Beside You 3 〜始まりの魔法都市〜

05


 カーラに協力を要請され彼女と行動を共にしたフユラは、ウォルシュの屋敷で立ち入ったことのない区画へ来ていた。

 ここは当主の書斎になるのだろうか―――厳重なセキュリティを解除して室内へと入ったカーラは今また、無人の室内の奥まった場所で何やら操作盤を操っている。

 ほどなくして甲高い人工的な音がひとつ鳴ると、壁の一角に仄かに輝く呪紋が浮かび上がり、そこに秘密の入口を出現させた。

「こっちだ」

 目を瞠るフユラに短く告げ、カーラがその中へと消えていく。後を追ったフユラはその先にあった小部屋の床の上で淡い輝きを纏い湧き立つ紋様を見て小さく息を飲んだ。ためらうことなくその上へと乗ったカーラに目で合図され、一抹の不安を振り払いその隣に立つ。

 それを確認したカーラが短い文言を放つと、紋様がそれに反応して、二人を瞬時に別の場所へと転送させた。

 転移した先は今までに見たことのない、青黒い無機的な壁に囲まれた閉塞的な空間だった。壁自体が仄かな光を放っており、薄暗いながらカーラの姿も視認することが出来る。

「―――ここは?」

 不思議な空間をきょろりと見渡すフユラに背を向け、カーラはその空間の奥にひとつだけ見えるドアへと足早に進んでいく。

「説明は後だ。急げ」
「は、はい」

 有無を言わせぬ口調で促され、フユラは小走りでカーラとの距離を詰めた。

 ドアの前で足を止めたカーラが先程とはまた違った文言を口にすると、ドアに再び紋様が浮かび上がり、音もなく開いていく。

 アヴェリア独自の魔法技術の最先端なのだろうか、見たこともない現象の連続にフユラはずっと驚きっぱなしだ。

 さっきの転移の紋様とか、スゴすぎる。あれはまさに空間転移の呪術を魔法技術に置き換えたものと言えるのではないだろうか。

「ここだ。ついて来い」

 導かれるまま眩い光の漏れるドアをくぐると急激に明るさが増して、一瞬視界が白くなった。数度瞬きをすると明るさに瞳が慣れて視界がまた戻ってくる。

「あ……」

 そこに広がる光景を目にしたフユラは絶句した。

 青白い無機的な壁に覆われた広大な空間が、目の前に出現していたからだ。

 壁も床も天井も全てが同じ素材で作られたどこかひんやりとした印象漂うその空間は煌々と明りを放ち、そこには太さや長さの異なる様々なチューブで繋がれた水槽のような機材が等間隔に並んでいる。その数は膨大で、心音のような機械音のような何とも判別しずらい不気味な音がいくつもの旋律を織り成して渦巻いていた。

 丸みを帯びた大きな水槽のような形状の容器の中は透明な液体に満たされてコポコポと気泡が浮き出ており、その中で何かが培養されているらしいのが見て取れる。

「これを着けていろ」

 異様な光景に目を奪われていたフユラは、カーラの声と首に触れた冷たい感触で我に返った。見ると、魔玉のようなものが付いた金属製のチョーカーが首に嵌められている。

「え……カーラさん、これは―――それにここは―――!?」

 困惑するフユラにカーラは切れ長の瞳を向け、事もなげに伝えた。

「これは言わばお守りのようなものだ。そしてここは、フォルセティが血眼になって探し求めている場所だ」
「フォルセティが……!?」

 ということは、ここは―――。

 その言葉が示す意味にフユラは慄然とした。怒涛の展開に、頭は直感的な理解を示しても内容の咀嚼がそれに追いつかない。

 フユラはひんやりとしたものが胃の腑に落ちていくような感覚を味わいながら、冷静であろうと努力し、現状を把握しようと努めた。

 ―――アヴェリアでは、密やかに神の領域を侵すような実験が行われている。

 少なくとも過去にそれが行われていたことは事実であり、その結果として『自分』が今、ここにいる。

 そして保護者の青年はその研究が今もどこかで極秘裏に続けられているのではないかと考えていた。

 どこからかその情報を掴んでいるフォルセティは、世界の均衡を崩しかねない脅威となるような力が人工的に造り出されることを恐れ、それを阻止せんと過激な活動を繰り広げている。

