幕間U〜鋼の騎士〜

異才の両翼


 四翼天セルジュの率いる魔物(モンスター)の襲来から四日後の朝。

 ドヴァーフ城の貴賓室で、レイドリック王はあたし達を前にして、『紅焔(こうえん)の動乱』に隠された“もうひとつの真実”を語り始めた。

 それは、十年前にアキレウスがレイドリック王と交わしていた約束-----『鋼の騎士』と謳われた彼の父ペーレウスの死にまつわる真相だった。

「少年時代の私には、尊敬する二人の人物がいた。それは父オレインの時代に騎士団長を務めていた鋼の騎士ペーレウスと、魔導士団長を務めていた賢者シェイドだ……。『オレインの異才の両翼』と称された両雄は、共に私に護身術と魔法を指南する師でもあった」


 賢者シェイド……。


 初めて耳にする名前だった。けれど、その名を耳にした瞬間、アキレウスの身体がわずかだけど強張ったことにあたしは気付いた。

 アキレウスのお父さんと肩を並べる要職に就いていた人-----レイドリック王の背後に控えるエレーンとオルティスのように、きっと二人は先代のオレイン王を支え、守っていたのに違いない。

「明朗で実直な人柄のペーレウスに対し、シェイドは物静かで理知的な人物だった。見た目には正反対とも思える二人だったが、その芯の部分は非常に良く似ていた。歳が近いこともあり、二人は入城した頃からの親友同士だったと聞いている……」



*



 その日、ドヴァーフ城内は朝から異様なざわめきを見せていた。

「-----いよいよ今日らしいな」
「あぁ、とうとう入城するそうだ」
「陛下もまったく酔狂なことを……ドヴァーフ史上に残る汚点にならねばいいが」

 そんな好意の欠片もない声があちらこちらから囁かれる中、半年前に入城を果たしたばかりの賢者シェイドは、一人だけいつもと変わらぬ様子で城内を闊歩(かっぽ)していた。

 妙なエリート意識丸出しの、馬鹿者達の噂話が耳に煩(わずら)わしい。

 彼らの話題に上っているのは、今日から騎士団の一員として入城する、平民出の魔力を持たない新参者の青年だった。

 ふた月ほど前に催された五年に一度執り行われる国王主催の剣術大会で、騎士団に所属する若手の騎士や貴族の私兵を打ち破り、一般国民の、しかも魔力も持たない青年が優勝してしまったのだ。

 この剣術大会の出場資格に魔力の有無を問う規定はなかったが、殺傷力のない魔法-----例えば麻痺や睡眠といった効果を促すもの等-----を使うことは公式ルールで認められている為、魔法を使えない者には圧倒的に不利な条件であると言える。

 そんな中で、渦中の青年は優勝候補と目されていた並居る強豪を次々と撃破し、圧倒的な強さで栄冠を手にしてしまったのだ。魔力を持たぬ者の優勝は、剣術大会が始まって以来、ドヴァーフ史上初の出来事だった。

 その一部始終を観覧していた国王オレインはこの青年の剣技の腕にいたく惚れこみ、騎士団に引き抜いたのである。これは大変なことだった。

 魔法王国と謳われるドヴァーフでは、国民の約四割が魔力を持って生まれてくると言われている。それ故、王城に勤める者は騎士や兵士はもちろん、侍女や庭師にいたるまで魔法を使えることが大前提で、古い歴史を紐解いてみても、魔力を持たぬ者が騎士団に入団したという前例はない。

 国王オレインは良く言えば革新的で、悪く言えば変わり者だった。古くからのしきたりや固定観念に囚われることなく、良いと思ったものを積極的に取り入れる。その為、歴史に重きを置き慣例を重視する古参の臣下達の中には、国王の所業に天を仰ぐ者も少なくはなかった。

