ドヴァーフ編

光の園


 夕方になって。光の園(その)に向かう道すがら、あたし達は今日の出来事なんかを話しながら、薄闇に包まれた街の小さな通りを歩いていた。

 パトロクロスとガーネットがフリードに再会したという話にはビックリ。

 この広い街で……スゴい偶然だよね。

 ちょっと危険な香りのする彼の端麗な面差しを思い出して、あたしはほんの少しだけ不安になった。

 なんでも、ガーネットはアイテムをもらう為に、明日彼と二人っきりで会う約束をしたらしいんだけど……大丈夫かなぁ?

 フリードは多分、ううん絶対、ガーネットのことが好きだと思うんだよね。

「いいの?」

 とパトロクロスに聞きたかったけど、そんなこと言おうもんなら、

「どうして私にそんなことを聞くんだ!?」

 と、逆鱗に触れること間違いなし。

 ガーネットを意識し始めているらしいパトロクロスにとって、この手の話題は今、タブーに近かった。

「ねーねーオーロラ、さっきから気になっていたんだけどさー。その指輪、どうしたの? スッゴく可愛い」

 あたしの左小指の指輪に目ざとく気が付いたガーネットがそう言いながら手元を覗きこんできた。

「えへへー、実はね、アキレウスに買ってもらったんだ」

 ほんのり頬を染めながらそう報告すると、ガーネットは大きな茶色(ブラウン)の瞳をきらきらと輝かせた。

「アキレウスに買ってもらったの!?」
「うん。アキレウスの知り合いのターニャっていう人がアクセサリーショップを開いていてね、そのお店に偶然立ち寄って……」

 って、あれ? ガーネット?

 話している最中に忽然(こつぜん)と姿を消したガーネットを目で探すと、彼女はパトロクロスと並んで少し前を歩いていたアキレウスの腰の辺りを肘で突っつき、ニカッと白い歯を見せているところだった。

「アキレウスったら、やるじゃな〜い!」
「はぁっ? 何だよ」

 きゃあ〜っっっ!!!

「ちょ、ちょっとガーネットっっ! 話は最後まで聞いてよっ! これはホント、偶然に偶然が重なって!」

 あたしは真っ赤になって叫びながら、大慌てで説明に入った。

「偶然立ち寄ったアキレウスの知り合いの人のお店で商品を勧められて、その人との付き合いとかそういうのが色々あって、それでたまたま、一緒にいたあたしにこれを買ってくれることになったの! それだけなの! 深い意味は全くないんだよ!?」
「-----なぁーんか、よく分かんないけどー」

 ガーネットはそう嘯(うそぶ)くと、真っ赤な顔のあたしと、事情を察した様子のアキレウスとを見比べ、こう言った。

「たまたま一緒にいたのがオーロラだったから、っていうのもあるんじゃない? 偶然は必然とも言うし、一緒にいたのがあたしだったら分かんないわよー。ねー? アキレウス」

 上目使いで冗談っぽく見つめられて、アキレウスはちょっと引き気味に言葉を返した。

「何だその難しい言い回しは???」

 なっ、何を言い出すのこの娘(こ)はっ!?

 この状況に耐えられなくなったあたしは、あせってガーネットをアキレウスの側から引き離した。

「も、もぉっ! やめてよねー!」
「あっはっは。オーロラったら耳まで真っ赤っか〜!」

 こっ、この小悪魔はっ!

