ドヴァーフ編


 浅黒い肌に、肩の辺りまである金色の髪。首にかけられた銀色の鎖(シルバーチェーン)のついた笛-----。

 ドヴァーフへ向かう途中、偶然知り合ったイルファというガゼ族の少女に、黒衣の下から現われた女性の印象は酷似していた。

 瞳の色こそ、イルファは金色(ゴールド)で彼女は琥珀色(アンバー)という違いはあったが、間違いない-----ガゼ族、だ。

 ぼろ切れとなった黒衣を脱ぎ捨て立ち上がった彼女は、薄いプロテクターのみを身に着けた肌も露わな姿だった。

 なめらかなその肌にはいたるところに痛々しい呪紋(じゅもん)が刻み込まれ、彼女が“魔”と何らかの契約を交わしたことを窺わせる。

「ガゼ族が、何故-----」

 茫然ともれたアキレウスの呟(つぶや)きに、彼女は薄い唇を歪めて答えた。

「辺境に住まう蛮族の名を、よくご存知ですね。ですが、あんな腑抜けた一族と私は違う……。私は全てを捨てた者-----もはや“人”ですらなくなった、この世の理(ことわり)からはみ出した存在……」
「腑抜けた……?」

 その部分がアキレウスには引っかかった。

 ガゼ族は、ドヴァーフの西方に住まう勇猛と名高い亜人の部族である。外界との接触を嫌う傾向にあり、その村の正確な位置は明らかにされていないが、一族にまつわる数々の武勇伝は冒険者達の間では有名であり、魔物(モンスター)ハンターであるアキレウスもその噂を幾度となく耳にしたことがあった。

 彼らの最大の特徴は、超音波を出す特殊な笛を使って竜(ドラゴン)を自在に操る秘伝の技術にある。その技を極めた者は“竜使い(ドラゴンマスター)”と呼ばれ、己の意のままに竜を操ることが出来るのだ。

 偶然出会ったイルファというあの少女も竜使いだった。

 噂では聞いていたが、実際に初めてその技を目の当たりにした時、アキレウスは驚嘆すると共にある種の感動を覚えたものだったが……。

「勇猛と謳われたガゼ族が存在したのは、遠い昔の話……今は強国の顔色を窺いながら、隔絶された世界の中でひっそりと息を潜めてただ生きている、大切なものの為に戦うことを忘れてしまった、惨めで憐れな部族……。私は彼らに深く失望し、そして、人というものの在り方そのものについて疑問を覚えるようになったのです。果たしてこのような生物が、この世に存在している価値があるのか、と-----」
「だから……魔と手を結んだ、と?」

 深い怒りを翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳にたぎらせ、アキレウスは元ガゼ族の占い師をにらみつけた。

「お前の過去に何があったのかは知らねぇ……だがな! 自分のやってること、分かってんのか!? みんなみんな……本当に死んじまうんだぞ! 家族や仲間……これまで生きてきて、たった一人でも大切だと思えたヤツはいねぇのか!? お前のやってることは、そいつの存在自体を否定することになるんだぞ!!」
「-----その剣(つるぎ)……」

 アキレウスの叫びをさらりと聞き流し、彼女は彼の手にある大剣(ヴァース)に目を向けた。

「そう……その剣の片割れだったのですね……」
「……!? 何……!?」
「どうやら、貴方や“彼女”には自分以上に大切だと思える存在がいるらしい……」

 抑揚のない声でそう告げて、占い師は囚われの身の黄金(きん)色の髪の少女を見上げた。

「一度……彼女が、客として私の店を訪れたことがあったのですよ。あるものの在りかを占ってほしいと。残念ながら相性が合わずに、その場所を特定することは出来ませんでしたが……」
「……!」

 アキレウスは息を飲んで、固く瞼を閉ざしたままのオーロラを見つめた。

 初耳だった。

 占いの話をした時の、ちょっと困ったような彼女の表情-----それが脳裏をよぎると共に、胸に熱いものが込み上げてきた。

「自分以外の者の為に、占いの館に足を運ぶ者は珍しい-----訪れる者はそのほとんどが、己が私利私欲の為。水晶球を通して伝わってくる、欲望の数々……何と、醜い-----醜いものであることか!」

