遠雷を孕んだ魔人(ディーヴァ)の声音が、崩壊していく研究施設に響き渡る。
「そのしつこさ、そのタフさ、害虫は四肢を切断し意識を刈り取るところまでせねば、神聖な儀式の間じっとしていることも出来ないのか……? 非常に不愉快だ……」
「害虫はてめぇだろ……自分を拒否し続けている相手をねちっこく付け狙いやがって―――この変態ストーカー野郎!」
深緑の紋様を力強く光り輝かせる半魔の青年は、地上のほぼ全ての者が屈するであろうその威圧に動じない。それどころか煽る言葉を浴びせながら、自らに寄り添う少女を固く抱き寄せた。それが揺るぎのない彼の意思表示だ。
その精悍な顔を仰ぎ見ながら、先程の言葉は夢でも聞き間違いでもなかったと改めて確信するフユラの胸は場違いな高揚感に満たされる。未だ危機の真っ只中なのは変わりないが、彼女の心の持ちようは大きく変わっていた。
視線はセラフィスに向けたままフユラの身体を抱き寄せていたガラルドの腕が緩み、言外に自分から離れるよう示唆する。
彼の意図を正しく汲み取った少女はおぼつかない足取りで出来る限りの距離を取って壁際へと身を寄せると、大きなダメージを負った自らの回復に努め始めた。
「己をわきまえぬ半魔め―――四肢が胴体から離れてもそのような口を利いていられるか、試してやろう。貴様のような者が私のモノを横取りするなど、口にするだけで万死に値する!」
大いなる怒りを露わにする魔人(ディーヴァ)の青年はこれまでとは明らかに雰囲気が違う。その全身から揺らめくように噴出する憤怒の波は圧倒的な力を伴って大気を震わせ、それは離れた場所にいるレイオールとカーラにも伝わった。
「カ、カーラ! これは……!?」
振り撒かれる殺気に落ち着きなく辺りを見回すレイオールの傍らで、カーラは眉間を険しくした。
「……まずいな」
この辺り一帯を即時消滅させかねないほどの恐るべき力の波動を感じる。純粋な魔人(ディーヴァ)とはこれほどの化け物か―――漏れ伝わる殺気だけで息の根を止められてしまいそうだ。
半魔の自分とではまるで領域が違う、肌に感じて改めてその恐ろしさを思い知りながら、カーラは今まさにこの相手と対峙しているであろう同胞の青年を思った。
……。あいつは……こんな相手と目の前で向き合っているのか……。
頬骨に力を込めて、カーラはぐっと拳を握りしめた。
ここへ来て、これまで予測もしなかった想いが彼女の中に生まれていたのだ。
「―――レイオール。助けた被験体達と一緒に結界を張って物陰に身を潜めていろ。私はあちらの様子を見てくる」
「えっ!? で、でもカーラ……!」
「分かっている、私などが行ったところで何が出来るわけでもない。ただ様子を見てくるだけさ……あの魔人(ディーヴァ)は目的さえ達すればそのまま大人しく立ち去る可能性もある。……その場合、少なくとも隠れているお前達は助かるだろう」
それはあくまでレイオールの結界が魔人(ディーヴァ)の恐るべき力の余波を防げたら、という前提ではあるが。
自分程度が戦闘の爆心地へ向かったところでどうなるとも思えないが、ここで何もしていなくとも巻き込まれて死ぬ可能性があるのならば、せめてその瞬間を見届けたい。本当にそれを受け入れるしかないのか、それとも何か手立てがあるのか、少なくともそれを見極めてくるべきだ―――そう思った。
ひいてはそれがレイオール達の生存率を上げることに繋がるのかもしれない―――……それに。
「カーラ、それはそうかもだけどっ……」
困惑を顔に刻むレイオールにカーラは灰色の瞳を向けて言った。
「それに、お前はあの娘をむざむざ死なせたくはないのだろう?」
「! それはそうだけどっ……でも、カーラ……」
「この事態を招いた一端は私にある……それにな」
下目がちに言葉を区切って、カーラはほろ苦く笑んだ。
「私はこれまで己の生を恨んで生きてきた。どこへ行っても居場所のない人生に絶望して、いっそのこと死んでしまいたい消えてしまいたいと幾度も思いながら……死ねなかった。いや……多分、これまで本気で命を張ろうとしたことが、私にはなかったのだと思う」
「カーラ……」
