整った眉に優美な曲線を描く頬、程良い高さの鼻梁の下で薄く花開く薄紅色の唇。
城内で『月光花』と称される美しいその女性は、薄い夜着の上に深い紺色の上掛けを羽織っただけという、大変無用心な姿でペーレウスの前に佇んでいた。
布地の先から覗くスラリとした手足や、柔らかそうな細い首筋、その下に浮かび上がるなだらかな鎖骨-----彼女の肌の色は透き通るように白く、月光を浴びたその姿は儚げで、どこか現実離れした美しさを醸し出している。
綺麗だな……。
ペーレウスは素直にそう思った。
先日遠目に彼女を見た時にも整った容貌をしているとは思ったが(シェイドが聞いたらどういう目をしているんだ、と再び呆れ口調で言うだろう)、これほどの美しさだとは思わなかった。
月光花-----まさに、彼女にぴったりの呼称だ。
「……こんな時間にそんな格好でどうしたんです?」
しばし無言で見つめ合った後、ペーレウスは彼女にそう声をかけた。
「いくら王宮内とはいえ……無用心ですよ。私が妙な男だったらどうするんですか」
すると彼女は薄紅色の唇を微かにほころばせ、耳に心地良い声で返してきた。
「その時は盛大に叫びながら、とっておきの神聖魔法をお見舞いするわ」
ペーレウスは苦笑した。そうだった……この女性は、ただ美しいだけのか弱い存在ではなかったのだ。
「……こんなところで、いったい何を?」
改めてそう尋ねると、彼女は何でもないことのようにこう答えた。
「月夜があんまり綺麗だったから、ここで眺めていたの。時々こうしているのよ」
予期せぬペーレウスの登場に一旦は立ち上がっていた彼女は、そう言いながら再び噴水の縁(へり)に腰を下ろした。
「時々? 一人で、ですか?」
「ええ」
ペーレウスは黒茶色(セピアブラウン)の瞳を瞬かせた。
若い女性がこんな時間にこんな姿でたった一人、月夜を眺めているというのは、やはり相当無用心なことなのではないのだろうか。城内で彼女に手を出そうなどという不届き者はそうはいないだろうが、万が一ということもある。
「変わった女だ、って思ってる?」
不意にそう問いかけられ、ペーレウスは正直に頷いた。
「ええ、まぁ」
「ふふ、やっぱり。わたしもそう思うわ」
ふわり、と邪気のない顔で彼女は笑んだ。
何というか捉えどころのない……不思議な雰囲気を持っている女性だ、とペーレウスは思った。
「そういう貴方はこんな時間に、どうしてこんなところへ?」
今度は逆にそう尋ねられ、ペーレウスは簡単にその理由を説明した。
「そう……やっぱり今夜の月夜は格別なのかしら。貴方みたいな騎士まで惹き寄せるなんて」
満月を仰いでいた彼女はどこか楽しそうにそう言いながら、吸い込まれそうな輝きを放つ翠緑玉色(エメラルドグリーン)の双眸をペーレウスへと向けた。
「騎士団は、大変? ……噂の新米騎士さん」
ペーレウスは驚いて彼女を見た。不本意ながら有名になってしまっている自分の噂は当然ながら彼女の耳にも入っているだろうとは思ったが、面と向かってそれを告げられるとは思わなかったのだ。
「私の顔を、知っていたんですか?」
「いいえ。でも、簡単よ。貴方の噂は聞いていたからどんな容姿の人なのかはだいたい知っていたし、由緒正しい家柄のご子息がほとんどの騎士団に、こんな時間まで熱心に剣の稽古に励んでいる人なんていないもの。それに……」
一度言葉を区切って、彼女はペーレウスの瞳を真正面から捉えた。
「貴方の瞳は、まだ何物にも染まっていない。純然として……自分だけの、強い意志の光を帯びている」
ペーレウスは軽い衝撃を受けた。女性からこんなことを言われたのは初めてだった。
「オ……私は、私ですから……これからも、何物にも染まる気はありません」
