一眼レフの部屋         華室 夷蔵    
 
一眼レフの基本的なことを解説しています。
まず最初は基本的な一眼レフの特長・原理・使い方から始め徐々に必要に応じて追加します。
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 1.一眼レフの特徴  2.一眼レフの原理  3.ミラーショック 4.カメラの歴史 
 手振れ防止  レンズの部屋  絞りとボケ データー回復 
   下段は本ホームページ内のメニューの一部です。合わせてご覧ください。
 
  (1)一眼レフの特徴  
 1−1:一眼レフの長所
1.レンズ交換が可能:広角から望遠、マクロ、魚眼、シフト・チルトなどの特殊なレンズまでいろいろなレンズを交換して撮影を楽しむことが可能です。
2.パララックスがなくファインダーで見たままの画像が撮影できます。
3.被写界深度がファインダーで確認できます。プレビューボタンで確認できますが暗くなってかなり見にくくなります。


1−2:一眼レフの短所

1.カメラが大型で重く、高価になります。
2.シャッターを押した時に一瞬ですがファインダーが真っ暗で見えなくなります。

3.ストロボ使用時に、同調速度より速い高速シャッターが切れない。ちょっと複雑なのでストロボ撮影(工事中)で解説します。
 
   (2)一眼レフの原理                        ページトップ  
 2.1 ファインダー
 一眼レフのシャッターを押していないときは、図1Aの被写体の画像は図1Bのようにレンズを通り、クイックリターンミラーで反射されミラーの上のスクリーンに結像されます。結像された画像は左右が反転されスクリーンに被写体のが写っています。そのままでは使い難いのとファインダーに近すぎて普通の視力では見えないので、その上のペンタプリズムで左右を反転させることによって正転させ接眼レンズで画像を確認し構図などの決定ができるようになっています。
 一部の一眼レフカメラでは接眼レンズを調整して撮影者の目の特性(遠視や近視)に合わせることができます。
 通常は、このとき絞りは開放でもっとも明るい状態で表示されていますが、カメラの機種によってはプレビューボタンで、絞りを絞った状態の画像を見られるようになっています。この機能では画像が暗くなって見難いですが、被写界深度の確認ができます。
 クイックリターンミラーはハーフミラーになっており入射した光の一部はクイックリターンミラーの後ろ側にあるサブミラーで約90度反射して、カメラの底部に送られて、オートフォーカスや露出条件の決定に利用されます。
 カメラの背後から強い光が当たっている時に、ファインダーから入った光が図の光路とは逆に進入し測光用のセンサーに当たり露光の狂いになることがあります。ファインダーを覗いている時には撮影者の頭で遮光されていますが、三脚とレリースを使っているときなどの後ろが開放されている時は注意が必要です。
 多くのカメラにはファインダーを遮光するためのレバーやファインダー塞ぐ付属アダプターが付いています。

 
 
 
     ファインダーで画像を確認できます
撮像面は真っ暗で何も写っていません。  
 図1A
礼文島から見た利尻富士です
図 1B
一眼レフの構造
シャッターを押す前の状態
     シャッターが開くとファインダーは真っ暗
撮像面には上下・左右が反対の被写体
 図2A
礼文島から見た利尻富士です
 図2B
シャッターが開きミラーが上へ
シャッターを押した時の状態
 
 シャッターを押すと、クイックリターンミラーは45度回転して上に跳ね上がり、更に撮像素子やフィルムの前にあるフォーカルプレーンシャッターが開き撮像素子には上下左右が反転した画像が写ります。このときは図2Cのようにファインダーは真っ暗で何も見えません。通常は一瞬ですからあまり気にはなりませんが長時間露光やストロボ使用時に問題となることがあります。
 時々、一眼レフを使い慣れていない方が、「今、フラッシュが光った?」と声を上げていることがあります。
 ※ストロボ使用時にファインダーでは、点灯したか否か確認できないので、ストロボ使用時は両目を開けて撮影し、確認してください
 露出時間後シャッターが閉じ、ミラーも元の位置に戻って図1の状態に戻ります。
 
