ドヴァーフ編

戦い、その果て


 エレーンは孤独な戦いを続けていた。

 肉体を苛む“結界”の呪縛と、圧しかかる召喚の負荷。

 託された使命の重さ。それを成し遂げんとする強い想い。

 過酷な状況に悲鳴を上げる肉体と、それに相反する心-----これは、いつ果てるとも知れない自分との戦い-----誰も助けてはくれない、孤独で凄絶な、自分自身との戦いなのだ。

 近づいていく限界に、身体が震える。あまりの苦しさに、自分がもはや呼吸をしていないような錯覚にすら囚われる。

 もうどれくらい、この戦いは続いているのだろう?

 時折薄れかける意識。それを細く鋭く繋ぎ止め、ただひたすらに聖竜ロードバーンへと全神経を注ぎ続ける。

 瞳を閉じ究極の集中下に入っている彼女の世界には、ただロードバーンと己の存在があるのみだ。深い深い、精神の底の世界。そこに在る今の彼女には、外界の騒乱は届かない。

 エレーンは既に限界を踏み超えようとしていた。魔力は尽きかけ、残るものは自身の生命力のみ-----これが尽きたら、ロードバーンと彼女との繋がりは、永遠に失われる。

 エレーンの決意を汲み取ったロードバーンはもはや何も発せず、ただそれに準じようとしてくれている。

 そんな聖竜の気配が、エレーンには優しく感じられた。その優しさは、尽きかける彼女の魂に少しだけ力を与えてくれるようだった。

 徐々に白くなっていく意識の中で、ロードバーン、とエレーンは呼びかけた。



 お前は私を、良い使い手だと言ってくれた。

 共に過ごした時間はわずかだったが、お前をパートナーとすることが出来た私は、とても幸福な召喚士だったと思っている。

 気高く慈悲深い、魔法王国ドヴァーフの守護神よ-----どうか、末永くこの国の行く末を見守ってくれ-----……。



 ロードバーンの聖なる光が、赤紫色の被膜を覆い尽くした。



 ズオッ……。



 噴火寸前の火山のような音を立てて、被膜が一瞬大きくたわむ。



 次の刹那、耳をつんざくような轟音と共にそれは弾け、消滅した! 溢れ出た聖なる閃光が全てを白く染め上げ、戦火の上がる魔法王国の王都を覆っていく-----!



 それを見届けるようにして、王城上空に浮かんでいたロードバーンの姿が掻き消える。



 意識が途切れる寸前、エレーンは一滴の淡い光の雫が自らの上に舞い落ちてくる光景を見たような気がした。それが現(うつつ)か幻か、見極めることがかなわないまま、彼女はゆっくりと白い世界へと堕ちていった。



*



 赤紫色の被膜が消滅した衝撃で意識を取り戻したオルティスは、自身の腕の下で固く瞳を閉ざしているエレーンの姿を見て、呼吸を止めた。

 彼女の整った顔は蒼白で、いつも薔薇色の唇からはその色が失われている。

 心臓が凍りつくような錯覚に囚われながら、オルティスはエレーンの首筋に手を当て、その唇に耳を寄せて彼女の脈と呼吸とを確かめた。

 すると、弱々しいが微かなそれを確認することができた。

 とりあえずの安堵にオルティスは胸をなで下ろしたが、非常に危険な状態であることには違いない。意識を失う前の記憶を思い起こしながら、オルティスは現状を把握しようと周囲に視線を走らせ、そして初めてあの結界が消滅していることに気が付いた。

 赤紫色のフィルターが晴れ、そろそろ夕刻へと移り変わろうとする故郷の空が、いつものあの色を取り戻している。肉体は目に見えない呪縛から解放され、上空からはロードバーンの姿が消えていた。

 セルジュの妖気が爆発し、エレーンとアルベルトを抱きかばったあの時、禍々しい色合いのあの結界はまだ解けてはいなかったはずだ。ならばあの後、オルティスですら気を失ったほどの極限の状況の中で、エレーンはその集中力を途切れさせることなく、自らの使命を全うしたのか。

