「まだ解らんのか、このアホ、ボケが・・・」、の解明と、私達のお役
 「祈祷」とは、神に祈る事。

 「祓い」とは、神に祈り、罪、けがれ、災い(禍)などを取り除く事。

 この姿勢でやって来たつもりです。

 やって来ました。

 しかし此処3〜4年、良かれと思って進行していた祈祷の途中にも、「まだ解らんのか、このアホ、ボケが・・・」、という男の巳神様の声を聴く事がありました。

 家でのお伺いの最中でも、「まだ解らんのか、このアホが・・・・」、おまけにその声は私です

 「何が解らんのか、それの説明をせい、このボケが」、と、私も反論してしまう事も度々有りました。

 私と男の巳神様との喧嘩を見て、女の巳神様が悲しそうな顔をされるのを見ると、可愛そうになってきます。

 ある時、男の巳神様と喧嘩をしていますと、余りにも私の言った事に腹が立ったのか、男の巳神様が私の方に近づこうとした事がありました。

 瞬時に女の巳神様が私と男の巳神様の中に入って事なきを得た事がありました。

 「あんたの言うた様に祈祷をしたやないか。何処が間違っているのか説明してみ。私が悪かったら謝る」、と伝えても、「まだ解らんのか、アホが・・・」、と来るものですから、正直、どの様にしたら良いのか迷っていた時期がありました。

 同時に、私達が行ってきた祈祷の形(祈祷に決まった形というものはありません。その時々により、臨機応変に対応してきました)についても、終わってみれば、祈願は成就されても祓いの対象に対する行為の是非を気にする様になってきました。

 確かに、以前は、私が躊躇している場面でも、「早よ斬れ」、という様な事がよく有りました。

 言われた様にすると、確かに祓いの対象は瞬時に消えます。

 言葉は悪いのですが、この味を占めて、この形を貫いていた時期も有りました。

 私が念じれば、例えば私の手から剣が出たり、光の様なものが祓いの対象に届いて一瞬の内に消えたり、血を流してバラバラになってしまう様な事はよく経験しました。

 女の巳神様にしても、以前は(小さい巳神が出て来る前は)相当なきつさで私達に接して来たし、祓いの対象に対しても、「其処までやるか・・・」、という様なきつさで対処していました。

 この時期です、兎に角、「行け」、です。

 「何処へでも行け。行って助けて来い」、でした。

 しかし小さい巳神様が現れてからは、大分変られました。

 人間と同じ様に、お母さんになられた様に思います。

 そして以前からお姿は見えていたのですが、男の巳神様が前に出て来られるようになってから(常時ではありません)、余計に女の部分が多くなった様にも思います。

 妻とお母さんの役目の部分を前よりも担う様になられた様にも思います。

 偶に、長い髪に着物を着て、その足元にチビ(男の子の格好で)が遊んでいる場面を見る事があります。

 「あ・・・・・、地神さんも女やな・・・」、と思う時が有ります。

 「柔らかくなったな・・・・・」、と思います。

 「変わられたな・・・・・・」、と思う事が多くなりました。

 それと地神様が解らない様な事に関しては、男の巳神様の方を向いて聞いている事もあります。

 「以前はそんな事が無かったと記憶しています」。

 やはり男の巳神様とは力の差が有るのは否めません。

 これは夜中、妻が複数回に渡り男の巳神様から聞いた女の巳神様の事、私達の事から肯けるのですが、内容自体、まだその時期ではない様なので書く事は控えます。

 考えてみれば、女の地神様が柔らかく変わられた時点くらいから、男の巳神様が出て来られる機会が増えましたし、お伺いの途中や祈祷の途中で、「まだ解らんのか、このアホ、ボケが・・・」、という声を聴く事が始まったと思います。

 勿論、今でも男の巳神様が表面に出て来られる事は稀ですし、殆どが女の巳神様の指示で動いている事は確かです。

 そしてこの時期位から、私が祓いの対象に対し、きつい言葉を投げたり、残酷な事をしたりすると、途端に女の巳神様の表情が変わる様になりました。

 嫌な顔をされるのです。

 祓いの対象に剣を降ろすと祓いの対象は消えますが、嫌な顔をされる様になりました。

 私にしてもこの様な事を長年やっていると、切った対象、消した対象がどの様になるのかという疑問、その対処した対象のその後を見ていますので(これは書きません)、もっと他の方法がないものかと悩んでいた事も確かです。

 祈祷の依頼が来れば、しつこいほど事前のお伺いを立て、どうしたら良い方向に行くのか、祓いの対象に対しても、どう対処したら良いのかをまで聞いて祈祷に臨むのですが、その途中、「まだ解らんのか・・・・」、が来るわけです。

 勿論、「まだ解らんのか、このアホ、ボケが・・・・」、と叱られた祈祷でも、終わってみれば、祈願は成就されているのですが、叱られた方にしてみれば複雑なものが残ります。

 いくら考えても解りませんでしたが、ある祈祷時に、祓い消す対象に対し話しかけている自分がいました。

 普段なら釜が鳴ってその勢いで対処する相手に、釜に入る前に話しかけて事情を聞いている自分がいました。

 「何でこんな状況になってしまったんや?。何でそんな格好になってしまったんや?。何でそんな色になっているんや?。何でこんな事をするんや?」。

 「話してくれ。経緯を話してくれ。話によってはわしが仲に入って話をつけたろやないか。あんたの事情を聞かせてくれ」、と、祓いの対象を説得する自分がいました。

 此方がこの様な態度に出ると、相手も考えているのが解ります。

 勿論、此方の話を聞く様な相手ばかりではありません。

 その様な時は此方の巳神様も、「早よ、釜を焚け」、と言われる事がありましたが、大概は私の言う事を後ろで聞いておられます。

 此方が時間をかけて祓いの対象を説得する時、そして祓いの対象が此方の話に心を開いてくれて、「解った」、と理解してくれた時の気持ちは今まで味わった事の無い感激を覚えます。