「あたしで遊ばないでよー!」

 軽くガーネットの頭を小突くと、彼女は笑いながら謝罪した。

「ごめんごめん、つい楽しくって。……詳しい話、後で聞かせてね」

 後半の方はこっそりと、あたしにしか聞こえない声で囁いた。

 う゛〜、もぉっ。

 軽くにらむあたしを尻目に、ガーネットはすすっとパトロクロスにすり寄ると甘い声を出した。

「ねぇパトロクロスぅー、あたしも指輪とか、そういうの贈られてみたいな〜」
「そうか」
「そうか、ってそれだけ〜?」
「アキレウスにでも頼んでみたらどうだ?」

 さらりとかわすパトロクロスにガーネットが軽く頬をふくらませる。

「それじゃ意味がないじゃない〜。あたしはパトロクロスに贈ってほしいの!」
「-----アキレウス、皆もう待っているんじゃないのか。先を急ごう」

 彼の肩を抱いて逃れようとしたパトロクロスの腕を、ガーネットがはっしと捉える。

「話を逸らさないでよー。もぉっ、照れ屋さんなんだから」
「何がどうしてそういう話に……コッコラッ! くっつくなっっ!」

 いつもの押し問答が始まったので、あたしとアキレウスは顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出した。

「全く毎回毎回……しょうがねーな」
「あんなコトあったばかりなのにね。パトロクロス、また倒れちゃったりして」
「ははっ、それはそれで面白いけどな」
「そしたら、アキレウスが担がないといけなくなっちゃうよ」
「う……そうなるのか。じゃあヤバそうになったら助けてやらねーと」

 軽口を叩く彼の、そのいつもと変わりない様子にあたしは内心ほっとした。

 良かった……いつものアキレウスだ。

 さっきのレイドリック王の件もあってちょっと心配していたんだけど、どうやら大丈夫そう。少なくとも表面上は、いつものアキレウスのように見える。

「光の園って、どんなところ?」

 これから訪ねることになっている、彼の育った孤児院についてそう尋ねると、アキレウスは穏やかな表情でこう教えてくれた。

「規模は小さいけどほのぼのして、温かい雰囲気のトコだよ。オレがいた頃は園長と、通いのお手伝いさんが何人かいて-----今はラァムが住み込みで働いているから、お手伝いさんはほとんど頼まなくなったみたいだけど。孤児達は園長のことを『マザー』って呼ぶ決まりなんだ。普段は優しくて穏やかな人なんだけど、怒る時は容赦なくて、ホント怖かったっけな。温かくて、厳しくて-----まるで本当の母親みたいにオレ達に接してくれたよ。一緒に暮らしてた連中とはよくケンカもしたけど、何だかんだで仲が良かった。オレにとっては“第二の我が家”ってトコかな?」

 幼かったアキレウスが仲間達と駆け回って遊んでいた様子を想像して、あたしも自然と柔らかい表情になった。

 きっと、やんちゃで正義感の強い子供だったんだろうな。

「ここだよ」

 しばらくしてアキレウスが立ち止まったのは、教会風の白っぽい建物の前だった。

 窓からこぼれる明りに乗って、子供達の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 ここが……。

「ここがアキレウスの育ったところか……」
「教会風の建物ね」

 パトロクロスとガーネットがそれを見上げて、感慨深そうに呟(つぶや)いた。

「古い教会を改築して使っているんだ。なかなか味があるだろ?」

 そう言いながらアキレウスは手造り感溢れる木製の門扉を手慣れた様子で開け、そこから少し中に入ったところにある入口へと足を進めた。

 アキレウスの過去をこれから少しだけ知れるんだと思うと、ドキドキする。

 入口のドアを開けたその瞬間、ダダダーッという音と共に子供達が一斉に走り出てきて、目を瞠(みは)るあたし達の前に綺麗に整列し、少し遅れて出てきたラァムのせーの、という声に合わせて合唱した。

「アキレウスお兄ちゃん、お帰りなさい! お誕生日おめでとう!! 皆さん、いらっしゃい!」

 えぇっ!?

 その言葉に驚いて、あたし達は目の前のアキレウスを見つめた。

「アキレウス、誕生日だったの!? 今日!?」
「そうだったのか?」
「水臭いじゃない、どうして言ってくれなかったのよー」

「……。そういえば……」

 どうやら、当の本人もすっかり忘れていたみたい。

 なっ、何それ〜! あたし、指輪を買ってもらっている場合じゃないじゃん!