  2.2クイックリターンミラー                          ページトップ  
  以上のように一眼レフはレンズと撮像素子に間にクイックリターンミラーがあり、これが回転する範囲の、図2Aや図2Bの点線で示した領域の右側には何もおくことができません。普通この大きさが30〜40mmありますが、間にレンズを入れることができず、焦点距離が30〜40mmより短い広角レンズや広角域を含むレンズは使用できないことになります。そのために2枚以上のレンズを組み合わて仮想的なレンズを図の点線より内側(右側)に設けています。これをレトロフォーカスレンズといいます。レンズの部屋で解説します。
 またクイックリターンミラーはハーフミラーになっており、入射光の一部はクイックリターンミラーを透過させ裏面にあるサブミラーで反射させてカメラの下部にあるオートフォーカスや露出制御回路に届きます。ハーフミラーには偏光効果があり、入射光に偏光成分があると透過率が変化してオートフォーカスや測光に影響を与え誤動作する可能性があります。従って偏光フィルターを使用する場合は「円偏光フィルター」を使用することが必要です。詳しくは偏光フィルターで解説する予定です。
 シャッターを押したときにクイックリターンミラーが45度回転して跳ね上がりますからこの時振動を発生します。特に望遠系のレンズを使用しているときこの振動がレンズに伝わって、振れを発生することがあります。一部のカメラではこの振動を抑えるために、シャッターを押しクイックリターンミラーが跳ね上がった直後にはふぉーかるプレーンシャッターを開かず、少し時間を置いてからシャッターを開くことができるようになっています。これをミラーアップ・ディレイといいます。
 あるいは一度シャッターを押すとミラーが跳ね上がった状態で静止し、もう一度シャッターボタンを押してフォーカルプレーンシャッターが開くものもあり、これをミラーアップ撮影と言います。この場合は三脚とレリースを使うことが前提で手持ちではこの機能は効果がありません。ファインダーは上の図2Cの状態で何も見えませず、画像の確認ができません。風がありミラーアップした後で被写体に変化があるときは使えません。なおミラーアップディレイやミラーアップ撮影をしてもフォーカルプレーンシャッターが開く時には機械的な動きが発生しますが、フォーカルプレーンシャッターはクイックリターンミラーに比べて遥かに軽いので普通は問題に振動はミラーに比べると小さく通常では問題となる振動は発生しません。
 なお、最近は手振れ防止機能が付いているレンズやカメラも多いですが、これは人間の手振れを検出して補正するようになっており、人間の手の動きより遥かに速く周波数成分の高いミラーアップの振動の場合はかえって過補正・誤動作を招くことがあるので三脚使用時には、手振れ防止スイッチはオフにすることが推奨されています手振れ防止で解説しています。
 
  3.ミラーショック                     ページトップ   
  手振れ防止機能は、ミラーショックに対して過剰反応を発生するので、手振れを発生する可能性のない三脚使用時には手振れ防止スイッチをオフにすることが必要である。としました。
これに関連して、1年以上前ですが、以下の記事が発表されています。

(A)一眼レフが抱えるブレ問題、その深刻さが明らかに
電通大らが開発、1/60秒シャッターで実質解像度は1/4以下
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/HONSHI/20090427/169454/

(B)2000万画素で撮っても実は500万画素相当,一眼のミラー・ショックを簡便に測定。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090410/168625/

カメラメーカーが困惑している。問題の深刻さを、白日の下に測定ツールが登場したからだ、
中略
あるカメラの開発者は言う。「これほど大きな問題とは全く認識していなかった。まだ追試や検証をしていないが、本当だとすれば正直、参った」。

