影王の専属人は、森のひと

02


 わたしが連れて行かれた先は、足を踏み入れたこともない領域―――国王の執務室だった。

 格調高い造りの広い室内は国王がつつがなく職務をこなせるように整然として、壁面を埋め尽くす重厚な棚には膨大な資料や書類がみっちりと収められている。

 それを見て改めて思った。

 わたしは何て、自分にそぐわない場所にいるんだろう。

 室内の奥まった場所にある豪奢なデスクに片手を置くようにしてこちらを振り返ったこの国の王―――いや、国王もどきが部屋の中央付近にきまり悪く佇むわたしを見やり、社交辞令を述べた。

「其方が王宮(ここ)へ来てひと月余りになるか――― 支給の制服も板についてきたようだな」
「……もったいなきお言葉、ありがとうございます」

「彼」がまだ陛下の仮面を被り続けているので、わたしもそれに合わせて返した。

 わたしが身に着けているのは淡い灰色をした詰襟の上着に下が白のスキニ―タイプのパンツだった。それに薄い茶色のブーツを合わせたものが護衛役の制服だ。わたし以外の護衛役は腰に長剣を帯びていたけれど、長剣の扱いに長けていないわたしは皆とは違って腰には短剣を佩(は)き、霊木から造り出した愛用の弓矢を背に装備している。

 室内にいるのはわたし達だけで、執務室の外にいた衛兵達は人払いされてしまっていた。

「ご用件とは、何でしょう」

 居心地の悪さに耐え切れず、わたしは自分の方から口火を切った。主君の言葉を待たずにこちらからこんなふうに切り出すなんて、もしこれが本物の陛下だったら大変な無礼だ。

 目の前の「彼」はわたしの非礼を咎めることなく、静かな口調で問いかけた。

「……私が何故(なにゆえ)、其方をここへ呼び出したと思う?」

 綺麗な空色の瞳の奥が底知れない光を湛えた気がした。一見穏やかな表情を保ったままの相手から放たれる言い知れないプレッシャーが、首筋の辺りの産毛をちりちりと逆立てる。

 わたしの反応を窺う相手に対し、わたしは努めて平静を装った。

 狩猟の鉄則だ。肉食獣を前にして、怯えを見せてはならない。

「……。ここ最近の悪ふざけを懺悔なさる為、でしょうか」

 間違いなくそうじゃないだろうとは思いながらも、この際だから相手がそれを否定しても文句を言ってやろうと思った。

 亜人の一従者に過ぎないわたしが偽陛下に堂々と文句を言える機会なんて、ここを逃したら二度とないかもしれない。

 今度はわたしが「彼」の出方を窺う。そんなわたしの様子を見た相手はわずかに口角を上げた。

「……表情ひとつ変えないとは、豪胆だな」

 そう言い置いてデスクを離れ、わたしの目の前へとやってくる。

 自分より頭ひとつ分以上も高い得体の知れない相手に間近で見下ろされるのは、結構な威圧感を伴った。怯む心を叱咤して、肚(はら)に力を入れ空色の双眸を見据える。表面上はあくまで臆することなく、冷静な表情を保ったまま。

 柔らかそうな白金色の髪が、窓から差し込む午後の陽に透けてきらきら煌めいて見えた。

 いったい何を考えているの―――用があるならさっさと言いなさいよ。こんな茶番、いつまでも付き合っていられない。そっちが言わないならこっちから言ってやる。

「―――シルフィール様にセクハラまがいの悪ふざけをするの、やめていただけませんか」

 そう切り出すと相手は眉をひそめて不快げな表情を作った。

「……聞き捨てならないな。私がシルフィールに、性的な嫌がらせを? 兄妹の触れ合いをそんな目で見てほしくないものだ」

 この期に及んでまだ陛下を演じようとする目の前の男に、わたしはイラッと青筋を立てながら言い募った。

「そういうの、もういいですから。悪ふざけを止めないなら直接クリストハルト陛下に申し上げますよ」

 その瞬間、「彼」は仮面を脱ぎ捨てた。

「―――……!」

 鮮やかに気配が変わる。ハッとして距離を取ろうとした時には予想以上の速さで右の手首を掴まれ、息を飲むわたしの琥珀色の瞳を相手の空色の瞳が至近距離で捕えていた。

「あんた、『オレ』を見誤らないのな」

 ガラリと口調を変えた声。粗野な響きを含んだその声は、先程まで演じていた陛下の声とはまるで違うものに聞こえる。

「最初から、ずっと『オレ』を見ている」
「―――手を、離して」

 思わず息を止めてしまっていたことに気が付いたわたしは、意識的に呼吸を整えながらそう要求した。

 しまった―――利き腕を取られた。結構な力で掴まれていて、ビクともしない。

 体格で圧倒的に上回る相手に、この距離でこの態勢はまずい。これでは弓も短剣も使えない。

「何故だ? どうして分かった?」
「それを聞きたいのなら、手を、離して」

 相手の眼を見据えたまま噛んで含めるように要望を繰り返しながら、相手にその気がないと踏んだわたしは次の瞬間、急所を狙い蹴りを繰り出した!