「アキレウスったら、いっつもそうなんだから。そのうち自分が何歳なのか、分からなくなっちゃうわよ」

 ラァムがそう苦笑しながらあたし達を出迎えた。

「来てくれてありがとう、皆さん。どうかゆっくりしていって下さいね。ほらみんな、お客様を食堂に案内して」

 ラァムに促されて、子供達は手に手にあたし達の手を取り、食堂へと案内してくれた。

 子供達は総勢11名、男の子と女の子半々くらいずつかな。アキレウスが久し振りに来てくれたっていうことと、急なお客様が嬉しかったらしく、かなりのハイテンション。

 食堂の大きなテーブルには白いクロスが掛けられ、銀細工の燭台(しょくだい)に灯された蝋燭(ろうそく)の光が、たくさんのごちそうを暖かく飾っていた。

「わぁ……」
「スゴーい」

 歓声を上げるあたし達にラァムが言った。

「急だったからあまり豪華に出来なかったけど、みんなで一生懸命作ったのよ」

 いやいや、充分豪華だって!

 何よりも子供達が一生懸命作ってくれた、っていうのが嬉しいよね。

「充分だよ……サンキュ。スッゲー美味(うま)そう」

 アキレウスも感動した様子で、子供達の頭をなでながらお礼を言った。

「みんな、ありがとうな!」

 あぁ、何かいいな、こういうの。

 子供達と談笑するアキレウスを、パトロクロスも温かい目で見守っている。

「アットホームな感じでいいわね」
「ね。何だか心があったかくなるねー」

 ほのぼのした気持ちで隣のガーネットとそんな話をしていたら、ラァムがあたし達にこう声をかけてきた。

「今日はあたしの急なお願いに皆さんを付き合わせることになってしまって、ごめんなさい。楽しんでもらえるといいんだけど……」

 ショートカットの赤茶の髪に、きりりとした大きな暗褐色(ダークブラウン)の瞳。ふっくらした唇がセクシーな彼女は、細身なんだけど出るトコ出ていて、スタイルがいい。

 今日がアキレウスの誕生日だって彼女は知っていたから、多少強引にこの約束を取り付けたんだな。

「ううん、こちらこそ招待してくれてありがとう。楽しみにして来たの」
「今日がアキレウスの誕生日だなんて知らなかったから、ビックリしちゃった。お祝いしてあげられることになって良かったわ」

 笑顔でそう返すあたし達にラァムはにっこりと微笑んだ。

「アキレウスって昔から、ごく親しい人以外には自分のことを話さないから、きっとそうだと思ったわ。ちょっと強引だったけど、思い切って誘って良かった」

 ん?

「オーロラさんにガーネットさん、アキレウスは仕事で無理していない? 今回の仕事は随分と長くかかるみたいだし、彼、無理しちゃう方だから心配で……。いつも危険に真っ先に飛び込んでいくようなトコがあるし、自分の命を厭(いと)わない、とまでは言わないけど、昔から自分の身を顧(かえり)みないようなトコがあるから、帰りを待つ方としては気が気じゃないっていうか……」

 ラァムはそう言って整った眉をひそめ、心配そうにアキレウスを見やった。

「無理をしているっていう感じは、今のところないと思うけど……。危険と隣り合わせになることはもちろんあるけど、自分の命を軽んじるようなこと、アキレウスはしていないよ。そういう意味では安心して」
「彼の仕事に危険はつきものよ。でも一人で臨んでいるワケじゃなくて、あたし達のサポートがあるんだから大丈夫。何より、アキレウスは強いもの」

 あたし達の話を聞いたラァムは頬を緩め、安堵(あんど)の息をもらした。

「良かった……他人の前では、彼、そういうところを見せない人だから、心配していたの。任務中はアキレウスのこと、お願いしますね。あたしは魔法とか使えないし、非力だし、そういう意味では全く彼の役に立てないから……。あたしに出来るのはここでただ彼の無事を祈ることと、疲れ果てて帰ってきた彼を癒してあげることだけ……。あたしが彼に用意してあげられるものは、安らぎの場所、それくらいだから」