 日経エレクトロニクスは私が現役時代にはよく読んでいた雑誌です。最近は読まなくなっていたので気がつかなかったのですが、非常に気になる書き方をしています。
 2000万画素フルスケールデジタル一眼レフに200mmレンズを付け三脚にセットして測定したところミラーショックに起因するブレで実質解像度が低下したと言うだけの一条件で、他のレンズではどうなるか全く振れていません。それなのに表記のような記事の書き方をしています。
 三脚使用時には、前述のハーフミラーのショックへの過剰反応を防止するために、手振れ防止スイッチはオフにすることが望ましいですが、この記事は別の意味でミラーショックへの過剰反応です。
 記事の内容は過剰過ぎる表現になっていますが、具体的な実測データー(グラフ)が記載されているので、グラフを冷静にみるといろいろなことが分かります。
 手振れ防止では、ミラーショックの立ち上がり部分は定性的な図(グラフ)になっていますが、この記事(A)で定量的な実測データーが記載されています。個人でこのようなデーターを取ることとは不可能に近く、メーカーもこの種のデーターは持っているはずですが公開はされていません。もっと多くのカメラとレンズの組みあわせのデーターが欲しいですが、1条件だけであっても、このようなデーターが発表されるのは非常に有り難いです。

まず、測定条件は
使用したカメラは2000万画素、
レンズの焦点距離:200mm
撮影距離:3.3m
手振れ防止SW:オフ
三脚:重量3kgのカーボン製
シャッター:リモコン
となっています。

(A)の記事で、2台のカメラ(一眼レフAと一眼レフB)の其々に「ミラーとシャッターによるブレ」と「シャッターによるブレ」が掲載されています。まず其々の「シャッターによるブレ」を見るとまず初めにシャッターの振動による周期の短い振動の後に周期の長い振動が続いています。後半の周期の長い振動が、カメラ+レンズ+三脚が一体になった系の固有振動で1/60秒位になっています。
 これにミラーの振動が加わると両方が共振し合って初めの1/60秒位で大きく振れその後は減衰振動になっています。露出時間を初めの振動の大きい時間に設定すると大きくブレた写真になります。
露出時間を長くすると、大きくブレた写真とブレの小さい写真の多重露光の写真になるのでブレは軽減します。ただしグラフによると0.2秒経っても振動は収束していませんから長時間露出によるミラーショックブレの軽減は余り効果が無いことが分かります。
 逆に高速シャッターで振動のグラフの初めの部分だけを露出させるとブレは大幅に低減し、1/250秒ではブレも1/4程度になりそうです。
 ※グラフの初めの方が正確には読み取れないので目安として解釈して下さい。
グラフには0.2秒までしか記載されていませんが、例えばニコンのD3のミラーアップディレイでは約1秒後にシャッターが開くように設定しています。公開はされていませんが、実験やシミュレーションによって、メーカーではミラーショックの減衰振動は1秒弱は続く考えていると推定できます、
 なお、一眼レフカメラではミラーは上下方向に跳ね上がりますから文献(A)でも上下方向のブレが大きくなっています。一眼レフBでは横方向のブレが大きくなっていますが理由は分かりませんが、左右方向へは三脚に実装した系全体の揺れになっていると考えられます。
 この点で気になるのがカメラを縦位置で三脚に付けた場合で縦位置の実装状態ではミラーは左右方向に振動しますが、三脚を三角錐ととして考えれば、上下の揺れには強いが左右の揺れには弱いのでブレがもっと大きくなる可能性があります。更にセンターポールを延ばすのは避けた方がよさそうです。

レンズの焦点距離が200mmの場合のみ発表されています。おそらくはこの組み合わせの場合にカメラ・レンズ・三脚を総合した機械的な共振周波数が1/60秒程度になると推定できます。もっと焦点距離の短いレンズの場合は共振周波数が高くなりますから、ミラーショックの影響は受け難くなります。
 また、焦点距離が同じ200mmでもレンズが異なれば共振周波数が異なります。ミラーの共振と系の共振が合うのは1/20秒から1/100秒程度が多いようです。
 焦点距離がもっと長いレンズとの組み合わせではミラーの共振周波数と系全体の共振周波数がずれますが画角も小さいのでミラーショックの影響を受けやすくなります。
 APSCサイズの場合はミラーも小さいので、共振周波数が高くります。もっと短い焦点距離のレンズで同じような現象が発生する可能性は否定できませんが、ミラーが小さく・軽くなるので元の振動が小さく余り目立たない可能性が大きいと考えています。

