神殿(神像)の移転(移動)、撥遣(はっけん)等についての私見
それに関わった殆どの当事者や関係者も公にする事を忌み嫌いますので一般の方の耳に入る事は少ないと思いますが、神殿、神像の移転や移動、撥遣にたずさわった方のその後は、運が良ければ一時的に有れ、運が悪ければそれが災いして大変厳しい状況になられる方も沢山居られます。
極端な例ですが、日本全土、殆どの田んぼの区画整理が終わっていますが、田んぼの所々にぽつんと残されて林の様になっている土地が在ります。
これは何を持ってしても絶対に触ってはいけない、ふれてはいけない異界ですが、今から書いて行く例はそれではなく、普通に在る神社や御堂、其処に祀る正統な神霊の移転、移動、撥遣の際に心掛けなければならない事を、私なりに書いて行きたいと思います。
10数年前、その当時の知り合いの修験の方がこの方を主にして、ある不動堂の移転をされました。
他に修行を積まれたベテランの修験者の方も沢山居られたのですが、誰もが怖がって名乗り出なかった様です。
その直後、鼻からの大量出血が止まらず、いろんな病院に行かれた様ですが長い間大変な目に遭われました。
また、若くして亡くなられましたが、ある寺の住職が檀家に頼まれて、その家で不要になったり、何か理由があるので引き取って来た神像、仏像を御自分の寺の一室に沢山置かれていましたが・・・ある時、何かされたのでしょう・・・その後直ぐに病気になって亡くなられました。
また、ある寺の自信満々の住職は本堂の改築の際、仏像の移動、土地の祓いなど、全て御自分でされましたが、その直後、足腰が立たなくなり、「もう駄目だろう・・・」、と檀家の間で評判になりました。
全て私の知った方です。
この様な話はまだまだ沢山知っています。
何故この様な事態になるのかというのは、皆さん、御自分の修法や自分自身に自信が有り過ぎるからだと私は思います。
厳しい修行をされた方々ばかりだと思いますが、皆さん、相手を知らなさ過ぎると私は思います。
移転、移動、撥遣の対象の事を知らなさ過ぎると思います。
移転、移動、撥遣の対象が、移転、移動、撥遣に対してどう思っているのか、これをその対象に聞くべきです。
移転、移動、撥遣の対象の考えを聞いて、それに沿った移転、移動、撥遣をしていれば何も起こらないはずです。
移転、移動、撥遣の対象の意見には従うべきです。
そして、どうしても此方の考えも通したい時は、希う(こいねがう)(請い願う)訳です。
頭を下げて頼む訳です。
此方の考えや事情を話して、頼み切る訳です。
邪霊に対してはこの様な訳には行きませんが、大概の正統な神霊は此方の言う事を聞いてくれます。
そしてどう懇願しても駄目な場合は、思い切ってそれ以上話を前に進めない事です。
正統な神霊の意にそぐわない事をすれば、相当な覚悟が必要になります。
邪霊のそれの何倍もの覚悟が必要になります。
正統な神霊は涙が出る程優しいが、涙が出る程厳しいものです。
今から書いて行く神殿(御堂)の撥遣、神霊の移動の例ですが、御堂(個人の持ち物ですが、地図にも載る様な規模の御堂です)を管理する人間の方が年齢的、体力的、気力的に御堂を管理する事に疲れてしまい、御堂を撥遣して、其処に祀る神霊とその土地に祀る稲荷神をこの方の家で祀るという事になった流れを書いて行きたいと思います。
この家は、「ある不動明王の念の形」、「狐の婿入り・・何故それが今なのか?。この家に、発せられた呪詛との関係か?」、に登載させて頂いた所です。(読んで頂かないと理解出来ないと思いますので、読んで頂きたいと思います)
ある大きな団体が当時のこの家の財力に目をつけ、山を切り崩して、其処に不動堂を建てさせました。
そしてその後、この家と団体とが不仲になり、不動堂には不動明王と二体の観音像が残されました。
その敷地内には伏見稲荷様のお社も在りましたが、正一位伏見稲荷の神霊は居られませんでした。
空のお社が在るだけでした。
ある大きな団体が元々この方の家に祀っていた伏見稲荷様をこの地に移転させたのですが、誰も、其処には御霊の無い事が解らなかった様です。
この不動堂に祀る不動明王像は、ある大きな団体にしても何処かに置かれていた不動明王像を買って来てこの不動堂で祀ったのですが、幸運にもというか、全てはその様になっていたのでしょうが、其処には正統な神霊が居られました。
