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風景第2章

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なんとなく風景紹介



2013 3月後半
ぶらっと歩き
ぷらっと歩きは、いわゆる何かその場所の近くに用事があって、用事を済ませた後、あるいは前に
時間を作ってぷらっとすることの楽しさを見つけています。本当の観光は家族ないし友達とわいわい
いって適当にお金を使い、いろんな交通手段を利用して効率良く観光することだと思います。
ここでいうぶらっと歩きは、基本何かのついでに観光をしようとするもので、一人であることと、
特別な観光地でなくても、その地域の生活や町並み、そこに流れるちょっとした川や風情を楽しむことで、
自己満足の域は超えないです。基本お金の消費は極力抑えるので、飲食は持参、移動は歩きである。
決してこれがは本来の楽しみではありません。何か用事があって時間がある時又は、用事にかこつけて
時間を作って楽しむということで、はたから見るとわびしいと思われるかもしれません。お金は極力使わないので、
家族旅行など楽しいひと時を過ごした後、お金の浪費に後悔するということはありません。
また、普段何気に通り過ぎている町に色々な施設や生活感を発見できます。
ぷらっと東京駅へ

ぷらり横浜へ


何となく風景から発展心模様として書く

ミスバリボへgo2024.1.19






青い月(BLUEMOON)
       いずみとつよし 青春のひと月 

ぷらっと神田半フィクション

階段を下りて改札を抜けてきた若者が2人。一人は小柄で色白な少し丸顔でショートカットの女で、名前は吉川いずみ
その隣に標準体形に口髭をはやし、背は気持ち大きいほうであろう木村毅という男である。
「神田駅ってちょっと古い感じだよな」毅が話しかける。

「そうね、でも今工事しているみたいだから、そのうちにリニューアルされるんじゃない」
「そうだよね、最近結構どこの駅舎もきれいになっていて昔の面影もなくなってるからなあ」
二人は東京駅から中央線快速に乗って神田駅に降りた。
「神田駅は東京から一駅だけど、中央線の快速は停まるし、山の手線の電車も停まるから、結構べんりなんだよ」
「そうだね、駅も大きくないし、乗り換え線も地下鉄銀座線があるくらいで特別何がってわけではないのにね」
東京駅から上野方面に向かって前方の車両に乗った二人は上野よりの改札から出た。
毅が改札を出たところで左に指を差し「こちらへ出よう」
出口に向かうとその右側に地下鉄銀座線の入り口が見える
「神田って聞くと何を最初に思い浮かべる」
毅が突然尋ねる
「そうね、古本屋とか、そう外語大学とかかな」
「そう、そういえば昔からそういう話は聞いているけど、最近はネットで本を読む人も多くて、本屋さんってだいぶ減ったみたいだけど、でも神田の古本屋さんは結構あるということを、最近ネットでみたよ」
「でも古本といっても今時の大手の古本じゃなくて、ちょっとこじんまりした店にレアなお宝本みたいなのが置いてあるってイメージがするんだけれどどうでしょう」
「そうだよね、やっぱりそういう路線でやってないと大手にはかなわないからな」
今出た改札は北口である。「この町のぶらつきの楽しさって、この線路の方向に関係するんだ」
そう言うと毅は上空を見上げ先ほど降りたホームに目をやった。
線路は2階の高さを走る高架線だが、今さらにその上に線路を作ろうというのか、大きな桁を架ける工事が進んでいる。
「ああいう大きい物を架けている作業って見ていて見飽きないね」毅はこの手の機械物にはめっぽう
興味があるが、いずみはあまり興味がないようである。
「そうなのかな、私はそういう気持ちはわからないわ、どちらかといえば、高いところの作業がこわいって感じがするから」
「そうかなあ、まあいいけど。さっきの神田の町の話だけど、地図で見ると、道が縦横に碁盤のような配列とすると
このJR線がその道を斜めにカーブしながら通っている感じなんだ」
「で、そこの何が、楽しいの」
「これがね、その関係の影響ってのかな、歩いているといわゆる錯覚するんだね」
「ふううん」
いずみは意味がわからないというように首をかしげながら
「今一理解に苦しむわね」
「まあね、いずみはあまりあてもなく町をぶらつくってことはないだろう、特にひとりでとか」
「そうね、友達とぶらつくことはあってもひとりでぶらつくって何が楽しいかって思うだけだわ」
「そこが違うんだな。この都会で自分は何度も遭難しそうになるんだ、そこがちょっとスリルがあって
ちょっといいかななんて時がある」毅はさも男にはそういう性分があると言いたげである。
北口を出て左に東京方面に線路づたいに歩く。
「その話はどうでもいいんだけれど、駅の周りには飲食店がいっぱいあるだろう」
「そうね、おそばやさん、回転すし、バーガー、和食、中華の定食、結構ワンコインで食べれそうな
お店がいっぱいあるわね」
「そうそう、たまに仕事で来たりすると、お昼ご飯はどこで食べようかとか迷うけど、なんか、
大盛り無料とかご飯御代わり無料とか男はひかれちゃうんだ」
「まあそうだよね、若い男の人って良く食べるからね。私はちょっと洒落た店がいいかと思うけど
別に高いものを食べようってことでなくてちょっとあっさりめで」
いずみはスリムな容姿なのに、やっぱりカロリーは気になるらしい。
「先ほどの地形の話でいうと、このそばやはこの線路ずたいの道と隣の道がV字になっているだろう
このV字の先端に立ち食いそばやっぽい店があるよね、これがおもしろいことに歩いていくとV字が3回あって
その先端のに立ち食いっぽいそばやがあるんだ。それぞれ違う銘柄の店だけれど」
「何か偶然だけど、やっぱり毅はそんなところに気がつくんだ」
「そのそばやも大盛り無料とかあるだろう。おなかがすいていると入りたくなちゃうんだよね」
さらに歩くとガード下の鉄柱が見える。
「この辺も古い感じがするだろう」
「こちらは西口ってあるわね、あまり入り口の標識って意識してなかったけど、降りて改札を右に出るか
左にでるかしか考えてなかったから」
「普通、こんな小さな駅なら前方の出口で左側が北口なら、後方の出口も左は北口と思うんだけど
線路に対して同じ様に直角に出ているのでそう思うんだけど、実際は違うんだよ。歩いているとき
もそうなんだけど自分は直角に曲がってまた次の通りを直角に曲がれば先ほどの道と平行に進んでいる
気になるんだけど、それが微妙に角度が違っていたりちょっと道が曲がっていたりすると思わず方向が変わって
しまうんだ」
そう話して毅は反対を向いて西口商店街のアーチ看板が見つめながら
「この通りは結構気にいってるんだ」そう言いながら道路を横切り商店街に入っていく。
「ここは、歩行者専用道路になっていて、道の左右には、飲食店、雑貨店いろんな店があって
見て歩くだけで楽しいよ」
「そうね、結構この通り奥行きがありそうね」
「神田に来るときはここを良くぶらつくんだ、最初の頃はたまたま降りたところが西口でこの通りにすぐ
これたんだけど、まだなれない頃は、別な口からでるとどこだったか探したもんだよ、さっきの北口
でも線路づたいにじっとがまんしてくればなんとかわかるけど、1本とか線路づたいの道から離れると
なかなかこの道に出れないんだ、この商店街は7〜800Mくらいあるんじゃないかと思うけど
適当に歩いてもこの道を交差しそうなものだけどなかなかすんなり行かなくて、結局最初にもどって
線路づたいの道を歩いてこちらに来るという感じになるんだ」
「最初から線路づたいを歩けばよかったんじゃない」いずみにはその行動を理解しがたい様子である。
「そこはそう、やっぱり来た同じ道を帰りたくないという心理が働くんだよ。でもこれって事実だから
いずみも今度一度別口から出て見て挑戦したら面白いと思うよ。まだ、神田は何度も来たことないでしょ」
「まあ考えておく」つれない返事である。
商店街を奥に進むと雑貨店がいくつかある。そのひとつが閉店セールをやっていた。
「都会ってこの周りの食堂にしてもいつまでここにあるって本当に保証できないんだよ。昨年はこのラーメン店も行列の
出来る店だったけど今はそれほどでもないし隣のたこ焼き屋は1月前にはなかったからな」
「そうなんだ、似たようなお店がこんなにたくさんあれば、生き延びるのも大変なことでしょうね」
「どうこれ」毅が店先にあるベルトを手に取りいずみに伺う
「いいんじゃない。牛革って書いてあるし」
「そこかよ、材質じゃなくてデザインは」
「人の好みだから、でも580円は安くてお得じゃない」
「値段かよ、まあいいや」
とりあえず1本購入した。
「これからどうする」ベルトの入った買い物袋を手にして毅がたづねる。
「ちょっと違うところに行ってみない」
「じゃあこの近くだけどアキバにいってみようか」
「そうしましょ」
都会の四季を感じさせないビルや商店の中でもそよ吹く風に春の気配を感じた。
続く