(B)の文献には
カメラAのミラーアップの有無によるブレの大きさの違い(図1)
カメラBのミラーアップの有無によるブレの大きさの違い(図2)
三脚の重量によるブレの大きさの違い(図3)
※ 三脚の重量差が非常に大きい。
三脚の設置方向(足の向き)によるブレの大きさの違い(図4)
※三脚の2本の脚を被写体に向けたほうがブレが小さい。
手振れ防止スイッチのオン/オフによる違い(図5)
※手振れ防止スイッチをオンにするとブレが大きくなる。 
が記載されています。
無料の登録が必要ですがご参照ください。

 発行人の個人的な見解では、特定のカメラ特定のレンズ・場合によっては特定の三脚のくみあわせでは、機械的な共振周波数が一致してミラーショックの影響が大きく出ることもありうると考えています。だからと言って、それをことさら強調して大げさに騒ぎ立てる程の事では無かろうと思います。幸いデジタルカメラでは、記録が残りますからミラーショックの影響に気が付いたらその後は、そのような組み合わせでは使わないことで、避けられます。
 
 4 カメラの歴史                           ページトップ   
4.1 カメラオブスクラ   
 カメラの語源はカメラ・オブスクラ(camerae obscurae:ラテン語)で、カメラは部屋、オブスクラは暗い、すなわち暗い部屋という意味です。暗くした部屋の壁に開いた節穴などの小さな穴(ピンホール)を通して外の景色が部屋の壁に逆さまに映った事が語源です。まだフィルムを使わず、被写体をすりガラスのようなスクリーンに写す機能だけで記録・保存できないものをカメラ・オブスクラ日本語では「写真鏡」と呼んでいました。

 紀元前4世紀にアリストテレス(ギリシャ)が日食の日に重なり合うプラタナスの木の重なった葉の隙間が作る小さな穴(ピンホール)を通る光が写し出した三日月形の太陽を観察し、ピンホールが小さい程画像が鮮明であることを発見し記述しています。これが被写体を映して見た最古の記録です。この方法は現在でも簡便な日食の観測法の一つであり、葉の茂った木の下に数多くの三日月が観測できます。ピンホールまでの高さによって三日月の大きさが異なり、ピンホールの大きさで三日月の鮮明性が異なって観測されます。
 葉の重なりですから、穴の大きさや形は不定型になりいろいろな大きさと形になります。アリストテレスは穴が小さい方が像が鮮明になることは発見していますが、穴の形が変わっても日食の太陽の三日月の形が変わらないことは説明できず、後世に「アリストテレスの問題」として残しています。

「カメラの絞りは機種・レンズによって六角形から円形、特殊な場合は反射レンズのリング(ドーナツ状)までいろいろありますが、絞りの形が変わってもスクリーンに映る像は変わりません。大きくボケた時のボケの形は絞りの形になります。これは何故なのでしょうか?」と言うのが「現代版のアリストテレスの問題」です。
 別途「レンズの部屋」で謎解きをする予定です。

 11世紀にアルハーゼン(アラビア)は高さの異なる3本のロウソクを使いロウソクと壁の間に小さな穴をあけた板を置いて壁に映ったロウソクが転倒し、左右が逆になることを記述に残していますが原理の説明までには至っていません。
 なお、ロケット、人工衛星に搭載されている宇宙線観測用のカメラは、宇宙線のような広範囲の波長に渡って、透過・結像できるレンズ材料がないために現在でも、それぞれの波長に適したカメラとピンホールカメラが併行使用されています。
 1544年1月22日7にフリシウス(オランダ)はカメラ・オブスクラを利用して日食を観測して、図を残しています。
 