「エレーン……!」

 腕の中の彼女を見つめ、オルティスは震える声でその名を呼んだ。

 何という強さ。何という、女なのだ。

 言葉では言い尽くせない熱い思いが、胸の底から込み上げてくる。

「エレーン、死ぬんじゃないぞ……!」

 意識を失ったままの同志にそう呼びかけ、オルティスは近くで気絶している王弟アルベルトを起こしにかかった。

「殿下……アルベルト殿下!」

 ぽっちゃりとした頬を数度叩くと、蛙のような呻(うめ)き声を上げ、肉に埋もれかけた細い目がわずかに開いた。

「う……ん、オルティス……?」
「殿下、しっかりして下さい! お怪我はありませんか!?」

 その緊迫した声にようやく生々しい現実を思い出したのか、アルベルトは肥満気味の身体を大きく震わせ、飛び起きた。

「オ、オルティス! わ、私はいったい……!?」
「あの魔性の妖気に吹き飛ばされ、気絶されていたのです」

 フロアの中央に素早く視線を走らせ、オルティスはアルベルトにそう説明した。

 セルジュはフロアの中央で見覚えのない女と何やら会話を交わしていた。金色の髪に浅黒い肌をした女-----おそらくは、あれが例のガゼ族の占い師だろう。

「殿下、魔力はまだ残っていますか!?」
「魔力? あ……う、うむ、多分……」
「では、至急エレーンに回復呪文をお願い致します。私は陛下を……!」

 そう言い置いて、オルティスは離れた場所に見える主君の下へと駆け出した。

「え!? オ、オルティス……ああっ、エレーン!?」

 混乱気味のアルベルトの声を背後に聞きながら、オルティスは上半身だけを起こしている状態のレイドリックの元へ一気に駆けつけた。

「陛下、ご無事ですか!?」
「オルティス……あぁ、彼らが身を挺(てい)して私を守ってくれた」

 そう応えるレイドリックの表情は沈痛だった。主君の上に折り重なるようにして倒れた二人の騎士の姿を見て、オルティスは口元を引き結んだ。カイザードとコフィーの変わり果てた姿がそこにあった。

「……ご無事で何よりです。お怪我はありませんか?」

 主君の身体を亡くなった騎士達の下から引き出しながら問いかけるオルティスに、レイドリックは大丈夫だ、と首を振った。

「あの被膜が消えている……エレーンがやってくれたのだな……。彼女は……無事か?」

 そう尋ねるレイドリックの声が微かに震えているようにオルティスには感じられた。

「決して無事とは言えませんが……生きています。今、アルベルト殿下が回復呪文を施して下さっているところです」
「そうか……アルベルトが……」

 瞳を伏せて、レイドリックは深く深く息を吐き出した。そんな主君の様子を見やりながら、オルティスはわずかに頬を緩めてこう促した。

「参りましょう。……この戦いが終わったらエレーンを褒めてやって下さい。喜びますよ」

 それに対して、レイドリックは顔を上げ、鷹揚に頷き返した。

「あぁ……もちろんだ」



*



「う……」

 結界が解けた衝撃波に煽られ目を覚ましたアキレウスは、朦朧とする意識の中、吹き荒(すさ)ぶ烈風から身を守ろうと、身体をよじり床に顔を伏せた。

 強烈な閃光に照らされた視界が白い。いったい何が起こっているのか、自分は今どういう状況に置かれているのか。

 混乱する記憶をたどりセルジュの妖気の爆発で吹き飛ばされたのだと思い出した頃、徐々に風が収まり始め、ようやく顔を上げたアキレウスは、あの忌々しい結界が消滅していることに気が付いた。

