パトロクロスはフォード王達との詳細な打ち合わせに、アキレウスは魔力の資質を調べてもらいに行き、ガーネットは借りてきた難しげな本を部屋で読み耽(ふけ)り、あたしは一人、王宮の裏庭で魔法の練習に励んでいた。
ふぅーっ、少しずつではあるけど、思い通りに炎を操れるようになってきたぞ。
微かな手応えを感じて、あたしは笑みをこぼした。
それにしても疲れたぁー。魔法に要する集中力って、半端じゃないよ。
額の汗を拭いつつ、あたしは少し休憩することにした。裏庭の隅っこ、建物の日陰になっているところへ行き、その壁に背を預けて座っていると、耳慣れた声が聞こえてきた。
「じゃあリトアの祠(ほこら)も……」
「あぁ、念の為もう一度確認してみるとフォード王が仰っていた」
あれ? アキレウスと、パトロクロス?
二人とも、もう用事が終わったのかな。
建物の陰から顔だけ覗かせてみると、立ち話をする二人の姿が目に入った。
あぁ、やっぱりそうだ。
声をかけようと立ち上がりかけたあたしは、次のアキレウスの言葉を聞いて、その動きを止めてしまった。
「マーナ姫、パトロクロスのこと好きだよな」
え?
「……やはり、そう思うか? 私も薄々感じてはいたんだが……」
「モロじゃん。ガーネットも気付いていたぜ」
意外な話の成り行きに、あたしは何となく出て行くタイミングを失ってしまった。
あたしもそうじゃないかなとは思っていたんだけど……マーナ姫、やっぱりパトロクロスのこと好きなんだ。
「ガーネットは別に……」
「そうか? オレはあんたら何気に似合いだと思うけど」
「はぁ!? さらりと恐ろしいことを言ってくれるな……アレは論外だ、私の身が持たん」
パトロクロスのその言葉に、アキレウスはぷっと小さく吹き出した。
「確かに。日に日に痩せ細っていくパトロクロスの姿が目に浮かぶよ」
「想像しなくていいッ。ガーネットは知識も広く白魔導士としての力量も有り、旅をする仲間としては申し分ない。人間的にも良い奴だとは思うが、そんなふうには考えられん。マーナ姫も素晴らしい女性だとは思うが、何というかこう、妹のような感じで……それ以上には考えられないんだ」
「妹……ねぇ」
「おそらく、お前でいうところのオーロラのような感じではないかな」
ドッキン。
思わぬところで出て来た自分の名前に、心臓が音を立てた。
やだ……何だかこれじゃ、盗み聞きしているみたいじゃない。
声をかけるタイミングも逃がしちゃったし……どうしよう。
「オーロラ……? んー……」
「うん? 違うか?」
考え込む様子のアキレウスに、あたしの心臓が早鐘を打ち始める。
うわ……何か、イヤだ。
何て言われるのか、怖い。
聞きたくないよ。
そう思うのに、耳を手で塞ぐことが出来ない。
聞きたくないと思う反面、聞かずにはいられないような、正反対の衝動が自分の中でぶつかり合い、あたしはやきもきした。
「近いのかもしれないけど……妹、ってのとはちょっと違うカンジがするな」
「ほぉ?」
興味深げな、パトロクロスの反応-----知らず、短衣(チュニック)の胸の辺りを握りしめながら、あたしは息を殺してアキレウスの回答を見守った。
「オーロラがこっちの世界へ来て、初めて会ったのがオレだっただろ? あの頃、あいつスゴいパニックになっていてさ。ワケの分からん呪文でこんな異世界へ突然召喚されちまったんだ、無理もないけど-----最初の頃はいっつも泣いていて……怯えていて、オレしかすがるものがない感じで。何だか放っておけなくて、震えるあいつの手を取って一歩一歩進んでいたら、いつの間にかこんな大きな話になってきて。オーロラも自分の現状を受け止めて、弱音を吐かずに頑張っているけど、何だか見ていて危なっかしくて、ついつい気になっちまう-----そういう存在なんだよな」
「-----つまり?」
ドクンッ。
「多分、子供の成長を見守る親の気持ち? あれに近いんじゃないかな」
「あぁ……なるほどな。分かる気がする」
ガックウゥーン!
