ドヴァーフ編

天運


 ちょっと、考えなしだったな……。

 調べていたぶ厚い本をパタンと閉じ、あたしはひとつ溜め息をついた。

 あの後、予定通り図書館へとやってきたあたし達。

 アルベルトが語ったアキレウスのお父さんの話は、おおむねこの国で語られている事実だと、アキレウスは言っていた。

「オレは信じちゃいないんだが……この国では、それが事実とされている。迷惑かけて、悪かったな」

 レイドリック王がアキレウスのお父さんの騎士の資格を剥奪したという事実は、あたし的には予想外の話で、ショックだった。多分、パトロクロスもガーネットもそうだったんじゃないかな。

 でも、一番ショックを受けたのは、当時子供だったアキレウス本人に他ならないよね。

 お父さんの汚名、事実上の追放、そして-----死。

 まだ幼かった彼は、その全てをどんな想いで受け止めたんだろう。

「アキレウス、お前とお前の父君(ふくん)とは別人だ。私はお前の父君のことはあまり存じないが、お前のことなら知っている。私にはお前が信じられる、故(ゆえ)に父君のことは何か深い理由があってのことだと考える。アルベルト殿下に何を言われようが、今のまま堂々としていろ。何しろレイドリック王は、お前を容認されているのだから」

 パトロクロスのその言葉に、あたしは救われる思いがした。

 アキレウスも、きっとそうだったと思う。少しだけ頬を緩めて頷いた彼に、パトロクロスはこうも付け加えた。

「だから、暴力沙汰だけは控えるようにしてくれよ。いくらあちらに非があろうが、手を出してしまった時点で、こちらが悪者になってしまうからな」

 冗談ぽくチラリと視線を向けられて、あたしは冷や汗をかきながら謝った。

「ごっ、ごめんなさい、気が付いたら手が出ていて」

 本当に、今考えると寿命の縮む思いがする。

 もしもエレーンが来てくれなかったら……あのままあたしがアルベルトに殴られていたとしたら、みんなが黙っていたとは思えないし、その結果、国際問題に発展するような事態になってしまっていたかもしれない。

 冷静に考えれば考えるほど自分の行動が後悔されて、あたしはもう一度溜め息をついた。

 こんな時に限って、あたしとアキレウスが担当する三階のフロアには誰もいなかった。ただでさえ静かなフロアはしん、と静まり返って、何だか息苦しさすら感じられる。

 目を通し終えた本を戻そうと席を立ったあたしは、調べ終わった本棚の上に、まだ調べていない本が数冊、うっすら埃をかぶったまま積まれていることに気が付いた。

「ア-----」

 アキレウス、と呼ぼうとして、何となくためらいを覚えたあたしは、とりあえず自分の手が届くかどうか試してみようと、一番高い踏み台を持ってきて、それに乗った。

 あ……いけそう、かな?

 思い切り背伸びすると、一番下に積まれた本に指をかけることが出来た。

 よぉし……!

 一番下の本の両サイドを掴んで、そのまま上の本もろとも平行に引き出そうとしたあたしの試みは、成功するかに思われた。

 ところが、半分ほども引き出したところで上の本が暴れ出し、何とかバランスを保とうとしているうちに今度は足元の重心が崩れ始め、上も下もグラグラのパニック状態に陥ったあたしは、声にならない声を上げた。

「わ、わわわ……!」

 このまま落ちたら、絶対絶対痛い!

 身体中の筋肉という筋肉を使って必死にバランスを保とうとしていたあたしの抵抗は、突然終わった。

 力強い腕の感触と共に派手な音を立てて踏み台が転がり、足元が宙に浮く。

「あっぶねぇ……」

 ぎゅっと目をつぶったあたしの耳元で、アキレウスの声がした。そっと目を開けてみると、そこに翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳があった。

「何してんだよ。高いトコの本を取る時はオレを呼べって言っただろ」
「アキレウス……」

 あたしは彼の右腕に抱きかかえられ、頭上に落ちようとしていたぶ厚い本達は、彼の左手に押さえつけられるようにして、その場に留まっていた。

 完全にバランスを崩してしまう直前で、アキレウスがあたしを助けてくれたのだ。

「ご……ごめん。ぎりぎりいけるかなって、思ったんだけど-----」

 ほぅっ、と息をついて頭上から視線を戻したあたしは、自分が今どういう状況に置かれているのかを知って、次の言葉を飲み込んでしまった。

 本棚を背にして、あたしはアキレウスに腰を抱えられているような状態になっている。彼の左手は頭上の本を押さえつけているから、必然的にあたし達は密着状態となっていた。

 う、うわっ、スゴい、近い……!

