ドヴァーフ城の深窓にある内庭へ生徒を引き取りに来たシェイドは、熱心な護身術の教官と活気溢れる授業風景を見て、整った面差しを和らげた。
「こうか!? ペーレウス!」
「ええ、そうです。相手の攻撃のタイミングに合わせて、左足に重心を移動させながら、腰を左斜め後ろに引いて-----」
息を弾ませる灰色の髪の少年に護身術の指南をしていたペーレウスは、木陰に佇むシェイドの姿に気が付いて唇を止めた。
「あぁ、悪い。もうそんな時間か?」
「気にするな。キリのいいところまでやってくれて構わない」
そんな大人達のやりとりを呼吸を整えつつ眺めていた、彼らの生徒である二人の少年は、魔法指導の教官であるシェイドに人懐こい笑顔を向け、大きく手を振った。
「シェイド、お前も一緒にやらないかー?」
「たまには魔導士団長も身体を動かした方がいいですよー」
灰色の髪の少年はこの国の第一王子であるレイドリック・フォン・ドヴァーフ、その隣に立つ栗色の髪の大柄な少年はレイドリックの再従兄弟(はとこ)にあたる彼の乳兄弟、オルティスである。共に13歳、明朗で快活な少年達だ。
レイドリックの生母レティシアは出産後あまり母乳が出ず、彼女の従姉妹(いとこ)で少し前に出産を終えていたオルティスの母に乳母の役目が回ってきたのだ。乳兄弟の間柄である二人は幼い頃から一緒に過ごす時間が多かったこともあって、非常に仲が良く、良きケンカ相手であり、何かと競い合う好敵手でもあった。
オレインはそんな二人の仲を好ましく思っており、オルティスはオレインの好意もあって、レイドリックと共に週に三回決められた時刻に、ペーレウスとシェイドから護身術と魔法の指南を受けていた。
レティシアはオレインの従兄妹(いとこ)にあたる血筋で、強い魔力を持った細身の美しい女性だった。以前からレティシアに想いを寄せていたオレインは強く望んで彼女を妻に迎えたのだが、二人の間にはなかなか子供が出来ず、レティシアはそれを深く思い悩んでいたと言われている。
結婚から数年後、ようやく待望の子供、しかも男児を授かり、その報せに国中が沸いたのだが、出産の予後が良くなかったレティシアは次第に床に伏せがちになり、レイドリックが五歳の時に亡くなった。彼女を溺愛していたオレインは嘆き悲しみ、妻の忘れ形見で面差しが良く似たレイドリックを一層可愛がるようになった。
レティシアの死後、側室だったイレーネが正妃となり、オレインは彼女との間に第二王子となるアルベルトを儲けたのだが、レイドリックは歳が七つ離れたこの異母弟を厭うことなく受け入れた。
それは彼の生来の性格によるところもあったのだろうが、父王が二人の王子を分け隔てなく愛してくれたこと、そして、オルティスやその家族といったレイドリックを支える周りの環境があったことも大きく影響していたに違いない。
イレーネはどこか一線を置いた態度を血の繋がらない息子であるレイドリックに取り続けていたが、レイドリックは表面上はそれを気にするふうもなく、歳の離れた異母弟の顔を良く見に来てはあやしていた。
「先生がペーレウスとシェイドに変わってから、護身術も魔法も面白くなったよな」
「なー。前は二人共じいちゃんだったから、何言ってるか良く分かんないこともあったし」
護身術の授業を受け終えた二人はそんな会話を交わしながらタオルで汗を拭い、世話係が用意してくれた冷たい水で水分を摂った。
「ねぇ騎士団長、護身術もいいけど、今度また剣術を教えて下さい。オレ、騎士団長みたいに強くなりたいんだ!」
オルティスが意気込みも露わに、黄玉色(トパーズ)の瞳を輝かせてペーレウスを見上げた。
ドヴァーフの古い因習を打ち破り、剣の腕だけで騎士団長にまで上り詰めたペーレウスは、彼にとって英雄であり、憧れの存在だった。
しかし、それを聞いたレイドリックはみるみる不機嫌な表情になり、口を尖らせた。
「ずるいぞ、オルティス。私だって本当は剣を教わりたいのに……」
「だってレイ……殿下は剣を使わないだろ」
