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神戸大学姫路分校時代のバス停
県立大環境人間学部前の神姫バスのバス停
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旧姫路分校⇒お城⇒姫路駅前
学校からは、どの道を通って駅前に行きましたか?
通学生の方はバスが多いと思いますが、寮生・下宿生は買い物・アルバイト・遊びと、結構歩いたと思います。
寮誌「白陵」を読みますと、お城の前の柔道場に通った方もおられたようです。
(白陵寮閉寮記念誌「白陵」(S39年発行)はディジタル化されていませんので、リンク張れないですが、
興味ある方は神戸大学文書資料室で保管されている本が読めます。)

正門前@から真っすぐ南へバス道を
しばらく行くと市立姫路高校(2021/8 姫路西高を訂正)、現在は城乾(じょうけん)小中学校があります。
市立姫路高校(2021/8 姫路西高を訂正)の広い土の運動場が、昔と余り変わりなく、あります。

この場所にあったのは市立姫路高校でこの高校が移転しました。
そして姫路西高は現在の場所に最初からあり移転しておりません。
yamajii 様からのご指摘で訂正します。
南東の前の道Bからを南下すると
道すぐの右に在った自転車屋さん。

今日は表のブルーのバケツに数本の空気入れも置いてあり、営業していました。
昭和15年の自転車修理技術試験合格証はまだそのまま表に貼ってありました。(ガラス戸右上)
しばらく行くと市立姫路高校(2021/8 姫路西高を訂正)、現在は城乾(じょうけん)小中学校があります。
物理の橋本万平先生のコース、真ん中のA道は、どちらにでも行けます。
多分昔は、どの道を通っても、市立姫路高校(2021/8 姫路西高を訂正)の南★に到着したと思います。
そこから川に沿って斜めに歩き、市之橋にでるのが一番近道だったと思いますが、今は川岸が通れなくなっています。
市立姫路高校(2021/8 姫路西高を訂正)⇒姫路城。記憶に残っている建物ありますでしょうか?
面影の残っている今(2017年)を探して!
オレンジの線は、姫路駅北口⇔県立大環境人間学部前(旧神戸大学姫路分校)行きバス道
山野井町A
男山山頂にある男山配水池公園への階段
男山山頂からの眺め:西南
天守閣鑑賞ベストスポット、姫路城十景の一つです。
新年には初日の出が見られると、ぎゅうぎゅうの満員になるそうです。
残念ながら、学生は実家に冬休み帰省中なので、話題にも上がらなかったです。最もお城は修理中でしたね。
男山山頂からの眺め:北
下方中央、赤い屋根の杵屋さん(旧姫路分校東門前)の向こう側です。旧姫路分校の講堂と本館の東側が見えます。

男山山頂からの眺め:南
遠く、右上の小高い山が手柄山
男山八幡宮への参道と男山配水池公園への階段の中間にある男山山麓の水尾神社
男山八幡宮への参道
望景亭(姫路文学館)
安藤忠雄設計の近代的な姫路文学館のお庭に和風の建屋があります。
立派な洋館もあったようで、一時期淳心会の教会になった後、取り壊されたそうです。
(姫路市今昔写真帖)に当時の写真と説明があります。
私達がおりました時分は、男山市民寮として結婚式場になっていたそうです。
その時分よりはぐっと小規模になって保存されているのが、望景亭です。

国の登録有形文化財
大正時代初期に姫路の実業家濱本様が別荘としてたてられ、
賀陽宮恒憲王が姫路騎兵第十聯隊長時代に(昭和10〜11年)ご家族過ごされたそうで、
当時の皇族に貸せるくらいの立派なしつらえだったのでしょうね。
その後須鎗家、戦後占領軍高官と渡り、昭和33年に姫路市に渡されたそうです。
旧制姫路高等学校の白陵寮を視察される賀陽宮の写真が残っているのは、
賀陽恒憲の宮は旧陸軍騎兵第十聯隊に赴任されていたのですね。
鷹匠町B
絵地図のBから道の北には、侍屋敷並みが少し残っています。
奥に見えてるのが男山八幡宮山裾です。左に姫路文学館があります。
材木町北側@
絵地図の@から道の北には、古い街並みがかなり残っています。
お店もあります。
カフェやお食事処に利用している所も風情があります。
材木町南側@
白鷺橋上流側
中堀跡ーーーーーーーー千姫の小径に続くーーーーーーーーー船場川
白鷺橋下流側
この橋の欄干の汚れは戦争時の焼夷弾による爆撃跡だそうです。

お城からきた船場川には、中堀でこの白鷺(はくろ)橋が架かっています。
昔に比べ道幅を広げた分橋の幅も広がっています。
川に沿って、西に 62号線(産業道路)があり、その西に博労町があります。
西国橋南の、福中橋たもとにあったかき船
私が姫路におりました当時、この橋の南側たもとにかき船が浮かんでいたそうです。
現在、この橋は名前は明記ないのですが、今は道路標識は「白鷺橋南」です。
北:上流(白鷺橋・西国橋)側

写真奥の赤い三段屋根のお店は福中町の中華料理「北京」です。最近創業50周年だったそうです。目印に!
右手前の川沿いのビルは映画館(白鷺館)だったそうです。
ほんとに姫路市内には映画館が多かったのですね。と言えば初老のタクシーの運転手さんは、
まだまだありましたで〜と自慢話が弾みました。
野里東宝は聞いたことがあるので、野里にも映画館があったのですね!と言えば、
もっとほんとの野里の町に「日吉」があったとの事
です。
近くに下宿していた方たちには思い出の場所と思いますので、
野里に行く機会あれば、是非地元の人に場所を教えてもらいたいと思っています。
南:下流(飾磨港)側

この橋のたもとに浮かんでいたそうです。
(姫路市今昔写真帖)に当時の写真があります。

残念ながら出版元の株式会社郷土出版社が現在ありません。
興味のある方は、姫路市立図書館蔵の本で、ご覧ください。
船場川

、
姫路分校すぐ東、大野川はお城のあたりでこの船場川に合流しています。
城下から
手柄山の東の手柄小橋を通り抜け、飾磨港へ通じていて、高瀬舟で荷を運んだそうです。
神戸元町の 相楽園には、藩主が川で使った川御座船の屋形部分が展示されてます。
かき船が浮かんでたのですから、あの豪華な船は昔ここに浮かんでいたのでしょうね。
⇒市ノ橋⇒姫路城