問答無用で宴の席へと押し流され、入れ替わり立ち替わり感謝の言葉を述べられながらひっきりなしにお酒を注がれて、怒涛の勢いで大宴会の主賓へと祭り上げられる。
うわぁ、何これ、スゴいんだけど!
戸惑いながらあれよあれよと勧められるまま杯を重ねているうちに、気が付けば、時刻はとうに日付をまたいでいた。
歓待の場となった宿の食堂兼酒場にはまだ賑やかな声も響いてはいたけれど、そこかしこに酔い潰れた人達が転がっていたり、テーブルの上に林立したアルコールの瓶やグラス、飾りだけになった料理の皿や誰かが粗相したらしい床に散らばるおつまみなんかが目に付いたりして、そろそろ宴の終わり時を感じさせる。
予想外のもてなしで、だいぶ飲んじゃったなぁ。
ほろ酔い気分で周囲に視線を走らせながら、アルコールに強い体質で良かったとしみじみと思った。体質的に飲めない人や飲めてもあまり得意じゃないという人はこういう時大変だよなぁ。
ドルクはわたしとは別のテーブルで昔馴染み達に囲まれて何やら談笑していた。ジェイクと来月結婚することになっているクレアも来ていて、彼らの他に数名の男女が彼を囲んで尽きない話に盛り上がっている。ちなみにクレアはさっきわたしのところにも挨拶をしに来てくれたんだけど、明るくて世話好きそうな印象の娘(こ)だった。
旧友と再会を語らうドルクは穏やかでくつろいだ表情をしていて、何ていうか……スゴく自然体だった。上手く言えないけど、わたしやリルム達といる時とはまた違った感じだ。
故郷(ふるさと)って、やっぱり特別なんだな。
愛する人ににそこを残してあげられた安堵感と、ちらりと胸をかすめたわずかな郷愁を覚えながら、わたしは注がれたお酒を飲み干してトイレに立った。そのまま少し涼んでこようと、宿の外へ足を向ける。
「ふぅ……」
天空に輝く紅い月を見上げながら、爽やかな夜の風に人心地つく。アルコールと人々の熱気で中は少々蒸し暑いくらいだったから、新鮮でひんやりとした夜の空気は火照った肌に心地好かった。
深夜のエランダの町は帳(とばり)を落としてひっそりと寝静まっていて、煌々と明りのついたこの宿だけがまるで別世界みたいだった。漏れ聞こえてくる陽気な声の中に「ドルク」という名称が聞き取れて、わたし以外の人間が彼の愛称を呼んでいる現象にひどく不思議な気分になる。
それは喜ばしいことであるはずなのに何だか胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになって、そんな感情を振り払うようにひとつ息を吐いた。
―――酔い覚ましに少し辺りを歩こうかな。
何となくそう思い立って宿の敷地から出ようとした時、後ろから聞き覚えのある声に呼び止められた。
「この町を散策するなら、道案内がいた方がいいんじゃないですか」
「……ドルク」
―――いつの間に?
