※この話は2009年2月〜3月に開催した『第一回DESTINY!!キャラクター人気投票』の結果を受けて書き下ろしたものです。
ドヴァーフ編夢幻抱擁のアキレウス視点になります。男性視点が苦手な方はご注意を。
ドヴァーフ編読了後に読まれることをお勧めします。

   

番外編

幻影の宵


 幻影ホタルの光を見ると、言葉では言い尽くせない深い感慨が胸に去来する。

 儚くも美しい夢幻の光は、両親を失い、動乱に翻弄された少年時代、自分を見つめ直し、奮い立たせるきっかけを与えてくれた光でもあった。

 王城を見下ろそうと、孤児院の仲間達とあまり深くは考えずに挑戦した裏山の登山。

 仲間達は単純に高いところから王城を見てみたいと思い、自分は全てを奪った国王の居城を、そして王都をこの目に焼き付けておく為に登った。

 しかし何の備えもなく子供の足で険しい山の頂上を制することなど出来るはずもなく、その試みは失敗に終わった。

 その帰り道、道に迷い、偶然たどり着いた幻影ホタルの群生する泉-----辺り一面に氾濫する夢幻の光は、幻想の世界に迷い込んだのかと錯覚するほどに美しく、幼い日の自分を圧倒した。

 それまでの疲れも忘れて、いったいどのくらいその場に佇んでいたのだろう。あの時の衝撃は、今でも深く心に残っている。

 両親を失って以来、一瞬でもその現実を忘れ、何かに見入ったのはそれが初めてだった。

 それからの自分は、少しだけ変わった。

 それまでは現実を受け入れられず、父の汚名を晴らして真相を明らかにしたいと切に願っても、子供の自分には具体的に何をどうしたらいいのかが分からず、鬱々とした日々を送っていた。相手はあまりにも強大で、日ごとあせる気持ちだけが募っていくのに、その想いの持って行き場が分からなかったのだ。

 だが、あの日幻影ホタルの光を見て、追い詰められていた心が少しだけ癒された。心に生まれたわずかな余裕は張り詰めていた頭をほぐし、そこから気持ちを切り替えることが出来た。

 自分は所詮、無力な子供なのだ。今はどうあがいても、望むものは得られない。

 ならば今は、来(きた)るべき時に備えて自分を練磨(れんま)しよう。

 そう悟って、まずは身近に明確な目標を見い出した。

 -----絶対にあの山を登り切って、王城を、王都を、この目で見下ろしてやる。

 この山を制することさえ出来ないようなら、父の汚名を雪(すす)ぐことなど到底無理だ。

 そう決めてからは毎日基礎体力作りに励んだ。

 仲間達は園長にこっぴどく叱られたこともあってそれ以来裏山に足を向けることはなかったが、自分は時折一人でこっそりと裏山に足を踏み入れては少しずつ登る距離を伸ばし、そしてその度に幻影ホタルを見に立ち寄った。

 森の奥深くにひっそりと存在する、神秘的な幻影の泉。仲間達と見つけた、秘密の場所。

 今はもう自分だけしか訪れることのない、秘密の場所-----。

 いつしかそこは、自分にとって特別な場所になっていた。

 そこでは素の自分に戻り、全てを曝(さら)け出して泣くことも、嘆くことも出来た。辺りを包む幻影ホタルの光はいつも儚げで優しかった。ひとしきり抱えていたものを吐き出し、落ち着いた後は自分自身と向き合って、これからのことを考えた。

