Beside You3 始まりの魔法都市

06


 目の前で今、いったい何が起こったのだろう。

 フユラは予想だにしなかった展開に茫然としながらも、どうにか冷静にならなければ、と意識的に深呼吸を繰り返していた。

 視界に映るのは、背に深い傷を負い、うつ伏せに倒れたまま動かないウォルシュと、血濡れた剣を手にしたカーラの姿だ。床の上にはウォルシュの身体から溢れ出た真紅の血が今も広がりを見せている。

 状況的に見てカーラがウォルシュを刺したのは間違いない―――でも、何故?

 この二人は仲間だったのでは―――雇い主とその警護役という間柄ではなかったのか。カーラは警護関係の業務をウォルシュに一任され取り仕切る立場にあったのだ、少なくともウォルシュの方はそれなりにカーラのことを信頼していたのだろう。だが、カーラの方は―――。

「カーラ……さん、どうして……?」

 表情ひとつ崩さず突然の凶行に及んだ半魔の剣士に、フユラは震える声で問いかけた。

 彼女の返答いかんで、状況は大きく変わる。

 好転―――するのか。あるいは、更に暗転するのか。

 カーラは息を潜めて彼女の反応を窺うフユラを一瞥(いちべつ)すると、倒れ伏したウォルシュに視線を戻し、静かな怒りのこもった口調で呟いた。

「まさか神気取りとはな。つくづく、見下げ果てた男だ」

 侮蔑も露わに言い捨て様、倒れたまま動かないウォルシュの上にカーラは再び剣を突き立てた。肉を貫く生々しい音が響き、まだ完全に事切れていなかったらしいウォルシュの身体が反動でビクッと跳ね上がる。

「ひっ! やめ……!」

 青ざめ、制止するフユラの声など届かぬ様子で、カーラは何度も何度も、ウォルシュの上に容赦のない剣を突き立てた。

「魔法都市アヴェリアの頂点の一角を担う呪術師様だ。念には念を入れないとな」

 冷然と、対象に必要以上のとどめを刺し終えたカーラは、やがて蒼白になったフユラへ向き直ると改めて口を開いた。

「お前には礼を言おう」
「え……?」
「ここを突き止めることが出来たのはひとえにお前のおかげだ。私は元々秘密裏に行われているこの研究を探る為ウォルシュに近付いたのだが、この男は何しろ用心深くてな……何年も従順なふりをして付き従ってきたが、奴のガードは固く、この場所を突き止めることはおろか、これに関わる証拠すら掴むことが出来なかった。
地道に信頼を積み重ね、腹心という立場になってもその状況は変わらず、ウォルシュはこの研究に関して頑なに秘匿し続けた。奴に近い立場になれば何らかの形で関われるだろうと考えていた私の思惑は裏切られ、思うに任せないもどかしい時間だけが過ぎていった……。計画が頓挫しはしないかとあせったよ。だが、下手に動けばこれまでの苦労が水の泡だ。膠着状態に陥りながら、外部の者に頑なまでにこの研究を秘匿し続けるウォルシュへここからどうアプローチすべきか、大いに悩み模索していたところだったのだ。
それが、お前が現れた途端、一変した。余程お前が欲しかったのだろうな、これまで固く口を閉ざしていたのが嘘のように向こうから私に協力を持ちかけてきた。そこからは目まぐるしく事態が動き出したよ。そしてようやく今日この日を迎えることが出来た―――長かったな……お前の相棒の言葉を借りれば、度し難いクソ野郎の傍でよくぞここまで耐え忍んだと、自分を褒めたいところだ」

 カーラは足元に横たわる男をそう評し、耐え難き日々を耐えた年月を振り返った。

「妄執に囚われた愚かな男だ。神が創り出したこの世界に不必要なものはなく、また足りないものもない。この世の全てはこの世のもので賄(まかな)うことが出来る仕組みになっており、身勝手な論理で魔法技術の探求の名の下に人間が他の生命を弄ぶことなど、断じてあってはならない。人は決して、神の領域に手を出してはならないのだ」

 粛々と述べながら真紅で濡れそぼる剣を振って血糊を飛ばし、カーラがフユラへと一歩踏み出す。仄暗い迫力に圧(お)され後退(あとずさ)る少女を見やった女剣士は、ややきつめの印象を受ける顔立ちを少しだけ和らげた。

「望まぬ生を受けたのはお前のせいではない。むしろこの生まれのせいでこれまで辛い思いをすることも多々あったろう。だが、お前のおかげでこれ以上の悲劇が繰り返されることはなくなった。多くの者が救われるのだ―――そのことについて、心から礼を言う。
フユラ。私のこの言葉を以(も)って、安らかな眠りにつけ。お前の同胞達もすぐにお前の後を追う―――憂う必要はない」

