影王の専属人は、森のひと

01


 わたしが家族と共に暮らすクォルフの村はグスタール王国の王都西方に位置するクリードの森の中にあった。

 クリードの森の中心には霊樹(れいじゅ)と呼ばれる樹齢の計り知れない大木があり、古くからこの地域に住まう者達にパワースポットとして崇められている。だが、深い森には様々な生き物が住まい、そこへ向かう為にはそれなりの準備と覚悟が必要でもあった。

 半年ほど前、いつものように狩場へ赴いて獲物を品定めしていたわたしは、偶然悲鳴を聞いて駆け付けた先で、大型の獣に襲われていた身なりの良い少女を助けた。

 驚いたことにその少女は現グスタール王国の国王クリストハルトの実妹シルフィール姫で、数人の侍従を伴い霊樹へと向かう途中だったのだという。

 助けた成り行きで霊樹まで付き添ったわたしに、シルフィール様はとても感謝してくれた。そしてぜひお礼をしたいと半ば押し切られるような形で招かれた王城で、事態は思わぬ方向へと転がった。

 わたしはシルフィール様を助けた功と、何故かわたしをひどく気に入ったらしい彼女の口添えもあって、王妹の護衛役という身に余る大役を国王直々に打診されたのだ。

 その際国王クリストハルトは身分もない亜人のわたしを実妹の護衛役として取り立てようとする理由をこう説明した。

「我が国は先の混乱に伴い、優秀な人材が不足している。そういった事情を鑑(かんが)み、私は身分や人種の垣根なく、優秀と思える人材は積極的に登用していく方針だ。その意を名実共に示す為に、其方(そなた)の存在は丁度良い」

 実はグスタール王国は数年前までひどく荒れていた。

 その原因は自堕落だった前国王の職務放棄―――国の要たる存在が酒と女に溺れた挙句、政務を臣下へ丸投げにした結果、中枢が腐敗して内政が滞り、どうにも立ち行かなくなったのだ―――そのしわ寄せは国民生活に帰結し、国に多大な悪影響を及ぼした。

 物資が不足して物価は高騰し、治安が乱れて街では暴力行為が横行した。昼間でも外を出歩くのが危険な状態になり、人々は外出を控えることを余儀なくされ、結果、生産性が維持されず市場は回らなくなり、国力が衰退していくという悪循環―――それに終止符を打ったのが、国王の甥に当たり、王都から遠く離れた小都市を統治していた当時のクリストハルト殿下だった。

 殿下は集めた有志を率いて腐敗した前国王政権を打倒し、新たなグスタールの王となったのだ。

 彼がグスタールの国王となってからは国は一応の落ち着きを取り戻し、今、少しずつ復興の道をたどっている。

 当時は腐敗政権の影響で森の物資を根こそぎ持ち去ろうとするような連中が後を絶たず、街に住まう人間達ほどではないにしろ、わたし達の住む村も少なからぬ悪影響を受けて困っていたから、前の王よりはマシな人物がとりあえずでも王の座に就いてくれたことはありがたかった。

 まさかその人を目の前にする日が来るなんて、夢にも思っていなかったけど―――……。

 国王クリストハルトは二十代半ばの見目麗しい青年だった。

 日に透けて輝く白金色の髪に、良く晴れ渡った空色の瞳。鼻筋がすっと通った気品の漂う顔立ちをしていて、体格は線が細い感じではなく、どちらかといえば武人のように鍛えられた印象で、背が高く赤銅色の肌をしていた。

 若き国王は良く通る静かな声でわたしに向かってこうも述べた。

「私の方針は先程伝えたとおりだが、城内の者が全てそれに賛同しているわけではない。むしろどちらかといえばそれに対して拒否反応を示す者の方が多いだろう。現在、城内に従事している亜人はいない。もしこれを引き受ければ其方がその第一号となる。耐え忍ぶことも多い環境になるだろうが、それに臨む覚悟はあるか? 大切な妹を預ける以上、生半(なまなか)な気持ちで臨まれては困るのだ。我が意を示す広告塔の役割を果たし、且(か)つその身を賭して妹を護る覚悟があるのであれば、其方をシルフィールの護衛役として取り立てよう」

 その言葉に臆する気持ちがなかったわけではないけれど、わたしは目の前の国王に対して厳しい中にも誠実な印象を抱いた。それに、提示された待遇がひどく魅力的だったことも背中を後押しした。