 あたしとガーネットはお互いに視線を交わし合った。

 気のせい、かな? 言葉の端々に、微妙に棘が含まれているような……。

「-----あの、ラァムさん、良かったらオーロラって呼んで。歳も近いと思うし」

 気を取り直してそう申し出ると、ガーネットも同調して頷いた。

「あ、あたしもー。ガーネットって呼んでよ」

 親しみを込めたあたし達の申し出に、ラァムは極上の笑顔をもって応えた。

「ごめんなさい、オーロラさん、ガーネットさん。あたし、親しくもない人を、さも親しそうに呼ぶのって好きじゃないの。だから、呼び捨てにするのもやめてね」

 スゴく華やかな笑顔なんだけど、目だけが絶対零度の輝きを放っていて、まるで笑っていない。

 う゛わ゛……。

 思いもよらぬその返答に、ピキーン、とあたし達の周りの空気が凍りついた。

 離れた場所で子供達と盛り上がっている男性陣は、この状況に全く気が付いていない。

(敵意……だよね?)
(間違いないわ)

 目と目で会話するあたし達。

 ガーネットの勝気な茶色(ブラウン)の瞳がみるみる好戦的な光を帯びていくのを見て、あたしは息を飲んだ。

 う……うわわ、ヤバい!

 不穏な空気は臨界点寸前。

 あせったその時、食堂に一人の年配の女性が現れた。

 ロマンスグレーの髪を頭の上でひとつにまとめ、ゆったりとした黒の長衣(ローヴ)を身に纏ったおばあさん。

 その背筋はシャンと伸び、深い皺(しわ)の刻まれた顔は穏やかで、どことなく気品を感じさせる。

 綺麗なおばあさん……若い頃はきっと、相当な美人だったんじゃないかな。

「園長(マザー)」

 彼女の姿を見たアキレウスの顔がほころんだ。

 彼が『マザー』って呼ぶってコトは……このおばあさんがここの園長?

「久し振りね、アキレウス。元気そうで何よりだわ」

 ゆったりと微笑んで彼を見やり、彼女は優雅な仕草であたし達に挨拶した。

「皆さん、初めまして。ようこそお越し下さいました。光の園の園長、グレイスです」

 穏やかで、慈愛に満ちた笑顔。

 アキレウスの言っていた通り、とても優しそうな人だ。

「アキレウスがここを卒業して出て行ってから、こんなふうにお客様を連れてくるなんて初めてのことなのよ……嬉しいわ。どうぞゆっくりしていって下さいね」
「こちらこそ、今日はお招きいただきまして……」

 パトロクロスが挨拶を返し始めたので、あたし達もラァムの側を離れ、彼の元へと移動した。その短い道中、ガーネットが低い声でぽそっと呟いた。

「早速恩が仇(あだ)になったわね。アキレウスの側にいる得体の知れない女はあの娘(こ)にとって、みんな敵ってわけ。よーく分かったわ」

 彼女がアキレウスのことを好きなのは察していたけれど、まさか、こんなに露骨に敵意を剥き出しにされるとは思わなかった。

 あたしはともかく、ガーネットなんかは昼間の様子を見ていればパトロクロスのことが好きだって分かりそうなモンなのに……。

 アキレウスの幼なじみだし、そんなことするような娘(こ)じゃないと思っていたんだけどな。

 恋する女って、怖い。

「ねぇ園長(マザー)、早くご飯食べようよー」
「冷めちゃうよぉ」

 待ちくたびれた子供達の間からこんな声が上がった。

「そうね、ごめんなさい。すぐにいただきましょうね」

 グレイスは子供達にそう答えると、あたし達に席につくように促し、自らも席についた。

 楕円形のテーブルの上座にグレイスが座り、大人の間に子供達が一人ないし二人入る形でぐるりとテーブルを囲む。大人達のグラスには果実酒が注(そそ)がれ、子供達のグラスにはジュースが注(つ)がれて、大きな声と共にみんなで乾杯した。

「アキレウスお兄ちゃん、誕生日おめでとー! かんぱーい!」

 カシャン、とグラスを重ね合わせて、すぐに楽しい食事が始まった。

 こっちの世界に来てから、こんなふうに大勢で、しかもこんなアットホームな環境で食事するのって初めて。子供達はとても人懐っこくて、興味津々の様子であたし達に話しかけてくる。

