サラサラと、砂の流れるような音がする。
「う……」
寒さで、あたしは目を覚ました。
さむ……。何でこんなに寒いの……。
ぼんやりとした視界に、砂が映った。
大量の。
「-----え!?」
驚いて起き上がると、身体中に鈍い痛みが走った。
「った……何なの、これ」
痛みに顔をしかめながら、あたしは目の前の光景を見て-----言葉を失ってしまった。
「----------……」
辺りを見渡す。
草木一本、生えていない。
あるものは、砂。
砂と、闇。それだけ。
何とあたしは、夜の砂漠の真ん中に、たった一人、ぽつんと座りこんでいたのだ。
「-----え、と……」
頭の中がメチャクチャになっていた。
何で? あたしは、海辺の町にいたはずなのに。
何で、こんな……果てしなく広がる砂漠の中に、一人で。
アォー……ン。
遠くから、狼の遠吠えみたいなのが聞こえた。
「ええっと……ええっとぉ」
涙が溢れそうになってきた。
落ち着いて……落ち着いて。まずは、考えなきゃ。
どうして自分が、ここにいるのか。
ガタガタ震えながら、あたしは自分を抱きしめた。するとジャラッ、という音がして、腕に冷たいものが触れた。
見ると、それは幾重にもなった金属製のネックレスだった。
「あ……」
意識を失う前の記憶が、怒涛のように流れこんできた。
そう……だ。あたし、踊っていて……で、あの闇に吸いこまれ、て……。
アォーン。
また、あの遠吠えが聞こえた。さっきより、ずっと近くに聞こえる。
……じゃ……。
震える自分の身体を抱きながら、あたしは辺りを見回した。
じゃ、ここは……?
涙が溢れてくる。
ここは、どこ……?
「マ、マスター……」
心細くて、どうしようもなくて……絶対に返事は返ってこないと分かっていたけれど、あたしは呼ばずにはいられなかった。
「マスター、ムエラ、みんなぁ、どこ……?」
アォー……ン。
「いやぁっ!」
ドクッ、ドクッ、ドクッ……。
自分の心臓の音が、痛いくらいに耳に響く。
「マ、マスター! ムエラ! 返事してよぉっ!!」
いくら叫んでも、あたしの声は、砂漠の闇に吸いこまれていく。
そして、怖いくらいの静寂……。
「ひっ……く、うっ……」
こらえきれず泣き出しそうになったその瞬間、
「-- -- -- -- 」
背後から聞こえた低い響きと共に何かに突然肩を触れられ、あたしは反射的に“それ”を叩いてしまった。
パーン!
肉を打つ小気味良い音と共に、“ウッ”とくぐもった声が聞こえた。
-----やだっ、何!? 怖い!!
あたしは反射的に逃げ出そうとしたけれど、砂に足をとられて転び、そこをしっかとその何者かに押さえられてしまった。
「きゃあきゃあきゃあきゃあッ!!」
あたしは必死に手足をバタつかせたけれど、身体を押さえつけるその力は強くて、あたしはまるでひっくり返されたカメのよう。
「やだっ、やだっ、やだったらやぁッ!!」
「-- -- -- -- --!」
得体の知れないその何かは大きな声で何事か言いながら、あたしの顔を自分の方に無理矢理向かせた。
「やだった……!」
叫びかけたあたしは、その顔を初めて見て、コクン、と言葉を飲みこんだ。
人間、だ……。
それは、若い人間の男の人だった。
暗くて良く分からないけど、多分あたしと同い年くらい……。
相手が人間と分かってあたしはホッとしかけたけど、だからと言って、まだ安心だとは限らない。
とりあえずは、この押さえこまれた状態を何とかしないと……!
再びあたしが暴れようとすると、意外なことに、その青年は自分の方から手を離した。
「-- -- -- --」
そして警戒するあたしに何事か語りかけながら、両手を上げて遠ざかり、横に首を振る。
自分は怪しい者じゃない、って言っているの……?
