アストレア編


 アストレアの王都-----その裏通りに面した、とある宿。

 そこへ戻ったあたし達は、改めて先程助けた貴人の紹介を受けた。

 彼女の名は、マーナ・レイ・アストレア。

 今年18歳になる、この国の王女様だった。

 パトロクロスが『姫』という呼称で呼んでいたところからして、そうだろうなとは思っていたんだけど、灯りの下で見る彼女は、お姫様然としていて、気品に満ち溢れていた。

 腰まである、手入れの行き届いた長い鳶(とび)色の髪に、ぱっちりとした、綺麗な青玉色(サファイアブルー)の瞳。その肌は透き通るように白く、今は少し青ざめて見えたけど、まるでお人形みたいに華奢で、整った容姿の持ち主だ。

 お姫様って、やっぱり違うな。オーラっていうか……特別な輝きがある。

 淡いピンクの上質な布地のドレスの上から、フードつきの黒い外套(がいとう)を羽織っている彼女は、派手な貴金属は身に着けていなかったけど、右人差し指の黒い大きな宝玉の嵌め込まれた指輪が、あたしの目を引いた。

 うわぁ、大っきい……綺麗だなぁ。何の宝石だろう?

 あたし達も自己紹介し、ひと通りの紹介が終わった後、マーナ姫が静かに語り始めた。

「-----夢……を見るのです……」

 ベッドに腰掛けた彼女を軸に円を描くようにして、あたし達は床に座り、その話に耳を傾けていた。

「夢?」

 パトロクロスの声に、マーナ姫は小さく頷いた。

「えぇ……夢です。ここ最近、毎晩のように繰り返し同じ夢を見るのです-----“ハンヴルグ神殿”の……夢を」

 聞き覚えのあるその名称に、あたしは内心小首を傾げた。

 ハンヴルグ神殿……? 今日、どこかで耳にしたような。

「ハンヴルグ神殿というと……“炎の魔人”が封印されているという伝承のある神殿でしたね、確か」
「はい」

 “炎の魔人”……?

「この国の建国にまつわる伝承です。昔、強力な魔力を持った一人の女魔導士がいました。名をルザンといい、その強大な魔力(チカラ)をもって世界を手中に治めんと、異形の魔人-----フールウール解き放ったといいます」

 あっ……思い出した。“ルザンの碑”、今日アキレウスと訪れたあそこで耳にしたんだ。

「フールウールは炎の魔人。牛のような漆黒(うるしぐろ)の二本の角と、強靭な人間の男性の肉体を持ち、背には蝙蝠(こうもり)のような翼があったと伝えられています。その身体は常に灼熱の炎に包まれ、口から吐き出される高温の炎は、一瞬にして町を焼き尽くすほどの威力だったそうです。フールウールとルザンによって、現在のアストレア周辺は瞬く間に焦土と化していきました。人々の絶望が高まる中、打倒ルザンを唱えて立ち上がった若者達がいました-----その中心となったのが、デューク・ランバーク……後のデューク・ウル・アストレアT世です」

 青玉色(サファイアブルー)の静かな目をあたし達に向け、マーナ姫は続けた。

「始祖王達は死闘の末、辛くも勝利を治めることが出来ました。ルザンは火刑に処せられましたが、フールウールを完全に倒すことは出来ませんでした。そこで、呪法で封印する形を取り、永久に眠りにつかせることにしたのです。その場所が現在のハンヴルグ神殿となり、今この瞬間も、我が国の神官達の手によって護られているのです。ルザンの遺骨は邪気が強く危険と判断された為、フールウールから遠く離れた地に封入されました。これが現在の“リトアの祠(ほこら)”です。この二つを常に監視下に置く為、その間に小さな町が生まれ、やがてひとつの国家を形成していきました。これがアストレアの歴史の始まりです」

