思い出の姫路城下町レトロ

旧神戸大学姫路分校(県立大環境人間学部)⇒姫路城⇒JR姫路駅

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1959年〜1960年(S34-S35)一年半住んだだけですが、城下町独特の雰囲気があり、知らない店も何故か懐かしく覚えます。
公益社団法人姫路観光コンベンションビューローの観光案内パンフレット「城下町レトロショップ探訪」とESS の季刊誌の広告を参考に、 不確で微かな記憶をもとに、思い出の場所を探してみました。

年配の昔の姫路をご存知のタクシーの運転手さん達、通りすがりに道を教えてくださったついでに、思い出話をしてくださった親切な方々!お世話になりました。ありがとうございました。

地図は観光案内の看板の説明書の物を使わせていただきました。少し加工してます。
写真撮影(2016年〜2018年)

1961年の姫路駅前


この写真は国土地理院の地図・空中写真サービスからダウンロードしました。

「城下町レトロ」コース

お城⇒本町商店街⇒みゆき通り
みゆき通り⇒二階町⇒(西二階町)
西二階町
中の門筋
閉鎖された映画館
山陽姫路駅と山陽百貨店、旧ヤマトヤシキ(ヤマトヤシキ 2018年2月閉店)
博労町(大◎)・かどや(小◎)
駅前町

突き当りの姫路城は昭和の大修理(1956〜1964)のため工事中です。


姫路城



私が姫路におりました頃は、姫路城の天守閣は8か年計画で解体修理着工中(昭和の大修理(1956〜1964))でした。
昭和の大修理から約50年経って、2009年 平成21年 大天守保存修理工事着工(平成の修理)。
総工事期間5年半に及んだ「平成の大修理」も終えました。



昭和の大修理中のお城(1963年3月)


もう卒業だから、どこか記念に遊びに行こうと誘ってくれた友人は御影分校出身だったので、是非姫路城を案内してくれと言われました。
修理中だったけど見られるという事で出かけました。

昭和のお城の解体修理着工中の入場券


入場券:表



入場券:裏



通り合わせた方にシャッターお願いした記念撮影、私には良い記念です。

昭和の絵ハガキ



お口直しに、入場の時に頂いた物に付いていた絵ハガキ。







神戸大学姫路分校時代のバス停



県立大環境人間学部前の神姫バスのバス停







旧姫路分校⇒お城⇒姫路駅前



学校からは、どの道を通って駅前に行きましたか?
通学生の方はバスが多いと思いますが、寮生・下宿生は買い物・アルバイト・遊びと、結構歩いたと思います。
寮誌「白陵」を読みますと、お城の前の柔道場に通った方もおられたようです。

(白陵寮閉寮記念誌「白陵」(S39年発行)はディジタル化されていませんので、リンク張れないですが、 興味ある方は神戸大学文書資料室で保管されている本が読めます。)




正門前@から真っすぐ南へバス道を しばらく行くと市立姫路高校(2021/8 姫路西高を訂正)、現在は城乾(じょうけん)小中学校があります。

市立姫路高校(2021/8 姫路西高を訂正)の広い土の運動場が、昔と余り変わりなく、あります。



この場所にあったのは市立姫路高校でこの高校が移転しました。
そして姫路西高は現在の場所に最初からあり移転しておりません。
yamajii 様からのご指摘で訂正します。

南東の前の道Bからを南下すると 道すぐの右に在った自転車屋さん。



今日は表のブルーのバケツに数本の空気入れも置いてあり、営業していました。
昭和15年の自転車修理技術試験合格証はまだそのまま表に貼ってありました。(ガラス戸右上)

しばらく行くと市立姫路高校(2021/8 姫路西高を訂正)、現在は城乾(じょうけん)小中学校があります。

物理の橋本万平先生のコース、真ん中のA道は、どちらにでも行けます。

多分昔は、どの道を通っても、市立姫路高校(2021/8 姫路西高を訂正)の南に到着したと思います。


そこから川に沿って斜めに歩き、市之橋にでるのが一番近道だったと思いますが、今は川岸が通れなくなっています。





市立姫路高校(2021/8 姫路西高を訂正)⇒姫路城。記憶に残っている建物ありますでしょうか?