 テーブルの上に乗っている料理は大きな鳥のローストに色とりどりの野菜のサラダ、たくさんの野菜をコトコト煮込んだ赤いスープ、白身魚を香辛料で味付けしたムニエルなどなど。他にもドヴァーフの郷土料理なのか、初めて目にする品や、季節のフルーツなんかがあって、賑やかなのと目新しいのとで、とっても新鮮。

 アキレウスも久々の『家族』との再会と、愛情のこもった手料理にとっても嬉しそう。

 さっきのラァムにはビックリしたけど、こういう彼の表情を見ていると、やっぱり来て良かったなって思う。

 そんな彼の様子を愛しそうに見つめながら、可愛らしく小首を傾げてラァムが尋ねた。

「アキレウス、美味しい?」

 彼女はしっかり彼の正面の席を陣取っている。

「あぁ、美味(うま)いよ。ここで食事すると、帰ってきたなって実感が湧く」
「そう? 良かった」

 幸せそうなその顔からは、さっきの底冷えするような冷たさは微塵にも感じられない。

「ラァムお姉ちゃんねーぇ、アキレウスお兄ちゃんのコト、好きなんだよ。今日のお料理も、お兄ちゃんの好きなのばっかなの」

 あたしの右隣りに座っていた女の子がこっそりと教えてくれた。

「そう……なの?」

 あたしは改めてお皿の上の料理達に視線を落とし、まじまじとそれを見つめた。

 アキレウスの好きな料理……正直、考えたことがなかった。

 移動移動の旅暮らしで、食事は基本的に簡単なものばかりだったし、アキレウスは特に好き嫌いもなくて、何でも普通に食べていたし……。

「スッゴく張り切って作ったんだよー。あたしもお兄ちゃんのコトは好きだけど、お姉ちゃんには敵わないなって思っちゃう」

 すると、今度はそれを聞いていた左隣りの女の子が身を乗り出した。

「そういうコト言っちゃダメだって。このお姉ちゃんもお兄ちゃんのコト、好きかもしれないじゃない」
「あ、そっか」

 ……えーと。

 左右から好奇心に満ちた小さな瞳で見つめられて、あたしはとりあえず笑顔でごまかすことにした。

「ふ、二人ともラァムお姉ちゃんのこと好き?」
「うん、大好き!」

 可愛い声がきれいにハモった。ラァムはどうやら、子供達にはいいお姉さんで好かれているみたい。

 いやはや、しかし。二人とも十歳くらいだと思うんだけど、言うことが大人びているというか何というか……おしゃまだなぁ。

 あたしの正面の席にいるガーネットにもこのやりとりは聞こえたらしく、小さく笑っている。

 もうー……アキレウスには聞こえてないよね? ……うん、大丈夫そう。

 意外なところで冷や汗をかきつつ、あたしはこっそりそれを拭った。

 誕生日のこともそうだけど、あたし、ホントにアキレウスのこと何も知らないんだな……。っていうか、それにすら気が付いていなかったんだけど……。

 アキレウスのことを想っている割には、好きな食べ物はおろか、誕生日さえ知らず、あまつさえ彼の誕生日に逆にプレゼントをもらってしまうだなんて、恋する女として失格なんじゃ……!?

「オーロラの顔って、ホント見ていてあきないわねぇ。あんたの今の心理状態が手に取るように分かるわ……」
「放っといて」

 今更ながらそんな自分に落ち込みつつ、落ち込んでいても仕方がないと頭を切り替えて、あたしはこれからのことを考えた。

 この切り替えの早さは、こっちの世界で鍛え上げられた賜物だ。

 過ぎてしまったことは、仕方がないもんね。

 それよりも、これからこれから。

 さて、どうしようかな?

