プラントの奥から駆け戻ってきたフユラの首からあの魔力抑制具(チョーカー)が外れているのを目にした時、ガラルドは心の底から安堵した。
それを既に察知していたセラフィスは枷が外れ“本来の姿”を取り戻した彼女の姿を目の当たりにすると、物憂げな氷蒼色(アイスブルー)の瞳に陶然とした色を浮かべた。
「ああ、そうだこの輝きだ―――」
形の良い薄い唇から別人のような上ずった声がこぼれた。
「久方振りに目にしたが、やはり……やはり、例えようもなく美しい……! 魂が震えるようなこの輝き、躍動感に満ち溢れたこの煌めき……! 生命の神秘が作り出した奇跡的な美しさ、まさに至高の宝玉のようだ……!」
ガラルドにはよく分からなかったが、陶酔したその口調から察するにセラフィスにとって全ての枷から解放されたフユラの姿は比類なき眩しいものに映るようだ。その熱視線に身体の内側まで浸食されるような錯覚を覚えたのか、フユラが薄気味悪そうに自分の身体を両腕で抱きかばうような仕草をみせた。
そしてそんなセラフィスのぶしつけな視線は多分にガラルドの癇にも障っていた。
「この変態粘着執着(ストーカー)野郎! 人の連れを視姦してんじゃねぇ!」
言いようのない胸の悪さにたまりかねて吐き出した言葉は、美しいものをこよなく愛する魔人(ディーヴァ)の逆鱗に触れた。
「低俗な物言いをするな。下賤な獣には審美眼という概念もないのか。美しいものの価値が分からない貴様のような輩(やから)の傍に、これ以上私のモノを置いておくわけにはいかない」
「何度も言ってんだろ、フユラはお前のモノじゃねぇ!」
「私のモノだ。貴様に邪魔はさせん」
低俗な輩に大いに侮辱されたと瞳を眇(すが)めるセラフィスは纏う空気を一変させた。
「彼女を蝕む憂慮はもはや貴様と繋がったあの忌々しい呪印だけ……! 遊びは終わりだ!」
バサリと白い両翼を広げ、セラフィスは上空へ舞い上がった。その場に滞空して大技を放つ構えを取ると、魔槍に埋め込まれた深紅の魔玉がそれに呼応して光り始め、そこにみるみる凶悪な力が集約して獰猛な輝きを放つと、ガラルドの左右背後に紅い光の槍を出現させたのだ!
「……!」
これがどんな技なのかは分からないが、確実にヤバい代物だ、ということだけは分かる。
「貴様はそこで這いつくばって大人しく事の次第を眺めているがいい!」
身構えるガラルドに傲然と告げ、セラフィスが集約した力を解き放つ!
「我が手を煩わせたことを悔いるのだな!」
刹那の閃光と化した紅い光の槍が、三方向から同時にガラルドに襲いかかる!
前方上空にはセラフィスがおり、前に逃げて回避することも宙に跳んで逃れることもかなわない―――そう判断したガラルドは自身の剣で全てとはいかずとも紅い光の槍を弾くことを選択したが、どういう原理か、光の槍は防ごうとした彼の剣を空気のように突き抜けた。
「ッ!?」
大振りの剣を突き抜けた三つの赤い光はガラルドが自身の周囲に張り巡らせていた最上級の守護の呪術を打ち破り、更には纏っていた深緑の結界をも貫いて三方向から深々と彼の身体を穿つと、その場に縫い留めたのだ!
「―――ッ、が……!」
口内に鉄の味が溢れる。鮮血に染まり沸騰するような熱と痛みに耐えるガラルドの耳に、切迫したフユラの悲鳴が届く!