 
反射型カメラオブスクラ
 
 1550年にカルダーノ(イタリア)がピンホールの代わりに凸レンズを用いると明るくシャープな画像を得られることが発見し、これを研究し完成させたのがケプラー(ドイツ)とされています。ケプラーは、カメラ・オブスクラで天体観測をして「ケプラーの法則」を発見しています。前述の「アリストテレスの謎」を解明し、観測装置に「カメラ・オブスクラ」と命名したのもケプラーとされています。
 ポルタ(イタリア)は『自然の魔術』(1558年)に「絵を描けない人はこの装置を使って物の輪郭をなぞればよい」と記述しています。
 ただし、このころのカメラ・オブスクラは建物の一室やテントタイプのものでスクリーンは垂直でその上からなぞるのは難しく、カメラ・オブスクラは画家の研究用であってコピー用ではなかったと考えられます。
 ルネッサンス期になるとダビンチやフェルメールが遠近法を研究し、遠近法に基づいた絵を描くのにカメラ・オブスクラを使用していたようです。
 例えばダビンチの「最後の晩餐」では中央奥のキリストの顔を中心として放射状に延びた直線に沿って窓が描かれており、これを幾何学遠近法といいます。
キリストのこめかみに釘を打った跡があり、これを中心(消点)に糸を張って描いたとされています。
 また「モナリザ」では背景になっている遠景が、青っぽくコントラストを弱めて描かれており、これを空気遠近法と言います。
現在では撮影時に空気遠近法の効果を弱めて、遠景をくっきり写すために「偏光フィルタ」が使われます。
 フェルメールも同様に遠近法を取り入れ、さらに特に「赤い帽子の女」ではレンズの被写界深度によるボケも取り入れた絵を描いていると指摘されています。
人の目は、自然に自動焦点合わせ(AF)機能と自動露光機能が備わっていますから、この絵の例で言えば、女性の顔を描くときは顔にピントをあわせ、背景を描く時は意識しなくても自然に背景にピントを合わせてしまうため、この絵のようなボケは描き難いとされています。

 フェルメール(1632-1675)が活躍したオランダのデルフトには同時代にレーウェンフック(1632-1723)も住んでいました。レーウェンフックは顕微鏡を自作し原生動物、細菌、ヒトの精子などを発見しています。二人に交流があったかどうかは分かりませんが、フェルメールの直ぐ近くに十分な光学的知識を持った人物がいたのです。もちろん顕微鏡用とカメラ・オブスクラ用とではレンズは全く異なるものですが、フェルメールは焦点から外れた被写体にボケを発生することをレーウェンフックに教えられて理論的に知っていたことは十分に考えられます。さらに想像をたくましくするとフェルメールの使っていたカメラ・オブスクラのレンズはレーウェンフックが磨いたもので、フェルメールの作品『物理学者』はレーウェンフックだった可能性もあります。歴史学者だと証拠もないのに迂闊なことは言えませんが、アマチュアカメラマンがこの程度のことを想像するのは許されても良いと思います。

 17世紀には暗箱の中に鏡を置いて光を90度上に曲げ、ピントグラスを水平に置きその上の半透明紙でなぞって描けるようにしたことによって使用が容易になり、一般人でも使用可能になり普及が拡大しました。
 18世紀には一般人も旅行中の景色や描く為にカメラ・オブスクラを使用するようになり形態に便利なものを製作しています。
 テント型を含め、カメラ・オブスクラは目の前にあるものを切り取り縮小してスクリーンに映す装置ですが、それが却って実際の風景よりもいきいきと魅惑的に感じられるスペクタクルとして受け入れられたようです。
 ジョン・ラスキンは「私は暗い一日、カメラ・オブスクラを見ていて、それがかっての巨匠たちの最高の作品にそっくりなのに衝撃を覚えたことが一度ならずある。木立は空を背景にくろぐろと迫り来て、ところどころに銀色に光る枝や、異様に輝く木の葉のかたまりが見える・・・・」書いています。
 これぞ、まさに写真の醍醐味です。見る人にこの感覚を与える写真を撮りたいものですが、私は後で写真を見て、「現物はもっと良かった」と感じることの方が圧倒的に多いのが残念です。
 