 -----気の毒に。

 何も知らずに入城してくるだろう新米騎士のことを思いながら、シェイドはいわれのない中傷渦巻く城内を歩き続ける。

 今回の国王の取り計らいについては彼は賛成だった。優れた人材を採用して、いったい何が悪いのか。

 そもそも魔力の有無で優劣をつけること自体、悪習だとシェイドは思っている。魔法が使えるに越したことはないだろうが、だからといって、魔法を使えない者が魔法を使える者に劣っているとは思わない。

 結局は個人の資質に尽きると、そう思うのだ。

 城内にいる者の多くはエリート意識の塊だ。出世することしか頭にないような、どうしようもない連中が多い。涼しい顔で会話を交わしながら、常に互いの腹を探り合い、裏ではいかに他者を出し抜くかの算段に余念がないのだ。

 そんな彼らは自らを神に愛され選ばれた民である『選民』と位置づけ、魔力を持たずに生まれた民衆のことを『愚民』と言って蔑んでいる。

 国王直々に引き抜かれた異端の青年は、間違いなく理不尽な攻撃の対象となってしまうことだろう。ここには自慢の私兵が剣術大会で敗られて憤っている貴族もいるし、彼が入団することになる騎士団には実際に手を合わせて敗れた者もいるのだ。

 嫉妬と欺瞞(ぎまん)の渦巻くこんな場所で、果たして彼は、どのくらい耐えることが出来るのだろうか。



*



 午前の業務を昼過ぎに終え遅い昼食を取ろうと食堂に向かっていたシェイドは、諍(いさか)う声を耳にしてふと足を止めた。

 声はどうやら裏庭の方から聞こえてくるようだ。

「-----貴様はこの私をバカにしているのか!」
「バカになど。その言い方はおかしいのではないか、と提言しているだけです」
「その態度がバカにしている、と言っているのだ!」

 声のする方へ足を進めると、一人の青年を三人の騎士が取り囲むようにして罵声を浴びせているところだった。

「魔力も持たぬ愚民風情が……! 陛下のご厚情で騎士団に入ったからといって、調子に乗るなよ! ここでは誰も貴様のことなど歓迎していない! 不幸な事故が起こらぬうちに、さっさとふさわしい場所へ逃げ帰るんだな!」

 シェイドは切れ長の瞳を微かに細めた。

 では、この青年が件(くだん)の新米騎士か。

 長身の青年に指を突きつけて脅しているのは、確か馬鹿な貴族の三男坊だ。

 それまで殊勝に対話の姿勢をとっていた青年は、話が通じる相手ではないと見て取ったのか口元に皮肉げな笑みを刻むと、挑戦的な言葉を返した。

「少なくとも貴方に歓迎されていないのはよく分かりました。では、そこをどいていただけませんか? “不幸な事故”が起こらないうちに」

 不穏な空気をシェイドは感じ取った。

 -----まずい。

 馬鹿な貴族の三男坊、と彼が揶揄する大柄な騎士の目に激しい怒りが灯り、その手が剣の柄にかかろうとした時、シェイドは声を上げて彼らの前に進み出ていた。

「お待ち下さい」

 男達の目が一斉にシェイドに注がれる。

「何だ、貴様は!」

 激情のままに怒鳴りつける、いかつい顔つきの三男坊に傍らの騎士が慌てて耳打ちした。

「ブリリアン様、まずいです。この方は宰相ランカート様の-----」

 それを聞いたブリリアンと呼ばれた騎士は、面白くなさそうに顔を歪めひとつ舌打ちをすると、怒りにたぎる目を生意気な新米騎士に向け、捨て台詞を吐いた。

「不幸な事故が起きずに済んで良かったな」

 そしてシェイドを一瞥すると、仲間の騎士達を伴って憤然とその場を後にした。

「……どうも。助かりました」

 ブリリアン達の背中を見送っていたシェイドは、その声でゆっくりと後ろの新米騎士を振り返った。

「その台詞は、本来なら彼らが言うべきものだろう。もっとも本人達にはその自覚すらなかったようだが-----こうして割って入らなければ、私は三人の騎士の“不幸な事故”の目撃者になっていただろうからな」