 その場所に誰かを連れて行こうなんて、これまでは思ったこともなかった。

 あの時までは-----。



*



「こんなに綺麗な光景、初めて見た……何だか、現実の世界じゃないみたい……」

 陶然とその世界に引き込まれている少女-----オーロラを見て、アキレウスは小さく笑った。

 幻想的な光の乱舞に魅せられた彼女は、藍玉色(アクアマリン)の瞳を煌かせ、感動のあまり声を震わせている。

 その様子を見て、連れてきて良かった、とアキレウスは思った。

「近くまで行ってみるか?」

 そう声をかけるとオーロラは勢いよく頷いて、興奮気味にアキレウスを見上げた。子供のようなその表情が可愛らしくて、再び彼の口元から笑みがこぼれる。

 今はこんなに元気な彼女だが、つい先日までは生死の狭間に置かれていたのだ。

 彼女を失うかもしれない-----その局面に立たされた時、これまでに経験したことのない、耐え難い感情にアキレウスは襲われた。

 こんな思いをするくらいなら、いっそ全身を切り刻まれた方がマシだとさえ思った。

 間一髪、彼女を助け出すことが出来た時には、安堵のあまり全身が大きく震えた。

 -----無事で、良かった。

 生きている彼女の身体を抱きしめながら、アキレウスはその思いを深く深くかみしめものだ。

 間に合って、良かった-----。

「何だか不思議な魔法みたい……」

 泉の縁に立ったオーロラが呟いた。水鏡のような水面に向かって、そっと腕を伸ばす。するとその掌に一匹の幻影ホタルが舞い降りてきて、羽を休めながら、様々な色合いを織り成す儚く美しい光を点滅させた。

 それがよほど嬉しかったのだろう、彼女は頬を紅潮させながら、満面の笑顔でこちらを振り仰いだ。

「見て見て、アキレウス-----」

 -----あぁ、たまらないな。

 好きだとか、愛しているだとか、そんな言葉で表現するには、足りない感情。

 どう言い表したらいいのか分からないその感情に突き動かされ、アキレウスは気が付くと彼女の唇に自らの唇を重ねていた。

 目を見開いたまま硬直したオーロラの掌から、音もなく幻影ホタルが飛び立っていく。

 一瞬だけ触れ合わせた唇をそっと離すと、彼女は瞬きも忘れた様子で、茫然とした表情をこちらに向けていた。

 何が起こったのか、すぐには理解出来なかったのだろう。

 やがて彼女はぎこちない動きで震える指を操ると、自らの唇に触れた。

「……。え……?」

 キスをされた、ということはどうやら分かったらしい。

 けれどこの状況に頭の整理が追いつかないのだろう。

「え……?」

 もう一度呟きながら、オーロラは戸惑いの表情をこちらに向けたまま、一歩後退(あとずさ)った。

 その顔が、みるみる赤くなっていく。

 ようやく事態が理解出来たらしい。

 真っ赤な顔で潤んだ瞳を向けながら、どうしたらいいのか分からない様子でまた一歩後退る。

 その足は、もう泉の縁ギリギリだ。

「おいっ……」

 あせりを覚えたアキレウスが腕を伸ばしたその瞬間、それに驚いたらしいオーロラは反射的にもう一歩退がってしまった。

 途端、彼女の身体がぐらり、と後ろに大きく傾き-----アキレウスはどうにか細い手首を掴んだものの、既に地面から足が離れてしまっていた彼女に引きずられるようにして、盛大な水飛沫を上げ泉の中に落ちてしまった。

「オーロラ、大丈夫か!?」

 ひんやりとした水面から急いで顔を出すと、ずぶ濡れになった彼女が激しくむせ返っているところだった。

 どうやら水を思い切り吸い込んでしまったらしいが、幸いケガなどはしていないようだ。

 水を掻き分けながら近づいていくと、オーロラはむせ返りながらも頷いて、大丈夫だということを示した。

「何も、泉に落ちるコトないだろ……」

 ホッと息をつきながら少しだけ恨めしげに言うと、彼女は涙目でこちらを見上げた。

「だ、だって……」

 言いながら、その後の言葉を飲み込んでしまう。

 キスされたことを思い出したからだろうか。

 頬を上気させたまま動きの止まってしまったオーロラを見つめながら、アキレウスは彼女の頬にそっと手を伸ばした。

 月明りの下で濡れた長い黄金(きん)色の髪を纏わりつかせた彼女はどこか大人の色香を放っていて、深い海を思わせる藍玉色(アクアマリン)の瞳はどんな宝玉よりも美しかった。濡れて張りついた短衣(チュニック)から浮かび上がる華奢で女性らしいラインはひどく扇情的で、アキレウスを魅了する。

