ドヴァーフ編

過去


「それにしても二人共、戻ってこないわねー」

 ティーカップを片手に、食堂と廊下とを繋ぐドアを見やりながら、ガーネットがそう呟(つぶや)いた。

「子供達につかまっているんだろう」

 苦笑気味にパトロクロスがそう返す。

 就寝時間を迎えた子供達を寝室へと連れて行ったまま、アキレウスとラァムは未だに戻ってくる気配がなかった。

「まぁ、そうなんだろうけどさー」

 言いながら、ガーネットは意味ありげな視線をあたしへ投げかけてきた。

 何よぉ……。

 そんな彼女へ視線を返しながら、あたしはティーカップに残っていた紅茶を一気に飲み干した。

 あたしだって気にはなるけどさ、どうしようもないじゃん。

「すみません、ちょっとお手洗いを借りますね」

 グレイスにそう断って席を立つと、何を勘違いしたのか、ガーネットがきらーんと目を輝かせた。

 いや、あのね。ホントにトイレに行きたいだけだから。二人の様子を見に行くとか、そういうんじゃないからね。

 心の中でガーネットにそう言い置いて、あたしはその場を後にした。

 さっき一度行ったから、場所は分かる。

 細い廊下を歩いて行くと、トイレの手前の角からラァムの声が聞こえてきた。

「アキレウス、何だか変わったね……」

 えっ……。

 あたしは思わず足を止めて、反射的に壁に寄り添うようにした。

 うわ。な、何でこんなトコで……。

 図らずも、二人の会話を立ち聞きするような格好になってしまった。

「そうか? ……どこが?」
「上手く言えないんだけど、何ていうか-----今までとは、何かが違う」
「何だよ、それ」

 苦笑混じりのアキレウスに対して、ラァムの口調は重い。

 グレイスと一緒だ。

 アキレウスを昔から知る人は、みんな、彼の何らかの変化を感じ取っているみたい。

「だって……今までこんなに長期の依頼、受けたことなかったじゃない。ましてや、任務完了後もその行く末を見届けたいだなんて……。アキレウスはウラノスを探す為に魔物(モンスター)ハンターになったんでしょう? その情報を得る為に世界各地を回って、手掛かりになりそうな依頼は片っ端から受けて-----今は、違うの?」

 ラァムも、ウラノスのことを知っている。

 息を詰めて、あたしは二人の会話に耳を傾けた。

「アキレウスがあたしに……あたし達に、仕事の話をしたがらないことは知っている。でも、あえて聞かせて。今の仕事は……ウラノスに関わりのあるものなの?」
「……ウラノスに直接の関わりはない」
「アキレウス……!」

 何か言いかけたラァムを、アキレウスは手で制したようだった。

「オレは確かに、ウラノスを探す為に魔物(モンスター)ハンターになった。その目的に今も変わりはない。だけどそれ以上に、今はこの任務が重要なんだ」

 毅然としたその口調に、彼女は少なからぬ衝撃を受けたらしい。少し早口になって、彼に問い詰めた。

「アキレウスにとってウラノスを探し出すことは、何よりも重要なことだったんじゃないの? お父さんの汚名を晴らす為に、アキレウスがどんなに努力してきたか、苦しんできたか、あたし知っている! それよりも重要なことって、何?」

 あたしは息を飲んだ。

 お父さんの汚名-----?

「仕事に関わることは、お前でも話せない」
「……。あの人の……あの人達のせい……?」
「ラァム。オレが自分で決めたんだ」

 静かな、それ以上の追求を許さない声だった。

「……。あいつらと出会ってから……何ていうか、オレの中で止まっていたものが動き出した気がするんだ。今まではただ闇雲(やみくも)にウラノスの影を追っていたけれど-----それじゃあ、ダメなんだよな。ようやくそれに気付いたんだ。どれだけ自分の覚悟が半端だったのか、やっと分かった。本気でウラノスを探し出そうと思うんなら、ちっぽけなプライドなんて最初から捨てるべきだったんだ」