瞳を逸らしながらそう言うと、彼女はわずかに微笑んだようだった。
「それでいいと思うわ。それと、敬語は使わなくていいわよ?」
その申し出にペーレウスは言葉を濁した。
「しかし、特務神官である貴女に-----」
「あら、貴方こそ。わたしのこと、知っていたの?」
「ええ。先日偶然見かけた時に、友人から貴女のことを聞きました」
「友人って……魔導士団の賢者シェイド?」
彼女の口から友人の名が出てきたことにペーレウスは驚いた。
「シェイドを知っているんですか?」
「彼、有名だもの」
さらりと言われ、ペーレウスはシェイドが現宰相ランカートの息子だったことを思い出した。だが、彼女が彼を有名と語った理由はそれだけではなかった。
「ランカート卿のご子息ということはもちろんだけれど、彼、自分に厳しい人よね。彼の身分なら下積みを飛ばして魔導士団の下級士職から入ることが可能だったのに、それを固辞してあくまでも一魔導士としての入団にこだわって……お父様のランカート卿は猛反対して、それで二年近く揉めていたわ。結局はランカート卿が折れる形で、貴方が入城する半年前にようやく魔導士団に入ったのだけど、周りはそんな彼のことを変わり者だと言って、当時はずいぶん騒がれたものよ」
初めて耳にする話だった。だがそれを聞いて、シェイドらしい、とペーレウスは思った。
詳しく聞いたことはないが、彼は元々『ランカート卿の嫡男』として見られる立場を毛嫌いしている節があった。
後ろ盾のない自分自身の力で、いったいどこまで行けるのか-----自分はどこまで、やれる人間なのか。あくまでも一個人としての自分、シェイドはそこにこだわったのだろう。
それはペーレウスの中にもある思いだった。男ならば、誰もが多少なりとも持っている思いなのではないだろうか。
ペーレウスは城内での唯一の友人にこれまで以上の好感を持った。
そんな彼を見つめながら、月光花と称される特務神官はぽつり、と呟いた。
「……似てるわ。貴方達」
「? そうですか……? 私的には、正反対だと思いますが」
意外な面持ちでアマス色の髪の女性を見やると、彼女はそれを軽く受け流した。
「そう? まぁ、わたしが勝手にそう感じただけだから聞き流して。……そういうわけで、そんな貴方達が一緒にいるとどうしても目立つのよ。噂の方が勝手に耳に入ってくるの」
「……そういう貴女も城内では相当有名だと聞いていますよ? テティス」
そこで初めて彼女の名を口にすると、名を呼ばれたテティスは子供のように笑った。
「ふふ、そうみたいね。だから有名人同士、敬語はナシでいきましょ。私は入城して五年目になるけれど、貴方とそう歳も変わらないのよ」
「……分かったよ」
ペーレウスは肩をすくめて、テティスに笑顔を見せた。ゆっくりとその側に歩み寄り、噴水の縁に座る彼女の隣に腰を下ろす。
「同じくらいの歳って……テティスはいくつなんだ?」
「貴方のひとつ上」
「じゃあシェイドと一緒か」
「そうね」
冴え冴えとした満月の光が降り注ぐ美しい星空を見上げながら、二人はとりとめのない会話を交わした。
テティスは没落した中流貴族の出身なのだという。五年前両親と兄弟を流行り病で亡くし、天涯孤独となった彼女は、既に零落していた親戚達を頼ることも出来ず、孤児院に預けられる運びだったのだが、その前に所定の魔力の検査を受けたところ、類稀なる強い魔力を持っていることが分かり、その素地を認められ入城する運びになったのだと言った。
「思いがけず入城することになって、最初はひどく戸惑ったし色々と苦労もしたわ。ここの人達って、異分子に過剰反応するのよね。もちろん全ての人がそうというわけじゃないんだけど」
それもあって、テティスはペーレウスに何となく親近感を抱いているらしい。
