Beside You3 〜始まりの魔法都市〜

13


 アヴェリアから遠く離れた人気(ひとけ)のない土地―――山々の稜線を臨む緑豊かな平原。

 その上空に、突如として花火のような閃光が弾け、爆発音が響き渡った。

 失った目の上に手をあてがうようにして一人それを見上げた隻眼の魔人(ディーヴァ)は、可笑しそうに口元から鋭い牙を覗かせた。

 この時、世界各地で時同じくして同様の現象が起こっていたのだが、大変な騒ぎになったそれがいったい何であったのか、人々はついぞ回答を見出すことはかなわなかった。

 変現(メタモルフォーゼ)したガラルドによく似た色彩を持つその魔人(ディーヴァ)は、上半身は筋肉質な赤銅色の肌を晒し、ゆったりとした黒のパンツを透け感のある水色の帯で留めただけの大変ラフないでたちだった。

「は……色々甘(あめ)ぇな、セラフィス。オレ様の血肉から生成したモンをろくにチェックもしねぇままいきなり実戦に投入とかよぉ……そりゃ、弊害出るに決まってんだろうが。てめぇの力を過信しすぎだ」

 自身の身長ほどもある巨大な剣を背負った魔人(ディーヴァ)はそう言って愉快そうに肩を揺らすと、目にあてがっていた手をゆっくりと外した。

 かつて自身の眼球であった魔玉を通じて、セラフィスと自らの落胤(らくいん)との戦闘の一部始終を目撃していた彼は、最後に魔玉に集まっていた膨大な力を時空に拡散させて消失させるという悪戯をやり終えて、上機嫌だった。

「いやしかし、面白ぇモンが見れたわ。これでセラフィスの野郎を一生イジれんな〜。あいつの甘さに感謝しねぇと」

 いつも澄ました顔をしている眷属の青年にしてやったりの笑みを浮かべつつ、自身の落胤の想像以上の奮闘ぶりに、彼は心躍るのものを感じていた。

 あの悪戯はそんな息子への餞(はなむけ)であったのかもしれない。

「まあまあヤルじゃねぇの……」

 二度と顔を合わせることはないであろう息子への賛辞を口にして、その魔人(ディーヴァ)―――ディーゴは腰まである乳白色の髪を風にたなびかせた。



*



 深紅の魔玉から光が失われ、そこに蓄えていたはずの膨大な力が魔槍から消失していることに気が付いた時、セラフィスはそれがこの魔玉の元となった眼球の持ち主、ディーゴの仕業であると直感した。

 充分に気を付けて精製したつもりだったがまだ詰めが甘かったか―――あの野獣の干渉を許してしまうとは、一生の不覚だ。

 同時に彼はここが潮時であると悟った。

 まだ余力はあり、傷を癒せば十二分に渡り合える。

 ただ殺すだけであれば、造作もない。

 だが、それはセラフィスの美学に反した。

 怒りに駆られて、力ある者が矮小な者を血眼になって潰しにかかるなど、彼にとっては醜悪極まりない所業だった。

「……」

 セラフィスはどこか他人事のように自らの中心を貫く光の剣を見つめ、その刀身に手を伸ばした。

 種の頂点に君臨するセラフィスに対し、絶望的な戦いに臆することなく挑んできた彼ら。不可避だったはずの魔槍の決め技を未然に防ぎ、且(か)つセラフィスに浅からぬ手傷を負わせるという、土壇場で不可能を可能にした彼らが放った強く儚い輝きは、確かな美しさを持ってセラフィスの心を揺らしていた。

 これ以上の固執と干渉は、野暮というものだろう。

 自身の肉体を貫く魔力の剣をゆっくりと掴んで抜き去ったセラフィスは、剣の柄を握りしめたままこちらをにらみつけるガラルドごと乱暴に床へ投げつけた。

 激突を免れ鮮やかに着地する半魔の青年を見下ろし、その傍らに駆け寄る至高の宝玉へと視線をやりながら、深い溜め息を吐く。

「……興覚めだ」

 セラフィスの中にあったフユラに対する執着は、その言葉通り急速に冷めていきつつあった。

 美しいものをくすぶらせるのは、彼の本意ではない。皮肉なことに連れ帰って囲うより、この野獣の落とし胤(だね)と共にある方が彼女の輝きが増すであろうことを、この戦いで見せつけられてしまった。