「ガラルド―――ッ!!」
鬼気迫るその声に顔を上げると、セラフィスが上空から恐るべき深紅の力を纏った魔槍をこちら目がけて投擲(とうてき)するところだった。
「ッ!!」
ヒュッ、と喉が鳴り、ガラルドの生存本能が全力で警鐘を鳴らす。
「ダメ―――ッ!!」
フユラの絶叫と共に薄い青色に輝く光の盾がガラルドの眼前に出現した。そこに魔槍がつんざくような轟音を伴って激突し、衝撃波を巻き起こす!
「ッ!」
思わず歯を食いしばったガラルドが顔を背けた次の瞬間、甲高い音を立てて光の盾が砕け散ると、直後、軌道の逸れた魔槍が凄まじい勢いで足元に突き刺さり、重い地響きを立てた。
突き刺さった槍の魔玉から発光が失われると同時にガラルドを縫い留めていた紅い光の槍も消え、その場に崩れ落ちるようにして膝をついた彼は、自身の名を呼びながら駆け寄ってくるフユラに視線を向けた。
そこには自身の力を抑制する全ての枷から解放され、その身に眠る本来のチカラを初めて放った、別人のようなオーラを放つフユラがいた。あの時のハルヒを彷彿とさせる佇まいだ。
燃え立つように光り輝く澄み切ったすみれ色の瞳―――ほっそりとした肢体からは淡い青の光がまるで陽炎のように揺らめき立ち、これまで秘匿されてきた彼女のチカラが漲るような生命力となってその内に溢れ返っているのが視認出来る。
これがセラフィスが求め続けてきたというフユラの内に宿る煌めきか―――それを初めて目の当たりにしたガラルドは紅蓮の瞳を細めた。
確かに眩しい、どこか抗いがたく、こちらから手を伸ばしたくなるような輝きだ。そう、例えるならまるで青い陽光のような―――……。
「我が一撃を凌ぐとは、素晴らしい」
ガラルドの傷を癒そうとフユラが彼に手を伸ばす直前、感嘆混じりに地上へと降り立ったセラフィスに抱きかかえられるようにして、彼女は宙空へと連れ去られていた。
「! フユラ!」
「やっ―――! やだ、離して! ガラルドーッ!」
「暴れると落ちてしまうよ」
優しく諭すように言いながら、セラフィスはもがくフユラをあえて片腕で抱きすくめるようにした。
セラフィスの片腕のみで身体を支えられる形になったフユラは足がぶらんと空中へ投げ出される感覚に嫌でも重力を意識してしまい、一瞬そちらに気を取られてしまう。
その瞬間、自分を抱える魔人(ディーヴァ)から強いチカラが放たれたのを感じた時には、運命を共有する青年から苦悶の呻(うめ)きが上がっていた。
「ぐぅッ……!」
見ると、攻撃を避けきれなかったらしいガラルドが新たな鮮血に染まった両足を引きずるようにしている。息を飲むフユラが声を発する間もなく、セラフィスから再び容赦のないチカラが放たれた。
「ッ!」
満身創痍のガラルドはそれを防ぎきれず、左肩に被弾して血肉を散らす。だが、その目は光を失っていなかった。
全身を朱に染め無様に床に這いつくばりながらも、剣だけは手放すまいと紅蓮の瞳をギラつかせているその姿は、セラフィスの美意識に障った。
己が力量もわきまえず、分不相応な戦いを挑んだ挙句、醜い姿を晒して見苦しく足掻く劣等種。
―――にもかかわらず、不撓不屈の意志を宿したその目の光が自身の心の琴線を揺らしている事実にセラフィスは気付いてしまった。そう、その目に宿る光だけは美しいと―――不覚にも彼はそう感じてしまったのだ。
下等で醜悪なものとして厭う存在であるはずの半魔に対してそんな機微を覚えてしまった自身の感性がセラフィスには信じ難く、度し難い矛盾として捉えられ、それはやり場のない憤りとなって彼の胸に渦巻いていった。
―――以前対峙した時もそうだった。
八年前を思い出し、セラフィスは美しい眉間を険しくする。
この半魔はどれほど痛めつけられようと、最後までこの光をその瞳から失うことはなかったのだ。
―――あの目から、この光を失わせなければ。
自身の矛盾を許せないセラフィスはその解決方法を導き出すことでわだかまる気持ちに折り合いをつけた。そして冷静に状況を分析する。
重傷を負わせ四肢の自由も奪った―――回復呪術なしにしばらくは動けまいが、奴の体表にある深緑の紋様はまだ淡い輝きを失っていない―――油断はならない。
ガラルドへの攻撃を必死で制止しようするフユラをいなしながら、セラフィスは三度(みたび)チカラを解き放つ。
魔力を圧縮して弾き出した超高速の魔弾は被弾した半魔の青年の右腕を半ばまで千切れさせたが、それでも相手は手にした剣を取り落とすまいと奥歯を噛みしめ抗った。
「ガラルド―――ッ!!」
運命を共有する青年の名を悲痛な声で叫ぶフユラが纏う、陽炎のような淡い青の光が燃え盛る青の炎へと転化し、爆発した!