 カーラは初めて見せる穏やかな表情で、優しい、とさえ思える声音で少女の死を示唆した。

 それを受けて、フユラは女剣士の正体に思い至る。

「カーラさん、あなたは―――」
「我々は、フォルセティ」

 少女の声に被せるようにして、カーラは自ら名乗りを上げた。

「……!」
「我々はフォルセティ、自然との共生を理念とする組織。これより愚者に翻弄されし仮初めの生命達を、自然の理(ことわり)の中に還す」

 やはり、そうか。

 フユラは奥歯を噛みしめた。

 カーラの正体はフォルセティの工作員だった。今回ウォルシュはフォルセティの陰謀を騙ってフユラを手に入れることを画策したが、フォルセティは実は何年も前からカーラをウォルシュの元に送り込み、極秘裏に行われているこの研究を探っていたのだ。

 そしてついにその拠点へとたどり着いた彼女は自分達の理念に基づき、研究の過程で生まれた者達の存在そのものを屠(ほふ)り去ろうとしている―――。

 緊張で全身にじっとりと冷たい汗が滲んでいくのを覚えながら、フユラは気丈に問い返した。

「あたしを……殺すの?」

 それに対するカーラの答えは明瞭だった。

「人工的に造られた生命は、この世界にどんな弊害を及ぼすか分からない。自然物に人工物が入り混じってはならないのだ。手遅れになる前に、全てを自然に帰すのが我々の役目」
「あ……あたしは、この世界に危害を及ぼすつもりなんてない! あたしはただ、ガラルドと一緒にいられれば―――!」

 フユラの訴えはにべもなく遮られた。

「それが問題なのだ。お前達が男女の仲に発展したらどうなる? そして子供が出来たら? その子供は自然界では生まれなかったはずの生命なのだ。その子供が成長し、また子供を作ったら? それが繰り返されたなら? それはどんな影響を生態系に及ぼすと思う? それは深刻な悪影響かもしれないし、もしかしたら良い影響かもしれない。あるいは大きな影響など出ないのかもしれない。
だが、その結果は膨大な時が経過してからでなければ誰にも分からない。吉と出るか凶と出るか、それが分からない以上、悪影響をもたらす可能性がある因子は排除しておくべきなのだ」

 重々しいカーラの口上にフユラは言葉を失った。

 自分の存在をそんなふうに捉えたことなんて、一度もなかった。

 悪意なくとも、世界に害をなしてしまうかもしれない存在だなんて―――。

 突きつけられたその可能性は、少女の胸をこの上なく掻き乱した。

 ―――あたしは、普通に生きていてはいけない存在なの?

 ガラルドを好きになって、彼に女性として認めてもらいたいと思うことは、許されないことなの?

 ガラルドとずっと一緒にいたいと願うこの気持ちそのものが、あってはならないものなの?

「先程も言ったが、お前自身に責があるわけではない。全てはこんな研究に手を染めたウォルシュが悪いのだ。だが、お前自身に悪意はなくともお前という存在がこの世にどんな弊害をもたらすのか分からない。―――悪く思わないでくれ」

 憐れみを含んだカーラの声を遠くに聞きながら、フユラの脳裏をこれまでの出来事が走馬灯のように駆け抜けた。

 自らを犠牲にしてまで幼い自分を護り抜き、ガラルドに託して逝った、顔も覚えていない母。

 その母が遺した、ガラルドと自分の生命を繋ぐ呪印。

 それを解く為アヴェリアを目指して始まった、ガラルドとの二人旅。ガラルドは時に強大な敵に立ち向かいながら命懸けで自分を護り、今日まで育ててきてくれた―――。



 ―――死ねない。



 明確な純然たる想いが、フユラの中に生まれる。

 ここで自分が死を受け入れたら、それは自分の為に命を賭してくれた二人の大切な人の想いを裏切ることになる。

 何より今はまだガラルドと運命が繋がっている状態にあるのだ、自分のせいで彼を死なせることなど絶対に出来ない―――!