 頬を歪め、不快感も露わに占い師は吐き捨てた。

「人間の欲望には、際限がない-----己が欲の為には、己が立場を守る為には、他者をおとしめることさえも厭(いと)わない。いいえ、それどころかその為には進んでおとしめようとさえする……! 人間は、汚い! 放っておけば、欲望のままにどこまでも堕ちていく!」
「……人間ってのは……程度の差こそあれ、誰だって欲を持ってるもんなんじゃねぇのか。それが自然の姿だろう!? 欲のないヤツなんか、ハッキリ言っていない! けどな、他人をどうにかしてまで何かを得ようなんてのは、ごくごく一部のバカだけだ! ほとんどのヤツは、“こうなったらいい、ああなったらいい”って淡い期待を抱いているだけにすぎない! 占いに行くヤツらは、その淡い期待をお前ら占い師が肯定してくれることを期待して行くんじゃねぇのかよ! その想いが醜いって言うんなら、占い師なんてやめちまえばいいだろ!!」

 アキレウスの言葉を受けた元ガゼ族の占い師は、神妙な面持ちで長い睫毛を伏せ、ぽつりと呟いた。

「……。ええ……そうですね。だから、私は絶望した-----それ故に、“人”であることを捨てた……あのような醜悪な生物と同じモノであることに、私自身が耐えられなかったから!」

 憎悪に彩られた鋭い眼差しが、アキレウスの背後を射る。

 振り返ったアキレウスは、驚愕に目を見開いた。

 いるはずのない人物がそこに立っていたからだ。

「-----ラァム!? どうして……!」

 いつの間にそこへ来たのか、ショートカットの赤茶の髪の少女が、一人ガタガタと震えながら空き地の入口に佇み、絶句する幼なじみの青年を見つめていた。

「ア……アキレウス……」

 怯えたように肩をすくめ、震える声で彼の名を呼びながら、アキレウスと、彼と対峙する見慣れない顔の女性とを所在なげに見やっている。

「せっかく見逃してさしあげたのに……正直、貴女にまたお会いするとは意外でしたよ。貴女が彼にこのことを伝え、自らも戻ってくるなど、皆無に等しいと思っていましたから」

 浅黒い肌をした女性の口から発せられた痛烈な揶揄にラァムはビクリと身体を震わせ、そちらに顔を向けた。見覚えのない顔だったが、その声で彼女があの黒衣の占い師であることが分かった。

「彼には、真実を話したのですか?」

 氷のような占い師の声が、ラァムの胸にぐさりと突き刺さる。

「あ……」

 青ざめた唇を震わせながら、ラァムは涙をいっぱいに溜めた瞳で、粛々と問いかける占い師と怪訝そうな表情を浮かべるアキレウスとを交互に見た。

 恐ろしさに舌が凍りついて、言葉が出ない。

 アキレウスを失いたくない一心で、無我夢中で、ここまで来た。

 ただそれだけが頭にあって、他のことは何も考えられなくて-----けれど、けれど-----こうしてここにやってきてしまったこと、それこそが、彼を失うことであったのかもしれない。

 激しい後悔と慙愧(ざんき)の念に喘(あえ)ぐラァムをなぶるかのように、占い師は酷薄な微笑を浮かべ、アキレウスに話しかけた。

「貴方は最初に私にこう言いましたね……『この一連の件はお前の仕業か』と。そして先程、こうも言いました……『他人をどうにかしてまで何かを得ようとするのはごくごく一部の者だけだ』と……」
「それがどうした……」
「お答えしましょう。この件のきっかけを作ったのは私……ですが-----」
「や……やめて!」

 かすれた声を絞り出すようにして、ラァムが叫んだ。

「ラァム……?」

 震えるラァムと、訝しげにその名を呼ぶアキレウスとを滑稽そうに見やり、淡々と占い師は言葉を紡ぐ。

「古くからこの地を守り続けていた結界を破壊し、禍々しい被膜と化してそれを包み込んだのは、他でもない、この地に住まう者達の負の感情-----彼ら自身が、この地へ破滅を招いたのです。言うなれば、この現状は自業自得。そして、貴方の大切な少女をそこへ縛りつけたのは-----」
「やめて……やめて! やめてぇぇぇぇッ!!」