第一王子に対する言葉遣いを改めるよう両親から最近口うるさく言われるようになってしまったオルティスは、友人の名を敬称で呼び直しながらそう返した。それを誰よりも良く分かっているレイドリックは、友人に他人行儀な呼び方をされたことも手伝って、ますます面白くない。
「どうして、国王になる者は扱うものが杖でなくてはならないんだ……」
憮然ともらしたレイドリックに、シェイドが穏やかな声をかけた。
「杖も、悪くはありませんよ。剣のような派手さはないかもしれませんが、人間相手なら杖術で充分対応出来ますし、それに何より、杖は持つ者の魔力を増幅してくれます。増幅された魔力をもって、呪文ひとつで数多(あまた)の敵を一瞬にして殲滅……これはかなり爽快ですよ」
にっこりとそう諭すシェイドの言葉を受けて、沈んでいたレイドリックの表情が幾分明るくなった。それとは対照的に、ペーレウスは何やら背筋が薄ら寒くなるのを覚えずにはいられない。
一見穏やかなこの微笑が何故だかとてつもなく恐ろしいもののように感じられてしまうのは、自分だけであろうか。この男だけは絶対に敵に回したくない、心の中でこっそりと、切に思う。
そんな内心を包み隠し、ペーレウスはもっともらしくシェイドの言葉に相槌を打ちながら、機嫌を直しかけている王子の背中をもうひと押しした。
「魔力を持たない私にはその感覚は分かりませんが、あれは確かに、傍(はた)から見ているだけでも爽快な光景ですね。魔法を操れる者は、神秘的で頼もしい。多くの敵を一瞬にして殲滅する、という業は魔導士にしか為(な)しえないことですから」
「……そうか。うん、杖も悪くないな!」
ようやく機嫌を取り直したレイドリックは頷いて、声高にこう宣誓した。
「よし、決めた。私はたくさん鍛錬を積んで、魔法王国の王に相応しい、魔法のエキスパートになってやる!」
「じゃあ、オレは殿下の分まで剣を究めて、将来王様になった殿下を守ってやるよ」
傍らで頼もしい発言をするオルティスに、レイドリックは不敵な笑みを返した。
「強くならなかったら、守らせてやらないぞ」
「なんっ……強くなるよ! 絶対だ! オレ、筋がいいってほめられてるんだぜ!」
ねぇ騎士団長、と頬を紅潮させ振り仰いでくるオルティスに、ペーレウスは穏やかに頷き返した。
「あぁ、筋はいいぞ。その才能が開花するかどうかはお前のこれからの頑張り次第だ」
実際にオルティスには類稀な剣の才能があり、それに加えて彼は白魔法の素養も持っている。たゆまぬ努力を続ければ、この少年はそう遠くない未来、頼もしい存在になることだろう。
「さぁ次は魔法の時間だ! シェイド、始めよう!」
ひとつの目標を見定めたレイドリックが張り切ってシェイドを促す。
親友に生徒達を引き継ぎ、その元気な声を耳にしながら、ペーレウスは微笑ましい思いで内庭を後にした。
*
街中のとある酒場に、ペーレウスは時々立ち寄っている。
そこはまだ彼が騎士になる前、傭兵稼業をしていた頃から度々足を運んでいたなじみの酒場なのだが、家庭を持った現在では飲む目的で来ることはほとんどなくなった。今は情報収集の為に立ち寄っていると言っていい。城の士官や貴族達が足を運ぶことのない、庶民や旅人の集う大衆酒場には、そういったところでしか知りえない話があったり、稀に驚くような情報が落ちていたりするものなのだ。
「よぉ、鋼の騎士様」
昔なじみの酒場の主人はペーレウスの姿を見取ると片手を上げて迎え入れ、カウンターの左端のいつもの席へと誘導してくれる。
「麦芽酒(ビール)でいいかい?」
「あぁ」
麦芽酒が出てくる頃を見計らって、ペーレウスの顔を知っている何人かの常連客がジョッキを合わせにやってきた。彼らはこの酒場に時折姿を見せる庶民の英雄とこうして挨拶を交わす機会を、密かな楽しみにしているのだ。
「こんばんはー、鋼の騎士殿!」
「お仕事、ご苦労様です!」
カツンとジョッキを合わせて挨拶を交わし、彼らは少し得をした気分になって、自分達の席へと戻っていく。
城外でのペーレウスは基本的に平服に帯剣という姿である。正規のいでたちでは目立ちすぎるし、業務時間外くらいはあの重みから解放されてゆっくりとしたいからだ。