 真っ赤になって、あたしはうつむいた。

 気まずく思ったのか、アキレウスもふと顔を逸らす気配が感じられた。

 落ち着こうと思うのに、意思に反して、鼓動の方はどんどん高鳴っていく。

 無理だよ……触れているところから、彼の体温が伝わってくる。力強い腕の、硬い胸の感触が、どうしても彼を意識させる。

 この状況で落ち着け、っていう方が、無理だ。

 頬を赤らめながら、あたしはアキレウスが落下しかけている本を処理し、自分の側から離れていくのを待った。

 だけど、彼は何故かそのまま動こうとはしなかった。

 不思議に思って顔を上げると、こちらを見ていたアキレウスと目が合って、驚いたあたしは反射的に目を逸らしてしまった。

 な……何?

 ドクンッ、と心臓が跳ね上がる。

 アキレウス……?

 そのまま一秒、二秒……沈黙に耐えられなくなったあたしが再び顔を上げると、彼は変わらずあたしを見つめていた。

 今までに見たことがない種類の表情だった。



 その瞬間、あたしはアキレウスの瞳から目が離せなくなった。



 縛られる-----翠緑玉色(エメラルドグリーン)の、瞳に。



 ゆっくりと、アキレウスの顔が近づいてきた。

 全身が心臓になってしまったかのような錯覚を覚えながら、あたしは、彼の意外に長い睫毛や、その瞳に映る自分を見た。

 そして、鼻と鼻が触れ合うほどの距離まできた時、緊張に耐え切れなくなって、あたしは目をつぶった。



 その瞬間、



「スゴい音したけど、二人とも大丈夫ー?」



 突然響いたのどかなガーネットの声に、あたし達はビクッ、と身体を震わせた。その拍子に、アキレウスが押さえつけていた本が彼の手からするりとこぼれ落ちてしまった。

「うわっ!」
「きゃっ!」

 バサバサーッ、とあたし達が本の洗礼を浴びたその時、本棚の影からパトロクロスとガーネットが現れた。

「何やっているんだ、お前達」
「あーあ、ひっどいわねー」

 散乱した本や踏み台を見て、二人が溜め息をつく。

「あ……はは、あたしがちょっとドジっちゃって……。アキレウスを巻き込んじゃった、ごめんね」

 真っ赤な顔で引きつった笑顔を浮かべながら、あたしは震える手で、散乱した本を拾い集めた。

 アキレウスの顔は、見ることが出来ない。

 心臓の鼓動が、今しがたの出来事が夢じゃなかったということを伝えていた。



 な……何、今の……。



 キス……しようと、した……?



「あ」



 その時、背後のアキレウスが突然声を上げたので、あたしは文字通り飛び上がるほど驚いた。

「なっ、何!?」

 振り返ったあたしが彼の肩越しに見たものは、期せずして見つかった、“魂の結晶”の記述だった。



*



『名も無き召喚士の呟き』より抜粋。


 魂の結晶-----召喚士を志す者ならば、誰でも聞いたことのある言葉だろう。

 だが、それが真実“何”を意味するのか、これほど理解されていない言葉も珍しい。

 詳細は後述するが、魂の結晶とは、召喚獣の卵の破片(カケラ)のことである。この暗青色の美しい石は、世界最強の硬度を誇る金属でもある。

 魂の結晶を語るには、まずは謎に満ちた召喚獣の生誕について語らねばなるまい。

 召喚獣は、異世界よりこの地に現れた魔獣-----そう解釈している者の、何と多いことだろう。真実は、異なる。彼らはこの地に元より住まいし者。我々の同胞-----そう、彼らは元は人間だった者達なのだ。

 魂の結晶は、想いの破片(カケラ)-----我々がよく耳にするこのフレーズは、真実を伝えている。

 どういう理屈なのかは、残念ながら私にも分からない。

 ただ、死地に面した人間が、強い想いを爆発させた時、その肉体と魂とが融け合い、青い炎に包まれた、大人の頭ほどの大きさもある卵状のものへと変化した瞬間を、生涯でただ一度だけ、私は見た。そして、その中から魔獣と呼べる外観のものが産まれ、彼方へと飛び去るところを目撃した。それは、ほんの一瞬のことだったように私には思えた。