「知っている? 一般の兵士達の中でも、貴方とっても注目されているのよ」
騎士と違って、兵士の多くは一般の国民の中から募られる。厳しい選抜試験をくぐり抜けた魔力を有する者だけが兵士として採用されるのだが、そこから騎士へと昇格する者はまずいない。過去に例がないわけではなかったが、よほどの働きをしない限り、その扉は開かれない。どれほど実力があろうとも身分の壁に阻まれ、多くの者が一兵卒のままで終わっていくのだ。
だが、今回騎士として国王に引き抜かれたペーレウスの活躍によっては、そんな彼らの状況も変わってくるかもしれない。
期待と羨望とを込めて兵士達はペーレウスの動向を見守っているのだと、テティスは語った。
ペーレウスにとっては思いもよらない話だった。
自分と同じ魔力を持たない者ならいざ知らず、一般国民とはいえ魔力を持つ者からもそんな期待を寄せられているとは知らなかった。
「へー……オレって、一般国民の期待を一身に背負ってんだ?」
そう口にしながら、剣を交えるにも似た熱い高揚感が身体の奥底からみなぎってくるのを感じた。
「へへ、じゃあやるしかないな!」
はつらつとした、でもどこか照れくさそうな表情のペーレウスにつられるようにして、テティスも小さく笑った。
「……全くプレッシャーには感じないのね」
「プレッシャー? 何で?」
「あまりに大きな期待をかけられると、それに応えようとするあまり萎縮してしまうことってあるじゃない」
「あぁ……人によってはそうかもしれないけど、失敗したところでオレには失うものなんて何もないからな。元々地位も名誉もあるワケじゃないし……ただ、元のオレに戻るだけだ。だからかもしれないけど、どんな理由であれ、誰かに期待されるっていうのは悪い気はしないな」
テティスは新鮮な気持ちでペーレウスの言葉を聞いていた。
彼の置かれている現状は厳しい。待ち受けている現実は気が遠くなるほど険しく、時が経つほどに彼の前に大きく立ちはだかることになるだろう。それは誰よりも、ペーレウス自身が肌で感じていることなのに違いない。
だがペーレウスはそれを嘆くでもなく、卑屈になるわけでもなく、過度の気負いも驕(おご)りも見せず、自然体で、こんなにも真っ直ぐに前だけを向いている。
強い輝きを放つ彼の黒茶色(セピアブラウン)の瞳が彼女には眩しく感じられた。
……不思議な人。
テティスは心の中で呟いた。
言葉では言い表せない不思議な引力を持っている人だと、そんな印象を目の前の騎士に対して抱いていた。
*
真夜中の中庭で偶然テティスに出会った話をすると、シェイドは珍しくその灰色(グレイ)の瞳を瞠り、少し硬い口調でペーレウスに確認をしてきた。
「お前、まさか彼女に妙な真似をしていないだろうな?」
「何でいきなりそういう話になるんだよ……オレはケダモノかっての」
ムスッとして言い返すと、シェイドは真面目な顔でこう続けた。
「若い男が真夜中に、夜着姿の美しい女性に遭遇したという話を聞けば、普通は心配するだろう」
そう言われると、確かにそうだなと思ってしまう。実際、ペーレウス自身も似たようなことをテティスに言ったのだ。
「まんま夜着だったわけじゃない、ちゃんと上掛けを羽織っていたよ。あれがなければヤバかったかもしんないけど……お前の心配するようなコトは何もしてない」
眉根を寄せて自らの潔白を訴えると、それを聞いたシェイドは小さく吹きだした。
「な、何だよ」
「くっ……馬鹿正直な奴だ」
笑われてしまったペーレウスは不機嫌な面持ちでシェイドをにらんだ。
「言ってろ。……けど、本当に綺麗な女性(ひと)だったな。間近で見て正直驚いた。誰が言ったか知らないけど、『月光花』ってピッタリだな」