そしてその不動明王の中に、この山の神霊とこの家の神霊が入られました。
稲荷様に関しても、後日、京都伏見稲荷大社で勧請を受けられました。
その後は何事もなくお祀りされていたのですが、この不動堂の場所がこの方の家から少し離れているのと、この家の生活形態が何か所もあって、やはり不動堂を管理して行くのが難しくなって来ました。
その様な相談を受けましたので、私の方の地神様を通して、不動堂に祀る不動明王の中に入る三体の神霊と不動堂の敷地内に祀る伏見稲荷様の方にはその旨を報告させて頂きました。
神霊の方から人間に対して、余程の事が無い限り、先ず、向こうからいちいち「何々しなさい」という様な働きは有りません。
誤解をしないでください。
人間が条件を出してその是非を神に聞くのです。
私、「地神さん・・・○○さんの件やが・・・、確かに、あの不動堂の規模、施設は団体が狙っていたのも分からん事は無い。それを○○家が維持して行くのは確かに無理が有る。あの不動明王の中に入る元々の神霊の形も解る。山の神霊の元も解る。そしてこの家の神霊もあの中に入っておられる。元々は皆水神。どうやろ?・・・皆、不動堂からこの家に来て頂いて、「地神様」(水神・巳神)として、巳神のお姿に入って頂いて・・・祀らせて頂いたらどうやろ?。まあ・・・伏見稲荷様は話せば何とかなる。どうやろ?・・・地神さん、一回、不動堂の神霊に聞いてください」、とお伝えしました。
その明くる日、
私、「地神さん・・・昨日の話しやが・・・向こうの神さん・・・どないよってあった?(どう言っておられました?)。この家に来て、この家の「地神様」として祀らせて頂く事を了承して頂きましたか?。」、と聞いてみました。
妻、「・・・うなづいとってやわ・・・」、と言います。
「よっしゃ」と思いました。
「こっちの考えが通じた。これで良し」、と思いました。
このプロセスが大事です。
これを省くとえらい目に遭います。
修行を積んで自信の有る方はこれを省くのだと思います。
後日、不動堂で鳴釜の神事を行いました。
詳しい表白は書きませんが、要するに、祀る者も歳を取って体力的にも限界があるので、もうこの不動堂の在る所でお祀りさせて頂くのは無理がある。不動明王様の中に入っておられる三体の神霊様、そして正一位伏見稲荷様におかれましては○○家が家の方でお祀りさせて頂きますので、どうか人間の身勝手なお願いを聞いて頂きたい旨をお伝えしました。
私達の祈祷を経験された方ならお解りだと思いますが、この表白を読み終えてから表白の対象に日常使う言葉(播州弁)で喋りかけます。
修行を積んだ方から観れば邪道だと思われるかも知れませんが、神にしても、決まり切った表白の内容だけでは人間の方が何を言いたいのかが理解出来ない、解っておられない様子が往々にしてうかがわれます。
兎に角、神霊との誤解が生じない為に喋ります。
それでも通じない時は地神様に助けを求めます。
先ず、此方の考えている事に何らかの魂胆、不浄な考えが無い限り、願いは神霊に届きます。
話が前後しますが、釜を焚く前に、
私、「○○家の不動明王様の中には行って居られる神霊様、どうかお姿をお見せください」、とお伝えしました。
妻、「出て来てあったわ・・・。体が一つで・・・頭が三つ在るわ・・・。頭が出てる元の所に丸い輪っかの様なものが在るわ・・・」、と言います。
この不動堂の敷地内にお祀りされている伏見稲荷様夫婦は直ぐに出て来られました。
それから上記した内容を神霊に喋る訳です。
妻、「三つ在る巳さんの真ん中の巳さんがうなづいてあったわ・・・」、と言います。
勿論、伏見稲荷様夫婦もうなづかれました。
その後、釜を焚きました。
釜は大きな音で鳴り出しました。
しばらくして音が消えて行きました。
私、「どや?」。
妻、「???・・・釜が鳴り出したら、真ん中の巳さんだけを残して、後の二体は上に上がってしまったわ・・・」、と言います。
「お・・・そう来るか・・・。まあ・・・そうやろ・・・。そら・・・そう来るやろ・・・」、と思いました。
伏見稲荷様夫婦二体はそのまま出ておられます。
「そらそうやろ・・・此処で稲荷さんも消えたら往生するで・・・」、と思いました。
不動堂の不動明王様の中に入っておられた三体の巳神様の何方がナーガの流れをくむ巳神様か、何方がこの山の巳神様か、何方がこの家の巳神様かの見分けがつきませんでしたが(兎に角、巳神の見分けはつきにくいです)、今回の祈祷の流れからすれば、真ん中に居られて、残られた巳神様が元々この家に居られた巳神様だと思われます。