風景第2章物語青い月に



ミスバリボ(仮称)2016.7.2〜
ミスバリボ
最新続くへ


(2016.7.2スタート)
「今度は絶対勝とうよ」
年中の運動会のかっけっこに負けた明日香が悔し泣きをしていたので、
母親が声を掛ける。
続く
山の中の保育園は、その自然のなかにあることを十分に享受するかのように、
のびのびと育てることを、園風としていた。
園児たちは、山猿のようなすばっしこさを自然と身につけていた。
それはそのように日々園児の生活がそのようだったから
園児は、天気がよければ、園外に散歩に出掛けるのが日課であった、
山の中にだから平坦な道はほぼなく、山道だったり、谷川だったり、池であったりする。
ともすると危険と隣り合わせなところもあるが、ある意味サバイバルのようなところだ。
明日香はどうしても勝てないのが、優衣花であった。
優衣花は、すらりとしてるが、回りの園児の中ではひときわ背が高く、目立った。
この時期、明日香が勝てない理由は、運動神経の問題だけではなかった。
それは
続く
良く考えると、そういうものだが、その時はそういう考えはなかった。その後に知ることのなる。
今日は晴天、青空がとても鮮やかである。明日香のクラスを担当する、鳥原先生と中村先生と、
は、30代中頃と20代後半の保育士である。
桜の花が満開となるこの時期、ここは、標高の高い保育園の為、都会の開花ニュースで賑わう
時期から、20日以上遅れる、そして、この地域でも、人口密度の高い、里より、さらに1週間
開花が遅れてるのである。そんな4月の20日は、週の中の水曜日である。
水曜だからといって特別なことはなく、1週間の中の1日である。
「さあ、今日は、次郎山にお花見に行きましょう」
鳥原先生が、その山の方を指さして、散歩に出かけることを知らせる。
次郎山は、その保育園から、見える小高い山でその地域にその山だけ、ポッコリと
隆起している山である。その形がヒョウタンのを半分にして、置いたような形で、
地元の人々からは、ヒョウタン山とも呼ばれている。さらに、このヒョウタン山は、
年配者からは「ひょっこりヒョウタン山」と呼ばれてる。
そんなヒョウタン山はふもとからの標高は100mあるかないかであり、周囲に遊歩道がつけられ、
その周囲は3kMほどである。
山の頂上は、芝生の広場になっていて、ブランコ、滑り台などの遊具も備わる。その広場は、
保育園のグランドの3倍ほどあり、小学校のグランドの半分くらいの広さである。
そこからの景色も良く、展望台が設置されている。
この保育園は、散歩に出かけるのは、日常のことで、特別な準備などせずに、対応できるという
ことで、園児は水筒を持ち出かけた。ヒョウタン山は、頂上手前近くににある、駐車場まで、車で登ることができ、
その車道が設けられてる。その登り口は西側に面してる。
この車道は、車が登る為に、蛇行してるが、ここを山登りするには、北、西、南に山登り用の山道があり、
保育園からは北側の山道が近いので、そちらを利用している。
続く
頂上に続く整備された山道は、狭いから競争して上ることは、保育園としても禁止が暗黙の了解ではあるが、そんな中、
やっぱり、競争心が働き、我先にという気持ちがあるので、自然走ることはないが、歩く速さが早かったりするのだ。
いつしか、先頭の中村先生を抜きつしそうなのが、当然、明日香と優衣花なのだけれど、そこに山にはめっちゃ強い
絵美加が参戦してくる、その圧力に押され、若い中村先生の歩みも自然と早くなり、いつしか、トップ集団が、第2グループを大きく
離してる結果になる。通常なら、年配の鳥原先生が先頭を切って、抑える役回りになるのだが、目的地ははっきりしていて
ほぼ日常的な散歩であるので、そういう形態になっていた。頂上が見えるくらいの最後の登り坂は、もう既成事実の容認で
その3人は先生を追い越し、ダッシュ体制になるのだが、今日の勝者は、山得意の絵美加であった。
先頭でついたからといって、早く遊べるわけでもなく、みんなが集合してから、遊具などを使って遊べるので、
先についても、ただ、待つだけであるのだが、そこにも闘争心やら、運動能力やらが関係している。
「さあ、みんな登り切ったとこで、おやつの時間ですよ」鳥原先生が大きな声で話す。
このクラスは、男子15名、女子16名のクラスであるが、おかしの袋を開けて、おやつを渡す式になていた。
今日はバームクーヘンであった。各自が持ってきた水筒でおやつの時間を過ごし、そして、その後お昼まで、
その山の公園で遊ぶのである

皆はおやつがとても好きであった。というのは余りに普通の言い方なのだが、この園の外で頂くお菓子の
味や、お菓子の袋を開けて、配る行為が、心にいつまでも残る感情となる。
おそらく、大人になっても、忘れることのない特別な思いなんだろう。
このひょうたん山の周りや山道の脇、頂上広場公園まわりには桜が植えられちょうど満開であって
とてもきれいであった、当然山の中だから、里の桜より1週間ほど遅れてる。
この保育園は第4保育園という名前があるが、山の子保育園とも呼ばれこともある。
小さな村が合併して大きな村となってるが、小さな村当時の名前が山の子保育園であったので、
そこを卒園した、年配者はいまだにそう呼ぶのである。
この大きな村の中心街はここより10kM程離れたところとなるが、一つ峠があってそれが街と山とを分けている
山中地区は、面積からすると、裏の山脈まではいるので、その村の9割の面積をゆうするが、人口は
0.5%ほどである。この地区の産業は高原野菜農家、果樹農家、酪農等である。この保育園は
奥山の入り口ではあるので、人によっては住宅はさらに山の中に入って、車で3,40分という
人もいる、大きい道は一本道で、信号はなく、渋滞もないので、安定した時間なので、
走行距離のわりに近いという感覚はある。
この地区においては山の子保育園は街に近いので、里にあるというが、この地区以外の人は
一応に山の中にあるというのである。中間の峠が山と里という分けであるが、
山中地区の住民はその保育園の位置は里という感覚のズレがある。
合併当初はこれで都市と田舎という差別的なことも起きていたが、
大都市からすると、その村全体が田舎なのであるので、変なわだかまりである。
第1から第3保育園は、街区にあって、保育園自体が大きい、
更に、振興住宅地の造成をして、人口密度が増えてる地区があり、さらに新しい保育園の計画がある。
平成の大合併で隣の市に吸収合併という路線もあったが、住民投票によって、村を存続することになった。
そんな中、山の子保育園には、里の地区からこの保育園にわざわざ来る子もいた。
続く
その子は園子という名前の子である、この子は山と里と分ける峠より里の住人であるが、里の近い園より、両親がこちらを選んだのである。
何故か、それは
彼女は大のアニメ好きで、それは、少女漫画系で、普段から家の中で、フィギュアで遊んだり、リカちゃんを着せ替えたり、
衣装を親に作ってもらったりで、外で遊ぶということがほとんどなく、全てがこれで満足していた。
両親は、これはちょっとまずいんじゃないかと思って、ちょっと不安はあったが、こちらの、いわば運動系保育園に入れたわけである。
さて、園子はこの保育園に馴染んだのでしょうか。
そこが両親も一番の不安ごとで、無理矢理の効果はともすると逆効果になりかねないことでもある、
だから、ここに入れたものの、先生にも良く相談し、いつもより慎重に、観察して、ダメならまた里の保育園に入れよう
と思っていた。でも、そういうこの判断は正しいかったのか、一時も安心した心地はなかった。
明日香たちは3年保育で、園子は2年保育で、1年の差が出来ていたことも、その不安を助長した、
特に入園前の保育見学会で、明日香らのメンバーを見たら、はたして、ここでやってけるのかそういう面で不安が募ったが、
園長の円山先生が、「全然大丈夫ですよ、ちょっと普通の園からすると、元気が良すぎるかなと思うけれど、
普通に馴れますから」っと、言ってくれたのですが、園長先生にとっては、人数の少ない園に来てくれるのは
ありがたいことで、元気は良すぎるけど危険人物は居ないので、なんとか入ってもらおうと、お誘いの気持ちもあったのである。
そして、この円山先生も元はこの保育園を卒園しているので、この園は特別なもの、そして、伸び伸びと生活できた
この園独特の園風は守っていきたいと思っていたので、勉強はそこそこで、課外活動を積極的に取り入れてく方針は、
市のガイダンスで許す最大の部分でやってみようという、方針をもっていた。
そんな園子であったが、最初は、戸惑った、あまりに個性的な園児が多いので、
でも、園子はそんな、男子高校に女子一人みたいな環境であったが、逃げることはなかった。
園子は、アニメでも、いや、アニメでは、全てが個性的で、その中の一人でなければいけないという
思いをもっていたので、かえって周りがアニメキャラクター人物のようで、とても嬉しかったのである。
家の中に一人でしか遊べないと思っていた園子は実は、この環境に簡単に順応してしまうという
やっぱり、変わった子であった。
園子の運動神経はこの中では、目立たなかった、しかし、この中では、ということで、
ここで不通でも、世の中では、並み以上であった。この運動神経以上に備わったものもあった。
さて、これらのメンバーはそろって、小学生になった。小学校は里にあったので、
里の小学校に通った、小学校は、いきなり人数の大きなマンモス小学校になった。
続く
この小学校の1学年のクラスは、7組あった。30人学級の普及により、クラス数が多いというのも
理由であるが、少子化の進む中では、逆に少子化故に、この先の減少にかんがみると
2つの学校に分けられないという理由から仕方なく多いというのもある。実際適正はどれ程
かと思うが、本来なら全校で5〜600人がいいのだろうが、やっぱり千人超えは多い。
だから、山の子保育園の卒園者は、少なからず、この人口密度の高さに、窮屈感を覚えるのだ。
でも、それも最初の時だけで、特に体育の授業発端に、体力面の強さや、粘り、頑張り強さから
又競争心はあるが、ある意味サバイバルを経験して、助け合う心も養ってきたため、
家庭内でこもってゲームばかりしている生活の子より、人の接し方にはなれてるので、
じきに馴染むのである。
大きい学校のメリットは、やはり、沢山のクラブがあって、選択しが多いこと、そして、やっぱり
人数が多い中で秀でた人も割合的にも多くなるので、強くなるということがある。
クラブと言っても小学校だから、学校とは直接関係ない課外サークルであり、参加、不参加は全く自由ではあるが、
指導者も学校関係者ではない人だが、そういう、活動がみじかにあるというのが、人の集まってる場所だからというのもある。
やっぱり、なんか運動したいと思う気持ちは明日香や優依花他山の子保育園卒園者にはあった。
子供のスポーツの関わりは、親、兄弟に影響されることが多く、自分の希望より、親の都合に影響されやすいのだ
スポーツをやるにも、お金や、送迎や親の時間との関わりの中で、やらせたいスポーツも決まってくる。
親のの理解が欠かせないのだが、一番理解の早いのがは親がやっていたスポーツだろう、
そして、仲の良い友達に影響されてとかもあろうけど、親の熱心さにもよるのである。
まずは、優依花が決めたのがバレーボールである、これは、親がバレーボールの経験者ということもあるあすか
はバドミントンで絵美加はトレッキング部、園子がダンス部に属した。それぞれ理由があってのことだが、
とにかくそれぞれ、玉拾いだったり、お遊び程度の内容であったが、英才教育のような、小さいころから
専門的に行うものではなく、言わば体力づくりの補助程度のものであった。
続く
彼女たちはクラスは、意地悪のように、別別であったが、とても個性的であったので、別々は正解であった。
そんな中、4人が一緒になる時があった。それは、学校が中心となって児童を集める陸上練習である。
この練習は、陸上の市中大会、その上に地域大会、全国大会に成績が良ければつながる大会に出る
もので、新学期しばらくすると、クラスで50M走とか、長距離走とかの記録を取って、その上位の児童を
集めて、練習をさせられるのである。そこで、明日香と優衣かと絵美加が短距離に園子が
長距離に選ばれていたのだ。
ライバル出現
この陸上クラブの練習は、毎朝始業前の7時20分から8時の40分間行われた。
短距離チームと長距離チームに分かれ、各学年短距離は5〜7名、長距離は3〜4名
が選ばれていたが、特別朝練に出たいとする希望児童も参加可能ではあったが
そういう人はいなかった。この5〜7名というアバウトな人数招集は、各学年の人数
やらクラス数の増減にも関係していた。
明日香、優衣花、絵美加、そして他に博美、緑、妃実華が選ばれていて、早速
力試しに、一発目に、50m走となった。
ここの強化教諭として、短距離は山下先生、長距離は渡辺先生が当たった、
さすが、大きい小学校だけあって、山下先生は、学生時代陸上部で鍛えた先生で、
いまでも国体候補になるほどの先生、渡辺先生もマラソン大好き先生で、全国各所のマラソン
大会に出られていて、上位成績も収めているので、指導教諭としては申し分もなかった。
「さあ、ちょっと試しに、50m走をやってみよう」そういうと各学年の選ばれた選手は、
50mのスタートラインに1年生から順にならんで、準備した。
山下先生はゴール地点まで、軽く走っていったが、その走りというのは、
歩幅が広く、しかし体はかるく、風を切って、足音もしないくらいにグングン加速する走り
で、
あっという間に50m先にいってしまった。
この先生を補助するのが、1年生副担任で、新任の桐谷先生である、山下先生は30代前半の
男性教諭である。そして桐谷先生は、新卒の美人女性教諭であるが、特に陸上経験はなく、
専門は音楽の先生なのである。ここは、やっぱり、新人で、副担というポジションが
このお役目に付かされた理由であるが、全くの素人のため、今年の明日香たちのように
全て教わる立場で、補助なのか、付き添いの家族のような、位置であった。
それでも、何か役に立ちたいという気概は感じた。
山下先生がスタートの旗振りを教えて何度か練習して、スタート番を任されるようになった。
「さあ、位置について」桐谷先生が、大きな声と共に旗を振り上げ、スタートの準備を促す、
「よおい」
明日香たちは、最初であるので、スタートは立った状態で、線の前に直立して、用意で
片足を半歩後ろ、腕を走る体形に体横に、握りこぶしを作って構えた。
そして、桐谷先生の「ドン」という声と旗を振り落とす行動に合わせ、スタートを切ったのだ、
勢い良くスタートを切った明日香たちは、横一列、やや、明日香と絵美加のスタートが良かった
気はしたが、そのスタートのリードも、優衣花が段々距離を縮め、中間くらいでは、追い抜いて
いった。やっぱり、優衣花はつよいなと思う。そして、50m先で一番は優衣花であったが、
2番は明日香か、絵美加かということを想像していたが、一番端で、やっぱり、この3人と
同じように掛け抜けてきたのが、妃実華である。そして、優衣花と明日香の間に割って入って
来たのである、妃実華も優衣花と同じで長身スレンダーな女子であった。
山の子保育園の韋駄天3人衆の噂を聞いていて、ひそかに闘志を燃やしていたのである。
「おう、近年にない、いいタイムだな」
山下先生の声も弾んだ、教え甲斐がありそうで、うれしいかったのである。
続く ただ、低学年に全国大会もなく、リレーもないのである。
先生は熱心に教えられ、成績も上がって、市大会では、上位独占をした。
しかし、この競いあう少女たちは、この陸上練習の時以外、特に集まるメンバーではなかった。
そうこうしているうちに、3年がたった、春である。
毎年のことだがこの時期小学校の課外活動で、色々なクラブの案内を一つにまとめた
チラシが配られるのである、スポーツクラブから、文化系、科学クラブ系の様々な
クラブ、同好会の勧誘案内がのせられるのである。
その中に、練習は土日で、出られる時でOK、練習試合では温泉地巡ります。
とあるクラブがあった。そんなゆるーいクラブなら、親の負担も少ないし、子供も
疲れなくていいかなと思う人が偶然集ったのが、少女バレーボールクラブであった。
5年生のキャプテンは親がキーコと呼ばれた、ママさんバレーで、強豪チームのアタッカー
をやってる親の娘である、キーコは樹里子の愛称である。
副キャプテンは、ママさんソフトボールクラブの4番でキャッチャーを
やってるグローバルと呼ばれるママさんの娘で、おかあさんはがっちりしたタイプなので、
娘もぽっちゃりはしていた。このグローバルは、中小企業のグローバル工業という
金属加工業の社長婦人であるので、そう呼ばれていた。