 “ルザンの碑”には、フールウールについてそこまで詳しくは語られていなかった。

 そんなに恐ろしい魔人が今も神殿の中で眠っているなんて、ぞっとしない話だもんね。無用の混乱を招く必要もないという思いから、公表はされていないんだろうな。

「そのハンヴルグ神殿が、炎に包まれる夢を……毎晩のように見るのです」

 そう言ってマーナ姫はその美しい眉根をぎゅっと寄せた。

「夢と言うには、あまりにも生々しい……おぞましい感じがするのです。私(わたくし)には、ただの夢とは思えない……! 何か……何かが起こるように思えてならないのです……!」
「予知夢なのではないか……ということですか」

 ガーネットの言葉に、彼女は切なげに首を振った。

「そこまでは……。私には夢見の能力(チカラ)はありませんし、今までこのようなことも全くありませんでした……。何故、今このような夢を見るのか……この焦燥感を、どう伝えれば良いのか……正直、私にも良く分からない……。ただ、危機迫るものを感じるのです-----どうしようもないほどに!」
「このことは、フォード王には」

 パトロクロスにそう尋ねられ、マーナ姫はそっと瞳を伏せた。

「はい……父にも申し上げましたが、ハンヴルグ神殿・リトアの祠共に、今のところ異常を示すような兆候は何も見受けられない、と。同じ夢を繰り返し見るのは、稀(まれ)にあること。私が少し疲れているのではないかと、まともに受け止めてはもらえませんでした。父に諭され、私もそうなのかもしれないと思い込もうとしましたが……胸が騒ぐのが、どうにも止められないのです。思いあまって、ならば私自身の目で確かめてみよう、と」
「城をお一人で抜け出されたのですか」

 溜め息混じりのパトロクロスの声に、彼女は白い頬を赤らめた。

「はい……」
「無茶をなさる。今頃城は大騒ぎですよ」
「……」

 沈黙するマーナ姫に、今度はアキレウスが問いかけた。

「それで……あの黒装束(くろしょうぞく)の奴らはいったい……?」
「分かりません……気が付いた時には、後を付けられていて。怖ろしくなって無我夢中で走っていたところを、偶然皆様にお会いして、助けていただいたのです」
「何か心当たりは……?」
「先程も申しましたが、ありません。あのような異様な輩(やから)……」

 先刻の場面を思い出したのか、彼女はその細い肩を震わせた。

 無理もないよね、あたしだって思い出すとゾッとする。

 お姫様なんだもん……あんな怖い経験、初めてだったんだろうな。

「どう思う?」

 アキレウスがパトロクロスに視線を送る。

「何とも言えんな……高い身分にある方だし、狙われる理由はいくらでも考えられる。だが、今回の輩は普通ではなかった。彼女が一人城を抜け出すことなど、そうそう有り得ることではないし、タイミングが良すぎるのも気になるな……」
「どこかの王族とは違うからな」

 余計なひと言を付け加えたアキレウスを軽くにらんで、パトロクロスは続けた。

「先程の夢の話も気になる。何が起ころうとしているのかは現時点では分からないが、少なくとも何かを起こそうとしている輩の気配は感じられるというところか」
「同感。全てのタイミングが良すぎて、オレ的にはイヤな予感がするね。黒装束のヤツら、ぎりぎりまで気配を悟らせなかった割にあっけなさすぎた。何かあるぜ……」
「女のカンは鋭いって言うしね。姫様のカンが夢という形を取って、警鐘を鳴らしているのかもしれないわ」

 ガーネットがそう言うと、何だか説得力あるなぁ。

「とりあえず、結論を出すには現時点では情報が少なさすぎる」

 パトロクロスは話の行方を見守っていたマーナ姫を振り返り、こう告げた。

「まずはアストレア城に赴き、フォード王に先刻の件を報告しましょう。本当は明日伺おうと思っていたのですが、致し方ない。ぶしつけな時間になってしまいますが、火急の件ということでご容赦いただこう」
「父に……ですか?しかし……」