「おっ、えげつないトコ狙ってくるな」

 ―――く! かわされた!

「セクハラ男に言われる筋合いはない!」

 これだけ体格差があったら普通に抵抗しても敵わない、当然でしょ!

 股間、脛、鳩尾、くるぶし―――体勢を変えながら足を上下に振り分けて急所を狙うけど、俊敏な動きで次々にかわされる上、手も離してもらえない。

 ―――このっ、デカいくせに何て機敏なの……!

「森のひとって好戦的なんだ? 手を離せって言っときながら、こっちがそれに応える前にいきなりこれってヒドくない? それともあんたが好戦的なだけ?」
「さっさと手を離せば、こんな真似しない!」
「へえ? じゃあ離そうか」

 その言葉と共に本当に手が離された。あまりにも唐突で、相手の真意を確かめようとその顔を振り仰いだ一瞬のうちに背後へと回られ、後ろから羽交い絞めにされる。

「!」

 しまった! 油断したっ……!

 とっさに相手の足の甲を踵(かかと)で思い切り踏みつけようとしたけれど、逆に足を払われてバランスを崩し、無様に膝をついてしまう。

「おー、こわ。急所ばっか狙ってくるのな」
「くっ……!」

 背後をにらみ上げるわたしの口から漏れた呻(うめ)きに、相手が満足そうに笑むのが分かった。

「離せ……! 離しなさい!」
「そう言われて離すバカはいないよなぁ?」

 くつくつと喉を鳴らしながら男は暴れるわたしをいともたやすく抑え込んだ。

「得意なのは弓を使った遠隔攻撃なんだろうけど、近接攻撃も割とやるね。オレ相手にここまでやれればまあまあなんじゃないかな」

 何なの! その遥か高みから見下ろした物言いは!

「あ、怒った? 耳が毛羽立ってる」
「……!」
「獣耳、可愛いな」

 こいつっ! バカにして……! 何て腹立たしいの!

「森のひととこんなに接近したの初めてだけど、思ったより華奢なんだな。シルフィールを助けた時、バレンツァをたった一人で仕留めたってホント? こんな細腕で」

 バレンツァというのはクリードの森に生息する大型の熊類だ。時に人を食することもある気性の荒い獣で、その身体は厚い脂肪と筋肉に覆われており、致命傷を負わせずらい厄介者として知られている。

「筋肉の質が人間とは違うのかな? あんた達森のひとは視力や聴覚、嗅覚なんかも人間より優れているって言われてるけど……そういった部分で気が付いたワケ? 『オレ』に」
「……」
「喋らないと触るぞ? 色々」
「!」

 こっ、のセクハラ男……!

 悔しいけれど、この状況は明らかにわたしの負けで、今は従うより他になかった。

 わたしは歯噛みしながら、言葉を絞り出すようにして話し始めた。

「さあ……上手く言えない。具体的にどこが、というわけじゃなくて、ただあなたを見た瞬間に『違う』と思った」
「……へえ?」
「違うと思って注意深く観察したら、わずかだけど声のトーンも顔の造作も、微妙に陛下と異なることに気が付いて―――別人だと、確信した」
「ふーん……。なあ、知ってる? 人の認識力って結構いい加減なモンでさ、声なんて若干違ってても話し方を似せとけば、聞く側が勝手に脳内補完してその人物の声だって思わせてくれるモンなんだよ。自分で言うのも何だけど、オレら鏡かってくらい似てるしな。実際今まで気付かれたことなんてなかったし―――でも、あんたは『オレ』に気付いた」

 耳元で紡がれる低い声から、おちゃらけた気配が抜けた。

「オレが知りたいのは、あんたがオレを見た瞬間に『違う』って感じたっていう感覚の方」
「……さっきも言ったけど、上手く言えないわ。何ていうか―――あなた自身の内側から滲み出る、言うなれば魂の気質……のようなもの―――そういうものが陛下とは違うって、そう、感じたから」
「魂の、気質……?」