一気に全身の力が抜けるのを感じながら、あたしは人知れず溜め息をついた。
そういう意味……かぁ。
ぐったりと壁に背を預け、目を閉じて天を仰ぎながら、あたしは何故か、ひどく気持ちが沈んでいく自分を感じた。
はぁ……そっか。子供……。
アキレウスがあたしを気にかけてくれているということはとても嬉しかったんだけど、ちょっぴり複雑。
子供か……。
それからしばらくして、彼らが立ち去った後、あたしはゆっくりと立ち上がった。
明日に備えて……もうちょっと練習しなくっちゃ。
あぁ、それに……もう少しアストレアの歴史について勉強しておいた方がいいかな。
あの絵のことも気になるし-----。
「……」
何だか急に気がそぞろになってしまった。
もちろん魔法の練習に身が入るはずもなく、あたしは途中であきらめて、あてがわれた客室へと戻ることにした。
その途中、吹き抜けの回廊に佇(たたず)み外を見つめている人影に気が付いて、あたしは足を止めた。
マーナ姫……。
彼女はいつもの穏やかな顔つきではなく、別人のような厳しい表情で、じっと一点を見据えていた。
何を見ているんだろう……?
彼女の視線の先には、遠くでアストレアの士官らしき人と談笑しているパトロクロスの姿があった。
パトロクロスを見ているんだ……。
何となく彼女の世界に触れてはならないような雰囲気があったけど、無言でその背後を通り過ぎるのもはばかられて、迷った末、あたしは彼女に声をかけた。
「マーナ姫……いいお天気ですね」
「あら……オーロラさん」
振り返った彼女の表情からは、先程の厳しさは消え失せていた。
「えぇ……そうね。お庭の緑が眩しいわ」
「明日の準備はもういいんですか?」
「えぇ、私(わたくし)がしなくても周りの者がみなしてくれるの。お部屋にいるとかえって邪魔になりそうだったから、ここでお庭を眺めていたのよ」
マーナ姫に近寄って初めて、あたしは彼女の顔色がひどく悪いことに気が付いた。その瞳には生気がなく、微笑みも弱々しくて、儚(はかな)げに感じられる。
「マーナ姫……お顔の色がすぐれないようですけど、お身体の調子でも……?」
「いいえ……大丈夫です。少し寝不足なだけ……」
彼女はそう言って傍らの支柱に手をついた。
「あの夢を見るようになってから、なかなか寝付けなくて……ようやく眠れても、その間、ずっと浅い夢を見ているような、そんな感じがしていて。きっと、精神的に緊張した状態が続いているからなのでしょうね……。そのせいで、時々ぼんやりしたり、うとうとしてしまったりするようなのです。今も、オーロラさんに声をかけられるまで気が付きませんでしたし……もしかしたら、立ったまま眠ってしまっていたのかしら」
ふふ、とマーナ姫は笑ったけど、あたしはどう反応していいのか分からず、微妙な笑みを浮かべてしまった。
だってさっきまで、明らかにパトロクロスを見ていたもん。
あたしには、見られたくない姿だったのかな……。
「でも、それも明日、ハンヴルグ神殿を訪れるまでのこと……もう少しの辛抱ね。私の心配が、杞憂(きゆう)に終われば良いのですけど-----」
彼女の青玉色(サファイアブルー)の瞳は深い憂(うれ)いを含んで、彼方の空に向けられた。
本当に……何事もなく終わってくれれば、それに越したことはないんだけど-----。
マーナ姫と別れたあたしは、複雑な思いを抱えたまま、客室へと向かった。
マーナ姫の体調のこと、一応パトロクロスには報告しておいた方がいいよね。
部屋に戻ると、そこにいるはずのガーネットの姿はなかった。彼女が読んでいたぶ厚い本はベッドの上に置かれ、開け放たれたバルコニーへ続く窓の横で、上質なレースのカーテンの裾が揺れている。
それに導かれるようにしてバルコニーへ出ると、ガーネットは手すりに肘をかけ、ぼんやりと景色を眺めていた。
「ガーネット」
「あぁ、オーロラ。お帰りー」
そう振り返った彼女の顔には、いつもの元気さがなかった。どことなく物憂(ものう)げで、あの溢れんばかりのパワーが感じられない。
実は、朝から何となく、ガーネットは元気がなかった。始めは気のせいかと思ったんだけど、やっぱりおかしい。
気になって、あたしは聞いてみた。
「……どうしたの? 何だか朝から元気ないみたい」
すると彼女は力なく笑って、あたしを見た。
「やっぱ、分かっちゃう?」
「うん。分かるよ」
「はー……何ていうかなぁ。あたしらしくないとは思うんだけど」
手すりに置いた腕に顎を乗せ、ガーネットはこう呟(つぶや)いた。
「昨日のパトロクロス、すっごくカッコ良かったのよねー……」
はぁ?
