ドヴァーフ編

幼なじみ


「スゴい降りになってきたわねー」

 宿屋の一室から鉛色の空を見上げ、ガーネットは溜め息をもらした。

 昼食を食べ始める頃に降り出した雨は次第にその激しさを増し、今はどしゃ降りと言える強さになっている。筋のように見える雨足の打ちつける音が、部屋の中にいてもハッキリと聞こえてくるほどだ。

「こんな降りになる前にここへ着けて良かったよ。せっかく美味しいご飯食べたってのに、びしょ濡れになったんじゃ、楽しい気分も半減しちゃうからね」

 そう言いながら自分の荷物を探るフリードの声は弾んでいる。

「雨が止むまでゆっくりしていったら? はい、これ、約束のアイテム」

“月の雫”を幼なじみの青年の手から受け取り、ガーネットは大きな茶色(ブラウン)の瞳を輝かせた。

「ありがとう、フリード! すっごく助かるわ」
「どういたしまして。ガーネットに喜んでもらえて、ボクも嬉しいよ」

 にっこりと微笑みながら、フリードは幼なじみの少女にイスを勧めた。

「座ってて。今、お茶を淹(い)れるね」
「ありがとう」

 言われるままイスに腰掛け、ガーネットは標準的な広さの旅宿の客室をきょろりと見渡した。

「ねぇ、ばあちゃん達は? いないの?」
「さっき部屋の前を通ったけど気配を感じなかったし、同室のヤツもいないから出掛けちゃったのかな?」

 実はあらかじめそうなるようにフリードが仕向けておいたのだが、そんなことをガーネットは知る由(よし)もない。

「そっかー、残念ね。久し振りに会えると思ったのに」

 そう言って頬杖をついた。

「ボク的にはガーネットを独り占め出来て嬉しいけどね! はい、お茶」

 木製の丸テーブルの上に白いティーカップに入った紅玉色のお茶が置かれると、芳香がふわりと部屋の中に広がった。

「わぁ……いい香り。綺麗な色のお茶ね、これ何?」
「柘榴茶(ざくろちゃ)だよ。“月の雫”をくれた商人の品物でね、珍しいものらしいんだけど、安く譲ってもらったんだ」
「へぇ……」
「知ってる? 柘榴の実って紅くて、宝石のガーネットは柘榴石とも呼ばれているらしいよ」

 柘榴は美容と健康に効能があるとされる高級な果実で、富裕層の夫人達の間で人気があり、一般の人々の食卓に出回ることはまずなかった。

 ガーネットもその名称を聞いたことがあるという程度で、それ自体を目にしたことはない。

「そうなの?」

 瞬(まばた)きをしつつ、どうやら幼なじみが自分の為にこのお茶を用意してくれたらしいことを悟り、ガーネットは微笑んだ。

「知らなかったわ。柘榴とあたしとの間にそんな所縁(ゆかり)があったなんて」

 彼女の名前の由来は、幼い頃、今より赤味の強かった瞳の色が、光の加減によって茶色がかった紅い色に見えたところからきていた。

「結構酸味があるのね。甘酸っぱくて美味しい……」

 紅玉色のお茶を口に含み、そう感想を述べる幼なじみの少女を見つめながら、フリードは口を開いた。

「ねぇ、ガーネット」
「ん?」


「ボクと結婚しない?」


「はぁ?」

 唐突なその発言に、瞳を閉じてお茶の香りを楽しんでいたガーネットはせっかくの気分を害されたとばかり、げんなりとした様子で幼なじみの青年を見上げた。

「急に何を……あんたねー、あたしにまでそういう冗談を言うの、やめなさいよ」
「冗談じゃないよ」
「ちょっとぉ……いい加減にしてよね。何なの? 新しい遊び? そういう冗談、好きじゃないわ」
「ボクがこういう冗談、ガーネットに言ったこと、ある?」
「え?」