 迷いを見せていたすみれ色の瞳に、強い意思の光が宿る。フユラはカーラが振り下ろした白刃を、紙一重でかわしていた。

 頬の薄皮が裂けてわずかに朱を散らせ、予想外の動きを見せた少女にカーラが灰色の目を見開く。

「……。私はお前を苦しめたくはないんだ。ひと思いに逝かせてやるから、動かないでくれ」

 その嘆願にフユラはゆっくりと首を振った。

「無理……あたしは、こんな所で死にたくないもの。死ぬわけには、いかないもの!」
「……。まあ……それが正常な反応なのだろうな。だが、足掻けば足掻くほど、お前が苦しむだけだぞ」

 やりきれなさを語調に滲ませ、カーラはフユラを諭すように持論を展開した。

「いいか……特殊な生まれのお前は決して普通には暮らせない。生きていればこの先、幸せの何倍もの苦しみが待っているだろう。人間は、異分子を弾く。自分達とは違う存在を受け入れてなどくれない。お前の行き着く先はこの世の地獄だ。この世界の片隅で、いずれ傷付きながら死を迎えるだけなんだ」
「それは―――あなたの経験に基づいた意見と取っていいの?」
「……私が半魔だと相棒から聞いたか? そうだな、これは私の経験にも基づいている」

 わずかに口元を歪め、それを肯定したカーラの気配が変わった。

 どくん、と均整の取れた肢体が脈動し、怜悧(れいり)な光を湛えた切れ長の灰色の瞳が暗い輝きを帯びる。

 変現(メタモルフォーゼ)と呼ばれる現象が始まったのだ。

 それを察したフユラの身体に緊張が走る。カーラの中に眠るもうひとつの血―――魔人(ディーヴァ)の血が覚醒し、彼女の体内で細胞が目まぐるしく配列を変え、筋肉が、骨が、軋むような音を立てて人外のモノへと変化していくのが伝わってくる。

 半魔が変現(メタモルフォーゼ)に要する時間は十数秒―――フユラは精神を集中させ自らを後ろ手に拘束する縄を呪術で切断しようと試みたが、魔力の循環が上手くいかず、それを成すことが出来なかった。

 !? このチョーカー……!

「気付いたか?」

 息を飲むフユラの前で変現(メタモルフォーゼ)を終えたカーラがうっすらと笑みを浮かべた。

 先程までとは明らかに異なる異質な空気を纏った彼女は、顎の辺りでそろえられた前下がりのボブベースの赤茶の髪はそのままに、耳は細長く先端が尖り、切れ長の灰色の瞳は瞳孔が収縮して獣のような鋭さを帯びている。紅い口元からは鋭利な牙が覗き、その体表には半魔の証たる深紅の紋様が浮き出ていた。

 そして―――カーラのこめかみの上には、奇(く)しくも先程彼女が命を奪った幼児と同じような二本の角が生えていたのだ。

 フユラは呼吸を止めてその角を眺めやる。

 何故―――カーラは何故、眉ひとつ動かさずにあの子を斬れたのだろう。あの子に、自分を重ねたりはしなかったのだろうか。

 彼女はいったい、何を思ってフォルセティに身を置き行動しているのだろう―――?

「お前に着けたそのチョーカーは強力な魔力抑制具だ。『夢の人類』とやらに果たしてどれほど効くのか、お守り程度のつもりだったが……効果はあったようだな」

 カーラは知る由もないことだが、フユラは元々左手首に嵌めた物々しい護符のついたリストバンドによって魔力を抑制されている。

 それは彼女を付け狙うセラフィスという魔人(ディーヴァ)が魅了されてやまない彼女自身の魂の輝きを抑える為に必要なもので、その付随効果として魔力が抑制される形になっており、現状の彼女はチョーカーと合わせて魔力を二重に抑制されている状態にあるのだ。

 変現(メタモルフォーゼ)を遂げたカーラを相手に、これでは分が悪すぎる。

 ―――どうする。

 心臓の音が痛いくらい耳に響く。魔具の抑制を免れたわずかな魔力の気脈を探りその錬成を深めながら、フユラは時間稼ぎに出た。

「念入りだね……こんな女の子一人相手に、やりすぎでしょ……」
「何事も入念な下準備をするに越したことはない」

 カーラはフユラとガラルドを繋ぐ『絆』については何も知らない。秘密のルートを通りいくつものセキュリティーを解除しなければ到達することが出来ないこの場所へガラルドがたどり着くことはないと思っているからこそ、彼女はこうして時間を割きフユラとの会話に応じているのだ。

 ―――そしてこれこそが、フユラの希望を繋ぐひと筋の光明でもある。

 気を抜くと震え出しそうになる身体を意志の力で抑えつけ、フユラは心を強く持とうと自らを奮い立たせた。

 ガラルドは既に異変に気が付いていて、自分を探してくれているはずだ。呪印で運命を結ばれた彼は、絶対に自分を見つけ出してくれる。それまで、何が何でも生き延びなければ―――。