 個室ではないが居室を与えてもらえる上、寝食を保障され、しかも給金がもらえる。村で普通に生活しているのでは到底得ることの出来ない金額を、毎月。

 わたしには弟妹が四人いて、下の二人はまだ幼い。先の政権混乱の余波もあって家族の暮らしは楽ではなく、身を粉にしている両親の為にも力になりたかった。

 狩猟を生業(なりわい)とするわたしは弓の腕には覚えがあるし、護身術も身についている。それがここで活かせるのであれば―――。

 突然降って湧いた事態に戸惑いはしたものの、そんな理由もあり、わたしは王妹の護衛役を謹(つつし)んで引き受けることにしたのだ。

 それが、全ての始まりだった―――。



*



 わたしの主となったシルフィール様は天然無垢を体現したような人だった。

 現在18歳の彼女は兄王と同じ色彩を持つ美しい容姿をしていて、誰にでも分け隔てなく気さくに接するその人柄から城内での人気は高かった。

 ただ、彼女はその純粋さから疑うことや警戒することへの意識が希薄で、わたしからするとその行動はあまりにも無防備な時があり、護衛をする側としてはヒヤヒヤさせられることもしばしばだった。

 自分が高貴な身の上で、ともすると狙われる立場にあるということをこの人は自覚していないのだ―――何かあるごとに口を酸っぱくして提言しても、その度に彼女は可愛らしい口を尖らせて「それはちゃんと分かっている」と仰るのだが、あれは絶対に分かっていない。

 分かっている人は下働きの格好をして庭の手入れをしたり、そのせいで下女と間違われて出入りの業者に口説かれたり、あまつさえ城外での逢瀬の約束など交わしたりはしない(しかも逢瀬の意味合いを間違って捉えている)。

 先日は珍しい鳥を見かけた途端、止める間もなく子供のように駆け出して木の根につまずき、危うく顔面から地面に激突するところだった―――すんでのところでわたしが間に合い、大事には至らなかったのだけど。

「お兄様が王になられてここへ来る前は、小さなお屋敷に住んでいて片手で余る数の使用人しかいなかったのよ。花壇の手入れも全部自分でしていたし―――」

 そう語る彼女と今は国を背負う立場となった兄にどういった事情がありどんな経緯(いきさつ)があって今日に至ったのか、従者になりたてのわたしは知らないし推し量る術もなかったけれど、クリストハルト陛下はそんなシルフィール様を非常に気にかけているらしく、忙しい政務の合間を縫うようにして一日に一度は妹の様子を見に居室へ顔を出していた。

 見目は似ているけれど性格は全く違う兄妹ね―――陛下は怜悧で手厳しく隙などない印象だけど、シルフィール様は天真爛漫でふわふわとしていて―――……。

 穏やかに語らい合う兄妹の様子を少し離れた場所から見守りながら、わたしは漠然とそんなことを考えた。

 それとも、陛下がこんなふうに全てからシルフィール様を守ってきたから、この方はこんなにも純粋培養的に育ったんだろうか……?

 日課として定着したその光景を日々目の当たりにしながら、わたしは不慣れな王宮での仕事に従事し、様々なことを少しずつ覚え身に着けながら、わたしなりにその環境へ適応していった。

 ただ、城内に突然入り込んだ亜人一号に向けられる王城の人々の視線はとても友好的とは言い難いもので、中にはあからさまに敵意を向けてくる人や偏見を持って接してくる人もいて、いわれのない悪意に晒されることもしばしばあり、一日の仕事を終え、与えられた居室へ戻ってくる頃にはわたしは心身共に疲れ切ってしまっていることが多かった。

 そんなわたしと部屋を共にするのはわたしと同じくシルフィール様の護衛役を務める二人の女性だった。チームを組む護衛のメンバーとしてはもう一人護衛長がいるけれど、彼女は別に個室を与えられている。

 同室の彼女達はわたしより少し年上といった年齢だったけど、今のところわたしと仲良くする気はないらしく、挨拶や業務に関する話はしても、雑談や世間話といったものは一切振ってもらえていなかった。今日もわたしが部屋に戻ってきた途端、今まで弾んでいた会話がピタリと止んでしまい、内心で溜め息を吐きたくなる。