 その時になって、ガーネットはようやくフリードの様子がいつもと違うことに気が付いた。

 いつもは陽気な幼なじみの青年が、別人のように真剣な顔つきで、真っ直ぐに自分を見つめている。

「本気だよ」

 思考能力が停止する、という状況を、ガーネットは初めて味わった。

 息を飲み茫然と目を瞠(みは)る、そんな彼女に魅惑的な眼差しを向け、フリードは改めて求婚(プロポーズ)の言葉を贈った。

「ずっと君が好きだった。結婚しよう」

 降りしきる雨の音だけが、静まり返った室内に響き渡る。

 しばらくの沈黙の後、ガーネットはようやくの思いで言葉を絞り出した。

「な、何で……」

 手が震えているせいで、テーブルに置いたティーカップがカタカタと音を立てる。

 自分の動揺の大きさを物語るその現象に、ガーネットは思った以上に自身が混乱していることを悟った。

 フリードは、幼なじみで。兄妹(きょうだい)のような存在で。

 ちょっと女グセの悪い飄々(ひょうひょう)とした彼を、自分がたしなめつつ見守っている-----そんな関係がずっと続いていくものだと、そう、思っていた。

 まさかこんな事態に陥るとは、夢にも思っていなかったのだ。

 ガーネットにとってフリードからの求婚は、それほどに予想外のことだった。

「今までそんな素振り、見せたこと、なかったじゃない」

 困惑しながらそう切り出すと、フリードは長い睫毛を揺らして微笑した。

「見せないようにしていたんだよ。君に相応しい男になれるまで、この気持ちは伏せておこうと決めていたんだ」
「え……」
「肉体的にも精神的にも、ボクには長い修行が必要だったから……」


 フリードのその言葉を聞いたガーネットの脳裏に、昔の記憶が甦る。


 幼い頃、フリードは同年代の子供達よりもひとまわり身体が小さく、やせていて、力も弱く、いつもいじめられていた。女性的で優美な顔立ちもその一因となっていた。

 ことあるごとに近所の悪ガキにいじめられて泣いている、そんな彼をいつも助けていたのがガーネットだった。フリードは彼女に助けられる度、泣きながら、口癖のように「強くなりたい」と言っていた。

 そんなある日、フリードをかばったガーネットが棒で殴られるという事件が起こった。幸い大事には至らなかったのだが、その時からフリードは「強くなりたい」とは言わなくなった。そして、泣かなくなった。

 代わりに、毎日鍛錬に励む彼の姿が見られるようになった。

 時が経ち、成長するにつれてフリードの背は伸び、女性的だった顔立ちは優美さを残したままどこか危険な雰囲気を纏(まと)い、世の女性達を惑わせる存在となった。

 その肢体は相変わらずほっそりとしていたが、その中身はしなやかな筋肉と強靭なバネに覆われており、周りを見渡してみれば、いつの間にかフリードに敵う者はいなくなっていた。

 そんな彼に恋人を奪われたと、ロジャーという男が仲間達を引き連れて鉄拳制裁を加えようとしたことがあった。一対一で敵わないなら数で圧せ、という典型的な卑怯者心理に基づいた行動だったのだが、そんな彼らの目論みはもろくも崩れ去った。

 全員が元の顔も判別出来ないほどの返り討ちに合い、肉体的にも精神的にも再起不能に近いダメージを被る結果となってしまったのだ。

 ロジャーは昔、ガーネットを棒で殴った張本人だった。

 昔のいじめっ子達はフリードが力をつけてからというもの、彼を避けて通るようになっていた為、フリードはロジャーの恋人に敢(あ)えて手を出すことで、彼らの方から自分に向かってくるように仕向けたのだった。

 これをきっかけに女性に興味を持ったのか、フリードは様々な女性の元を渡り歩くようになった。特定の相手を持つわけではなく、自由気ままに、まさに遊び歩いていた。

 そんな彼にガーネットは最初こそ驚いたものの、いじめが原因で対人恐怖症気味だった頃の彼を思えば、相手の女性には気の毒だが、むしろ良い傾向だと考えた。

 そして二人は、ずっと仲の良い“幼なじみ”だったのだが-----。


『ボク、強くなる。ガーネットを守れるくらい、強い男になるよ』


 最後に涙を見せたあの日、あの時のフリードの言葉。

 その言葉を、ガーネットは思い出した。

「今までのボクを見てきた君には、この求婚(プロポーズ)は不実と映るかもしれない。言い訳はしないよ。そう取られても、文句は言えないからね。けれど、これだけは信じてほしい。昔から好きだったのは、君だけだよ。ガーネット、君だけがずっと好きだった」