「何故だろうな……そんな自分がここへ来て、年甲斐もなく、おとぎ話のような結末を見れるものなら見てみたいと思ってしまった。ごくわずかでもその可能性があるのなら……ならばそれに賭けてみたい、と―――。そんな結末がもし本当に訪れることがあるならば―――こんな私の未来にももしかしたら……奇跡的と呼べる、そんな結末があるのかもしれないと―――浅ましく、そんなふうに思ってしまったんだ」
自嘲するカーラにレイオールはかぶりを振り、訴えた。
「幸福を望むのは、希望を抱くのは、生きていれば当たり前のことだ! この世に生を受けた以上、誰にだってそれを望む権利はある! 何もおかしなことじゃない!!」
「はは。どうしようもない放蕩息子だと思っていたが、お前は案外優しいいい奴だったらしい。こんなことにでもならなければ知りようもなかったな……人とは、分からんものだ。……。出来れば死ぬなよ、お坊ちゃま」
初めて見せる儚い笑みを浮かべて背を向けるカーラに、レイオールは慌てて呼びかけた。
「! 待って、カーラ!」
振り返ったカーラは、自身を護るように包み込んだ白い光に切れ長の双眸を見開いた。
「これ、今のオレに出来る精一杯……! フユラを……ガラルドさんを頼むよ……!」
レイオール渾身の守護の呪術だ。彼の人柄が現れているのだろうか、カーラを包むその光はどこか温かく、柔らかいように感じられた。
「ふ……期待はするなよ。さっきも言ったが、私ごときのチカラで何が出来るわけでもないんだ」
軽く口角を上げるカーラにならって、レイオールもまた意識的に口角を上げた。
「カーラ、君はオレと一緒にこの子達の居場所を作らないといけないんだ、それを忘れないでね。約束っていうのは守る為にするものだからね……!」
カーラはレイオールの後ろにいる被験体の子供達に目をやった。培養器から出たばかりでまだ自分達の置かれた状況を何も知らない、三人の幼子達―――……。
「……。お前は存外いい男になりそうだな、レイオール」
カーラはそっと半眼を伏せてそう言い置くと、髪を翻し駆け始めた。
これから死地に赴くというのに、何故かそんな現状とはほど遠い、どこか温かな心持ちになって―――。
*
「身の程を知れ!」
苛烈極まるセラフィスの猛攻を紙一重でしのぎながら、ガラルドは反撃のチャンスを窺っていた。
一瞬の判断の誤りが死へと直結する局面の中、彼の五感は今、最高潮に研ぎ澄まされており、細胞レベルで反応するような戦いに身を置きながら、思考はどこかクレバーだった。
やはり生粋の魔人(ディーヴァ)であるセラフィスは強い。圧倒的な火力を前に、半魔のガラルドはどうしても防戦を強いられる形になる。認めるのも腹立たしいが、やはり生まれ持った能力差はいかんともしがたい。
それを表面上でもどうにか渡り合えているのは、ガラルド自身が培ってきたこれまでの努力とフユラのサポートによる賜物だ。
自らの傷を癒し終えたフユラは補助呪術でガラルドの能力を底上げしつつ、周囲に幾重にも防護壁を展開させてガラルドをセラフィスの脅威から護っていた。
そんな極限の状況の中、先に限界を迎えたのはガラルドの集中力ではなく、彼が手にした武器の方だった。
この大振りの剣は元々、遺跡から盗掘を繰り返していた窃盗団と成り行きで戦闘になった際に手に入れたもので、銘は刻まれていないが、ガラルドはこの剣をひと目見た瞬間に惹かれるものを感じ、手にしっくりと馴染む感触が気に入って、そこから自分の相棒として長い年月を共に歩んできた。
これまで刃こぼれなどしたことのない頑丈な剣だったのだが、魔人(ディーヴァ)が振るう、魔人(ディーヴァ)の眼球から抽出された魔玉を埋め込んだ、世に出たら伝説級間違いなしの魔槍と何度も渡り合うのはさすがに負荷が大き過ぎたようだ。
大振りの剣の刀身が軋み、限界を訴える様に気付いたセラフィスが唇の端を吊り上げる。
「命運尽きたようだな」
奥歯を噛みしめてにらみ返すガラルドの眼前で、その刀身に細かいヒビが入り、亀裂が徐々に広がっていく。
―――お前が限界を迎えるのも無理ねぇよな。ひでぇ無茶させちまったもんだ……。
心の中でそう詫びながら、ガラルドは集中力を切らすことなく、天寿を全うしゆく愛剣との同調を最後まで高め続けた。
「武器の優劣はそのまま持ち主の格の違いに直結する!」
瀕死の剣にとどめを刺そうと、槍を繰り出すセラフィスの肩がわずかに力んだ。その瞬間をガラルドは見逃さなかった!
