ドヴァーフ編

揺蕩う


 ターニャのお店の近所にある評判の占いの館の前には、何日か前に見た時と同じように女の子達の長い行列が出来ていた。

 その列の最後尾に並びながら、あたしは果たして占いにいくらかかるのかと、首を伸ばして、黒い天幕の脇にある木造りの看板のようなものを見た。

 えーと、料金は……うわ、五百G(ギャラ)! ギリギリだ。危なかったぁ、残しておいて良かった〜。

 こちらの世界での金銭感覚にうといあたしには、それが安いのか高いのかイマイチよく分からなかったけど、周りの会話に耳を傾けていると、どうやらかなりお高い方であるらしいことが分かった。

 それでもこれだけの人が来ている、ってことは、それだけの価値をみんなが認めているっていうことだよね。

 期待感が高まるのを感じながら、あたしはただひたすら自分の順番が回ってくる時を待った。

 結局、どのくらい待ったのかなぁ?

 東の空にあった太陽がそろそろ西に傾き始める頃、あたしはようやく黒い天幕の中に入ることが出来た。

 蝋燭の灯りだけが映し出す薄暗い空間の中に、黒い薄布(ヴェール)で顔を覆った占い師と、その目の前に置かれた大きな水晶球がぼんやりと浮かび上がって見える。

「どうぞお掛け下さい」

 その涼やかな声で、目の前の占い師が女性だということが分かった。

 何しろ、顔の大半が黒い薄布で覆われている上に、ゆったりとした黒の長衣(ローヴ)を身に着けているから、パッと見では男性なのか女性なのか分からない。

 唯一覗く切れ長の琥珀色(アンバー)の瞳が、とても神秘的な印象をあたしに与えた。

「何について占いましょうか?」
「あの……探し物の在りかを占ってもらうことって、出来ますか?」

 あたしの問いに占い師は静かに頷いて、こう言った。

「その“物”の映像を貴女の頭の中で明確にイメージ出来るのであれば、可能です。出来ますか?」

 あたしはこくん、と息を飲んだ。

「はい……多分、出来ると思います」
「では、瞳を閉じて-----頭の中にそれを思い浮かべて下さい。なるべく鮮明に、明確に-----よろしいですね? 身体の力を抜いて、意識を集中させて下さい-----」

 占い師の声に導かれるまま、あたしは瞳を閉じた。

 ウラノス-----アキレウスの剣、ヴァースにそっくりな外見を持つという、ウラノス。その刀身は青味がかっていて、魔力を奪い取る力と、高い魔法防御力を誇るという。

 閉じた瞼の向こう側で、水晶球の放つ光が徐々に強くなっていくのが分かった。

 ウラノス-----お願い……!

 その瞬間、水晶球の中で氾濫していた光の渦が、見えない何かの障壁に当たり、パシィン、という音を立てて、まるで砕け散るように消失したのを、あたしは感じた。

 え……!?

 驚いて目を開けると、そこには輝きを失った水晶球と、その様子に切れ長の瞳を瞠(みは)る占い師の姿があった。

「これ、は……」
「あ、あの……?」

 しばらく無言で水晶球を見つめていた占い師はひとつ溜め息をつくと、首を振り、あたしにその琥珀色(アンバー)の瞳を向けた。

「……申し訳ありません、私には貴女を占うことが出来ません」
「え!? ど、どういうことですか!?」

 突然のその言葉にあたしが困惑の声を上げると、彼女は淡々とその理由を説明した。

「世の中の全てのものには相性があります。私達占い師もその例外ではありません。ごく稀ではありますが、占術の力の及ばない、相性の悪い相手……というものがいるものなのです。貴女の内面に触れようとした瞬間、私の水晶球は沈黙してしまった……。残念ながら、私と貴女の相性はそういうものだったようです。……申し訳ありませんが、他の占い師を当たって下さい。今回のお代は結構ですから」

 えぇ〜、何それぇぇ……。

 なまじ期待してしまっていただけに、あたしの落胆は大きかった。

 はぁー、もしかしたら何か手掛かりが掴めるかもしれない、と思ったのにな……。

 ガックリと肩を落としつつ黒い天幕を後にするあたしの背に、不可思議な光を湛えた琥珀の視線が注がれていたことに、あたしは気が付くことがなかった。


「オーロラ様?」


 占いの館を出てしょんぼりとしながらターニャからもらったカシュールの地図を開いていたあたしは、聞き覚えのある声に名前を呼ばれて振り返った。

 そこには、切れ長の黄玉色(トパーズ)の瞳が印象的な、精悍(せいかん)な顔立ちの青年が立っていた。背がとても高く、ガッチリとした身体つきで、短く刈り上げた栗色の髪をツンツン立たせている。

 あれ? 誰だっ……け?