「何? のろけ?」
「まぁ半分のろけみたいなモンかもしれないんだけどさー……」
ガーネットはそう言って、溜め息をついた。
「昨日、フォード王と堂々と渡り合うパトロクロスの姿を見てさ。惚れ直すと同時に、あぁ、王子様なんだなー……と思っちゃったのよね。もちろん、頭では分かっていたことなんだけど、それを急に実感して、何だか遠い人みたいに感じちゃってさ。そんなふうに感じちゃった自分がショックでもあったっていうか……。あたしは王族としての彼を好きになったわけじゃなくて、一人の男性として彼を好きになったのに、そういう信念があったのに、今更そんなコト、一瞬でもそんなふうに考えてしまった自分がイヤで……で、こうして落ち込んでいるわけ」
瞳を伏せて、彼女は言った。
「初めての王宮の雰囲気に飲まれちゃっていたっていうのもあると思うんだけどね。フォード王もマーナ姫も王族っていう独特のオーラがあって、そんな二人と並んでも遜色(そんしょく)のないパトロクロスを見て、改めてそれを思い知らされたっていうか……。マーナ姫、パトロクロスのこと好きみたいだし、それを感じたあせりもあったのかな……。バカみたい。あせってどうなるわけでもないのにね」
あぁ……。
それは、昨日あたしも感じたことだ。
多分ガーネットも似たようなことを感じているんじゃないかと思っていたけど、やっぱりそれは、あたしとは似ていて、でも全く異なるものだった。
「それと似たようなこと……あたしも昨日感じた。だって普段のパトロクロス、そういうことを全く感じさせないんだもん。あたし達と同じもの食べて、同じトコに寝泊りして、一緒に戦って……。料理も出来ちゃうし、野宿もしちゃうし、ホント王子様っぽくないんだもん。たまにあんな姿を見せられちゃうと、ドキッとしちゃうよね」
あたしは彼女の隣に並び、手すりに肘を置いて、そこからの景色を眺めた。
広大なアストレア城の敷地-----それを取り囲む堅固な城壁に、手入れの行き届いた美しい庭園、歴史の重みを感じさせる壮麗な城門-----風を受けてなびく、不死鳥の紋章の描かれたアストレアの国旗-----その向こうに、豊かに栄える街が見える。
「パトロクロスは王子様なんだから、その身分を意識した時、距離を感じてしまうのはある意味仕方がないことなんだと思う。でもその距離は、イコール、心の距離ではないと思うんだ」
ガーネットは顔を上げて、あたしの顔を見た。
「んーと……何て言ったらいいのかな。身分の同じ人達でも、ものの考え方や価値観って、それぞれ違うものだよね。だから相手の思うことが理解出来なくって、距離を感じたりすることって、あると思うんだ。同じ身分の人達でもそういうことがあるんだから、あたし達は育ってきた環境が違うし、何より違う人間なんだから、色んなトコで色んなコト感じちゃうのは仕方がないと思うの。ただ、本質的なところで通じ合っていられれば、それでいいんじゃないかな」
自分の思いを言葉にするのって、難しい。
あたしは自分の考えを一生懸命文章に変換しながら訴えた。
「ガーネットは身分うんぬんじゃなくて一個人としてのパトロクロスを好きなわけだし、それは彼にも伝わっていると思う。パトロクロスもそういう尺度でものを量る人じゃないしね。だから、その、ガーネットがそういう理由でそんなに落ち込まなくて、あたしはいいと思う」
「オーロラ……」
茶色(ブラウン)の瞳を見開くガーネットに、あたしはちょっとはにかんだ笑みを返した。
「上手く言えないんだけど……何となく、あたしの言いたいこと分かる?」
すると彼女は、柔らかな微笑を浮かべた。
「ん……何となく、ね。通じた」
そして上体を起こすと、大きく伸びをして、こう言ったのだ。
「そうよねぇ……オーロラの言う通り! やめたやめた、こんなコトで悩んでいるなんてあたしらしくないわっ! それに思ってたこと吐き出したら、けっこうスッキリしたみたい……サンキュ、オーロラ!」
吹っ切れたようなその表情を見て、あたしも少し安心した。
良かった……ガーネットはやっぱりこうでなきゃ! ほんの少しでも、あたしの言葉が力になって良かった。
「ガーネットも、やっぱ恋する乙女なんだね」
普段はあんなカンジなのに、色々考えたり悩んだりして……ちょっと意外で、可愛い。
「そうよぉ。恋する乙女は、悩み多きモノなのよ。オーロラもそうでしょ?」
「え? あたし?」
その意外な回答に、あたしは藍玉色(アクアマリン)の瞳をまんまるに見開いた。
「そうよ、恋する乙女。戻ってきた時、元気なかったじゃない……アキレウスと、何かあったんでしょ?」
「えッ!?」
ぎょっとするあたしを見て、ガーネットは笑った。
「分かりやすいリアクションねー」
「な……何で分かったの?」
超能力者か、この娘は!?
