清流の巳神
「清流の巳神」・・・この巳神様(巳神様との喧嘩の過程において、妻の末期の胆のう癌を瞬時に消滅させたその狙い)の事を書く事については、「天空の神龍」と同じく、相当の年月悩みました。
何故なら、「天空の神龍」を読まれた方にしても、先ず理解出来る方は居ないと観ていますし、反対に私達の事を懐疑的に観る方が増えるのではないかとも思いましたが、それも良いだろうと思い書く事にしました。
令和3年12月15日の朝、いつもの様に朝のお祀りをする時、女の地神様の方に向け、昔妻の描いた、地神様が人間の姿を取って出て来られた絵を見せて、「地神さん・・・この頃は殆どこの様な御姿を取らないが、昔、地神様が着物を着た女の人の姿で出られたこの絵・・・もうホームページ上に載せようと思いますが、載せて宜しいか?」と聞いたのですが、表情一つ変える事もなく普通の顔で横を向いておられました。
地神様と向かい合って出ている小さい神様(チビ)に、「チビ、あんたのお母さんにこの絵を乗せても良いか?と聞いて」と伝えると、「聞いてるわ・・・」と妻が言った後、「チビがこっちを向いて礼をしたわ」と妻が言いました。
私は、「有難う御座います。私らももう長い間この様な仕事をして来ました。地神様もよう働いてあった・・・振り返って見て、今までの祈祷の始終は殆ど絵に描いて残しているが、こんなに働いた巳神様は他には居られないと思います。霊視の形を取って私達に見せてくれる場面にしても、他の神様達との連携にしても類を見ないものがあります。又私らにしても、この仕事もこの先そんなに長く続けられるものでもない、其処で、もうそろそろ今が良い時期、良い機会だと思いますので、巳の姿の他にも人間の女の人の姿を取って出て来られた場面も載せたいと思います」と伝えました。
確かに、祈祷中、後ろに座っておられる方から、私の姿と重なって綺麗な女の方が出て来られました、と言われた事は何回かありました。
又、私のホームページの祈祷の場面にも描いていますが、人間の女の姿を取って出て来られた事も何回か有ります。
約8年前、ウナギの養殖から加工販売までされている会社の事業繁栄の祈祷で、女の地神様がたらいの様な器?のウナギを優しくなでています。
これは今までこの会社の繁栄の為に犠牲になった数え切れない程の数のウナギの供養をしている絵です。
しかし、一般の方から観れば、また、この領域の方から観ても、何故白蛇が人間の女の人の姿を取るのか、というのも解せない話だと取られても仕方がないのかなとも思っています。
私が其処の所をもう一つ解明出来ないのでから、そう思われても仕方がない事だとも思っています。
相当前、確か、私のホームページの何処かに、昔、私の家の近所の女の拝み屋さんが言われた内容を揶揄して書いている文章があるはずです。
この女の拝み屋さんは家も近くで、私も子供の頃からこの家の家族構成もよく知っており、それを専業(その当時は今と違い、この様な仕事を専業にされている方は居なかった様に思います)にしていた方ではないのですが、何処からともなく人が訪れていた様に思います。
私にしてはその当時、この領域の話を聞くだけでも嫌悪感を感じる人間でした。
ある時、確か私が高校2〜3年生くらいの時、ある日突然庭に御社が置かれて母親が手を合わせ始めました。
私は母親に、「これ何の神さんや?」と聞くと、「これは家(うち)の地神さんで・・・・・・・・・」と近所の女の拝み屋さんから聞いたその物語を話し始めました。
多分、母親にしたら、中学生の頃から運転免許も無いのに家にあったミゼット(ダイハツ・ミゼット)や単車を乗って走り回り、挙句の果てに単車が真っ二つに折れる様な事故を起こしたり、高校?年生の時に白蛇を殺生したりする私を見て近所の拝み屋さんに相談に行ったのだと思います。