騒がしい店内では耳をそばだてていない限り、他人の会話など聞こえない。ペーレウスの素性を知っているのは一部の人間だけだった。
「何か、面白い話はないか? 変わったこととか」
酒場の主人にそう尋ねると、彼はいかつい顔で少し考え込んだ。
「うーん、バカみたいな笑い話ならたくさんあるんだがなぁ……特には。変わったことといえば、今日は珍しい客が来ていることくらいかな」
「珍しい客?」
「ドワーフの客が一人で来ているんだよ。ありゃあ初めて見る顔だなぁ。旅人、って風情でもないし……珍しいと思ってね」
酒場の主人が目で示す先をペーレウスは追った。彼がいるカウンターの反対側、右端の席で、小柄な幅の広い身体を窮屈そうに椅子に押し込み、酒をあおっているドワーフがいる。
頬から下が立派な白髭に覆われた年配のドワーフは、元々の赤ら顔を酒の火照りで更に赤らめ、大きなボトルに入った琥珀色の液体を最後の一滴までグラスに注ぎ終えると、それをまた旨そうに飲み干した。
「飲み過ぎなんじゃないか? あれ……何かフラフラしてるぞ」
「うーん、ドワーフは酒に強い種族と言われているが、あれは確かに飲み過ぎかもしれんな……ペースも速いし。今のでボトル六本目だ」
六本目と聞いて、ペーレウスは目を瞠った。
ドワーフが飲んでいる銘柄はアルコール度数がかなりきつめのものだ。酒に強いという自負のあるペーレウスでも、一人でそれだけ飲んだら今頃は昏倒していることだろう。
「おい、マスター! お代わりだ、お代わり! コイツと同じヤツをくれ!」
ろれつの怪しくなったドワーフからお代わりのコールが入る。
「お客さん、大丈夫かい? そろそろソフトなヤツにした方が……」
「ううん? ワシは大丈夫だ! 同じのをくれ!」
頑として声を張り上げるドワーフに酒場の主人がやれやれと溜め息をつく。その様子を見ていたペーレウスは自分のジョッキを持って立ち上がると、丁度良く空いていたドワーフの隣の席へと移動した。
「じいさん、何かいいことあったのか? 酒がスゴく旨いみたいだけど」
そう声をかけると、ドワーフは酒で濁った目をとろんとペーレウスに向けてきた。
「んんー?」
かなり酒が回っているようだ。ペーレウスは少し笑って、そんなドワーフに話しかけた。
「オレも一緒に飲ませてくれないか。話し相手がいた方がゆっくり飲めて、酒を長く味わうことが出来るだろう?」
飲むのをやめないなら、せめてペースダウンさせた方がいい。そう判断しての行動だった、のだが。
「何だ、お前は? ワシを口説いているのか?」
「口説……」
「言っとくが、ワシの操は固いぞ。知り合ったばかりの輩になぞそうそう渡さんからな!」
「いや、そんなモン、いらな」
「ぶはははは、冗談じゃー!」
「…………」
良く分からないテンションで酒臭いつばを勢いよく飛ばされてしまい、ペーレウスは無言のまま、濡れた顔を手で拭った。ひとつ深呼吸をして気を取り直し、根気良く酔っ払いに話しかける。
「……ずいぶん旨そうに酒を飲んでいるから、あやかりたいと思ったんだよ」
するとドワーフは横目でペーレウスを見やりながら、機嫌良さそうにこうこぼした。
「ふふん、久し振りに下界に下りて酒を飲むんだ、旨いさ。ここで飲み溜めておかんとな〜」
「下界?」
良く分からないことを言う。
そこへ酒場の主人が新たなボトルを運んできた。ペーレウスはそれを受け取り、ドワーフのグラスへ少なめに注いでやった-----と、突然ドワーフがその手を取ると、ぐいっと引き寄せて自分の目の前まで持っていき、まじまじと見つめ始めたのだ。
「-----じいさん?」
「お前さん、剣士か?」
訝(いぶか)しむペーレウスの声に被せるようにして、ドワーフが尋ねてきた。ペーレウスの背のものを見れば一目瞭然なのだが、酔っ払いのドワーフは彼の手を見てそう言った。
「あぁ、まぁ……」
頷くペーレウスの頭上から酒場の主人が身を乗り出して、こっそりと囁いた。
「お客さん、この人は若いが、こう見えて王宮の騎士団長さんなんだよ」