 ぽかん、とした感じで聞き返されて、わたしは思わず赤くなった。

「だから、上手く言えないって言ってるじゃない! そんな感覚のヤツよ!」
「それって、他の人間や生物にも日常的に感じるものなのか?」
「え? いいえ……」

 改めて聞かれると、それはない……わね。あんな感覚、今までに感じたことがないもの。どうしてなのかはわたしにも分からないけれど、ただあの瞬間、そうとしか言えないものを感じたのだ。感じ取ってしまったのだ。

「ふーん……じゃあ、『それ』はあんた的にも初めての感覚だったってコト?」
「そ、そうよ! そもそも、他人に成りすましている人なんてそうそういないし、あんな違和感を感じること自体が日常的に有り得ないじゃない」

 そう訴えると男は可笑(おか)しそうに肩を揺らした。

「はは、確かに。問題はそれがあんた独自の感覚なのか、森のひとなら誰でも持っている感覚なのか、はたまた亜人全体に共通するものなのか―――ってコトだ」
「え……?」

 な、何だか大げさな話になってきたわ。

 真剣味を帯びた相手の声色に肌寒いものを感じて、尋ね返すわたしの声は自然と小さいものになった。

「わたし独自の感覚ならまだしも、全てのクォルフや亜人全体に共通する感覚だとしたら、国としてまずい―――ってこと……?」
「察しがいいな。この国の権力中枢は歴代の無能な連中のせいで亜人種に対して排他的な側面があって、そういった面が非常に遅れているんだ。人間より能力的に優れた部分を持つ亜人を必要以上に権力から遠ざけた結果、今この城にいる亜人はあんただけ―――諸外国では亜人が要職に就いているところだって珍しくないのにな。
この国は亜人について無知過ぎるんだ。今の国王に変わってようやく、これからは人種の垣根なく出来るヤツを登用していこうって方針なのに、その国王が時々紛(まが)い物に入れ替わってるって簡単にバレたんじゃ、マズ過ぎるだろ」

 確かに……国としてはそれはまずいわよね。影武者の意味がなくなって、国のトップを守る手段がひとつ失われるわけだし―――逆に諸外国がそういう手段を取っていたとしても、国の中枢が人間のみで構成されているこの国には現段階でそれを知る術がないということになってしまう。

「あなたが求める確かな根拠にはならないけど……少なくとも、クォルフの村でそういった感覚云々の話は村の者からは聞いたことがないわ。さっきも言ったように他人に成りすました人に遭遇すること自体がそうあることじゃないから、参考にはならないかもしれないけど」
「ふぅん」

 ふぅん、て!

 味気ない相手の反応にわたしは片眉を跳ね上げた。

 こっちが善意で話しているのに、何、その気のない返答は!? いちいち神経を逆なでるわね、この男は!

「……なあ、今、イラッとしたろ?」
「!」

 不意にそれを言い当てられて、わたしは思わず言葉に詰まった。

「あんたってさ、意識的にそうしてるのかどうか分かんないけど、感情があんま表情(オモテ)には出ないじゃん。でもその分、耳がスッゲー素直なのな? 感情ダダ漏れ」
「……!」

 ウソッ……!

 これまで上手く平静を装っていたつもりが自分の未熟さを指摘され、恥ずかしさでカッと頬が熱くなった。

 ―――そんなに、出てる!?

 出来れば両手で耳を抑え込んで隠したいところだったけれど、背後の男に羽交い絞めにされているからそれは叶わない。

 お―――落ち着いて、わたし。せめて恥の上塗りは避けなければ。これ以上の失態は犯せないわ。落ち着くのよ―――。

「聞かれたことは喋ったし、もういいでしょう? いい加減離してくれない?」

 動揺する心を押し隠してなるべく冷静に対応しようとしたわたしの努力を、男は盛大に踏みにじった。

「ああ、指摘されて恥ずかしかった? ゴメンゴメン、そんなに毛を逆立てないで」

 キャー! 何なの、その全てを悟っているかのような発言は!?

 嫌だこいつっ……! 本当にムカつく! 嫌い!!

「いい加減にして! 離して! 離しなさい! 怒るわよ!!」
「はは、もう怒ってんじゃん」

 暴れるわたしを男は軽くいなしながら、こちらの側頭部に頬を寄せるような真似をした。

 !? なっ……!

「んー……これがもしあんた独自の感覚なら、こっちとしては期せずして逸材を手にしたってコトになるんだけどな〜」
「ちょっ、セクハラ!」
「セクハラじゃないよ、頭突き封じ。暴れるからさ」

 頭突き! その手があった!