 大地に残る、青い炎の消えかけた破片が、それが夢ではなく、紛れもなく現実の出来事であったことを語っていた。

 何故、あの時、あの現象が起こったのか-----それを解明する機会は、残念ながら私には得られなかった。比較対照出来る事例に巡り合うことがかなわなかったからだ。

 私は何度も戦場を経験し、数多くの人々の死に目に立ち会ったが、あの現象に出会うことは二度となかった。

 あの光景を目にした者が私だけでなかったなら、他にも同じ光景を目撃していた者がいたのならば、私の意見は魔道学会で一蹴されることはなかっただろう。また、目撃者が私一人であっても、もしも複数のデータが取れていたならば、あるいは取り上げられる日が来たやもしれぬ。

 しかし、それがかなわぬまま、私は人生という時を終えようとしている。

 ただひとつ分かることは、私の経験したあの出来事が、恐ろしく低い、まさに奇跡と呼ばれる確率で起こりうる現象だったということだ。

 その場に居合わせることが出来た私は、至上稀に見る運の持ち主だったと言って過言ではないだろう。


<中略>


 この書を手に取る者達へ告ぐ。

 産まれたての召喚獣を、その卵の破片を手に入れることが出来るか否かは、まさに“運”のひと言に尽きる。

 知識も経験も、財産も身分も武勇も、これに関しては何の意味も成さない。

 “天運”を持つ者だけが、それを手にすることが出来るのだ-----。



*



 三百年ほど前に一人の召喚士によって記された書のその一節は、あたし達に大きな衝撃を与えた。

「召喚獣が、元は人間だったなんて……信じられないわ」

 茫然とした表情のまま、驚きを隠せない様子のガーネット。

「まさか人間から召喚獣に生まれ変わる過程で生ずる卵の殻が、世界最強の金属だとは……」

 卵の殻、というところがパトロクロスには特に引っかかっているらしい。

「一見荒唐無稽な話のように思えるが、召喚獣の生誕についても魂の結晶についても、確たる理論は確立されていない。それどころか、このように詳細な記述があるものでさえ珍しいはずだ。他に何の手掛かりもない今、我々としてはこの書に記されたことが真実と信じてすがるしかないな」

 彼の言葉にあたしは頷いた。

「そうだよね。その為に、こうして頑張って調べていたんだもん」

「“天運”、か-----」

 呟いて、アキレウスは宙をにらんだ。

「グレンと、約束したんだ。あのジイさんがくたばる前に、やるしかねーな……」

 魂の結晶を手に入れるには、“運”しかない。

 そうと知って、アキレウスは何かが吹っ切れたようだった。

 強い決意を湛えた彼の横顔を見て、あたしの胸がまた切ない音を立てる。

 これ以上、好きになっちゃダメだ-----。

 この恋には、未来がない。

 そう思うのに、それに反してどんどん強くなるアキレウスへの想いに、あたしはそっと拳を握りしめた。

 つい先刻の残像が瞼に焼きついて、しばらくは消えてくれそうになかった。



*



 翌日。眠れぬ夜を過ごしたあたしは、重く感じる瞼をこすりつつ、朝から一人街へ出ようとあてがわれた客室を後にした。

 調べ物についてひと段落したからね。残されたやるべきことを実行しようと、昨夜のうちにパトロクロスとガーネットと密談して、アキレウスの誕生会を明日やることに決めたんだ。

 アキレウス本人には、シヴァの島へ行く前の壮行会という名目でパトロクロスが伝えることになっている。

 今日のあたしの使命は、ターニャに会って、会場となるいいお店を紹介してもらうことと、そこの予約を入れること、そして、こっそりアキレウスのプレゼントを買うことと、やはりこっそり占いの館へ行ってウラノスの行方を占ってもらうこと、この四点。

 忙しい一日になりそうだけど、気合を入れて目標を達成するぞ!

 ……まずは、迷わないようにターニャのお店まで行かないとね。そこがちょっぴり心配だったりして。

 そんなことを考えながら門を目指して歩いていたあたしは、回廊の途中でバッタリアキレウスと鉢合わせしてしまった。

 わっ!