人間よりやや大きい、先端の尖ったドワーフの耳がピクリと動く。
「ほぅ、お前さんが……久方振りに下りてきて、あちらこちらで噂は聞いたぞ」
表面上はさして驚いた様子も見せなかったが、酒で淀んでいたドワーフの瞳がにわかに光を帯びてきた。
「……? じいさん?」
ペーレウスの手に興味を示したドワーフは彼の指の一本一本から掌、甲をつぶさに見つめ、触り、そして手首から前腕、上腕へと、筋肉の付き方をたどるようにして追っていく。それが肩から胸へ至ると、さすがにペーレウスは腰を引き気味になった。
「ちょ……じいさん、変わった趣味があるんじゃないだろうな!? オレには可愛い嫁と子供が!」
「ジッとしとれ、すぐ終わる! 安心しろ、ワシが好きなのはぽっちゃりした可愛いドワーフの娘だ!」
妙な迫力でペーレウスを押し黙らせると、ドワーフは次々に彼の身体に触れていった。
「ふぅーむ、見かけよりいい身体をしとるな」
「!?」
ざわっとペーレウスが鳥肌を立たせるようなことを平気で言うと、ドワーフは今度は彼の武器を見せろと要求してきた。それを聞きつけた酒場の主人がやんわりと止めに入る。
「おいおいお客さん、騎士団長さんにいくら何でも失礼だろ。それに、店の中で武器を抜くのはご法度だぜ」
「ワシは鍛冶師だ。見るだけだよ、刃傷沙汰にはせん」
「へぇ……鍛冶師?」
ペーレウスは瞳を瞬かせて、目の前のずんぐりむっくりしたドワーフを見やった。
ドワーフは見かけによらず手先が器用なことで知られている種族でもある。それを活かし細工師や鍛冶師といった職人になる者も多い。
「店の外でなら剣を見せても構わないけど、ここではダメだ。主人に迷惑がかかる」
「うむぅ……」
立派な白髭をたくわえたドワーフは低く唸って、まだ開けたばかりのボトルとペーレウスの背中に収まった剣とを交互に見やった。もっと酒を飲みたい衝動と、今すぐにペーレウスの剣を見たい衝動とで揺れているらしい。
「外に行こう。ボトルはキープしておけばいい」
酒をやめさせる好機と見て、ペーレウスは畳み掛けた。
職人としての気質が酒の誘惑に勝(まさ)ったらしく、ドワーフは後ろ髪を引かれた様子ながらも立ち上がり、酒代を店の主人に支払った。
*
「約束だぞ、お前さんの剣を見せてみろ」
酒場を出るなり鍛冶師のドワーフはそう言って、ずんぐりとした短い手をペーレウスに伸ばしてきた。まさか道の往来で剣を抜くわけにも行かず、ペーレウスは人気のないところまでドワーフを誘導してから、愛用の大剣を彼に手渡した。
「ふぅむ、良く手入れはされているが……」
闇夜の中で月明りにかざしたり、荷物の中に入っていたカンテラで照らして眺めたりしながら、ドワーフはペーレウスの剣を診た所見を述べた。
「細かい刃こぼれがところどころある。そろそろ寿命だな。一国の騎士団の長が持つだけあってなかなかの名品だが、コイツではお前さんには力不足だろう」
今の剣はペーレウスが騎士団に入ってから三代目の相棒だ。そろそろ寿命だとは思っていたが、やはりそうらしい。だが-----。
「力不足、というのは……?」
ペーレウスは疑問に思ったことを率直に尋ねた。この大剣は国王オレインより賜ったドヴァーフ屈指の名匠の作で、ペーレウス自身が今まで持った剣の中で一番と感じていたものだったからだ。
鍛冶師のドワーフは事もなげにこう答えた。
「コイツは名剣として造られてはいるが、お前さん用にあつらえたものじゃないだろう? そういうことだ」
簡潔にして明瞭な回答だった。
「オレ用にあつらえたものじゃない、か……」
ペーレウスは呟きながら、余命わずかと診断された自身の剣を見やった。
「……じいさん、どこで鍛冶師をしているんだ? この辺りじゃないだろ?」
「とある森の中に引き篭もってやっとるよ。鍛冶師と言ってもワシがそれをやっているのはほぼ趣味でな、造りたいと思ったものを好きな時に、気ままに造っとる」
「へぇ?」
普段森の中で隠居生活を送っているから、先程はここを『下界』などと表現していたのだろうか?