早速聞いてみましたが、やはりその通りでした。
この後、舞台を○○家の方に移して、お祀りする場所を決めて、この場に勧請する為の釜に入ります。
詳しい勧請の表白内容は書きません。
その後、例の如く、神霊に対して普通の言葉で喋りかけました。
この家の地神様、この家の伏見稲荷様のお姿はまだ見えません。
当然な事です。
まだ神霊はこの家には来られていません。
まだ神霊はこの家には来られません(来る事が出来ない)。
この場への勧請の釜を焚きました。
釜は極普通の音で鳴り出しましたが、何かが作用している様に思いました。
やがて音が消えて行きました。
私、「どやった?」。
妻、「稲荷さん夫婦は来てあったわ・・・。他は何も?・・・」、と言います。
「やっぱり・・・」、と思ました。
妻、「釜が鳴り出したら・・・黒い人の握りこぶしが出て来て・・・何か?・・・動かしてるわ・・・」、と言います。
「まだ・・・不動堂の建物、施設、土地・・・まだあの団体・・・狙ってるんか・・・しつこい・・・やっぱり立派なものやから未練が有るんやな・・・見端(みば)だけを気にする奴はろくなもんは居らんな・・・」、と思いました。
妻、「でも直ぐ消えたけど・・・」、と言います。
私、「消えたか?・・・。そいで・・・此処の地神さん、まだお姿は出てないか?」。
妻、「出てない」、と言います。
私、「不動明王様の中に居られたこの家の地神様・・・お姿をお見せください」、とお伝えしました。
妻、「・・・三角形が出て来たわ・・・」、と言います。
私、「それでええねん」。
私、「ちょっと・・・お姿・・・見せて・・・。そいで、夫婦で居られるなら、夫婦で出てください」、とお伝えしました。
妻、「三角形?が金色に光り出して・・・その上に二体・・・向かい合って出てあったわ・・・」、と言います。
この後、この家の巳神様夫婦、この家の伏見稲荷様夫婦には、この家族の健康、事業の発展を頼みました。
その間も、この家の巳神様夫婦はずっと向かい合っています。
妻、「稲荷さん夫婦も向かい合って手を握り合ってるわ・・・」、と言います。
この家の地神様、伏見稲荷様にしても、言い方は悪いのですが、その当時の関係した人間の欲と名誉と見栄の上に造られた不動堂に居るよりは、この今の形が清浄で嬉しいのでしょう。
祀る形態にしても、「貴方達を横に並べて祀らせて頂いても宜しいですか?」、と尋ねたらうなづきましたので、横に並べて祀る形を取りました。
兎に角、神霊が納得されるまで聞く訳です。
神霊は応えてくれます。
そして何度も丁寧に御礼を伝える事です。
尚、この家の場合、この家の娘さんが気持ちの上でも一番純粋ですので、普段のいろいろなお知らせを受けるのはこの娘さんだけです。
娘さんの生活形態も東京と実家(地方)を行き来されていますが、東京の家の方にもお酒を置いて手を合わせておられます。
稲荷神特有の音が聞こえて来たり、綺麗な鈴の音が聞こえて来たり、太鼓の音が聞こえて来たり、綺麗なシャボン玉の様なものが出て来たり、鐘(寺の鐘ではありません)が鳴ったり・・・それはこの娘さんが順調な時、窮地の時・・・いろんな状況下でこの様なお知らせが入ります。
要するに、「心配するな。神(稲荷神・巳神)はお前の近くに居るぞ。お前を守るぞ。心配するな」という心強い神霊のお知らせです。
将来、両親が亡くなられた後も、この家の地神様と伏見稲荷様はこの娘さんを助けて行くと思います。
本題に戻りますが、この領域の方の所に神殿(神像)の移転(移動)、撥遣などをする機会が回って来た時、先ず、其処にはどの様な神霊が居られるのかという事を見極めて、正統な神霊が居られるなら上記した様な手順を踏み、もし其処に正統ではないものが入ってる場合、先ず、その消除をすれば正統なものが出て来られますので、その後、上記した手順で神殿(神像)の移転(移動)、撥遣をされたら良いと思います。
そしてこの領域の方で、この様な事に慣れておられない方は、大勢の人数で行い、絶対に一人では行わない様にされたら良いと思います。
くどい様ですが、霊視が出来るというだけではなく、神霊とやり取りの出来る方の仕事だと思います。
上記した事はあくまでも私個人の考えであります。