 ためらう素振りを見せる彼女に、パトロクロスは力強く言を紡いだ。

「私からもフォード王に進言します。こういうことは、早い方がいい。大丈夫ですよ」

 うわ……パトロクロスったら、ミリオンスマイル。

 それを受けたマーナ姫は、白い頬を桜色に染めてうつむいた。

「は……い。パトロクロス様がそう仰るのなら……」

 罪作りな笑顔だなー、あたしでもドキッとしちゃうよ。

 この微笑みで何人もの女(ひと)達を虜(とりこ)にしてきたに違いない自覚、本人にはあるのかな? パトロクロスのことだから、きっとないんだろうなー。

「皆様……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、どうぞ宜しくお願い致します」

 深々と頭を下げるマーナ姫にあたし達は頷いて、身支度を整える為立ち上がった。

 こうして、予定より半日ほど早く、あたし達はアストレア城へと向かうこととなったのだった。



*



 あたし達がアストレア城に着いた時、城内は兵士達がせわしなく動き回り、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 マーナ姫が忽然(こつぜん)と姿を消したことが発覚し、あわや捜索隊が組まれようとしているところだったのだ。

「どうやらぎりぎり間に合ったようだな」

 パトロクロスが吐息をつき、あたし達も事が大きくなる前にたどり着けて良かったと思っていたんだけど-----。

「-----このバカ者!」

 フォード王に一喝され、マーナ姫はビクリと目をつぶった。

「一国の王女ともあろう者が、無断で城を抜け出すとは何事だ! 己の身勝手な行動が、どれほどの者達に迷惑をかけたのか……胸に手を当て、よく考えてみるがよい!」

 激昂する父王に、マーナ姫はうなだれて謝罪した。

「申し訳ありません……軽率でした」

 その様子を見たフォード王は、荒い息を吐き出しながら、どっかりと玉座に腰を下ろした。

「……無事であったなら、まぁ良い……。客人の前ゆえ、これ以上は差し控えよう。しかと受け止め、以後無きように」
「はい……」

 口調は厳しかったけど、フォード王の青玉色(サファイアブルー)の瞳には安堵の色が溢れていて、娘の身を案じるが故の厳しさだということが分かった。

「パトロクロス王子、そしてお連れの方々。見苦しいところを見せてしまい申し訳なかった。まずは、礼を言わせていただきたい……この国の王としてではなく、一人の父親として、だ。娘を送り届けていただき、大変感謝している」
「もったいなきお言葉……あまりお気遣いなされませんように。私共もぶしつけな時刻に大勢でお邪魔しておりますゆえ」

 パトロクロスがそう返すと、硬かった王の表情が少しだけやわらいだ。

「何を申される、元凶はこの跳ねっ返り娘であろう。一歩間違えれば大変な騒ぎになるところであった」

 フォード王は四十代後半といったところかな。

 マーナ姫と同じ色の髪と瞳。落ち着いた知的な佇(たたず)まいで、たくわえられた見事な髭が威厳を醸し出している。

「そのことですが……フォード王、お耳に入れておきたいことが」

 パトロクロスのその申し出に、柔和だった王の表情が引き締められた。

「どのようなことであろうか」
「はっ……まずは、人払いを」
「……」

 パトロクロスの淡い青(ブルー)の瞳をしばし見つめ、フォード王は短く頷いた。

「うむ」

 王の右手が上げられると、それを合図に従者達が退席し、室内にはあたし達とマーナ姫、そして側近らしい二人の士官だけが残された。

「この二人は私の右腕と言うべき存在だ。パトロクロス王子はご存知かと思うが、右が最高武官のマーズ、左が最高文官のイリシュだ。貴公らが大賢者シヴァ復活の特命を受けていることも無論承知している。……どのようなことか話していただこう」

 マーズは武官らしく立派な体格の壮年の男性、イリシュは細面でひょろりとした印象の、やはり壮年の男性だった。

「はい。では-----」

 パトロクロスの話を聞き終わったフォード王は、驚愕(きょうがく)の声を上げた。

「何と! そのような怪しい輩が……!? マーナ、怪我はなかったのか!?」

 心配する父王に、彼女は微笑んで頷いた。

「はい、お父様。今のお話の通り、パトロクロス様達に助けていただきましたので」
「そうか……それは、何よりだった……。しかし、考えただけでも怖ろしい。偶然貴公らが通りかかったから良かったようなものの、そうでなければ……」