そんなふうに考えながら、ペーレウスは鍛冶師だというこのドワーフを興味深く見つめた。
酔ってはいるが、彼が語る言葉には確かな自信に裏打ちされた説得力があり、剣を見る目は別人のように真剣で鋭かった。おそらく、名のある職人なのに違いない。直感的にそう思った。
「オレに合うのは、どんな剣だと思う?」
今後の参考がてら、剣の造詣(ぞうけい)に深そうな人物に聞いてみようと軽い気持ちで尋ねると、こんな言葉を返された。
「お前さんは、どんな剣を求めているんだ?」
予想外の切り返しに、ペーレウスは言葉を詰まらせた。
「オレは-----」
どんな剣が欲しい? どんな剣を、理想としている?
自問して、ペーレウスは初めて気が付いた。ぼんやりとしたイメージのようなものこそあるものの、自分の中でそれがまだ明確な形を成していないことに。
切れ味や扱いやすさ、頑強さ-----そういった面を考慮して既に在るものの中から選び取ること、一級品と評される名工の作を主君から賜ること、彼はそういった形でこれまでの剣を手にしてきたが、自らがこうと望んで得たものはひと振りとしてなかった。
しばし考えてから、ペーレウスは口を開いた。
「オレは-----生涯の相棒が、欲しい」
「ほぅ?」
立派な白髭をたくわえたドワーフの眼光に興味の色が宿る。
「種類は大剣がいい-----重すぎず軽すぎず、この手に吸い付くような握りで、まるで自分の身体の一部のようにしっくりと、一体感を味わえる剣-----頑強で、刃こぼれせず、オレの力を最大限引き出してくれるような-----そんな剣」
ひとつひとつ、たどたどしく、ペーレウスは自らを探るように、求めるものを挙げていく。
「オレには魔力がない-----剣での攻撃が全てだ。そして、その攻撃は最大の防御にもなる。だから、攻撃力はあった方がいい。少しクセがあって、やんちゃなくらいでいいかもしれない。それに-----」
夜の闇にはしばしペーレウスの声だけが響き続けた。鍛冶師のドワーフはその間じっと黙ってペーレウスの声に耳を傾けていた。
「あぁ、何かスゲー理想ばかり並べているな。本職のじいさんには失笑されそうだ。自分がどんな剣を理想とし、求めているのか……より強い武器をと望むばかりで、正直、そこを考えたことがなかった。でも、それを今初めて考えて、口にして……自分の求めている剣の輪郭みたいなものが見えてきた気がするよ。こんな夢みたいな代物がこの世にそうそうあるとは思えないけど、回りまわっていつか巡り会えたなら、剣士としては本望だよな」
今日初めて会ったばかりの人物に語るには少し照れくさい内容のような気もしたが、それよりも、当たり前のようでいてこれまで考えることが出来ていなかった、剣士として大切なことを考えることが出来たという、妙なスッキリ感の方が大きかった。
「剣について真摯に語る者を笑ったりはせんよ。鍛冶師としても色々参考になったわい。なぁに、ないのなら造ればいいだけの話だ」
何でもないことのように、あっさりとそう言い切ったドワーフの物言いがひどく板についていて、現実離れした話とのあまりの落差に、ペーレウスは思わず苦笑をこぼした。
「造ればいいだけって……サラッと言うなー。そんな簡単な話じゃないと思うけど」
「もちろん簡単に造れる代物じゃあない。だが、造ってみたいと思える代物ではある。無論、百%お前さんの理想通りに、とはいかないだろうがな」
「え……?」
ペーレウスは一瞬呆気に取られた後、穴が開くほど目の前のドワーフを見つめ返した。
その声に、“本気”を感じ取ったからだった。