 今日はアキレウスの誕生日だって知らずに来ちゃったから、ささやかでもいい、キチンと改めてお祝いしたいな。

 そう考えて、あたしは周囲に気を配りつつ、少しだけガーネットの方に身を乗り出して、小声でこう提案した。

「ねぇ、今度また、あたし達で改めてアキレウスのお祝いしない? どこかのお店とかでささやかに……さ」
「……オーロラのそういうトコ、好きよ、あたし」
「え?」
「何でもない」

 くすっと笑って、ガーネットは頷いた。

「オーケー、そうしましょ。パトロクロスにも後でこっそり言っておかないとね」
「うん、アキレウスには内緒ね」
「分かってる分かってる」

 ガーネットとそう示し合わせて、あたしは少しだけ腰を浮かしていたイスに重心を戻し、自分のグラスに手をかけた。

 よしっ。後はお店とか、どうやって決めよう? この街のことは誰も詳しくないし……あ、そうだ、ターニャに聞いてみようかな。彼女だったらアキレウスの好みとかも知っているだろうし、いいアドバイスをもらえそう。

 その時、何かが指に触れた感触がして目線をやると、左隣りの女の子があたしの指に手を添えて、しげしげと左小指のリングを見つめていた。

「これ、可愛いねー」

 それを聞いて、右隣りの子もあたしの手元を覗き込んできた。

 小さくても女の子、こういうのに興味あるんだね。

 微笑ましく思いながら、あたしは彼女達にピンキーリングを見せた。

「ふふ、可愛いでしょ? これね、あたしの今一番のお気に入りなんだ」

 そんなあたし達の会話を聞きつけたガーネットが、正面から身を乗り出して、わざと大きめの声でこう言った。

「その指輪ねー、アキレウスお兄ちゃんがこのお姉ちゃんの為に買ってくれた指輪なのよー」

 ぎょっとするあたしの視界の隅に、ごほっとむせ返るアキレウスの姿が映った。

「ちょ……ちょ、ガーネット!」

 真っ赤になるあたしに対して、彼女はしれっとこう答えた。

「何よ、ホントのコトじゃない。照れなくたっていいでしょー」

 そ、それはそうだけど、それにしたって。

「い、言い方ってモンがあるでしょ!? これじゃ誤解されちゃう……」
「お姉ちゃん、お兄ちゃんのカノジョなの?」
「二人はもう、付き合っているの?」

 ほらぁっ!

 目をまん丸にしている女の子達に、ガーネットはわざとらしく首を捻(ひね)りながらこう答えた。

「うーん、その辺はお姉ちゃんにも分からないわ。ねっ、アキレウスお兄ちゃんに直接聞いてみたら?」

 え゛ぇ゛っ!?

「うん、そうする!」

 ちょ、ちょっと。

「ね、ちょっと待って-----」

 あせって止めようとしたあたしの腕を、その子達はするりんと通り抜けてしまった。

 ウッ、ウソ-----ッ!!!

「アキレウスお兄ちゃーんっ」

 きゃあ-----っっ!!!

「ガッ、ガーネット、何てコト言うのよーっっ!?」

 パニック状態に陥るあたしに顔を近付け、指を突きつけて彼女は言った。

「オーロラ、あたし達は宣戦布告されてんのよ。売られたケンカは買ってやるのが礼儀ってモンでしょ? このくらいで丁度いいのよっ」

 そんなぁっ!?