 一瞬言葉を詰まらせたフォード王は、顔を上げ、あたし達一人一人の顔を見て、改めて感謝の言葉を述べた。

「まさか、送り届けていただいたばかりか、そのような輩から救っていただいていたとは……重ね重ね礼を申し上げる、パトロクロス王子。そして……聖女オーロラ、魔物(モンスター)ハンターアキレウス、白魔導士ガーネットよ」

 沈黙を守り一礼を返すあたし達を代表して、パトロクロスが口を開いた。

「いえ、当然のことをしたまでですから礼にはおよびません。偶然我々が居合わせて、運が良かった……。その黒装束の男達に、心当たりはありませんか?」
「うむ……特に思い当たる節はないが……マーズ、イリシュ、どうだ?」
「そのような事例は、今のところ聞き及んでおりませんが……」

 首を横に振るイリシュに対し、マーズは微妙な反応を示した。

「私もそのような事例は耳にしておりませんが、そういえば……」
「何だ? マーズ」
「あ、はい。今回の件とは関係がないのかもしれませんが、ひとつ気になっていた件がありまして」
「申してみよ」
「はい。明日にでも王にお伝えしようと思っていたのですが……ここ数日、行方不明者の数が急増しているという報告を受けております。原因は不明ですが、多くの者には行方不明となる理由がなく、年齢や性別、人種についても様々で統一性がありません。現在分かっているだけでも、その数は五十余名に達します」
「何と? もしや、その怪しげな集団が一枚絡んでいるのか……」
「早急に調べようと思いますが、今のところそういった情報はありません」
「むぅ……」

 黙りこんだフォード王に、パトロクロスが切り出した。

「マーナ姫の夢の件ですが……」
「ハンヴルグ神殿か」
「はい。僭越(せんえつ)ながら、今一度、ご確認されてはいかがでしょうか」
「マーナの話を始めに聞いた時、よもやと思い確認を取ったが、変わったことは何もなかった」
「そのように聞き及んでおりますが、マーナ姫の夢と今回の件、そして今ほどお聞きした行方不明者の急増-----そして、我々のアストレア入り。ほぼ同時期に重なっているのが気になります。何より、あのおしとやかなマーナ姫が、城を抜け出されるほどに思い詰めておられる」

 あたしは少し驚いて、パトロクロスを見た。

 あたし達のアストレア入り-----それが今回の件に関わっているかもしれないなんて、考えてもみなかったから。

 アキレウスとガーネットが動じなかったところを見ると、二人はあらかじめ、それを意識していたんだろうな。

「シヴァの絡みもあるかもしれぬと?」

 確認するような口調でフォード王が問いかける。

「はい。我が父より伝書にて報告があったかと思いますが、シヴァの地図を巡っては、誘(いざな)いの洞窟にて、何者かが送り込んだ魔物の妨害に遭い、戦闘になりました。シヴァに目覚められては困る者がいる-----これは紛れもない事実です。その地図は今、こちらの手中にある……敵がどのような手段に出てくるのか、あらゆる場合を想定しなければなりません」
「……」
「どうぞ、今一度ハンヴルグ神殿を調べてはいただけないでしょうか」

 パトロクロスの隣に立ち、マーナ姫もフォード王に嘆願した。

「お父様、私からもお願い致します。どうか……どうか、もう一度! 私、どうしても気になるの! どうか私がハンヴルグ神殿へ行くことをお許し下さい!!」
「……」
「お父様! お願い!!」

 青玉色(サファイアブルー)の大きな瞳に涙を浮かべて、マーナ姫は訴えた。それは、聞いている方の胸が痛くなるほどの、悲鳴に近い切実な叫びだった。

「-----マーナよ……。お前が、それほどまでに私に何かを訴えるのは初めてだな」
「今……ハンヴルグ神殿に赴くことが、私の使命のように感じられるのです。今は亡きお母様が、私にそう訴えているような気さえします……」

 彼女はそう言って、右人差し指の指輪にそっと視線を落とした。

 あの指輪……お母さんの形見なんだ……。

「この焦燥感を、どのように訴えたらお父様の胸に伝わるのか……私……私、どうしても-----どうしても、この目で確かめたいの……!」

 見つめ合う、父と娘-----長い長い沈黙の後、フォード王はゆるゆると息を吐き出した。

「マーナよ、お前の気持ちは良く分かった……ハンヴルグ神殿を今一度調べ直してみよう」
「お父様!」

 やったぁ!