「魅せられたか?」
笑みを含んだ声でシェイドが問う。ペーレウスは軽く口角を上げてそれに応じた。
「魅せられない男なんて、いるのかな? けど、ちょっと変わっているよな? テティスって」
「直接話したことがないから何とも言えんが、真夜中に一人、そんな姿で中庭に出ている辺り、変わっていると言えるんだろうな」
「だよなぁ……そういえば、テティスはお前のこと知っていたぞ」
そう言うと、シェイドは伏し目がちに涼やかな笑みを浮かべた。
「そうか? それは光栄だな」
「あと、オレとお前は似ているって言ってた」
それを聞いた途端、シェイドは打って変わって苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「私とお前が? 何だそれは……変わっているどころか、彼女は相当に感性がおかしいな」
「ぷっ! くくっ、だよなぁ、お前のその顔、テティスに見せてやりたいよ」
滅多に見れない友人の仏頂面に、腹を抱えてペーレウスは笑った。
*
王城には時々、魔物(モンスター)の対策に苦慮する町や村からの討伐要請が上がってくる。魔物(モンスター)ハンター等に直接依頼する財力を持たない小さな町村は、手続きの煩雑(はんざつ)さと多少の時間がかかることを鑑(かんが)みても、討伐費用のかからない国に依頼をしてくるのだ。
国は嘆願書を吟味した上で、その実情に応じて必要な戦力を派遣する。近くであれば王城から、遠方の場合は各地に設けられている最寄の兵の駐屯所に勅命を出しその対策に当たらせている。
今回要請が上がってきたのは、王都の北東に位置するスワレという村からだった。王都から歩いて三日ほどの距離にある村だ。嘆願書によると、近くに大型の魔物が住み着き、周辺を荒らしているらしい。幸い村にはまだ被害が及んでいないとのことだったが、いつそれが村に及ぶか、住人達は気が気ではないようだった。
嘆願書に記されていた村人達の証言などから、この魔物はグルガーンと推測された。
グルガーンは体長五メートルほどの猫のような体躯をした双頭の魔物で、一方の頭からは火炎を吐き、もう一方からは吹雪を吐く。その背には翼があり、しなやかな尾の先には猛毒の針を忍ばせている。
グルガーンがこの辺りに出現するのは珍しい。手強い魔物だが、グルガーンは群れを作らず単体で行動する習性があった。
審議の結果、今回は騎士団から十名、魔導士団から五名が選出され送られることとなった。
「それで、明朝出立することになったの?」
翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳を瞬かせてテティスが尋ねた。ペーレウスは頷いて、澄み渡った夜空を見上げた。
「あぁ。騎士団に入ってから初めての仕事らしい仕事だ。腕が鳴るな。シェイドも一緒なんだ」
-----ペーレウスが入城してから半年。
満月の夜にこうして逢瀬を重ねるのが、いつしか二人の間では習慣のようになっていた。
「そう、シェイドも……。気を付けてね。手強い魔物なんでしょう?」
「まぁ……。でも単体だし、人数的には多すぎるくらいだと思うよ。実際、今回はヒヨッコに実戦経験を積ませる意味合いが大きいらしいんだ。オレとシェイドは魔物討伐に初参加だし、他のメンバーを見ても指揮官以外は入団三年以下の連中ばかりだ」
「そうなの……」
噴水の縁にペーレウスと並んで座っていたテティスはつと立ち上がり、彼の目の前に立った。何事かと見上げるペーレウスにそっと微笑みかけ、彼の額の上に手をかざす。
「神官として、貴方の無事の帰還を願う祈りを捧げるわ」
「え?」
「魔物討伐に限らず、出立前は大聖堂で神官の祈りを受けるのが決まりでしょう? でも、そこに特務神官であるわたしはいないから……今、個人的に貴方の無事を祈らせて」