いつでも逃げられるよう、体勢を立て直しながら青年を見ると、彼はまた何か話しかけてき
た。
「-- -- -- --」
不思議なイントネーション。初めて耳にする響き。
だけど、あたしには彼の言いたいことが分かった。
オレハ、アンタノ敵ジャナイ。
彼は、こう言っているんだ。
あたしが黙ったままでいると、もう一度、彼は言った。
「オレは、あんたの敵じゃない。怖がらなくていい。大丈夫だ」
今度はハッキリと、彼の言葉が分かった。
-----何で!? この人の言っている言葉が分かる!
驚きに目を見開くあたしに、彼はちょっと笑いかけた。
「怖がらなくていい。大丈夫だよ」
そう言って、ゆっくりと近づいてくる。
あたしが思わず後退(あとずさ)ると、彼は困ったように立ち止まった。
「え……っと、言葉分からないか……? 何もしないよ」
再び両手を上げて、ひらひらと振ってみせたその両眼が、瞬間、スッと細まった。
-----何?
ビクンとするあたしに、シッと唇に指を当てて合図を送ると、背後の闇に向き直る。
何なの……?
動きの止まったあたし達の間を、風だけが吹き抜けていく。
そのまま一秒、二秒……。
青年が背後から、ゆっくりと何かを引き抜いた。
それと同時に、それまで厚い雲に覆われていた満月が、冴え冴えと地上を映し出した。
青年が引き抜いたモノが、月の光を浴びて、冷たく輝く。
それは、剣(つるぎ)。
余計な装飾の施されていない、実戦用の、年季の入った鋼の長剣。
でも、そんなことに驚いている余裕は、今のあたしにはなかった。
満月の光は、あたし達を取り巻く、異形の生物達をも映し出していたのだから!
闇の中で輝く、凶暴な赤い光。それは、彼らの眼光だ。
狼のような体躯(たいく)。けれど、狼ではない。
長毛に覆われたその顔には、小さな目が横に三つ、並んでいる。
何なの、これ……。
背筋が冷たくなるのをあたしは覚えた。
地球上には存在しないはずの生物。それが、今、目の前にいる。
ぐるりとあたし達を取り囲むようにして、五、六、……もっといる。
唇をめくり上げ、不揃いの鋭い歯を剥き出し、よだれをしたたらせて……あたし達をにらみつけている。
身体が激しく音を立てて震え始めた。
何なの、これ!
「デザートウルフか……」
青年がそう呟(つぶや)く声が聞こえた。
デザートウルフと呼ばれた怪物達の中で、ひときわ大きな一頭が咆哮した。それは、さっき聞こえたあの遠吠えにそっくりだった。
それを合図にするようにして、デザートウルフ達は一斉に襲いかかってきたのだ!
「きゃあッ!」
「動くなっ!」
悲鳴を上げるあたしにそれだけ言って、青年は怪物の群れの中に飛び込んでいった。
「こっちだ来いっ!」
デザートウルフ達の注意を引きつけるようにして、長剣を一閃させる!
「ギャウッ!」
真っ赤な血を首から噴き出し、一頭が絶息する。
血生臭い匂いが辺りに立ちこめると、怪物達はあたしの存在など忘れたかのように、青年に向かって猛り狂ったように攻撃を始めた。
「そうだ、来いっ!」
青年が挑戦的な笑みを浮べて剣を振るう!
「ギャウッ!」
一頭、また一頭-----悲鳴を上げて、怪物達が絶息していく。
血しぶきが、辺りに舞う。
-----あぁ……。
青ざめ、震えながら、あたしは目の前の光景を見つめた。
月明りに照らされて、血の雨の中で戦う青年の姿が、怖いくらいハッキリと見える。
まるで月光を紡いだかのような、不思議な色の髪。
光り輝く、野性的な翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳………。
ビシャ、と頬に生温かいものがかかった。
-----これは、悪夢だ……。
知らないうちに、身体が逃げを打っていた。
「-----バカ、動くなッ!」
青年の声と同時に、左足のふくらはぎの辺りに激痛が走った。
痛ッ……!
