ドヴァーフ編

事実の奥の真実


 あたしとアキレウスの未来が交わることは、決してない-----。

 そんな当たり前のことに、どうして今まで気が付かなかったんだろう。

 昨夜はそんなことばかり考えていて、なかなか寝つけなかった。

 考えても考えても堂々巡りになるその中で、あたしがたどり着いたのは、『今』というこの時が、とても大切なものなのだということだった。

 アキレウスと同じ時間を過ごせるのは、あたしの人生に於(お)いて、今この瞬間しかないんだ。


 -----大切にしたい。


 この短い時間(とき)の中で、あたしは彼に何を遺せるだろう?

 自己満足で終わるのかもしれない。

 でもこの瞬間、確かにあたしという存在が貴方の側に居たのだということを。


 アキレウス、貴方に覚えていてほしい。



*



「うわー、スッゴいわねぇ……」

 それを見たガーネットの口から感嘆の声がもれた。

 同じように、あたしとアキレウスの口からも溜め息がこぼれる。

「以前にも増して蔵書が増えているな……」

 そう呟(つぶや)いたのはパトロクロスだ。

 ここはドヴァーフの王宮の敷地内にある国立図書館。

 見るからにいかめしい外観の由緒正しき建造物で、世界一の蔵書量を誇り、貴重な資料の宝庫として、世界中の魔導士や学者達の垂涎(すいえん)の的となっている、魔法王国ドヴァーフの歴史的、学術的な財産だ。

 レイドリック王にその閲覧の許可をもらったあたし達は、朝早くから張り切ってここを訪れたんだけど……その本の量が半端じゃない!

 覚悟はしていたけど、想像以上にスゴい数っ!!

 本を読むのが大好きなガーネットは瞳をキラキラさせて、夢見るような面持ちでその光景に見入っている。

「全部読破しようと思ったら、いったいどのくらいかかるのかしら……。きっとライフワークになるわよねー……あー、考えただけでワクワクしちゃう!」

 ガーネットは難しい本とかよく読んでいるからね。あたしはきっと、一生かかっても無理じゃないかなぁ……。

「召喚魔法に関する書物は三階のフロア全体、鉱石・金属に関する書物は四階西側のブロックです。書物の持ち出しは原則的に禁止されておりますので、ご了承下さい」

 司書にそう説明を受けたあたし達は、あたしとアキレウスが三階、パトロクロスとガーネットが四階の二手に別れて、“魂の結晶”について記された書物を探すことにした。

 魂の結晶というのは、実在する世界最強の金属。だけどそれは生成過程すら謎に包まれている代物で、見つけ出すことは非常に困難とされている。その幻の金属を手に入れることが出来たなら、アキレウスの為に世界最強の剣を造ろう、と伝説の名工グレン・カイザーは約束してくれた。

 アストレアでドヴァーフの国立図書館にそれに関連する書物があるという情報を得たあたし達は、レイドリック王に閲覧の許可を取り付け、空いている時間を利用してここを訪れたのだった。

 全体的に薄暗い印象の館内には天井近くまでそびえ立つ巨大な本棚の群れが整然と並べられ、その中にはぶ厚い本がぎっしりと詰まっている。それでも収納しきれないいくつかの本達が、ところどころ棚の上に積まれ、うっすらと埃をかぶっていた。

 決して狭くはないフロアなのに、並び立つ本棚のせいで圧迫感すら感じる。

 上段の本を取る為の踏み台がところどころに置かれていたけれど、女の人はこれに乗っても、一番上の棚は厳しいんじゃないかなぁ……。

 そんなことを考えていたら、それを察したようにアキレウスが声をかけてくれた。

「オーロラ、高いところの本はオレが取るから。何かあったら言えよ」
「あ、うん。ありがとう」
「うーし、じゃあ早速端から調べていくか」

 あたし達は持てるだけの本を持って、フロアの片隅に設置された閲覧所の一角を陣取った。

 明り取りの窓とテーブルランプに映されたそこで、ただただひたすら『魂の結晶』の文字を探す。

 朝早い時間だからか、人影はまばらだった。

 あたし達はせわしなくページをめくりながら、本をとっかえひっかえ、黙々とその作業に没頭した。

 魂の結晶の情報をくれたグレンという人は、亡くなったアキレウスのお父さんの知り合いでもあった。

 当時ドヴァーフの騎士団長を務めていたアキレウスのお父さんの人柄と剣の腕に惚れこんだ彼は、自ら鎚(つち)を振るい、ヴァースとウラノスという、性質の異なる二本の大剣を彼に贈ったのだという。