「離せ! 離せ―――ッ!!」
もはやフユラは自身が空中から落下する危険性など意に介しておらず、毛を逆立てた猫のように暴れ狂う。暴力的なまでの魔力の氾濫、そう表現するに値する彼女の猛攻は魔人(ディーヴァ)でなければ抑え込むのは難しいとさえ思えるものだった。
そんな彼女の抵抗を巧みにあしらうセラフィスが目にしたのは、大粒の涙が溢れる澄み切ったすみれ色の瞳の中に青白く輝く呪紋が浮かんでいる様だった。
フユラが力を振るう都度、その特性に合わせて瞳の中のそれが万華鏡のように形を変えて顕現している。
「ほう―――これが君のチカラの秘密か。これで魔人(われわれ)同様、呪紋などというものを描かずともその能力を行使出来ているのだな」
セラフィスは興味深げにそう言ったが、瞳を覗き込まれてそう言われても、その能力を今初めて行使しているフユラには理解出来ないことだった。
「この世に唯一無二の瞳か―――美しい」
己を毅然とにらみ上げる稀少なその瞳に満足げに口角を上げたセラフィスは、抵抗するフユラの左手首を掴み己が前に晒すと、細い手首を一周するようにして刻まれた黒い呪印を親指の先でゆっくりとなぞった。
「今度こそ、この不浄な呪印を取り除いてあげよう」
四肢の自由を奪われたあの半魔が動けぬうちに。
彼女とあの半魔の運命を分かてば、今度こそ何の憂いもなくあの醜い命を断ち、至高の宝玉のようなこの少女を手中に出来る。
そして、腹立たしいあの半魔の瞳から、我が心をざわめかせるあの光を永遠に消し去るのだ―――。
冷ややかな決意の込められたセラフィスの氷のような眼差しにフユラは心底ゾッとし、かぶりを振った。
「やっ、やだ! あたしはそんなこと、望んでいないっ!!」
母親が施してくれたこの呪印が解かれた瞬間、目の前の魔人(ディーヴァ)が容赦なくガラルドをその手にかけることが想像出来て、それが何よりも恐ろしかった。
「怖がることはない。これは禊(みそぎ)のようなものだ。肉体の損傷は後で綺麗に修復するから、何も心配しなくていい」
他者の苦痛を厭(いと)うことをしない美しい魔人(ディーヴァ)は優しい口調で恐ろしいことを囁きながら、ためらいなく解呪の力を少女の左手首に向けて放った。
「! ああ―――ッ!」
白い閃光と共にフユラの口から絶叫が迸(ほとばし)り、細い肢体が大きく跳ね上がる。
嫌だ―――嫌だ―――ガラルド……!