ドウッ、と倒れこんだところに、ザシュッ、という音がして、純白の衣装が真紅に染まった。大きく裂けた怪物の腹部から飛び散った臓器が、目の前にぶちまけられる。
ひ……。
「大丈夫かッ!?」
息を切らせて顔を覗きこむ青年の言葉なんて、耳に入らなかった。
「いやあぁぁぁッ!!」
目を見開いて、あたしは絶叫していた。
血臭。バケモノの死体、死体、死体。
-----いったい何がどうなっているの!?
「ふっ……ぐ……」
気持ち悪くなってきて、あたしはこらえきれずに嘔吐した。
や……だ。やだ……。
涙がとめどなく溢れてきて、頬を伝う。
誰、か……。
虚ろな目に、闇と血と……砂だけが映る。
誰か、助けて----------!!
*
「オーロラ……起きて、朝だよ」
目を開けると、そこには見慣れた顔があった。
ムエラ……。
「どうしたんだい? ずいぶんとうなされていたよ」
うん……あのね、変な夢を見ていたの。
闇と砂が広がっていて……すごく寒いの。どこまでも続いている……とても怖かった……。
あたしは、女神の衣装を着ているの。
赤い目をした怪物が出てきてね、真っ赤な、血……。
そこまで言って、あたしは目を見開いた。
あたしはいつもの夜着ではなく、女神の衣装を着ていた。小さな赤いシミが、お腹の辺りにポツンとついている。
その赤いシミが、みるみる広がっていく。純白の衣装を真紅に染めていく。
いやっ! ムエ……!
顔を上げたその先に、もうムエラの姿はなかった。遥か彼方に、小さく、小さく……どんどん見えなくなっていく。
いやっ、ムエラ待って! 行かないで!!
彼女と一緒に、それまであたしの側にあった暖かいものは全て遠ざかってしまった。
代わりに、冷たい風があたしの頬を殴りつける。暖かい毛布の代わりに、ざらざらとした砂の感触。
そして、深い闇-----。
逃げたいのに足が動かない。
凍えそうなほどに寒いのに、怖いのに、自分の身体を抱くことしか出来ない。
闇の中に、赤い光が灯る。
荒い呼吸音。威嚇。
ドクッ、ドクッ、ドクッ。
心臓の音。痛いくらい、耳に響く。
い、や……。
恐怖。
いや……。
大きな口が、がっぱりと開く。
いや……やめっ……。
したたり落ちるよだれ。鋭く光る、大きな牙。
ドクッ、ドクッ、ドッ……ドッ、ドッ、ドッ。
跳ね上がる鼓動。溢れ出る、涙。
ドッ、ドッ、ドッ……ドッドッドッドッ。
冷たく輝く、月の光----------。
怖い怖い怖い怖イ怖イ怖イコワいコワいコワいこわイこわイこわイコワイコワイコワイこわい助ケテ助ケテ助ケテ助けて助けて助けてタスけてタスけてタスけて怖イ怖イコワイ怖いコワイ怖い助けてタス
-----氷のような蒼い瞳(め)-----
ドクンッ
-----舞い散る、白い……-----
イタイッ……
-----頭……割れ……-----
ズキンッ
痛い痛い痛い痛イ痛イ痛イやめてヤメてヤメてヤメて止めて止めて止めて止メテ止メテ止メテやめてやめてやめてヤメてヤメてイタイイタイ痛いイタイ痛イいたいいたいいたい痛いヤメて止めてやめて止め
-----ミシッ……-----
「いッ……」
「いやああぁ-----ッ!!」
叫びながら、あたしは飛び起きた。
「-----ッ……」
心臓がすごい速さで脈打っている。