 熱っぽい薄茶色(ライトブラウン)の瞳に甘い光を宿して、フリードは真摯にガーネットに語りかけた。

「フリード……」

 想像もしていなかった幼なじみの青年からの真剣な告白に、思わず頬を染めながら、何と言ったらいいのか分からず、ガーネットはテーブルの上に視線を落とした。

「本当はこの旅が終わって、ルザーに帰ったら君に気持ちを伝えようと思っていたんだ。まさかゼン様が君をこんな危険な旅に出すなんて夢にも思わなかったし、その旅で君が誰かに恋をするなんて、想像もしなかった。だからこんな中途半端なタイミングでの告白になってしまったんだ。君を戸惑わせてしまうことは分かっていたけれど、どうしても今日、君にこの気持ちを伝えたかった」

 言葉の端々から、自分を想うフリードの強い気持ちが伝わってくる。

 これほどの想いに今まで気が付かなかった自分自身の鈍感さを痛感しながら、同時に自分の中にある譲れない想いを改めて意識し、ガーネットはそれを伝える為、顔を上げてフリードの整った顔を見た。

 真剣な想いには、真剣に応えなければならない。

「ありがとう、フリード。あんたの気持ちはとっても嬉しいわ。でも……ごめんなさい、あたしには好きな人がいるの。あんたと同じくらい強い気持ちで、その人のことを想っているの」

 その答えを予想していたフリードは、穏やかな表情で、諭すようにガーネットに言った。

「ガーネット、彼は王子様だよ。今は一緒に旅をしていて、身近な存在に感じられるかもしれない。でも、いずれは一国を背負って立つ身だ。どこかのお姫様と政略結婚させられて、君と一緒になることはない。元々住む世界が違う人間なんだよ」
「そんなこと、分かっているわ。でも、未来は必ずしも決まっているわけじゃない。やってみなきゃ分からないこともあるでしょ? あたしは何もしないであきらめるつもりはないわ」

 返す語調がつい強めになったのは、アストレアで感じたパトロクロスとの見えない距離を思い出したせいだった。

 そんな彼女を優しい眼差しで見やりながら、フリードは尋ねる。

「ガーネットらしい考え方だけど、当のパト様は君のことをどう思っているの?」
「それ、は……」

 フリードにそう突っ込まれて、ガーネットは口ごもった。

「分からないわ。そんな話、したことないし……」
「彼はガーネットの気持ち、知ってるんでしょ?」
「それはそうだけど……」

 考えてみれば、好きだとも嫌いだとも言われたことがない。

 迷惑そうな顔をされるのはしょっちゅうだが、口に出してそう言われたことはないし、完全な拒絶をされたこともない。

 ガーネットは今の状態に比較的満足していたので、それを現段階で特に掘り下げて考えてみようとは思わなかったのだが-----。

「パトロクロスは今の時点で、あたしを仲間という以上の目では見ていないと思うわ」

 冷静に考えて、ガーネットはそう言った。

「少なくとも嫌われてはいないと思うし、これから徐々に好きになってもらって、それからの話ね。今は彼があたしの力を必要としてくれている-----それだけで充分よ」
「本当に?」

 フリードの素早い切り返しに、ガーネットは軽く意表を突かれた。

「え?」
「本当にパト様は、ガーネットの力を必要としていると思う?」

 含みを持たせたその言い方に、自然とガーネットの表情が険しさを帯びる。

「……どういう意味?」
「ローズダウンの王様とゼン様の縁がきっかけで、今回の旅にガーネットが加わることになった-----そうだよね?」
「ええ、そうよ」
「ということは、逆に言えば、力のある白魔導士であればパト様にとっては誰でも良かったんじゃない? ことにここは魔法王国ドヴァーフ……白魔導士どころか賢者だってごろごろいる」
「フリード、何が言いたいの!?」

 ガタンと音を立てて立ち上がったガーネットを冷静に見つめ、フリードは続けた。

「ルイメンで、偶然パト様と二人で話す機会があったんだ。ボクは彼を恋敵(ライバル)と見ていたから、これからはガーネットのことを全力で奪い取りに動くって、宣戦布告しといたんだよ。……今日君がここに来ることを知っていて、彼は止めなかったんだろ?」