 使い手の攻撃力と防御力を高めるヴァースに対し、攻撃力こそ劣るものの、相手の魔力を奪う力と高い魔法防御力を持っているウラノス。

 その後アキレウスのお父さんが亡くなり、ウラノスは行方不明になってしまったけれど、ヴァースは現在アキレウスが所有し、常に彼の傍らにある。

 アキレウスが魔物(モンスター)ハンターになったきっかけは、お父さんの形見であるウラノスを探し出したいという強い思いからだった。

 ヴァースとそっくりな外見をしているという、ウラノス。

 早く、見つかるといいね……。

「ねぇ、アキレウス」
「ん?」

 あたしの呼びかけにアキレウスが顔を上げた。

「魂の結晶からはちょっと脱線しちゃうんだけど、聞いてもいいかな」
「? あぁ」
「アキレウスのお父さんて、どんな人だったの?」

 さり気なく、聞いてみた。

「グレンが剣を贈るくらいだし、この国の騎士団長を務めていたほどの人だから、もちろんスゴい人だったと思うんだけど、あまり詳しく聞いたことがないなと思って。オルティスさんみたいに魔法も使える人だったの?」
「……いや」

 本の上に視線を落として、アキレウスは言った。

「オレの父さんは魔法が全く使えない人だったんだ。だからオレ自身もそうだとこの間まで思い込んでいたんだけど……。きっとグレンはそんな父さんの為に、使い分けの出来る二本の剣を造ってくれたんだな」

 そっか……それで、二本。

 アキレウスのお父さんに対する、グレンの温かい心が伝わってくる。

「アキレウスのお父さんは、どちらかっていうとウラノスの方を愛用していたの?」
「いや、任務によって使い分けていたよ。どちらかといえば、ヴァースを使っていることの方が多かったかな」

 そうなんだ……。

「じゃあ、アキレウスのお父さんは、魔法を使う相手と戦って……」

 そう言って、あたしは口をつぐんだ。

 光の園(その)でアキレウスとラァムの会話を偶然立ち聞きしてしまった時、ウラノスに関連する話の中で、「お父さんの汚名」という言葉が出てきた。

 アキレウスのお父さんの死には何か複雑な事情があるらしいんだけど、その辺りのことをあたしはアキレウスから何も聞いていないから、詳しいことは全く分からない。

 ウラノスが行方不明になるまでの過程についてもっと詳しく知りたいと思っても、それがとてもデリケートな話題なのだということが想像出来るから、どこまで聞いていいものか、難しかった。

 あたしの言葉を聞いたアキレウスは沈黙し、目を見開いたまま、じっと固まった。

「……アキレウス?」

 まずった、かな?

 不安になったその時、彼の唇がゆっくりと動いた。

「そう……だよ、な……」

 視線を本の上に落としたまま、まるで今初めてその事実に気が付いたかのように、アキレウスはそう言って額に手を当てた。

「ウラノスを持っていったんだ……そうだ……」

 茫然としたその様子に驚いて、あたしは声をかけた。

「アキレウス、どうしたの? 大丈夫?」
「あ、あぁ……。何でもない。大丈夫だ」

 彼は表情を取り繕(つくろ)ってあたしを見、それから手元の本に視線を戻したけど、その翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳の奥は揺れていた。

 アキレウス……?

 あたしは彼に問いかけようと口を開きかけたけど、結局切り出す言葉を選べず、そのまま沈黙した。それっきり、あたし達は交わす言葉もないまま、ただ黙々と作業に取り組み、そして時間だけが過ぎていった。



*



 アキレウスはいったい、どうしちゃったんだろう……?

 休憩の為に一度図書館の外へ出たあたしは、外の空気を吸い込みながら、今も調べものを続けている彼のことを想った。

 さっきの様子、何だかおかしかった。

 ううん……ドヴァーフへ来てからというものの、アキレウスの様子はずっと不安定で、落ち着きがない。

 それは多分彼の過去に起因していて、それを詳しく知らない以上、あたしにはどうしようもないことなんだろうけど、分かっていても、どうしても色々と考えてしまう。そして、口から出るのは溜め息ばかり。

