魔眼 あなたには、敵わない

02


「ぬ、脱がせるだけ! 百歩譲って脱がせるだけだからな!? それ以上はダメだから! ダメだからな!? 絶対!」

 真っ赤な顔で何度も何度もそう念を押してくる恋人に、オレは小さく笑みをこぼしながら尋ねる。

「キスするのは? ダメですか?」
「え? キス? それくらいなら……まあ、いい……けど―――」

 腕の中の可愛い人から、思案しながらの許可が出る。オレは微笑んで、可能な限りの譲歩を引き出そうと言葉を繰り出す。

「触るのは? 少しくらい触りたいんですけど」
「ダ、ダメ! シャワー浴びてないし、やだ!」
「触るだけですよ。触るだけなら良くないですか? なめたりしませんから」

 言いながら防護スーツに手を伸ばしハイネックの後ろのファスナーを引き下ろし始めると、それに気付いたフレイアから慌てた声が上がった。

「ちょ、待て! 待てってば!」
「脱がせるのはいいんでしょう?」

 肩甲骨の辺りまでファスナーを引き下ろすと、黒い防護スーツの合間から滑らかな肌と白い下着が覗いて、その艶(なま)めかしい色の対比に言いようのない興奮が高まるのを覚えた。

 戦闘服を脱がすという行為は衣服やガウンを脱がすのとはまた違って、背徳的な高揚感がある。

「や……やっぱり無理! ストップ!」
「どうして?」
「冷静に考えたら、この状況で脱がせるだけで済むとは思えない」
「…………」

 オレは口元を笑みの形に刻んだまま、そう言い切ったフレイアと無言で見つめ合った。

 この人は酔っていてもこういうところが手強いな。しっかりしていないようでしっかりしていて、簡単には流されてくれない。

「だから、ダ」

 ダメ、と完全に幕引きされてしまう寸前にオレはキスで彼女の唇を塞いで、背中の途中で止めていたファスナーを最下部まで引き下ろした。うなじから腰の付け根まで、背面が大きく開いた防護スーツは肩口の辺りがぶかっと浮き上がり、瑞々しい彼女の素肌を露わにして、普段は装備者を防護する役割を担う黒い戦闘服をエロティックで煽情的な装いへと変貌させた。

「んんっ! ちょ……!」

 あせってオレの胸を突っぱねるフレイアに執拗に唇を重ねながら、露わになった彼女のうなじから腰にかけて、ゆったりと爪先で撫で下ろすようにすると、均整の取れた肢体が細かくわなないて、感度の良い反応を見せた。

「ドル、ク……!」
「フレイア。見て」

 抗議の声を上げようとした彼女の耳朶に唇を寄せて、オレはその視線を備え付けの姿見へと誘導した。

 偶然だが、姿見に映る位置でオレ達は足を止めていて、鏡の中には防護スーツを脱がされかけあられもない姿になった彼女を抱き寄せるオレと、頬を紅潮させてオレに縋りつくような格好になった彼女とが映っていた。