 それがどういう意味なのかあたしには分からなかったけれど、ラァムには分かったようだった。彼女が息を飲む気配が感じられた。

「これは、オレの試練だと思っている。この仕事の終わりを見届けたら、今度は正面からぶつかるよ。そして、必ずウラノスを見つけ出してみせる」
「……。アキレウス、やっぱり変わったね……」

 短い沈黙の後、ラァムはそう呟いた。

「何かが吹っ切れたっていうか、見据える世界が大きくなったみたい。何だか、あたしの手から離れて、遠くへ行ってしまいそう……」

 その声には、涙の色がにじんでいた。

「ラァム……」
「忘れないで。あたしがここで待っているっていうこと……アキレウスの無事を祈って、待ち続けているっていうこと-----」
「バカだな。家族のことを忘れるわけないだろ。必ずまた、ここへ戻ってくるよ」
「約束よ。必ず生きて……帰ってきて。あたしの……あたし達の元へ……」
「あぁ。約束する」

 壁の影に隠れているせいでその表情は見えなかったけど、そこには『幼なじみ』という、二人の濃密な歴史が感じられて、あたしはぎゅっと短衣(チュニック)の胸元を握り締めた。

「……改めて誕生日のお祝いを言わせてくれる?」

 しばらくの沈黙の後、声音を心持ち明るめにして、ラァムはアキレウスに話しかけた。

「ん? あぁ」
「お誕生日おめでとう、アキレウス-----大好きよ。出来たら来年のこの日も、こうしてお祝いを言わせてほしい……」
「確約はしかねるけど……サンキュ。その気持ちだけ、ありがたくもらっておく」

 ちょ、ちょっと、大好きって……来年もこうしてお祝いを言わせてって……アキレウスは気付いていないけど、これってもう、告白だよね?

 あたしは息苦しさを覚えて、挙動不審に辺りを見回した。

 どうしよう……何だか聞いているのが辛くなってきた。

 二人の姿が見えないだけに余計な想像が働いてしまって、非常に居心地が良くないんだけど、このまま戻るのも何だかためらわれる。

 悩んだ末、あたしは音を立てないように廊下を少し戻った後、わざと足音を立てて、勢いよく問題の角を曲がった。

 目に飛び込んできたのは、至近距離で見つめ合う二人の図!

 うっ!

 非常に目に痛い光景だったけど、どうにか表情を保つことが出来た。

 ラァムが振り返り、アキレウスがこちらに視線を向ける。あたしは平静を装って二人に声をかけた。

「あれっ、二人共、こんなトコで何してるの? みんな待ってるよ」

 自然に、さり気なく……わざとらしく、ないよね?

「あぁ、ちょっとな。もしかしてオレ達を探しに来たのか?」
「ううん、あの……トイレ」

 それを聞いたアキレウスはちょっと笑った。

「トイレならそこだよ。早歩きになるまで我慢すんなって」
「おっ、女の子に向かって何てコト言うの!? バカッ」

 軽い調子で言葉を交わして二人の前を通り過ぎ、トイレのドアを閉めてから、あたしは大きく息をついた。

 はぁ……。顔……引きつってなかったよね? 会話も不自然じゃなかったと思うし(あれはあれで痛い気がするけれど)、さり気なくやり過ごせた……と思う。

 ……。お父さんの汚名、かぁ……。

 込み入った事情があるんだろうとは思っていたけど……ウラノスにまつわる件はやっぱり、相当複雑な様相を呈しているようだった。

 ラァムはきっと、その辺りのことを詳しく知っているんだろうな。

 左の小指のリングを見つめ、あたしはひとつ溜め息をこぼした。

 あたしの知らないアキレウスのことを知るのは、嬉しい。

 だけど、同時に苦しい。

 自分がどれだけ彼のことを知らないのか、思い知らされるから。彼と自分との間にある見えない距離を、感じてしまうから。

 あたしの知らない彼の過去を知っている女の子がいる。

 当たり前のことなのに、ただそれだけのことが、こんなにも苦しい。

 アキレウス……。

 少しだけ落ち込みながら洗面台で手を洗っていると、ドアの開く気配がして、振り返ったあたしはそこにラァムの姿を見つけて、ぎょっとした。

 うわ……何?