その直ぐ後位から、母親は庭に御社を置いて拝み屋さんから聞いた、その物語の存在を祀り始めました。
ある日、黙ってその御社の扉を開けると、紙の小さな御幣に、確か、女の神様の難しい名前?が書いてあった様に記憶しています。
しかし、母親もいい加減な人で、祀り始めた当初は一生懸命に祀るのですが、数年経つと殆ど祀らなくなってしまったと記憶しています。
当時、母親は近所の方らと新興宗教にはまり、姫路にある教会に足繁く通っていました。
その事と、庭に祀った存在を祀らなくなった事の不満を言うと、「あんたが作った神さんやから、あんたが祀り」と母親が言った事を覚えていますが、私の聞いていた情報では、確か、家の庭で祀っている神様(拝み屋さんが言われた物語)はこの後説明させて頂く存在で、私が殺生した白蛇とは結び付かない存在(別物)だと思っていました。
私が殺生した白蛇を高橋家の地神様として祀り始めたと聞いていたなら、いくら私でも最初から庭に在る御社に手を合わせていたはずです。
多分、拝み屋さんは母親に私の実家の土地の歴史と、私が殺生した白蛇の事を同時に話して、白蛇を高橋家の地神様として祀る様に言ったのですが、母親は土地の歴史の事を最優先して私に話したのだと思います。
その情報を鵜呑みにした為か、私は家の庭にある御社には殆ど手を合わせる事はなかったと記憶しています。
私としては白蛇を残酷な形で殺したという償いの気持ちはありましたので、将来、自分が家を建てた時、その敷地内にお祀りしょうという思いは有りました。((鳴釜神事に思う事→(お役について)の項を読んでください)
そして今から三十数年前に家を建てた時から高橋家の地神様として御社を置き、正式(その数年前位から仮の形としては祀っていましたが、「早よせい」という巳さんからの知らせは頂いていました。今から考えれば、身体を真っ赤にして怒り、私に飛びついて来たのは男の地神様だったと思われます)に祀り始めたのですが、その時お世話になったのが、後に鳴釜神事を私に教えてくださった方になります。
この方には、私が白蛇を殺生した事などは話していたのですが、その件については何もふれずに、「喜んどってや・・・綺麗な、真っ白の女の巳さんや・・・一生懸命に祀りなさい」と、ただそれだけを言われた事を覚えています。
・・・という事は、この時点では、私が殺生した白蛇を一生懸命に祀り込む?以前は、高橋家の女の地神様は巳の形(白蛇)しか取れなかったのかも知れません。
事実、この方とはその後10年以上のお付き合いがあり、家(寺)の方へも度々行かせて頂いていましたが、そしてその都度、地神様の御姿は出ていましたが、巳の形で出て、人間の女の姿で出た事は有りませんでした。
この方の家(寺)では、あえて、その様な形を取っていたのかも知れませんが、真相は分かりません。
その後の事(展開)は、私のホームページに沢山書いていますので、是非全てを読んで頂きたいと思います。
そして、高橋家の女の地神様が自ら自分の事を、「清流の巳神」と呼んでくれと言われた件についても、女の地神様の考えや、私達への教え、振る舞いなど、私のホームページを読んで頂ければ納得して頂けると思います。
問題(気になる事は)は、何故、地神様が巳の形から人間の女の人の姿を取って出て来られる事があるのか、という事になるのですが、その事を考えて行くと、もうとっくに亡くなられた近所の拝み屋さんの言われた事が、当初は揶揄していたものが、妙に気になり出しました。
何故かと言うと、この拝み屋さんの主人はいつも独特な?(僧侶?、神職?)着物(多分、古神道に関係があったのか?)を着て、殆ど家に居なく、4キロ程離れた加古川市志方町に在る、通称、志方の城山(志方城ではない)中道子城の跡地に住み、その管理?(何かをしていた)をしていました。