続く

2018.11.11記
このキーコは美人であるが、勝気な性格で、ママさんバレーにおいても、プレイに厳しく
決して手を抜かないので、弱小チームでも、バンバンスパイクを決めてくるのである。
だけれども、一旦試合から離れると、そんなことは全く忘れてしまって、相手チームの
人にすりすりしてきて、憎めないキャラではあるので、そういった面で、自分の娘には
厳しいが、他の子には案外穏やかであるというギャップを持っている人である。
グローバルは、バレー以外の身の回りのことにしっかりしていて、
予定であるとか、連絡であるということのマネージメントに長けている人物である。
これは、会社運営で経理であったり、社長スケジュール管理であったり、
日頃の仕事がそういう能力を高めているといえるのである。
そいう2人が、このクラブをサポートしているので、一般クラブとちょっと違った
精鋭したクラブになっているということである。
続く
2019.12.12記
小学校の課外クラブであるので、特に学校は関与しないのであるので、
やはり、どのチームにも監督という人がいる。
だいたいが、時間を自分で決められる自営業の方が多い、
ある人は、公務店の社長さん、ある人は大工さん、農家経営者、スポーツ店主、会社員
パートさん、意外にも学校の先生などである。学校の先生は意外なのは、
勤めている学校以外の生徒を教えるということで、まあ特殊な部類である。
この中で会社員は、経営者とかでない一般の方は勤務上こちら優先ではできないので
案外難しいが、こちらをメインにしてくださる若手の指導者もいるので、その方のステイタス
かと思う。
2020.1.5
ここ、都の内のミニバレーの監督はIT企業の社長さんで、実は企業は最先端を行っていて、
フレックスデイを採用している。フレックスタイムは聞いたことがあると思うが、フレックスデイは聞いたことない
ですが、週の内3日は固定の出勤日がありそれは、あらかじめ本人の希望により曜日が決められ、若干調整されるが
基本週3日が出勤日となり、後は自宅で仕事してもいいし休日にしても良いのであるが、
一応目標を事前に決めて、承認されるとそういう状態の勤務となる。いわば週休4日である。
そのIT企業は最近できた中層ビルディングの最上階であるが、その中層ビルは田舎都市では、高い方で、15階である。
オフィースは年中無休となっている。オタクといわれる人は土日関係なくパソコンに向かいたい人の為にオフィースを開けていて
趣味的に仕事をこなしているのである。この会社の支店は東京、大阪、京都、福岡、名古屋、仙台にある。
そんなIT企業の社長がミニバレーの監督をひきうけたのかというと、娘がその学校に通っていたことと、本人が学生の頃
バレーボールをやっていて、エースだったことからであるが、その生活スタイルもあっていたからである。
彼は、最も朝が好きで、遅くも5時には起きて、6時には出社して、前日の書類の決裁をして、夕方5時には退社することを
ルーティンにしていたので、5時以降の時間ができるのである。この会社の時間外における対外活動は、副社長と専務に任せていて
重要な決済や契約などは5時までに済ませることを対外的にも周知されていたのである。
2020.7.4
この会社は、全国的には田舎であるが、テレワーク導入は先駆的で、テレビ電話を活用した会議やら、書類のやり取り
出社、退社の時間管理、旅費などの清算もパソコン処理されていた。実に先駆的な会社であった。
2020.7.11
ITといっても何ぞやとなるが、いわゆる、ネット販売、ネット不動産、ネット倉庫業が主な仕事となるので、
流通系ということで、物を生み出す製造と違い、財産は少なく、他人が作った物又は、作らせたものを売ったり、他人の建物を変わりに管理
したりで、財産を持たずして、付加価値を創造して、そこに利益を生み出そうとする会社なので、極端に言うとパソコン1台持って仕事をしている
ということになる。
その話はどうでも良いが、バレーに戻るとその5年生2人に先に入っていた優衣花に明日香ら新人の4年生が4名加わったことになる。
6年生も3人いたが、この5年生2人に4年生のチームを見ていこう。
練習メニューであるが、練習開始は5時からとなっていて、監督がくる5時半までに、済ませておく準備トレーニングがある。
まず、ネットをはる。これは、保護者も手伝う。倉庫からポールとネットを持ってくる。
ネットの緊張と高さを確認する。試合では、ポールに安全の為、緩衝材をまくが、練習では巻かない時が多い、そしてマーカのポールも練習では
あまりつけない。
皆が集まると、ランニングが始まる。体育館を5週程度ランニングする。このランニングは、少し遅刻してきた場合でも、一人で、ランニングをして
から次の練習が始まる。そのあと円になって、準備体操を行う。これは、ストレッチ系の準備体操で、8秒くらいずつストレッチを保持して行う。
先ず頭の曲げを左右、前後数を数えながら行う、「1、2、3、4,5、6、7,8」「2,2,3,4、・・・」といった具合だ、肩から、背中から、お尻まわり、モモ
足先まで、ストレッチって筋肉を伸ばしたり、ほぐしたり行う。そのあと、ボールをもって、2人一組でパス練習をおこなう。5,6年生は最初2人組になり、
オーバーハンドパスを練習する。できるだけ長く続くように行う。このパスはオーバーパスが10分、続いてアンダーパスだけを続ける練習を10分程度
行った。この時4年生はまだパス練習はできないので、ボールを手で持って両手で頭側から振り下ろして、サッカーのスローインのようにして、ワンバウンドで
相手にボールをパスする練習をおこなう。次に5、6年生はサーブ練習を行う。ボールかごをひっくり返し、ボールを広げて、56年生はコートの左右に分かれ
て、サーブ練習を行う。この時、4年生は玉拾いをう。
そうしているうちに、監督が姿を見せる、それを目にした、キャプテンが「集合」と言って監督のところへ走っていく。みなも、サーブ練習をやめ、監督のところに
あつまる。「よろしくお願いします」キャプテンが発声すると、そのあとに続き「よろしくお願いします」と全員で声をだす。
監督からの一言「今日は全員いるな、5、6年生は夏の全国大会に向けて、頑張っていこう、4年生は、ボールに馴れる為にも、ボール拾いを一生懸命やってください。じゃあもう少しサーブ練習を続けて」そういうと先ほどの両再度に分かれて、サーブをする。漫然と打つだけの人もいるので、監督が、「安易にネットにかけるな、オーバーすんな、大事な1点だぞ、練習だと思わず、真剣にうちな」と声がかかる、「上級性にはネット上ギリギリを狙え、コーナーをつけ、狙ったところに
打ち込め」と声がかかる。小学生なので、ドライブ系はあまりないが、スパイカーで時々練習するひとがいる。
フロートサーブの無回転サーブも効果的なので、練習する。
サーブ練習が済むと、高学年のスパイク練習にはいる、ミニバレーは6人生で、ローテーションはない、学年の上のものが、やはり成長期で、背も高く体力があるのでスパイカーとなる。
この練習である。
続く