「-----聞いていたの?」

 開口一番、ラァムはそう尋ねてきた。

「え?」
「あたし達の会話」
「会話? 別に聞いていないけど……何か聞かれるとマズい話でもしていたの?」

 とぼけながらそう言うと、彼女は腕組みをして壁に背を預け、威圧するような眼差しを向けてきた。

「別に。大したコトじゃないけど、盗み聞きされてたとしたら、気分良くないじゃない?」

 うわ、感じ悪っ。偶然立ち聞きしちゃったなんて絶対言えないな。何を言われるか分からない。

「オーロラさんて-----アキレウスのこと、好きなの?」

 今度は超直球の質問だ。

「ラァムさん……どうしてそう、突っかかってくるの?」

 呆れながらそう返すと、ラァムは確信に満ちた、少し意地の悪い笑みを浮かべた。

「好きなんだ?」
「あのね……あたしの話、聞いている?」
「好きだから、そうやってはぐらかそうとしているんでしょ?」

 あたしは頭痛を覚えて溜め息をついた。

 何なの、この娘(こ)。アキレウスの前と裏ではえらい違いだよ。

「例えそうだったとしても、あなたにそんなコト答える義務はないと思うけど」
「あたしは彼のこと、好きよ。それこそあなたが彼と知り合う、ずっと前から」

 切り返すようにそう宣告し、軽く目を見開くあたしに挑発めいた笑みを送ると、ラァムは獲物を見つめる肉食獣のように瞳を細めて、一方的に話し始めた。

「アキレウスのことは他の誰よりも深く知っているし、彼もあたしのことを誰よりも理解してくれている。比翼連理(ひよくれんり)、って言葉、知ってる? あたしにはアキレウスが必要だし、彼にもあたしが必要なの。誰も、その代わりにはなれないのよ。アキレウスが疲れた心を、身体をゆっくりと癒せるのは、この“家”のあたしの側だけ。ターニャの店で偶然指輪を買ってもらったくらいで、勘違いしないでよね」

 ようするに、あたしなんかおよびじゃない、と言いたいらしい。

「それは、彼が決めることだと思うけど。自信があるなら、そんなことあたしに言う必要はないんじゃない?」
「教えてあげようと思ったのよ。その方が親切だと思って。無駄な時間を費やすのは、オーロラさんもイヤでしょ?」

 あぁもう、これ以上話していても不愉快になるだけだ。

「言いたいのはそれだけ?」

 言いながらラァムの前を通り過ぎようとしたあたしに、彼女は皮肉めいた言葉を投げかけた。

「今日はアキレウスの誕生会に来てくれてありがとう。来年の今日、あなたがここにいることはないと思うから、言っておくわ」

 あたしは無言で彼女の前を通り過ぎながら、小さな衝撃が胸に広がって行くのを感じた。

 -----来年の、今日。

 ラァムが口にした小さな嫌味-----その言葉があたしにもたらした影響は大きかった。

 細い廊下を通って食堂へと戻る間に、胸の動悸がどんどん激しくなっていく。無意識のうちに拳を握りしめ、あたしはその言葉の意味をかみしめた。

 あたしは、過去の世界の人間だ。

 シヴァを復活させる為にこうして旅をしているのも、あたしの場合は元はと言えば、自分の世界へ戻る為。あたしを元の世界へ戻せる可能性があるのは大賢者と謳われるシヴァだけ、そう言われたからこそ、こうして苛酷な旅を続けてきたのだ。