「これ、は……」

 目を見開いて呟いたアキレウスの後方から、耳慣れた声が聞こえてきた。

「“結界”が……消えている……」

 そちらを振り返ると、同じように床に伏せた状態のパトロクロスが顔だけを起こして空を見つめていた。

「パトロクロス、平気か?」
「あぁ……お前はどうだ、アキレウス」
「まぁ何とか……」

 言いながら身体を起こし辺りを見渡したアキレウスは、フロアの中央に佇むセルジュとシェスナの存在に気が付いて息を飲んだ。

「あの占い師……!」

 反射的に立ち上がって駆け出そうとするアキレウスの肩をパトロクロスが掴み、押しとどめる。

「待て、アキレウス。何やら取りこみ中のようだ……今のうちにガーネットとフリードと合流し、態勢を整えよう」
「っ……分かった……」

 逸る心を抑えて頷くと、アキレウスはパトロクロスと共に瓦礫の影を縫うようにしながらガーネット達の元を目指し走り始めた。



*



「ガーネット……ガーネット、しっかり!」

 自分を呼ぶフリードの声で、ガーネットはぼんやりと目を覚ました。

 見たことがないくらい切羽詰まった表情をした幼なじみの青年が、心配そうに自分の顔を覗き込んでいる。いつも飄々(ひょうひょう)とした彼からは想像も出来ない表情だった。

 まだ意識がハッキリしていないガーネットはひとつ瞬きをして、不思議そうにそんな彼の名前を呼んだ。

「……フリー……ド?」

 自分のものとはおおよそ思えない、かすれた声が喉からもれた。すると、フリードの顔からようやく安堵の笑みがこぼれた。

「ああ、良かった。回復呪文をかけてもいっこうに目を覚まさないから、心配したよ。起きれる?」
「ええ……」

 フリードに支えられるようにして、ガーネットはゆっくりと半身を起こした。まだどこかぼんやりとしている頭を軽く振ったその瞳に、元通りの色を取り戻した空が映る。

「被膜が……」

 目を瞠り、傍らのフリードを見やると、彼は晴れやかな顔で頷いた。

「聖竜とやらがやってくれたよ。あの“結界”が消滅するシーンは爽快だったな。ガーネットにも見せてあげたかったよ」

 フリードは『その瞬間』を目撃した数少ない人物の一人だった。その言葉を微笑みながら聞いていたガーネットは、ふと我に返り、辺りを見渡した。

「……! パトロクロスとアキレウスは!?」

 それを聞いて、やれやれとフリードは溜め息をつく。

 二人の貴重な時間は、これでおしまいか。

「……無事みたいだよ。ほら」

 顎でそちらを指し示すと、駆けつけてくる二人の姿をその目に捉えたガーネットの表情から笑顔が溢れた。

「パトロクロス、アキレウス!」
「ガーネット、フリード、無事か!?」
「ええ! 良かった、二人共無事だったのね!」

 互いの無事を確認し合った後、パトロクロスがためらいがちにガーネットに声をかけた。

「……身体は、大丈夫なのか?」

 愁いを帯びた淡い青(ブルー)の眼差しが気遣わしげな光を湛えている。ガーネットはそんなパトロクロスを見やり、冗談ぽくニカッと笑ってみせた。

「もっちろんよ」
「ボクがずっと守っていたからね」

 面白くなさそうな顔をしたフリードがそう言ってずいっと二人の間に割り込む。

 そんな三人の微妙な空気を感じながら、とりあえずそれには触れないことに決めて、アキレウスは切り出した。

「ガーネット、霊薬はまだ残っているか?」
「ええ、あとひとつだけ」
「じゃあ回復を頼む。あの占い師が来ているんだ……」

 低い声でそう言って、アキレウスはフロアの中央を見やった。同じようにその姿を確認して、表情を引き締めたガーネットが頷く。

 深刻そうな雰囲気で何やら会話を交わすシェスナとセルジュ。よほど込み入った話をしているのか、気付いていないということはないだろうに、二人共こちらには目もくれない。

 そこから視線を戻しながら、ガーネットは姿の見えない仲間の少女についてアキレウスに尋ねた。

「オーロラは?」
「分からない。ここへは連れて来られてないみたいだ。どこかに監禁されているのか……」
「国王様は?」
「無事だ。さっき聖騎士と一緒にいるのを見た」