続く


続き



2020.7.18
スパイクは、上級生は皆が練習する。普段はボールかごにボールを山のように積んで、監督が手で放り上げてそれをスパイクするという具合だ、
ボールを渡す役目の下級性が1名監督の脇にいてボールをかごから取り出しては監督の出された手に乗せる感じで渡す。監督は常にトス方向とスパイカーを見ていて、ボールを手渡す方は見ないので、後ろ側に出された手にボールをのっけてやるという感じ渡していく。
いいペースにボールがあがるので、ボール係も、そのトスペースを乱さないように渡していくのが、ボール係の仕事である。他の下級性は当然ボール拾いに回る。拾ったボールをトス側に転がして渡すということはここではしない。
もしそれがスパイクした人の足元に転がって、スパイク後に着地したときに、ボールにのっかたら大変なことになるから。特にスパイカーに多いのは
スパイクしたあと着地した時の捻挫である。ボールに乗っかるというのはまれにはあるが、ほとんどは、相手の足に乗っかっての捻挫である。
ボールはもう一つのかごを用意して、打たれたボールを拾ってはそのかごに入れ、スパイク用のボールが少なくなるとたまったかごと入れ替えるのだ、
スパイクは当然のことながら最初からできないので、最初はネットを使わず自分で投げ上げ、落ちてきたボールをジャンプなしで打つ練習をする。
それとステップ練習。大体は助走3歩で打っていく。良く掛け声で、いち、にい、さーんという具合で、ステップを踏んでいく。そのステップの間に腕を前からうしろに持っていき、次に少ししゃがみこむ感じから、一気に上空にジャンプし両手を頭の上まで持っていく。
右効きなら、左手をはたく感じで狙いを定めて、ボールを打っていくのだ。
最後のジャンプの時に、真上に上がるようにすることが重要である。ジャンプした地点から着地の地点まで前に行ってしまうのは、幅跳びするなと注意を受ける。気持ち、後ろ方向に飛びあがるような感覚が必要となる。これに馴れるのに苦労するのである。
スパイク練習は、レフト側が済むとライト側からも打つ練習をして左右とも打てるようにする。右効きの人は、レフトからのが打ちやすい、ライト側だと自分の顔の前
をボールが通過してからスパイクするということなので、これは馴れるしかない。次にレシーブ練習に入っていく。
続く



2020.7.22
レシーブ練習は監督を前にして、そこから5mくらい離れたところに一列に並び、その先頭にいる人から、レシーブに構えて、監督の玉だしにレシーブしていく練習となる。
監督は前後左右に高低、さまざまなボール出しをしてくるが、それに対して、オーバーハンドなり、アンダーハンドなりで受けて、きっちり監督に柔らかく返していくのだ、監督もそのボールをキャッチというのでなく、つぎに放る動作と一連になってるので、片手で受けると同時に放る感じで早いので、次の人は、前の受けて手がレシーブしていると同時にレシーブの構えをしてないと、間に合わなくなる。大体が、1、2歩前進して、左右に振られる玉をレシーブするのだが、そんな流れで、監督がキャッチしてすぐ放るリズムがあるので、それに合わせて、監督の手から離れる瞬間には1歩前に出てる感じなんだけど、時々リズムを変えて高い玉出しをしてくる。そうするとオーバーハンドで取る動作が間に合わず、ボールを後ろにそらせてしまうことがあって、油断は出来ないのである、レシーブをして監督にボールを返球出来たら列の後ろについて、次にくる順番を待つのである。
レシーブがうまくいかなくて監督にボールが帰らず、変な方に飛んでいくと、それは自分で取りにいかねばならない。低めのボールを前進して取るような場合、うまく上げられず、膝や腰を使って柔らかく返すことが出来ず、強く当ててそらしてしまうと、時には体育館の隅まで取りに行かなければいけない事もある。そうすると順番が繰り下がり、レシーブ回数が減るのである。うまい人はより練習が出来、下手な人ほど練習が出来ないという仕組みである。
時に、上級生がスタートでの2人一組のパス練習の時、たまに監督が早く来て、気分で、4年生のレシーブ練習を見てくれる事がある。受けの並びは上級生のよううに、監督に合い対し1列に並ぶ。その間隔は、上級生より近くて、3mくらい離れて並ぶのだが、やっぱり、上級生と同じに構える。でも、4年生にはオーバーハンドはやらないので、アンダーハンドの手の組み方をして、順番を待つようになる。監督のボール出しは、ワンバウンドの柔らかい球出しで、跳ね上がったボールをアンダーハンドで監督に返すのだ。どうしても腕だけを振り上げて返すという初心者ならではの返球である。膝、腰、体全体で押し出していくことができないので、あっちこっちに飛ばしてしまうのだ。
続く
2020.7.26
夏の全国大会は、この地区の市町村の大会を勝ち進み県を4分割して地区大会にの上位に入り県大会を経たのちに近隣の地域5県の大会に勝ってのちに
全国に行ける大会である。ここでは、その話はさておいて、3、4年生の低学年の大会がある。これは県の4地区の大会となる。
まずなんの大会かというと、ソフトバレーの大会である。この低学年のソフトバレーだが、余裕のあるチーム、例えば、監督がいて、コーチがいて、コーチ補佐がいるようなチームであれば、力を入れて練習して試合に臨めるけれども、監督が一人というチームがほとんどな為、普段は上級生をみてるので、その為の練習は
その大会の前週くらいから少しやるくらいで、ほぼ、ルールの習得くらいといっても過言でない程度である。
なので、作戦もないのであるが、如何に自分の陣地で玉を落とさずに相手のコートに入れるかということだ、こちらは4人制な為、チームは1クラブ2チームまで作れることとなっている。隣の市ミニバレーでは強豪なプリンス竹林というチームも2チーム作るという情報が入ってる。竹林(たけばやし)は隣の市の名前である。
まず、これも市中と近隣の市町村ブロックがあり、都の内市を中心とした、ブロックと竹林市を中心としたブロック、房富市(ふさとみし)からなるチーム、岳美市(ダケミシ)からなるチームである。各ブロックは、上級生になるとミニバレーチームとして戦うメンバーとなるが、そもそもそんな意識を持った子供たちは数えるほどである。
さて、そのソフトバレーの地区大会予選がはじまろうとする。
続く

2020.8.2
「さあ、再来週の日曜日には、低学年のソフトボール予選大会大会が 始まる。 ちょっと上級生は練習をお休みになるが、低学年のソフトバレーに付き合ってほし。
ボールがソフトというだけで、きっちした構え、いわゆる準備とか、ボールタッチ、拾う、上げる、つなげる、攻めるそれらの基本は、お前たちのミニバレーとかわることがない。
基本がしっかりしていれば、ちゃんとしたゲームにはなるだろう。
5、6年生は改めて基本ができてるか確認してほしい。
さて、3,4年生だが、普段の練習でワンバウンドしたボールをアンダーで上げる練習をしてきた。
構え的には大分馴れて良くなっている。
それを、ソフトバレーのゲームの中で生かして欲しい。
あとでチーム編成を発表するが、今回は戦術というのは、無い。
サーブをきちっと入れる事、構えをきちっとして、ボールが来たら素早く動いて、ボールの正面でとらえる、あとは、なんでもそうだが、次の人が取りやすい丁寧なボールを上げてつなげていくこと。
とはいえ、ゲームの中では結構難しいということも感じるだろう。
アンダーパス練習は普段しているのでいいとして、今日はオーバーパスの練習を行う。
まず両手の10本の指を開いて、おでこの前で親指と人差指で三角をつくるようにする。
親指はくっつかないように、いいかできたか、明日香 、そして、おでこからの距離は握りこぶしひとつくらいあけるんだ。
それで、ボールのタッチだが、10本の指が均等にボールにタッチするようにするんだ。
片手の指側になったり、親指、人差し指、中指の6本で触ったりでなく、小指まで使ってあげることを意識しろ、わかったか、 つねに、10本の指の中にボールがくるように練習するんだ
次に足の構えだが、片足を少し前に出す、そして自分の肩幅より少し広くして、ひざをまげ、前傾姿勢構える。
それが、できたら、自分の真上にボールを上げ、トスの練習を各自しばらくやるぞ。練習はじめ
おいおい手だけで上げんな、膝も使え、全身であげろ、園子、お嬢さんしてんな。」
こうして、練習が始まった。
続く
2020.8.8
さて、2週間後にソフトバレーの大会がやってきた。
いつもは、保護者のキーコがしきっていたが、本日は低学年の大会ゆえに優衣花のお母さんが担当した。
優衣花はこのメンバーで唯一1年生から入部していたから、そのお母さんも大会などに精通していたから選ばれた。
さて、大会はマルテン杯小学生ソフトバレー大会という。
これは、バレーボールなどのボールを製造しているマルテンという企業の冠大会である。
春先の新人戦では、ライバル企業のミタカボール杯があったが、我々は参加してないのである。
大会要旨であるが確認しておこう。
受付は8:15、監督会議は8:30,開会式は9:00、競技開始は9:30となる。
基本内容を確認しておこう。参加資格は大会開催時点で県内の小学校に在籍する4年生以下とする。
競技方法は全試合3セットマッチで、リーグ戦及びトーナメントとする。
1セットの勝敗は15点とする。ジュースの場合は17点目を先取した方がセットの勝者とする。
チーム編成は1チーム監督1名、選手4〜8名これは男女混合可とする。
ボールはマルテンのS2V1200ーYで重さ145〜155グラム、直径は63〜65cmとする。
コートはバドミントンのコート13.4Mx6.1Mを使用しネットの高さは1.8Mとする。
競技規則は日本バレーボール協会制定ソフトバレーボール小学生競技規則(フリーポジション制)を適用する。
この大会は県内の4ブロックに分かれての大会である。ミニバレーだと、この4ブロックの大会の下に更に予選の大会があるが、
このソフトバレーは、チーム事情で参加しないミニバレークラブがあって、チーム数は少ないのである。
都の内市にも大きな町があるので、その地区でクラブがあり、さらに都の内市周辺の町村にもそれぞれチームはあるが、
今回は出せるチームから最大2チームまでの参加である。
まず、予選は都の内、竹林、房富地区で3〜4チームを2ブロック作って、ブロックのリーグ戦を行い、そのブロックの1位と2位が決勝トーナメントに参加できる
というものだ。
都の内地区は市内で6チームととなりの町と村から1チームの8チームを2ブロックに分けて、試合は各ブロックで2試合ずつ行って、勝率やセット数
得失点でそのブロックの1位、2位を決めることになっていた。
都の内市から我がチームはこの町中(まちなか)小学校を中心としたチームでチーム名は町中パワーズで今回2チーム出ている
市内チームは他には、豊作小学校中心の豊作ミノリーズと稲貴(いねたか)小のいねたかミラクルと梅金小のゴールドうめかねチーム明光小の
明光シャインズが出ている。隣の村からは欅川村のチームと海口小のクラブの計8チームである。
今回のチーム編成が前日監督から言い渡された。
「チーム分けだが、今回は戦術もないことだし、単純に4年生と3年生の混合チームを2つ作った、そのチームの中で、うまくやるように、
先ずAチームは、優衣香、絵美加、園子、人見(3年生)、京香(3年生)、遥(3年生)で監督を優衣花のおかあさんにお願いします。
Bチームだが、明日香、明菜、紗理奈、理沙(3年生)優香(3年生)瑞希(3年生)で俺が監督をする。
監督といっても今回は何も言わないから、自分たちで考えてチームをまとめるように、セット毎に選手を入れ替えるからな」
ということで、さっそく当日は学校に6時45分に集合して、保護者の車に分乗して、会場となる稲貴小学校体育館に向かった。
続く
2020.8.26
まず最初にやることは体育館の場所取りである。
大きな体育館だと2階席とか2階に卓球とかできるスペースがあったりするけど、そこにシートを張って場所を確保するのだが、小学校の体育館だとステージがあるくらいであまりスペースが無く、そこに設営するか、雨でなければ、体育館の入り口近くの通路とかに設営する時もある。
通常は大会だと、市町村の体育館だったりするが、今回は小学校の体育館となった。
この体育館はステージの反対にマットや跳び箱を置スペースが設けられていて、その広さはステージ幅ほどあった。用具は、その奥の窓側に置かれていたので手前は何もないスペースがあって、そこに4チーム、ステージ側に4チームと特に指定はされてないが、早いもの順に場所が確保されて、シートを敷き荷物を固めて、また、保護者の居場所となる。今回はステージ側と用具側とどちらも試合状況が座って見られる場所であった。
各チームにそれぞれに、持ち物アイテムがあって、町中パワーズも折り畳みのボールかご、袋詰めのボール、救急箱は必需品で、あとは折り畳みのミニテーブルと保冷給水タンク、これはスポーツドリンク入れ、部員たちの給水ボトルのドリンクがなくなった時の補充用として用意される。
後は、保護者用のコーヒーセットと紙コップ、ポット等である。紙コップは個人的に数回使うので、各自目印をつけて使ったあとは、並べてテッシュをのせほこりが入らないようにした。お茶菓子は誰かどうか、持っていて、チョコだの、飴だのおすそ分けされていた。一応送迎用の車は保護者の順番になっていた、田舎の為、電車やバスでの移動は一切無く、必ず保護者の車での移動であった。練習試合の時は当番の保護者と毎回行く熱心な方が
サポートしてくれるが、試合だと、当番の親以外も個人個人で車で駆け付け、見守るというのが通例であった、この時、子供たちのやっぱり姿を見たいということで、両親が来ることが多い。そういうことで我が町中パワーズはステージの反対のスペースの中央に陣取った。
続く

