その傍らで、二人の少女が忙(せわ)しげに動いている。
「ガーネット、これでいい? もうちょっとお塩足した方がいいかな?」
「-----ん、これでいいと思うわよ。後はこのまましばらく煮込みましょ。オーロラ、こっち手伝って」
ローズダウンからアストレアへと向かう旅の途中-----大賢者シヴァ復活の任命を負った一行は、今夜は森の中でキャンプを張っていた。順調に行けば明日には国境を越え、アストレア最初の町に立ち寄ることが出来そうな距離である。
今日の食事当番はガーネットとオーロラだ。男性陣は焚き木集めと食材調達のひと仕事を終え、二人の作業を見守りつつ談笑している。
本日の食材はアキレウスが仕留めた兎と、パトロクロスが採取してきたキノコと食べられる野草、それに前の町で補給してきた根野菜の残りだ。
ガーネットは丁寧にさばいた兎の肉を包丁で叩いて粗いミンチ状にし、野草を細かく刻んだものと実家の薬店から持ってきた特製の薬草スパイス、それに塩コショウを混ぜ、粘りが出るまでこねて、用意しておいた平べったい大き目の木の串に適当な大きさに塗りつけていく。
見よう見まねでそれを手伝いながら、オーロラは石を重ねて作った即席の竈(かまど)にかけたままのキノコと残り野菜のスープが吹きこぼれないよう、時々目を配っている。
「遠火の強火でじっくり焼いて、肉汁が出てくるようになったら出来上がりよ」
ガーネットが出来上がった木の串を焚き火の近くに刺していくと、ほどなくして、辺りには何とも言えない香ばしい、食欲をそそる香りが立ち始めた。
「おぉー、ウマそー! たまんねー!」
「ホント、美味しそうー!」
「いい香りだな」
スパイスの効いた肉の焼ける匂いに空腹を刺激され、敏感に反応する仲間達を見やって、ガーネットは楽しそうに笑った。
「ふふっ、そろそろいい頃合かしら。オーロラ、今のうちにスープを盛っちゃいましょ」
「そうだね!」
各自のお碗にスープを盛り、焚き火を囲むようにして座して、一同は合掌した。
「いただきまーすっ」
湯気の立つ熱々の串肉にかぶりつくと、カリッと香ばしく焼けた表面の内側から、旨味の詰まった肉汁がジュワッと溢れ出てきた。
「うめー!」
「美味しーい!」
「これは絶品だ」
顔を輝かせる仲間達の反応に気を良くしながら、ガーネットは自らもひと口ミンチ肉の串焼きをほおばった。
うん、美味しい。臭みもなく、スパイスと塩が程良く効いていて、肉の旨味が良く出ている。合格点だ。
続いてオーロラの作ってくれたスープも口に含む。胃に優しい、まろやかな野菜の味わいが口の中に広がり、疲れた身体をじんわりと癒していってくれるような気がした。
「好評で良かった! スープもすごく美味しいわ」
「ホント!?」
「あぁ、スープもウマい! おかわり!」
アキレウスの差し出した空のお碗をオーロラが嬉しそうに受け取り、竈にかかったままの鍋へよそいに向かう。
「女性陣が食事当番の時はやはりいいな。ひと味違う」
しみじみと呟いたパトロクロス言葉に、アキレウスが大きく頷いた。
「だな!」
パトロクロスとアキレウスも料理が苦手な方ではないが、食材に対する手の掛け方や味付けの細やかさは、やはり女性陣には敵わないと思う。
特にガーネットは性格の豪快さとは裏腹に、料理や裁縫など女性らしいこまごまとしたものが得意で、共に旅をする内にそれを知ったパトロクロスはひどく意外な思いがしたものだった。
「基本はばあちゃんに教わったのよ。こんなご時世だし、いつ何があるか分からないからって。何も出来ないよりは何でも出来た方がいいでしょ?」
いつだったかガーネットは軽い口調でそんなことを語っていたのだが、それを聞いたパトロクロスは内心密かに感心したものだ。本人も相応の努力をしたからこそ今の彼女があるのであって、それは口で言うほど簡単なことではなかっただろう。