 思いもよらぬその話に、ガーネットは愕然として、言葉を失った。

「ガーネットがボクと結婚してパーティーから外れても、特に問題はない-----彼はそう判断したっていうことにならない?」

 その言葉が彼女にもたらした衝撃は大きかった。

『嘘』

 そのひと言すら発せられないまま、ガーネットは窓辺に逃げた。

 フリードに背を向け、窓枠に身体を預けるようにしながら、どうにか自分を取り戻そうと浅い呼吸を繰り返す。

 頭がひどく混乱して、胸に走る痛みがあまりにも深すぎて-----雨に煙る窓の向こうの景色すら、その瞳には映っていなかった。

 彼女の脳裏にあったのは、つい先刻のパトロクロスの姿。

『フリードのトコへアイテムをもらいに行ってくるわね』

 そう言ったガーネットに対し、パトロクロスは、

『あぁ』

 とだけ頷いて、こちらに背を向けたまま、忙しそうに本に目を通していた-----。

 肩にフリードの手が置かれた時、ガーネットは初めて自分が震えていることに気が付いた。

「……ごめん。話すのが性急すぎたね」

 反省の言葉を述べる彼にかぶりを振ってそれを答えにしながら、この幼なじみの青年が自分に嘘をつくような人間ではないことをガーネットは知っていた。

 ルイメンでのことは、事実なのだろう。

 それが確信出来るから-----こんなにも、胸が痛い。

 フリードに予告されていたこの件を、パトロクロスが何を思って自分に伝えなかったのか-----どうして、止めてくれなかったのか。フリードの推測通りなのか、それとも別の理由からなのか……。それは、パトロクロス本人に聞かなければ分からない。

 混乱した頭では、それ以上のことは考えられなかった。

 パトロクロス……。

 深く息を吸い込んで自分を落ち着かせようとしたその時、背後から突然フリードに抱きしめられて、ガーネットは呼吸を止めた。

 幼なじみの青年の胸は広く、その腕は意外なほど力強く、確かな質感と温かな体温を持って彼女を包み込んだ。

 今までのふざけ半分の抱擁とは、まるで違う。

 幼なじみがいつの間にか一人の男性になっていたのだということに今更ながら気付かされて、ガーネットは身体を強張らせた。

「フ、フリード……」
「-----ガーネット、聞いて」

 彼女の漆黒の髪に頬を押し付け、その耳元に唇を寄せて、フリードは囁いた。

「今すぐ答えは出さないで、ゆっくりと考えてみてほしい。ボクはまだしばらく、ドヴァーフにいる。君がドヴァーフにいる間に-----ここから旅立つそれまでの間に気持ちを整理して、答えを聞かせてくれないか」

 ガーネットが頷いたのを確認してから、フリードはゆっくりと手を離した-----やや、名残(なごり)惜しそうに。

「今日はビックリさせちゃって、ごめんね」

 振り返ったガーネットの瞳に映ったのは、いつもの見慣れた幼なじみの笑顔だった。

 けれど、今までとは根本的な部分が違う。

 ガーネットの中で“性”を持たなかった容姿端麗なこの存在は、“幼なじみ”であると同時に、“一人の男性”として認識されるようになったのだった。



*



「言われた場所に行ってみたものの、実は内心、半信半疑だったんです。でも、彼の姿を見た瞬間、そんな思いは吹き飛びました。まさか本当に彼に会えるなんて思っていなかったから、もう嬉しくて嬉しくて……! 占ってもらわなかったら、彼とは会えなかったと思います。本当にありがとうございます!」

 蝋燭の灯(ひ)だけが揺らめく薄暗い天幕の中に、少女の嬉々とした声が響き渡った。

 彼女の目の前にあるのは、深い紫色のクロスが掛けられたテーブル。それを挟んで反対側に、黒の長衣(ローヴ)を纏った人影が見える。

 テーブルの上には見事な銀細工の台座が置かれ、そこには子供の頭ほどの大きさもある水晶球が据えられている。そこから発せられる幻想的な輝きが、この天幕の主(あるじ)たるその人物の顔を映し出していた。