 そして、ここがそのフォルセティが血眼になって探している場所なのだと―――先程、カーラは確かにそう言った。

 ウォルシュの書斎らしきところから通じていたセキュリティの高い秘密のルートを通ってたどり着いた、この場所が―――。

 カーラはレイオールが襲撃されたことで内部にフォルセティ側の人間がいることを強く疑い、その懸念がない協力者としてフユラを選び、侵入経路となった恐れのあるこの場所を確認しに来たはずだが、どう考えても、フォルセティが血眼になって探しているはずの場所を素通りしてわざわざレイオールを襲うような真似をするのはおかしい。矛盾している。

 ―――嵌められた。

 ドッ、と心臓が冷えた鼓動を跳ね上げる。

 レイオールの強襲は陽動だ。自分はガラルドと引き離され、むざむざ敵の懐へと飛び込まされてしまったのだ。

 ―――敵の狙いは、あたし!

 そう思い至った瞬間、反射的に踵(きびす)を返そうとしたフユラだったが、カーラによってあっさりと取り押さえられ、後ろ手に縛り上げられてしまった。

「やだっ……! 離せ! 離して!」

 床に押さえつけられ、うつ伏せになってもがくフユラからロッドを取り上げ手早くへし折ったカーラは、わずかに響いた靴音に顔を上げると、かしこまって一礼した。

「種明かしが早いな、カーラ」
「……申し訳ありません」
「まあいい。お前は仕事も確実で早いからな」

 聞き覚えのある、命じることに慣れた口調の主―――カーラに拘束されながらそちらをにらみ上げたフユラは、そこに予想通りの人物を見出して奥歯を噛みしめた。

「ウォルシュ……」

 レイオールの父親であり、この魔法都市アヴェリアで一、二を争う実力者―――。自分達の呪印を解く鍵を握っているかもしれない人物。

 スタンドカラーに呪術的な紋章をあしらった上等な白の長衣(ローヴ)を身に纏った壮年の男は、知的な顔立ちに濃い陰を湛え、感情の窺い知れない眼差しをフユラに注いでいた。

「……フォルセティが不穏な動きを見せているっていう話は、嘘? 最初からあたしが目的だった……?」
「とち狂った過激派集団が以前から不穏な動きを見せているのは事実だ。もっとも、差し迫った情勢ではないがな……」

 ウォルシュはわずかに口角を上げ、床に倒れ伏すフユラに尋ねた。

「自分が狙われるような立場にあるという自覚はあったのか。だが、私がそちら側の人間という可能性については意識が希薄だったようだな。己の出自をどこまで知っている……?」
「……」

 口をつぐんですみれ色の瞳に険を込めるフユラを見やり、ウォルシュははしばみ色の瞳をわずかに細めた。

「ふ……目鼻立ちが母親にそっくりだな」
「! お母さんを知ってるの!?」

 弾かれたように反応する少女へ男は鷹揚に頷きを返した。

「ああ、知っているとも。あの女にはしてやられたよ。まさかスレイドのスパイだったとは……実に手痛い経験を積ませてもらった。何食わぬ顔をしてここからお前を連れ去られるまで気が付かなかったのは、私の人生で最大の過失であり汚辱だ。痛恨の極みだよ」
「お母さんが……スレイドの……!?」

 スレイドは魔法都市アヴェリアを代表する有力者であり、最強と称される古参の呪術師だ。近年台頭してきたウォルシュと共にアヴェリアの双璧として名を馳せる人物だが、ウォルシュの話から察するに、その関係は友好的なものではなく覇権を争う間柄のようだ。

 衝撃的な発言に目を見開いたフユラに、ウォルシュは苦い笑みを投げかけた。

「……少しだけ昔話をしてやろう。来るがいい」

 そう言って背を翻したウォルシュの後を追い、フユラも立ち上がって歩き出した。その後ろをぴったりとカーラが付いてくる。

「お前の母親レイラは、私の理念に賛同するふりをして言葉巧みに接触してきた。強い魔力を持った呪術師で―――どこか影のある女だった。自分の存在に否定的で破滅的な考え方を持つ彼女は、我々の研究に自らを被験体として差し出すことを何らためらわなかった。協力者としてはまさにうってつけ、願ってもない存在だったのだ……」