2020.8.30
町中パワーズAチームのブロックは豊作ミノリーズとゴールドうめかね、海口ネモフィラの4チームである、
町中パワーズBチームのブロックは、いねたかミラクルと明光シャインズ、欅川コーロギの4チームである。
2020.11.23
今日のキャプテンはAチームは優衣花Bチームは明日香がキャプテンとなっていた。
監督が監督会議から帰ってきたので、優衣花が号令をかける。
「集合、お願いします。」
「じゃあ、今日は、4年生中心のチームで始めての、対外試合となんだが、今日は特に作戦とかの指示はこちらからは出さないから、
チームの中で考えて戦ってくれ、上位3チームが来月の県内ブロックに分けたこの地区西部ブロックの試合に進めるから、皆それに
出られるように頑張ってくれ」
それから、チームごと円になってパス練習を始めた。
さて、開会式のあと、試合が始まった。
まずパワーズAが初戦に臨んだ。
相手は豊作ミノリーズで、この体育館の小学校の児童を中心としたチームである。
2021.2.5
豊作ミノリーズチームも、新興住宅地も多く、子供が結構いる地区ではあるが、クラブチームは
練習はそれほどやっていなくて、土曜と平日は水曜日が練習日となっていた。
だから構えも十分でなくて、ボールも自分の近くにきてから動くようで、また、隣の人との間に来たボールには
互いに遠慮して、取れないケースが多くみられる。
これは、監督もそうだが、クラブの方向性みたいなものがあるからで、皆で楽しくバレーボールをしようというクラブである。
バレーボールは運動であり、好きではあるが、そうのめり込むこともできないし、でも、何か運動させたいと思う親心もありで
そういう感じのチームがあると、親の希望にもかなう訳である。
しかし、その親の希望は、特段意思があれば別であるが、入ったクラブチームに合わせていく感じが正解なんだろう。
練習が多くて、結果強いチームを目指すチームであれば、そこに入ったら、対応が不可能でない限り、そのクラブの方針に従って
行くわけである。
特別強いチームを希望しない限り、地元のクラブに加入するのが、普通なのだろう
優衣花チームの作戦というか、戦い方は、運動神経が良く、幼少からバレーボールに触れてきた優衣花中心にボールを集めて
決めていくというスタイルである。
優衣花近くに来たボールは、優衣花がレシーブし、その他の場所に来たボールは、出来るだけ優衣花に上げて、優衣花
が最後は決めるという決め方で、優衣花の守備範囲は広く、3年生の守備範囲もカバーした。
その勝気な性格から、決めるところは遠慮なく決めていくので、試合も一方的である。
スポーツは、勝気というのは必要なことではある。でも、これが問題になることもあるので、難しい部分はある。

続く
2023.12.16
最初は町中パワーズAと海口ラベンダーの対戦となった。
海口ラベンダは隣町のクラブで町人口が少ないので、3,4年生合わせても4人で、つまり交代要員がいない状態のチームであった。
練習は週一の為、アンダーパスとサーブ練習くらいで、試合形式の練習はしていなかった。
試合が始まる。サーブは、優衣花からだ。パワーズBの応援もあり、元気な声が体育館にこだまする。
「いくよ」とサーブの構えをして掛け声をかけると、、チームメンバーや応援メンバーから「いけー」と声が掛かる。
少し強めのオーバーサーブで相手コートに玉を打つと、ラベンダーチームのアンダーに構えた選手の上腕に当たりボールは後ろえとそれた。
思ったよりボールに勢いや伸びがあった。
そんな調子で5−0となったところで、監督の声が掛かる。「優衣花、アンダーで打ちな」これは、もはや勝負ということより、
お互い少しは、、ボールに触れること優先したことである。優衣花もアンダーで優しいボールを入れるようになった。
だからラベンダーもボールを拾えるようになった。しかし、拾えはするが、つなぐということはなく、1度で相手方に返すという状況であった。
帰ってきたボールは、守備範囲の拾い優衣花が拾い、相手のコートにこちらも1回で返すと、ラベンダーチームは、今度はなかなか、相手コート
に返せなかった。
そんなんで、この試合はパワーズが勝利した。

2024.1.1
続いて明日香のチーム街中パワーズBと明光シャインズである。
明光シャインズは女性の監督である。明光という地域は、山間部の地域で、その地区の人口は
少ない方である。
こちらのクラブは、練習日が、水曜日と土曜日の週2日であって、クラブ員も少ないので、
強さを目指すので無くて、定期的に運動をやる楽しさを重視している。
監督は、高校バレーも経験していて、勝負にもこだわる人物ではあるが、
地域の要請があって引き受けて監督をしている。
基本的には、バレーに親しむ、楽しさを重点にその地域にあった活動をしているが、
才能のある人たちが集まれば、勝てるチームの練習やら、目指すバレーのあり方を
内に秘めてる監督ではある。
パワーズ監督が明日香を呼ぶ「明日香相手はそう強くは無いが、どうやって戦うかはキャプテンの明日香が考えて
皆をまとめて試合をしなさい、監督からの助言は、それだけだから」
監督は後は、口出ししないという意味である。
明日香は、ソフトバレーではあるが、そもそもキャプテンという役をやったことがなかった。
一瞬頭が白くなった、落ち着かねばと思うが、胸がどきどきと緊張で高鳴った。
普段はなんとなく、下級生に指示を出したりしているが、その指示は、先輩と同じような行動によって
指示していたり、その指示で間違いないか確認して事は進めていたので、
実際自分が考えて指示をだす場合、それが正しいのか聞くことができない不安があった。
今まで何となく、言われたことをやってきたので、それが、先輩によって指示の仕方、考え方が
違うので、その人その人に合わせてきたのだが、本来そのうちのどれがベストなのか、考えてなく、
それを整理して考える時間もなく(普段から考えて整理していれば時間がないとはいえないが)
人に頼れない自分がいるので、とても焦ってしうのだ。
試合前の練習の後、明日香がメンバーを集めて言った言葉が「皆落ち着いて」
だった、でも明日香が一番緊張していて落ち着かなかった。



続く
2024.1.3
試合は始まった。とりあえずこの試合をどうするのか考えた。
まず思ったのは、自分の考えより、監督はこういう時何を求めているんだろうかということを思った。
勝つ事は大事であるが、この時期に勝つ事を目標にするのが良いだろうか
悩み、迷った、でも聞くことができないし、自分で判断しなければならない。
勝つこと、楽しむこと、わずかでも前進すること、選択肢はいくつもあった。
明日香は何となくではあるが、
うまい人にボールを集めて、一発で決めるみたいなことで勝つことはできるだろうが
まだ、自分たちは試合にも慣れてないし、そうして勝っても皆の身になるだろうかという事が一つ、
また、このバレーの試合を楽しむほど、バレーを経験してないし、むしろ必死で立ち向かうのがあってる
気がした。
そこで、やっぱり課題が必要と思った。
それは、一歩でも成長につながる課題を持って、試合をすることかなと思った。
この時は、監督の意向かどうかの考えはなかった。
あってるか、間違ってるかも考えることなく、自分の考えで動くこととした。
一つの課題として、1回でボールを返すのでなく、2回か3回とボウルをつなげて返すこと、
サーブレシーブなど、コートの中は4人であるが、コートを4等分して、自分のマスに来たボールは
そのマスの人がレシーブするようにして、うまい人が、全部拾って1回で返してしまうことを
やめようという方針を皆に伝えた。
試合が始まった。
マスにきたボールのレシーブは、その担当者がレシーブしたが、やはり3年生のレシーブが安定
せず、正面のものは何とかなるが、体の横に来るボールは、後ろにはじいたり空ぶったりした。
また、マスとマスの境界は、見あったり、取れないことが、多かった、
しかし、明光シャインズもレシーブがうまくないので、試合の得点はどっこいどっこいだった。
明日香はちょっと心配になって監督の顔を見た、もしかして、この茶番をなにをやってるんだ
とお怒りになってるかと心配になったからだ。
明日香はそれでも、3年生のレシーブのリカバリーは4年生でやるということと、境界近くは4年生が
拾おうという話をして、そうすると、少し失敗がへってきた。
それでも、つないで返すバレーは経験の少ない明日香チームには、難しい課題であった。

2024.1.4
この試合は15点ラリーマッチの3セットで2セット先取したチームの勝ちです。
コートはバトミントンのコートの外側のラインを使ってます。縦13.4m、横6,1mです。
ネットの高さは1,8mです。
サーブはコート後ろのエンドライン後ろから打ちますが、4年生以下なので、自分の肩より下(アンダーハンドサーブ)
であれば、自分のコートの中央からでも行えます。
選手は自分のコートのどこにいてもいいフリーポジションです。
パワーズの決めごとで、サーブは4年生は、エンドラインのうしろから打つことを基本として、3年生は力のない子は
中央からokとなってました。それ以外は、サーブの種類がアンダーでも、サイドでもオーバーでも選択は自由で、
守備ポジションの決めもありません。
優衣花は背もあり、運動神経も良いので、オーバーサーブを強めに打てます、
なので、相手のレシーブがうまくないと連続得点を奪ます。
その他の選手は、少し強めに打てるサイドハンドを使い、そこまでうまくない人は、アンダーハンドで、
相手コートに失敗しないように入れていくという感じです。
明日香チームは明日香の判断で、守備体系をコート4等分として、やることを選択したのでした。
明光シャインズのサーブも相手コートに入れることが重点で、どこを狙うかというコントロールをもっていなかったので、
コースはボール次第で、特に3年生に多く来るということもなかった。
このゲームは1セット目は17対15で2セット目は15対11でパワーズBが勝利した。
試合後明日香は、監督が何というのが気になりながら、監督のそばに集合した。
「明日香、よたよたなゲームだったな。まあ次もがんばれ」
監督からは、良いか悪いかの評価も助言もなかった。
「次もがんばれ」か、まあ今日はこれで行くしかないか、
細かいことは考えず、このスタイルで行こうと決めた。
次の相手は強豪の欅川コーロギーチームである。