振り返ったわたしの表情でその疑問を読み取ったらしい彼は少し頬を緩めた。
「あなたのことは常に気にかけていますから」
それはまあ、ありがたいけど。
「みんなのところへ戻った方がいいんじゃないか? 久々の再会なんだし……さっき、誰かがあんたのこと呼んでいる声が聞こえたけど」
「昔馴染みとはもう充分話しました。それにみんな酔っ払っていて、これ以上話したところで朝には覚えていませんよ。そろそろお開きの頃合いですしね。ジェイクにはちゃんと断って出てきました」
「それならいいけど……」
「どこか、希望はありますか? 案内しますよ」
そう言われて自分の心が分かりやすく浮き立つのが分かった。同時に、さっきまでの状況を寂しいと感じていた自身に気付かされて少し恥ずかしくなる。
わたしはドルクのことを誰よりも知っているような気になっていたけれど、それはわたしの認識の中での話であって、ガランディで再会する前の彼のことをわたしはほぼ何も知らないんだって、この町へ来て初めて気付かされたんだ。エランダの知り合いに囲まれていたドルクはわたしの知らないドルクで、いつの間にかわたしだけが知っているものと思い込んでいた彼の愛称を、みんな当たり前のように呼んでいた。
「じゃあ……あんたが住んでいたところとか、行ってみたいな。ついでに家族の話とか聞いてもいい? そういうの、まだ全然知らないし……わたしの知らないドルクのことを、知りたい」
頬を染めながら自分の素直な気持ちを伝えると、彼は柔らかく瞳を細めて頷いた。
「そうですね。話しながら歩きましょうか……その辺りはまだ何も話していないですもんね」
「うん」
「こっちです」
わたし達は連れ立って夜のエランダの町を歩き始めた。
「オレの母親はオレが物心つく前に流行り病で亡くなって―――それからずっと父親と二人で暮らしてきたんですが、その父親もエランダが猿人の襲撃を受ける一年程前に事故で亡くなりました。その時はあまりに突然のことで、色々な感情でぐちゃぐちゃになって、目の前が真っ暗になったのを覚えています。悲しかったのはもちろんですが、たった一人取り残されて、これからどう生きていけばいいのか……そんなことを考えてひどく途方に暮れましたね。
でも、そんなオレに町の人達が手を差し伸べてくれたんです。みんな独りになったオレをずいぶんと気にかけてくれて、何かと手助けしてくれて……。傭兵ギルドに入るまで独りでどうにか自活していけたのは町のみんなのおかげです。オレの剣の腕を見込んで自警団に入れてくれて、そこで従事することで生活を保障してくれた―――本当に、ありがたかったです」
わたしと同じく12歳の時にドルクは天涯孤独の身になったのか。奇妙な共通点を見出して心臓が音を立てるのを意識しながら、わたしは彼の話に耳を傾け続けた。
ドルクの口から語られるそこには当時の彼が感じた様々な感情が溢れていて、わたしはわたしと出会う前の彼がこの町で何を思いどんな日々を過ごしていたのか、過去の彼の映像を頭の中でなぞらえながらそれに聞き入った。
初めて知る、あなたを。今のあなたに至るまでの、あなたの軌跡を。
「―――ここです」
ドルクが足を止めた場所は町外れの一角だった。辺りは野ざらしの空き地になっていて、周りには何もない。
え……。
わたしは思わず辺りを見渡した。そんなわたしを見やったドルクは少し寂しげな笑みを刻んだ。
「この辺りは特に猿人の被害がひどかった地域で―――建物も軒並み損壊していましたし犠牲になった人も多くて、後に町の再生計画の一端として整理されたんです。当時のエランダは半壊状態で人口もかなり減ってしまいましたから……ここにあったオレの家も取り壊されて、今ではもうありません」
わたしは小さく息を飲んで月明りに映された野ざらしの空き地を見つめた。
緑の生い茂る、何もない場所。でも、ここには確かにドルクの生家があったんだ。幼い彼が両親と暮らした思い出の場所が……。
言葉にならない切ない思いに胸を締めつけられた。
