影王の専属人は、森のひと

04


「さあ、参りましょうリーフィア!」

 目的地の獣肉亭を前にして並々ならぬ気合が入るシルフィール様に、わたしは微苦笑を呈した。

「肩に力が入り過ぎです、シルフィール様。一度深呼吸をしましょうか」
「あ……そうね。私(わたくし)ったら思わず気負ってしまって。潜入するんですもの、自然を装わなくてわね」

 潜入、というほど大げさなものではないけれど、使命感に燃えるシルフィール様の気分に水を差してしまうのも何なので、わたしはひとつ頷いて彼女が呼吸を整えるのを待った。

「では入店しましょうか。席に着いたらまずは何か注文して、それとなく周りの会話に耳を傾けてみましょう」
「了解よ」

 大通りに面した二階建ての大衆食堂兼酒場の入口をくぐると、賑やかな喧騒と食欲を掻き立てる香りがわたし達を包み込んだ。

 お昼を少し回った時間帯の店内は混み合っていて、入口から見た限りは一階はもちろん二階までほとんどの席が埋まっているように見えた。空いた皿や料理を持った店員達がテーブルの合間を縫うようにして忙しなく動き回り、店内は昼時の活気に満ちている。

「お二人さん? 二階ならまだ少し空きがあるよ!」

 入口近くの席でオーダーを取っていた店員がわたし達に向かって声を張り上げ、わたしは物珍しげに辺りを見渡すシルフィール様を促しながら階段を上がっていった。階段脇に面した一階を見下ろせる位置にある二人用の席が空いていたのでそこに座り、椅子の横に立ったままのシルフィール様に小さめの声をかける。

「こういうところは給仕の者は付きませんので、ご自身で椅子を引いて座って下さい」

 シルフィール様はハッとした様子で木製の椅子の背を引き、少しぎこちなく腰かけた。

「いけない、いつものクセで。不自然に思われてしまったかしら?」
「あのくらいなら大丈夫です。みんな他人のことって見ているようで案外見ていませんから。意識的に注意を払っていない限りは気にしませんよ」

 声を潜めてそんな会話を交わしながら、わたしはシルフィール様に卓上のメニューを広げて見せた。

「何になさいますか?」
「ええっと……。……。困ったわ、名前を見てもどんなお料理なのかよく分からない」

 細い眉を寄せて困惑を顔に刻むシルフィール様。

 それもそうか、王城でも以前住んでいたお屋敷でも専属の料理人がいるような環境で育った方なのだ、こんな庶民的なメニューには馴染みがなくて当たり前だ。

「これまで何度かこうして街へ出られたことがあるとお聞きしましたが、その時は何も召し上がりませんでした?」
「喉が渇いて露店で飲み物を買ったくらいで、お食事をしたことはないの。こういうところへ入ったのも初めてよ」

 シルフィール様はそう言いながら少し興奮した面持ちで店内を眺めやった。

「たくさんの人がいて、賑やかで活気があっていいわね。それにさっきからいい香りがして、お腹はとっても空いているのだけれど」
「何を召し上がりたい気分ですか? お肉? お魚?」
「ええと……そうね、鶏肉が食べたいかしら」
「あっさりとこってりでしたらどちら?」
「ううん……味がしっかりしていて、でもしつこくないものがいいわね」

 なら、この辺りかな。

 シルフィール様の希望と彼女の普段の食の好み、それとメニューを照らし合わせて、わたしはこの店の看板メニューでもある鶏の素揚げ半身とパンと飲み物とサラダのセット、それと自分が大好きでぜひお勧めもしたい白身魚のきのこガーリックソテーを注文した。ちなみにこの料理のメニュー名は「頑固おやじのケッコーな素揚げ半身」と「森のきのことオルカのガーリックマリッジ」なので、このネーミングからメニューを推し量ることはシルフィール様的には困難だろう。

 今更ながら陛下の指名は的を射ていたのだな、と納得する。うん、今回の件に関してわたしは適任だった。

 護衛長を始め、シルフィール様の警護役の同僚達はみんなそこそこの家柄の子女で、その彼女達がこういうところへ来たことがあるとは思えなかったし、意志の疎通がいまいち取れていない彼女達の誰かが一緒に来ていたなら、ちょっと面倒くさいことになった上に注目を集めてしまうような事態になっていたかもしれない。

「これはどうやっていただいたらいいの?」

 やがて大皿で運ばれてきた豪快な鶏の素揚げを見て目を丸くするシルフィール様にわたしは食べ方をレクチャーした。

「そこの大きなナイフで食べやすいサイズに切り分けて、お好みで付け合わせのスパイスやオイルを少量付けて召し上がって下さい。添えてある柑橘の果汁を振りかければさっぱりいただけますし、何も付けずそのままいただいてもしっかり味が付いていて美味しいですよ。何でしたらフォークを使わず、直に骨を持って召し上がるのもありです」
「まあ! 直接、手で?」
「ここでは全然ありなんですよ、ほら」