主に呼応した大振りの剣が蒼白い光を収束し、唸りを上げる!
―――そうだ、お前はいつもそうやってオレに応えてくれた!
「なっ―――!?」
名剣が散る間際の眩いまでの輝きに、セラフィスが目を剥く!
力んだ分一瞬遅れた災害級の一撃をギリギリかわしざま、ガラルドはがら空きになった相手の右脇腹にカウンターとなる激烈な一撃を叩き込んだ!
「……ッ!」
―――長い間ありがとうよ……!
確かな手応えと同時に、限界を迎えた刀身がへし折れた。
長年手に馴染んだ相棒の最後だった。
だが、ガラルドにはわずかな感慨にふけっている暇もなかった。
間髪入れず返される大気をつんざくような横薙ぎをのけ反ってかわし、続けざまに繰り出される鬼のような連撃を首の皮一枚で回避する!
そんなガラルドの耳に予想だにしなかった声が届いたのは、次の刹那だった。
「―――これを使え!」
声と同時にこちら目がけて飛んできた“それ”を反射的に掴み、ガラルドは続くセラフィスの攻撃を間一髪受け止めていた。
「―――カーラ、さん!?」
思いも寄らなかった援軍にフユラがすみれ色の瞳を大きく瞠る。
声の主は半魔の女剣士だった。ガラルドが受け取ったのはカーラが投げてよこした彼女の剣だったのだ。
「まがりなりにも名剣と評されるひと振りだが、長くは持たんぞ!」
叫ぶカーラに視線はセラフィスに向けたまま、ガラルドが声を返す。
「ああ、助かる!」
カーラの心情にどういう変化があったのかは分からないが、僥倖だった。
丸腰でセラフィスと渡り合うのはどう考えても不可能だったからだ。
「―――害虫がまた一匹……」
忌々しげにカーラを一瞥したセラフィスはガラルドに視線を戻すと、氷蒼色(アイスブルー)の瞳に仄暗い色を灯した。
「一度ならず二度までもこの私に傷を―――許さんぞ……! 魂まで滅してくれる……!」
くしくも八年前と同じ箇所から鮮血を滴らせることになった魔人(ディーヴァ)の怒りは頂点に達していた。
「はっ……! 害虫扱いの半魔に二度も後れを取るなんて情けねぇなぁセラフィス!? お前の言葉を借りれば非常に美しくねぇ! 醜態を晒している自覚があんなら今の自分を美しくねぇと認めて、てめぇの評価を下げやがれ! でもって金輪際フユラには近づくな! そもそもてめぇは最初(ハナ)っからフラれてんだからよ!」
ガラルドは口元を歪めて怒り心頭のセラフィスをことさらに煽り立てた。
強者ゆえに自分の優位を信じて疑わない、ゆえに常に隙と隣り合わせ―――それがセラフィスという相手だった。
種の頂点に君臨し絶対的な強者である彼は、その気になればいつでもこちらの命を摘める、その揺るぎのない自信ゆえに万が一のことなど夢にも考えず、全力で小物の相手などしない。全力で小物に相対するなど、それこそ恥だと思っているのだ。
常に全力を投入していなければやられるガラルドとは真逆の立ち位置―――それこそがセラフィスの弱点であり、ガラルドの付け入る隙であると言えた。
大いに怒り気を乱すがいい。
屈辱的な言葉を浴びせ続けながら、ガラルドはチャンスを窺う。
セラフィスもガラルドがわざと煽りにきていることなど当然分かっているだろう。だがそんなことは承知の上、分不相応な半魔を圧倒的な力でねじ伏せに来る。
それが彼の魔人(ディーヴァ)としてのプライドであり、美しいと思う自身の在り方だからだ。
セラフィスは格下のガラルドに対し、あくまで余力を示した上での圧倒的な勝利にこだわる―――だから彼は傷を癒す能力を有しながら、自身の傷を癒すこともしない。格下に付けられた傷をその場で回復させるなど、セラフィスの矜持が許さないのだ。
「調子に乗るな、害虫め……!」
彫像のような唇から剣呑な響きを含んだ低い声音が吐き出されると同時に、セラフィスの魔力がこれまで以上に膨れ上がった。同時に、戦場に放り出されたガラルドの剣の柄を手に取っていたフユラの周囲を高度な結界が取り巻く!