「久々に下界に下りてきて、寄るところあちこちでお前さんの噂を聞いてな、ワシは正直驚いた……。まさか魔法王国ドヴァーフに、魔力を持たない、しかも平民出という、これまでの歴史を塗り替える騎士団長が誕生しとるとは……始めは耳を疑ったよ。年寄りは長生きしとる分、色々と知っとることもあってな。余計に信じられん思いがあったんだ」
ドワーフの鍛冶師はどこか遠い目になりながら、そんな心の内を語った。
「出来ればそんな偉業を成し遂げた人物に直接会ってみたいものだとは思ったが、一介の鍛冶師のじじいにそんなことが出来るわけもないしな、諦めておったんだが、まさかこんな形でお目にかかれるとは……縁というのは不思議で、面白いものだな。で……ある意味運命的にお前さんに出会えたことが分かった瞬間、いてもたってもいられなくなったんだ。お前さんの剣をどうしてもこの目で見ずにはおれなくなった」
「オレの剣を……どうして……?」
「剣を見れば、その持ち主のことが良く分かる」
年配のドワーフはそう言って、今は鞘に収まったペーレウスの剣を優しい目で見やった。
「お前さんはいい剣士だ……その剣がそう言っとる。そんな男がこの魔法王国の騎士団長を務めているということがワシとしては嬉しいし、それにワシはお前さんが気に入った。-----どうだ、ワシにお前さんの新しい相棒を造らせてはもらえんか」
立派な白髭をたくわえたドワーフは職人の顔になって、ペーレウスにそう願い出た。
「えっ……!?」
思いがけない申し出にペーレウスが目を丸くする。そんな彼を見上げ、ずんぐりむっくりしたドワーフは少年のような顔をしてニカッと笑った。
「報酬は……そうだな、今度会った時にあの酒場でワシと朝まで酒を酌み交わしながら、楽しく剣について談義する-----その時の飲み代はお前さん持ち、ということでどうだ?」
ペーレウスは瞬きを繰り返しながら、戸惑いを隠さず目の前のドワーフに尋ねた。
「オレとしてはありがたい申し出だけど-----じいさん、それでいいのか? どう考えても採算が取れないだろう?」
「言っただろう、造りたいと思ったものを好きな時に気ままに造っとる、と。これはあくまでワシの趣味だ。金なんぞ関係ない」
「でも-----それで、暮らしていけるのか?」
「食うものは森のそこら中にあるし、ワシくらいの領域に達すると必要な材料を手に入れる当てもある。まぁ細かいことは気にするな」
心持ち胸を反らせて、鍛冶師のドワーフは茶目っ気たっぷりにそう言った。それにつられて、ペーレウスも自然と口元がほころぶのを意識する。
どんな剣が出来上がるのかは分からないが、ここは彼の好意に甘えてみるのもいいだろう、そう思った。
「……ありがとう。じゃあお願いするよ」
ペーレウスの返答を聞いたドワーフはにわかに活気づき、大いに瞳を輝かせると、興奮した面持ちで何度も満足そうに頷いた。
「おぉ、そうかそうか! 腕が鳴るな。じゃあ一ヵ月後、今日と同じ時刻にあの酒場で会おう。楽しみにしとるぞ!」
言うが早いか、こうしてはいられん、とばかりに背を翻して走り出す。
「あっ、おい、じいさん! 名前……!」
ペーレウスが止める間もなかった。水を得た魚のように生き生きとした足取りで、名前も知らないドワーフの鍛冶師は夜の闇へと消えていった。
*
一ヵ月後、ひと月前と同じくらいの時刻になじみの酒場へやってきたペーレウスは、喧騒の中、以前と同じ席に座り一人酒をあおっているドワーフを見て、わずかに頬を緩めた。
彼が飲んでいるのは先月ボトルキープしていた銘柄だ。が、どうやらキープしていた分はペーレウスが来る前に空けてしまったらしい。酒場の主人が苦笑して、空になったボトルをペーレウスに見せている。
「-----じいさん、今日はそれで何本目だ?」
ペーレウスが隣の席に腰を下ろすと、鍛冶師のドワーフはほろ酔い加減の赤ら顔を待ち人へと向けた。