 みんなと旅を続けるうちに、いつしかこの世界の平和を純粋に願うようになって、最近はそのことを忘れかけてさえいた。

 毎日一歩一歩進んでいくのに必死で、来年とか、そんな先の未来を考えたことがなかった。

 そのあたしの意識を、強烈に現実に引き戻させる言葉だった。

 元の世界へ戻る-----それは、アキレウスとの、みんなとの別れを意味していた。

 シヴァ復活の時は、目前に迫ってきている。彼の復活は、絶対に成し遂げなければならないあたし達の使命だ。

 そして、あたしには元の世界でしか成し得ない目的があった。

 自分の記憶を取り戻し、過去の自分を探し出すこと。

 今は忘れてしまっている大切な家族や、大切な人達。そういう人達が、いるのかもしれない。いるのだとしたら、会いに行きたい。

 来年の今日、あたしとアキレウスが一緒にいるということは、多分、ない。

 唐突に、あたしはそれを思い知ったのだった。



*



 帰り際、あたし達を見送りに門のところまで出てきてくれたグレイスから、アキレウスへこんな言葉が贈られた。

「以前より少し大人になった貴方の姿が見れて、嬉しかったわ。貴方が見つけたその何かを、大事になさい」

 アキレウスは微かに目を瞠(みは)り、息を飲んで、目の前の品のいい老婦人を見つめた。

「信念や約束、特定の人や物-----それは人によって様々だと思うけれど、何か、守りたいと思うものが出来た時に、人は本当に強くなれるものだと私は思うのよ……アキレウス。それを守る為に、何が何でも生き抜こうと努力するから-----」
「……。園長(マザー)にはかなわないな」

 そう言って、アキレウスは小さく笑った。優しい微笑みだった。

「気を付けて行ってらっしゃい。ここのことは気にしないで……貴方は、貴方が思うままの人生を歩みなさい。貴方の……貴方達の幸運を、いつでも祈っているわ」

 アキレウスとグレイスとを交互に見やりながら意味深なその会話を見守っていたラァムは、最後に潤ませた瞳をアキレウスに向け、可愛らしく小首を傾げた。

「アキレウス、本当に気を付けてね。あたしもみんなも、あなたが無事で帰ってくるのを心から待っているから……。あ、皆さんも気を付けて。ぜひまた、遊びに来て下さいね!」

 彼女のこの白々しい台詞(セリフ)には、あたしもガーネットも力なく笑うしかなかった。

 はは……。ちっとも気持ちがこもっていないんですけど。

「ありがとう、園長(マザー)、ラァム。みんなにもヨロシク。-----じゃあ行ってくる」
「ごちそう様でした。とても楽しかったです」

 グレイスは親切だったし、子供達は可愛かったし、誕生会自体は賑やかで、本当に楽しかった。アキレウスの過去にも触れることが出来たし-----ラァムのことさえ除けば、とても有意義な時間を過ごせた、と思う。

 笑顔で手を振り、あたし達は光の園(その)を後にした。

 まさか、あんな形でここを再び訪れることになろうとは、この時は、誰も、夢にも思っていなかったんだけど-----。



*



 まもなく深夜にさしかかろうという時刻-----ドヴァーフの国王の執務室には三つの人影があった。

 高級ではあるが華美ではない、品の良い調度品に囲まれた室内の中央に位置するテーブルを囲むようにして、三人の男女が革張りのソファーに座っている。

 この部屋の主である国王レイドリックと彼の右腕たる二人の重臣、賢者エレーンと聖騎士オルティスだった。

「どう見た、エレーン?」

 主君の問いに、彼女は美しい紫水晶(アメジスト)の瞳に怜悧(れいり)な光を浮かべ、簡潔にこう答えた。

「私の見たところ、封印の一部に綻びが生じていました。いつ、どのような形でそうなったのかは分かりかねますが、“彼(か)の者”の仕業ではなく、何らかの拍子に彼自身が打ち破ったものと思われます」
「それによる影響は?」
「潜在能力の一部が解放されたことによる戦闘力のレベルアップ-----それと、内側から無理矢理こじ開けた形になっているので、もしかすると内面的な部分で何らかの弊害が起こっているかもしれません。……例えば、記憶の混乱等」
「その影響で、『約束』を忘れてしまっているのでしょうか?」

 身を乗り出したオルティスに、レイドリックは軽く首を振った。

「無きにしも非(あら)ず-----だな。当時、彼はまだほんの子供だった。それでなくとも色々とあった時期だ……。様々な出来事に追いやられて本当に忘れているのかもしれんし、エレーンの言う弊害によって忘れてしまっているのかもしれん」
「あるいは、『約束』とは思っていないのかもしれません。陛下の仰(おっしゃ)りようは、まるで謎かけのようでしたから」