 そう言って同じ料理を注文していた近くのテーブル席を視線で示すと、ちょうど男性客が切り分けた鶏肉を素手で掴み、がぶりとかじりついたところだった。

「本当ね! 私もチャレンジしてみるわ」

 シルフィール様は赤銅色の頬を上気させるとテーブルマナーの身に付いた鮮やかな手つきで鶏肉を切り分け、気品のある指先で直に骨の部分を掴んだ。

「まずはこのままいただいてみるわ」

 悪戯する子供みたいな顔でそう宣言して、ぱくっ、とひと口かぶりついたその表情が輝く。シルフィール様は続けざまにもうひと口かじりながら、「う〜ん」と唸って目元を緩めた。

「美味しいわ! 皮がパリッとして、次に香ばしさが鼻に抜けて、それから柔らかなお肉の風味が口の中いっぱいに広がって―――とってもジューシーね、スゴく美味しい……!」

 良かった、お気に召したみたいだ。

 お勧めしたものを美味しいと言ってもらえて、わたしも気分が高揚する。

「この鶏の素揚げは獣肉亭の看板メニューで、秘伝の塩だれにひと晩漬けこんだ鶏の肉を熟練の職人が特製の油でカリッと揚げたものなんだそうですよ」
「そうなの? このスパイスやオイルを付けるとまた風味が変わって楽しいわね」

 子供みたいに目をキラキラさせながら、シルフィール様はわたしに満面の笑顔を向けた。

「こんなふうに直接手で持っていただくの、新鮮で楽しい! ねえ、リーフィアのそれはなぁに?」
「これはオルカという白身魚のガーリックソテーです。庶民に馴染みの魚で、今の時期は脂がのって美味しいんですよ。宜しければシェアしますか?」
「シェア?」
「ええ。お互いのものを分け合って食べることをそう言います。お口に合うか分からないので、まずは少しわたしのものを」

 わたしはまだ手を付けていなかった自分のお皿の料理を少し切り分けて小皿に取りシルフィール様へ差し出した。

「いただいていいの?」
「ええ、どうぞ。召し上がってみて下さい」

 シルフィール様は優雅な所作でわたしのお勧めをひと口頬張ると、笑顔を弾けさせた。

「これも美味しいわ!」
「良かった、ではもう少しどうぞ」
「リーフィア、私のも食べて、食べて」

 シルフィール様ははしゃぎながら小皿に鶏の素揚げを取り分け、わたしに差し出してくれた。

「こんなふうに分け合って食べるの初めてよ! 楽しいわね。お友達みたいに接してくれて、嬉しい」

 ああ、もう……本当に可愛いなぁ、この方は。

「そう言っていただけると、わたしも嬉しいです」
「ふふ。はしゃぎ過ぎて本来の目的を忘れないようにしないといけないわね」
「そうですね。でもきちんと覚えておられるようなので、大丈夫です」

 シルフィール様はふんわりしていらっしゃるけれど、こういうところは意外と(失礼!)しっかりしている。日常でもそうなのだけど、頼まれたことや任されたことはきちんと責任を持ってやり遂げる方なのだ。

 それからわたし達は楽しく食事をしながら、さり気なく周りの話に聞き耳を立てて今回の目的に努めた。

「何でもないふうを装いながら周囲の声に耳を傾けるって、案外難しいのね。疲れるわ……」
「そうですね。ここは人も多いですし、常に感覚を研ぎ澄ませているのは集中力もいりますから……」

 聞こえてくる会話の多くはそれぞれの家族や恋人、仕事にまつわる話、それに日常のちょっとした出来事なんかで、シルフィール様の求める「今、街で噂になっていること」に当てはまるような話はなかなか聞こえてこない。

 わたし達はゆっくりと食事をとり、時間をかけて食後の飲み物をいただき、更にデザートを追加注文してことさらじっくり味わいながら情報収集に勤しんだ。周りからしたら仲のいい主従のお喋りが弾んで長居しているように見えただろう。その間に周囲のテーブルはお客が二巡三巡して、お茶の時間を過ぎるような時刻になった。

 これ以上はさすがに長居し過ぎで不自然ね。お腹ももういっぱいだし……。

「シルフィール様、そろそろ出ましょうか」
「そうね、ずいぶんと長居してしまったわね」

 獣肉亭を後にしたわたし達は歩きながら今回の成果について話し合った。

「聞こえてきた中で気になったものとしては、花屋の前で佇む少女の話と、神出鬼没の義賊の話くらいですかね」
「ええ……思ったよりみんな噂話ってしないものなのね……。国政への不満を訴えるような声が少なかったのはホッとしたけれど……」