 すぐには分からなかった。彼はいつものトレードマークを身に着けていなかったし、こんなところに一人でいるような人じゃなかったから。

「オ……オルティス、さん!? どうして-----」

 紺色の平服に身を包んだ彼は、剣帯だけを帯びた軽装で、まるで別人のように見えた。

「街に所用がありまして。いつものいでたちでは目立ちますから、このような格好をしております。オーロラ様はこのようなところで、何を? 他の皆様は-----」

 驚くあたしにそう理由を述べて、オルティスはきょろりと辺りを見渡した。

「あぁ、あたしも用があって一人で街に来ていたんです。これからこの地図の場所へ行こうと思っていたところで-----」

 それを聞いたオルティスは、切れ長の瞳をカッ、と見開いた。

「お一人で!? 供の者も連れずに、ですか!?」
「え……えぇ。大した用事じゃ、なかったですし……」
「それを他の皆様は、パトロクロス様はご存知なのですか!?」
「パトロクロスには一応、昨日のうちに断っておきましたけど……」

 そのあまりの剣幕にしどろもどろになりながら答えると、オルティスは額に手を当て、嘆かわしげに溜め息をついた。

「貴女は今や、世界の命運の鍵を握る大切な御身なのですよ……大事がなかったから良かったものの、もう少しご自重下さい。パトロクロス様にも、その辺り私の方からキッチリ申し上げておかねば。そこいらの悪党に貴女をどうにか出来るとは思いませんが、万が一、ということがあってはなりませんからな」

 あわわ、何だか大げさなことになってきちゃったぞ。

「オ……オルティスさん、今度から気を付けますから……パトロクロスにも、あたしの方からそう伝えておきますから……、ね?」
「しかし-----」

 渋る彼を何とかなだめすかし、どうにかその了解を得ることが出来た時、あたしは内心盛大に胸をなで下ろした。

 ホッ! どうなることかと思ったよ。オルティスって、こんなに熱い人だったのか……。

「では、ここからは私がお供いたしましょう。荷物をお持ちいたしましょうか?」
「えっ!? い、いえ、大丈夫です。オルティスさん、お仕事が忙しいんじゃあ?」

 ぎょっとして長身の彼を見上げると、オルティスは至極真面目な顔でキッパリとこう言い切った。

「貴女の警護以上に優先させるべき仕事は、今の私にはありません」
「……。そ、そうですか……」

 ダメだこりゃ。何て言っても絶対ついてくるだろうな。

「さぁ、参りましょう。こちらの地図の場所へ向かうのでしたね?」
「はい……。お願いします」

 観念したあたしはオルティスに地図を渡し、彼と連れ立って街を歩き出した。

 オルティスは紳士的で、さり気なくあたしに気を遣いながら、さわりのない話題を振り、スマートにリードしてくれた。

 こんなふうに二人で話したのって初めてだけど、いい人だな。

 彼はとても背が高いから、一緒に歩いていると道行く人達がみんな振り返ってこちらを見た。

 二メートルくらいあるよねぇ……多分。まさか彼が王宮の騎士団長だとは誰も思わないだろうから、それを知ったらみんなビックリするだろうな。名高い聖騎士に一対一で警護してもらえるなんて、なかなか出来ないぜいたくな体験だよね……。

 そんなことを思いながら歩いていたら、石畳に蹴躓(けつまづ)いて、思いきり前のめりになってしまった。

 わっ!

 素早くオルティスが手を差し出して、あたしの身体を支えてくれる。

「大丈夫ですか?」
「すっ、すみませんっ」

 うわぁー、カッコ悪っ。

 赤くなりながら慌てて体勢を立て直そうとしたその時、ふと視線を感じて、あたしは顔を上げた。

 そしてそのまま、固まってしまった。

 え-----。

「オーロラ様?」

 不審そうに呟(つぶや)いて、オルティスがあたしの視線の先を追う。

 そこには、驚いたような表情のアキレウスと、彼の隣でほくそ笑むラァムが立っていた。

 足を止めたままのアキレウスの腕を引っ張りながら、ラァムがこう囁いている。

「アキレウス、邪魔しちゃ悪いわよ、行きましょ」
「あ、あぁ-----」
「それにしてもこんな街中で堂々と……オーロラさんって意外と積極的なのね」

 え……あ、う……。

 パニックに陥ってしまったあたしはとっさに声が出せず、それを否定することが出来なかった。

 その間に、アキレウスはラァムに促されるようにして、そのままどこかへ行ってしまった。

 な、何で二人が一緒に……? ううん、それよりも、何よりも。

 絶対、誤解された!