思いがけないテティスからの申し出に、ペーレウスは頬を緩めた。
「……ありがとう。喜んで」
満月を背負ったテティスは、相変わらず夜着の上に上掛けを羽織っただけの無用心極まりない装いだったが、その姿は月の女神のように神々しく、美しく-----ひどく神聖なものに見えた。
「目を閉じて-----」
その声に導かれるまま瞼を閉じたペーレウスの耳に、テティスの祈りの言葉が流れ込んでくる。透き通るようなその声は、まるで何かの調べのように涼やかな噴水の音(ね)と融和して、静寂に包まれた夜の庭に響き、消えていく。
夜風に乗って緩やかに舞うアマス色の髪が時折柔らかくペーレウスの頬をなで、それに付随するように、花のような彼女の香りが鼻先をかすめていく。
それはどこか神秘的で、少しだけ胸が切なくなるような時間-----ペーレウスの中で、不思議な旋律が奏でられたひと時だった。
満月の明りの下、ひと通りの祈りの言葉を唱え終わったテティスは、ペーレウスの額にそっと口付けを落とした。
温かく、柔らかな感触-----瞼を押し上げたペーレウスの視線の先には、吸い込まれそうな輝きを放つ翠緑玉色(エメラルドグリーン)の双眸があった。
その瞬間、ドクン、と自らの鼓動が高鳴る音を彼は耳にした。
「貴方に、神のご加護がありますように」
ふわり、とテティスが微笑む。
その細腰を抱き寄せたくなる衝動を、ペーレウスはかろうじて堪(こら)えた。とどまったのは、穢れのない神聖な存在を冒涜(ぼうとく)してしまうような背徳感からだった。
「……ありがとう」
瞳を伏せ密かに呼吸を整えてから、ペーレウスはテティスに礼を言った。自分の心が月の魔力に囚われたことを、この時彼は自覚した。
そんなペーレウスの心中など知るはずもなく、テティスは神官として話しかけてくる。
「貴方の友人にも祈りを捧げたいところだけど、そういうわけにもいかないものね」
嫌だな、とペーレウスは思った。例えシェイドでも、他の男の額に彼女の唇の感触など残したくない。
「あ……そうだわ」
テティスが上掛けのポケットを探り始めた。
「あぁ良かった……丁度ふたつ」
そう言って彼女が取り出したのは、小指の先ほどの大きさの月長石の欠片だった。
「あげるわ……貴方と、シェイドに。お守りにして」
差し出された彼女の掌で、乳白色の半透明の石がふたつ輝いている。
「わたし、この石を自分の宿命石にしているの」
「宿命石?」
「そう。自分のチカラの源とする石……多くの神官は宿命石を定め、自分の目指す方向性の指針としているのよ。そして、それに向かって精進するの。この石には心の闇を照らし出す力、そして希望を育む力があるとされているの。それに、旅人を災いから守る石とも言われているのよ」
ペーレウスは受け取った月長石の欠片を見つめた。月明りを浴びて淡く煌く、まるで月の雫のようなその石は、テティスの分身のように思えた。
「ありがとう、もらってく。シェイドもきっと喜ぶよ」
「ふふ、どうかしら。ろくに話したこともない女からの贈り物なんて、彼、眉をひそめるかもしれないけど」
それぞれの所属が全く異なる三人は、通常の生活をしている限り、偶然顔を合わせる機会などないに等しかった。ペーレウスとシェイドはまだ仕事が重なる部分もあるが、テティスにいたっては重なることなど有り得ない。
そんな理由から、シェイドとテティスはペーレウスを通じて互いの話を聞いてはいるものの、本人同士は未だに直接話をしたことがないという奇妙な関係になっていた。
「この任務が終わって帰ってきたら、どこかで示し合わせて三人で会おう。きっと面白いぜ」