 それを聞いて、ガーネットは勝気な茶色(ブラウン)の瞳をキラッと輝かせ、唇の端を上げた。

「そう……じゃあ後はあいつらをちゃっちゃとヤッつけて、オーロラの居所を吐かせればいいのね」
「そういうことだ」

 相槌を打つアキレウスの傍らでパトロクロスが重々しく口を開いた。

「いよいよ大詰めだ……」

 その言葉に同意しながら、フリードが肩をすくめて呟く。

「さっさと終わらせて、早くくつろぎたいね」

 最後の霊薬を飲み干したガーネットは、朗々と回復呪文を唱え始めた。被膜の呪縛から解放され、本来の能力(チカラ)を取り戻した身体が軽い。詠唱に伴って満ち満ちた魔力が全身を駆け巡ると、杖の先端に煌々とした輝きが灯された。

「“恩波の癒し手(レイティアー)”!」

 白い癒しの光が、フロアの一角を包み込んだ。



*



「あーあ、結界が破られちゃった……」

 聖竜ロードバーンによって赤紫色の被膜が打ち破られたその瞬間、宝玉のようなピンクの瞳だけを動かしてその光景を見やり、セルジュは面白くなさそうに呟いた。吹き荒れる衝撃波が、緩いクセのある彼女の髪を激しくなびかせていく。

「大勢のついた今となってはどうでもいい話だけど、ただムカつくわね……」

 麻痺の残る右手で切り落とされた左腕を無造作に傷口に押しつけ、それを繋ぎにかかりながら、苛立ちを吐き出すセルジュの表情は剣呑そのものだ。

「このあたしにこれだけの精気を使わせて、人間風情が……調子に乗ってくれるじゃない。この代償は高くつくわよ……」

 不穏な空気を全身にみなぎらせながら、セルジュは目の前の元ガゼ族の占い師にゆっくりと視線を戻した。

「それで、シェスナ-----“イヴ”はどこなの?」
「……。ある場所で冥竜カラムスに見張らせています」

 吹き荒ぶ風の中に身を置きながらそう答えるシェスナを見つめ、セルジュはわずかに瞳を細めた。

「ある場所って?」
「……その前に……国王はどこですか。約束通り、あの男を私に引き渡していただきたい」

 それを聞いたセルジュの眉が跳ね上がった。

「シェスナ……お前、このあたしを相手に取引でもする気?」
「……そのようなつもりは。最初から申し上げている通り、私の望みはただ、国王レイドリックの首をこの手で討ち取ること……それだけです」

 冷たい汗が背筋を流れ落ちていくのを感じながら、シェスナは努めて平静を装った。

「ふぅん……あたしが信用出来ない、ってワケ」
「そういうわけでは……」
「ならさっさと教えるのね。もう一度聞くわよ……“イヴ”はどこ?」

 怒りに彩られたピンクの双眸が、シェスナを恫喝する。シェスナは息を飲みながら、硬い声で自分の意志を繰り返し述べた。

「国王を私に引き渡して下さい。それから……お伝えします」

 セルジュのムチがシェスナを打ち据えた。利き腕に麻痺の残るセルジュが腕を動かしたのではなく、ムチが主人の意思に従い生き物のように動いたのだ。

「お前、鈍いの? あたしは今かなり機嫌が悪いのよ」
「……私はこの目的を達する為に、魔道にまで身を堕としました……これだけは譲れません。国王は、どこですか」

 頑ななシェスナの態度に、セルジュの瞳が氷のような冷たさを帯びる。

「シェスナ。そういう台詞はキチンと仕事を成し遂げてから言うのね。お前はシヴァの地図に認められし者を始末出来ていない。その約束は反故よ」

 もっとも、シェスナが完璧に仕事を成し遂げていたところで、レイドリックを彼女に渡すつもりなどセルジュにはなかった。

 思いの外セルジュの好みだった国王……大量の精気を失ってしまった今、上等の精気を持つ男をむざむざシェスナなどに渡せない。それに、レイドリックは今やセルジュの大切な遊び道具でもあるのだ。愛する男を目の前で弄ばれたら、エレーンはどんな反応を見せるだろうか?