面影の残っている今(2017年)を探して!


オレンジの線は、姫路駅北口⇔県立大環境人間学部前(旧神戸大学姫路分校)行きバス道





山野井町A


男山山頂にある男山配水池公園への階段




男山山頂からの眺め:西南
天守閣鑑賞ベストスポット、姫路城十景の一つです。



新年には初日の出が見られると、ぎゅうぎゅうの満員になるそうです。
残念ながら、学生は実家に冬休み帰省中なので、話題にも上がらなかったです。最もお城は修理中でしたね。


男山山頂からの眺め:北
下方中央、赤い屋根の杵屋さん(旧姫路分校東門前)の向こう側です。旧姫路分校の講堂と本館の東側が見えます。






男山山頂からの眺め:南
遠く、右上の小高い山が手柄山



男山八幡宮への参道と男山配水池公園への階段の中間にある男山山麓の水尾神社



男山八幡宮への参道




望景亭(姫路文学館)

安藤忠雄設計の近代的な姫路文学館のお庭に和風の建屋があります。
立派な洋館もあったようで、一時期淳心会の教会になった後、取り壊されたそうです。
(姫路市今昔写真帖)に当時の写真と説明があります。
私達がおりました時分は、男山市民寮として結婚式場になっていたそうです。
その時分よりはぐっと小規模になって保存されているのが、望景亭です。

国の登録有形文化財

大正時代初期に姫路の実業家濱本様が別荘としてたてられ、
賀陽宮恒憲王が姫路騎兵第十聯隊長時代に(昭和10〜11年)ご家族過ごされたそうで、
当時の皇族に貸せるくらいの立派なしつらえだったのでしょうね。
その後須鎗家、戦後占領軍高官と渡り、昭和33年に姫路市に渡されたそうです。

旧制姫路高等学校の白陵寮を視察される賀陽宮の写真が残っているのは、
賀陽恒憲の宮は旧陸軍騎兵第十聯隊に赴任されていたのですね。

鷹匠町B

絵地図のBから道の北には、侍屋敷並みが少し残っています。



奥に見えてるのが男山八幡宮山裾です。左に姫路文学館があります。





材木町北側@

絵地図の@から道の北には、古い街並みがかなり残っています。



お店もあります。


カフェやお食事処に利用している所も風情があります。


材木町南側@


白鷺橋上流側



中堀跡ーーーーーーーー千姫の小径に続くーーーーーーーーー船場川






白鷺橋下流側

この橋の欄干の汚れは戦争時の焼夷弾による爆撃跡だそうです。



お城からきた船場川には、中堀でこの白鷺(はくろ)橋が架かっています。
昔に比べ道幅を広げた分橋の幅も広がっています。
川に沿って、西に 62号線(産業道路)があり、その西に博労町があります。



西国橋南の、福中橋たもとにあったかき船

私が姫路におりました当時、この橋の南側たもとにかき船が浮かんでいたそうです。
現在、この橋は名前は明記ないのですが、今は道路標識は「白鷺橋南」です。

北:上流(白鷺橋・西国橋)側


写真奥の赤い三段屋根のお店は福中町の中華料理「北京」です。最近創業50周年だったそうです。目印に!
右手前の川沿いのビルは映画館(白鷺館)だったそうです。
ほんとに姫路市内には映画館が多かったのですね。と言えば初老のタクシーの運転手さんは、
まだまだありましたで〜と自慢話が弾みました。
野里東宝は聞いたことがあるので、野里にも映画館があったのですね!と言えば、
もっとほんとの野里の町に「日吉」があったとの事 です。
近くに下宿していた方たちには思い出の場所と思いますので、
野里に行く機会あれば、是非地元の人に場所を教えてもらいたいと思っています。