 そう返された新米騎士はそれを否定せず、苦笑してみせた。

「まぁ……向こうが先に手を出してきたら、ですがね」

 やはり、とシェイドは吐息をついた。止めて正解だった。

「ブリリアンと呼ばれていたあの騎士はロイド公爵という有力貴族の三男坊でね、揉めると後々面倒だ……気を付けた方がいい」
「心に留めておきます。私的にも、揉め事は極力避けたいと思っているんですが……かと言って、降りかかってくる火の粉をそのままかぶる気はありませんので」

 しれっとした彼の物言いに、シェイドは少し頬を緩めた。

「なかなかの強心臓の持ち主だな」
「らしいですね、よく言われます」
「あぁ、敬語は使わなくていいよ。私もつい半年前に入城したばかりの若輩者だ」

 そう言うと、新米騎士は少しだけ困ったような顔をした。

「でも……偉い方のご子息、なんですよね?」
「私の父は現宰相のランカートだ。だが父は父、私は私だ。混同されるのは好きじゃない」

 それはシェイドの本心だった。今の彼にとってランカートの名は邪魔で重い存在でしかなかった。

 ランカート家は古い歴史を誇る、ドヴァーフでも有数の由緒正しい大貴族だ。そのランカートの名に隙あらば取り入ろうとする『選民』達を物心ついた頃から見てきたシェイドには、彼らにとって自分が“ランカート家の嫡男”という存在以外の何物でもないのだと、嫌というほど認識させられていた。

 幼い頃から、彼は『ただのシェイド』として扱われたことがない。たまたま知り合い仲良くなれたと思った者達も、シェイドの家柄を知った途端普通に接してはくれなくなってしまうのだ。その為、無駄な知り合いばかりが多く一人の友人もいないというのがシェイドの現状だった。

 ランカートの栄光は祖先達が築いてきたもので、シェイド自身はまだ何も為(な)していないというのに。

 なのに周りの者は皆、自分を通してランカートの威光を見ているのだ。

 それを腹立たしく思う反面、その家の名にしばしば助けられてしまうことがあるのもまた事実-----その現実がシェイドには歯がゆく、苛立たしい。

 シェイドはいつからか、自身の家柄に対して強い反発心にも似た思いを抱くようになっていた。

 そんなシェイドの心中を知るはずもない目の前の新米騎士は、心なしか楽しそうな表情になると、肩の力を抜いて彼に話しかけてきた。

「そっか。じゃ、敬語は使わないよ。見たトコ、歳はおんなじくらいかな? 名乗るのが遅れたけど、オレはペーレウス。歳は19だ。その様子じゃ知ってるみたいだけど、今日初めて入城した新米騎士だ。ヨロシクな」

 屈託のない笑顔で肩を叩かれて、シェイドは少し戸惑った。こんなにも自然に、親しみを込めて人から接されたのは初めてだった。

「あ、あぁ……私はシェイド。歳は20だ。魔導士団に所属している賢者だ。宜しく」
「へぇ、賢者か! スゴいな」

 ペーレウスは素直に感嘆の声を上げ、シェイドに笑いかけた。

「何かオレ達、見た目も性格も正反対っぽいけど、仲良く出来たらいいな」

 そう言われて、シェイドは改めて同じくらいの目線の高さにいる相手を見やった。

 ペーレウスは精悍な顔立ちで、日焼けした健康的な肌の色をしている。そして衣服の上からも剣士らしく筋肉質で引き締まった肉体をしているのが分かった。

 黒茶色(セピアブラウン)のクセのないつややかな髪に、その前髪の下で強い輝きを放つ同色の瞳。今は穏やかにシェイドを見つめているこの瞳が、一触即発のあの時、野生の獣のような鋭さを帯びたのをシェイドは見逃さなかった。

 それを見た瞬間、言い知れぬ戦慄めいたものが身体の奥底に走ったのをシェイドは感じた。ブリリアン達との格の違いは明らかだった。だからこそ、止めに入ったのだ。

 そのシェイドは理知的で秀麗と言える容貌をしていた。肌の色は白く、ゆったりと纏った灰色の長衣(ローヴ)の下の肉体は引き締まってはいるが、戦士であるペーレウスのように筋肉質なものではなく、どちらかといえば細身の部類に入る。