 4.2 日本の写真鏡      
 
 1645,6年頃の長崎オランダ商館の記録には、日本に写真鏡が持ち込まれ、先方(筑後殿)から返品されたことが記述されていますが、現物は残っていません。しかし、江戸時代と推定される写真鏡が数台残されており、大槻玄沢の『蘭説弁惑』に「写真鏡」、「どんけるかわむる*」として、写真鏡の絵が描かれていることから、鎖国中であってもオランダ・長崎を通して写真鏡が持ち込まれたと考えられます。
 江戸時代の浮世絵師達も多くの遠近法に基づく絵を残しています。司馬江漢も『楼上縁美人図』などを残し、知人への書簡に「ドンケルカアモル*」として写真鏡を書いているので実際に所持し使用していたと推定されます。

*dunkel kammer:オランダ語

※『古(いにしへ)のレタッチ』
 司馬江漢は、七里ヶ浜から江ノ島越しに富士山を遠望する風景画を多く描いています。
内の2枚を比較すると富士山と江の島の位置が逆になっています。実際には富士山は江の島の右側です。主役の富士山を外側に配して視点移動をスムーズに、遠近表現をより自然なものにして、副役である手前の漁師と離すことにより漁師の姿も生き生きと伝わり、駿河湾も広大に描かれることとなったとされています。
 
 

 

 

       江ノ島(富士山が右)

          七里浜(富士山が左)

 
司馬江漢の描いた江の島
http://harady.com/enoshima/ukiyoe/kohkan.html 
 
 
 
  なお、日本古来の「やまと絵」は遠近法によるパースペクティブは描かれておらず、遠くから望遠レンズで撮影したように現物が平行なものは絵も平行に描かれていて、下が近く上が遠いとされています。絵巻物は上下で遠近、左右での時間の経過を表し、また水墨画では、墨の濃淡で遠近を表すそうです。
 江戸時代の浮世絵・浮絵になっても、前記の司馬江漢等を除けば、蘭学から知識は入っていたがまだ十分には習得・把握していなかったようです。

 円山応挙も、例えば『四条河原遊涼図』などは中心点(消失点)が複数あるように描いています。おそらくは、当時のレンズでは、周辺部は暗く(シェーディング)また収差などのため明瞭に見ることができず、写真鏡の向きを変え視点を変えて観察して描いたのではないでしょうか?

 http://www2.kokugakuin.ac.jp/zyokoym/maruyamao.html

また、奥村政信の『両国夕涼大浮絵』も、やまと絵の平行遠近法で描き、船室?は線遠近法で描くというように一枚の絵の中で2つの手法が混在しています。

http://jmapps.ne.jp/geidai/det.html?data_id=24506

 葛飾北斎も、節穴を通して富士山が逆さまに映った「ふし穴の不二」(簡単なカメラオブスクラの説明もあります。)を描いており、滝沢馬琴も同様に小穴で逆さまになった風景を残していますが、例えば、写真鏡と同じなどの文字を残さず、原理などにはふれていません。この二人は、写真鏡を知っていなかったように考えられます。

 
 

 

 ふし穴の不二

 
    
 現存する日本最古の写真は、エリファレット・ブラウンが撮った田中光儀像で、銀板のダゲレオタイプなので、左右が逆に写るため着物の合わせ、刀の差し方等すべてを逆にして写したとされています。
 当時はダゲレオタイプでもプリズムで逆転させる技術も開発されてはいたようですが、普及はしておらずブラウンは持ち合わせていなかったとされています。
 


田中光儀
 
  日本人による日本最古の写真は、1841年6月1日に上野俊之丞がダゲレオ型カメラを使用して、薩摩藩主島津斉彬を撮影したのが日本最古の写真であるとして、6月1日が「写真の日」とされています。以外に早く日本に入って来ていると思っていましたが、後に誤りで、かなり後の1857年9月であることが判ったのですが、写真の日は変えられていません。
 湿式のダゲレオ型であったため、カメラ本体を入手しても直ぐには写真ができず実際に撮影して定着し残すことが可能になるのに長期間必要ったようです。推定ですが、現像・定着に必要な性能を持った化学薬品が当時の日本には無かったのではないでしょうか?
 