 アキレウスの申し出を断って一人で街に出たのに、あたしは私服のオルティスと一緒にいて、しかも完全に誤解なんだけど、彼に抱きよせられるようにしていたところを見られてしまったんだ。

 偶然に偶然が重なった、最悪のタイミングだった。

 アキレウスの目には、どう映ったんだろう?

「オーロラ様……出過ぎた真似かもしれませんが、私から彼に事情を説明いたしましょうか」

 気まずい空気で大体の事情を察したのか、オルティスが控えめに申し出てくれた。

「あ、いいえ……いいです。大丈夫……ごめんなさい、気を遣わせてしまって」

 オルティスは、悪くない。あたしだって、やましいことは何もしていない。

 アキレウスに説明しなくちゃ。ありのままを説明して、誤解を解かなくちゃ。

 その後、あたしとオルティスはそのままカシュールへと向かい、無事に明日の予約を済ませることが出来たんだけど、あたしはさっきのことが心に引っかかっていて、どうしても気がそぞろになってしまい、オルティスに多大な気を遣わせてしまった。

 オルティスには本当に悪いことをしちゃった。

 そんな自分に落ち込みながら、王宮に戻ったあたしは、アキレウスにあてがわれた客室の前で、まだ戻らない彼の帰りを待った。

 大したことじゃないんだし、キチンと話せば……分かってくれるよね。

 自分にそう言い聞かせながら待つことしばらく。アキレウスは戻ってきた。

「お帰り、アキレウス」

 ちょっと緊張しながらそう声をかけると、心なしか低めの声が返ってきた。

「……あぁ」

 弱気になりかける心を奮い立たせて、あたしは彼に話しかけた。

「あの、ちょっと話したいことがあるんだけど……いい? あと、朝の件、何だったのかなと思って」
「悪い、オレ疲れてるんだ。明日にしてくれないか?」

 パシン、と手を払われてしまったような錯覚を覚えて、戸惑いながら、あたしはぎこちなく頷いた。

「あ、あぁ……そっか。うん、分かった。じゃ、明日……」
「あぁ、悪いな。朝の件は、大したことじゃないから忘れてくれていい」
「え……あ、そうなんだ。うん……」

 ドアの向こうに消えていくアキレウスの後ろ姿を見つめながら、あたしはどうしようもなく心が乱れていく自分を感じた。

 こんなにそっけない態度のアキレウスは、初めてだった。

 あたしの顔を、まともに見ようともしなかった。

 別に、拒絶されたわけじゃない。明日にしよう、って言われただけ……。

 前向きに考えようと思えば思うほどに傷付いていく自分が分かって、あたしはきゅっと唇をかみしめた。

 昨日までとは違う意味で、今夜もまた、眠れそうになかった。



*



 業務報告を終えて国王レイドリックの執務室を退出しようとしたエレーンは、主君に呼び止められ、その足を止めた。

「昨日(さくじつ)報告のあったアルベルトの件だが-----」
「はい」
「ひとつ、新しい情報が入ってな」
「新しい情報、ですか?」

 怪訝そうな顔をする臣下に歩み寄り、国王は頷いた。静かに腕を伸ばし、美しいカーブを描く褐色の頬に触れる。

 エレーンが微かに息を飲み、緩いウェーブのかかった白銀の長い髪が揺れた。

「殴られたのだろう? どうして、報告しなかった」
「……それは、報告するまでもない、些末(さまつ)な事象だと判断したからです」

 オルティスだ、と彼女は直感した。

 自分の性格を見越したおせっかいな同僚が、自分が語らないであろうその部分を国王に報告したに違いなかった。

 余計なことを……。

 そう思ったのが顔に出たのだろう、国王は苦笑して、忠臣をかばった。

「オルティスを怒ってくれるなよ、私は彼に感謝しているのだから。私に余計な心労をかけさせまいとしてくれたお前の気持ちは嬉しい。だが、いつも私の為に、この国の為に尽くしてくれるお前達の心配くらいはさせてくれ。お前達は私にとって、二本の腕に等しいのだから……」