「! えっ!?」
フユラが驚きに目を瞠る。それはセラフィスが自身の力からフユラを守る為に張ったものだった。
「―――だよなぁセラフィス、お前は優先順位を変えられねぇんだ……!」
ガラルドは喉の奥で低く笑った。
まずはフユラとオレを繋ぐ呪印を解く、それからようやくオレを殺してフユラを手に入れる……! どうしてもフユラを手に入れたいお前には、一撃でオレを殺すという選択が出来ない……!
どれほど凶悪な力を誇示しようが、その攻撃には必ず手心が加わる……!
―――だからオレは絶対に即死することはない、それがオレの強みだ……!
フユラに目配せを送りながら、ガラルドは自らの集中力を極限まで高めていく。
借り物のカーラの剣がどこまで持つか分からない。短期決戦以外に生き残る道はない。
防御は考えず、回避と攻撃特化で行く!
「ああ、汚らわしい、煩わしい……! 消えてなくなれ、我が前から!」
「お前が本気出しゃ即座に叶う願いだって、知ってるよ……!」
怒りに震えるセラフィスが大きく両腕を広げた瞬間、これまでセラフィスから殺気と共に放出され、空間を幾重にも取り巻いていたおびただしい量の魔力が空気中で微かな光を放った。そして次の瞬間、それは恐るべき魔力の爆発という形で還元されたのだ!
「……ッ!」
目も眩む光と衝撃、この世の終わりのような轟音、崩れかけの建造物は消し飛び、天空を望む大穴が開く。死を覚悟したカーラが派手に吹き飛ばされながらもどうにか一命を取り留め目を開けた時、そこには示し合わせたようにフユラと共に地を蹴り、セラフィスに肉薄するガラルドの姿があった。
ガラルドの目配せによって先に走り出していたフユラが、ガラルドを抱きかばうようにして盾の役割を果たした直後、二人はセラフィスが力を放ち終わった後の一番無防備になる瞬間を狙って駆け出していたのだ。
「オレ達の絆は……! お前には絶対に切れねぇ!」
「切らせない……! 絶対に!!」
共に生きていく為に―――!
強い覚悟を魔力に変えて臨むフユラの風の刃がセラフィスの両翼を切り刻み、能力の限界を踏み越えんとするガラルドの渾身の一撃がセラフィスに炸裂する!
―――美しい。
爆風と塵埃(じんあい)を切り裂いて自らに襲い来るその連携攻撃を目の当たりにした時、セラフィスは驚嘆と共にそう感じた。
脆く弱く厭わしいもの、その存在が力を合わせ、己の全てを賭けて、極限まで高めて放つ一撃―――限界を超えた能力の発揮、それがこれほどまでに眩く美しいものだとは―――……。
肩から胸にかけて鮮血を噴き上げながら、セラフィスはバサリ、と血に染まった両翼をはばたかせた。
だが、所詮は弱者と強者―――この身に傷を負わせはしても、弱者が最強種たる魔人(ディーヴァ)を倒すには至らない―――そんなものは叶わぬ幻想、夢物語にすぎぬのだ。
馴染みのない剣を使ったガラルドの一撃はセラフィスに膝をつかせるには浅く、フユラの風の刃はその飛行能力を奪うまで至らなかった。
そう―――奇跡などというものは起こらない。
長い睫毛に縁取られた氷蒼色(アイスブルー)の双眸で傲然と眼下の二人を見下ろすセラフィスは、宙空で大技を放つ構えを取った。
魔槍に埋め込まれた深紅の魔玉が妖しく光り、そこにみるみる力が集約して凶悪な輝きを増しながら、セラフィスのつややかな金の巻き毛をたなびかせ、ガラルドの左右背後に紅い光の槍を出現させる!
「!」
表情を険しくして身構えるガラルドの背に背を合わせるようにしてフユラがピタリと寄り添った。
「後ろは任せて! 二人ならきっと……!」
「……! ああ、任せた!」
先程この光の槍の攻撃を剣で防ごうとした時はまるで空気のように突き抜けたが、守護の呪術と結界を貫く際はそれを打ち破られる感覚があった。魔力による防御で防ぐことは可能なはずだ。
フユラの指が後ろ手にガラルドに触れる。ガラルドは確かな意志を持ってその指を握り返した。
「一方向だけ防げたとして、意味はないぞ」
整った容貌に紅い光を映しながらセラフィスが警告する。
セラフィスの結界に守られたフユラのいる背面からの攻撃を防げたとして、左右の光の槍、そして正面上空から放たれる暁の狂槍の投擲を防げぬ限り、二人の未来は確定する。
無力に座り込みそれを為す術なく見守るしかないカーラの前で、セラフィスは容赦なく集約した力を解き放った!