流れ込んでくる強大なチカラにフユラは必死で抗ったが、種の頂点に君臨する魔人(ディーヴァ)の圧倒的な魔力の前には、夢の人類である彼女であっても抗いきれるものではなかった。
無遠慮に内側に浸食してくる膨大な魔力が、身体の奥底―――生命の根源部分とでも言うべき場所に手探りで干渉してくるのが分かる。
不可侵部分にザリザリとやすりをかけながら遠慮なく探られ、無理やり削り取られ引き剥がされていくような、耐え難い苦痛を伴う筆舌に尽くしがたい不快感―――もはやフユラは満足に身動きすることも出来ず、ただ身体を痙攣させながら大きく開いた両眼からボロボロ涙を溢れさせ、無力な悲鳴を上げることしか出来なかった。
「や、あッ……やああぁぁぁぁ……!」
嫌だ、嫌だ、嫌だ―――!
勝手に触らないで、いじくりまわさないで―――!
痛い、怖い―――気持ち悪い! お願いだから触らないで!
あたしとガラルドとの絆を、こんなふうに勝手に奪っていかないで……!
それが何より怖くて、悲しい。
「……っ、ガラルド―――」
瀕死の重傷を負っている青年の名前を今ここで呼んでも、彼の負担にしかならないと分かっている。
でも、それでも。
フユラはその名を呼ばずにはいられなかった。
「ガラルドぉぉっ……!」
*
瀕死の重傷を負ったガラルドは回復に全力を注いでいた。
彼は回復呪術を使うことは出来なかったが、体表にある紋様が輝いている間は自然治癒力が飛躍的に向上するという特性を持っている。
一分でも一秒でも早く、動ける状態にしねぇと―――。
呼吸を整えながら目だけ動かして見上げた先には、セラフィスに全力で抵抗しているフユラの姿があった。
燃え盛るような青いオーラを身に纏ったフユラからはこれまでにない恐るべき魔力の波動が感じられたが、尋常でない魔力量に反し、それを上手く扱えていない様子が見受けられた。せっかくの高い魔力が攻撃に乗りきらず、威力に反映されていない。
これまで抑え込まれていたチカラを初めて解放したのだから仕方がないことなのだが、そんな彼女の攻撃をセラフィスは造作もなくさばいてみせていた。
急げ……! フユラが時間を稼いでくれているうちに間に合わせねえと……!
奥歯を噛みしめながら祈るような思いで回復に注力していると、恐れていた事態が起こった。
セラフィスがフユラの左手首にある呪印の解除に踏み切ったのだ。
必死の抵抗虚しく強大な力に抗えなかったフユラは、身体を大きく痙攣させながら切ない悲鳴を上げた。
「フユラ……!」
ガラルド自身も左の足首に尋常ならざる熱を感じながら、八年前の胸を引き裂かれるような光景を思い起こさずにはいられなかった。
セラフィスから必ず守ると誓ったのに力及ばず、今またあの時と同じ状況を繰り返そうとしている現状へのあせりと、回復が未だままならない自身への苛立ち、そして―――。
「ふむ……やはり複雑に絡んでいるな、小賢しい」
「や、あ……あああッ……!」
苦痛に喘ぐフユラを抱き寄せるようにして淡々と状況を観察しながら、容赦なく解呪の力を注ぐ青年は、どこまでも独善的だ。
「もう少しの辛抱だ。忌々しい呪いが解けたら君を今以上に、見違えるほどに美しくしてみせよう。肉体の損傷を修復して瑞々しい肌を隅々まで磨きあげたら柔らかな銀の髪をつややかに梳(くしけず)り、洗練された最高級の衣服で美しく着飾ってあげよう―――内実共に、君は美しく生まれ変わるんだ」
うっとりと囁きながら魔人(ディーヴァ)の青年は少女の胸元に指を伸ばし、鈍色のペンダントに手を掛けた。
「このような粗末なモノは、君には似合わない」
引き千切られたペンダントが軽い音を立てて床に落ち、ガラルドの目の前に滑るようにして転がってくる。
腕を伸ばしてそれを握りしめたガラルドの胸に、言い知れない激情が渦巻いた。
瑞々しい肌を隅々まで磨きあげ―――?