 銀に近い長めの灰色の髪をリボンでひとつに結わえて後ろに流し、すっきりとした印象の灰色(グレイ)の瞳は怜悧(れいり)な光を湛えていた。

 なるほど、確かに自分達の見た目は正反対と言える。彼の言うように、おそらくは性格的にもそうと言えるのだろう。

 だが、シェイドは目の前の新米騎士の青年に、えも言われぬ興味と好感とを持った。

 入城初日にあのようなことがあったにも関わらず、まるで臆した様子もなく実に堂々としている。宰相を父に持つ自分に対しても物怖じせず、言葉通り受け入れて親近感を持って接してくる。

 -----この青年が魑魅魍魎の跋扈(ばっこ)するこの場所でどこまでやれるのか、見てみたい。

「昼食は済んでいるのか? ペーレウス」

 そう尋ねると、ペーレウスは溜め息混じりに首を振った。

「いや、まだだ。昼食って食堂か何かがあってそこで食べるのか? 今はまだろくに城内も案内してもらっていなくてさ」
「そうか。では一緒に昼食を取りに行こう。その後で私が城内を案内してやるよ」
「ホントか!? 助かったー」

 ホッとした笑顔をもらすペーレウスにつられて、シェイドも少し微笑んだ。

「では行こうか」
「ああ、ヨロシク!」

 連れ立って、二人は歩き始めた。これが後に『オレインの異才の両翼』と称されることになる、一人の騎士と賢者との出会いだった。



*



「はぁー、疲れたー」

 ぐったりと、つんのめるようにして屋上の柵にもたれかかったペーレウスを見やりながら、シェイドが不思議そうに尋ねた。

「体力馬鹿のお前がどうしたんだ? まだ昼だぞ」

 -----ペーレウスが入城してから三ヶ月。

 騎士団と魔道士団という所属の違いはあったが、何となく馬が合う二人は休憩時間を一緒に過ごすことが多くなっていた。

「いくら体力バカのオレでも限界ってモンがあるんだよ。ったくブリリアンのヤロー……」

 ぶつくさと呟きながらペーレウスは柵にかけた両腕を交差させ、その手首の上に顎を乗せながら、瞳を閉じて吹きつける風に当たっている。どうやら本当に疲れているようだ。

 やはりと言うべきか、あの一件以来ペーレウスはブリリアンに目を付けられてしまったらしく、ことあるごとに彼に嫌がらせを受けているらしかった。新米騎士は総じて雑用を任せられるものだが、話を聞いていると、どうやらペーレウスには人の倍の雑用が言いつけられているらしい。

 そんな状況に最初はかなり苦労したらしいが、ペーレウスは仕事の飲み込みが早く、手際も良かった。最近では一人で二人分の仕事を難なくこなせるまでになってきているらしい。任された仕事は全てぬかりなく、最初は彼を色眼鏡で見ていた上長も次第にその働きぶりを認め、評価を上げてきているとのもっぱらの評判だった。

 ペーレウスはその存在の異質さ故に常に城内の注目を集めている。その為、彼に関する噂は良くも悪くも広がるのが早かった。

 ブリリアンはそれが気に入らず、また難癖をつけてきたのだろう。

「体力を回復させてやろうか?」

 シェイドがそう言うと、案の定ペーレウスは首を振った。

「いいよ。何かアイツに負けるみたいでイヤだ」

 予想通りのその回答にシェイドは笑った。

 この三ヶ月の間にシェイドにはペーレウスという男がだんだんと分かってきていた。まったく、呆れるくらい負けず嫌いな上に真っ直ぐな男なのだ。

 屋上には今、二人の他に誰もいない。ここでシェイドがペーレウスの体力を回復させたところで、ブリリアンがそれを知ることはないだろうに。

「あー……あそこって何なんだっけ」

 柵に肘をかけたまま、ぼんやりと地上を眺めていたペーレウスが呟いた。彼の見つめるそこには、意図的に植樹された木々に囲まれた一画があった。

 ここからでは見えないが、そのエリアの周囲には強力な結界が張り巡らされ、重装備に身を固めた兵士達が配置されたその奥に、物々しい法印の施された重厚な扉があることをシェイドは知っていた。