 顔といっても、その人物の顔の大半は黒い薄布のヴェールによって覆われており、一対の切れ長の琥珀色(アンバー)の瞳しか確認することが出来ない。

「それは良かった……お役に立てて何よりです」

 ヴェールの向こうから涼やかなアルトの声がもれた。その声と、黒の長衣(ローヴ)を纏う肩の線の細さから、この人物が女性であることが分かる。

「今日はわざわざ、その報告をする為に来て下さったのですか?」

 占い師にそう問われると、その客である少女は先程までとは表情を一変させ、きりりとした暗褐色(ダークブラウン)の瞳を不安そうに彷徨(さまよ)わせた。

「いえ、実は……また教えていただきたいと思うことがあって。上手く言えないんですけど、彼、以前とは何かが違うんです。言葉では説明出来ない、重要な何かが。いつもと同じ優しい顔をしているのに、その瞳がひどく遠くに感じられて、不安なんです。胸騒ぎっていうか……。何だか彼がこのまま遠くに行ってしまうような、そんな感じがして、怖いんです」
「……それは心配ですね」
「はい。今まで旅に出る彼を何度も見送ってきましたけど、こんな気持ちになったのは初めてなんです。彼は、今度も無事に旅を終えて、あたしのところに戻ってきてくれるんでしょうか」

 切実な表情で訴える少女の依頼を受け、占い師は水晶球に手をかざした。

「では、占ってみましょう。瞳を閉じて、彼の姿を頭に思い描いて下さい。よろしいですか?」
「……はい」

 占い師が水晶球の上に手をかざすとそれが主に呼応し、不可思議な光を放った。徐々に強くなっていくその光は瞼を閉じた少女の顔を照らし出し、不思議な力で透き通った球の中にその結果を映し出す。

「-----黄金(きん)色の災いが見えます」

 不吉な気配をはらんだ占い師の声に、少女は閉じていた目を見開いた。

「この災いは貴女の彼の運命を大きく狂わせる力を持っています。災いがもたらすものは、破壊と再生。諸刃(もろは)の剣(つるぎ)と言えるその力によって、彼の未来は混迷に満ちた、非常に不透明なものとなっています。彼の変化は、この災いによるもの。このままでは、貴女は永久に彼を失ってしまうでしょう」
「そんな……!」

 衝撃的なその内容に色を失くした少女は、小刻みに身体を震わせながら、不安定な光を湛える瞳を辺りに彷徨(さまよ)わせた。

「黄金色の……災い……」

 かみしめるように呟いたその瞳が、揺れる。何かに思い当たったようだった。

「何か、心当たりが?」

 絶妙なタイミングで占い師が問いかける。

 小さく震えながら頷いて、少女はすがるような眼差しを占い師に向けた。

「どうしたら、彼を失わずにすみますか? 彼を失ったら、あたしは生きていけない! どうしたら、彼を災いから守ることが出来ますか!?」

 先達(せんだっ)て、神秘的な力で自分の願いを叶えてくれたこの占い師は、彼女にとって神のような存在になっていた。

 少女の熱い視線を受けて、占い師は拳大の黒い珠を取り出した。

「では……これを」
「これは?」
「これは闇のクリスタル……災いを飲み込む力を持った、神聖な石です。この石に向かって、時間の許す限り祈りなさい。『災いよ去れ』、と……。この時、貴女の頭の中にある“黄金色の災い”を明確にイメージすることが重要です。強く祈れば祈るほど闇のクリスタルの持つ力は増し、貴女の願いを叶える時も近付くことでしょう。クリスタルが淡い輝きを放つようになったら、それを持ってもう一度ここへ来て下さい。その時、貴女の願いは成就されることでしょう」

 占い師の手から、少女は漆黒の珠を受け取った。

「彼を救えるのは、貴女の愛だけですよ」

 涼やかなその声は、彼女の心を心地良くくすぐった。


「アキレウスを救えるのは、あたしだけ……」


 病的な光をその瞳に宿して、その少女-----ラァムは呟(つぶや)いた。

「アキレウスを救えるのは-----あたしの愛だけ……」

 少女の手の中で、闇のクリスタルが静かな暗い輝きを放っていた。
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