 チラリとラァムの方を見やると、彼女は凄まじい殺気のようなものを放ちながら、鬼のような形相でこちらをにらみつけていた。

「ふふん、効果覿面(こうかてきめん)ね」

 ガーネットは鼻で笑ったけど、あたしは笑えなかった。

 こ、怖すぎる……。

 一方、子供達は完全に面白がって、口笛なんかを吹きながら一丸となってアキレウスをはやし立てている。

「あら、まぁ……」

 口元に手を当ててグレイスは微笑ましげにその光景を見守り、パトロクロスは肩を震わせて笑っている。

「あんなにやりこめられたアキレウスの姿は初めて見た」

 後(のち)にパトロクロスにそう言わしめたほどの口撃に合ったアキレウスは、額に手を当て、じろりとガーネットをにらんだ。

「ガーネット-----」

 さすがに気まずいと思ったのか、ガーネットが首をすくめる。

「あたし、嘘は言ってないわよ」
「……覚えてろよ」

 低い声で唸(うな)るアキレウスの周りでは、子供達の冷やかしの声がいつ果てるともなく続いている。

 最初は一生懸命事態の沈静化を図ったアキレウスだったけど、すぐに無駄だと気が付いたらしく、今はどうにでもなれという感じだった。

 何しろ面白がっちゃって、まるで話を聞かないんだもん。

 それでもあたしは頑張って説明に終始していたんだけど、騒動のきっかけとなった二人の女の子に、

「あたし達はラァムお姉ちゃんのコト好きだけど、お姉ちゃんのコト恨んだりしないから安心して」
「そうだよ、気にしないで。恋愛は平等だもの」

 そう言われて、テーブルに突っ伏してしまった。



*



 夜も更け、就寝時間を迎えた子供達は、グレイスに諭され、アキレウスとラァムに促されて、しぶしぶながら寝室へと引き揚げていった。

「アキレウスは子供達からなかなか放してもらえないんじゃないかしら」

 さっきまでの賑やかさから落ち着きを取り戻した室内で、忍び笑いをもらしながら、グレイスは豊かな香りのするお茶をあたし達に入れてくれた。

「これは……ドヴァーフの標高の高い山でしか採れない、バビロンという品種では?」

 その香りを確かめたパトロクロスが驚いた様子でそう尋ねると、グレイスはかすかに目を瞠(みは)って、言い当てた彼の端正な面立ちを見つめた。

「お詳しいのね。えぇ、そうです。知人から譲っていただいたものなの」
「……。そうですか」

 バビロン?

「有名なお茶なの?」

 ガーネットがそう尋ねると、パトロクロスは頷いて簡単に説明した。

「あぁ。豊かで芳(かぐわ)しい香りと、薬湯のような独特の苦味が特徴の高級茶葉だ。紅茶好きにはたまらない一品だよ」

 へぇー。

 あたしとガーネットはティーカップの中の黄みがかった紅い色のお茶を見つめ、その香りをかいだ。

 紅茶にはまるで詳しくないけど、いい香りだな。味はちょっと独特で、健康に良さそうな感じ。

「……アキレウスはなかなかに人気者のようですね」

 パトロクロスがそう話を振ると、グレイスは穏やかな表情で頷いた。

「ええ。優しくて、強くて、格好良くて……子供達の憧れのお兄さんなの。義理堅い子で、卒業してからも時々こうして顔を見せに来てくれるから、みんなとても慕っているわ」
「あの……アキレウスは、いくつまでここにいたんですか?」

 そう聞くと、彼女は少し考えてからこう答えた。

「9歳から14歳までの五年間よ」

 9歳……ということは、それ以前にアキレウスの両親は亡くなったんだ。

 十年前は、やっぱりひとつのキーワードだ。

 レイドリック王とアキレウスが何らかの約束を交わしたというその年に、多分……彼のお父さんは亡くなった。そしておそらくそれ以前にお母さんを亡くしていた彼は、たった一人ぼっちになってしまったんだ。

「どんな子供だったのかしら? やんちゃなイタズラ小僧っていうイメージだけど」

 冗談めかしたガーネットの口調にグレイスは懐かしむように笑った。

「ええ、やんちゃでイタズラで……それは元気な子供だったわ。仲間を引き連れて、人が滅多に足を踏み入れないようなところにわざわざ行ったりして……ずいぶんと手を焼かされたものよ。生傷が絶えることはなかったわね」

 あたしはまほろばの森のグレンの小屋でアキレウスが語っていた幻影ホタルの話を思い出した。

 “秘密の場所”はそうして見つけられたものなのに違いない。

「でもそういう子になってくれて、内心はホッとしたの。孤児になった子にはありがちなことだけれど、ここへ来た当初はちょっと難しい子でね。お父様の形見の剣を片時も離さなくて……誰にも心を開けない感じで」