「ただし」

 へっ?

「お前を行かせることは出来ぬ」

 えぇーッ!?

「お父様!?」
「得体の知れぬ輩に狙われているのだ。それに、万が一ハンヴルグ神殿で不測の事態が起こった場合のことを考えると、危険すぎる」
「お父様! そんな……!」
「ハンヴルグ神殿で明らかに異常が認められるような事態でもなければ、一個師団を差し向けることは出来ぬ。不用意に兵を立てれば、いたずらに国民に不安を与えることになるからだ。それに今は、何やら不穏な気配が漂っている……城が手薄になった時に奇襲を受けるようなことがあってはならぬ。つまり、お前を守る為の兵が割けぬのだ」
「お父様……!」
「ハンヴルグ神殿は再調査する。それで納得してくれ」
「いいえ……!」

 マーナ姫はかぶりを振り、涙で濡れた瞳でマーズを見、イリシュを見、そして-----パトロクロスを見た。

「パトロクロス様っ……!」

 わぁっ、とパトロクロスの胸にすがりつき、彼の顔を見上げながら懇願する。

「お願いです、パトロクロス様! 私を……私を神殿までお連れ下さい……! 一生のお願いでございます!!」
「マッ、マーナッ!」

 ガタンとフォード王が立ち上がり、あたしの隣のガーネットの身体がピシッと強張るのが分かった。

「王子に対して無礼であろう、離れぬかッ!!」
「……マーナ姫」

 パトロクロスは気絶しそうになるのを堪(こら)えながら(傍目にはそう見えないのがスゴい!)、そっと彼女の肩を掴んでその身体を離し、あたし達に目で確認を求めてきた。

「最初からそのつもりだったし」

 アキレウスが苦笑する。

「ここまで来たらやるしかないでしょ」

 頬をひくつかせるガーネット。

「引き下がるわけには、いかないよね」

 あたしの言葉で、あたし達の方向は固まった。

「貴公ら、何を……!?」

 いぶかしがるフォード王に向き直り、パトロクロスは毅然とした面持ちでこう言ったのだった。

「フォード王、我々がマーナ姫の護衛につきましょう」
「なっ、何ッ!?」
「パトロクロス様!」

 マーナ姫の顔が輝く。

「マーナ姫、私達が貴女を神殿までお連れします。もちろん、フォード王の了解が取れればですが……」
「あ……ありがとうございます!!」
「-----なっ……ならぬならぬッ! パトロクロス王子、貴公、自分が何を言っているのか分かっておるのか!?」

 激昂して進み出るフォード王を凛とした眼差しで見据え、パトロクロスは言った。

「出過ぎた申し出であることは重々承知しております。しかし、我々が遭遇した黒装束の男達といい、行方不明者の件といい-----何かを起こそうとしている輩の気配は感じられます。姫の夢は、これから起ころうとしている何かに対する警鐘なのかもしれません。ハンヴルグ神殿にもし一大事が起こり、伝説の魔人フールウールが覚醒するような事態となれば、我々も決して無関係ではいられないのです」
「う……む、しかし、マーナを連れて行くなど……!」
「こうお考えいただけませんか。フォード王も仰られたように、幸い、ハンヴルグ神殿には問題がないことがつい先日確認されたばかりです。リスクとしては、そう高くはないはず……我々はそれを視察に行くだけなのだと、そう思ってはいただけませんか。一度ご自分の目で確かめられれば、マーナ姫も納得されることでしょう」
「しかし……! 万が一、貴公にもしものことがあれば、私はローズダウンのラウド王に顔向け出来ぬ!」
「その点に関してはご心配なく」