「あぁ……あそこにはこの城の秘宝を祀る封印の間へと続く入口がある。我々のような一介の魔導士や騎士では立ち入ることの出来ない聖域さ。立ち入りが許されるのは王家の者と秘宝を清める役目を負った神官達だけで、私の父でもあそこには入れない」
「へぇ……秘宝? 王城、ってカンジだなー。やっぱそういうのってあるんだな」

 無邪気にそう言うペーレウスをシェイドは呆れた顔で見やり、溜め息をついた。

「お前……もしかして、何も聞かされていないのか?」
「うん?」
「お前はこの国の騎士だろう。有事の際、秘宝を守れなくてどうするんだ。普通は入団した際、情報の秘匿(ひとく)の誓約書を書かされた上で上長から説明を受けることになっているはずだぞ」

 それを聞いたペーレウスは黒茶色(セピアブラウン)の瞳を大きく瞠り、怒りの声を上げた。

「はぁ!? 何だ、それ! 聞いてねぇぞ!!」
「……お前、本当に不遇されているんだな」
「しみじみ言うなよ」

 ペーレウスは口を尖らせて、むっつりとその場所へ視線を戻した。

「で……何なんだよ、その秘宝って」
「ドヴァーフ王家に代々伝わる古(いにしえ)の黒水晶さ。名を『真実の眼』という」
「真実の眼……」

 シェイドは簡潔にそれを説明した。

「真実の眼は、この世のあらゆる真実を飲み込み、それを己の中に映し出す神器なのだそうだ。それを手にした者には、全ての真実が見えるのだと伝えられている。……だが、真実というものは美しいものばかりではない。真実の眼はそれにまつわる邪気をも飲み込み、当初は透き通るような美しい色合いだったものが次第に黒く変化していき、やがて漆黒の色彩を纏うようになったのだと言われている」
「ふぅん……」

 鼻を鳴らしながら、ペーレウスは隣に立つシェイドの秀麗な顔を見やった。

「真実の眼からはその邪気が溢れ、触れた者を次々と狂わせた。その為、この城の地下深くに封じられることとなり、その邪気を浄化する為、選ばれた神官達が現在も毎日祈りを捧げているんだ」
「へー……何かピンとこないなぁ」
「まぁ……私も実際に見たことがあるわけではないからな」

 シェイドがそう言った時だった。意図的に植樹された木々に囲まれた一画に変化が起こった。

「お? 人が出てきたぞ……」
「あぁ……浄化の祈りを捧げ終えた神官達だろう」
「……。何か、珍しい色の髪をした人がいるな……」
「? そうか……?」

 シェイドは瞳を細めて地上を見やったが、ペーレウスがどの人物を差してそう言っているのかが分からない。彼が見る限り、そんなに珍しい色合いの髪の持ち主は見当たらないように思えた。

「綺麗な色だな……月光を紡いだみたいだ」

 ペーレウスがもらしたその言葉で、シェイドには彼が見つめる人物が誰なのかが分かった。

「……アマス色、というんだ」
「アマス色……」
「まったく……どういう目をしているんだ、お前。こんな位置からじゃ普通は金色なんかと混同して見極められないぞ」

 屋上から見下ろす人影はかなりの小ささだ。よほど奇をてらったような色彩でもない限り、ここから見分けることは難しい。

 半ば呆れ口調のシェイドに、ペーレウスは誇らしげに胸を張った。

「目はいいんだ」
「良すぎだろう」
「っつーか、何でシェイドにはオレが見てる人の髪がアマス色だって分かったんだよ」

 ペーレウスがそう尋ねるとシェイドはもっともらしく答えを返した。

「お前が月光を紡いだような色だと言ったからだ。その色の髪を持つ神官に心当たりがあった」
「ふーん、お前の知り合い?」
「いや、彼女はお前に劣らずちょっとした有名人でね……城内にいる者なら誰でも知っている」
「いろんな意味でイヤな言い方だな……オレは知らなかったぞ」