「初見で私のこの姿に驚かなかったのはお前が初めてだよ。どうやら相棒のもうひとつの姿も見慣れているようだな」
「見慣れている、というほどじゃないけど―――」
「ふふ……初めて見た時はどう思った? おぞましさに悲鳴を上げたか? 恐怖で失神したか? それとも、そんな感情を待つ間もないほど幼いうちから見てきたのか?」
「……。初めて見た時は―――ビックリして、怖かったのを覚えている……」

 フユラは素直にそう話した。

 彼女がガラルドの変現(メタモルフォーゼ)を初めて見たのは七歳の時だった。目の前で突然姿形も纏う雰囲気さえも変わってしまった彼を見て、ひどく驚き、怯えてしまったのを覚えている。

 自分の知っている彼が全くの別人になってしまったような気がして、怖かった。だけど、姿形は変わっても、ガラルドはガラルドのままだった。彼女の大好きな、ぶっきらぼうだけど優しい彼のままだった。

 おぼろげだが、傍にいた誰かがそっとそれを諭してくれたような記憶がある。


『フユラ、大丈夫だよ。ガラルドは何も変わっていない。彼は二つの外見を持っている、ただそれだけのこと。すぐに、分かるよ』


 優しい声だった気がする。あれは、誰の声だったのか。


『とても良く似た波動かもしれない。でも、フユラを襲ったモノとは、違う。全く違うんだよ』


 過去の記憶の断片に一瞬意識を持って行かれていたフユラはカーラの声で現実に引き戻された。

「そうだろう? この自然界にごく稀に生まれ落ちる私のような半魔でも、人間達にとってはおぞましく厭(いとわ)しい存在でしかない。神を冒涜するようなこの研究で人工的に生を得たお前や、培養液の中で目覚めを待つ哀れな生命達はなおさらだ」

 カーラはこれまでの彼女自身の人生の闇を覗かせる暗い笑みを刷いて、培養液の中で眠る銀色の髪の子供達に視線を走らせた。

「殊(こと)に、この姿しか持たないこいつらは、私達のように人間社会の中に紛れて暮らしていくことさえ出来はしない。分かるだろう? 共生は無理なんだ……ならば自我を持ち苦しむその前に、自然の流れに還してやるのが優しさだとは思わないか?」
「……だから殺す? それが優しさ? あたしは、そうは思わない。そんなの、あなた達が自分達に都合よくはき違えているだけだよ……!」

 やるせなさと深い憤りがフユラの胸を締めつけた。

 そんな理由でカーラはあの子を殺したのか。あの子達の生き方を勝手に決めつけ、尊い人生を奪ったのか。

 彼らにはもしかしたらそうではない、別の未来があったかもしれないのに。

「既に生まれ出でた命の在り方を誰かが勝手に決めつけるなんて、間違っている。この世に生まれた以上、その人生はその人のものなのに―――それを、奪い取るなんて!」

 そんなの、理不尽極まりないではないか。

「相容れないな。あくまでそう言い張るか」

 淡々とした表情を崩さないカーラに、フユラは声を振り絞るようにして訴えた。

「あなたの言うことにも一理あるのかもしれない。でも、あたし的には到底承服出来ない! だってあたしは、今、生きていて良かったと思うから! これからも生きていたいと思うから! この世に生を受けた以上、あたしにだってここにいる子達にだって生きる権利がある―――それは、絶対に間違っていないと思うから!
あなたがしようとしていることは、命の選別だよ―――ウォルシュと同じ、神の領域に関わることだよ! あなたが神でない以上、あなたに他者を殺す権利はない。あたしを、ここにいるみんなを殺す資格なんてない!」

 カーラの片眉が跳ね上がった。

「我々が―――この私が、ウォルシュと同じことをしようとしている、だと?」

 彼女にとっては看過出来ない発言だった。それは彼女の信念を根底から揺るがし、矜持(きょうじ)を傷つけ、且(か)つ真理の一端を突くものだったからだ。

「そうだよ……形は違えど、命をコントロールしようとしている時点で一緒でしょう、違う?」

 フユラは怯まず、毅然とした面持ちでカーラに問いかける。それを受けたカーラは深く、静かに激した。

「我らが理念を侮辱するか……! ならばもういい。私は、私の信じる役目を果たそう」
「……!」

 カーラの放つ空気が凛とした殺気を纏う。フユラは真正面から彼女を見据え、後ろ手に拘束された指を慎重に動かして呪紋の形を取った。

「その目―――この絶望的な状況でよくもそんな目が出来るものだ。お前はお前なりに修羅場をくぐり抜け、ここまで来たということか」
「うん……色々あったよ。でも、ガラルドに、色んな人に助けてもらいながら、あたしはあたしなりに努力して、ここまで来たんだ。だから……これだけは言える」