 耳を塞ぎながら、ラァムが絶叫する。その様子に戸惑いながら、アキレウスは占い師の言葉を待った。


 そして、その口から語られたのは-----彼にとって、信じがたい内容だったのだ。


 愕然とするアキレウスに、泣きじゃくりながらラァムが訴える。

「ごめん-----ごめんなさい、アキレウス……! あ、あたし……あたし-----どうしても、あなたを失いたくなかった……ずっとずっと、傍にいてほしかった!! それ、だけ……ただ、それだけなの……。ま、まさ……か……まさか、こんなことになる、なんて……!」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにして、彼女はその場に泣き崩れた。

「ごめんなさい……ごめんなさい、アキレウス……。嫌わないで……お願い、嫌わないで……」
「-----人の心には、魔が住まうもの……」

 ラァムの泣き声が響く空間に、静かな占い師の声が覆い被さる。

「お分かりになりましたか? 目に見えない部分で、人は誰しもこういった魔を抱えているものなのです。人と魔物(モンスター)に、いったい何の違いが? 表面を取り繕わないだけ、魔物の方がまだマシだと言えるのでは? そうは思いませんか……?」

 呪紋の刻まれた腕がゆっくりと胸元に伸び、銀色の笛を掴んだ。

 少なからぬ衝撃を受けていた為に、それに対するアキレウスの反応が一歩遅れた。

「しまっ……!」

 それは致命的な一瞬だった。その一瞬に占い師は笛に唇を当て、息を吹き込んでいたのだ!

 その刹那、異変が起こった。

 大地に巨大な法印が現れ、そこから赤黒い閃光が立ち上ると、不気味な鳴動を轟かせて、その場に巨大な竜が出現したのだ!

「……!」

 眼前で魂を裂くような咆哮を轟かせる巨竜を、アキレウスは息を飲んで見上げた。

 漆黒の闇のような鱗を纏った竜の巨躯には、占い師の身体に刻まれたものと同じ呪紋が施されており、その眼窩(がんか)は空洞で、全身から黒い陽炎のようなものが立ち上っている。

 通常の生物ではないことが、ひと目で分かった。

 召喚魔法ではない。

 イルファの見せた竜使いの技とも、まるで違う。

 これが、彼女が“魔”と契約した代償に得た力なのか-----目を瞠(みは)るアキレウスの前で、元ガゼ族の占い師は、人間の耳には聞こえない超音波を出す笛を操った。

 竜の巨大な口が開き、その奥に黒炎が灯る。

 その意図を察したアキレウスは全力で走った。

「ラァムッ!!」

 あまりの恐怖に腰を抜かした幼なじみを抱きかかえるようにして、跳ぶ!

 瞬間、後方で大爆音が炸裂した。

 爆風が周囲のあらゆるものを薙ぎ倒し、近くにある城壁をも破壊して、小さな空き地を巨大な更地へと変えていく。

 派手に吹き飛ばされたアキレウスが顔を上げた時には、その景色は数秒前とは一変していた。

「何故です……?」

 アキレウスに問いかける占い師の声には、理解しがたい、といった色が滲んでいた。

「貴方にとって、彼女は助ける価値のある存在なのですか……?」

 腕の中のラァムの身体がビクリ、と強張ったのが分かった。正直言って、アキレウスの頭の中はまだ混乱していた。

 ずっと妹のように思ってきたラァムが、家族のようにして育ってきたあのラァムが、自分への想いからオーロラに嫉妬し、まさか彼女を殺そうと思うまでに思い詰めていたなど-----目の前の占い師の扇動があったにしろ、そんな暗い感情が彼女の中に潜んでいたということがショックでもあり、信じられなくもあった。