 
島津斉彬
 
 4.3 フィルムの歴史  
 カメラ・オブスクラのスクリーン面に感光材料(フィルム)を置けば、カメラ(写真機)になります。
 1725年シュルツ(ドイツ)が太陽の光によって硝酸銀塩が黒変することを発見し、
 1777年にシェーレ(スエーデン)が塩化銀を黒変させてアンモニアで定着できることを発表しています。18世紀の終わり頃にウエッジウッド(イギリス)が硝酸銀を使った印画紙で密着コピーやカメラ・オブスクラの画像を定着させる実験を行っていますが、明るい場所での長期保存ができるまでには成功していません。
 1822年にニエプス(フランス)がアスファルトを油で溶いて薄く塗布した合金板の上に、銅版画を乗せて直接太陽にさらしてコピーを取ることに成功しています。光があたった所を白変させ、未露光部分を石油混合液で洗い流すのでポジ写真が得られます。引き続いて研究・開発を進め、1826年にカメラ・オブスクラのピント面に、類似の感光材を置いて、世界最初の写真に成功しました。この時の露光時間は8時間であったとされています。
 
 
 
 ニエプスの世界最古の写真
 
 http://www.geocities.jp/syu_58jp/cam/155_1.JPG

 その後、ニエプスとダゲール(フランス)は銀化合物を使った感光材料を共同研究し、ニエプスの急死後にダゲールは、1839年にヨウ化銀を銅板に塗ることで露光時間を30分程度に短縮した感光板を発明しています。ヨウ化銀を銅板に塗ることはニエプスのアイデアらしいですが、ニエプスはこの方法を完成させる前に急逝しました。ダゲールは水銀蒸気で現像し、チオ硫酸ナトリウム(ハイポ)で定着させています。ハイポは現在でも定着液として使われています。現在のフィルムのように複写はできず、ポラロイド写真のように1枚だけの写真です。これをダゲレオ型といいます。天文学者で国会議員のアラゴーがフランス学士院科学アカデミーと美術アカデミーので発表・公開し喝采をあび、センセーションを起こしました。なお、ダゲレオ型は鏡に映したように左右が逆になります。
 
 
ダゲレオ型の風景写真 
http://www.geocities.jp/syu_58jp/dag/6.JPG
 
  ※カメラ・オブスクラは、通常はスクリーンの画像を後ろ側、すなわちレンズの反対側から見ていますが、これを前(レンズ側)から見れば左右が逆になります。ダゲレオ型は前から見た画像を焼き付けますから、左右が逆になります。透明な紙に印刷し裏から見れば正しくなるので、厳密には裏表が逆なのですが、普通は鏡を見て裏表が逆と言う人は少ないので左右としています。

 1840年にタルボット(イギリス)は紙に塩化銀を塗布することで白黒が反転したネガを作り、これを別の感光紙に密着させてポジ画像を得るこという現在のネガ・ポジ法を開発させ、露光時間は2〜3分と短縮されました。これをカロ型と言います。何枚でも複写ができる利点がありましたが、ネガの用紙が紙であったことで画像の解像度ではダゲレオ型に劣っていました。さらに製法も複雑であったため、画像の鮮明さが評価されダゲレオ型が主流の時代が続いていました。
 
 
 
 カロ型の写真
 
 ※ダゲレオ型もカロ型も、当時は湿式であったので、撮影毎に感光部品を作ることが必要で作りだめができず、感光部品を作るにもそれなりの技術が必要でした。
※湿式は、ガラスや金属などに薬品を塗り、濡れている間に処理を済ませることが必要ですので作りだめができず、高度な科学知識と処理技術が必要です。

 1851年、アーチャー(イギリス)はガラス板をネガとする湿式コロジオン法を発明し、ダゲレオ型の鮮明性、カロ型の複製を可能、左右反転の解消にも成功しました。コロジオン法のネガ・印画紙の開発・改良が進み、1871にマドックス(イギリス)が乾板フィルムを発明して感光部品に既製品を使うことが可能になり普及しました。
 また感度も向上したので、シャッターがカメラに内臓されるようになっています。