「―――好きにするがいい。二度と会うことはないだろう」

 臨戦態勢を崩さないままこちらを見上げる二人に淡々とそう告げると、セラフィスは傷ついた翼をバサリと羽ばたかせた。

「―――!?」

 突然の宣告に息を飲んでその言葉の真意を汲み取ろうとしている二人から視線を外し、セラフィスは自らが開けた大穴から、うっすらと白んできた夜明けの空へ飛び立っていく。

 激戦の跡に白い羽を幾ばくか舞い散らせて、大いなる脅威は去っていった。

 残されたガラルドとフユラはみるみる見えなくなっていくその姿を茫然と見送りながら、しばらくの間、大穴から明るさを増していく空を眺めていた。

「……。あたしのこと、あきらめてくれたって……そう取って、いいのかな……?」

 やがて隣に立つ青年を半信半疑の面持ちで見上げた少女に、相手も半信半疑といった面持ちを返した。

「額面通りに受け取れば、そういうこと……だろうな」

 互いに顔を見合わせた二人は、そこでようやく表情をほころばせると、どちらからともなく抱き合った。

「良かった……良かったあぁっ……! ガラルド、ガラルドぉぉっ……! 生きてるっ……二人とも、生きてるぅっ……! ありがとう、本当にありがとうっ……!」
「ああ、二人とも無事だっ……! よく頑張ったな……! ギリギリのギリギリだったが、どうにかアイツを退けられた……!」

 傷だらけの二人は戦闘で薄汚れた頬を寄せ合うようにして、お互いの無事と因縁の相手からの解放を心から喜び合った。

 限界を超えた戦いに身を投じた影響で身体の節々が痛み、見た目はひどい有り様だったが、その笑顔だけは何よりも輝いていた。

 長く張り詰めていた緊張がほどけて、互いを抱きしめ合ったままその場にへたり込むように膝をついた二人は、泣き笑いの表情で見つめ合った。

「ふふっ……も、ボロボロだね……」
「正直指を動かすのも億劫だ……」

 額を合わせるようにして苦笑しながら、それでも互いを掴む手だけは離さない。

 失わずに済んだ、大切なぬくもり。

 それがこの手にあることが何よりも尊くて、愛しかった。

「……。ガラルド……あたし、ガラルドとずっと一緒にいてもいいのかな……?」

 保護者の青年の腕の中で彼の鼓動と息遣いを感じながら、おそるおそる、フユラは切り出した。

「この施設で生まれたあたしは、いわゆる自然の命とは違って……本当は、こんなこと、願っちゃダメなのかもしれないけど……。でも……でもね、許されるなら、あたしはずっと、ガラルドと一緒にいたい。これからもずっとガラルドの傍にいて、一緒に生きていきたい―――出来れば保護者と被保護者じゃなく、一人の男性と、女性として―――」

 なけなしの勇気を振り絞って、フユラはガラルドにありのままの自分の気持ちを告げた。

 溢れる熱情と祈りにも似た切なる想いを潤んだすみれ色の瞳に乗せて、間近にある紅蓮の双眸をまっすぐに見据える。

「保護者としてだけじゃなく、一人の男の人として、ガラルドのことが好き―――だ、だからっ……出来るなら、あたしはガラルドと、こっ、恋人同士にっ……なりたいの!」

 力みすぎて噛みまくりながら、でもしっかりと自分の正直な気持ちを伝えて、フユラはぎゅっと唇を結んだ。

 思いの丈を伝えたことで感情が昂り、気を抜くとまだ相手の返事を聞いてもいないのに泣き出してしまいそうになる。

 真っ赤な顔で涙を堪(こら)えながら、審判を待つような心持ちになって小さく震えていると、ガラルドが思わずといった調子で軽く吹き出すのが聞こえ、フユラは大いにショックを受けた。

「!? 笑っ……!?」

 真剣な告白をまさかそんなふうに返されるとは思っていなかったので、思わず本気で泣き出しそうになっていると、それに気付いた相手が悪い、と詫びてきて、断りを入れる前兆のようなその文言に、フユラの瞳からはボロッと涙が溢れ出した。