 だが、それは事実-----目の前にはそれ故の現実が広がっている。

 受け入れなければならない-----。

 そう肌に感じながら、アキレウスは奥歯をきつくかみしめた。

「……。人間は……過ちを犯す生き物だ」

 湧き上がる様々な感情を咀嚼しながら腕の中のラァムを抱き起こすようにして立ち上がり、大剣(ヴァース)を構える。

「だがな……それを知って正すことが出来る生き物でもあるんだよ!」

 叫んだ瞬間、いつかどこかで聞いた声が頭の中をよぎった。



(人間は……過ちを犯す生き物だ)



 自分のものではない、誰かの声-----無機質にすら感じられる、硬く抑揚のない声が、脳内に幾度も幾度も反響して、アキレウスの心を揺らす。

 いつか、どこかで聞いた声。

 アキレウスは呼吸を止めた。何故か、胸の奥が鈍い痛みを訴えた。

 この声、は-----。

 無視出来ない引力に引きずられ、痛みを覚えるその場所へと飲み込まれていく。凄まじい勢いで記憶の奔流を遡り、やがてたどり着いたその場所-----そこで見い出した声の主に、アキレウスは大きく目を見開いた。

 レイドリック……!?

 それは、魔法王国ドヴァーフの若き国王の過去の声-----その声が、記憶の深淵に埋(うず)もれていた古い光景をぼんやりと瞼の裏に浮かび上がらせてくる。

 これは……あの日、か-----!?

 意識した瞬間に、ぼやけていた映像が線を結び、鮮明に甦った。

 まだ子供だった自分は、ずいぶん低い目線から長身の国王を見上げている。

 無表情で自分を見下ろす国王の灰色(グレイ)の瞳は、全ての感情を消し去って、硝子玉のような冷たさを放っていた。

(人間は誰もがその因子をはらんでいる……ただの一度も過ちを犯すことなく、その生涯を閉じる者はいないだろう。それは、人が過ちを知り、それを正すことを覚えながら成長していく生き物だからだ。だが……時には、赦されぬ過ちというものが存在する。其方の父はそれを悟り、一人その罪を贖うべく旅立ったのだ-----)

 淡々と語るその口調は、十年ぶりに再会した国王とはまるで別人のもののようだった。

(其方の父にはその責務があった。だが……今の其方には、それを説明してもまだ理解することが出来ぬだろう)
(-----子供だからって、ナメんなよッ! ちゃんとオレの質問に答えろッ!! 本当にこの事件は父さんのせいなのかよ、ちゃんと調べたのかよッ!? -----っ……本当、の……本当のことを言えッ!!)

 追いかけてきた門番に羽交い締めにされながら、目を真っ赤に泣き腫らして、国王に訴えている、幼い日の自分。

(何で父さんが騎士の資格を剥奪されなきゃいけない!? どうしてたった一人で、奪われた財宝を取り返さなきゃいけないんだよ!? そんなの、死ねって言ってるようなもんじゃないか……! あんたは、そんなに父さんを殺したいのかよッ!?)

 その一瞬だけ-----そのわずかな一瞬だけ、レイドリックは苦しそうな表情を見せた。

 思い出した。

 あの一瞬だけ、確かに、レイドリックは苦しそうな表情を見せたのだ。

 だが、刹那にして無表情を取り戻した彼は、幼い自分にこう告げたのだった。

(ペーレウスの息子よ……今の私が其方に伝えるべき言葉は、他にない。だが……未来においては、あるいは違う選択肢があるのやも知れぬ。其方が大人と呼べる年齢になった時……その揺るぎない信念を其方の中に見い出すことが出来たなら、今の其方の望む答えを、その時の其方に伝えよう。だが、ゆめゆめ忘れるな。これは、未来の其方の在り方次第なのだということを-----)

 突如として甦ったその記憶に、ドクン、と心臓が呼応する。

 これは、どういうことだ?