 最近、こんなのばっかりだ。

「なーに辛気臭い顔してんのよ、オーロラ」

 そんなあたしの背中を元気よく、バシッと叩いた手があった。

「ガーネット」
「どうしたの? どんよりしちゃって」
「どんよりって……。ちょっと目が疲れただけだよ」
「ふぅーん?」

 ガーネットは訝(いぶか)しそうにあたしの顔を見たけれど、それ以上の追求はせず、自分の首をコキコキッと鳴らしてみせた。

「ま、確かにあれだけの本を相手にすると疲れるわよね。ゆっくりやれればいいんだけど、こちらとしてもそう猶予はないから、時間との戦いってカンジになっちゃうし。アキレウスは?」
「図書館で今も調べてる。あたしはちょっと休憩しようと思って」
「そう。パトロクロスもまだ頑張っているわよ。あたしは約束があるから、これからちょっと出てくるわね。帰ってきたら、また頑張るわ」

 あ、そっか。フリードとの約束か。そういえばガーネットは彼のところへアイテムをもらいに行く約束をしていたんだよね。

「……パトロクロス、何か言っていなかった?」

 そう聞くと、彼女はきょとんとしてあたしを見つめ返した。

「え? これといって別に何も言ってなかったけど。何で?」
「ううん、深い意味はないんだけど」
「? でも昨日、あまり遅くならないように、って言ってくれたわ。パトロクロスって案外心配性なのよねー」

 そう言って、ガーネットは嬉しそうに笑った。そんな彼女を見ながら、複雑だったに違いないパトロクロスの心境を思いやって、あたしはそっと息をついた。

「気を付けて行ってきてね」
「やーね、オーロラまで。大丈夫よ。魔物(モンスター)と鉢合わせる心配があるわけじゃないし」

 いや。魔物(モンスター)じゃなくて、獣(ケダモノ)に気を付けて、ってカンジなんだけど。まぁ、彼女のおばあさんも泊まっている宿だっていうし、心配ないか。

 手を振るガーネットを見送って、あたしは気分転換に近くを散策してみようと、昨夜の雨の跡の残る中庭に何気なく足を踏み入れた。

 綺麗に手入れされた色とりどりの花や木が、酷使して疲れた目に優しく映る。

 ところどころ残る水たまりに気をつけながらしばらく歩いていくと、まるで絵画のような美しい光景があたしの目の前に現れた。

 雨露に濡れる緑の中、小鳥達と戯れる美しい一人の女神-----その姿を、雲の切れ間から差し込むひと筋の光が、柔らかく映し出していた。

 その光景に目を奪われ、思わず足を止めたあたしの気配に気が付いた女神が振り返る。

 翻(ひるがえ)る白の外套(がいとう)。背の中程まである緩いウェーブのかかった白銀の髪に、褐色の肌。長い睫毛に縁取られた、麗しい紫水晶色(アメジスト)の瞳。身に纏う長衣(ローヴ)は、淡い緑色(グリーン)。

 小鳥達が一斉に羽ばたいた。

 エレーン……。

 魔法王国ドヴァーフの魔導士団長は、いつもの冷静な口調であたしの名を呼んだ。

「オーロラ様」
「あっ、あの……ごめんなさい」

 反射的にそう謝ってしまったあたしを不思議そうに見ながら、彼女は静かに歩み寄ってきた。

「何を謝られるのです?」
「や、何となく、邪魔しちゃったかなって……」

 そう言って上目使いで見ると、彼女は微かに口元をほころばせた。

「あぁ……少々驚きましたが。中庭のこの一画は、滅多に人が訪れないんですよ。謝られるようなことではありません」

 近くで見ると、信じられないくらい綺麗な女性(ひと)だな……。

 あたしは思わず溜め息をこぼしながら、目の前の美しい女性を見つめた。

 今まで、笑った顔なんか見たことがなかったから……これまであたしが彼女に抱いていたイメージは、綺麗だけど近寄りがたい人というものだった。

 微笑むと、こんなに柔らかい印象になるんだ……。

「オーロラ様?」
「はっ!? はいっ!」
「どうかされたのですか?」
「いえ、あの……何でもありません。あ、そうだ、よければオーロラって呼んでもらえませんか? 敬称をつけられると落ち着かなくて……」

 そう言うと、エレーンは少し難しい顔をした。

「貴女は陛下の客人です。呼び捨てにすることは出来ません」
「えぇ。でも……」
「慣れて下さい」

 ピシャリと言われて、あたしはちょっぴり落ち込んだ。

 彼女の立場を考えれば仕方がないことなんだろうけど、仲良くしようと差し出した手をかわされちゃったような錯覚を覚えたっていうか……。

 そんなあたしの様子に気を遣ったのか、エレーンがこう申し出てくれた。

「よろしければそちらのベンチで、少しお話しなどいかがですか?」
「あ、はい。喜んで!」

 あたしってば、単純。一瞬の落ち込みもどこへやら、途端に嬉しくなってきて、笑顔がこぼれた。

「調べ物は見つかりましたか?」
「いいえ、まだ……すごい蔵書の量ですね」
「ドヴァーフの図書館の蔵書量は世界一と言われています。その中でも魔法に関連する書物は、その種類も多さも群を抜いています。……私が、魂の結晶について正確なところを存じていれば良かったのですが……申し訳ありません」
「いえ、そんな……。エレーンさんは魂の結晶について、どんなふうに聞いているんですか?」
「魂の結晶は想いの破片(カケラ)-----想いの破片は、魔獣を呼ぶ」