「―――っ! 違う、そういう意味じゃねぇ!」

 大いにあせった様子のガラルドに溢れる涙を指で掬われて瞳を瞬かせると、その拍子にポロポロこぼれ落ちてきた涙を再び優しく指で拭われた。

「そうじゃなくて……一生懸命気持ちを伝えてんのが、か、可愛いと思ったんだよ……」

 ガラルドは少しためらいがちに、初めて見せる面映ゆそうな表情で、フユラにそう釈明した。

 彼に等身大の青年としての姿を初めて見せてもらえた気がして、そして彼に初めて可愛いと言ってもらえて、フユラの胸は喜びと淡い期待に高鳴った。

「お前の気持ちが嬉しくて、くすぐったくて、何かそういうのが色々キて―――あんな反応になったんだ。……悪かった」

 照れくさそうに、でもしっかりとフユラの目を見据えて、ガラルドはそう言った。

 セラフィスとの戦闘の最中(さなか)にようやく自覚した、フユラに対する自身の想い―――それに向き合って逃げない覚悟を、彼は決めていた。

 半魔として生まれ落ち、人としての幸せをおおよそ知らずに育った自分。

 普通の幸せがどういうものなのかは分からないし、そんな自分が彼女に幸せを与えてやれるのかも分からない。

 そこを恐れる気持ちはあるが、彼女はそんな自分とずっと一緒に生きていきたいと言ってくれていて、自分もそうありたいと願っている。

 ―――ならばむやみに恐れて遠ざけるのではなく、彼女と二人、この先の人生という名の道を共に歩いて、自分達なりの幸せを探してみよう。

「―――本当に、オレでいいのか?」

 目の前の大切な少女を真摯に見つめて、ガラルドはそう尋ねた。

 それは彼女の保護者であった者としての責任感から出た問いかけでもあった。

 今ならまだ踏みとどまれる。

 だが―――、一度手に入れてしまったなら、もう二度と、手放すことなど出来はしない―――絶対に。

 そんなガラルドの返答に感極まった様子のフユラは、涙を散らせて即答した。

「ガラルドがいいの! ガラルドでなきゃダメなの!!」

 そう叫んできつくしがみついてくるフユラの細い肢体を、ガラルドは万感の思いを込めて抱きしめ返した。

「―――いいんだな。覚悟しろよ……離さねぇぞ、ずっと―――」
「うん……うん……! あたしも絶対に離さないから……!」



 ずっとあなたの傍らで、共に、生きていく―――。



 誓いを秘めた言霊を交わし合い、二人の心がピタリと重なった、その時―――。



「―――!?」
「―――っ、何だ……!?」

 フユラの左手首とガラルドの左の足首に仄かな熱が灯り、二人の呪印が淡い輝きを帯びて、そこからフォンッ、と気流のようなものが巻き起こった。すると、そこにぐるりと一周するようにして刻まれていた黒い呪紋が、まるでそれに導かれるようにして皮膚から剥離し、そして次の瞬間、空中でひと際眩い光に包まれると、まるで燃え溶けるようにして消滅していったのだ!

 思いがけない事態に呆然とするガラルドとフユラの視線の先で、呪紋の残滓(ざんし)がキラキラと、まるで黒い鱗粉のように舞っている。

「―――そうか。解呪の条件は……」

 それを見やりながらガラルドは呟いた。

 フユラの母が二人に施した生命を繋ぐ呪術、おそらくその解呪の条件は、フユラが愛し、かつフユラを愛する者が現れることだった。

 彼女を心から愛し護ろうとする存在が現れることで、呪印で強制的にフユラを護ることを課せられたガラルドの役割は終わり、二人の生命を繋ぐ呪術は消失したのだ―――。

 娘が成長し人生を共にする相手と巡り合うまでの同伴者、それがフユラの母がガラルドに課した命題であり、彼はあくまで繋ぎを任された立ち位置だったというわけだ。

 まさかガラルド自身がそのまま娘の運命の相手になるとは、彼女の母も夢にも思っていなかったに違いない。

「お母さん……」

 消えゆく呪紋の残滓(ざんし)を見つめるフユラが堪(こら)えるような表情を見せた。

 十三年前、瓦礫の上に傷だらけで倒れていた彼女の母親の姿が、ガラルドの脳裏をよぎる。血のこびりついた腕を伸ばし、最後の力を振り絞ってガラルドにフユラを託した彼女は、娘の身を案じながら、ガラルドに詫びながら、この世を去った。

 ―――墓標もないフユラの母の前で誓いを捧げる機会は、今この時を於いて他にないと思えた。

 膝に力を入れてフユラと共に立ち上がったガラルドは、黒い光の残滓が煌めく下、ふんわりとした彼女の銀色の髪を耳元に流すと、たおやかなカーブを描くその頬を掬いあげるようにして彼女の顔を上向かせ、色づいたその唇にそっと自らの唇を重ねた。

 爪先立ちになって応えるフユラを抱き寄せ、何度も優しく口づけて、彼女を大切にしていくことを心の中で誓う。

 それに応えるフユラもまた、自分を慈しんでくれた母に、ガラルドと巡り合わせてくれたことへの感謝と、彼と共に力を合わせてこれからを生きていくことを誓っていた。

 くしくも天井に開いた大穴から朝日が差し込んで、そんな彼らを祝福するように柔らかな陽光で照らし出す。

 まるで荘厳な一枚の絵画のようになって佇む彼らの姿を、戦場跡から遠巻きにただ一人、傷だらけのカーラだけが見つめていた。

 彼女には二人の細かい事情は分からなかったが、何故か、その光景を目の当たりにして、目頭が熱くなるのを覚えずにはいられなかった。 
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