「おかげでびしょ濡れ、だ……」

 呟きながら、アキレウスはオーロラの頬に張りついた黄金色の髪を指で掬(すく)い、そっと耳元へ流した。

 そのまま指を耳元から頬に伝わせ、そして掌全体で包みこむようにして触れる。

 オーロラが小さく喉を上下させた。

 幻影ホタルの舞う光が乱舞する中、彼女の大きな瞳には彼女を見つめる自分の姿だけが映っていた。


 異世界から召喚された少女。


 彼女と初めて出会ったあの頃は、まさか、この少女が自分にとってこんなにも大切な存在になるとは、夢にも思っていなかった。


 ゆっくりと互いの顔が近づいていく中、静かに瞳を閉ざしたオーロラの形の良い薄紅の唇に、吸い寄せられるようにして口付ける。

 甘い感触と共に、微かに彼女の身体が震えるのが分かった。

 その反応が愛しくて、細い腰をぐっと引き寄せる。

「オーロラ……」

 小さく濡れた音を立てて唇を離し、耳元で熱っぽく名前を囁くと、彼女が押し殺した吐息をもらすのが感じられた。抱き寄せられてアキレウスの胸の下辺りに押し付けられた華奢な腕が、まるで縋るようにして彼の衣服を掴む。

 そんな仕草のひとつひとつが、アキレウスの心を震わせる。

 腕の中の少女をきつく抱きしめながら、アキレウスは再び彼女の唇に唇を重ねた。

 濡れた柔らかな唇が、健気な弾力で彼の唇を受け止める。その柔らかさに暴走しそうになる自分をきつく制しながら、アキレウスは重ねるだけの、ついばむような優しいキスを繰り返した。