 パトロクロスはにっこりと微笑んだ。

「私のたっての希望でフォード王に無理をお願いしたと、伝書にて父に伝えておきます。それに……私には、絶対にやり遂げねばならない目的がある。それまでは、死ぬつもりはありません」

 そう言い切ったパトロクロスの表情は揺るぎなく、崇高(すうこう)で、強い意志に満ち溢れ-----……彼の中の“天子の氣”を見たと、あたしは思った。

 パトロクロスはいつも穏やかで、とても気さくで-----あたしは時々、彼が一国の王子様なのだということを忘れてしまうことがある。

 だけど、彼はそれを内にしまっているだけなんだ。

 普段は必要のない威厳も品格も内に秘め、あたし達と同じ目線でものを見、考え-----ここぞという時だけ、解き放つ。

 それは、王者の品格なのだと思う。

 隣でパトロクロスに見とれているガーネットの気持ちが、良く分かった。

 うん、とても……素敵。

「貴公の剣の腕前はよく知っているが……しかし」

 渋るフォード王に、最高武官のマーズが進言した。

「恐れながら王よ、パトロクロス王子の言(げん)にも一理あるか、と。不遜(ふそん)ながら私の部下の精鋭を20名ほど姫におつけしてはいかがでしょう。ハンヴルグ神殿を姫が視察に行かれる、ということであれば、国民の不安を煽ることもありますまい」
「マーズ……むぅ……」

 なおも渋るフォード王に、今度は最高文官のイリシュが口添えした。

「王よ、くしくも来月はマーナ様の18回目のお誕生日。成人を迎えられる日です。少々早いですが、これも何かの運命(さだめ)のような気が致します。伝えられるべき時が、来たのではありますまいか」
「……イリシュ」

 伝えられるべき……時……?

「お父様……」

 胸の前で両手の指を組み、マーナ姫が訴えるように父王を見つめる。

「……」

 フォード王は天を仰ぎ、嘆息した。

「分かった……。マーナよ、その目で確かめてくるがよい」
「お父様!」

 マーナ姫が喜びに青玉色(サファイアブルー)の瞳を輝かせる。

 あたし達は、安堵に顔を見合わせた。

 一時はどうなることかと思ったけど……良かった!

「パトロクロス王子……マーナを頼む」
「お任せ下さい。貴国の精鋭もおりますし……私の仲間も強者(つわもの)ぞろいですから」

 フォード王はあたし達に視線を向けると、かすかに口元をほころばせた。

「噂には聞き及んでおるよ。後ほど、貴公達の話はじっくりと聞かせてもらうこととしよう。今宵はもう更けた……詳細は明日にでも詰めるとして、今夜はもう休むことにしよう。イリシュよ、女官を呼び王子達を丁重にもてなすよう手配しろ」
「はっ」

 イリシュが退席する傍らで、フォード王はマーナ姫に話しかけた。

「……マーナよ」
「はい、お父様」
「少し話がある。後で私の部屋に来るように」
「はい……」

 もしかして……さっきイリシュの言っていたことかな。伝えるべき時が来たとか何とか……。

 やがて召されてきた女官によって、あたし達は客室へと案内された。

 彼女に導かれて広々とした造りの回廊を歩いていると、ぽつりとガーネットがこんなことを呟いた。

「パトロクロスって……本当に王子様だったのねぇ」

 それがあんまりにもしみじみとした口調だったので、おかしくて、あたしとアキレウスは笑ってしまった。

「……お前、私をいったい何だと思っていたんだ」

 憮然とした面持ちでパトロクロスがガーネットを振り返る。

「やー、分かってはいたつもりだったんだけどねー。んー、何ていうか……改めてそれを確認して、ちょっとびっくりしたっていうか……」

 ガーネットの言っていることは、何だか分かる気がした。

 彼が『王子様』だということ、彼女も頭ではもちろん分かっていたんだろうけど、実際にその姿を目の当たりにして、何だか不思議な感じがしたんだろうな。

 あたしやアキレウスと違って、ガーネットは王族として振舞うパトロクロスの姿を初めて目にしたわけだし。

 今までとても身近な存在に感じられていたパトロクロスが、ちょっとだけ遠い存在のように感じられる-----少しだけ、寂しくて切ないような、不思議な感覚。ガーネットのそれは多分、あたしが覚えたそれとは似ていて、非なるもの。