出会いからしてそうだったが、パトロクロスにとってガーネットはこれまでに遭遇したことのないタイプの人間だった。知れば知るほど新しい一面が見えてきて、その全容が掴めない。猫のようにくるくると表情を変え、自分の感情の赴くままに走る彼女の行動には予測がつかず、困ったことに毎度のように翻弄されてしまっている現状である。
パトロクロスにとって、ガーネットは未知の領域そのものだ。
だが、分かってきたこともある。
尊大で自信家だが、それ以上にガーネットは努力家なのだ。
*
翌日は順調に進み、昼過ぎには国境を越え、アストレア最初の町にたどり着くことが出来た。
必要物資を翌朝補給次第出立することにし、その日は旅の疲れを取る為、一行は早めに宿で休むことにした。
その為だろうか。
日の出間もなく、パトロクロスは自然と目を覚ましてしまった。薄いカーテン越しに夜明けの薄暗い光が差し込んでいるのが見える。二度寝をしようと瞼を閉じたものの寝付くことが出来ず、パトロクロスはややしてからあきらめたように身体を起こした。
隣のベッドでは同室のアキレウスがまだ心地良い寝息を立てている。
寝ておける時に寝溜めをしておきたいものだが、すっかり目が覚めてしまった。仕方がない。
アキレウスを起こしてしまわないよう、安宿の二階の部屋からカーテンを細く開けて窓の外を眺めていたパトロクロスは、自分以上に早起きのメンバーがいることに気が付いた。
ガーネットだ。
明るさを増し始めた日差しの中、魔導書を片手に宿の敷地内を散策していた彼女は、日当たりが良さそうな場所を見つけると、生い茂る草の上に腰を下ろして持っていた魔導書のページをめくり始めた。
朝食までの時間を多分に持て余すことになってしまったパトロクロスは、彼女に倣(なら)って朝の空気を吸いに行くことにした。
朝日を浴びて、肺に新鮮な空気を取り込んで、今日一日に備えよう。
*
「おはよう。早いんだな」
魔導書に目を落としていたガーネットは、耳に心地良い涼やかな声に顔を上げた。
声の主である淡い青(ブルー)の瞳をした青年がゆっくりとこちらに歩み寄ってくるのを見て、笑顔になる。
「あら、おはよう。パトロクロスこそ早いじゃない」
「本当はもう少し寝ていたかったんだが、昨日早く寝たせいか二度寝出来なくてな……」
「ふふっ、目が覚めちゃったの? あたしは短時間で集中してぐっすり眠れるタイプだから、朝はいつも割と早いのよ」
そう言いながらガーネットは膝に乗せていた魔導書をどかして、悪戯っぽく自分の太腿を叩いてみせた。
「何ならここで二度寝する? 乙女の膝枕、気持ちいいわよ〜」
「なッ……バカを言うな」
たちまち赤くなった顔を背けながら、パトロクロスはガーネットと少し距離を置いて腰を下ろした。
「遠慮しなくていいのにー」
「遠慮などしていないッ」
「もー、照れ屋さんなんだからー」
軽口を叩きながらガーネットが魔導書を膝の上に戻す。それを横目で見やりながら、パトロクロスはこの空気を変えようと、別の話題を振った。
「その本……確か、祖母から譲り受けたものなんだったな」
「ええ、そうよ。ばあちゃんからもらったの」
ガーネットは暇さえあれば、彼女の祖母から譲り受けた古びた魔道書を開いている。使い込まれた重厚な黒い外装のその本は、ガーネットにとって聖書(バイブル)のようなものだった。
「お前の祖母はどんな御仁なんだ? 父上とは古い知り合いという話だったが……」
「んー、ひと言で言うとパワフルなばあさんかしら。ものスゴく元気よー。旅行が趣味なんだけど、行く先々で色んなことに首を突っ込みたがるから、付き合わされる方は大変だと思うわ」