続く
2024.1.5
まずAブロックに勝ち残ったのが町中パワーズAとゴールド梅金に勝利した豊作ミノリーチームである。
この戦いも練習の違いと優衣花のレベル差で、2−0でストレート勝ちを収めた。
Aブロック勝者の町中パワーズAは、Bブロック勝者と決勝を行い、優勝チームを決めることとなる。
その1チームが町中パワーズAである。
明日香のBブロックは町中パワーズBと欅川コーロギーチームの対戦である。
欅川コーロギーは町中市の隣の村で、平成の大合併で、合併せず村を存続するという選択をした村である。
しかし広域の事業例えば、ゴミ焼却場とか一緒の仲間として行政のつながりのある村である。
このチームは、監督がミニバレーに力を入れているので、もう何年も伝統的に強いチームを作っている。
やはり小さい村であるがゆえに、その地区の小学生も少ないが、監督が有名ということで、町中市の
豊作地区とか稲高地区から、バレー好きの親が子供の成長を願って、クラブに入部している。
また、町中市の反対の大都市(おおとし)からの入部もある、地元1に対し外部2の割合のチームで、
ママさんたちもバレー経験者であるので、基本うまい人が入っている。
欅川チームは、基本は伝統的に守備を強化しているチームでは、あるが、サーブも強いのがバンバン入ってくる。
明日香もその状況は分かっているので、ちょっとこれは手ごわいので、皆に「とりあえずくらいついていこう、1点でも2点でも
取っていこう」と声を掛けた。
試合展開はやはり、一方的に欅川のぺースである、サーブも正確で、3年生を狙ってくる。
このチームは常に遊びいう要素は無い、穴があればそこをついてくる。一方的に勝っていても、ミスで失敗すると
怒られる、弱いチームでも全力で向かってくるので、明日香チームも成すすべがない、というわけで、点差も一方的で
明日香のサーブが決まった分と相手のミスによる得点が町中Bの全得点のように、第一ゲーム4−15
第2ゲーム2−15の大敗であった。
さて決勝は町中Aと欅川こうろぎーの戦いとなった。
続く
2024.1.6
このソフトバレーは選手がどこにいてもいいフリーポジションである。
町中パワーズAの守備体系は優衣花が真ん中に陣取り、ネット前に一人、これはセッター役
後ろ隅に2人配置でライン側の守備を受け持つという陣容で、スペースのかなりの部分を
優衣かがカバーする陣容である、
それに対して欅川コーロギーは、四角のネット側2名、バックのライン側2名の配置の一般的配置となっている。
試合はキャプテンのじゃんけんによりパワーズが勝ったので、優衣かはサーブ権を選択した。
コートは欅川が、ステージと反対側を選んだ。この体育館はカーテンが閉められていたので特に日差しの影響とか
又、入り口からの風の影響とかは無かったが、たまたま、休憩場所をステージ反対側に選らんであったので、
そちらのコートを選んだという事だ、
サーブは優衣かから始まった、優衣かはフローターサーブを打った。体格がいいので、サーブは強めで、
身長があるので、打点の高い位置からボールを打てるので、山なりでなくネット上スレスレをいき良いく入るサーブであった。
又、無回転であるので、ボールが揺れていった。
最初のボールは欅川の守備の後方の2名の中間に行ったため、反応が遅れた欅の選手の腕の端に当たって、ボールは後方に
行き、パワーズの得点となった。さらに優衣かはサーブを連続して得点を重ねた。

続く
2024.1.9
7対2とパワーズがリードしたところで、欅チームからタイムが掛かる。タイムは1セット2回まで、1回30秒が与えられる。
欅チーム監督が選手を集めて指導する。
優衣かのサーブは強いが、コースを狙ってのサーブはまだまだ発展途上であるので、欅監督は
「優衣かのサーブは強いが中央に集中している、ちょっと中央の守備を狭めて、守備範囲を舞と茜が6割り受け持ち凛と萌
が4割り受け持て、サイドはあまり気にしなくてもよい」
舞と茜は凛と萌よりレシーブがうまいのである。
こうして若干の守備体系を変更すると、強い優衣かのサーブが2本に1本から、3本に2本という具合に対応できてきた。
ただ、まだ、レシーブが返すだけのボールで優衣かチームに返ると優衣かのスパイクが決まる状況ではあった。
こうして、1ゲームは15対7で、パワーズセットを取った。
2セット目は、欅チームのサーブからであった。欅は、サーブを良く練習しているので、優衣かほどではないが、ある程度の早いボール
が打て、さらに正確さがあった。狙いとして、バックラインの隅をねらった。バックラインの隅はパワーズは3年生が受け持ったが、
サーブも左右どちらかの隅か分からないように振り分けたので、優衣かの守備範囲ではなく、3年生がレシーブした。
3年生もそれなりにレシーブ練習はしているので、守備範囲の狭い部分を守ることはできたが、レシーブで球を浮かすことはできたが、
セッターまで正確に返す技術はなかった。上がったボールを素早い動きで優衣かが寄せてツーで返すがネットから離れた打点となるので、
欅チームのチャンスボールとなった。欅もつなぐバレーは出来ていて、レシーブでセッターに返し、ジャンプしてスパイクはできないが、
その場でたたくスパイクくらいはできて、パワーズの守備の乱れをつく得点はできていた。
こうして2セット目は接戦の末、15対17で欅チームがセットを取った。

続く
2024.1.19
第3セットはパワーズのサーブからだ。優衣かのサーブは相変わらず強力であったが、欅の守備も少し早さに慣れた感がある、
連続ポイントも、2点までで、サーブが相手に渡った。優衣かが「締めていこう」とメンバーに声かけをする。
優衣かの周りの選手も優衣かの守備範囲外のボールに対して、距離感をつかんで、優衣かが見逃すボールをきっちりとらえるように
なって、守備範囲は狭いがその範囲に責任を持つようになった。
そうして、このゲームも接戦となり、15対15のジュースを経て、優衣かのサーブとなった。そして強めのサーブが、選手間中央を打ち抜き
16対15となり、もう1本のサーブを優衣かが打った。中央を抜かれた欅チームは気持ち両選手が中央を狭めて、抜かれないよう意識した。
そして優衣かのサーブであるが、前のサーブとほぼ同じ動きでサーブを打ち出したと思い気や、軌道は一緒だが、速度を抑えたボールが相手ネット
際に落ちた。欅選手は強く伸びてくるサーブに対応するので、気持ちコートの後ろ目に構えていたので、さすがにこのボールに対応できなかった。
優衣かのこの緩いサーブは、本日初めてのことで、強気の中でも、技巧を使った場面であった。
こうして決着がつきパワーズAが1位、欅川コーロギーが2位となり、県を北部、東部、南部、西部と4ブロックに分けたブロック大会に進む事となった。
ちなみにこの大会は3位決定戦はなく、準決勝で敗れた、豊作ミノリーずと町中パワーズBが3位ということとなる。

2024120
試合終了後、パワーズ選手は、監督の前に集まると、監督から促され、付き添いの保護者前に整列して「今日は、ありがとうございました」
と優衣かの掛け声で挨拶した。
監督の前に再度集合となった。
監督は「パワーズAは良く頑張った。優衣かの一人舞台ではあったがな、パワーズBはまだまだだな、でも、ゲームに工夫は見られたな」
「今日の試合は、勝負も大事であるが、ゲームプランも大事ではある。今後成長する上で、勝利することは、個人の力も必要ではあるが、
チームとしての力も必要となるので、今日の結果の1位のパワーズAが良くて3位のパワーズBが駄目な訳では無い、
どうすれば良くなるかは、今は考えてもわからないだろう、上級生になって、色んなチーム、強いチームと当たっていく中で、壁にぶつかるだろうから、
その時に今日言ったことを思い出すように。以上」
「ありがとうございまいた」優衣かの掛け声の後に全員で「ありがとうございました」と挨拶した。
明日香は監督から皆の前で怒られなかったことに安堵はしたが、優衣かはやっぱりうまいな、もっとうまくなりたいと思った。

続く





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ぷらっとアキバ(神田から上野へ)
東京駅近くの日本橋、馬喰(ばくろ)町や茅場(かやば)町とか駅の名前でたまに降りることがある。日本の中枢、多くの本社がある
地域であるが、ぶらっと歩きに一番そぐわない地域である。こう身近な生活感がなく、自分ただオフィースビルが立ち並ぶ地域は
自分の生活空間と無縁な部分ということもあり、つまらなく思ってしまう。そういう自分なので、そういう場所に行くにも、少し時間
があれば、電車賃はかわらなくてちょっと面白みのある駅に降りて歩いて向かうのだ。例えば、馬喰町にいくなら、秋葉原で降りて
歩くとか、日本橋まあ馬喰町もいっしょかその一帯にいくには例えば神田で降りて歩く。その時、30〜1時間くらいの余裕を作って
秋葉原や神田の店を見て歩いたりプラつく。目的はウィンドショッピングのみではない。実際掘り出し物を見つけると、買い物にまで
発展もします。その日に買わずとも次回までに検討して買うことも多いけど、都会の流通は結構早いので、これぞと思うと、買いたい
衝動に駆られることも十分ある。そんな時に役に経つのが、普段の店舗プラ付きによる、無意識の情報収集である。こんな時普段のぷらっとが
が役立ち、これは本当に買得かという第6感みたいなものも若干だが発揮されると自分なりに納得したところがあるが、でも磐石では
なく失敗もあり、結局普通人であると表明しておく。まず、ちょっとたのしい神田について語ろう 続く


  ぶらっと東京
東京はたまに出ます。
新宿はいつもですが、最近東京駅がリニューアルしたので、なにかの用事のついでに行きました。
確かに東京駅周辺は駅舎とその周りの丸ビルとか、最近では東京駅の関連ショップなどもありそういう興味はありましたが、
いってみると、あまり自分の理想とする見て歩きする場所ではありません。駅舎はされなりの趣があり、伝統の重みもありますが、
周辺はオフィース群で、丸ビルにしても外からはオフィースビルの一群に過ぎません。それでも、東京駅の解説をすると、
出口は丸ビル側になります。建物は赤れんが作りで、目立つのが、丸いドーム屋根の塔の建物が2つあります。
東京駅改装後の建物の表と中

そのドームは駅舎の出入り口となりますが,そこに入ると、天井が吹き抜けの周りに部屋があるような感じの絵が装飾されています。
東京駅の外観とそのドーム天井が少し感じがいいかなと感じます。でも、周りにあまり面白みは感じません。
東京駅遠景と周囲(丸ビルだっけ)