南:下流(飾磨港)側


この橋のたもとに浮かんでいたそうです。
(姫路市今昔写真帖)に当時の写真があります。


残念ながら出版元の株式会社郷土出版社が現在ありません。
興味のある方は、姫路市立図書館蔵の本で、ご覧ください。




船場川



姫路分校すぐ東、大野川はお城のあたりでこの船場川に合流しています。
城下から 手柄山の東の手柄小橋を通り抜け、飾磨港へ通じていて、高瀬舟で荷を運んだそうです。
神戸元町の 相楽園には、藩主が川で使った川御座船の屋形部分が展示されてます。
かき船が浮かんでたのですから、あの豪華な船は昔ここに浮かんでいたのでしょうね。

⇒市ノ橋⇒姫路城



平成の大修理後の姫路城ライトアップ(2016年12月11日)

国宝姫路城は平成5年12月、日本で初の世界文化遺産に登録されました。
(平成の大修理)を終えた姫路城ライトアップ見てきました。


2016年12月 姫路城ライトアップ 


平成の大修理後お城(2017年)



お堀一周の舟に乗ると、ビユー・ポイント に連れて行ってくれます。


姫路動物園のミニ遊園地(2017年4月14日)





1952年(昭和27年)作られた園内のミニ遊園地の遊具は現在も多くは現役だそうです。
遊具の一つ、この〜飛行機〜がお城のお堀から見えます。
多分お城の修理中は休園だったのでしょうね。当時、私は一度も行った覚えがありません。
姫路の人には自慢に思っている人も多いようです。


姫路市立美術館(旧市役所)





お城内「本町68番地」の東部分にある姫路市立美術館。
天守閣鑑賞ベストスポット、姫路城十景の一つです。

昭和22年(1947年)〜55年(1980年)まで市役所でした。

私の姫路分校当時は、国民年金問題も選挙権問題もありません。
住民票を移していませんし、市役所に行った憶えがありません。
立派な建物です。一度中に入って見学しておけばよかったです。

現在は美術館として利用されています。
比較的すいているので、評判の作品も、 ‘立ち止まらないください〜!‘と追い立てられないで、ゆっくり鑑賞できます。


明治の終わりから大正・昭和と軍国日本の旧陸軍第十師団の兵器庫・被覆倉庫だったこの建物
戦後の占領下を経て、私達の知る、市役所となり、今は姫路市立美術館となっています。
戦中の陸軍の建物はほとんど焼けてしまった中、この倉庫と司令官官舎が残ったそうです。


カトリック淳心会本部(旧陸軍第十師団司令官官舎)



姫路市立美術館の野里街道を挟んで向かいの淳心学院に在ります。旧陸軍第十師団司令官官舎の転用




カトリック姫路教会(旧陸軍第十師団跡)


戦後すぐ(1949年、昭和24年)に旧陸軍第十師団跡に建てられました。
(姫路市今昔写真帖)の説明によると、一時期、山ノ井町、須鎗家所有の旧賀陽邸洋館を教会として使っていたそうです。


城見台公園と城見台駐車場(旧姫路警察署)





お城内「本町68番地」の南東部分にある城見台公園。 天守閣が見通せる姫路城十景の一つ、です。
シャチホコのレプリカがあり、写真の撮影のポイントの一つです。

現在、城見台駐車場になっている所に、姫路分校時代には、姫路警察署がありました。
2009年には東姫路近くに移転しています。



Wikipedia から、「本町68番地」にあった当時の旧庁舎の写真ダウンロードさせていただきました。

総社本町と総社境内の学生様の映劇



神大姫路分校時代のESSクラブの季刊誌の広告を出してくださってた、映劇と永井写真店。
映劇はなくなってますが、永井写真館は近代的な建物になって健在でした。





映画館閉鎖後はボーリング場になり、その後総社が周りを含めて買い取って、現在は参拝者駐車場になっています。
写真右(北側)が総社の神門で、その前(南側)が映劇跡の駐車場です。
若い時分、よく見に行った!と映劇で映画を見た人のお話では、洋画が多く楽しかったとの事です。
境内一帯が娯楽場のようで、お祭りのように屋台が立ち並び、サーカスが来たことも在る!
青春時代を懐かしんでおられました。



