かってるでしょ? それ、間違いなくわたしのものだから。もう一度だけ言うよ、返して?」
「いやいや、そんなの知らねーし……。どうしてもって言うならオレ達の相手をしてくれよ、一人一回でいいからさ。そしたら渡してやるよ」

 男達は下卑た笑いを浮かべてわたしの全身に目を走らせた。ねっとりとした不快な視線に思わず目をすがめる。

 ドルク以外に女認定されるのは久々だけど、まったくもって嬉しくない。

 こういう連中がすんなり返してくれるとは思えないし、交渉決裂だ。後は実力行使あるのみ!

 勝負は一瞬で着いた。当たり前だけどあんな連中、わたしの相手にもなるわけがない。

 のびた男達の手からピンクのもふもふの付いた財布を奪還する。土埃を払いながら、そっと安堵の吐息をついた。

 良かった……無事で。

 スリの姉妹は……どさくさに紛れて逃げたか。お説教をしてやりたいところだったけど、まあ仕方がない。

 それより、早く戻らないと。だいぶ道草を食ってしまった。待ちぼうけを食らったドルクが苛立ちながら気を揉んでいることだろう。ならず者よりそっちの方がよっぽど怖かった。

 そんなことを思いながら財布をしっかりとポーチにしまい、踵(きびす)を返そうとした時だった。

「……フレイア。こんなところで会うとは思わなかったな」

 聞き覚えのある、ぞっとする声音が耳朶を打ち、わたしは弾かれたように振り返った。

 この声……!

 まさか、と思った視線の先に、記憶にあるよりも幾分か年輪を重ねた見覚えのある顔を見出し、息を飲む。

「レイゼン……!」

 ならず者達を背後に従わせた体格のいい中年の男が、手下にスリの姉妹の喉元に刃をあてがわせ、そこに佇んでた。
Copyright© 2007- Aki Fujiwara All rights reserved.  designed by flower&clover