 地味にダメージを受けるけれど、まあ意地悪されないだけマシなのかな……。うん、そうね。考えるだけ疲れるし、深く突き詰めないことにしよう。

 陛下の言っていたとおり、甘くはないわね。正直きついけど、まあそれを覚悟してここへ来たんだから、やれるところまでは頑張ろう……。

 日を追うごとに精神的にきつくなる部分もあったけれど、わたしはそんな環境とも戦いながら、辛抱強く王宮での日々を過ごしていた。

 そんなある日、唐突に「その瞬間」は訪れたのだ―――。



*



 それは昼食を終え皆で昼下がりのお茶を楽しんでいた頃合いだった。シルフィール様の居室に静かなノックの音が響き渡り、ドアの向こうから涼やかな声が届いた。

「私だ」

 ―――陛下。

 いつものように妹君の部屋を訪れた兄王を迎え入れる為、たまたま一番入口近くにいたわたしが居室のドアを開けた。

 かしこまりながら視線を上げ、長身の相手の顔を目にした瞬間―――。

「―――……」

 その時感じた違和感を、何と表現すればよかったんだろう。

 瞳に映ったのは、いつもと何ら変わりのない陛下の姿だった。

 シルフィール様のお付きとなってから毎日のように目にしている、鼻筋がすっと通った気品のある顔立ち―――柔らかそうな白金色の髪に、良く晴れ渡った空色の瞳、健康的で鍛えられた印象の赤銅色の肌。

 白を基調に金の絹糸で刺繍が施された上等な仕立てのカッチリとした衣服に身を包み、腰には意匠の凝らされたきらびやかな剣を差している。足元は深みのある茶色のブーツ。肩から赤色の瀟洒(しょうしゃ)なマントを羽織ったその人からは、いつもと同じ高貴な香りが漂っていた。

 間違いなく、見た目はいつもどおりの陛下……なんだけど。

 ―――でも、何か……。

「リーフィア、何をしているのです。無礼ですよ、早く陛下をお通しして」

 無言で主君の顔を注視するといったわたしのあるまじき不敬行為に、室内にいた護衛長から叱責の声が飛んだ。

「あ―――申し訳、ございません」

 わたしは慌てて自らの非礼を詫び、陛下を室内へ招き入れる為、ドアの影に控えた。

 陛下はちら、とわたしに目をくれただけで、特に叱責の言葉などはかけなかった。

「ふふ、リーフィアったらお兄様のお顔に見とれていたの? その気持ち、分かるわ。お兄様、素敵ですものね」
「え―――あ、はい……」

 居心地の悪い場を無邪気な声で和らげて(?)くれたシルフィール様に何と答えたらよいものか掴めず、微妙な表情で言葉を濁すに留めたわたしを、遠くから護衛長がすごい顔でにらみつけている。

 うわ、まいったなぁ。後でキツいお説教を食らいそうだ。

 内心で額を押さえながら、わたしは今ほどのことなどなかったかのようにシルフィール様と会話を交わす陛下の様子をそれとなく窺った。そして、自分の直感がやはり間違っていなかったことを確信し、その事実に息を飲む。

 ―――やっぱり、違う。

 初めこそ気のせいかと思ったけれど、そうじゃない。

 背恰好(せかっこう)も声の質も非常によく似てはいるけれど、注意深く観察してみれば、わずかだけど声のトーンが違う。顔も双子のそれのように大変よく似てはいるけれど、矯(た)めつ眇(すが)めつして見れば陛下とは微妙に異なる。それに上手く言えないけど、「彼」自身から滲み出る、その人が持つ独自の色のようなもの―――魂の本質、とでも表現すればいいのだろうか? 陛下の色彩を纏ったその奥から漏れ出る気質のようなものが、陛下のそれとは明らかに違うのだ。

 ―――この人は、別人だ。陛下じゃない。

 その結論にたどり着いた時、わたしは独り戦慄のようなものを覚えた。

 これは―――誰?

 立ち居振る舞いも、その身に纏う雰囲気さえも、彼はまるでクリストハルト陛下そのものだった。何もかもが本当にそっくりで、周りの人間は誰も―――妹のシルフィール様でさえ、それには気が付いていない様子だった。

 分かるのは、わたしがクォルフだから―――? これは、人間には分からない感覚なのだろうか。

 問題が問題なだけに、おいそれとその事実を口にするわけにはいかなかった。誰に確認したらよいものなのかも分からず、わたしはとりあえずそれを自分の胸にしまいながら「彼」の動向を注視することしか出来なかった。

 それが、始まり。

 そして、それからも「彼」は度々シルフィール様の前に現れた。

 最初こそ驚いたし警戒したけれど、その事象が重なるうちに、わたしにも何となく「彼」が存在する理由が見えてきた。

 クリストハルト陛下がクリストハルト陛下でなくなる時は、決まって来客との接見がある時だった―――国内外を問わず、いかにも偉そうな称号のつく来客がある時だけ。

「彼」はおそらく、クリストハルト陛下の影武者なのに違いない―――それがわたしのたどり着いた推論だった。

 難しいことはよく分からないけれど、国王が変わってまだ混乱が尾を引くこの国には今の陛下と敵対する勢力が残っていて、命を狙われる危険が付きまとっているのだ―――多分。