 あの時の自分はまだ幼くて、頭に血が上っていたせいもあって-----国王の言った言葉の意味が、全く理解できなかった。

 冷たくあしらわれたようにしか、感じなかったのだ。

 そのすぐ後に父の訃報が届いたこともあって、その思いは一層強まった。

 盲目的にレイドリックを-----権力というものを憎むことで、あるいは自分は感情のバランスを保とうとしていたのかもしれない。

 走馬灯のように甦る記憶の只中にいたアキレウスを現実に引き戻したのは、怒りを含んだ占い師の声だった。

「愚かな……! 人間が貴方の言うような生き物であったなら、私は今ここにはいない……! 冥竜(めいりゅう)ベルリオス、古の賢者の地図に認められし者に、死を!」

 超音波笛に操られた冥竜がその長い鎌首をもたげ、標的に狙いを定める。

「ア、アキレウス……」
「ラァム。ここを動くな」

 圧倒的不利を痛感しながらも、アキレウスは自分の内を大きく満たす熱い高揚感に全身の細胞が沸き立つのを感じていた。

 自分は死ねない……死ぬわけには、いかない。

 確かめなければならないことがある……守らなければならない者がいる。

 そして、何より-----。

 囚われの身の少女をチラと見やり、アキレウスは翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳に力を込めた。

 守り抜きたい者が、いる。

 譲れない-----この想いは、誰にも、何物にも譲れない!

 その想いに呼応するかのように、弓弦(ゆづる)の音が響き渡った。

 閃光の如く飛来した矢尻が、冥竜ベルリオスの眉間に突き刺さる!

 その事態に、アキレウスが、占い師が目を見開く。突然の横槍に怒りの咆哮を上げる巨竜に油を注ぐようなのどかな声が、戦場と化した更地に響き渡った。

「やっほー、お待たせ〜! 心強い援軍、登場〜!」
「……フリード!? パトロクロス、ガーネット!」

 思いがけぬ助っ人と頼もしい仲間の登場に、アキレウスの口から驚きと安堵の入り混じった声がもれる。

「遅くなってすまない。何やら大変なことになっているな……」
「どういう状況なの!? オーロラは!?」

 息せき切って尋ねてくる彼らにアキレウスが手短に現状を説明すると、事態を把握した面々は一様に厳しい表情になった。

「要はあのお姉さんをどうにかしなきゃならない、ってコトだね? けどその前にこのデカブツを何とかしないといけないぞ……と」
「あぁ。それにあの占い師は目に見えない障壁に護られている。恐らくは超音波によるものだと思うんだが……生半可な攻撃は通用しないぞ」

 フリードにそう答えるアキレウスの隣で、ガーネットは囚われの身の少女を痛々しげに見つめた。

「オーロラ……」

 同じように彼女を見やり、パトロクロスは剣の柄を握りしめた。

「急ごう。時間がない」

 赤黒い光の糸に拘束され、木立の間に張り付けにされたオーロラの顔色は蒼白で、彼女を縛(いまし)める光の糸からは絶え間なく透明な輝きがこぼれ落ちている。それに比例して、彼女の生気が刻一刻と弱まっていくのが感じられた。

 アキレウスの話によれば敵もオーロラを必要としており、命まで奪う気はないらしいとのことだったが、どこまで信用できるものか甚(はなは)だ疑問だった。

「お仲間がそろったところで、この国の未来は変わりませんよ。この国は今日滅びる……人類殲滅の歴史の一ページに、そう刻み込まれることになるのだから!」

 占い師の呪詛の声を受け、冥竜ベルリオスが黒炎を吐く!

「“護法纏(ガー・ロン)”!」

 ガーネットが素早く呪文を唱え、全員の身体が薄い光のヴェールに包まれた。

「ガーネット、ラァムを頼む!」
「分かったわ!」

 地獄の業火を思わせる黒炎の中を魔法の加護でくぐり抜け、アキレウスが大剣(ヴァース)を振るう!