 シルフィール様……お兄様のことを案じていらっしゃるんだな。

「少しずつではありますけど、暮らしが上向いてきているのをみんな実感しているのかもしれませんね」
「だと良いのだけれど……」

 憂いを含んだ吐息をひとつついたシルフィール様に、わたしは気持ち明るめの声をかけた。

「まだ少し時間がありますから、噂話に出てきた花屋へ行ってみましょうか」
「えっ、場所が分かるの、リーフィア?」
「はい、多分。以前、その店の前を通ったことがありますから」

 何組かのお客が噂していたところによると、裏路地にある「ラワール」という花屋の前で一ヶ月程前から連日のように立ち続けている少女がいるらしい。彼女は先端が尖った長い耳と小柄で細い肢体が特徴的なフロウ族の少女で、健気に誰かを待ち続けているようなのだ。

 雨の日も風の日も朝早くから日が暮れるまで待ち人を想ってじっと佇むその姿がいじらしくて何だか見ていて切なくなると、町の人々は気の毒そうに口にしながら、彼女が待ち続けている相手と理由に興味津々の様子で、その正体や関係を悪気なくあれこれと憶測していた。

「リーフィアは元々、その少女の話を知っていたの?」

 花屋へと向かう道中、シルフィール様にそう尋ねられたわたしは小さく首を振った。

「いえ、偶然その花屋に心当たりがあっただけで、少女の話は初めて聞きました」
「義賊の話は?」
「神出鬼没の義賊、ノヴァですか……名前は聞いたことがあります。何年か前までは派手に活動していたみたいで、わたしの住む村にも時々噂が流れてきていましたけど、ここ数年はすっかり鳴りを潜めているようで、巷では死亡説が流れていましたから、今日久々に名前を聞いて驚きました。もっぱら不正で私腹を肥やしているような上流階級をターゲットにした義賊で、盗んだ財貨を貧しい人々に分け与えていたとかで、庶民の間では英雄視されていた正体不明の人物です。再び表立って活動し始めていたとは知りませんでした」
「そうなの……その方はどうして、今になって活動を再開させたのかしらね?」
「さあ……どうしてでしょうか」

 義賊の活動理由などまったくもって分からなかったけれど、当人には何かしらの思惑あってのことなんだろうな。

「噂によると直近で被害に遭われたのは『ゲイリー男爵』という方のようですね。ご存知ですか?」
「……ごめんなさい、ちょっと思い出せないわ」

 シルフィール様はご存じない方なのか……まあ男爵は五等爵の中では一番低い爵位だったと思うし、仕方がないか。

 シルフィール様と連れ立ってしばらく歩いていくと、目的の花屋が見えてきた。看板に「ラワール」の文字―――間違いない、ここだ。

 季節の花が陳列された店の傍らには噂通り、フロウ族の少女が一人佇んでいる。線が細くて儚い感じの綺麗な娘(こ)だ。

「あの方ね。お話を伺ってみましょう、リーフィア」
「あ、はい」

 近付いてきたわたし達に視線を向けた少女は、白目部分がほとんどない大きな黒い瞳を瞬かせて、こちらの様子を注視した。

「あの、少しお話を宜しいかしら」
「……。何か……?」

 警戒する素振りを見せる少女に、シルフィール様はにっこりと邪気のない微笑みを向けた。

「突然ごめんなさいね。私、シルケと申します。あなたに少々伺いたいことがあって」

 ―――シルフィール様、偽名! サラッと!!

 事前に何も打ち合わせていなかったものだから、わたしはそれに驚いた。

 いや、本名を名乗るのはどう考えてもアウトだから偽名を使って正解なんだけど、ふんわりとしたシルフィール様からあまりにもサラッとそれが出てきたので、ビックリしてしまったのだ。

 もしかしたら街へ出る時は偽名を名乗るように、と以前からの取り決めがあったんだろうか。

「まず、あなたのお名前をお聞きしても宜しいかしら?」
「……。ラステル……ですけど」

 少女はためらった様子を見せながらも自らの名を名乗ってくれた。

「ラステル。素敵なお名前ですね」
「あの……?」
「ああ、ごめんなさい。街で少しあなたの噂を耳にしたんです。ここ一ヶ月ほど、日がな一日こちらに佇んでいる方がいらっしゃると聞いて、何か深い事情があるのではと思い、とても気になってしまって。もし何かお困りごとでしたら、僭越ながら私にも何かお手伝い出来ることがないかと」
「…………」