 雨雲の残る空を見上げ、彼女はそう呟いた。

「古くから召喚士の間で言われている言葉です。昔から、召喚獣のいる付近では、ごく稀(まれ)ではありますが、暗青色の美しい石が発見されることがあったといいます。不思議なことにその石は、それ以外の場所では発見されることがなかったとか……。そうした事例の積み重ねと、謎に包まれた召喚獣の生誕が相まって、その石はいつからか、“魂の結晶”と呼ばれるようになりました。魂の結晶は、死者の魂と肉体が融け合って出来たとされる、この世に在らざる石……その石に呼ばれて、召喚獣は異界よりこの地へ現れるのだ、と-----」

 紫水晶色(アメジスト)の瞳を向け、エレーンはあたしにそう語った。

「これはもちろんただの伝承です。現在いる召喚士の内、この暗青色の石を見たことがあるという者は皆無に等しいでしょう。もちろん、私も目にしたことはありません。……ですが、何もないところから伝承は生まれません。推測の域を出ませんが、魂の結晶と召喚獣の間には、きっと何らかの関係があるのではないかと、私は考えています」

 グレンは確か、魂の結晶が暗い青色の美しい石だって言っていた。エレーンの語る伝承に出てくる石と、一致する。それに、アストレアの最高文官であるイリシュから聞いた情報とも合う。

 やっぱり魂の結晶の生成には、召喚魔法が深く関わっていると見て間違いなさそうだ。

 だけど悲しいかな、あたしにはほとんど召喚魔法の知識らしいものがなかった。

 せっかくだから、エレーンに聞こう。何といっても彼女は、魔法王国ドヴァーフの魔導士団の長であり、全ての系統の魔法を使いこなすことの出来る、賢者でもあるんだから。

 あたしの初心者的な質問に、彼女はとても丁寧に答えてくれた。

 召喚魔法というのは、召喚獣と呼ばれる魔獣を文字通り召喚して、様々な現象を起こす魔法のこと。その使い手は、召喚士と呼ばれる。

 召喚獣を手に入れる方法にはいくつかあって、

 ・戦って己の力を認めさせる
 ・前の所有者から引き継ぐ
 ・交渉して契約を結ぶ

 などがあるんだそうだ。

 魔物(モンスター)とは違って召喚獣は全てが人語を解し、一体として同じ召喚獣は存在しないらしい。

 種族はなく、全てが固有体で、性質もそれぞれ違う彼ら。

 彼らがどのようにして生まれ、何処(どこ)から来たのか-----それについて彼らは黙して語らず、その謎は未だに解明されていないんだって。

 召喚士にとってはより多くより強い召喚獣を手に入れることがスキルアップに繋がるわけだけど、それはなかなかに大変なことらしい。

 まず、召喚獣のほとんどは決まった場所にいるわけではないので、その力を手に入れる為には彼らを探すところから始めなければならない。

 そして、見つけたらいずれかの方法によって、彼らを自分のものにしなくてはならないのだ。

 召喚獣は術者の魔力を媒介として現れ、その間、魔力を吸い続けることで活動する。強力な召喚獣ほどより多くの魔力を必要とする為、自分の力量を超えた召喚獣をうっかり呼び出してしまうと、術者自身が危険に陥ってしまい、死に至る場合もあるんだそうだ。