「殺されないだけありがたく思うのね。心配しなくても国王はこのあたしが殺してあげるわよ、最終的にはね。さぁさっさとイヴの居場所を吐いて」

 セルジュの返答にシェスナは瞑目した。男達の精気を糧とするセルジュ……当初から、こういうことになるのではないかという懸念はあった。

 相手はバケモノ達の頂点に君臨するルシフェルの配下、“四翼天”と謳われる四強の一角……バケモノの最高峰だ。出来れば敵になど回したくはなかった。だが……。

「……居場所を吐かなければ私を殺しますか? 私を殺せば、イヴも死ぬことになりますよ」

 薄暗い響きを帯びたシェスナの声に、セルジュのこめかみがピクリと引きつった。

「何ですって?」

 ピンクの魔性から放たれるプレッシャーが激しさを増す。ともすれば揺らぎそうになる身体を意志の力で抑えつけ、シェスナは表面上はあくまでも平静な風を装った。彼女にとって、ここは正念場だった。

「彼女に死なれては貴女達も都合が悪いのでしょう? さぁ……国王を渡して下さい」
「シェスナ、お前……!」

 セルジュの纏う空気が煉獄の炎と化す。あの少女をセルジュに渡した瞬間に自分が殺されることを確信して、シェスナは目まぐるしく頭を働かせた。

 死に対して、恐れを抱いているわけではない。こんな身体に成り果てた自分が今さら生にしがみつくなど、滑稽な話だ。

 死ぬこと自体は別にどうでもいい。ただ、目的を果たせないまま死を迎えること、それだけは避けねばならない。それでは何の為にこの身を魔道にまで堕としたのか分からない。犬死、それだけは絶対にあってはならないことだ。

 その為には-----。

 シェスナは自らの目の前に立ちはだかる強大な障壁を見据えた。

 四翼天の一人……セルジュ。

 絶対に、自分が敵う種類の相手ではない。

 だが。

 今はその左腕を切り落とされ、修復中のそれは完全には接合されていない。

 右腕にはどうやら麻痺が残っているらしく、今のところ完全に回復する兆しはない。

 そして、これまでの戦闘によって大量の精気を失い、今、その力は類を見ないほどに弱まっているはずだ。



 ……殺れるか?



 息を殺して、シェスナは密かに己に問いかけた。自らの問いかけに、ドクン、と心臓が呼応する。



 カラムスの祝福によって幾重もの加護を受けている自分の肉体。防御に徹すれば生半可な攻撃は効かないはずだ。



 その時、瓦礫の向こうに蠢くものをシェスナの目が捉えた。

 それは、オルティスと共にフロアを移動する国王レイドリックの姿だった。

 -----レイドリック……!

 目を見開いたシェスナ同様、それに気付いていたらしいセルジュが薄く口元を歪めた。

「……やれやれ。頭にくるけど、とりあえずはターゲットを確保しておきましょうか」

 セルジュが言い終わると同時に妖しい輝きを帯びた緑のムチが彼女の手を離れ、凄まじいスピードでレイドリックへと襲いかかった!

「!」
「陛下ッ……!」

 突然のムチの襲来に、オルティスは目を剥いた。

 鋭利な棘のついたそれが一瞬にして主君の身体を拘束し、その体内に楔を穿つ。白い法衣が瞬く間に鮮血で滲み、手にした錫杖の金属製の小環がシャラン、とその場に不釣合いな清涼な音を立てた。

「くっ……!」

 オルティスはすぐさまそのムチを引き剥がそうと試みたが、緑色の拘束具はビクともしない。彼自身が拘束されたのはこのムチから剥離した蔓によるものだったが、それとは比較にならない強度だ。

「陛下、お待ち下さい。すぐに……!」

 苦痛の声をもらすことなく耐えるレイドリックにそう声をかけ、オルティスは主君を縛めるムチを切り離そうと腰の短剣を抜いた。その時だった。

「あたしの可愛い相棒を傷付けないでくれる?」

 セルジュの声と共に目の前にあった瓦礫が音を立てて砕け散った。とっさに盾となりその瓦礫から主君をかばおうとしたオルティスの側頭部に、狙い澄ましたセルジュの蹴りが炸裂する!