昭和20年の大空襲でことごとく焦土と化した総社、戦後、23年の第一期の復興工事が始まり、昭和50年にすべての復興工事が終了したそうです。
昭和31年の第二期で建設された神門と、境内の献燈提灯


2021年7月 茅の輪くぐり 







2018年で創業100年だそうです。


建物は変わっていますが、現在も総社の門前、駐車場の南隣に店を構えておられます。



黄葉が始まった、お城前のイチョウ(2017年11月上旬)







大手前通りのイチョウも、 矢張り実をつけている木は少ないです。
銀杏は姫路分校の銀杏より、一回り大きいように思います。



本町商店街⇒みゆき通り


本町商店街

写真はお城側から本町商店街を見ました。奥にみゆき通りが駅まで続きます。





みゆき通りを駅前からまっすぐお城に向かって北に行き、御城近くなると、本町商店街になります。
何故?みゆき通りまで再開発して、後少しの本町商店街は昔のまま?を聞いたり、見たりした結果分かりました。

姫路城中濠の内側(地図のお城の周り水色で囲った部分)はすべて「本町68番地」です。
千代田区千代田1番地に続く日本で2番目に広い番地で、現在その全域が特別史跡に指定されてます。
現状を変更には文化庁長官の許可が必要で、みゆき通りの様には整備できないようです。
とは言っても、
写真、本町商店街の北入り口(お城側)の左には、ガラス張りの大きな複合文化施設イーグレひめじが建っています。
(5階屋上庭園から撮った、姫路城の写真を表紙に使っています。)
岩崎書店と同様に戦後すぐからあった飲食店 「丸勝食堂」も近年閉店し、 今はゲストハウスになってます。

まだまだレトロな雰囲気が残った本町商店街が懐かしいのです。

観光客は、現状を楽しませてもらってます。


岩崎書店

本町商店街の中でも岩崎書店は古く、創業70年(戦後すぐ)です。

やっと開店時に来れました。
残念ながら、お目当ての、姫路分校時代の 姫路市内中心部の地図はありませんでした。
また、時々寄ってください〜!と言われてもねぇ〜




みゆき通りにあった新興書房(1947年(戦後すぐ)に創業)を懐かしく思われる方も多いと思いますが、無くなりました。


きむら




本町商店街の古い焼き鳥屋さん。ちょっとお婆さんには入りにくい。


本町商店街の南側の姫路城中濠





本町商店街の南側の両脇に残る、姫路城中濠。道を隔てて、手前がみゆき通りです。


以前は、入口の西側(写真 左)に御幸通交番(昭和9年築)がありました。
現在は更地です。なるほど!BOX というほどの広さです。

そのまま西側(写真左)へ行くと50米道路へ出ます。


みゆき通り⇒二階町通り

みゆき通り



茶房 大陸



創業以来70年(戦後すぐ)以上の茶房。洋菓子屋さんの経営。
姫路分校西門近くに北支店があります。

正門を背に西(書写山方面)を見る。←クリックでジャンプ



十七八(となはち)






昭和7年創業の風流おでんの店です。
姫路風のショウガ味ではなく、普通のおでんだそうです。
学生には少し高級店のように感じますが。。。

神大姫路分校時代のESSクラブの季刊誌の広告





十七八(となはち)の西(写真右)に見えているのが、五十米道路の歩道と街路樹です。



二階町から五十米道路(中二階町)を渡って西二階町へ







大手前通りが無かった頃、大手前通り付近は中二階町と呼ばれていたそうです。
今は大手前通りから東側の通りを二階町、西側の通りを西二階町と言うそうです。

西二階町〜魚町通り⇒博労町








都庵



大手前通りから、東から西に魚町を通り抜けて、魚町外れの、西魚町の都庵に到達するのは、ちょっと勇気がいります。
反対に、西から東、博労町→62号線→船場川と行けばすぐです。
昭和23年(戦後すぐ)創業のカレーうどんが自慢のおうどん屋さん