 冷静なエレーンの補足に、オルティスも同意した。

「確かに。あの年頃の子供には少々難しかったかもしれませんね」

 腹心の二人の臣下の言葉に、若き国王は苦笑した。

「それを言われると心苦しいが……。そこでつまづいているようでは、その先の扉は開けてやれん。あの青年が『約束』を忘れているのであれば、それはそれで良い……彼の中であの件は既に『過去』のものになっているということだ。無理矢理掘り返す必要はない。あれを過去の出来事として記憶の内に留(とど)めるか、現実の問題として突き進むか-----選ぶのは、彼だ。全てを知ることが、良いことだとは限らない。その事実に人は時に翻弄され、己の無力を味わい、果てなき絶望を抱え、無限の地獄を歩き続けることもあるのだ……」

 灰色(グレイ)の瞳に浮かんだ憂いの光をそっと睫毛を伏せて隠し、レイドリックは言った。

「あの青年に関わってくるのは、そういう現実だ……生半可な覚悟で触れて良いものではない」
「陛下……」

 エレーンが気遣わしげに主君を見やる。

 彼もそういった現実と向き合い、戦い続けてきた人物であることを、彼女もオルティスも知っていた。

 自分達はそんな彼を微力ながら支え、何とか今日(こんにち)までこの国を築いてきたのだ。

「エレーン、封印の綻びだが、あのままで大事はないか?」
「正確なところは申し上げられませんが……一度破られてしまった以上、封印の綻びは徐々に広がっていくでしょう。その結果が彼にどのような影響を及ぼすのかは、分かりません。ただ言えることは、あの封印は施した者にしか繕(つくろ)うことも、解除することも出来ないものだということです。第三者が無理に手を加えようとすれば、彼自身に重大なダメージを与えかねません。我々に出来ることは、見守ること以外、ないのです」
「“彼(か)の者”が見つからぬ限りは-----か。……そうだったな。十年前も、同じことをお前に言われた」

 額に手を当て、レイドリックは嘆息した。

「……綻びが広がり封印が解けるのが先か、あの青年が自身の力でそれを打ち破るのが先か-----それによる重大な悪影響が彼に及ばないことを、我々は祈るしかないのだな。“彼の者(あれ)”の行方は、未だに掴めぬのだろう?」
「はい。行方はおろか、未だその生死すら……面目次第もございません」

 唇を結び頭を下げるオルティスを見やり、レイドリックは幾分表情を緩めた。

「事情が事情なだけに、公然と捜索出来ぬのだ……致し方ない。あれから随分と時間も経った……お前達の状況が厳しいものであることは分かっている。引き続き頼む」
「はっ」
「……それにしても、あの時の子供と、こんな形で再会を果たすことになろうとは-----運命の女神とやらはつくづく、悪戯が好きらしい」

 皮肉めいた主君の口調に、側近たる二人はしばし沈黙した。

「……私は、故(ゆえ)あっての運命の女神の思(おぼ)し召しだと考えます」

 間を置いて、エレーンがゆっくりと口を開いた。

「人類の存亡を賭けた戦いが始まろうというこの時期に、救世の鍵を握る人物として、彼はこの地へ現れました。全てを動かす、大きな運命の輪が廻り始めたのではないでしょうか」
「-----彼は、あの方の忘れ形見です。困難な運命を切り開く、鋼の如き強さを持ち合わせていると、私は信じたい……例え今、あの『約束』が彼の記憶にはないのだとしても、十年前のあの件は、現在も忘れえぬ想いとなって彼の中で生き続けている-----そう、願わずにはいられません」

 オルティスも真摯な表情で訴えた。

 それを聞いて、国王レイドリックは小さく微笑んだ。

「……。そうだな。私も、そうであると祈りたい-----」

 夜の闇に遠雷の音が響いた。

 それを合図にするようにして、雨が窓を叩き始めた。

 徐々に近付く雷鳴に比例して、その雨足は強くなっていく。

 魔法王国ドヴァーフの王都の夜は、雨の音に包まれて、次第にその深さを増していった。
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