 思わず目を見開いて立ち止まったあたしと同じように、アキレウスも軽く息を飲んで足を止めた。

「…………」

 横たわる、重ーい沈黙。

 うわ。き、気まずい……。

 昨日のあの一件以来、お互いどう接したらいいのか分からなくて、あたし達の間には微妙な空気が漂っていた。

「……はよ」

 ややしてから、アキレウスの方が遠慮がちに声をかけてきた。

「あ、うん、おはよ」

 ぎくしゃくと挨拶を返すと、そこでまたも沈黙が訪れてしまった。

 ど……どうしよ。

「-----あの、さ」

 気まずい沈黙を破り、アキレウスがためらいがちに切り出した。

「なっ、何!?」

 ドキーン、と心臓が音を立てて、思わず一オクターブ高い声が出てしまった。

 そんなあたしにアキレウスは苦笑めいたものをこぼして、こう続けた。

「ちょっと、時間ある?」
「え? あ……ごめん。これからちょっと、出掛ける用事があって」
「街? 一緒に行こうか?」
「あ、ううん。大丈夫」

 普段ならとっても嬉しい申し出なんだけど、今日だけはダメ。

 泣く泣く断ると、彼はそっか、と呟いて、ひらひらと手を振ってみせた。

「分かった。じゃ、気を付けて行ってこいよ」
「うん、ありがとう。ごめんね」

 後ろ髪を引かれる思いで、あたしはその場を後にした。

 アキレウスは、あたしに何の用事だったんだろう? やっぱり昨日の件……かな。

 あの時-----もしもパトロクロス達が来なかったら、どうなっていたんだろう。

 あのまま-----……。

 それ以上の想像は、あたしの脳には刺激が強すぎた。

 か、考えない、考えない。何の用事だったのかは、帰ってから聞こう。もしかしたら、全然違うことかもしれないし。

 今はとりあえず、道に迷わずにターニャのところへ行くことだけを考えよう……っと。


「あれー、オーロラ、今日は一人〜?」


 底抜けに明るいターニャの声を聞いた時、どうにか迷わず彼女のお店にたどり着けたことにホッとして、あたしは笑顔になった。

 良かったー、無事にたどり着けた。一回しか来たことなかったけど、アキレウスに聞くわけにはいかなかったからね。ちょっと心配だったんだ。

「また来てくれて嬉しいわ〜、で、何? どうしたのー?」
「あの、ちょっと相談したいことがあって」
「相談? 何何〜、お姉さん親身になって聞くわよー。恋の相談だと嬉しいな〜」

 瞳を輝かせ、ぐいっと身を乗り出してきたターニャに、あたしはちょっと引き気味に返した。

「いや、あの、そうじゃないんだけど……」
「なぁんだ、違うのー? あたし、アキレウスのことならけっこう詳しいわよー?」
「や、あの、アキレウス絡みってコトで間違いはないんだけど……」

 相変わらずのノリだなー、このお姉さんは。

 あたしから事情を聞いたターニャは、顎に指を当て、軽く首を捻りながら思い出すようにして言った。

「そういえば、あの子の誕生日、今月だったわね。あたしもすっかり忘れてたわ〜。っていうか、あれー? もしかして、あの日だったんじゃ?」
「そうなの……あたし、アキレウスの誕生日だったのに、彼から逆にプレゼントもらっちゃって」
「うーん、気が付かなかったあたしが言う台詞じゃないけどー、恋する女としてちょっと痛いわね〜、それ」

 や、やっぱり……。人に言われると、響くなぁ。

 しゅーんとしたあたしを見やり、ターニャはとびっきりの笑顔でこう励ましてくれた。

「ま、知らなかったんだもん、仕方ないわよ。明日あの子の誕生会やってくれるんでしょ? そこで盛り返せばいいコトじゃない〜! えーと、アキレウスの好きなお店……今思い出すからちょっと待ってね、えーと、何ていうトコだったかなー? カシュ……カシュー……」

 ぶつぶつと呟いていたターニャは次の瞬間、ぽん、と手を叩いてこう言った。

「あ、そうだ、カシュール!」
「カシュール?」
「うん、旅人達が集う酒場なんだけどねー、マスターが昔どこか有名なトコで修行をしてたシェフだったみたいで、お料理がけっこう本格的で美味しいらしいのよ。この王都にあるにしては賑やかな雰囲気のお店よ。今、地図を書いてあげるわねー」