 突然の申し出に目を丸くして無言でシルフィール様を見つめるラステル。わたしはフォローしようと横から口を挟んだ。

「気を悪くされたら申し訳ありません。あの、シルケ様……は昔からお節介というか何というか、困っていらっしゃる方を見るとどうにも放っておけない性分の方でして……心からあなたのお力になりたいと思っているだけで、決して他意はないのです」
「まあ、ひどいわリーフィア、お節介だなんて」
「頼まれてもいないことに首を突っ込んでこちらから根掘り葉掘り聞くのは、世間一般的に余計なお節介と言うんですよ」
「さらに余計をつけるの? 本当にひどいわ」

 演技か本気か(多分本気)シルフィール様は頬を膨らませ、わたしを軽くにらみつけた。

 シルフィール様、どうか本気にしないで下さいね! 演技です! 合わせているだけですから!

 不慣れなことをして冷や汗たらたらになっている時だった。

「―――ふっ……ふふっ……」

 不意にラステルが笑いだして、きょとんとするわたし達にこう言ったのだ。

「おかしな人達。みんな不憫そうな顔をして興味深げな視線を送ってはくるけれど、遠巻きに好き勝手な噂をするだけで、誰もこんなふうには接してこなかったのに。……育ちが良さそうなお嬢さん、ありがとう。気持ちだけいただいておくわ」

 長い睫毛を伏せて、彼女は自分のことを少しだけ語ってくれた。

「あたしがここでこうしているのはね、ただの自己満足なの。とてもお世話になった人に会いたくて……どうしてももう一度、きちんとお礼が言いたくて。でも、その人の顔も名前も―――その人についてのことを、あたしは何ひとつ知らなくて……唯一の手掛かりが、リオーラの花なの」
「リオーラの花?」

 名前は聞いたことがあるような気がするけれど、どんな花なのかパッと思い浮かばない。

 そんなわたし達を見やり、ラステルは花屋の店頭に陳列されている白い花を指し示した。

「あの花よ。ちょうどこの時期に、限られた場所だけで咲く、優しい香りの花……」

 それは筒状の白い小花が鈴生りについた、可憐な印象の花だった。

 あ、これ―――植物に詳しい幼なじみが持っているの、見たことある。そうか、これがリオーラの花……。

「清楚で可愛らしい感じのお花ですね。私、初めて見たかもしれません」

 お花が好きなシルフィール様は自然と花を愛でる顔になった。

「限られた場所でしか咲かないということもあって、あまり流通していない花なのよね。この辺りではここでしか売っていないの。派手な花じゃないし、似たような形の花は他にもあるから、あなたのようなお嬢さんは見たことがないかもしれないわね。
でも、あたしの恩人はこの花を知っていたの。以前買ったことがあるって言っていたわ。だから、あの人がここへこの花を買いに来ないか、あたしはそれに一縷の望みを託して―――こうして、ここで待ち続けているというわけ」
「でも、その方のお顔をあなたはご存じないのですよね? ここへその方が現れたとして、お分かりになるのですか?」

 シルフィール様がもっともな疑問を呈すると、ラステルは小さく笑んだ。

「分かる……と思うわ。その人の全貌を知らなくとも、部分的に覚えていることもあるの。例えば瞳の色とか髪の色、それに声とかね」
「ラステル、あなたがもっと具体的に覚えていることを教えて下されば、私もその方を探すお手伝いが出来るかもしれません。何か、他に手掛かりはないのですか?」
「親切にありがとう、シルケ様。でも、いいの。表立って探すことは、あの人の迷惑になってしまうことが分かっているから。密やかにここで会えたならお礼が言いたい、それがあたしの望み。あたしが勝手に待ち望んでいるだけの、希望」

 そこにはラステルのハッキリとした意思表示が見て取れた。

「でも……」
「シルケ様、これ以上は親切の押し売りになってしまいますよ。ラステルさんにも迷惑です」

 止めに入ったわたしを振り返ったシルフィール様は何か言いたそうな顔をしたけれど、少し考えてそれを飲み込んだ。

「分かりました。でもラステル、私の方からまたあなたに会いに来る分には構いませんか?」
「えっ? それは……構わないけれど……。でも、あたしもここにずぅっといるわけじゃないわよ? そこまで暇人じゃないんだから……リオーラの花がここで売っている間の期間限定よ」
「ええ、覚えておきます」

 それを聞いたラステルは深い息を吐いて、気の毒そうにわたしを見上げた。

「変わったご主人様で、付き合わされるあなたも大変ね」
「ええ、まあ」

 わたしはあいまいに頷いた。

 今のところはまだそうでもないのだけれど、これからそうなっていきそうな予感がひしひしとしてきたかも……。

 でもまあ、お城の中で精神的に窮屈な思いをしているより、わたし的にはそっちの方がよっぽどいいかな―――そんなふうにも思った。
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