 ガキィッ。

 鉄より硬い竜(ドラゴン)の皮膚が、腕に重い痺れを返してくる。刃が弾かれ、浅くしか傷をつけることができていない。

 アキレウスは短く舌打ちした。

 大剣(ヴァース)が竜鱗に負けたのではない。自分の力が足りていないのだ。

「鷹爪壊裂斬(ようそうかいれつざん)!」

 パトロクロスの剣は硬い竜鱗を斬り裂き、着実にベルリオスにダメージを与えていた。

 攻撃は彼に任せ、自分はサポート役に徹した方が良さそうだ-----そう判断したアキレウスはベルリオスの注意を引きつけ、陽動する役に回った。

 時々浅い傷を与えながら、巨大な牙をかわし、鋭い爪をかわし、襲いくる炎をかわし-----本来の力を封じられた状況でそれをこなすのはかなりの重労働だったが、紙一重のところでどうにかやり過ごす。

 そしてベルリオスがアキレウスに気を取られたところを狙って、パトロクロスが一撃を叩き込む-----。

 一方、フリードは前衛を二人に任せ、その身を後衛のガーネット達との中間点に置いていた。

 自慢の弓矢で時々ベルリオスに射かけながら、後方のガーネット達の様子に常に気を配っている。

 ガーネットの唱えた魔法の加護は既に消えていた。通常では有り得ない短さだ。それが、今の彼女の状態を物語っている。

 フリード自身も忌々しい結界の影響を少なからず受けている為、眼窩や口、喉元など、比較的柔らかいと思われる部分に狙いを絞って攻撃を加えている。他の部分では矢が当たっても、大したダメージを与えることが出来ないからだ。

「こんなの反則もいいトコだよなぁ。竜(ドラゴン)なんて普段でも大変な相手だってのに、こんなバケモノが出てくるなんてさ……。まぁ不幸中の幸いなのは、コイツが自分の意思じゃなく、あのお姉さんに操られて動いてるってコトか。あのお姉さん、戦い慣れしていなそうなカンジだもんなー」

 ぶつぶつと独りごちるフリードの呟きは、実は当たっていた。

 彼らは知る由もなかったのだが、この元ガゼ族の占い師-----シェスナは、元々竜使い(ドラゴンマスター)として修行を積んでいた身ではなかったのだ。

 彼女の家は一族の中において、代々占いを生業としてきた異色の家系であった。彼女は幼い頃から占いの世界に在り、当然のことながら戦場での経験は皆無に等しかった。

 故あって魔道に身を堕とし、強大な冥竜(チカラ)を授かりながら、絶対的な経験不足の為、その冥竜(チカラ)の使い方が上手くないのだ。

 もし彼女が熟練の竜使いであったなら、戦いはもっと一方的な展開を見せることになっていただろう。

「ガ……ガーネット、さん……顔色が良くないみたいだけど……」

 ガーネットの結界の中に護られながら、恐る恐るといった様子で、ラァムが声をかけてきた。

「あの赤紫色の被膜のせいよ……ったく、忌々しい……。でも大丈夫よ、心配しないで。あんたは何ともないの?」
「え? ええ……あの、それはどういう……?」

 しっかりした口調とは裏腹に蝋(ろう)のような白い顔色のガーネットから事情を聞き、ラァムは初めて王都を襲っている事態を知った。

 赤紫色の被膜に覆われた直後、たくさんの人がバタバタと倒れたあの現象は……そういうことだったのだ。

「パトロクロス以外は、普段の能力(チカラ)を封じられている……あの占い師を倒せば、あるいはこの被膜も解けるのかもしれないけど-----」
「パトロクロスさん以外は……って-----え!? ア、アキレウスは……彼は、魔力を持っていなかったはずじゃ!?」
「旅の途中で、実は魔力があることが分かったのよ。微々たるものではあるらしいんだけど」

 ラァムにそう説明しながら、ガーネットは矛盾を感じていた。

 アストレアで魔力を調べた際、アキレウスはその結果について「魔力っぽいのがあるっちゃあるらしい……んだけど、微々たるモンらしいぜ」と言っていたのだが、それにしては、この結界の影響を受けすぎてはいないだろうか?

 いったい、どうして……?