「あー、そんなに目ぇ輝かせてももう遅いからな。これだけ近いとだいぶ威力は殺がれるからね」
「〜〜っ、何よ、まだ何か聞きたいことがあるの!?」
「はは、そうだなぁ、オレのこと気付いてたのに、どうして周りに黙っていたんだ?」

 うう〜、耳元で余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)に問い重ねてくる、どこか楽し気な低い声が盛大に腹立たしい。

「……陛下と入れ替わっているってことは少なくとも陛下はあなたの存在を認知しているのだろうし、あなたが現れる時は決まって重要そうな来客のある時だから、多分あなたは影武者で、このことは機密事項なんだろうなって思ったから……」
「うんうん、それで?」

 くっ……その何もかも見透かしたかのような促し方がムカつく!

「それにっ……、言ったところでどうせ、まともには取り合ってもらえないから。わたしの言葉をまともに聞いてくれる人なんて、ここにはシルフィール様以外、誰もいないもの!」

 自分でその言葉を口にすると思った以上のダメージを受けたみたいだった。目の奥がずんと熱くなってきて、必死で感情の抑制に努める。

 そうよ……分かってる。どうせ言ったところで、わたしの言うことなんか誰にもまともに取り合ってもらえない。護衛長の時のように頭ごなしに叱責されて終わるのが関の山だ。

「シルフィールに尋ねてみようとは思わなかったんだ?」
「シルフィール様がご存じないのは、陛下のご判断でしょう……わたしがそんな勝手な真似をするわけにいかないじゃない」

 それにシルフィール様にそんなことを尋ねようものなら、そのまま陛下のところへ行って時も場合も考えずに直接問い質(ただ)してしまいそうだ。そんな恐ろしいこと出来るはずもない。冗談抜きで城内を大混乱に陥(おとしい)れかねない。

 わたしのその考えを汲み取ったように背後の男は朗らかに笑った。

「はは、それは賢明だったな。……なあ、あんたのその気持ち、オレちょっと分かるかも。オレもここでは『自分』の言葉を聞いてくれる奴なんて、いないようなモンだからさ」

 それを聞いて初めて気が付いた。

 そうか……この人は「影」だから……。最重要機密であるだろう彼の存在を知っている人は城内でも多分ごくごく限られているわけで―――他の人はみんな、「陛下」として彼に接するんだ。「彼自身」はその存在すら認知されず、今この瞬間のように「彼自身」として話をするような機会自体がほとんどないのに違いない。

「何か意外と似たモン同士? オレら」
「……」

 へらっとした軽い物言いに、ちょっと感傷的になりかけていたわたしの気分は大いに水を差された。

 何なの、その軽いトーン。話の持って行き方が軽過ぎるのよ、ちょっぴり共感してしまった自分がバカみたいじゃない。

「……全然違うし。懐柔でもするつもりだった? 同情誘う作戦なら効かないから」

 そうよ、わたしとこの人とでは立ち位置が違い過ぎる。

「あ、気付かれた? やっぱ勘がいいのかな? あんた」
「いや、今のはほとんど誰でも気付くでしょ……ていうか、話は終わり? 終わりね?」
「そんなに終わらせたい? この状況」
「当たり前でしょ……何よ、まだ何かあるの?」
「いーや、今日はまあ、とりあえずいいかな?」
「じゃあさっさと離して!!」

 わたしが思わず怒鳴ってしまったのは無理からぬことだろう。

「あ、手ぇ離す前に確認するけど、反撃はナシな? それから今日のことはもちろん、『影』の件もこれまで通り他言無用で。シルフィールに言うのもダメだぞ。約束を破ったら懲罰な」

 懲罰……死罪ってこと? それとも無期の幽閉……?

 機密の重要性を考えたら、普通は前者を示すだろう。今更ながら自分が大いなる機密に触れてしまったのだと思い知らされて、わたしは血の気が引いていくのを覚えずにはいられなかった。

「……。分かったわ」
「ゆめゆめ忘れないようにな。それと……色々大変だろうけど、頑張れよ」

 完全に拘束を解かれる寸前、大きな掌が頭にやんわりと置かれて緩く撫でていった。まるで、小さな子供にするみたいに。

 きっ、とにらみつけると、わたしから素早く距離を取った国王もどきは淡く笑んで、それからクリストハルト陛下の影へと戻った。

「ご苦労だった―――下がって良い」

 相手がそう出てきたのでわたしも形だけ臣下の礼を取り、無言のまま大股で執務室を後にしたのだった。
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