 レイラ―――それが、お母さんの名前……。

 物心つく前に死に別れ、顔を思い出すことも出来ない母親の輪郭をなぞらえるように、フユラはその名を胸に刻んだ。

「私の理念を知っているか?」
「……。魔法技術を用いて、人間を、人間の手で進化させて、魔人(ディーヴァ)に抗い得る力を手にすること?」
「そうだ。人間は常に考え、進化する生物だ。生まれ持った能力にあぐらをかき、気まぐれに力を振るう少数生物にいつまでも翻弄されているなど、愚かだとは思わないか? 食物連鎖の頂点に君臨すべきは人間だ。密に考え計算に基づいて行動をコントロール出来る、そういう生物こそが世界の頂点に立つべきなのだ!」

 表情険しく語気を強め、ウォルシュは等間隔に置かれた機材の間に伸びる通路の奥へと歩を進める。そんな男の背中へフユラは静かに問いかけた。

「……あなたのその理念の表れが、このプラントなの?」
「そうだ。ここではその理念を実現させる為の礎(いしずえ)となる生命を誕生させる試みが行われている……」
「それが―――あなたにとっての『夢の人類』、というワケ?」
「その通りだ。だが、なかなかにその実現は難しくてね……生命を造り出し、新たな力を与えるという神の偉業を真似るのは想像以上に骨が折れた……。だからお前の母親に協力してもらったのだ。強い魔力を持つ母体と父体を掛け合わせて宿った命に、当時の最先端の魔法技術を用いて魔力を増幅させる作用を持つ因子を植え付け、胎児のうちから我々が開発した特殊な薬液を細心の注意を払いながら綿々と与え続け―――そうして手間暇を惜しまず心血を注ぎ、様々な労苦の末に誕生したのがお前なのだ」
「……!」

 熱っぽく作業工程のように語られる自らの生誕に耳を傾けながら、フユラはきゅっと唇を結び、白い長衣(ローヴ)を纏った壮年の男の後ろ姿を見つめた。

 ずっと、頭の片隅にあった疑問。これまで影さえ見えてこなかった自分の父親は、いったい誰なのだろう?

 もしかしたら―――……。

「強い魔力を持った父体、というのは―――」
「単なる遺伝上の父親だ。レイラとその男の間に情交があったわけではない」

 フユラの疑問に硬質な声だけを返してきたウォルシュは、父親の件についてそれ以上は語るつもりがないようだった。それを察した彼女は質問を別のものに替えた。

「スパイとはいえ、お母さんはどうして自分の身を犠牲にするような真似を……? どうして自分の存在に否定的だったの……?」
「さあな……スパイだった女だ、本当のところは我々には語るまいよ。ただ、レイラが自分を大切に思っていなかったことは確かだ。でなければ、あの研究に自分の身を進んで差し出そうなどとは思わないだろうよ。何人もの妊婦が凄惨な状態で胎児と共に命を落としていく現場を目の当たりにしていたら、普通はな……。
だからこそ、私はレイラの共感を疑わなかった。彼女を自分の協力者だと、理解者だと信じてしまったのだ」

 ウォルシュの口調が自嘲めいた翳りを帯びる。彼が口にした一文に、フユラは心を震わせた。

「あたしの他に……同じような境遇で生まれた赤ちゃんは……?」
「ゼロだ」
「! ゼロ!?」
「そうだ。お前は最高峰の魔法技術の結晶と我々の血の滲むような努力を経て、それこそ奇跡的な確率で生を得た、まさに『夢の人類』なのだ」
「……!」

 自らの功績に酔いしれるようなウォルシュの語調とは裏腹に、フユラは残酷な結果の提示に息を止め、蒼白になった。その視界の端にゆらり、と何かが揺らめいて映る。

 誘(いざな)われるようにそれを瞳に映し出したフユラの口から短い悲鳴が上がった。

 揺らめいて見えたのは、培養液の中を揺蕩(たゆた)う銀色の髪だった。一糸纏わぬ姿の幼児と呼べる年頃の子供が、瞳を閉じ膝を抱えた状態で、丸みを帯びた水槽のような容器の中で眠っている。

 辺りを見渡してみればいつの間にか、視界に入る全ての容器には同じような子供達の姿があった。その全員の髪の色が、フユラと同じ銀色だ。

「妊娠出産という普通の生命誕生の過程をたどるのでは被験体の調達にも限りがあり、時間的にも効率が悪すぎることが分かった。だから今ではこれまでの研究成果を基に、胚の状態から『夢の人類』を培養しているのだ。プラントの入口近くにはごく初期のもの、施設の奥へ行くほど時間をかけ生育したものという並びになっている」