「…………!」

 自らの衝撃的な姿を目の当たりにして絶句する彼女を尻目に、オレは露わになった細腰に添えた手を下へ滑らせると、無防備になっていた彼女のショーツの中へと差し入れた。

「! やっ……!」

 赤い顔で頤(おとがい)を跳ね上げた彼女のそこは既に熱く潤っていて、指を動かすと卑猥な音が聞こえてきそうなくらい、しとどに濡れていた。

「スゴいな……。こんなに濡らして……キスだけでそんなに感じていたんですか……?」

 予想以上の彼女の状態に自然と息が荒くなるのを覚えながら、わざと羞恥心を煽るような言葉を囁いて、愛液でぬめる指を動かす。

「酔って、いつもより感じやすくなっています……? それとも……脱がされる自分を見て興奮しました……?」
「……! ……っ!」

 真っ赤になってぎゅっと目をつぶり、オレにしがみつくようにしているフレイアは、身体を震わせ熱い吐息を漏らすだけで、意地悪な質問に答える余裕がない。

 防護スーツを身に纏わせたまま、暴かれた肌を上気させて切なげに快感を堪(こら)える彼女の姿は、オレの劣情をこの上なく刺激した。

 ―――『紅蓮の破壊神』の二つ名を冠し、戦場で圧巻の剣を振るう、強く尊く美しい女性(ひと)。この女性(ひと)のこんな姿を見ることが出来るのは、オレだけだ―――。

 崇高な戦女神をただの一人の女へと転じさせていくような背徳感と高揚感が、胸に迫る。

「どんどん溢れてきますね……防護スーツ、早く脱がないと濡れちゃいますよ」

 ぬるぬると秘裂を滑り、時折敏感な突起をかすめて、ひくつく入口に浅く指を沈めて緩く掻き混ぜ、彼女の反応を堪能していると、きつく結ばれていた形の良い唇から堪えきれない悩ましい声が漏れた。

「ぁっ……! っ、ぁ……あぁっ……!」

 抑えきれない興奮がぞくぞくと腰骨を這い上って、下半身に痛いほどの血流が集中する。オレは中途半端にもどかしさだけを募らせた指を止めると、下着から引き抜いて、ぬらぬらと濡れそぼるそれを彼女に見せつけた。

「……! や……」

 その光景を直視出来ず、耳まで染めて視線を逸らしたフレイアは、長い睫毛を伏せ弱々しい声を絞り出すようにした。

「待って……するなら、シャワー、浴びたい……」

 女性としてその要望はもっともなものだったが、オレは今、このままの彼女を抱きたくてたまらなかった。

「待てません。今ここで、ありのままのあなたを抱きたい」
「な、何で……さっきも言ったけど、重い装備を着て一日動き回った後で、わたし的に色々気になるんだってば。いくらあんたに大丈夫だって言われても……」
「汗をかいたのが気になるなら、触るだけにしてなめませんから」

 オレは渋る彼女の茶色の双眸を見つめて、熱っぽく訴えた。

「女性として常に身綺麗でいたいという気持ちは分かりますが、男としては今この瞬間の、ありのままの相手を抱きたいという欲求も強いんですよ。それこそが、自分だけが見れる特別な姿だとも思うからです。……さっき自分がオレに言った言葉、覚えてますか?」
「え?」

 瞳を瞬かせるフレイアに、オレは先程の彼女の言葉を引用してみせた。

「酒場でこう言いましたよね。『もっと見せてよ、素のあんたを』って。オレもね、見てみたいんです。ありのままの、素のあなたをもっと。だから今ここで、このままのあなたを抱かせてくれませんか」
「ええ!? こ、ここでそう持ってくる!?」

 まさかそう来るか、と唸りながら、彼女はなし崩し的にオレに丸め込まれまいと一人気を吐いた。

「それとこれとは、別! わたしが言ったのは精神的な面の話であって……!」
「これもある意味、精神的な面の話だと思うんですけど。夜用の下着を含む事前準備はあなたにとっての心構えであって、ある種の自分を護る防具と言えるんじゃないですか?」
「!」
「だから今、それがない状態のあなたはオレの誘いに腰が引けている……違います? 全くの無防備で素の状態にあると言えるから、オレに求められるこの状況が心許なく感じられるんじゃありませんか?」
「……!」

 多少強引にこじつけたが、それでもほろ酔い状態の今のフレイアには核心の一端を突く言葉と受け止められたらしい。苦り切った顔になった彼女はひとつ息をつき、ふてくされた口調で呟いた。

「そういうあんたはどうなのさ……自分だけそうやって、鎧を着込んだまんまで」
「何なら全部、脱がせてみますか? あなたの手で」
「……。そんなふうにけしかけて、後悔するなよ」

 どこか諦めたようにそう言ったフレイアは、挑戦的な笑みを纏うとオレを軽くねめつけた。

 彼女のこういった挑発的な態度が、表情が、ひどくコケティッシュで、またオレを煽る。

「後悔なんてしませんよ」

 滾(たぎ)る欲望を笑顔でくるんで答えたオレにゆっくりとフレイアの手が伸びて、黒い金属製の鎧の留め具を外し始めた。

 やがて小さな金属音と共に全ての留め具が外され、彼女に手伝ってもらう形で鎧を脱ぎ去ると、彼女と同じ黒の防護スーツ姿となったオレのうなじにしなやかな指がかかり、ファスナーが腰の付け根まで一気に引き下ろされた。身体にフィットしていた素材が緩んで肌に空気が触れ、涼しさと開放感を感じる。