 シェイドを軽くにらみながらも、ペーレウスはその人物に興味を持ったようだった。

「で、“彼女”はどうして有名なんだ?」
「彼女の場合はその桁外れの能力の高さと、髪の色から『月光花』と称されるほど飛び抜けて美しい容姿によるところが大きいな。才色兼備、という言葉がこれほど当てはまる女性はそうはいないだろう」
「へぇ……」

 ペーレウスは相槌を打ちながら、シェイドのその言葉を少々意外に思った。それが顔に出たらしい。

「どうした? 妙な顔をして」

 すかさずシェイドに突っ込まれ、ペーレウスはやや口ごもりながら答えた。

「いや……何つーか、ちょっと意外だと思って。お前でも女性をほめたりするんだな」

 するとシェイドはムッとした顔になった。

「何だそれは。人を男尊女卑の差別主義者のように言うな」
「や、そういう意味じゃなくて。お前の口から女性の話を聞くこと自体あんまなかったし、お前って自分にも他人にも厳しそうなイメージがあるからさ。単純に珍しいと思って」

 ペーレウスにそう言われてしまったシェイドは少々傷付いたようだった。

「お前は私を何らかの感情が欠如した欠陥人間だと思っているのか? 然るべき評価の出来る人間にはそれなりの評価をするさ。その対象が少ないだけだ」
「悪い意味で言ったわけじゃねーよ、お前を欠陥人間だなんて思っちゃいない。深く考えすぎるなって」

 ペーレウスにそういなされ、シェイドはむっつりと口をつぐんだ。裏も表もないこの男が悪意を持って言ったわけではないことはよく分かっている。

 これ以上この論争をしても意味はない、そう悟って、シェイドは会話を元に戻した。

「彼女の名はテティス……秘宝の浄化を任ぜられた特務神官にして最高位の白魔法を極めた白魔導士だ」
「テティス……か」

 その名を呟いて、ペーレウスは地上を移動する彼女に視線を注いだ。屋上から二人の男に見つめられているとも知らず、白い法衣に身を包んだテティスは腰まである長いアマス色の髪をひらめかせ、ゆっくりと歩いている。

「特務神官で最高位の白魔法を極めた白魔導士、か。魔法に縁のないオレにはよく分からないけど、スゴいコトなんだろうな。なぁ、魔法を使えるのってどんなカンジ?」

 ペーレウスにそう問われ、シェイドは苦笑気味にこう答えた。

「その質問は、私がお前に『自在に剣を操れるというのはどんな感じだ?』と聞いているようなものだぞ」

 それを聞いたペーレウスは声を立てて笑った。

「はは、そっか。そういうコトか」



*



 ペーレウスの剣の稽古は、月が中天に上る頃に行われる。

 騎士団の宿舎の傍らにある広場でただ一人、無心に剣を振りかざし汗を流す。

 昼間は大勢の騎士達がここで剣の稽古をしているのだが、その時間、雑務に追われている彼にはそれがかなわない。

 入団が一年未満のいわゆる“新米騎士”と呼ばれる者はペーレウスの他にも何人かいたが、彼らは皆それなりの家柄の者で、庶民でしかも魔力を持たないペーレウスとは始めから扱いが違っていた。

 その上ペーレウスは有力貴族の三男坊であるブリリアンににらまれてしまっている。

 ロイド家はそれなりの歴史を誇るなかなかの名家らしく、ブリリアンの父ロイド公爵は内政関係の要職に就き、二人の兄達もそれぞれ城内に勤めているという話だった。ブリリアン自身は騎士団に入団して三年目、剣の腕はそこそこで他の者に比べて決して秀でているというわけではなかったが、家柄を背景にその態度は入団三年目とは思えないほど尊大だった。