 ウォルシュの口から語られる抑揚のない説明はまるで悪い夢のようだった。

「魔力を増幅させる因子を植え付けることによる影響なのか、ここで生成する生命体は全てお前と同じ色彩になる。だからお前をひと目見た瞬間、その色彩と面差しですぐに失ったはずのレイラの子供だと分かった。だが―――」

 ウォルシュはおもむろに手近にあったパネルを操作すると、容器のひとつから培養液を排出し、ハッチを開け放った。蒸気が漏れ出るような音と共に銀色の髪をした子供が一人、床に吐き出されるようにして放出される。

 濡れそぼつ身体を床に打ちつけて盛大に咳込み、培養液を吐き出して肺呼吸を始めたらしい幼児が泣き声を上げると、ウォルシュは乱暴にその後ろ首を掴み上げてフユラにその顔を見せつけた。

 痛みを感じて火がついたように泣きわめくその子供の口には肉食獣のような鋭い牙が生えそろっており、こめかみの上には皮膚と同じ色をした角のような親指ほどの突起が見て取れた。

「何が弊害となっているのか、培養した生命体にはこうした奇形が現れてしまうのだ。これではまるで魔人(ディーヴァ)だ。私が望む新しい人類とは違う」

 言うなり、ウォルシュはその子供を床に叩きつけるようにして手放した。鈍い音が響き、短い悲鳴を放った子供は本能的に生命の危機を感じたのだろう、その小さな身体に宿るありったけの魔力を爆発させるようにしてウォルシュへと放った。

 だが、魔法都市アヴェリアの頂点、その一角を担う呪術師はそれを難なく結界で防ぎ切る。不可視の盾に阻まれた呪紋の形を取らない幼い魔力が弾かれ、爆音を上げて強い風となり吹きつける中、それを切り裂く容赦のない斬撃が放たれた。

 フユラの目の前で、悲鳴を上げる間もなく鮮血を迸(ほとばし)らせ、生まれたての儚い生命が露と散る。

「……!」

 あまりにも一瞬の出来事、ウォルシュとカーラの命を命とも思わぬやり取りに、フユラは声にならない声を上げながら、血溜まりの中に倒れ伏した幼い子供へと駆け寄った。

 既に絶命した幼児の見開かれたままのすみれ色の瞳からは光が失われ、溢れた生理的な涙が幼い頬を伝って、小さな身体から流れ出た真紅の泉の中へと落ちている。

 後ろ手に拘束されたままのフユラはその身体を抱き上げてやることも叶わず、ただ、その場に立ち尽くすことしか出来なかった。

「あ、あなた達は……命を、何だと思っているの!? こんな……こんな、まるで物を廃棄するみたいに……!」

 憤りに肩を震わせ、フユラは冷然と佇むウォルシュと血濡れた剣を手にしたカーラをにらみつけた。

「言ったろう。これは私が考える『夢の人類』ではない。その劣化版だ。これはまだ進化の過程であって、私が認める純然たる生命ではないのだ」
「そんな身勝手な論理……! この子はついさっきまで確かに生きていた、ひとつの命だった! 命に……命に、優劣なんかない!! 命を奪って、神を気取るな!」
「ふふ……神か……。今後私が遺す結果いかんによっては、後世では神と同列の存在として語られることになるやもしれぬな」

 全身を総毛立たせて叫ぶフユラの言葉は、どこか遠くを見つめるウォルシュには全く響いていなかった。

「私は利運に恵まれている。正直、この先の研究が行き詰まっていたところにお前は現れてくれた……。レイラに連れ去られ、取り戻す前に魔人(ディーヴァ)にかどわかされ、行方はおろかその生死さえ知れず、二度とこの手には戻らぬと思っていたお前がだ。
これは天の啓示に他ならない―――私が人を超越するステージに進むことを示唆する、神からの思し召しだとは思わないか!?」
「自分の目的を達する為に命を操作するなんておかしいよ、間違っている……! あなたはそれを自分の子供に、レイオールに胸を張って言えるの!?」
「あの愚息は未だこの世界に夢見がちで、今はまだ私が成そうとしている壮大な理念を理解することは出来ないだろう。正直この先もあまり期待はしていないが、まあいい……こうしてお前を連れてきただけで値千金の貢献をしたと言える。陽動役としても充分役には立った」
「そんな言い方……! レイオールはあなたの駒じゃない! あなたの子供なのに!!」