柔らかな銀の髪をつややかに梳る、だと―――?
「……の、変態がッ―――ンなこと、誰が、許すかよッ……!」
切れ切れにそう吐き出した掌中に、ペンダントの感触―――そこから脳裏に溢れてくるこれまでの様々な場面―――ガラルドとフユラ、二人がこれまで共に過ごしてきた時間、その分だけある思い出、積み上げてきた歴史―――ああそうだ、分かっていた―――ずっと目を逸らしてきただけだ―――。
ガラルドはきつく瞑目し、その思いを飲み下した。
このペンダントを買ってやった時―――まだ小さかったフユラはとても喜んで、好きな相手にするものだと知ったばかりのキスを自分にしてきた。温かくて柔らかい小さな感触がくすぐったくて、それが何とも気恥ずかしくて、でも、言い知れない温かさに胸が包まれたことを覚えている。
フユラが喜んでくれたのが純粋に嬉しかった。
こんな自分に対して、彼女がかけがえのない愛情を示してくれたのが嬉しかった。
その時からずっと変わらず―――フユラはガラルドに対して、かけがえのない愛情を向けてくれている。
ただいつの頃からか―――その愛情が純粋な親愛とは別の要素を含むものへと変わっていく気配を、お互いにどことなく、感じていたように思う。
フユラはおそらく意識の外で。
そしてガラルドの方は意識的に―――それを察知し、避けていた。
なぜなら、それは彼も同じだったからだ。
心から大切と思える存在―――フユラに対してその思いは変わらない。だが、日ごと年ごと成長していく彼女へいつしか、純粋な親愛では説明のつかない衝動に駆られ、意図しない行動に出てしまうことが度々あった。
先日のキスの一件などは、まさにそうだ。
保護者としては絶対にあってはならないこと、ハルヒの残した予言通りになってたまるかという思い、世間の目、良識―――様々な葛藤があって、ガラルドはフユラの瞳に灯る熱から目を逸らし続けてきた。
そして、自分自身の気持ちからも―――……。
だが、目の前の現実に全て霧散する。
自身に無意識下でかけ続けてきた枷も。
下らない意地も、取るに足らないプライドも―――……。
触れるな。
沸騰するようなその衝動に、全身が灼(や)ける。
見開かれた紅蓮の双眸に、フユラをその腕に捕えたセラフィスの姿が映る。
―――オレの大切な存在に、触れるな。
身体の奥底から喉元までせり上がってくるような激情の氾濫、全身を焼き尽くすような御しがたい独占欲に心臓がわななき、本能と呼ぶべき欲求が剥き出しになる。
「そいつにっ……触るんじゃねぇ……!」
―――そいつに触れていいのは、オレだけだ。
「嫌がってんだろうが……!」
無様に床に這いつくばりながら滾りにぶれる息を吐き出し、きつく拳を握りしめる。
護らなければ。今度こそ。
いつしか自分にとって太陽となっていたあの少女の笑顔を奪うことは、許さない。
焼き切れるようなその想いが、ガラルドの全てを凌駕し、その身に眠る可能性を目覚めさせる―――覚醒させる。
「―――セラフィス!!」
獣のような咆哮を上げ、ガラルドはおそらく初めて意識的に、対峙する魔人(ディーヴァ)の青年の名を呼んだ。
全身全霊を叩きつけるようなその咆哮は無視出来ぬ響きを伴って、セラフィスに不本意ながら厭わしい半魔へとその視線を向けさせる。
不快げに眉をひそめる氷蒼色(アイスブルー)の瞳を見据えて、ガラルドは絶え絶えの息の下から唸りを上げた。
「今すぐにフユラから手を離せ……! 嫌がる女を無理やり手籠めにするのは、てめぇの美意識とやらに反しねぇのか……!」