「……。確か、今は弟子達とドヴァーフへ旅行に行っているんだったな……」
「そうなのよ。みんなお気の毒よねー」
ガーネットも充分パワフルだと思うのだが、その彼女にこんな言い方をされてしまう彼女の祖母とは、いったいどんな人物なのだろう。
こちらから振った話だが、それを聞いたが為にパトロクロスの中での彼女の祖母像はますます混迷を深めたものとなってしまった。これ以上を聞くのは何となく恐ろしい気がして、そっと心の中で見も知らぬ弟子達に同情する。
「まぁでも、何だかんだ言って尊敬はしているんだけどさ。あたしに色んなこと教えてくれたのはばあちゃんだし、こうしてパトロクロスと巡り合えたのもばあちゃんのおかげだしねっ」
語尾を上げ、ガーネットが微妙にすり寄ってくる。警戒感を覚えて自然と上体をそらし気味になったパトロクロスの瞳を覗き込み、ガーネットは興味津々の表情で尋ねた。
「ねっ、パトロクロスは女の人が苦手じゃない? 心の準備さえしておけば手を握るくらいは平気になったって言っていたけど、具体的にはどの程度までなら大丈夫なの?」
「なっ、何だ突然……」
嫌な予感に逃げ腰になるパトロクロスの機先を制し、ガーネットはこんな提案をした。
「二人の未来の為には大切なことじゃない。いい機会だし、確かめてみましょ!」
「はぁッ!?」
「よーし、まずは距離!」
反論する暇すら与えられず、ガーネットがずいっと近づいてくる。肩が触れる直前というところまでにじり寄られ、至近距離からきらきらと輝く瞳で見上げられて、パトロクロスは硬直した。
「う……」
ごくりと息を飲み、為す術なくガーネットの整った顔を見下ろす。
しばし無言のまま見つめ合う時間が続いた。すると徐々に落ち着き始めた自分にパトロクロスは気が付いた。妙な汗をかき、顔が赤くなっている自覚はあるが、この程度ならまぁ大丈夫と言えるだろう。
「じゃあ次は、肩が触れる程度にくっつくわよ」
今度はそう前置きをして、ガーネットは言葉通り肩が触れる程度にパトクロスの傍らに寄り添った。
どうやらガーネットは真剣にパトロクロスの現状を見極めようとしているらしい。
それが感じられたのと心の準備が整ったこともあって、完全な事後承諾ながらパトロクロスはこの実験に付き合う肚(はら)を決めた。
真剣にやってもらえるのであれば、自分にとってもメリットがある試みではある。
実際に肩が触れると、服越しに相手の体温が伝わってきてどうにも落ち着かなくなった。自分と同じ安宿の石鹸の香りに混じって、ガーネットの微かな香りが鼻腔をくすぐる。
-----ダメだ、近い、近すぎる。
「長時間は無理だ、もう厳しい」
眩暈を覚えてパトロクロスがそう訴えると、ガーネットは頷いてあっさりと身体を離した。
「そう。一瞬なら大丈夫な感じ?」
「……。まぁ……そうだな」
「うーん、くっつくのはまだ無理な感じね。じゃあ次は、パトロクロスから触れてみて。そうね、無難に肩からいってみる?」
「わ、私からか!?」
ぎょっとして問い返すと、ガーネットは彼女なりの解釈を説明した。
「だって、こっちから肩を叩く程度が平気なのは知っているし、手を握るのは大丈夫で、くっついちゃうとダメなんでしょ? 後はパトロクロス側からどの程度まで触れられるのかが重要かなーって」
「そ、そうか」
それもそうだな、と妙な納得をして、パトロクロスは姿勢を正しガーネットと向き合った。
「じゃあ……肩に、触れるぞ」
「どうぞ」
さらりと言われて、パトロクロスは妙な緊張感を覚えた。
こんなふうに『触る』という前提で、改まって自分から女性に手を触れるのは初めてだ。
「き……緊張するんだが」
思わずそうこぼすと、ガーネットは小さく吹きだした。
「うん、すごく伝わってくる。肩に力が入りすぎよ。一回深呼吸して、あまり『触れる』って考えないで、軽く肩を叩くだけっていうふうに考えてみたら?」