「んんー? おお、来たか。なーに、まだ二本目……」
「三本目だろ? お客さん」
酒場の主人にそう訂正をされ、酒好きのドワーフは空っとぼけた返事をした。
「おぉ、そうだったかな? これで三本目だそうだ、支払いはヨロシクな」
軽く腕を叩かれて、仕方がないな、とペーレウスが溜め息をつく。
「もう三本目なのか? 今日はオレと朝まで飲み交わすんだろ、大丈夫かよ?」
「ふふん、ワシを誰だと思っとる? 生まれて五十年も経たないヒヨッコに心配されるほどヤワでないわい」
機嫌良くそう返すドワーフの右側の壁に、布にくるまれた長いものが二本立てかけられていることにペーレウスは気が付いた。
「もしかして、これか? でも二本……?」
不思議そうなその声を耳にしたドワーフは幅の広い身体を椅子から押し出すようにして床に下りると、大きく頷いてその包みに触れた。
「あぁ、そうだ。約束のモノだよ。ワシなりに試行錯誤した結果がこれだ。説明するとだな……」
言いながら包みを取り外そうとしたので、ペーレウスは慌ててそれを止めた。包みを取るだけならまだしも、この勢いでは鞘から剣を抜いてしまいかねないと思ったからだ。
「ここじゃなくて、この間の場所でお披露目してくれないか?」
「うーむ、また外へ出ないとダメなのか? 面倒くさいな……」
ドワーフは眉根を寄せて、一縷(いちる)の望みを込めた視線を酒場の主人に送ったのだが、彼に無言で腕を交差されてしまった。
「じいさん、外へ出るのが面倒なんじゃなくて、その間酒を飲めないのが寂しいんだろ?」
「まぁ、ぶっちゃけて言うとそういうことになるんだがな」
「戻ってきたら浴びるほど飲ませてやるからさ。ほら、行こう」
渋るドワーフをなだめすかして肩を叩くと、途端、分りやすいくらいに茶色(ブラウン)の瞳が輝いた。
「男に二言はないな? 後悔するなよ?」
ずんぐりむっくりした小柄な身体で二本の長い包みをいそいそと担ぎ上げるその姿を見て、ペーレウスは今夜は昏倒することになるかもしれない、と密かに覚悟を決めた。
*
前回と同じ場所までやってくると、鍛冶師のドワーフは担いでいた二本の長い包みを並べて地面に下ろし、その布をゆっくりと取り払った。
月明りとカンテラの灯りに映し出された夜の闇の中、そこから現れた二本の大剣を目にしたペーレウスは、黒茶色(セピアブラウン)の瞳を瞠り、呼吸を止めた。
飾り気のない、シンプルだが洗練されたフォルムの鞘に収まった二本の大剣は、双子のように同じ形状をしていた。
だが、そこから立ち昇って感じられる気質-----纏っているオーラの種類が、まるで違う。
そんなペーレウスの思いを読み取ったかのように、鍛冶師のドワーフが促した。
「手に取って鞘から抜いてみろ。もっと違いが分かるはずだ」
生みの親の言う通り、鞘から刀身を抜くと、その違いは一目瞭然となった。
片や全身が昂揚するような血気盛んなオーラを放ち、片や頭の芯がスッキリと冴え渡っていくような透徹(とうてつ)なオーラを放っている。透徹なオーラの方は、刀身がうっすらと青味がかっていた。
共に、掌にしっとりと吸い付くような握りだ。それに、見た目よりも軽い。
-----何だ、これは。
言葉にならない衝撃が全身を貫いた。手にしたものの尋常でない感覚に、肌が粟立つ。
形容しがたい深く熱い感情が胸の奥底から湧き上がって、身体中を満たしていく-----震える息を吐き出しながら、ペーレウスは傍らのドワーフを見やった。
分かる-----これは、巷で名剣と謳われるものを遥かに凌ぐクラス-----その上の領域に属するものだ。
「じいさん……あんたの名前を、聞かせてくれ」