 呼吸を整えながらフユラは指先に精神を集中させた。

 拘束を解いてもこの状態では呪術を使えない。カーラが着けたチョーカーには何らかのトラップが仕掛けられていて簡単には外れない可能性があり、首元までの距離もある。

 ならば―――外すのは護符のついたリストバンドの方だ。後ろ手に回したままでも怪しまれず、かつ拘束する縄と同時に呪術で切断することが出来る。

 これを外した状態で決してチカラを使わないように―――保護者の青年から口酸っぱく言われてきた代物だが、背に腹は代えられない。

 堕天使を彷彿とさせる恐ろしい魔人(ディーヴァ)の姿がチラと脳裏をかすめたが、今は考えないようにする。首元のチョーカーが護符の役割を担ってくれるかもしれないし、何より、今は全力で集中しなければ殺される。

「あたしの人生は、他の誰のものでもないあたし自身のもの……! それを勝手に終わらせる権利なんて、誰にもないんだ!」

 一度きりのチャンス。失敗は出来ない。

 現状の中でかき集められるだけの魔力をかき集めたフユラの呪紋が背後で弾ける。鋭利な痛みと共に風の刃で縄とリストバンドが切断され、両腕が自由になった。

「! 悪足掻きを……!」

 舌打ち混じりにカーラが斬り込んでくる。先程とは違い、その剣には彼女の本気が見て取れる。痺れと痛みを訴える腕を目の前にかざし、フユラは全力で結界を張った。

 ビキイィンッ!

 硬質な甲高い音を跳ね上げ、カーラの刃が淡い輝きを放つ結界に阻まれる!

「! 呪印……!?」

 カーラは目ざとくフユラの左手首の呪印に気が付いた。

「何の呪印だ!? だからいつもあのリストバンドを―――ちっ、まさかそのチョーカーを着けていながらこれだけの結界を―――!」

 牙を剥いたカーラの眼光が鋭さを帯びる。

「やはりお前はバケモノだ!」

 張り裂けるような声で叫びながら繰り出された、容赦のない斬撃が少女に襲いかかる!

「く―――!」

 太刀筋が、刹那の光のようにしか見えなかった。重い衝撃を感じた、と思った次の瞬間、プラント中に巨大なガラスが砕け散ったような音が響き渡り、フユラはその中に入り混じる自らの悲鳴を聞いた。

「きゃあッ―――!」

 結界を力尽くで打ち破られた反動で派手に吹き飛ばされ、勢いよく培養器に叩きつけられる! 衝撃で息が止まり、一瞬目の前が暗くなった。ずるずると床に崩れ落ちるようにしてへたり込み、フユラは派手に咳込んだ。

「うっ……い、痛……」

 したたかに全身を打ちつけて呻(うめ)く少女の上で、いびつに傾きひび割れた容器から培養液がひと筋、ブシュッと音を立てて流れ出す。

 負ったダメージの状態を確かめる間もなく、足早に迫る靴音が耳に響く。ハッとフユラが顔を上げるのと、鬼神のような様相のカーラが剣を振り下ろすのとがほぼ同時だった。反射的に身をよじったすぐ側を唸る剣圧が駆け抜け、床に大きな亀裂を走らせていく。びりびりと振動する残響に慄いている暇もなく、次なる斬撃がフユラを狙い繰り出される!

「ぐぅっ……!」

 目の前で火花が散った。研ぎ澄まされた刃が、頭上すれすれで止まっている。すんでのところで結界の発動が間に合った。だが、これはほんの一時凌ぎだ。

 カーラの剣を受け止めた結界が力で押され、激しく軋む。フユラは歯を食いしばりながら、結界越しにカーラと視線を交わし合った。

 やはりこのままではダメだ、力量差があり過ぎる。ほどなくこの結界も打ち破られてしまうだろう。

 ―――このチョーカーを……何とかして外さないと……!

 だが現状、相手の攻撃を防ぐのに手いっぱいで、そんな余裕はない。カーラもそんな猶予をくれてやるつもりはないだろう。

「く、ぅっ……!」

 どうしたら……!?

 生存への道を模索する少女の前で、淡い輝きを纏った結界が微振動を立てて歪み、その限界を訴える。

 ―――ガラルド……!

 祈りにも似た想いで保護者の青年に呼びかけるフユラの前で、無情にも彼女の結界は再び、カーラによって打ち破られたのだった。
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