 鼻歌混じりにカウンターの上で地図を書き始めたターニャにあたしはお礼を言った。

「ありがとう、ターニャ。あとさ、ちょっと商品を見せてもらってもいい?」
「もちろんどうぞ〜。……もしかして、アキレウスへのプレゼント?」
「え? ま、まぁ……」

 ちょっと赤くなったあたしを見、ターニャは楽しそうに口角を上げた。

「うふふふふ〜。いいわねぇ、好きな人へのプレゼント……選ぶのも楽しいし、向こうがそれを開けた時にどんな反応を見せてくれるか、これまたドキドキして楽しいのよね〜」
「あ……あのね、あたしはあくまで、旅の仲間としてっ」

 真っ赤になってそう言うと、ターニャはケタケタ笑いながらあたしの肩を叩いた。

「もぉー、ムキになっちゃって可愛いんだからオーロラは〜っ。お姉さんサービスしちゃうっ。どんなのがいいの〜?」

 ぐりぐりと頭をなでられて、あたしはますます赤くなりながら、自分の希望を彼女に伝えた。

 ううう、ガーネットに翻弄されるパトロクロスみたいな心境だよ。

「あのね、運が上がる効果のあるものがいいんだけど……ある? 予算はこれくらいで……」

 あたしはコツコツ貯めていた(というか貯まっていた。あんまり使う機会なかったし)お小遣い二千五百G(ギャラ)をカウンターの上に置いた。占いの方がいくらかかるか分からないから、とりあえずもう五百G(ギャラ)は持っている。

「運が上がるものね? よーし、ちょっと待ってて〜」

 ターニャはそう言うと、ウインドウのショーケースの中からいくつかの商品(アクセサリー)を選んで取り出した。

「これとこれと……あと、これもそうね」

 指輪に、腕輪(ブレスレット)に、ペンダント。デザインや色の異なるものが何種類か。

 うーん……どうしよう。アキレウス的にはどういうものが使いやすいかな?

 指輪……はちょっと重いかな。それにサイズが分からないから、ダメだ。

 じゃあ腕輪かペンダント……どっちがいいかな? デザインは……うーん、迷う!

「この中で一番効果があるものって、どれ?」
「ここに出したのは全部“プチシリーズ”だから、正直どれも似たりよったりなのよね〜」

 プチシリーズっていうのは、純度の低い石や金属を使うことによってその価格を下げた、このお店が新しく取り入れた新商品。付属の魔法効果も、何となくあるかな〜?っていう程度のものしかないらしいんだけど、丁寧な造りでデザイン性も良く、豪華さには欠けるものの、見た目的にはけっこういい感じなんだ。

 本当はキチンとしたものを贈ってあげたいところなんだけど、そういったものは桁がぐんと上がってしまって、あたしの経済力ではとても無理。

 だから……この中で、少しでも運が上がるものを、アキレウスに贈ってあげたいんだ。

「どうしてそんなに“運”にこだわるの?」
「アキレウスと、ある人の約束を守らせてあげたいの。それには、天運と呼ばれるくらいの運が必要なんだって。だから……」
「……。そう-----」

 考え込むように呟いたターニャは、次の瞬間、何かを思い出したかのようにパン、と両手を合わせた。

「あっ、そうだ〜」

 そのまま店の奥へと行き、再びあたしの元へと戻ってきた彼女の掌には、あるものが乗せられていた。

「これこれ〜。仕入れ先の見習い職人さんが初めて造った作品なんだけど、店頭に置いてくれって頼まれていたのよー。初仕事にしては、なかなか上出来でしょ? 石もね、結構いいヤツが使われているのよー。職人としてはまだ半人前のものだから、これも二千五百Gでいいわ」