ペーレウスのその提案にテティスは身を乗り出した。
「本当? 楽しみね。その為にも、絶対に無事で帰ってきてね」
「あぁ、大丈夫。特務神官の加護も受けたし、お守りももらったし……無事に帰ってくるよ」
「……。待っているわ」
テティスとそう約束を交わした数時間後、身支度を整えたペーレウスはシェイドらと共に大聖堂で神官の祈りを受けていた。
旅立つ者達に祈りの言葉を捧げているのは、体格のいい中年の男性神官だ。
この後、アイツからのキスを額に受けないといけないのか……。
ペーレウスはげんなりしながらそれを覚悟していたのだが、祈りを捧げ終わった男性神官は神の加護を口にした後はいかめしい顔をしてペーレウス達を見送るだけで、その行為には及ばなかった。
ペーレウスは拍子抜けしたのだが、周りのシェイド達の反応はいたって普通だ。内心一人で首を傾げていると、それに気付いたシェイドが声をかけてきた。
「どうした? 妙な顔をして」
「いや……神官の祈りを受けた後って、額にキスを受けるモンなんじゃないのか?」
するとシェイドは訝しげな表情になり、片眉を跳ね上げてみせた。
「……何だ、それは」
「違うのか?」
昨夜テティスがそうしたから、てっきりそういうものなのだろうとペーレウスは思っていたのだが、このシェイドの反応を見る限り、そういうわけではないらしい。
「そんな決まりがあったら、今回はまだしも何千何万という兵が出兵する時はどうするんだ。神官の口が腫れあがってしまうぞ。それに、我々としてもそんな気色悪い慣習はごめんだ」
なら、テティスは何故額にキスなどしてきたのだろう。友人としての親しみを込めて、だろうか?
「それもそうだな……まぁいいや。あ、そうそう、お前に渡すものがあったんだよ」
ペーレウスはあいまいにそう言いながら、テティスから預かったシェイドの分の月長石の欠片を彼に手渡した。
「これは……月長石か? どうしたんだ?」
シェイドが気難しげな顔をして、ペーレウスから受け取ったそれを見やる。
「テティスからもらったんだよ。オレとお前に、って。この石、旅人を守る力があるって言われてるんだってな」
自分の分の月長石をシェイドに見せながらそう説明すると、何かを察した様子の彼はくっと笑って、怜悧(れいり)な瞳をペーレウスに向けた。
「……だから先程の質問に至ったわけだな」
「は?」
「テティスは今回の出立をいつ知ったんだ?」
「え? 多分、昨日じゃないかな? 決まったのが急だったし、オレが話すまでは知らない感じだったよ」
するとシェイドは大げさにほう、と呟いて、意味ありげにペーレウスを見た。
「なのに偶然、こいつを二つ持っていた?」
「この石、彼女の宿命石なんだってさ。神官なんだし、別に変じゃないだろ?」
「-----お前、こいつの石言葉を知っているのか?」
「石言葉? えーと……心の闇を照らし出すとか、希望を育むとか、そういうようなことか?」
テティスの言っていた言葉を思い出しながらたどたどしくそれを口にすると、シェイドは唇の端を上げて、ペーレウスに顔を近づけ、その胸に指を突きつけた。
「いいことを教えてやろう、色男。無事に帰ってこれたら、この石が持つもうひとつの意味を調べてみるんだな」
「は? もうひとつのって何だよ、んな言われ方したら気になるだろーが! 教えろよ」
「はん、教える気にもなれんな」
バカにしたようにひとつ鼻を鳴らし、シェイドは月長石の欠片を灰色の長衣(ローヴ)の胸元にしまいこんだ。
釈然としないながらも、ペーレウスは結局シェイドからそれを聞きだすことが出来ず、疑問の解消はお預けとなった。
この石の持つもうひとつの意味を知った時、ペーレウスはひどく驚くことになるのだが、それはまた後日の話である-----。