東京駅は何度もいってますが、
面白いのは、むしろ駅の中にあります。人通りも激しく、新幹線乗り場があり、当然お土産家さんも多くありますが、レストランとか、気軽にランチ
とかできる店も多く地下とか若干地形が複雑で、初めて行くと迷子になるというか、そこが楽しい。実はちょっと休んだり、自分の弁当を食べたり
することのできる場所があり、新幹線の始発も多く旅人に便宜を図る感じのスペースがあります。もちろん、無料休憩所ですが、喫茶店でもないし
多くのお客様が利用するので、長居して占領していることは、ルール違反です。私は時々使わせてもらいますが、さーどこの場所でしょうか、椅子と
小さなテーブルがいくつもあります。ちょっと休憩しながら持参した軽食を食べたりします。
東京駅周辺なら、例えば、銀座や神田は歩きでいきます。銀座は通りが碁盤のようになっていて、その中の路地は車通りは少なく、いろんな店や
食べ物の店があって、町並みを歩くのはとても面白いと思います。1丁目から4丁目あたりまで結構距離はあり、例えば、行きと帰りは1本道を変えて
見ると違った店が見られて楽しいものです。松坂屋とか、プランタンもあったり、アップルコンプータの絵のついたビルとか、途中途中に知った建物を覚えておくと
ふらふらあるいているうちに元に戻ったりしたことをそういうビルだの見知ったところから分かることがよくあります。人間は、目隠しをしてまっすぐ歩かせても
結局円を描くように歩き元に戻ってしまうみたいです。遭難の情報のときやっていたと思いますが、それと関連あると思いますがぷらぷら歩いていると
もとに戻るという経験も少なくありません。
フロアガイドなんてあったり、ここには50以上のショップがあってデパ地下並って感じそんな想像をしてくれればいいかな


神田から秋葉原そして上野の歩き

大久保から新宿の歩き

皇居周りの歩き

などいつか書きます。

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  ぶらり横浜
ぷらっと歩きの良い条件は、ベンチがあること、いわゆる無料休憩場所。それは公園であったり、建物の中の休憩場所だったり、
基本はお金を使わないで楽しむ為の環境ですが、横浜はそういう点ではすばらしい。もう何十年ぶりに行ってみた。
まず、歩くコースをネットで調べる。それによると、まず、スタートはJRの桜木町駅そこからアンドマークタワーへ歩く歩道があるので
そこを利用。地図はネットから印刷して手持ち。ランドマークタワー内に入ると展望階のエレベータがある。眺めは良いようであるが、
しかし、料金がかかる。500円だか、1000円だか、だから乗らない。そしてその奥にランドマークホールがあり、ショップとかレストラン
とかもあるが、ホールが広々としていて、建物の中に水の流れがあり、両サイドからの階段脇に水の流れがホール中心にむかっていて
いい。たまたま中央に大きなツリーがあり、その周りにいすとテーブルがあって一休みができます。
ランドマークタワーとホール内

そこを出て、そのネットガイドは汽車道を通がって赤レンガ倉庫へと行くようになっているが、その前に、日本丸メモリアルパークがあるので
寄り道。日本丸は近くから全ぼうがその脇から見られるので、写真すぽっととしても良いし、反対はランドマークビルがちょうど写真に取れる
場所でもあります。日本丸を見られるところにはベンチがいくつかあって、ちょっと仲のいい人と休憩できる。日本丸内の観光はお金がいくらか
かかるので入らない。
日本丸

さらに寄り道は続き、その近くに遊園地ある。そのそばにいってみるが、当然中に入るにはお金がかかるので入らない。
遊園地は、2つに別れているのか、近くの乗り物と500mくらいとおくにじぇっとコースターなどがある遊園地なり。おおきな時計があって遠くから
デジタル表示がみえる。日本丸の裏手は小山になっていて芝生がはられている公園みたいなものがあり、そこで寝転んだりしているひともいる
けど、とくにベンチがたくさんある。前が港になっていて、貸しボートがあり、たしか30分1000円くらいだった。べんちは乗り場のすぐ近くなので
ベンチに座って、お客さんを眺められるど、ボートには乗らない。また 遠くに観光船も出発するのが見えるが、その風景をのんびり眺めて時間を
過ごすのも楽しい。ここで必要なのは、あらかじめスーパーで買っておいたペットボトルのお茶とおやつである。ここで休憩がてら体力を回復する。
日本丸の裏手の公園には、青年の像とか、カナダからもらったトーテンポールとかの美術品も飾られている。
遊園地と公園のトーテンポール

のんびりうたた寝もいいが、数十分すごしたのちに汽車道に向かう。汽車道はその名の通り線路が敷いてある木道となっていて歩くには
いいところである。途中にある鉄橋が古く年代ものでが、ちょっとデザインもいい感じである。汽車道の終わりころに、イオンモールがあって、
道からエスカレータがあって、つい寄り道したくなるが、結構見るところがほかにあるので、イオンモールの探索はしない。
汽車道と鉄橋

汽車道を奥にいくと
いよいよ、赤レンガ倉庫ちょっとミュージアムぽくてなにか中は有料かなと思われる雰囲気はあるが、思い切って入ってみると、ショップオンパレード
外の外観に比べて現代のショップやカフェ、レストランが並ぶ。アロマのいいにおいもする。コーヒー豆の店ではコーヒーを試飲しながら店内の
スナック菓子類の売り場を見て歩けるので、ここで当然コーヒーをいただく。赤レンガ倉庫はその奥にもう1棟あってそちらも入ってみる。
レトロの建物ではあるが、エレベーターかエスカレーターだかもあり、トイレも近代的できれい、全体的にいい感じではあります。
赤れんが倉庫の周りは広く、広場となっていてその建物の軒下でちょっと休憩している人もいるが、敷地の周りに大きな木があって
その下にベンチがありそこで休む人もいる。
赤れんが倉庫表(左)と裏

赤れんが倉庫の奥に目をやると港に大きな客船が見える。赤レンガ倉庫を奥へと進むんで
確かめると豪華客船あすかである。赤レンガ倉庫奥は大桟橋埠頭が見える広場があり、ベンチに座って眺めるのもいい。
公園とあすか

そこを後にして山下公園に向かう。その道はいい歩道になっていて途中には、大桟橋埠頭入り口もあり、そうこうしているうちに山下
公園になる。
そして、大桟橋埠頭を支えている鉄柱のリタイヤ品も飾られていて、いわゆる年代物であるが、昔を偲ばれるところだ、
横浜はランドマーク地区開発の新しき部分と古きを思わせる部分がある。話は戻り、
かの有名な山中公園はこんなんだったかなと昔の記憶は無く、比較もできないが、公園はあり、
たしか船があったよなという記憶だけであるが、そのうつろな記憶はとうからず当っている。
公園は思ったより広くなく、でもこれは、個人の感覚なんで、ある人は広いというかも知れない。
いわゆる、人の尺度はいいかげんであるが、まあこれもいい。山下公園は広さ何uでなんていわれても
正確だけどぴんとこないし、でも広さを伝えるという必要性はあるのだろう。道路と海の間に挟まれた細長い公園という感じか。
赤レンガのほうが四角で広々としていたが、花や木々は山下公園のほうが多い
山下公園は山の下の公園ということなんだろう。
先ほどの公園までの歩道は道路より高い位置にあり、公園のところで、周りくだるスロープになっているが、そのところに入り江があり、
何艘もの小型船が着岸していて、その中に神奈川県警の船があった。スロープ側の船はどこの所属だろーかわからなかったが、
眺めているとまず1そう出発しようとしていた運転席に2名、船の上に1名、船は先頭が岸に向いているので、バックしてユーターンしていく
わけである。ユウターンしているときに船上の一人が船の先方に接岸時の衝撃防止のためにタイヤがいくつも吊るしてあるが、
それを長さ3Mくらいの棒を使い船の上に持ち上げているのだ、それをやっているのは、若い女性で皆と同じ制服を着ている。
その作業が終わると運転室に下がっていった。もう1艘も同じことをして、後はスピードを上げて走り抜けていった。
山下公園に話を戻す。公園だからベンチはたくさんある。海を向いて道沿いにいくつもあり、恋人同士、観光客、近所の散歩ついでの
おばさん等たくさんやすんでいる。ここでまた一服する。ペットボトルのお茶とおつまみである。座ったベンチは赤い靴少女の銅像のそば
であった。この辺は赤い靴というのをめにするが、バス停とかなっていたかも。
赤い靴の少女像の前と後ろ(海を眺めてます)

しっかり休憩を取った後、れんが倉庫とは反対の「港の見える丘公園」に歩みを進める。
公園は、海辺にそって歩道が敷かれその海辺と反対の植生側に歩道と並行にずーとベンチが置かれている。
荷物を持った観光客、恋人同士、職場仲間、主婦仲間、いろんな人が座っている。そんな脇をすり抜け、昔から印象があった
客船の停泊しているところにくる。この船は、レストランとか土産屋とかありそうで、入場料がかかるので、入らない。
そこをすぎると、山下公園からの交通手段としての船着場がある。横浜どこどこ行きという行き先は忘れてしまったが、1000円
くらいの料金も見られた。行き先は3箇所くらいあったと思うが正確に覚えてない。その時の自分には乗る気はなかったが、
、観光も兼ねてととらえれば、乗ってもいいという一般的意見はあるのだろう。
山下公園を抜け出て、海の見える丘公園に向かう。道路を歩きそう時間もかからぬ距離に公園入口に着く、海が見えるということから
小高い丘に入る。特に大々的に宣伝はないが、ここだろうかと思われるところに階段が山へと続く。
階段数は結構あるという数的表現のみであるが、少しひなびた感じの山道で、平日の夕方あまり、人の姿も見られない。
古い感じというか、とりあえず登ってみる。結構の階段数は、それなりの距離を感じさせたが、小山の頂につく。
その公園は、イメージしていた港の見える丘というロマンチックな響きや昔のおぼろげな記憶とちょっと離れた印象でした。
高台で眺めはいいという点は変わってないと思うが見えるのは港までびっちりのビルや建物、とおくに吊り橋が見えるが
個人的には想像とちょっと違ったかなって感じだけど、それは個人の感想なので、この公園を否定するものではない、眺めはいいこと
は事実で、眺めのみえる方向に向かって屋根付きのベンチが備わっている。
海の見える丘公園 この絵はロマンチックではないか