「まあ……悪いことばかりではなくて、それである意味、背中を押された部分もあったんですけどね。どのみちギルドの傭兵になれば家を空けることが多くなりますし、人が住まない家はどうしても傷む。望んだわけではありませんが、これで丁度良かったのかもしれないと……そういうふうにも思いました。それからギルドの選抜試験に受かって傭兵になるまでは自警団の建物を間借りして暮らしていたんです」
「……どんなおうちだったの?」
「え?」
「お母さんの思い出が残る、お父さんと暮らしたおうち。どんな感じだった……?」
「……男二人だったので、家の中は飾り気がなくシンプルな感じでしたね。玄関を開けてすぐのところに、昔母親が手入れをしていたという小さな花壇があって……母が亡くなった後は父がそれを受け継いで世話をしていました。そこだけ季節ごとの花が咲いて―――鮮やかに色づいていた印象です。父親は饒舌な人でしたね。母親がいない分、意識的にオレに話しかけるようにしてくれていたんだろうと思います。父の昔馴染みによると、昔はそこまで口数が多くなかったそうですから」
そう語るドルクの表情は少しだけ愁いを帯びて、でもその瞳はとても優しい光を湛えていた。
「優しい、いいお父さんだったんだね。ドルクのことも早くに亡くなったお母さんのことも大切にしていたんだな」
「怒らせると怖かったですけどね……」
「そこはどこの父親も同じなんじゃない? うちも怒るとかなり怖かったよ」
顔を見合わせて小さく笑いながら、わたしは隣に立つ彼の手をそっと握った。
「家という形がなくなっても、思い出は消えないよね。愛された記憶も、愛した記憶も、わたし達の中にしっかりと根付いて、今の自分の一部になっている」
「……ええ」
「大切な場所に連れて来てくれて、ありがとう」
心からの想いを伝えながら、わたしは彼の手を握る手に力を込めた。神妙な面持ちでわたしの言葉を聞いていたドルクは、そんなわたしの手を握り返すと唐突に言った。
「オレ……いつかはあなたと一緒に、そういう家を築きたいです」
「え……」
―――それって、プロポ……。
突然告げられたその言葉の意味するところに大きく目を見開いて呼吸を止めたわたしを見やり、ドルクは淡く微笑んだ。
「だいぶ飲んでいますけど、酔った勢いで言ってるわけじゃないですよ。心から思ったことを言っています。……今がまだその時でないのは分かっているので、時機が来たらまた改めて言おうと思いますけど」
わたしはまじまじと彼の整った顔を見つめた。
あんたが酒に飲まれるような男じゃないことは分かっている。
ああ、それに―――わたしのことをきちんと分かって、考えてくれているんだな。
わたしが今はまだ結婚する気がないことも、当分はこの仕事を続けたいと思っていることも、でもいずれはあんたと一緒になって、温かな家庭を築けたらいいな……なんて漠然とした夢を見ていることも。
「……わたしもあんたとおんなじ気持ち。時機……逃さないでね。放っておくと現役のままおばあちゃんになりかねないからな、わたし」
「出来れば子供が欲しいので、そうなる前に行動します」
子供。
その言葉に思わず想像力が働いた。
今まで具体的に考えたことがなかったけど―――うわぁ……ドルク似の子供が生まれたら、男でも女でも、見た目は間違いなく可愛いだろうなぁ。
それを想像してきゅんとしながら、将来のことまでこうして考えてくれている彼に、ありのままの自分を曝(さら)け出しておくべきだと思って、わたしはついさっきまで抱いていた子供じみた寂しさを吐露した。
「……わたしさ、もしかしたら独占欲強いのかも。実は、さっきまでちょっと寂しい気持ちになっていたんだ。
わたし……何か今まであんたのことを『ドルク』って呼べるのを自分だけの特権みたいに思ってたみたいで、この町へ来てそうじゃないって気付かされて、何だか沈んだ気分になっちゃってて……。愛称なんだから、地元の人が呼んでいるの当たり前なのにな。
でも、これまでのわたしの世界では、魔眼『ランヴォルグ』の本名が実はランドルクで、その愛称がドルクだって知っている人間が自分の他にいなかったから―――何か急に、それがみんなのものになっちゃったみたいに思えて、あんたが遠くへ行ったみたいに感じちゃって」
ああ、バカみたいなことを言っている。本当に子供みたいだ。
わたしは心が狭いな。ドルクは久々に故郷へ帰ってきて、せっかくみんなと会えて楽しいひと時を過ごしていたのに。