「あ、あぁ……」
確かに『触れる』ということを意識しすぎかもしれない。
パトロクロスはひとつ深呼吸をして気を落ち着かせると、意を決してガーネットの肩を軽く叩いた。
「平気だ……」
その事実に、ホッと息をもらす。
「じゃあ、今度は肩に手を置いてみて」
「分かった……」
パトロクロスは頷いて、恐る恐るガーネットの肩に手を置いた。思った以上に華奢な骨組みに驚いたが、今度は彼女の体温を感じてもどうにか平気だった。自分側から触れるだけ、という状況も大きく影響しているのかもしれない。
「どう? 大丈夫そう?」
「……あぁ」
何だか自分自身に打ち勝ったような気がして、パトロクロスは小さな感動を覚えた。
これまでの自分なりの努力が着実に実を結んできているのだろうか。
もしかしたら、この悩ましい体質と決別出来る日もそう遠くはないのかもしれない。
-----と、思ったその時だった。
「あー、何か幸せ〜。パトロクロスの方からあたしに触れてくれているなんて……」
うっとりと語尾にハートマークが乱れ飛ぶガーネットの声を聞き、こちらを見つめる熱く潤んだ茶色(ブラウン)の眼差しと目が合った瞬間、パトロクロスは全身から火が吹くような錯覚に囚われた。
-----わ、私はいったい、何をやっているんだッ……!
納得してこの試みに臨んでいたはずが、急に我に返り、穴があったら入りたい心境になった。
大慌てでガーネットから手を離し、パトロクロスは真っ赤な顔のまま勢いよく立ち上がった。
「さ、参考になった。もう結構だ。……協力、感謝する」
「ええー!? ちょっと待ってよ、これからがいいトコなのに! 次はほら、ほっぺ! このつややかなほっぺ、触ってみたくない!?」
「いや、結構」
突然のことに落胆の声を上げるガーネットを手で制し、踵(きびす)を返そうとしたパトロクロスの背後から、勢いよくガーネットがしがみついた。
「いやーっ、待ってーっ!」
「うわぁぁぁっ!」
起き抜けということもあって、パトロクロスは鎧を身に着けていなかった。この状態でこの状況は久々だ。不覚にも背中いっぱいにガーネットの温もりと柔らかさとを感じてしまい、パトロクロスは恐慌状態に陥った。
「ガガガガガ、ガーネットッ!」
「さっきの言葉ね!? さっきのあたしの言葉が悪かったのね!? あーもう、あたしのバカーッ!! せっかくのチャンスだったのに、嬉しすぎてついーっ!」
「はっ、離っ……はなはなはな、離せーッ!!!」
「いやーっ、もう一度チャンスをーっ!」
早朝の安宿の敷地内に、パトロクロスの盛大な悲鳴が響き渡った。
「何だ……? 朝っぱらから騒がしいな……」
寝ぼけ眼をこすりながら部屋のカーテンを開けたアキレウスは、差し込む朝日の眩しさに瞳を細めつつ、その元凶が旅の連れであることを確認して、呆れた声をこぼした。
「なーに朝からイチャついてるんだ? あいつら……」
すると近くから、同じように溜め息混じりの声が聞こえてきた。
「ホント朝から元気なんだから……まったくもう、元気すぎるよ……」
声の方を見やると、寝起きのオーロラが隣の部屋から顔だけ出して同じように窓の外を眺めていた。
そうこうしているうちに宿のあちらこちらの部屋のカーテンが開き、寝ぼけ眼の人々が何事かと窓からしかめっ面を覗かせ始めた。
「大迷惑だな……」
アキレウスの言葉にオーロラが大きく頷く。
「大ひんしゅくだね……」
「……。朝食の席がツラいな……」
「きっと針のむしろだね……」
二人は顔を見合わせて深い溜め息をつき、静かに窓を閉めた。
パトロクロスとガーネット、この二人の距離が縮む日は、果たしてやってくるのだろうか。
それは、神のみぞ知るところである-----。