 黙々とオレの防護スーツを脱がしにかかっていたフレイアは、オレの両腕から身頃を引き抜きながら、ふとこんな感想を口にした。

「……。何か、脱がせていくのってドキドキするっていうか、変な感じがするものなんだな……」

 いつも脱がされる側の彼女にとっては、新鮮な感覚らしい。オレはそんな彼女に少々意地の悪い笑みを返した。

「興奮、しますか?」
「こっ……言い方!」
「オレはいつも興奮しますよ、あなたの服を脱がせる時」
「言わなくていい!」

 真っ赤になりながらオレのアンダーシャツを勢いよく捲り上げたフレイアは、次の瞬間何故かピタリと動きを止めると、胸の辺りまで捲っていたシャツをおずおずと引き下ろした。

「……? どうかしました?」
「や……。何か、肌が見えたら急に、生々しく感じちゃって……」

 整った顔を朱に染めてうつむいた彼女が漏らした理由があまりにも予想外で、その反動が胸に来る。

 自分がまだ脱がされている途中だったにもかかわらず、突き上げてくる衝動に導かれるまま腕を伸ばすと、はだけかけた彼女の防護スーツの肩の部分を掴み、その身頃を勢いよく腕から引き抜いて彼女の上半身を露わにした。

「わあっ!?」

 突然のオレの行動に驚くフレイアの残りの防護スーツを流れのままに引き下ろして脚から抜き去ると、にわかに下着姿にされてたじろぐ彼女の身体を抱き上げてベッドへと運び込んだ。

「や……ドルクッ……」

 戸惑いを顔に刻み、いたたまれなさそうに両腕を身体に巻きつけて、ささやかにオレの視界から肌を遮ろうとする彼女の下着はいつものセクシーなものではなく、飾り気のないシンプルな形状の白いハーフトップと、股上深めでヒップを包み込む形状になった一分丈の白いショーツだった。ハーフトップの肩紐はしっかりとした太めのもので後ろで交差する形状になっており、ホックのようなものはなく、被って脱ぎ着するタイプのようだ。彼女が言っていたように身体を動かしても胸が邪魔にならないよう、機能性を考えて作られたものなのだろう。

「その仕草、逆効果だって言いましたよね……」
「だ……だって、こんな……急に」

 ベッドの上でオレに組み敷かれるようにした彼女は、注がれるオレの眼差しに耐え切れない様子でそう言い淀んだ。

 これまで目にしてきた可憐で色気があるタイプの下着ではないが、シンプルで活動的なその下着は健康的な彼女に良く似合うと思った。

 これはこれで、いい。

「恥ずかしがらないで見せて下さい。綺麗ですよ」

 心から思っての言葉だったのだが、彼女としてはそれを素直に受け止めきれなかったらしい。

「普段使いの仕事用だぞ……こういう場面で好きな男(ひと)に見せる下着(モノ)じゃ、ない」

 への字口になった彼女から出た声は多分に懸念を含んだ響きだったが、当たり前のように滑り出た「好きな男(ひと)」というワードに、オレの頬は思わず緩んだ。

「仕事の後なんだから、仕事用の下着で当たり前です。オレ的には充分有りですよ……ほら」

 オレは彼女の手を取り、硬く張り詰めた自分自身へと導いた。

「着飾ったあなたも素敵だけれど、普段の仕事モードのあなたも、オレには充分魅力的です」
「そう、なの……?」

 おず、と指を動かしてオレの状態を確かめたフレイアの表情がようやく和らぎ、視線を遮るように身体に巻き付けていた腕がほどけた。

「こんなムードもへったくれもない下着で、ガッカリしないのか……?」
「ガッカリするわけないじゃないですか。仕事用の下着を見てみたいって言ったの、オレですよ」
「……それも、そうか」