白鷺橋⇒博労町・油菓子



昔は油菓子のお店が博労町に軒を連ねていたそうですが、 今は昔から続くお店が数軒、代々受け継がれた製法で今も作り続けてられるそうです。
大昔からある姫路の油菓子。どこでも買えるけど、せっかく姫路に来たから、博労町まで行ってみました。

創業明治40年、二葉製菓で、袋に一杯詰めて、格子窓の無人スタンドにて100円で売っていました。
勿論買いました。
白樺奉天と満月奉天。結構重いですけど、欲と二人ずれで持って帰りました。


2017年6月末で閉店されたそうです。



前回購入の白樺奉天と満月奉天、大好評で又訪ねた時は閉店していました。
屋根の上に見られる太い蒸気抜き?は珍しい物だそうです。

近くには、大好きな黒糖ねじの金岡製菓もありました。





博労町〜今宿



かどや食堂

博労町まで足を延ばしたついでに、創業70年(戦後すぐ)以上の、おでんの大衆食堂に行ってみる。
旧姫路分校→岡町→かどや と私の足で歩けば、30分以上かかります。駅からバスがお勧め。
そのお店は、三角定規の形の角の土地にありました。



私が、テレビ等で姫路おでんの話を知る、ず〜と以前から姫路の人は、ショウガでおでんを食べていたそうで、
姫路おでん と命名される以前から、大衆食堂では、姫路流食べ方として存在していたようです。
学校の食堂で食べたかどうか?全然覚えがありません。


中之門筋⇒山陽姫路駅

中之門筋




中之門

中之門の解説図



中之門跡


江戸時代はこの中之門筋が姫路城のメイン筋だったそうです。
道路の奥にはお城が見えます。




中之門筋から見た姫路城



お城が立派に見える場所だと言う事に、メイン通りだった面影を感じます。
五十米道路(現在の大手前通り)と同様に電線が無くなれば良いのだけど。。。ちょと残念。



上高地



上高地という名前には憶えがあります。
いつも閉まっていて、確認できません。


東来春(とんらいしゅん)






昭和21年(戦後すぐ)創業の立派な構えのお店です。が大衆中華料理店だそうです。
和風だしのラーメンがお年寄りに人気みたいです。
姫路流食べ方で、シュウマイをソースで頂くのは、やっぱり馴染めなくて、醤油とからしとお酢で頂きました。

神大姫路分校時代のESSクラブの季刊誌の広告を出してくれていました。
しかも「学生歓迎」とのうれしいお言葉。で、ひそかにお礼に参りました。

神大姫路分校時代のESSクラブの季刊誌の広告




姫路活動写真松竹座




74年の歴史ある映画館だったようですが、2004年12月閉館。

ネット上に以前の松竹座の綺麗な写真ありました。良かったらご覧ください。
松竹座

今は駐車場になっています。


以前の映画館の写真にも、この駐車場の写真にも、老舗蕎麦屋の「信州屋」の看板が見えます。



姫路大劇会館




昭和30年3月(1955年) 姫路大劇 としてオープン。 2015年に閉鎖されたそうです。

現在は駐車場になっています。

旧姫路大劇の裏側は昔のままだったようで、漢字が面白いという事で、カメラマニアの被写体になっていたようです。


Wikipedia から、以前の大劇の写真ダウンロードさせていただきました。



新生軒



大手前通りに面しているすし宗の北側横を南町栄通を挟んで、向かい。
創業から60年近く経つラーメン屋さんで、にぎやかな飾りの小さなレトロな老舗のラーメン屋さんです。
店内の壁には私も知らない姫路市内の一昔前の白黒写真が貼ってあります。
一昔前の白黒写真では、栄通も「さかえ通」と平仮名なのです。



すし宗






学生でもひと月に一回、仕送りが届いた時には行ける位のお値段のお鮨屋さんがありました。
私は一度寮の先輩に連れて行ってもらっただけで、余り店の雰囲気やお味を覚えてないのですが。。。。
昭和4年開店の老舗ですが、今でも安くておいしいそうです。
写真はお店に飾ってある姫路市市政要覧です。
現在、直養町(ちょくようちょう)は東駅前町に合併されてます。すし宗さんは昔は東京すしだったのですね。