荒い息をつき、ガタガタ震えながら、あたしは自分を抱きしめた。
「-----ゆ……め……」
「大丈夫か?」
「!?」
横合いから突然入った声に、あたしはビクッとして向き直った。
「あっ……」
そこには、あの砂漠で出会った青年がいた。
焚き火を挟んで、反対側から静かにあたしを見つめている。
身体を硬くしたあたしを見て、彼はちょっと笑いかけた。
「ずいぶんうなされていたみたいだから」
その笑顔に少しホッとするのを覚えつつも、同時に、血の気が失せていくのをあたしは感じた。
この人がいる、ってことは-----。
恐る恐る、目線を下げていく。
赤褐色の、変わり果てた衣装が目に映った。
夢じゃない、ってこと-----。
「-----おい!?」
ぐらりと傾きかけたあたしに驚いて、青年が腰を浮かしかける。
「来ないで!!」
それを見て、あたしは悲鳴に近い声を放った。
「来ないでぇッ!!」
「-----……と」
呆然とした顔で、青年が動きを止める。
「……何だ、言葉分かるん-----」
「何なのよ、あれっ!?」
その言葉を遮って、あたしは叫んだ。
「な、何であんなバケモノが……だ、大体ここはどこなの!? あたし、さっきまで海辺の町にいたのよ!? 何で、こんなっ……砂ばっかなのよぉッ!?」
ぼろぼろ、ぼろぼろ涙が溢れてくる。
「あなたのカッコも変だしっ……ぶ、武器なんか持ってるし……! 顔色ひとつ変えないで、あんなバケモノ、当たり前みたいに殺すしっ……! 何なのよもぉっ! どうしてあたし、こんな所にいるの----------ッ!?」
困った顔をした青年に向かって、わめくだけわめきたてた後、あたしは一気に泣き崩れた。
もう本当にわけが分からなかった。
何で自分がこんな目に合っているのか。どうしてそれが、夢じゃないのか。これから、自分がどうなってしまうのか-----。
色々な不安の中でぐちゃぐちゃになりながら、あたしは「泣く」という行為に全てをぶつけた。そうでもしないと、どうにかなってしまいそうだった。
あたしがわんわん泣いている間、青年はじっと黙ってその様子を見つめていた。
どのくらいの時が経ったんだろう-----。
「ひっ……く、うっ……」
目が真っ赤に腫れてそろそろ泣き疲れてきた頃、あたしはようやく周りのことが見えるようになってきた。
「……っく……」
ずっ、と鼻をすすりながら、涙を拭う。
岩……だ……。
砂漠の真ん中にいるものだと思っていたのに、あたしは周りが岩で囲まれた、洞窟のような所にいた。身体には、外套(がいとう)のようなものが掛けられている。
「……」
パチッ。
焚き木が爆(は)ぜた。
「……落ち着いた?」
青年が静かな声で話しかけてきた。
こくり、とあたしは頷いた。
パキ、と焚き木を二つに折って火の中に入れながら、青年が呟く。
「砂漠の夜は、冷えるからな……」
何だか急に恥ずかしくなってきた。
洞窟の外には、果てしなく続く砂漠が見える。
この人は、見ず知らずのあたしを助けてくれた上、こんな所まで運んできてくれたのだ。
それなのに、あたし……。
大泣きした上、完全に八つ当たりしてしまった。
-----すっごい、最ッ低!
こんな状況だったとはいえ、何てコトしてしまったんだろう……顔から火が出そう!