そこから、先ほどの階段とは違う側に進む。広場があり、
少し数段階段を下りたところに四角い少し広めの広場がある。そこに、外国人の夫婦がベンチでくつろぎ、そばでは、その子供が、おにごっこみたいな
ことをしていた。姉さんと弟の兄弟だ。その広場のとなりにはバラ園があり、11月であるのに、ところどころに花をつけていた。いろいろな種類があるようで、
それぞれに名札がつけられていた。最盛期にはさぞ景観だろう。そのばら園を抜けると、古い洋館があった。そのまた、左奥にはなにかの博物館か美術館か
あったが有料なので入らない。その代わり、手前のイギリス館が、観光自由なので、入ってみる。その頃人もいなかったので建物もだれもいなくて1階、2階と
見て歩くが、古い時期の建築物であるが、洋室は今風なとこもあり、当時もモダンだったと想像できる。そこを出てばらエンを入口方面にかえると先ほどきた道の反対側
に別の公園入口があり、そこは自動車のとおる道路に面していた。下から、この丘に車で上がってこれるのだ、その入口にはレストランがあった。公園前の信号のある
歩道をわたり、公園を背に進むと、数分か5〜10分それほど遠くないところに、昔、観光ガイドに乗って有名な外人墓地がある。その墓地の途中には、外国人のおばちゃん
のチャリでの買物帰りの姿にあう。この辺は今でも外人が多く住んでいる街なのだと、自覚する。外人墓地は丘の斜面にへばりつくように下界につづいいるが、入口
の墓碑みたいなところのちょっとした場所は入れるが墓地の中には管理地で入れない。しかし、高台だから下まで見渡せる。十字架とか外国の墓地って感じです。
外人墓地資料館があったが入らなかった。その墓地から急な坂道がありそこを下って中華街へと歩をすすめていく。もう日も暮れ始めてきた。
急な下り坂を降りて山下公園と道路とその周辺のビル群をはさんで中華街があると訳のわからない位置情報である。ネットからとりだした地図のところどころに赤い靴
という場所があったので何かと」おもっていたら、バス停のことみたい。バスは赤くて、ちょっとすこししゃれたバスが通っていた。記憶は薄いがイギリスで走っている赤いバスの
ようなと見たこともないイギリス情報であるが、まあ説明しきれないので、実際見るなり調べてください。中華街はこれまたその昔に行って、ラーメンを食べた記憶がおぼろげにある。
中華街なら特別どの店指定でない限り、中華街で食べたというだけで、中国料理を味わったという特別の思いがもてるわけである。結局のところ、観光における中華街は、
中華料理屋で食事をしてその周りを少し、お土産を見てぶらつく程度で、中華街の目的は達するのである。わたくしはそれに飽き足らないので、と言うことより、ウィンドショッピングみたい
なことが好きで、同じような店が立ち並ぶと、何件も見比べて同じものなら安い方で買いたいと思うことと、買ったあともっと安い店があると後悔の念にかられたりするという、貧乏性
があったりでこれはこれで困ったことであり、また中華街をくまなく歩く状態となった。
ピンボケ中華街

中華街の特徴の一つに中華街の通りには名前がついていて、いわゆるその通り通りの入口には立派な門
があってその門にも名前ついているのである。その一つの通りを土産店を探索しながら歩いていくと、路上の店で目につくのが焼き栗屋さん、また、豚まん屋さん、その焼き栗屋さんは寒い時期
ということで出店されているのだろか、とにかく、行く先々にあり、どうぞと一つ味見をと声かけしてくるのである。わりと遠慮なくもらってしまうのだが、簡単に手渡ししてくれる人もいれば、
ちょっとまって剥いてあげるからと行ってすぐにもらえない人とかいたりして、そんな時は長居は無用といいですと断って、立ち去るのである。そうしているうちに、露天でキーホルダーの回転ツリーのようなところに山ほどぶら下げて売っているところに出くわす。キーホルダー1個50円なり、ちょっと信じられなかった。通常土産店で買うのは安くて350 円ちょっとするのと500円や700円が普通に飾ってあって300円代を探すのが至難の技である。そのキーホルダーは、トオガラシの柄で、いろんな色があり、色によって運勢が違うという女の子の喜びそううな設定なのである。このトオガラシって
いいらしいとネット情報が頭の片隅にあったので、本日の初出費をして、家族のお土産にしようとおもった。このキーホルダーは気に入られなくても50円なので、買っていって自分の後悔はないな
と思った次第である。まさにここに困った性質があるわけで、自分としてはもっとおおらかな人間でいたいのにできないところを反省している。そんなわけはで、それから、その、ガラスの唐辛子選びである。そこでまた迷ってしまうのだ。まずは色、赤は魔除け、黄色は金運、緑は健康、白は友情、紫は全ての願いを叶える、青は仕事運、勉強運、黒は商売繁盛そしてピンクは恋愛運とかである。
さてどれにしようか、そして、ガラスの形、大量生産であまり品質の安定がなさそうで、先端が丸まっているもの、変な曲がりがあったり色合いがいまいちであったり、そしてそのトオガラシに付属する
飾りがまたいろいろあって、サイコロとか、玉とか刺繍とか、お金とか、その小物たちにも、いわれがあったりで、なんと30分以上も買うのにまよっていたら、3〜4人の女学生が来て、可愛いといいながら、何何運ならこの色にしたと言ってそういとも簡単に選んで、買い去っていくのである。結局、いろんな色を買って選ばせればと少し余分に買ったが、結局、家の女性陣はピンクがいいと、なんで
ピンクを複数買わなかったのかということとなったが、50円でもお土産の喜びは一瞬でもあって良かったと思った。ちなみにこの土産で問題になったのは色のみで、形や飾りはどーでもいい問題であった。
トーがらしストラップ

通りは縦、横になん筋かあってその通りを思いのまま歩いていると同じ店を何回か通ってあーここさっき通ったはということとなる。料理は飲茶類の食べ放題千がいくらと言う店が結構あった。
ここで夕食は贅沢にという気持ちもあれば、どこかでラーメンでも食べて帰るかとの選択があり、食べ放題とかは、歳を取るとかえって負担があってつらい思いをすることもあるので、もう単品がいいな
と思い、ラーメン店を探すということとなり、特にどこがということもなく、たまたま、五目ラーメンがサービスデイで少しやすくなっていたので食した。特別中華街のラーメンという意識はなかった。
外はもう暗く、電車に乗って帰ったが良く歩いたものである。    ・・・完

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h24.11
都会の歩き
どこかに用事で出けるとき、ちょっと早く出かける、ちょっと遅く帰ることで自分の時間をつくってぷらっとなんとなく歩いてみることが好きだ。
会社で言えば一人で出張のときなど、目的地に早めに着かないと安心しないけど、その場所を確認すれば、安心してその周りを歩く時間ができる。
仕事が少し早く終わってもう帰るだけのときは、ちょっとぷらっとする。特に知らない土地にいくとこの歩いてその辺を見て歩くと普段電車や車で通り過ぎる
のと違っていろいろな風景に出会えてうれしい。田舎の風景もいいけど、都会の雑多な中にお店や生活感のある住宅地を通ってみるだけでたのしい。は
歩きなので、お金はかからないし、運動にもなり、ちょいと楽しい時間が過ごせてお得である。そんなに、出かけるチャンスはないけど、たまにある時は、
思いつくままに、また、観光地なら事前に調べて体験をする。つねに何かのついでにだから、交通費も例えば一駅、2駅分出せばいいくらいのついでだから、
貧乏人の筆者でもいいのである。例えば講習会の昼休みは大抵1時間あるので、食事をしたら、片道20分くらい歩いていけるところまでいってそれから折り返す
とか、でも行きと帰りで道(通り)を変えたりするとたまに迷子になる。都会は結構、いたるところに地図があるのでそこで確認できる。スマホのナビとかだと歩きやすい
だろうが、昔の携帯しかなく、役にたたないので、結構冒険であるが、その分周りの景色を見ているので、さっき通ったところとかわかるのである。
電車の1駅2駅くらいの歩きであるが結構楽しいよ。



霜の朝h24.11.3
りんご畑とクローバー


蓼科の紅葉H24.10.28
赤と黄色が鮮やかですね。
もう2枚ホテル滝の湯バス停付近(左)と近くの保養所のもみじです。
きれいだった。

たてしなプール平付近です。


ファインビュー室山の名前の由来
わたくし「名づけ親が語る」
h24.10
今は昔になってしまったけれど、あれはもう十年以上昔になるが、といってこんなとこで語る必要もないが、と言って語らぬこともないか
で、あれは室山の近くのりんご畑から、建設中の建物を眺めた時の印象から名前を思いついたということです。

写真はわかりずらいですが、畑からみた建物の屋根がスキーのジャンプ台のようにせり出ていて、あそこに乗ってみればとても眺めがいいのだろうな。
「素敵な眺め」だろうという気持ちから、ファイン(素晴らしい)ビユー(眺め)という英語を思いついたという訳であります。
べつにどうってことはありませんですが。

長野県の天然記念のしだれ桜H22.4.4


長野県の天然記念のしだれ桜が近所にあります。
まだ、花は咲いていません。
花の時期は結構カメラマンが来ます。
ちょっと枯れて痛んでいる部分があります。

写真が消失しました。

安曇野山里風景 平成21年12月10日記
中央にうすうら雪を冠ったのが常念岳この右(北側)に手前のに隠れて白く見えるのが横通岳、常念左(南)は蝶ヶ岳そして大滝山とつながります。
常念は有名ですが、横通岳も見た目が良く北アルプスは連峰が美しい。常念のふもとにあずみのアルプス国営公園、堀金、穂高地区があります。
ひだりに高い木が見えますが屋敷林と言って、暴風とかから家を守るような高い木が植えられていて昔は各家にあったものですが、
近代建築で頑丈な家が建てられた事や維持管理が大変という事で大分切られています。安曇野の自然遺産として守ろうという動きがあります。
常念岳は安曇野市のシンボル的な山で合併した穂高、豊科、三郷、明科、堀金の5つの地区から見る事が出来て、
アップ、パノラマ、横顔等その地区で違った形で見ることができます。この奥は常念、蝶ヶ岳登山口があり、駐車場があります。
途中温泉ホテルのほりでーゆがあり、外来入浴(500円だったか)できます。露天風呂から常念の雄姿が見られます。
上高地にもありますが、国営公園とほりでーゆの間にウエストン碑があったと思います。
常念に行く途中に道路わきの山肌から清水が出ている所があり、延命水と呼ばれ、長生きできるのか知りませんが水を汲みに来ています。
(実はここ小倉にも名水はあります。黒沢川は三郷の水源となっていますし、西山には湧き水やきれいな沢があります。
ただ、林道脇にごみの不法投棄も見られることもあり、こんな田舎に捨てにくるなんてと残念に思います。)
でもほりでーゆ上の道はところどころ結構細くて運転は注意が必要です。

私の住んでいる小倉地区は大滝山登山口があります。
あの槍ヶ岳開山で有名な播隆上人(ばんりゅうしょうにん)を小倉から槍ヶ岳に案内した祖先のいた地区です。

穂高キリスト教会

穂高には色々と観光施設はあります。観光とは関係ありませんが、復活のキリスト穂高教会を紹介します。


場所は穂高病院の道をはさんだ反対側です。日曜礼拝は午前10時より誰でも自由に参加できます。
小さなチャペルで小窓にはめられたステンドグラスや建物内部の梁や欄間が美しい。

地図


我が家から見える風景 H21.12
我が家の眺望はすばらしい
北アルプスのふもとということで、近すぎてアルプスが西山に隠れてしまうのが残念でアルプスを拝むには数百メートル下らないと行けません。
そのかわり、東山を眺めています。
家から見える東山、中央が美ヶ原高原です。
家の隣がうちのりんご畑、毎日りんごの成長を観察しています。


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