絞り出すようにして口にした問いかけに、鍛冶師のドワーフはおぉ、と小さく声を上げて、今更ながらに自らの名を名乗った。
「そういえば、お互いにまだ名乗っていなかったな。もっともワシはお前さんの名を噂で聞いて知っていたが-----ワシの名はグレン・カイザーだ。ヨロシクな、鋼の騎士ペーレウス」
「グレン・カイザー!?」
ペーレウスは自身の耳を疑った。
グレン・カイザーといえば、世界で一番の名工と名高い、伝説的な鍛冶師だ。気難しく頑固なことでも有名で、一国の王が求めようが、莫大な恩賞が提示されようが、自分が気に入ったものを気が向いた時にしか造らない。彼の造り出す武器を求める者は数え切れないほどいるが、その所在を知る者は誰一人としてなく、故に何らかの理由で市場に流出した彼の作品には破格の値がつくと言われている。
「オレ……あんたの名前、知ってるぞ……」
「そうか。それは光栄だな」
「めちゃくちゃ有名人じゃないか……」
ペーレウスはしばし放心したように、目の前の酒好きのドワーフを見つめた。
武器を扱う者ならば、誰もがグレン・カイザーの名を知っている、そう言っても過言ではない。それほどの人物なのだ。
ペーレウスも一度でいいから彼が造った武器を手にしてみたい、と冗談交じりに口にしたことがあったが、それはもちろん、叶うはずもない夢の話としてだ。
それが、今。
現実に、自分の手の中にある。
しかも、自分のものとして、だ。
「あんたが……あの、グレン・カイザーだったなんて……」
まだ信じられない、といった面持ちのペーレウスを見て、鍛冶師のドワーフはおかしそうに白髭を揺らした。
「そんなに驚かれるとは思わなかったな、何だかこそばゆいわい。……どうだ? 二本の剣を手にした感想は」
「……スゴい。震えが来たよ。双子みたいな外見なのに、性格はまるで正反対なんだな」
「やんちゃな方がヴァース、落ち着いている方がウラノスだ。ヴァースは使い手の攻撃力を高めると同時に防御力もちょっぴり上げてくれる効果があってな、ウラノスは攻撃力は若干ヴァースに劣るものの、相手の魔力を奪う力と高い魔法防御力を持っている。お前さんは魔力を持たない鋼の騎士だ……敵によって使い分けられた方がいいと思ってな、性質の異なる兄弟剣を造った」
「グレン……」
ペーレウスは胸を熱くして伝説的な鍛冶師を見つめた。
「ありがとう……大事にするよ。あんたの造ってくれたこの二本の剣-----ヴァースとウラノスに恥じないように、オレも精進し、努力を続ける。本当に……ありがとう」
二本の大剣を胸に抱き、ペーレウスは腰を折って深々とグレンに頭を下げた。
「よせよせ、ワシが好きでやったことだ。どうやらヴァースとウラノスもお前さんを気に入ったようだしな、お見合いは成功といったところか。互いが生涯の相棒となれるかどうか……後は、お前さん達次第だよ」
グレンは照れくさそうに笑いながら短い腕を伸ばし、ペーレウスの腰の辺りを叩いた。
「さぁ、そろそろ酒場に戻って酒を飲もう。今夜は浴びるほど飲んでやるからな、覚悟しろよ。朝まで離してやらんからな!」
「酒場中の酒がなくなっちまいそうな勢いだな……まぁあの主人には世話になっているし、たまには売り上げに貢献してやるのもいいさ」
それに、とペーレウスは言を紡ぐ。
「グレン・カイザーと剣の談義を交わせるなんて、なかなかない機会だ。剣士冥利に尽きるよ」
「ふふん、年寄りの心をくすぐるようなことを言いおって。途中で潰れるなよ」
「努力はするよ」
心から楽しげにそんな会話を交わしながら、二人は酒場への道を歩き始めた。
長身のペーレウスと、彼の胸の下辺りまでの身長しかないグレン。並んで歩く不揃いな二つの影を、青白い月の光が長細く地面に映し出していた-----。