一人で赤くなりながら、あたしはぐっと拳を握りしめた。
謝らないと……。
「……あの」
恥ずかしかったけど、あたしは顔を上げて彼の顔を見た。
月光を紡いだかのような、不思議な色の髪。綺麗な、けれど意志の強さを感じさせる翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳。どこか野性的な雰囲気を持った、精悍(せいかん)な顔立ちの青年。
-----だけど。やっぱ、カッコが変ッ……。
どこか異国のおとぎ話にでも出てきそうな服に、頑丈そうなブーツ。上半身に鈍色(にびいろ)の金属製の鎧を身に着け、年季の入った鋼の長剣を肩にもたれかけさせている。
違和感がないくらいにそれが似合っているから、余計に変な感じがしてしまうんだよね。
それはとりあえず胸にしまっておくことにして、あたしはぺこりと頭を下げた。
「あの……ごめんなさい。あたし、取り乱しちゃって……本当はまず、お礼を言わなくちゃいけなかったのに」
「気にしなくていいよ。それより腹減ってない?」
「え? えぇ……」
言われてみれば、すごくお腹が減っている気がする。あたしは思わず頷いた。
青年は近くにあった皮袋の中からごそごそと、何かの葉っぱにくるまれたお肉を取り出した。乾燥させてあるらしいそれを軽く火であぶってから、水筒と一緒に渡してくれる。
「こうすると結構いけるんだ」
「あ……ありがとう」
「ま、携帯食だから、たかが知れているけどね」
葉っぱが香草か何かなのかな。けっこういい匂い。
あたしはそれをありがたくいただくことにした。
「美味しい……」
塩味がちょっと効いていて、噛めば噛むほど味が出てくる。
「これ、何のお肉?」
「クリックル」
へ?
当たり前のようにそう答えた彼の言葉に、あたしは目が点になった。
クリックル……?
頭の中に、思い当たる動物のイメージが浮かんでこない。
「あの……クリックルって?」
「え? 知らない?」
彼が驚いたように目を見開いたので、あたしはちょっと恥ずかしくなった。
そんなにポピュラーな動物なの? でも、知らないものは仕方ないもんね。
「うん……」
「へー……クリックルを知らないのか。珍しいなぁ……クリックルってのは、二本足で走る、でっかい空を飛ばない鳥で……くちばしが鋭くとがっている頑丈そうなのなんだけど。背中から首筋にかけて、緩やかに毛が逆立っているのが特徴かな。丈夫で力のある鳥だから、軍隊や荷物運びなんかにも使われているよ」
へー……前に図鑑で見た、ダチョウとかいう鳥の仲間なのかな。
「この辺は砂漠だろ。馬なんか使えないから、代わりにクリックルに乗って渡る人も多いよ」
「この砂漠は広いの? ここは、小さな洞窟みたいだけど……もう砂漠の入口の辺りなの?」
「この砂漠は周囲を岩山に囲まれているんだ。砂漠を抜けるには、もう半日くらい歩かないとダメかな」
「は、半日……」
頭がくらくらしてきた。
どうしよう……また、あの変なバケモノが出て来ないとも限らないし。第一、どう歩いていったら砂漠を抜けられるのか見当もつかない。無事に、たどりつけるだろうか?
あたしの不安を察したように、青年が話しかけてきた。
「大丈夫。オレが案内してやるよ」
「で、でも。迷惑じゃない?」
「ここで会ったのも何かの縁だろ。気にしなくていいよ。ちょうど仕事が済んで帰るトコだったし、急ぐ旅じゃないからさ。砂漠の一番近くの町まで送ってくよ」
「あ……ありがとう」
あたしは感動して彼を見つめた。
何ていい人なんだろう。
「あの……あたしオーロラっていうの。あなたは?」
「オレはアキレウス。ヨロシクな、オーロラ」
あたしは笑顔で差し出された彼の手をちょっと微笑んで握った。
「こちらこそ、アキレウス」
お互いの自己紹介が終わった後、アキレウスが遠慮がちに口を開いた。
「でも、オーロラ……何で、あんな所に武器も持たずに一人でいたんだ? 危ないじゃないか」
「あたしだって、好きでいたわけじゃないよ」
あたしは自分の身の上に突然起こった不幸を、かいつまんで彼に説明した。説明するにつれ、彼の顔がだんだん心配そうになっていくのが分かった。
「言っとくけど、あたしは正常よ。おかしくないからね。本当だよ!?」
「南の国の海辺の町から、砂漠の真ん中まで瞬間移動か……何ていう国から来たんだ?」
「マエラよ」
「マエラ……???」
?マークをいっぱいつけたアキレウスの顔に、あたしはとても不安になった。
「マエラよ。マ・エ・ラ! 知っているでしょ? ね、ここは何ていう国なの?」
「……ローズダウン」
今度はあたしが目を丸くする番だった。
ロ……ローズダウン??? そんな国、あったっけ……?