「パトロクロスの新しい一面を見た! ってカンジかなー。毅然としていて、素敵だったわ〜」

 語尾にハートマークをつけつつ、うっとりとガーネットは瞳を閉じた。

「だよなー、ガーネットは赤くなったり青くなったりしてるパトロクロスしか見たことないもんなー」

 茶々をいれるアキレウスをパトロクロスがキロリとにらみつける。

「アキレウス、お前……覚えてろよ」

 あはは、パトロクロス、顔がこわーい。

 そんな話をしていたあたし達は、回廊の壁に飾られていた一枚の絵画に気を取られて足を止めた。

 あ……これ……。

 それは、意匠の凝らされた立派な額に入った、扉ほどの大きさもある巨大な絵画だった。

 赤と黒を基調に描かれていて、きらびやかな宝飾類を身に着けた長い黒髪の女性が、民衆の見守る中、磔(はりつけ)にされ、業火に身を包まれている。

 もしかして……ルザン……?

「“創国の刻(そうこくのとき)”というタイトルの絵です。アストレアに伝わる魔女ルザンが、建国の父であるデューク・ウル・アストレアT世らによって捕えられ、自らが最大の武器とした炎によって死刑に処せられた場面が描かれています」

 案内役の女官がそう説明してくれた。

「自らが最大の武器とした炎によって……か。皮肉だな」

 ぽつりとアキレウスが呟いた。

「伝え聞く話によると、アストレアT世は炎に焼かれて死んだ人々を思い、贖罪(しょくざい)の意味を込めて、あえてルザンを火刑に処したんだそうだ」

 パトロクロスの補足を聞いて、あたしは改めてその絵を見上げた。

 スゴい迫力……見ていて、背筋が寒くなるような……。

「ん……?」

 不意に違和感を覚えて、あたしは眉をひそめた。

 何だろ、この絵……何か変な感じがする……。

「どうした、オーロラ?」

 そんなあたしの様子に気が付いたアキレウスが声をかけてきた。

「ねぇ、アキレウス……何か、変な感じしない? この絵」
「え?」
「オーロラもそう思う?」

 横合いからガーネットが話に加わった。

「ガーネットも?」
「うん。なーんか、引っかかるのよね……。上手く言えないんだけどさ」
「あたしもなの。何が、って言われると困るんだけど……」

 眉根を寄せて、あたし達は絵画に視線を戻した。

 腕を組んで考え込む女二人の後ろで、男二人がこそこそと会話を交わす。

「何か感じるか? パトロクロス」
「いや……この絵は何度も目にしているが、特別違和感を感じたことはないな」
「だよな……オレにもサッパリ」
「女性はカンが鋭い生き物だからな。我々男では感じ取れない何かを感じ取っているのかもしれん」

 カンっていうか……何て言えばいいのかな。何がおかしいのかは分からないけど、何かが違うっていうのだけを感じる、この気持ち悪さ…ううう、何て言い表したらいいんだろう。

「-----ねぇ、パトロクロス。ルザンの遺骨のある場所……リトアの祠っていったっけ? そこって今、どうなっているのかしら」

 ガーネットの質問に、パトロクロスは少し考えてから答えた。

「確か……衛兵の詰所が設けられ、ハンヴルグ神殿ほどではないにしろ厳重な警備体制が敷かれていたはずだ。祠を取り巻く堀は常に聖水で満たされていて、外界と繋がる橋は通常は封印されていると聞いた気がするが……」

 伝説の魔女ルザン……その遺骨の眠る場所……か。

 業火に焼かれ、恐らくは断末魔を上げているだろうその顔を見上げながら、胸の中に一抹の不安が広がっていくのをあたしは感じた。

 あたしとガーネットがこの時感じた『違和感』に、重大な事実が隠されていたことを、後々あたし達は知ることになるのだった。
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