「だって、オーロラが落ち込む要因っていったら、まず思い浮かぶのはアキレウス絡みだもの」
えぇ!?
「何それ……」
「でも、当たってるんでしょ?」
うう、まぁ、そうなんだけどさ。
「……あたし、落ち込んでいる?」
「そう見えたけど。違う?」
しばらく考えて、あたしは首を横に振った。
「ううん……違わない」
そうだよね、あたし落ち込んでいる。
とっても……落ち込んでいる。
変だよね。別に、ひどいコト言われたわけじゃないのに。
何で?
何で、こんなに落ち込んでいる?
「……アキレウスに直接言われたわけじゃないんだ。偶然、聞いちゃって----------」
あたしの話を聞き終わったガーネットは、腕組みをして、深々と頷いた。
「そぉ-----」
「ちょっとぉ……人が落ち込んでいるのに、口元をひくつかせて笑いをこらえないでくれる?」
不機嫌な面持ちでそう言うと、彼女は耐え切れなくなったかのように吹き出した。
「ゴ……ゴメンゴメン、あまりにも微笑ましい内容だったから……でも、好きな人に言われたら傷つくわよね」
えっ?
ガーネットのもらしたそのひと言は、あたしの意識に革命をもたらした。
好き……?
あたしが、アキレウスを-----?
「オーロラ? どうしたの、呆けちゃって」
あぁ、そうか-----……。
「オーロラ?」
そうなんだ-----。
その瞬間、あたしの中でそれまでの全ての感情が繋がって、氷解し、一気に芽吹いた。
あたしは、アキレウスのことが好きなんだ。
認識してみると、今までその結論に至っていなかったことの方が不思議に感じられた。
「あたし、アキレウスのこと好きなんだ……」
声に出して呟くあたしを、ガーネットが不思議そうに見やる。
「? 何よ今更?」
あたしは少し赤くなりながら彼女に尋ねた。
「ガーネットはいつから気が付いていたの? その……あたしの気持ち」
「え? いつから……って言われると微妙だけど……仲間に加わった頃から、そんな感じはしていたわよ」
そ、そんなに前から……。
あの頃はもう自分のことでいっぱいいっぱいで、そんなことを考えるような余裕なかったもん。っていうか、自分自身、いつから彼のことを好きになっていたのか、分からない。徐々に徐々に、いつの間にか-----自分でも気が付かないうちに、彼への想いが育っていったっていう感じだ。
「まぁ、そんなに落ち込むこともないんじゃない? あたしが思うに、妹に見られるよりはまだ、子供に見られた方が愛が芽生える可能性は高いと思うわよ。親の子供に対する愛情は、何ていったって一番なんだから!」
かなり強引なガーネットの励まし方だったけど、彼女が心からあたしを元気づけようとするその気持ちが伝わってきて、あたしはくすっと笑った。
「何か、さっきと逆の立場になっちゃったね」
「ふふ。元気出た?」
「うん。ちょっとだけね!」
顔を見合わせて、あたし達は笑った。
穏やかな風に抱かれながら、あたし達の恋愛談義はしばらく続いたのだった。
*
その夜、あたし達はパトロクロスにあてがわれた客室に集まって、明日の行動について話し合っていた。
自分の気持ちに気付いてから見るアキレウスは何だかとても素敵に見えて、少し気恥ずかしい感じがした。
いつも通り、いつも通りを心がけなくちゃ。
自然に、自然に。変に意識しすぎないように。
そうは思うものの、気が付くとついつい彼に目がいってしまう自分がいる。
こればかりは……しょうがないかなぁ。
アキレウスに魔力の資質の結果について尋ねてみると、彼は微妙な表情で軽く首を捻ってみせた。
「何か、よく分かんなかったんだよな……。魔力っぽいのがあるっちゃあるらしい……んだけど、まぁ微々たるモンらしいぜ。三系統の中のどの資質に優れているってのも特になかったみたいだし」
そうなんだ? もしかしたら、スゴい魔力を秘めているんじゃないかって思っていたんだけどな。
エシェムという魔物(モンスター)との戦闘で、絶体絶命のあの瞬間、アキレウスの内側から爆発するようにして迸(ほとばし)った、黄金の光-----魔力でないなら、あれはいったい何だったんだろう?