※それまでのカメラはシャッターがなくレンズに蓋をかぶせて露出を決めていました。

 1885年、ジョージ・イーストマン(アメリカ)は紙に乾燥ゲルを塗布した紙フィルムを開発し’89年にセルロイドフィルムに変え、「あなたはボタンを押すだけ、後はコダックが全部やります」との触れ込みで市場に参入し1901年にはコダック・ブラウニーの登場により写真は急速に普及しました。

 1935年にコダック社が映画用、’36年に写真用のカラーフィルムを発売しています。始めが映画用であったため、ポジ型(リバーサル型)です。乳剤面からみればダゲレオ型と同様に左右が反転していますが、フィルムが透明なので裏から見ることで問題はありません。
 ネガ・ポジ型は’42年にイーストマン・コダック社から発売されています。
 日本のカラーフィルムは、1941年(昭和16年)の小西六からリバーサルフィルム、’53(昭和28)年にオリエンタル写真工業からカラーネガフィルムが発売されています
 
 
 4.4 近代型カメラの歴史               ページトップ  
  鏡で90度反射させた画像を上から見るカメラ・オブスクラは一眼レフの原型であるが、初期のカメラはピントグラスで焦点合わせをしてから、感光材に置き換えることが必要でした。
 1891年サットンは反射用の鏡を可動式にしてカメラボディ上面のスクリーンに像を結ばせるという工夫をし、撮影直前まで像を見つづけることができるようになりました。。
 1890年代後半にフォーカルプレーン・シャッターが使用されるようになったが乾板を用いる大型のカメラでした。
 1925年に35mm判・ライカなどによって、一般性、可搬性、機動性、フィルム交換のしやすさが高まって、大衆化が広まりました。
 1934、年にドイツのイハゲー社がロールフィルムを用いた一眼レフカメラを発売しています。フォーカルプレンシャッターを装備し、127フィルムを使用して4×6.5cm判で8枚撮影できました。
 1936年、ソ連のGOMZ社が35mmフィルムを使用した一眼レフカメラを発売しました。縦走り方式のフォーカルプレーンシャッターを使用し、レンズ交換が可能であるが、まだペンタプリズムは無くファインダーは反射ミラーだけによる上部からの一眼レフ式でした。
 「正立正像アイレベルファインダー」を持つ最初の一眼レフカメラ」は1947年ごろにハンガリーで開発・発売されていますが、東西冷戦のため日本で認知されたのは1970年代になってからでした。
 この頃までの一眼レフはミラーが跳ね上がった時ファインダーが見えなくなる時間(ブラックアウト)が長いことが欠点であったが、1954年にペンタックスがクイックリターンミラーを完成させ、また、絞りを絞ったときにファインダーが暗いという欠点はズノーが1958年に自動絞り機構を装備したズノーペンタフレックスを発売した。
 1957年には、ペンタックスから世界初のクイックリターンミラーとペンタプリズムを両方搭載したアサヒペンタックスが開発されました。1959年にニコンから発売されたニコンFは非常に信頼性が高く、世界の報道カメラマンから支持されました。
 1964年ペンタックスよりTTL自動露出計搭載カメラペンタックスSPが発売されています。
 1985年にミノルタがオートフォーカスの一眼レフカメラα−7000を発売しています。その後各社でAF速度の速さと正確さで競争を行ってます。
 2006年1月、ニコンはハイエンド一眼レフカメラF6とマニュアル一眼レフカメラFM10を除いた一眼レフフィルムカメラの生産を打ち切ると発表し、5月にはキヤノンも新しいフィルム一眼レフカメラの開発を中止すると発表しました。現在は一眼レフカメラもデジタルカメラが完全に主流になっています。
 デジタルカメラの歴史については別途紹介する予定です。

参考文献
『映像の起源』中川那昭

[完訳]ダゲレオタイプ入門、L.J.M.ダゲール著、中崎昌雄解説・訳、朝日ソノラマ
写真の歴史入門第1部「誕生」新たな視覚の始まり。三井圭司/東京都写真美術館、新潮社