 その為、召喚士は召喚獣の力量と己の力量とを常に冷静に見極めなければならない。それが何よりも大切なんだって。

 手に入れるまでの苦労もさることながら、手に入れてからも使いこなすまでにまたひと苦労。

 そういった諸事情から、召喚士は白魔導士や黒魔導士に比べると極端にその数が少ないんだそうだ。

 確かに、今までの旅の中で召喚魔法を使える人に会うことってなかったな。エレーンが初めてだ。


「ですが、苦労も多い分、味方になった彼らはとても頼もしい存在ですよ」

 そう言ってエレーンは笑った。

「……怖いって思ったことはないんですか?」
「なかったと言えば嘘になります。……けれど、彼らの力は必要でした。私にとっても……この国にとっても」

 そう答えた彼女の横顔には、秘められた決意のようなものが窺えた。

 そういえばこの女性(ひと)は、レイドリック王の即位当時から、その傍らで共にこの国を支えてきたという女傑(じょけつ)だった。

 側近という立場で様々な場面を見てきただろう彼女は、レイドリック王とアキレウスの件についても深く知っている様子だった。

「……あの」

 聞いていいことなのかどうか迷ったけど、あたしは思い切って聞いてみた。

「エレーンさんは、以前この国の騎士団長を務めていたペーレウスという人をご存知ですか?」

 エレーンは静かな表情で頷いた。

「ええ。存じています」

 ドキン、と心臓が音を立てる。声が震えるのを覚えながら、あたしは尋ねた。

「……どんな人でしたか?」
「ひと言で言うと、全てにおいて規格外の人でした」

 懐かしむようにそう言って、エレーンは微笑した。

「規格外?」

 ど……どういう意味?

「オーロラ様は我が国が何故(なにゆえ)“魔法王国”と呼ばれているのか、ご存知ですか?」
「? 魔法文明が発達しているから……じゃないんですか?」
「それもありますが……一番の要因は、国民の約四割が魔力を持って生まれてくるという、我が国の特殊な国民性にあります。検査は中流階級以上でしか行われていないので、多少の誤差はあるかもしれませんが……。これは他国に比べて、非常に高い水準を誇ります。他国平均は、一割に満たないと言われていますから」
「そんなに……違うんですか」

 目を丸くするあたしに頷いて、エレーンは続けた。

「そういった国民性も手伝って、王宮に勤める者は兵士はもちろん、侍女や侍従に至るまで、魔法が使えることが絶対条件といった風潮の時代が長くありました。例え由緒正しい家柄の者であっても、魔力を持たぬ者は王宮に勤めることが叶わなかったのです。彼が登用されたのは、そういう時代でした」

 湿った空気をはらんだ風が、あたしと彼女の髪をゆっくりとなびかせていく。

「彼は由緒正しい家柄の出ではなく、魔力も全く持っていませんでした。その彼が剣の腕を認められて騎士団の一員となったことは異例中の異例であり、ドヴァーフの歴史上類を見ないことでした。古参の有力者達の間には異論を唱える者も多く、彼には因襲という名の向かい風も相当吹いたようです。……しかし、彼はそれらに臆することなく自らの道を邁進(まいしん)し続け、ついには剣の腕一本で、魔法王国ドヴァーフの騎士団長という地位にまで上り詰めました。彼の存在は古い因襲に風穴を開け、国民達の意識改革を促す起爆剤となったのです。魔力を持たぬ国民達にとって、いいえ、全ての国民にとって、彼は英雄と呼ばれる存在になりました。そして、国民達は尊敬の念を込めて、彼をこう呼んだのです。“鋼の騎士ペーレウス”、と-----」

 エレーンはあたしからゆっくりと瞳を逸らして、長い睫毛を伏せた。

「数は少ないですが、今では城内に何人か魔力を持たない者もいます。そういう道を切り開いた人です」

 エレーンの口から語られたそれは、魔法王国ドヴァーフの歴史に一石を投じた、一人の騎士の英雄譚だった。

 アキレウスのお父さんは……ただ単に騎士団長を務めていただけでなく、このドヴァーフにそんなにも大きな足跡(そくせき)を残した人だったんだ。

 そんな彼が、どうして汚名を着せられるようなことになってしまったんだろう……?

 ひどく気になったけど、アキレウスから何も聞いていない以上、あまりあれこれ詮索することはためらわれた。

 エレーンには、これ以上は聞けないな。

 それにきっと、これ以上のことを聞いても、彼女はあたしの望む答えを返してはくれない-----何故か、そう思った。

「すごい人、だったんですね。ペーレウスという人は……。聞かせてくれて、ありがとうございました」

 そうお礼を言ったあたしに、何故そんなことを聞いてきたのかと、エレーンは問わなかった。ただ、謎かけのような言葉を口にした。

「オーロラ様。“事実”と“真実”は、似て非なるものです。しかし、歴史は往々にして“事実”を“真実”と語ります。もしも迷うことがあったなら、“事実”の奥の“真実”を覗いてみると良いかもしれません」
「え……?」

 それは、どういう-----?

 整ったエレーンの顔を見つめるあたしの頬に、雨粒が当たった。

 いつの間にか再び空一面を覆った雨雲が、王都に静かな雨を降らせ始めたのだった。
Copyright© 2007-2016 Aki Fujiwara All rights reserved.  designed by flower&clover