「ま、オレは元々剣士だし、魔力がなきゃないで別に構わないんだけどな。あの時のチカラが何なのかは、これから突き詰めていけばいいわけだし」
アキレウス本人はさして気にする様子もなく、そう言って笑っていた。
確かに彼は魔法なんて使えなくても、剣だけで充分強いからね。
パトロクロスに今日のマーナ姫の様子を伝えると、彼は整った眉を少しひそめた。
「そうか……。彼女の体調にも留意しないといけないな。温室育ちの方だ、心身共にかなりの負担がかかっているに違いない」
そのマーナ姫、実戦経験こそないものの、何と白魔法を使うことが出来るんだって。意外ッ!
パトロクロスの話によると、どうやらアストレア王家には代々伝わる秘術があるらしく、それは白魔法の使い手でないと扱えないものらしい。
それ故、アストレアの王位継承権は他の国々とは異なり、『白魔法を使える者』に優先的な取決めとなっているんだって。
現国王のフォード王は既にお妃様を亡くしていて、子供はマーナ姫一人だから、もし彼女が白魔法を使えなかった場合は、『由緒正しき家柄の白魔法を扱える者』をお婿さんに迎えなければならないらしい。
「それでなくとも、代々のアストレアの王は白魔法の心得のある王族や貴族との婚姻を結んできた傾向にある。亡くなられた王妃様も、高位の白魔導士としての呼び声の高い方だった」
何だか王家って……表向きの華やかなイメージとは裏腹に、その国の歴史だとか、代々受け継がれてきた使命なんかに縛られて、色んなものを犠牲にしている一族なんじゃないかな。
ふ、とそんな思いがあたしの脳裏をかすめた。
ローズダウンの王族であるパトロクロスは、シヴァの地図の守役としての使命を担って、王子である彼がこんな危険な旅に加わっているし……って、あたしもこんなか弱い身の上でそれに巻き込まれちゃった口なんだけどさ。
何不自由のない生活と引き換えに、とても重いものを背負わされた一族-----王家は、そういう運命(さだめ)を持つ血族なのかもしれない。
「アストレア王家に代々伝わる秘術、か-----」
アキレウスの声に、ドキッとあたしの心臓が反応した。
「ハンヴルグ神殿に関係あるんじゃないかしら。昨日、フォード王が姫様を部屋へ呼んでいたじゃない。マーズとイリシュもそんな雰囲気のこと言っていたし……」
ガーネットの言葉に、パトロクロスが頷く。
「うむ。おそらくは、ハンヴルグ神殿に眠るフールウールに関わりのあるものではないかと私は思っている。それがどういう意味合いを持つものなのかは、推測するしかないがな」
炎の魔人……フールウールか……。
「ねぇ、本当にそんな怖いモノが今も封印されたままになっているの?」
あたしの素朴な疑問に、パトロクロスはちょっと笑った。
「見たことのある者は誰もいないが、そう伝えられている-----シヴァの地図と一緒だよ。顔も見たことのない、遠い祖先から託された、歴史の遺物……。少なくとも、フールウールが封印されたとされる場所があることは確かだ」
あたしはアキレウスの顔を見た。
シヴァの地図は確かに存在し、その所有者として彼を選んだ。
マーナ姫からフールウールとルザンの話を聞いた時、あたしはどこか、異国のおとぎ話を聞いているような感覚があったのかもしれない。
今頃になってそれが現実味を帯びてきて、あたしはブルリと身体を震わせた。
「昼間、文献を借りて調べてみたんだけど、フールウールとルザンの関係については色々な説があるみたいね」
頬杖をつきながらガーネットが言った。
「そうなの?」