 密かに考え込むガーネットの隣で、ラァムは伝えられた思いがけない事実に声を震わせた。

「そ……そんな。じゃあ、今、アキレウスは-----そんな危険な状態で、あんなバケモノと……!?」

 息を飲む彼女の目の前で、幼なじみの青年は今まさに、死闘を繰り広げている。

 その瞬間、ベルリオスが立て続けに黒炎の光弾を吐き出した。

「“護法纏(ガー・ロン)”!」

 ガーネットが叫ぶのと同時に爆音が轟き、大地に土柱が立ち上がる。強烈な爆風が砂塵を舞い上げ、二人の少女を護る結界を軋ませて荒れ狂った。

「ア……アキレウスーッ!!」

 愛する者を失ってしまうかもしれない、という恐怖に、ラァムは青ざめ、絶叫した。

 あれは、一番最初にあの竜が放った攻撃だ。たった一撃で風景を様変わりさせてしまうほどの、凄まじい威力。それが、何発も立て続けに放たれたのだ。

 視界は土煙に覆われており、何も見えない。心臓を凍りつかせるラァムの隣で、ガーネットが朗々と呪文を唱え上げる。

「其(そ)は光もたらし者、其は闇をもたらし者-----生命を育みし精霊達に詠(うた)う-----恩威(おんい)よ、我が手に宿り癒しのチカラを解き放て! “恩威の癒し手(レイティアー)”!」

 波動の杖の先端が強い白色の光を帯び、そこから放たれた癒しの力が、立ちこめる土煙の中へと散っていく。

 固唾を呑みその光景を見守っていたラァムは、やがて晴れ始めた視界の中にアマス色の髪の青年の姿を見つけ出し、涙を浮かべた。

 負傷し、土埃にまみれながらも、彼はしっかりと自分の足でその場に立っていたのだ。

 ああ……あぁ、良かった。 神様、神様ありがとう……!

「アキレウス……!」
「あっ……!」

 ガーネットが止める間もなかった。感極まったラァムは、結界を飛び出して彼の元へと駆け出してしまったのだ。

「ちょっ……ラァムッ!」

 制止の声も届かない。

 駆け寄ってくる幼なじみの少女の姿に驚いたのはアキレウスだった。

「バカヤロウ! 何してる!?」

 しかし、時すでに遅し-----無防備な獲物に、うっすらと残っていた土煙を割って冥竜が襲いかかる!

「きゃ、あぁぁーッ!!」
「ラァム-----!!」

 アキレウスはとっさに剣を振るった。

 それは、彼が奥の手として密かに温めていたもの-----剣技と魔力を融合させた、新しい技だった。

 未だ手探りな部分があり、消耗の度合いも大きい為に最終手段として残しておいた未完の技だったのだが、そんなことは言っていられなかった。

 -----間に合うか!?

 ひやりとかすめた予感はだがしかし、フリードの弓矢によって回避された。それを嫌って、ベルリオスの動きが一瞬だが止まったのだ。

 それで、充分だった。

「うおぉぉーッ!」

 大気を震わす獣のような咆哮と共に、黄金の光に包まれた大剣(ヴァース)が、神速の唸りを上げて疾る!

 重い衝撃音が響き渡った。

 激烈な一撃を浴びて、冥竜の巨体がよろめく。その首から胸の辺りにかけて深い傷口が開き、暗赤色の体液が噴き上がる!

「ベルリオス!」

 思わぬ事態に、シェスナが琥珀色(アンバー)の瞳を瞠る。

 しかし、アキレウスもとっさに技を繰り出した為、大きくバランスを崩していた。完成されていない大技を放った代償は思いの外大きく、腕の筋肉が痺れるような感覚と共に、全身から急速に力が抜けていく。

 ベルリオスは怒りの咆哮を上げ、そこに黒炎の光弾を撃ち込んだのだ!

「……!」

 黒い炎の塊が目の前に迫ったのを認識した、次の瞬間。

 光が、弾けた。

 全身がバラバラになるような凄まじい衝撃と共に灼熱の爆風に飲み込まれ、アキレウスの視界は赤黒く染められた。



「アキレウス-----ッ!!!」



 絹を裂くような、誰かの叫び。

 それを最後に、視覚も、聴覚も痛覚も-----全ての感覚を失って、アキレウスの意識は闇に閉ざされたのだった。
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