 そう語る国王の指が、優しく頬の、顎のラインをなぞる。

「もったいなきお言葉……」

 瞳を閉じてわずかな動揺を押し隠し、エレーンはそっと主君の手を取った。

「ですが陛下、むやみに御手を触れることはお止め下さい。いつ、どこで、誰の目が光っているか分からぬのです。あらぬ噂などをたてられて、未来のお妃候補のお耳に入っては一大事です。ご自重下さい」

 国王は小さく吹き出して、自らの非礼を詫びた。

「そうだな、すまぬ。お前に対しても非礼だったな、すまない。やはり女性は、そういうことを気にするものなのか?」
「はい。たいがいは……」
「そうか-----私の想い人も、やはりそうなのだろうか……」

 独白に近い主君の台詞に、エレーンは沈黙を守った。

 レイドリックは軽く頭を振り払うと、脱線しかけた話を元に戻した。

「アルベルトの暴挙を、身体を張って止めてくれたことを感謝する。だがエレーン、お前が傷付くということは決して些末なことではない。次回からは必ず報告してくれ」
「はい……承知しました」
「……すまなかったな」

 エレーンは無言でかぶりを振ることを答えとした。国王の胸中は、痛いほど分かっていた。

 アルベルトは昔から、粗暴な人間だったわけではない。わがままなところはあったが、今のようにむやみに人を傷つけるような人間ではなかったのだ。腹違いの兄であるレイドリックとは普通に接していたし、エレーンやオルティスとも時々談笑するような、そんな間柄だったのだ。

 彼らの父である前王とアルベルトの母が十年前のあの事件のさなかに亡くなり、レイドリックが国王として即位した頃から、その関係は狂い始めた。

 即位したレイドリックはまず、旧体制を一掃し、新体制を敷くところから始めた。

 前王の治世は比較的安定しており国王としてはそれなりに優秀だったと言えたが、その一方で古くからの因習に関しては黙認していた節があった。官職者達の中には、半ば公然と賄賂を要求し、私腹を肥やしていた者も少なくなかったのだ。

 甘い汁を吸っていた奸臣(かんしん)達からは、当然猛反発がきた。

 その当時、隣国であるウィルハッタとは関係が思わしくなく、前王の死去で揺れる国内を平定しながら、そちらからも目が離せなかった。

 レイドリックは日々の業務に忙殺された。

 腹違いの弟に構っている余裕などなかった。

 そして、ふと気が付くと、国王の治世に不満を抱く者達が、王弟という看板を掲げ、自分と弟との間に溝を作っていたのだ。

 父である前王が亡くなり、その時アルベルトの実母である王妃も亡くなった。レイドリックの実母は、その何年も前に亡くなっている。

 独身で子供のないレイドリックが死ねば、次の国王は自動的に弟のアルベルトとなるのだ。

 不満分子達が何を弟に吹き込んだのかは想像に難(かた)くなかった。

 アルベルトは独善的になり、傲慢になり、疑り深くなっていった。

 レイドリックは何とか弟との溝を埋めようと遅まきながら努力したが、奸臣達に操られたアルベルトは兄王の全てを疑ってかかった。

 努力すれば努力するほど兄弟の間柄はこじれていき、その溝は今や、修復しがたいところまできてしまった。

 その責任を、レイドリックは感じているのだ。

 そんな主君を、エレーンは痛々しく思わずにはいられない。

 一人では既に抱えきれないほど、たくさんの重荷を背負っている方なのに……。

 自らを片腕と呼んでくれる彼の為に、少しでもその負担を軽くしてあげたい、と思う。

 だが、自分の力が及ぶ範囲は、限られている。

 彼を真に救えるのは、その心を癒すことが出来るのは、王妃となるその人だけ、なのだろう-----。

「陛下……そろそろお休みなさいませ。色々と思うことはおありでしょうが、近頃は根をつめすぎです。お身体に、障りますよ」

 様々な想いが胸に渦巻く中、口から出たのはそんな言葉だった。

 だが国王は、その言葉から何かを感じ取ってくれたらしい。

 整った知的な顔立ちがうっとりとするような柔らかさを帯び、鷹揚(おうよう)に頷き返すのを見届けてから、エレーンは一礼して、主君の執務室を後にした。

 回廊は、青白い月明りに映し出されて、静かに夜の刻(とき)を刻んでいた。

 一人そこを歩きながら、彼女はふと、宙空を見上げた。真円に近い形を描く月が、冴え冴えとした光を地上に投げかけている。

 知らず、自らの頬に指で触れながら、彼女は半眼を閉じた。

 月明りの下、一人佇む美しい女神の姿を、夜の闇だけが静かに見守っていた-----。
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