恐るべき力を秘めた紅い光の槍が、三方向から刹那の速度でガラルドとフユラに襲いかかる!
バチィィィンッ!
「ぐッ……!」
激しい衝突音と共にフユラが展開する多重防護壁を左右から貫いた紅い光の槍は、続いてガラルドの守護の呪術を打ち破ると、さらにその奥の深緑の結界をも破壊しようと迫りくる!
「くっ……!」
フユラはそれを阻止しようと内側にもう一枚防護壁を挟み込みが、それを傍目に、セラフィスは暁の狂槍を投擲する構えに入った。
「涙ぐましい努力だが……それを防ぎながらこれを阻止することは出来るのか?」
魔槍に込められた恐るべき力の奔流を受けて、絹糸のような金の巻き毛が宙に遊ぶ。深紅の宝玉が放つ凶悪な輝きが、絶望の色を落としてカーラの上に降り注ぐ。
「そいつは物理で叩き落とす!」
「―――ふ! やれるものなら―――!」
応じるガラルドにセラフィスが不敵な笑みを浮かべた瞬間、ガラルドは予備動作なしに、手にしていたカーラの剣を驚異的な膂力(りょりょく)でセラフィス目がけて投げつけたのだ!
「―――!?」
「なッ―――!?」
セラフィスばかりかカーラまでが目を疑った。
まさかこれで不意を突いたつもりか―――?
それともこんなもので私の槍を本気で叩き落とせるとでも―――?
愚行、まさにそうとしか言いようのないその行為に、怒りとも落胆ともつかない感情を覚えるセラフィスの前で、突如としてフユラの魔力が膨れ上がり、爆発した!
「うあああああ―――ッ……!」
少女の絶叫と共に眩いばかりの光の氾濫が巻き起こり、それに飲み込まれた紅い槍が消滅する気配が伝わってくる。
―――ほう、こちらはなかなか……。
それは瞬きするにも満たない時間、ほんの刹那に起こった出来事。投げつけられた剣をわずかな失意と共に弾き、愚かな半魔に裁きを下そうとしたセラフィスは、驚愕に息を飲んだ。
光の氾濫に紛れ、その気流に乗って跳んでいたガラルドが彼のすぐ足元まで迫り、蒼白く輝く光の剣を振りかぶっていたのだ!
「な―――!」
セラフィスは目を疑うと同時に床にへたり込むようにしたフユラの姿を視界の端に捉え、ガラルドが携えるその剣が折れた彼の剣であり、フユラが全ての魔力を込めて刀身を顕現させた魔法の剣なのだと直感する。
そういえば彼女は先程、あの半魔の折れた剣を拾っていた。
先程の閃光は紅い光の槍を消滅させると同時に目眩ましの役目も担っていたのだ。そしてガラルドが先に剣を投げつけることによって、剣による攻撃はないとこちらに思い込ませ、二重にセラフィスの目を欺いていた―――。
「うおぉぉぉぉ!」
牙を剥き吼えるガラルドから、ビリビリとセラフィスの首筋をひりつかせるような気迫が伝わってくる。これが全身全霊を賭けた、正真正銘のガラルドの最後の一撃―――!
「ぬうぅぅぅぅ!」
無意識に呼応するようにセラフィスも唸りを上げていた。
夢の人類たる少女の莫大な魔力の粋、半魔の限界を踏み越えたあの野獣の落胤たる男の身命を賭した一撃に、セラフィスの本能と呼ぶべきものが揺り起こされ、警鐘を鳴らしていた。
恐るべき反射神経をもって先の剣を弾いた槍を返そうとするが、ほんのわずか、及ばなかった。
ズシュッ……!
初めて耳にする、自身の肉を貫く生々しい音と感触、一拍置いて訪れる灼けつくような熱と痛み―――まさかの事態に愕然とするセラフィスの身体の中心を深々と貫いてにらみ上げる深緑の輝きを纏った青年は、その白髪(はくはつ)を返り血に染め、強固な意志を宿した紅蓮の双眸をギラつかせて言った。
「お前にフユラは渡さねぇ……! 絶対に、だ……!」
「……。貴様もまた、魅せられたか。あの輝きに……」
皮肉とも同調とも取れる微笑を口元に湛えながら、セラフィスは不遜な半魔に報復する為、魔槍に溜め込んだ力を放出しようとしたが、何故か深紅の宝玉からは先程までの輝きが失われ、それはかなわなかったのだ―――。