 先輩騎士達はそれを苦々しく思いながらも、ロイド家の威光に脅え厳しく諫めることが出来ずにいるような現状だ。

 偶然だが、宰相ランカートを父に持つシェイドと親しくなれたのはペーレウスにとって幸運だった。これがなければ、ブリリアンの彼に対する嫌がらせは今のようなものでは済まなかっただろう。

「長剣は何となくしっくりこないな……」

 支給の剣を握っていた手を下ろし、そんなことを呟きながらペーレウスはひとつ息をついた。

 騎士の標準装備は銀色の全身鎧(バトルスーツ)にドヴァーフの紋章をあしらった金属製の盾、それに鋼の長剣で、入城した後にこの三点をペーレウスも賜ったのだが、元々大剣を得意としていた彼はそれに比べるとさほど長剣は得意ではなかった。

 武器の扱いは人によって得意とするものが異なる為、式典など公式行事に参列する時を除いては好きな武器を使用して良いとされていたが、もちろん基本となる長剣をある程度扱えなくては話にならない。

 それに実際のところ、騎士のほとんどは長剣を愛用していた。片手で扱える長剣は盾を使用することが可能な為、攻守のバランスが一番優れているのだ。

「オレはやっぱ、大剣だな……この重み、しっくりくる」

 長剣から愛用の大剣へと持ち替え、ペーレウスはしばらくの間再び汗を流した。この大剣は彼が元々使っていたもので、入城する時に持ち込んだものだ。

 大剣は長剣に比べて長さも幅もあり、重量もある為、片手では扱えない。その為盾が使えなくなってしまうのだが、その分攻撃力は増す。

 ペーレウスにはこの方が性に合っていた。敵の攻撃を受ける前に一撃で敵を倒す、これが彼の基本的な戦い方だった。

「ふぅ……」

 身体が心地良い疲労感に包まれる頃、ペーレウスは額の汗を拭いながら天空の月を仰いだ。今晩は満月だ。

 シャワーで汗を流してもう寝ようと思っていたのだが、思いの外(ほか)綺麗に見えた月夜に、何となく眠るのが惜しいような気になった。

 少し散歩でもして、身体の熱を抜いてから寝るか……。

 そう思った彼は王宮の中庭にある噴水を目指して歩き始めた。城の地下深くから汲み上げられているあの冷たい水で顔でも洗って、それから戻ってこよう。

 見上げる夜空は広く果てしなく、壮大だがどこか儚い美しさをも感じさせて、それを見るうちにペーレウスはどこか重かった自身の心がそこはかとなく癒されていくのを感じた。そんな自分に、彼は少々驚きを禁じえなかった。

 夜空を見て癒されるとは、どうやら自分は思った以上に疲れているらしい。この広大な空を眺めていると、日々の煩雑(はんざつ)さに翻弄されている自分の存在のちっぽけさを感じると同時に、それが取るに足りないくらいくだらないことであるように思えてきた。

 今の状況がキツくないって言ったらウソになるけど、シェイドとも知り合いになれたし、悪いことばっかじゃないからな……。

 噴水の涼やかな音が聞こえてきた。

 上空からそちらへと視線を下ろしたペーレウスは噴水の縁(へり)に誰かが座っていることに気が付いて足を止めた。

 誰だ? こんな時間に……。

 そう思った次の瞬間、その人物が長いアマス色の髪の持ち主であることに気が付き、ペーレウスは目を疑った。

 テティス……!?

 つい先日シェイドとの話題に上った、王宮の秘宝に関わる特務神官にして最高位の白魔法を極めた白魔導士-----『月光花』と称される人物。

 テティスもペーレウスの存在に気が付いて立ち上がった。

「誰……?」

 薄紅色の唇から、ふわり、と花がほころぶような声がこぼれる。



 満月の下、二人は距離を置いて向かい合った。

 この時はまだ、これが互いの運命を変える出会いであることも知らずに-----。
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