 口元をほころばせ、ホッと脱力した彼女の綺麗な赤毛を指で梳きながら、オレは少し意外に思って尋ねた。

「そこ、そんなに気になっていたんですか?」
「女としては気になるよ……好きな男(ひと)の前では、出来るだけ綺麗な姿でいたいって思うじゃん。こういう面のありのままを見せるのって、けっこう勇気がいるんだぞ」

 また当たり前のように「好きな男(ひと)」と言ってもらえる。それと合わせた彼女の言葉で自分がずいぶんと想ってもらえていることを実感して、満たされた気持ちになった。

 緩やかなクセのある赤い髪を梳いていた指を下ろして色づいた頬を包み込むようにすると、柔らかく瞳を細めた彼女がオレの掌に頬をすり寄せるようにしてきて、胸に何とも言えない甘い想いが広がった。

 酔ったフレイアはいつもより少し甘えたがりで、少しだけ素直だ。

「……オレのこと、すごく好きでいてくれているんですね」
「な、何……そうじゃなかったらこんなこと、許してるわけないじゃん」

 甘く見つめて微笑むと彼女は照れて口ごもり、ふいと顔を背けてしまった。

 いつもより深酒したこの状態でも、これは彼女の許容量を超えてしまうらしい。

 そんな様子を愛しく思いながら、そっぽを向いてしまった彼女のショートヘアを優しく撫でる。

「面と向かって好きって言ってくれること、あまりないじゃないですか。だからすごく嬉しくて」
「え? そんなこと、な―――くもない、か……? いや、だって、普段は恥ずかしいじゃん! そ、それに言う時はちゃんと……言ってるし」
「確かにそうですね……じゃあ今、改めて言ってくれますか? 『好きな男(ひと)』という会話文ではなくて、ちゃんとオレの眼を見て」

 期待半分冗談半分でねだってみると、逸らされていた彼女の視線がそろりと戻ってきて、オレのこげ茶色の双眸に照準を合わせた。

「……大好き」

 てっきりごねられると思っていたのに、上気した顔で熱っぽく見つめられて、好きの上に「大」をつけられて、いい意味で予想を裏切られたことはもちろん、彼女の表情が、言い方が可愛らし過ぎて、想像以上に身体の熱を押し上げ、オレの中の何かが破壊されてしまった。

 自分でも驚いたが、胸がいっぱいで何も言えなくなり、ただただ頬が熱くなる。オレは口元を片手で覆うようにしたまま、しばし火照った顔を彼女に晒し押し黙ってしまった。

 そんなオレを目の当たりにしたフレイアは凛とした瞳を大きく瞠り、それから思い出したように自分もカーッと赤くなった。

「な、何……!? そんな反応されると、照れるじゃん……!」
「……。あなたの不意打ちは、破壊力があり過ぎてガードが効かないんですよ……」
「不意打ちって……自分から要求しといて、何それ」
「……。本当ですね……」

 互いの顔を見合わせたオレ達はどちらからともなく小さく吹き出し、額を寄せ合うようにして笑い合った。

 ―――ああ、敵わないな。

 後から後から、温かな気持ちが溢れてくる。幸せの日だまりにいるようだ。

 フレイア。あなたはどうしていつも、オレの予想を小気味よく裏切ってくれるのか。そうやっていとも簡単に、オレ自身も知らなかったオレの新たな一面を引き出してみせるのか。

 そして、あなたの存在はどうしてこんなにもオレを幸せな気持ちにしてくるのか―――。

 その度に思う。

 あなたが好きだ―――好きすぎて、敵わない。

「抱いて、いいですか?」

 募る想いを言霊に込めて改めて彼女に確認を取ると、可笑(おか)しそうに微笑まれた。

「今更聞く? それ」
「いつもと状況が違うので、一応」
「ふふ。今日はシャワー浴びてないからな。触るだけだぞ、それが約束出来るなら」
「キスするのはいいんですよね?」

 そんな確認を取り合って、オレは再びフレイアの唇に自分の唇を重ねていった。

 キスする箇所が唇だけとは限らない、という言葉の抜け道については言及せずに―――。
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