 それは、あたし達が初めて耳にする過去のアキレウスの姿だった。

 想像に難(かた)くないことだけれど、両親を失って天涯孤独となった9歳の男の子が今の彼へ至るまでには、やっぱり、相当の紆余曲折(うよきょくせつ)があったんだ。

「……アキレウスが魔物(モンスター)ハンターになると言った時、止めるべきかどうか、正直迷ったわ。あの子に確たる信念があることは知っていたし、それを成し遂げる為にどれほどの努力を重ねてきたかということも知っていたからよ。だけどその反面、とても怖いと思ったの」

 そう言って瞳を伏せたグレイスに、あたしは尋ねた。

「……どうしてですか?」
「あの子は昔から強い子だったけれど、どこか生き急いでいるようなところがあったから……」

 意外なその言葉に、あたし達は驚いた。

 アキレウスが?

 ずっと一緒にいるけれど、そんなふうに感じたこと、ない。

「こんなご時世だから、普通に暮らしているだけでも危険な目に合うことはままあるわ。そんな時、気が付くとあの子はいつも一番危険な場所にいるの。そう……まるで、自分の魂を試しているかのように……。自らを敢(あ)えて危険に晒(さら)すことで得られる、常に死と隣り合わせの強さ-----そんなものを、私は彼に感じていたから……」

 ラァムもさっき似たようなことを言っていたけれど、まるで、別の人の話を聞いているみたい。

 アキレウスのことじゃないみたいだ……。

 その時、あたしの脳裏に不意に、いつかのアキレウスの声が甦った。


『……もうそういう感覚はマヒしちまったな。死んだらそれまでっていうか……』


 あたしは小さく息を飲んだ。

 それはまだ、アキレウスに出会ったばかりの頃。魔物(モンスター)ハンターという彼の職業を初めて知った時、『怖くないの?』と尋ねたあたしに、彼が返した言葉。

 それを、唐突に思い出した。

 ひどくサラリとした、自分の死というものをどこか打ち捨てて捉えているようにさえ感じられるその言い方に、あの時、あたしは確かに違和感を覚えたのだった。

 まだ親しいと言える間柄ではなかった当時の彼にそれを聞くことはなかったけれど、今にして思うと、それはグレイスの抱いていた憂慮と同じ種類のものだったのかもしれない。

 けれど、それ以降、アキレウスの言動にあたしがそういう思いを抱くことはなかった。

 だから、今の今まで、そんなふうに思ったことがあったことを、忘れていた。

「結局、私は止めなかったわ。できれば他の卒業生のように落ち着いた仕事をしてくれたらと思ったけれど、こればかりは本人が決めることですものね。結果は、貴方達もご存知の通り。アキレウスは私達に心配をかけることを嫌って、あまり仕事の話をしてくれないのだけど、今では彼の活躍を噂で聞けるほどになったわ」

 そう言って、グレイスは穏やかな眼差しをあたし達に向けた。

「魔物(モンスター)ハンターは、彼の天職だったのかもしれない。今日、久し振りにアキレウスの顔を見て、そう思えたわ。私が案じていた種類の翳(かげ)りは消えて、とてもいい大人の男性の顔になった。きっと貴方達のおかげね」
「え……いえ、我々は特に何も-----」

 そう言いかけたパトロクロスをやんわりと遮り、彼女は続けた。

「ええ、特別なことは何もしていないのだと思うわ。けれども、そのままの貴方達の姿が、あの子に何らかの影響を与えたのでしょうね。貴方達と出会ったことであの子の中の何かが変わり、そして、欠けてしまっていた大切なものを見い出したのだと、私は思うわ」

 あたし達は顔を見合わせ、ちょっとはにかんだ笑みを浮かべた。

 出会ってから今日まで、少なくとも表面上、アキレウスの様子が変わったようには見えなかったけれど、あたし達と一緒にいることで、彼はそんなに変わったのかな……。

 正直あたしにはよく分からなかったけど、だとしたら、それはとても嬉しいことだと思った。

 少なくとも、今の彼はあの時の彼とは違う方向を向いている。

 そう感じられることが、嬉しかった。
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