その気分を台無しにしちゃいかねないことを言っている。
呆れられちゃうかな。重いって思われちゃうかもしれない。
だけど、わたしにはこんな側面もあるんだ。
いずれ家族になりたいと言ってくれている彼に、いい格好だけ見せていられない。例え幻滅されたとしても、ありのままの自分を知っておいてもらうべきだと思った。
うつむいて審判を待つような気持ちになっていると、重苦しく長く感じられた沈黙を打ち破るようにドルクが腕を伸ばして、掻き抱くようにわたしをその腕の中に閉じ込めた。
「―――は、可愛いな、あなたは……」
「え……」
わたしの頬に自分の頬を押し付けるようにして耳元で呟かれたその台詞に、思わず目を丸くする。
そんな言葉が返ってくるとは全くもって思っていなかった。
可愛いのか? あんな些細なことでくよくよしているのが。
意外な返答に瞳を瞬かせていると、ドルクはそんなわたしの反応に何かくるものがあったらしく、堪(こら)えるような素振りを見せながらこつんと額を合わせてきた。
「オレ的には可愛いですよ。むしろ、妬いてもらえて嬉しい」
「面倒くさいって、思わないの?」
「微塵も」
言い切ったドルクのその態度から、彼が自分のそんな部分も問題なく受け入れてくれているのだと分かって、不安に駆られていた反動から、喜びで胸が溢れそうになった。
「……重症だね?」
思わず涙ぐんでしまったのをごまかすように冗談めかして言うと、ドルクは小さく笑ってそれを肯定した。
「そう思います―――本当に」
頬にそっとキスを落とされて、幸せな気持ちが胸いっぱいに広がっていく。
「フレイア、あなたはオレの特別だ……この町の人間は『ランドルク』の愛称が『ドルク』であることを知っているし、ギルド関係の人間はオレのことを『ランヴォルグ』だと認識している。でも、その全てが『オレ』を指すことを知っているのはあなただけだ―――あなただけが、三つの呼び名を知っているんですよ」
その言葉は、わたしの欲張りな心を満たしてくれた。
「そっか……そう、だな。うん……そっか」
わたし、単純だな。それにやっぱり、独占欲強いみたいだ。その事実が、こんなにも嬉しいなんて。
「うん……わたしも重症だ。あんたの特別でいられることが、スゴく……言葉に出来ないくらい―――嬉しい。
ふふ……まさか、巷で恐れられてる破壊神と一緒になりたいって言ってくれる男(ひと)が現れるとは思わなかった」
「その流れでいったら行き先は冥府になりますけど、いいんですか?」
「破壊神には似合いじゃないか?」
晴れやかに微笑んだわたしの茶色の双眸をドルクのこげ茶色の双眸が見つめ返して、この上ない笑みを返す。
戴いた時にはひどい悪名だと思ったこの二つ名も、今となってはそう悪くないと感じられるから何だか不思議だ。
紅蓮に変わるわたしの瞳と、金色に変わるドルクの瞳―――腰に携える相棒に使用者として認められたことにより授かった、『魔眼』と呼ばれるもうひとつの互いの姿。
この町へ来て初めて知った。魔的に煌めく紅蓮の瞳に最初に囚われたのは彼で、結果開眼した燃え立つような金色の輝きに囚われたのはわたし、まだ見ぬ彼の影に淡い恋心を自覚したのはわたしが先で、彼が憧憬に隠れていたわたしへの思慕に気付いたのは再会して少し経ってからのことだった。
この地での出会いが、八年後のガランディでの再会が、まさかこんな運命を手繰り寄せるなんて思ってもみなかった。
人の縁って、巡り合わせって、想像もつかなくて―――不思議で、素敵だな。
今では何者にも代え難い存在となった愛しい男(ひと)を目の前にして、胸に沁み入るような万感の想いに心震わせる。
どちらからともなく引き寄せられるようにして唇を重ね合い、ひとつの影となるわたし達の腰で、互いの相棒がカチリ、と微かな金属音を立てた。
大事な人の大切な思い出が残る、かけがえのない地で贈られた、未来へ繋がる約束の言葉。
―――ここからまた、始まっていく。わたし達の旅は続いていく。
紅い月明りの下で新たな思い出が刻まれたこの地から、わたし達はわたし達の信じる道を目指して、これからも精一杯歩んでいく―――最高のパートナーと、最高の相棒と、共に―――。
<完>