酒場にあった地球儀を、必死で思い出してみる。
あれを初めて見た時、地球は丸かったんだなって、その中にこれだけの国があるんだって、驚いたっけ。
ローズダウン、ローズダウン……あったっけ? そんな国。珍しくて、よく見ていたもん。大抵の国の名前は覚えているはず。
ローズダウン……ローズ……ないよ、そんな国。
そんな国、ないよ!
心臓が一回、鼓動を飛ばした。
いるはずのない生物。存在しない、国。耳慣れない言葉に、風変わりな服装。
「……今の、年号は……ここは、今、何年なの!?」
「え」
「今の暦(こよみ)を、ここが何年なのかを教えて!」
アキレウスが絶句しているのが分かった。
「……新暦(しんれき)546年だよ」
「新……、暦……?」
呆然として、呟く。
何、それ!? 西暦1856年じゃないの、今!?
嘘----------!!
気がおかしくなりそうだった。
「ここ……地球、だよね……?」
震える声で、言葉を紡ぐ。
「あ、あぁ……」
地球にいるのは、間違いない。
ただ、過去か未来か……分からないけど、違う時代にあたしは来てしまったんだ。
目の前が真っ暗になった。
「オーロラ……」
呆けたようになってしまったあたしに、アキレウスが心配そうな声をかけてきた。
「大丈夫、か……?」
「……あのバケモノは何なの?」
「……え。あぁ、デザートウルフのことか?」
「デザートウルフ……」
「十頭前後の集団で行動する、砂漠の代表的な魔物(モンスター)だよ。世界中の砂漠、どこにでもいる」
「あんなバケモノが、当たり前みたいにそこら中にいるっていうの!?」
突然声を荒げたあたしを、彼は不審そうな目で見やった。
「オーロラの国にだって魔物はいただろ? 魔物のいない国、なんて楽園みたいなトコどこに行ったってないよ」
その目には、嘘をついている様子はなかった。
「それが当たり前だっていうの? ここは……」
「……何言っているんだ?」
アキレウスの顔が真剣になった。表情から笑みが消えた。
あたしの様子がただならぬことに気付いたのだ。
「あたしのいた国には、猛獣はいても魔物はいなかった! あんなバケモノッ……当たり前みたいに剣で殺す人もいなかった!!」
「おい……落ち着けよ」
あたしは頬を紅潮させ、立ち上がって叫んだ。
「西暦1856年のマエラでは、そんなの当たり前じゃなかった!!」
「おいッ……」
「『新暦』なんて知らない! 魔物も……知らない!!」
「落ち着けって!」
言うなり、アキレウスはわめきたてるあたしを無理矢理抱きすくめた。
「落ち着け……」
そう言って、ぽんぽんとあたしの背を優しく叩く。
その時になって、あたしはまたもや自分が大泣きしていることに気が付いた。
「ひっ……く、うっ……」
「よしよし。大丈夫だから、な……?」
あーこいつ……。
耳元に優しいアキレウスの声を聞きながら、あたしはゆっくりと瞳を閉じた。
あたしのこと、完っ璧に頭の弱い女の子だと思ってる……。
「大丈夫だ。側にいるから……」
----------……。
後のアキレウス曰く。
あたしの第一印象は、『泣き出すと手に負えない女の子』だったとか。