 父親について話をしていた時の苦しくて切なげなレイオールの表情が脳裏に浮かんだ。

 あの時寂しそうな彼の様子を見て、フユラは思わずこんな言葉をかけたのだ。

『レイオール、あなたを守りたいって思ってるお父さんの気持ちは信じてあげようよ。あたし達みたいな流れの傭兵を雇ってまで、あなたを守ろうとしているお父さんの気持ち……生きている限り、レイオールがあきらめない限り、今のレイオールが思っていること、悩んでいること……いつかきっと、お父さんと分かり合えるって信じようよ。心の底でお互いがお互いを大切に思っているなら、いつかきっとそういう時が来るよ』

 ―――けれど、ウォルシュがフユラとガラルドを雇ったのはレイオールを守る為ではなく、あくまで自分の目的を達する為―――フユラを捕え、我がものとせしめんが為だった。

 そしてそれを実行する為、この男は息子であるレイオールを息のかかった者に襲わせたのだ。

「そうだ、レイオールは私の子供だ。子は親に従い、親の敷いたレールの上を歩くものだ」
「……レイオールにはレイオールの考え方があって、他の誰のものでもない彼自身の人生があるんだよ! 全てを支配して思うがままに歩ませようなんて間違っている……! そんな人生は、生きているって言えないよ!
あなただって自分の行いが人道的には正しくないと分かっているからこそ、こうして陰でこそこそ動いているんでしょう!?  本当に心から誇れる研究だと言うのなら正々堂々、世間に公言してやればいい! それが出来ないならこんなこと、今すぐにやめるべきだ!!」
「人間というものは、結果を伴わないものに関しては得てして批判的なものだ。やれ倫理がどうの、危険(リスク)がどうの……実際に完成させてその成果を見せつけない限りは、それがどれほど価値あることなのか理解出来ないものなのだよ。嘆かわしいことだがな。愚かな有象無象と争うことに、私の貴重な時間を費やすわけにはいかない」

 ウォルシュが本気でそう考えているのが分かって、フユラはゾッとした。

 ―――この人は、自分の研究のことしか頭にないんだ。そして自分が認める者以外の価値を認めていない。

 ウォルシュとっては自分の理念を実現させることが至上で、それが全てで、息子であるレイオールのことも、共に研究に携わる者達も、自分以外の人間は全て、それを実現させる為の駒のようにしか考えていないのだ。

「今日からはお前を存分に研究させてもらう」

 うっすらと口元を歪めたウォルシュは身体を硬くするフユラに歩み寄ると、骨ばった厚い手で少女の細い顎を掴み上げ、仄暗い情念のこもった目で青ざめたその顔を覗き込んだ。

「解せない……私の研究には何が足りないというのだ……。どうしてお前には魔人(ディーヴァ)のような奇形が表れない、何故私が理想とする『人』としての姿を保てている? 他の被験体達は例え赤子のうちは正常な見た目であっても、成長に伴い奇形が表れてしまうものを……それとも表面上そう見えるだけで、見えないところではどこか異形を成している部分があるのか?」

 短衣(チュニック)の上から無骨な手で無遠慮に身体をまさぐられ、おぞましさと恐怖にフユラの口から引き攣れるような悲鳴が上がる。

「―――っ、ひ、いやっ……!」

 探求心に囚われた男は後退(あとずさ)り逃れようとする少女を万力のような力で押さえつけ、衣服の上から傍若無人に蹂躙していく。知識欲に染まったその目は常軌を逸していて、例えようもなく恐ろしかった。

「やっ、やだ、ガラルドッ……!」

 身の毛をよだたせながらフユラが保護者の青年の名を叫んだ時だった。鈍い衝撃と共にウォルシュの動きが止まり、その口からくぐもった異音が漏れた。

「―――!?」

 異変を察し目を瞠るフユラの前で、ウォルシュの顔が強張り、何かを紡ごうとした唇からごぷりと血が溢れた。

 驚愕し硬直する少女の身体からそれまで彼女を抑えつけていた節ばった手が離れ、神を夢見る男の身体が揺らぎ、その場に膝から崩れ落ちていく。

「……!? な―――!?」
 
 突然の事態に声を震わせるフユラの視界に映ったのは、背に深い刺し傷を負い鮮血に染まったウォルシュと、倒れ伏した彼の傍らで赤く濡れそぼる剣を手にしたカーラの姿だった。
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