「彼」は、クリストハルト陛下の身代わりなのだ。

 かといってそれが推論の域を出るものではなかったので、わたしは「彼」が現れる度、警戒感を持ってその一挙手一投足を見張った。

 途中からは彼の方もそんなわたしの様子に気が付いて、まるで開き直ったかのように、悪ふざけみたいな挑発行動を取ってくるようになった。

 会話をしながらさり気なくシルフィール様の肩に手を置いてみせたり、あろうことか華奢な腰を引き寄せてみせたり、あまつさえ絹糸のような髪に指を絡めて口づけて、わたしにだけ分かるように口元に小さく笑みを刻んでみせたりする。

 ―――こっ、のセクハラ男……! 本物の陛下は妹君にそんな真似、したことがないのに!

 そのやりようにわたしはぎりぎりと歯噛みしたけれど、相手が「陛下」という立場である以上、わたしの方から下手な口出しをすることは出来ず、護衛長に見咎められないよう気を付けながら、せいぜい瞳に険を宿してにらみつけるのが精一杯だった。

 シルフィール様に危害を加えている、とまでは言えないし、そもそも相手が兄王だと思い込んでいるシルフィール様はそんなことこれっぽっちも気に留めていないし―――かといって、手をこまねいてこんな事態を見守るしかないというのは何とも歯がゆい。

 悩んだあげく、それとなく護衛長に「時々陛下の様子がおかしいように見受けられるのですが」と相談をしてみたところ、聞く耳持たないといった風情で頭ごなしに怒られてしまった。

「陛下に対して不敬ですよ! 麗しい兄妹愛を貶めるような発言は控えなさい! 人間とあなたのような亜人では感性が違うのよ! まったく、物珍しさでシルフィール様に気に入られているからといって―――」

 亜人風情が何を言っている、思い上がりも甚だしい、調子こいているんじゃない、引っ込んでいろ、といった趣旨の発言を少し綺麗な言葉でくるまれて烈火の如く延々と浴びせられ、わたしはぐっと拳を握りしめながら引き下がるしかなかった。

 くそ……悔しいけれど、今の城内にわたしの言葉をまともに聞いてくれる人間はシルフィール様の他にいないのが現状だった。そのシルフィール様があの男の正体に気付いていない以上、どうすればいいのか……。時折入れ替わっているということは少なくとも陛下自身はあの男を認知していて、必要があってそうしているのだろうし……。

 わたしは何も出来ず、あんな男の悪ふざけを傍観するしかないのか―――いや、でもせめて、これ以上悪ふざけがひどくならないようにしっかりと見張って、あまりに度が過ぎるようであればシルフィール様の護衛としてきっちり制止しなければ。

 そんな義憤を胸に抱きつつ業務に励むわたしを嘲笑うかのように、ある日男は大胆不敵に接触してきたのだ。

 それは中庭で花を愛でるシルフィール様に付き添っていた時のことだった。

「―――今のところはつつがなく職務を全うしているようだな。どうだ、城内の洗礼は」

 突如現れた「彼」にそう声をかけられて、まさかこんなふうに堂々と声をかけられるとは思っていなかったわたしは大いに驚いた。

 完全に不意を突かれ、ぎこちなく表情を取り繕いながらそれに応じる。

「は……想像していた以上に、厳しいです」

 くそ……何でそんなことをあんたに答えなきゃいけないの!

 彼は形だけかしこまるわたしにふと笑むと、シルフィール様にこう申し出た。

「シルフィール、少し彼女を借してもらえるか? 話しておきたいことがあるんだ」

 それを聞いたわたしは内心でぎょっとした。

 は、何!? この男がわたしに話したいこと!? 嫌な予感しかしないんだけど!

 シルフィール様は密かに表情を強張らせるわたしと偽物の兄王とを見比べた後(のち)、天使のような可愛らしいお顔でにっこりと承諾を返した。

「ええ、構いませんわ。でもお兄様、リーフィアはまだ王宮へ来て日が浅いですから、何事もお手柔らかにお願いしますね」

 シルフィール様、そんな微妙な優しさはいいですから、断って下さい! その人、本当はあなたのお兄様じゃないんです!!

 ―――とは叫びたくても叫べない、か弱き立場が恨めしい。

「ああ、分かっている」

 当然のようにそう返した空色の瞳が恐ろしいことに全く笑っていなくて、わたしは心の中で盛大に青ざめながら、赤色のマントを翻す背中についていくしかない自分の立場を心の底から呪ったのだった。
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