観光客溢れる姫路駅のすぐ前で、一週間一回の定休日があり、営業日も売り切れ次第閉店というお店です。
定休日とかち合ったり、午後1時に飛び込んだのに売り切れだったりと中々お味見が出来なかったのですが、
先日お花見時には12時前に入店し、やっといただけました。
関西寿司と歌っている通り、少し甘めの酢飯です。大阪のおばちゃんにはぴったりの美味しさ!アナゴも美味!
レトロなお店の雰囲気も落ち着きます。



山陽百貨店・山陽電車





姫路を離れてからも、少し買い物には遠いのですが、気が向いて、たまに、特別の催し物がある時や食料品の買物に来たことがあります。
山陽百貨店近くの昭和25年2月創業の播州ハムが2016年閉店したそうで寂しい。贈答用のセットなど、山陽百貨店で買えたのに。。。


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山陽電車姫路駅


山陽百貨店の入口を入り、案内板に従ってエスカレーターで二階に上がれば、そこは山陽電車の姫路駅です。
3・4番線の特急に乗れば神戸・大阪まで行けますよ!

1・2番線は普通電車です。


山陽電鉄では、2019年7月6日から
昭和期のツートンカラー車両(1948〜88年、標準色に採用されていた)を復刻し、 運用しています。 (2021年春 まで)


2019年9月 山陽電鉄姫路駅
 ツートンカラー車両


山陽電車手柄駅で降りました。
 山陽姫路駅→普通電車で次 手柄駅

手柄山中央公園・温室植物で、姫路の市蝶 ジャコウアゲハ を観てきました。


山陽電車飾磨駅で降りました。
山陽姫路駅→急行電車で次  飾磨駅 で昔のツートンカラーの電車見ました!



JR姫路駅


JR姫路駅:えきそば 健在!



まねき食品 が、 1949年(昭和24年)(戦後すぐ)以来 姫路駅にお店を出している、立ち食い形式のそばやさんです。
駅のリニューアルでお店もリニューアルしたと思いますが、えきそばは健在です。
今お店は、新幹線と山陽線の姫路駅のプラットホームにあります。以前あった、播但線のプラットホームにはありません。

平成18年撮影の播但線の えきそば の写真は下の 鉄道雑学研究所のHP にLINK してますのでご覧ください。
姫路駅「まねき」


JR在来線上りプラットホームの店舗は、1919年外観が国鉄製のディーゼルカー風の塗装に塗り替えられました。


2020年 JR姫路駅プラットホーム

お店にはなかなか入る勇気ないけど、食べてみたいな〜!「天ぷらえきそば」お持ち帰りセット購入。




姫路駅一番北のプラットホーム。 写真手前、西側が姫新線。3 4 番線です。


2019年5月 JR姫路駅から姫新線に乗ってきました。

姫路駅→ 【播磨高岡】 →余部(よべ)駅
余部駅 姫路科学館で、旧姫高の実験器具の展示とプラネタリウムを観てきました。


姫路駅一番北のプラットホーム。 写真奥、東側が播但線。1 2 番線です。

播但線は、1972年(昭和47年)の蒸気機関車廃止まで蒸気機関車が走っていたのですね!
播但線に乗る友を姫路駅に送って行ったことはありますが、私自身は蒸気機関車に乗った事ありませんでした。
今の播但線は1998年の電化以来のワインレッドの車両です。


姫路駅の播但線のホーム。新幹線や山陽本線の姫路駅プラットホームとは違う雰囲気。
終点の姫路駅で、降車客全員が改札口に向かった後は、車内もプラットホームにも人影なし。



JR姫路駅のキャッスル・ビュウ






この写真は姫路市のHPからダウンロードしました。

旧姫路分校(兵庫県立大学環境人間学部)・姫路市立美術館(旧市役所)・城見台公園(旧姫路警察署)

(お城)⇒本町商店街⇒みゆき通り
五十米道路
☆城入口
★JR姫路駅方向




「キャッスルビュー」から五十米道路・姫路城・旧姫路分校方向を望む



大手前通り(五十米道路)の一方の端であるJR山陽本線姫路駅からもう一方の端の姫路城まで見る。
姫路のデパート、山陽百貨店が左手前に、ヤマトヤシキが右奥に見えます。
名前だけは良く知っていたけど当時の貧乏学生の身分ではあまり縁が無かったです。

突き当りの姫路城分かります?