その事を頭に置いて、この近所の拝み屋さん(家も近くで、その当時の家族もよく知っていました)が私の亡くなった母親に言った内容とは、天正6年〜8年(1578年〜1580年)にあった三木城陥落(三木合戦)の戦いで、羽柴秀吉が三木城の当主、別所長治の勢を倒し三木城を陥落させた訳ですが、別所長治には四人の子供、竹姫、虎姫、千松丸、竹松丸が居た、資料によると、陥落前、全員親の手にかかり死んだとされているが、三木城の御姫様(竹姫、虎姫)のどちらかが、私の実家(三木城からは10キロもない)の場所まで逃げて来て、力尽きて亡くなったと言われたそうです。
余分ですが、私に鳴釜を教えてくれた方は、「あんたの家の土地は蛇がぎょうさん居る」と言われた事が有りますが、実際、私の実家は石垣があって、その石垣の間には蛇が居たり、敷地に蛇が出て来た事はよく有りましたが、田舎とはそんなもので全く気にしていなかったのですが、もし近所の拝み屋さんが言われるのが合っていたとしても、果して、元は人間が巳の神様になる事が出来るのかどうか、やはり少しは疑問が残ります。
私達の今までの経験上、その反対の実例はよく経験して来ました。
人の霊が落ちる所まで落ちて畜生の姿(畜霊)に変わるのは実際に経験して対処して来ました。
また、蓄霊(邪霊)が高貴な神霊の姿や人の姿を取って現われ、人を惑わし悪事をする実例もよく経験して対処して来ました。
しかし、この様なものは直ぐに正体を現してばれるものです。
そして拝み屋さんの主人が住んでいた中道子城という場所は私の実家から4キロ程の距離に在って、永正15年(1558年)に、同じく、羽柴秀吉の攻撃を受けて落城したと書かれている資料も有ります。
羽柴秀吉により陥落される前、直線距離にして14キロ程離れた中道子城と三木城との関係はどうだったのか、そして二つの城を結ぶ直線距離上の途中の位置に在る私の実家の場所と、偶然かも知れませんが、近くに住む拝み屋さんの言った事、拝み屋さんの主人が何故中道子城の後に住んでいたのかが気になってしょうがない。
偶然かも知れませんがと書きましたが、私はこの世は全て必然で偶然というものはないと信じていますので、その拝み屋さん夫婦が近所に住んでいたという事、その拝み屋さんの主人が中道子城跡の管理をしていた事、そして亡くなった母親にその様な話をした事等も、何かのつながり(縁)が有ると観ています。、
もし、当時、中道子城と三木城との間に何からの関係が有れば、三木城が陥落する前に御姫様が中道子城の方向を向いて逃げたかも知れないし、そしてその4キロ程手前の場所(私の実家)まで来て、其処で亡くなったのかも知れません。
また、小さい神さん(チビ)が以前はよく昔の姿で刀を持って出て来ていたが、この格好も気になります。
又、もう少し勘ぐって?、ひねくれてひねくれて、しかし近所の拝み屋さんの三木城陥落説の肩を持って、拝み屋さんが言われた事にこじつけて考えれば、三木城の土地には当然、夫婦の形の地神様は居られたはずです。そしてその当時の私の実家の在った土地の形状は分かりませんが、私に鳴釜を教えてくれた方が言われる、「あんたの家の土地は蛇がぎょうさん居る→その土地は蛇の居る土地→蛇と関係の有る土地」と考えれば、三木城の地神様に取っては蛇と関係の有った私の実家の土地に移られるのは簡単な事だったとも言えます。
一か八か、12月16日(木)の朝、「地神さん・・・貴女はその昔三木城と関係が有ったのですか?」と聞いたのですが、表情を変える訳でもなく、否定も肯定もする訳でもなく、普通の顔で横を向いていました。
小さい神さん(チビ)に、「チビ、あんたのお母さんに聞いてみ・・・お母さんはその昔、三木城と関係が有ったかどうか聞いてみ・・・」と伝えたのですが、全くその意味が解らない様でしたのでチビに聞くのは止めました。
再度、地神様に、「地神さん・・・一回、嫁さんと三木城の在った場所に行こうと思うが・・・貴女はどう思う?」と聞いたのですが、全く表情も変えずに知らん顔をしていましたので、もう聞くのは止めようと思いました。