「うん。フールウールはルザンが魔界から召喚した魔人(デーモン)だというのが一般的な説らしいけど、その他にルザンが自分の血肉を分けて造り出した人造生命体(ホムンクルス)だとか、ルザンと魔物(モンスター)の間に生まれた半人半魔(ハーフ)なんていうのもあったわよ。どれが本当なのか、それともどれも違うのか、真実は分からないけどね」
へぇー。
「オレが昔聞いた話の中には、旧世界で造られた合成動物(キメラ)なんていうのもあったぜ。それをルザンが飼い慣らしたっていう……」
「うそくさいわねー」
じと目のガーネットに、アキレウスが口をとがらせて反論する。
「オレが言ったわけじゃないぜ」
あたしはパトロクロスに尋ねた。
「本当のところ、どうなんだろうね?」
すると彼は肩をすくめてこう答えた。
「それについてはアストレア王家も知りえぬところらしい。ルザンのみぞ知る、だな」
そっか……フールウールとルザンの関係は、ルザンにしか分からないんだ。
フールウールが人間の言葉を話せるなら、その封印を解いて聞くことが出来るかもしれないけど、そんな怖ろしいこと出来るはずもないし。
事実上、この謎は永遠に解けることはないんだ。
そこまで考えて、あたしはハタとあることに気が付いた。
「え……待って。フールウールが封印されているってコトは、その封印を解く方法もある、っていうコト?」
「そういうことだろうな」
アキレウスが頷く。
「もしかして、その方法って……」
「アストレアに伝わる秘術じゃないかしら」
ガーネットがパトロクロスに視線を送る。
「おそらくはな」
「じゃあ、黒装束の男達がマーナ姫を狙ったのは……!」
あたしの言葉に三人は顔を見合わせ、頷いた。
「その可能性は、大いに有り得る」
やっぱり!
「ただ、奴らの目的がそうであったとして、何故今、危険を冒してまでフールウールを甦らせる必要があるのか……」
「だよな。数え切れない犠牲を払っても倒しきれず、封印するのがやっとだった魔人だぜ……」
「何らかの方法で制御することが可能なのかしら……」
もし、フールウールを制御できる方法があったとして……甦らせた者達が、そのチカラをどう利用しようと考えているのか-----それは、想像に難(かた)くない。
「ねぇ……だとしたら、マーナ姫をハンヴルグ神殿に連れて行くのは危険なんじゃない?」
あたしの意見に、パトロクロスは淡い青(ブルー)の瞳を向け、こう述べた。
「もちろん、その可能性がある以上危険は伴う。だが、あの連中が捕まらない限り、おそらく行方不明者の数は増え続けることだろう。奴らの居場所が掴めぬ今、これはおびき出して捕えるという選択肢でもある。それに何より一番怖いのは、ハンヴルグ神殿に行けないことでマーナ姫が思い詰め、何らかの方法で再び城を抜け出してしまうことだ。そうなってしまっては、目も当てられない」
まぁ、確かにそうだけど……。
「全てのタイミングが良すぎるのも気になる……明日は心してかからないとな」
厳しい表情で、アキレウスはじっとテーブルをにらみつけた。
マーナ姫の夢、行方不明者の急増、黒装束の男達、そしてあたし達のアストレア入り-----確かに、ここ最近のうちに全てのことが連鎖的に起こっている。
そこにシヴァの絡みがあるのではないかと、あたし達は危惧をしていた。
「そうね。あたし達にとっても、ひとつの大きな賭けになるわけだものね」
「あぁ。誘(いざな)いの洞窟での一件もある。気を引き締めていこう」
あたし達は顔を見合わせ、頷いた。
緊張で、何だか胸がドキドキしてきた。
膝の上でぎゅっと拳を握りしめ、あたしは誰にとはなく祈った。
何事もなく終わってくれれば、それに越したことはない。
どうか明日が、無事に過ぎますように……!