 唇を重ねる度、互いの体温が上がっていくのが分かる。濡れた衣服を通して重なり合う身体から伝わってくる鼓動、自分のものとは違う、華奢でたおやかな肢体。

 腕の中のこの存在が、言葉に出来ないくらい大切で愛おしい。全身全霊を懸けて、守り抜きたい。

 誰かに対してこんな情動を抱くのは、生まれて初めてだった。

「アキレウス……」

 そんな彼の気持ちに応えるように、キスの合間からオーロラが彼の名前を呼んだ。

 熱で潤んだ瞳をアキレウスに向け、言葉にならない想いを込めるようにして、彼の腰に腕を回し、きゅっと抱きつく。

 アキレウスは柔らかく瞳を細めてそんな彼女に微笑みかけた。

 -----あぁ、まいったな……。

 こんな素の行動が、彼女は可愛らしすぎる。

 これがどれだけ彼の自制心を危ういものにさせるのか、彼女は想像もしていないに違いない。

 昂る衝動を理性で抑え、優しくオーロラの髪を梳(す)きながら、アキレウスは彼女の額にそっと口付け、それから少しだけ強めに、彼女の唇に唇を押し当てた。

 腰に回されたオーロラの腕に力がこもる。

 ずぶ濡れになったまま固く抱き合い口付けを交わす二人の姿を、幻影ホタル達の幻想的な輝きが夜の闇からそっと包み隠していた。



*



 想いを寄せる女性の前では、男は往々にして理性を試されるものらしい。

 深夜、オーロラと共にドヴァーフ城に戻ったアキレウスは、彼女を部屋に送り届けた後、自身の客室に戻り、今夜の出来事を思い返していた。

 熱いシャワーを浴びたこともあって、目が冴えてしまった。まだしばらくは眠れそうにない。

 可愛かったな……。

 自らの唇に触れ、その感触を思い返しながら、アキレウスは睫毛を伏せた。

 キスをするのは初めてだったのだろうか。

 月明りの下でもハッキリと分かるほど赤く染まった彼女の顔。抱きしめた身体は緊張の為か小さく震えていた。

「……」

 アキレウスは深い吐息をつき、背中から倒れこむようにしてベッドに身体を沈めた。そのまま天井を仰ぎながら瞳を閉じる。

 瞼に浮かぶのは、焚き火の前できつく外套を握りしめていたオーロラの姿だ。

 濡れた衣服を乾かす為に、羽織った外套の下はお互い下着を身に着けているだけの状態だった。

 赤い顔で自分の身だしなみを気にしながら、外套の合わせ目を押さえていた彼女の手には、ひどく力がこもっていた気がする。

 あんなことがあった後では意識をするな、と言う方が無理だろう。

 それはアキレウス自身にも言えることだった。

 ひどく緊張しているらしい彼女の様子を見取りながらも、彼の視線は無意識のうちに、襟元から覗く線の細い鎖骨や、膝の辺りまで露わになったスラリとした足に向けられていた。

 意識をし過ぎないようにと思えば思うほど、自らを戒めようとすればするほど、思考の深みに陥ってしまう。

 そして不意に、アキレウスはいつかの光景を思い出してしまった。

 それは、アストレアで死霊使い(ネクロマンサー)の襲撃を受けた際にオーロラのチカラが暴走し、まほろばの森へ飛ばされた時のことだった。大ケガを負った彼女の手当てをアキレウスが行ったのだが、その際に図らずも、彼は彼女の半裸を目にしてしまったのだ。

 その時は緊急を要する事態だったし、なるべく見ないようにと気を使った。どんな状況であれ、恋人でもない同年代の男に肌を見られるというのは、女性にとっては耐え難いことだろう。そう思って、これまで極力思い出さないように努めてきた。

 けれど-----。

 不意に思い出してしまった過去の映像が、脳裏にチラついて離れない。

 綺麗な肌、しているんだよな……。

 彼女の背には古い大きな傷痕があり、それを彼女はひどく気にしている様子だったが、彼が目にした白い肌はきめ細やかで、みずみずしかった。

 あの外套の下に、あまり大きくはないが形の良い胸が隠されていたこともアキレウスは知っている。

 平静な振りをしながら自分がこんなことを考えていたのだと知ったら、オーロラはどんな反応を示すだろう。

「…………」

 あの、白い肌に口付けたら。

 柔らかなふくらみに触れたなら-----。

 -----抱いたら、どんな甘い声で啼(な)くんだろうな……。

 そんなことを思わず考えてしまいながら、アキレウスは悩ましい溜め息をついた。

「ヤラしーな、オレ……」

 自分がこんなに獣じみた男だとは思わなかった。

 だが、本能に押し流されるような真似はしたくない。

 出来る限り、オーロラのことを大切にしたかった。

 そう遠くはない未来-----シヴァの復活が為されれば、役目を終えた彼女はやがて、元の世界へ帰ることになるのだろう。彼女はその為にこの旅を続けているのであり、自分達と共にここにいるのだ。

 分かっている。そういう意味では、この想いに先はないのかもしれない。


 でも、だからこそ、大切にしたい。


 結論の出ない難しいことをごちゃごちゃと考えるのはやめた。自分は彼女を求めていて、彼女は自分を求めてくれている。その事実が大事なのだと思った。

 遥かな時を隔てた場所で生きてきた彼女と自分-----普通であれば到底出会えるはずもなかった二人が巡り会えた、運命の悪戯のような奇跡。


 後悔はしたくない。


 今、共にいるかけがえのないこの時間を、大切に育んでいきたい。


 アキレウスはベッドの上で寝返りを打った。

 もうそろそろ夜が明け始める頃合だ。

 煩悩をどうにか頭から追い出して眠りにつこうと試みながら、それが思いの外難しいものであることを、ほどなく彼は知ることになる。

 そして浅い眠りを揺蕩(たゆた)ったのち、熟睡は出来ないまま、朝日が昇る頃に目を覚ましてしまうことになるのだ-----。
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