「……ッ!」

 衝撃で兜が弾け飛び、キィンッ、という残響音と共に意識が刈り取られていくのをオルティスは感じた。

 瞬く間に視界が薄暗く狭(せば)まっていく。

 -----しまっ、た……!

「オルティスッ!」

 自分の名を叫ぶ主君の声を遠くに聞きながら、無念にもオルティスはその場に崩れ落ちた。

「オルティス……オルティスッ!」
「ムダよ。あれで立ち上がれたら人間とは呼べないわ」

 忠臣の身を案じる国王に冷酷にそう告げると、ピンクの色彩を纏う魔性は傲然(ごうぜん)とその前に立ちはだかった。

「さぁ……国王サマ。一緒に来てもらいましょうか?」



 その、刹那。



 ズシュッ。



 生々しい音と共に自らの背から胸にかけて走った熱い衝撃に、セルジュは宝玉のような両眼を見開いた。鋭い金属の刃が、豊満な胸の間を貫いて飛び出しているのが見える。

 その衝撃の光景を離れた位置から目撃したアキレウス達は、まさかの展開に目を疑った。


 シェスナが小剣で、背後からセルジュを刺し貫いたのだ。


 自身の身に何が起こったのかを瞬時にして悟ったセルジュは、憤怒の形相で背後のシェスナを振り返った。

「シェスナ、貴様ッ-----!」

 怒号と共に、凝縮された妖気が凶悪な波動となって裏切者へと放たれる!

 その凄まじいエネルギーを、シェスナは結界で防ぎきった。

「……! カラムスの護りかっ……!」

 美しい面差しを歪め、忌々しげにセルジュが吐き捨てる。シェスナはそんな彼女に冷ややかな眼差しを向けたまま、無駄のない動きで血まみれの小剣を抜き去ると、その刃を無言のままセルジュの心臓の上に突き立てた。

「……ッ!」

 長い睫毛に縁取られた瞳を見開き、セルジュがゆっくりと仰向けに倒れていく。その上に何度も何度も執拗なまでに剣を突き立て、彼女が完全に動かなくなったことを確認してから、シェスナはようやく肩で大きく息をついた。

 ぬめる血の感触。天を仰いだまま横たわる、真紅に染まったセルジュの肉体。

 心臓が、凄まじい速さで脈打っている。滝のような冷や汗が全身を流れ落ち、緊張と興奮とで四肢は細かく震えていた。

 いつまでも脳裏に響く自身の鼓動の音を聞きながら、シェスナは目の前の思わぬ事態に息を潜める国王レイドリックへと視線を向けた。

 ここで気を抜くわけにはいかなかった。

 彼女にとっては、ここからが本番なのだ。

 血の滴る小剣を振って血糊を飛ばし、それを身動きの取れない国王の首筋へと突きつけながら、鋭い声でシェスナは叫んだ。

「-----動くな!」

 背後から駆けつけてきていたアキレウス達が、ビタリとその動きを止める。

「……少しでも動いたら、この男を殺します。それに、私を殺そうとは考えない方がいい……私を殺せば、大切なお仲間も死ぬことになりますよ」
「……! 何だと……!」

 低く唸るアキレウス達に背中で牽制をかけながら、シェスナは凍てつくような光を宿した眼差しをレイドリックに向けたまま、背後の彼らにこう告げた。

「貴方達には、腐敗しきった大国の犯した罪をその耳にする証人になってもらいます-----」

 シェスナの口から飛び出したその意外な内容に、アキレウス達が目を瞠る。琥珀の双眸をギラつかせ、シェスナは無言で自分を見上げる魔法王国の若き王へとこう迫った。

「さぁ、国王レイドリック。真実を語ってもらいましょう-----十年前、炎の闇に包まれて消えた、この国の秘宝-----『真実の眼』にまつわる真相を」
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