 それは、ちょっとゴツめのデザインの、つや消しされた銀色の腕輪だった。

 クラシックな十字架が彫り込まれたその中心に、わずかに金色の混じった青い石がひっそりと息づいている。

「これ……本当に、その値段でいいの?」

 思わず聞き返してしまったのは、その腕輪が先程のプチシリーズに比べて圧倒的な存在感を放っていたからだ。

「ええ、いいわよ〜。言ったでしょ? サービスするって」

 にっこりと微笑んだターニャの言葉に、あたしは瞳を輝かせた。

「あ……ありがとう、ターニャ。これがいい。これ、お願いします!」
「はーい、毎度あり〜。今包むわね、ちょっと待ってて」

 手慣れた手つきで手際よくラッピングされていくそれを見つめながら、あたしは彼女に話しかけた。

「素敵なデザインだよね……初めて造った作品だなんて、とても思えない。見た瞬間、あたし、即決だったもん」
「ホント〜? 見習いクンに話したら、きっと泣いて喜ぶわよー。この腕輪に使われている石はラピス・ラズリって言って、災いを洗い流し、不安を払いのけ、成功をもたらす力がある、とされているの。きっと、アキレウスの運を上げてくれるわ……」

 ラピス・ラズリ……。

「偶然だけど、オーロラの色彩(いろ)が入っているのね。オーロラの指輪にはアキレウスの色彩が入っているしー、何だかこれっていいカンジじゃない〜?」

 自分でもちょっとそう思っていたところを突かれて、あたしは思わず頬を染めた。

「ぐ……偶然、なんだけどね」
「ん〜そうね、偶然偶然〜。はい、どうぞー」

 ニカッと笑ったターニャから、あたしは綺麗にラッピングされた包みを受け取った。

 このお姉さんには、かなわないなー。

「あっ、そうだー、オーロラ多分知らないと思うから、ついでにいいコト教えてあげる」
「? 何?」
「この国では、誕生日を迎えた人に自分の気持ちを伝えてからお祝いの言葉を贈る、っていう習慣があってねー、些細なことでも何でもいいから、必ず自分の気持ちを添えて祝福するの。例えば、『お母さん、いつも美味しいご飯を作ってくれてありがとう。大好きだよ、お誕生日おめでとう』みたいな〜」

 へえ……。

 そういえば確かラァムも、アキレウスと二人きりになった時、改めてお祝いを言っていたっけ。


『お誕生日おめでとう、アキレウス-----大好きよ。出来たら来年のこの日も、こうしてお祝いを言わせてほしい……』


 彼女の場合は自分の気持ちを後につけていたけれど、その辺りはきっとおおまかな感じでいいんだろうな。要は自分の気持ちを相手に伝える、っていうことが大事なんだね。

「普段さー、思っていたとしても言えない言葉って、あるじゃない。照れがあるっていうかさ〜」

 ターニャの場合はそんなコトなさそうだけどな……。

「ま、誕生日をひとつの機会にしてそれを伝えようっていうことなのよ。言われると結構、嬉しいモンよ? あ、こんなふうに思ってくれていたんだ〜、みたいな」

 考えてみると……あたし、アキレウスには助けてもらっているところいっぱいあって、いつもいつもとても感謝しているんだけど、それをキチンと言葉にして伝えてたことってない……かも。

 危ないところを助けてもらったりとか、そういうのはありがとう、ってしょっちゅう言っているんだけど、精神的な部分での感謝の気持ちってなると……。

 言葉にして出さないと伝わらないことって、あるよね。

 ターニャのお店に来て良かった。とってもいいことが聞けた!

 地図をもらい、手を振って笑顔であたしがターニャのお店を出た後、あたし達の会話を聞いていた彼女の旦那さんが店の奥からのっそりと現れて、こう口にしたことをあたしは知る由もなかった。

「うちの嫁はいつから、仕入れ先の見習い職人になったんだ?」
「あはは〜。さっきの、あの瞬間だけよ」
「純正のラピス・ラズリだぞ」
「ごめんねぇダーリン、あの娘(こ)可愛くってさー。あたしの弟分の未来にも関わっているみたいだったし……彼らへの、一生分の餞(はなむけ)ってコトで」
「それに……オレはドヴァーフ出身だが、あんな習慣は初耳だ」
「ふっふっふー。お姉様からのサプライズ、よ。可愛い二人の仲が、もっと深まりますように〜って、ね」

 あたしは知らなかった。

 ラピス・ラズリが“天空の石”と呼ばれる、とっても高価な宝石だっていうことを。

 そして、とっても世話好きなお姉様に、想像もしないサプライズを仕掛けられてしまったのだと
いうことを-----。
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