しかし、三木城は近くですので、妻と一緒に行ってみようとは思っています。(私は12〜3年前、確か、道に迷い、三木市の中央図書館の前まで行った事がありますが、今から考えてみると三木城は直ぐ近くに在ります)
上記した、近所の拝み屋さんの言われた事からの推測はさて置いて、私が殺生をした白蛇(地神様)を祀り、その地神様(白蛇)が女の人の姿を取って出て来られるという事実と、この「清流の巳神」と呼んでくれと言われる女の地神様の、今までに私達に見せてくれた場面は他に類を見ない高度な見せ方だと自負しています。
日常、私達の目で見る現実の世界に近い場面を見せる事が高度なもの(霊視)(神霊)と勘違いされている方が殆どだと思いますが、それは見せる方の神霊の力がまだ確立されていなく、観る方の霊視能力もまだ確立されていない事になります。
神霊は神霊の世界の見せ方が有ります。
それを受ける方も神霊に近づかないと観る事は出来ません。
しかし例外は有ります。
私の妻の様に神霊が選んだ方(決して魅入られたという意味では有りません)は別ですが、そんな方は日本中捜しても少ないと思います(殆どが神霊に魅入られた方が多いのではないかと思います)。
結論になりますが、何故、高橋家の女の地神様が綺麗な人間の女性の姿になるのかは、地神様が何も言わないので分かりません。
この高橋家の女の地神様はある時期までは、力強く、厳しく、荒い気性の神様でしたが、小さい神さん(チビ)が我が家に来てからはお母さんになられて大変優しくなりました。
その変化の過程などは、私のホームページのいろんな場所に書いていますので読んでください。
そして、この地神様の霊視の場面(絵)にしても、余りにも沢山登載していますので、どれが良いのかと?問われても即答出来ませんので、それについてもホームページを見て頂ければと思います。
勿論、霊視画はホームページ上に登載して支障のないものだけを載せていますが、実際はこの何百倍という数の霊視画が整頓せずにそのまま積み上げてあります。
これだけ長くやっていれば、本当は載せたいが真実を載せれば大変な事になるものや、事件性のあるもの等もそこそこ有りますが、そんな事は私の仕事では有りませんので黙っています。
そして高橋家の女の地神様と男の地神様との関係ですが、私のホームページの何処かに少しだけ書いていると思いますが、男の地神様にしても、向こうが気が向いた時に出て来て、言いたい事だけを言って帰って行きますので、この地神様夫婦のなれそめは知っていますが、その前の事が分かりません。
最後に女の地神様のこの様な場面を偶に見る事(見せる場合)が有ります。
底の石が見える様な綺麗な水(清流)の中で、白く透き通った色の地神様が優雅に泳いでいる姿を見る事が有ります。
今までの私の経験から言えますが、女の地神様がこの様な場面を私達に見せる時は、地神様がくつろいでいる時や疲れている時(疲れを取る為に)、又その反対の、余りにも汚いものと対峙した後、その汚れを洗い流す(消す為に)為にこの様な場面を見せる事(見る事)がある様に思います。
(この時の地神様の身体の色は透明に近いのですが、それを絵に表現するのは難しいと妻は言っています)
12月25日(土)の夜、地神様には再度、「地神さん・・・三木城の話ですが、あれ・・・ホームページに載せますよ。地神さんは何も言うてないが・・・載せますよ」と伝えましたが、地神様は否定もしないし肯定もしない、普通の顔で出ておられました。
地神様への報告が済んでから妻が、「地神さん・・・いつもは横向いて(横顔を見せて)出て来てやけど、今は、最初からこっちを向いて出て来とってあったわ」と言います。
・・・・・・・・・・・そういう事かもな?・・・・・・・・・・。