再整備前の五十米道路


この写真は姫路市のHPからダウンロードしました。

この電柱のない広い道路、しかも自慢のお城が、どこからでも見られる。姫路の先人はほんとにえらい!と思います。

昔、五十米道路と言ってた時には、ほんとに広いと思っていましたが、今見るとそんなに広いとは思えない?
私が大きく(太く)なったからそう見えるのかと思いましたが、原因わかりました。

以前は、 五十米道路は片側4車線でした。
2012年〜2015年の再整備工事で、 車道を片側4車線から緩速度車道を1車線縮小し3車線とし、歩道が拡幅されました。


五十米道路と姫路南座

国鉄姫路駅からお城までまっすぐ伸びる「五十米道路」。
私達は「五十米道路」と言ってたのですが、本名は大手前通りだそうです。
今から56年前、(1960年)の 60年 安保デモ時には、姫路駅から姫路警察署まで、この通りをデモ行進しました。



神戸大学文書資料室蔵の今から56年前、(1960年)の姫路分校60年安保デモ時の五十米道路東側の写真。
参加者は喪章をつけているので、多分樺美智子さんが亡くなった(1960/6/15)直後のデモと思います。

写真のバックに写っている、姫路南座。
1964年(S39年)改装し、姫路OS劇場になっていましたが、2016年1月閉館しました。
(姫路南座⇒建替え⇒OSビル⇒姫路OS劇場閉館⇒)現在の名称は、姫路駅前ビル。
姫路駅前ビルとその北の播州信用金庫とは今も同じ場所にあります。



現在では、6月には浴衣まつり、8月初旬にはお城まつりでは大手前通りでパレード等が行われているようです。


ブルボン・山陽座

駅前町にあった、山陽座(1932年〜2016年)も閉館していました。
リニューアルしてシネ・パレス山陽座として最近まで、姫路フォーラス7階にありました。
姫路フォーラス閉館と共に、2016年1月に閉館しています。
今「山陽座」の流れをくむアースシネマズ姫路が、テラッソ姫路で、2015年からオープンしています。


跡地にはホテルが建つようです。
(追記:2018年10月17日、「ダイワロイネットホテル姫路」がオープンしました。


山陽座の隣のカレー屋さんはなくなっていますが、山陽座の思い出にこの広告も掲載しました。

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神大生御用達 ブルボン。
半世紀以上昔、学生には大贅沢だった、おしゃれな喫茶店ブルボン !懐かしい〜
姫路を離れてからも何度か来ましたが、いつの間にか絶たんでいました。

神大姫路分校時代のESSクラブの季刊誌の広告





姫路駅南



御座候 健在!

創業1959年(昭和34年)なので、在学中は、よそ者の私は、その名を知りませんでした。
家庭教師に行っていた御宅で、小皿に一個入れて渋茶でおやつに頂いたように思います。

大阪・神戸の友達に姫路に居たことがあると言えば、必ず、お城の次に御座候の話が出てきます。
今やあちこちに店があるのに、お城見に行った時、おみやげに探したけど、お店なかったと良く言われます。
そう言われれば、姫路駅から五十米道路を歩いてお城に行き、帰りもバスか歩きで五十米道路を真っすぐ帰れば見つけられませんよね。
JR駅のコンコースか、山陽百貨店B1にありますよ。


本店の工場ショップ まで足を延ばせば、焼き立ての御座候やあずきソフトもあります。



2020年創立70年を祝し、神姫バスラッピングして走行