「品のない物言いだな。元々私と貴様とでは意識の高みが違う……相容れないものと議論するだけ時間の無駄だ。こちらとしては美しい宝玉を汚泥に放置しておく意味が分からぬというもの」
にべもなく切り捨てて、セラフィスは強制解呪に苦しむフユラへうっとりとした眼差しを送る。
「貴様の命(めい)もあとわずか―――もう間もなく、彼女は私のものとなる。ようやく……ようやくだ」
悲願の成就を確信する魔人(ディーヴァ)の青年に抗うようにフユラが弱々しく首を振り、幾筋も涙が伝う顔をこちらへ向けた。
「やだ……やだ、ガラ、ルドッ……! ガラルドぉぉっ……!」
苦痛に顔を歪めながら、少女は喘ぐようにして必死に言葉を絞り出す。
「ずっ……と、一緒、にっ……!」
涙で濡れた、けれど真っ直ぐにこちらを見つめるすみれ色の瞳には、彼女が心から望む想いが溢れていた。そしてそれは、間違いなくガラルドと同じものだった。
どんな場面に立たされようと決して変わることのない、消えることのない、その強い想いが彼女の胸にも宿っていることを確信した瞬間、ガラルドは左の鼓動が胸を打ち破らんばかりに強く拍動する音を耳にした。
そして再び体感する―――八年前と同じ、肌が粟立つようなあの感覚を。
「……!」
熱い―――熱い。肉体(カラダ)が、精神(ココロ)が、沸騰しそうな熱を帯びる。
それが身体の奥底から込み上げて、凄まじい勢いで全身を巡っていく。おびただしい出血が止まり、再生する新たな肉芽が傷口を塞いで、ひとつひとつの細胞が漲る力に目覚めていく。
力が湧き上がり、全身の感覚が研ぎ澄まされて、まるで新たな肉体へと生まれ変わっていくかのようだ―――ああ、そうだ―――何もかも分からなかった八年前とは違い、この力を会得し制御しようと鍛錬を重ねてきた今ならば、その使い方が分かる。
「―――!」
爆発的な力の発現を察知したセラフィスが半魔の青年へ視線を戻した瞬間、既にその眼前には荒ぶる白刃が迫っていた!
「! く!」
重い金属音と共に火花が散り、間一髪、豪剣を魔槍で防いだセラフィスの表情に微かな驚きと屈辱とが入り混じる。一瞬にして跳躍しセラフィスの喉元まで詰めていたガラルドの口から、迅雷のような怒号が飛んだ。
「―――フユラはてめぇのモノじゃねぇ! 何度もそう言ってんだろうが!」
彼の体表に浮き出た深緑の紋様からはこれまでにない強い輝きが放たれ、重傷を負っていたはずの身体は全快とはいかないまでも動ける程度に回復している様子が見て取れる。
「やっかいな……!」
歯噛みするセラフィスの防御の隙間からガラルドが強烈な膝蹴りをねじ込むようにして叩き込む!
「っ!」
硬い手応えと共にわずかに緩んだその腕から、ガラルドはフユラをもぎ取るようにして奪取した。
「こいつはもうオレと一緒に生きていくって、そう腹を決めてんだ!」
「! 貴様ッ……」
整った顔を歪めるセラフィスに向かって、ガラルドは揺るぎのない面差しで声高に宣言する。
「こいつはてめぇのモノじゃねぇ! オレのだ!! 二度と触るな!!」
強制解呪のダメージで飛びそうになる意識の中で、ガラルドの腕の感触に大きな安堵を感じながら二人の青年の声を聞いていたフユラは、その強烈な言葉に朦朧としていた意識を呼び戻された。
青年の口が発したその言葉に言い表すことの出来ない喜びが胸に溢れて、新たな涙が少女の頬を温かく伝わっていく。
「ガラルド……!」
保護者の青年に抱えられるようにして地上に降り立った満身創痍の少女は、涙で顔をくしゃくしゃにしながら彼にしがみついた。
これまでで一番嬉しい言葉を言ってもらえたと、そう思った。