 「そうか、よう解ってくれたな、有難う。あんたも辛かったな・・・、そんな事情が有ったんか・・・。この釜であんたが良い様に、楽になる様にさせてもらうわ。・・・・・・・・」。

 本来祓いの対象として対処してきたものでも、此方が心を開いて接して行けば、祓いの対象にしても此方に対する敵対心を捨て、心を開いてくれることも解りました。

 勿論、何をどう言っても此方に敵対心を向けて来る対象も多く有る事は確かです。

 小物と思われる様な対象は、此方の説得も解らない事が多く、その時は従来の方法で対処するしかありません。

 その様な展開を経て終わった祈祷には、此方の神霊は満足な表情をされる事が多くなりました。

 私はどんな祈祷でも、その祈祷の帰りの車の中で、「地神さん、今日はこれで良かったか?。何か失礼な事を相手の方にしてはなかったか?」、と聞いています。

 それに対し、ある時期から、「良し」、とうなずかれるのですが、「何か・・・・・・、もう一つ・・・・、良い返事の様には思わない」、と妻が言う様になりました。

 そして、以前なら、祈祷前、どんなにきつい霊障が妻の体に入っていても、祈祷が終われば(釜が鳴り終われば)瞬時にから〜(空)となっていたのですが、ある時期から妻の体に残る様になってきました。

 この事の対処法を巳神様に聞いたのですが、何も教えてはくれませんでした。

 妻の方もたまったものではありません。

 巳神様にしては、そんなものは瞬時に消除するのは簡単な事なのですが、何故か何もしてくれません。

 「あんたは何でも出来るというが、本当は何にも出来ないんやろ」、と巳神様に言った時、「何でも出来る」、とすごい顔で叱られた事があります。

 瞬時に消す瞬間を何度か見ていますので簡単な事なのですが、私が気がつくのを待っている様です

 そして此処2年間ほど前からは、瞬時に祓い消す対象に対しても、只叱って追い返すだけの行為をする様になりました。

 いろんな相談毎に・・・・、要するに、相談に憑いてくる程度の悪い輩に対しても、決定的な行為はしなくなり、ただ追い払うだけです。

 相談毎に憑いてくる輩は賢くなく、自分が勝っていると勘違いし、性懲りもなくまた来るわけです。

 輩が来ると、ただ追い返すだけです。

 何故追い返すだけなのかを聞いたのですが、何も教えてはくれません。

 何故なのか解らないまま、十分事前にお伺いを立てて祈祷に臨んでも、祈祷の途中でまた、「まだ解らんのか、このアホ・・・・」、です。

 そしてある祈祷の途中、何気なく祓いの対象に対し、、「こいつの話も聞いたろやないか」、「相当前、稲荷を説得した事が2〜3回有ったな・・・、確か」、という事を思い出しました。

 それと私の元の存在の事(まだ書く事は控えます)も聞いていますので、ひょっとしたら、こんな単純な祈祷だけが私のお役ではないのではないか・・・・・、という思いが出て来ました。

 そして上記した様に、知らぬ内に祓いの対象に向けて話を聞いている自分がいました。

 この事に気がついてから今日まで、このスタンスで数多くの祈祷をさせて頂きました。

 最近では、H25年7月13日(土)の「どうでも良いことですが・・・・」、にも簡単に書いています。

 此処は私だけで30分くらい・・・、地神様も10分以上、祓いの対象に話しかけて納得させて頂きました

 そしてつい先日、ある方から、お父さんの難病が以前他所で祀っていた伏見荷様を自宅に移した事により、何かその影響があるのかという相談を受けました。

 伏見稲荷様の引っ越しの儀式は、その土地では有名な神社の神主さんが家に来られて行われたと言われます。

 引っ越し前の伏見稲荷様を祀る状況は、お社の前を通る人が手を合わせて通るという、個人が祀る形ではあるが、一つの神社としてその地域では知られていた様です。

 此方の巳神様に、この方のお父さんの難病の障りを聞いてみました。(H25年7月23日・24日・8月5日の「どうでも良いことですが・・・・」、に簡単に書いています)

 妻、「ウツボの様な顔の、ニシキヘビの様な黒と茶色の柄のある大きな蛇が首を立てて此方を見てるわ。目がすごいわ」、「四方からきた敷居の中心に黒い柱が立ってるわ。柱の上は・・・・・?」、「黒い柱が全てを支えている様で、柱を取れば上のものが全て崩れてしまう様に思うわ」、「チビが、お母さんの胸にしがみついてるわ」、と言います。




 妻、「上は鎧(よろい)の様なものを付けて、頭に黒い笠をかぶって、下は・・・・、もんぺの様なものをはいた男の人が、棒の様な物を持ってあちこち走って行くわ」、と言います。

 これは祓えるものかと聞くと、

 妻、「何か・・・・、仏像の様な顔が出て、掌に乗っているもの?をフーと吹き飛ばしたわ」、と言います。



 その前から妻は、「水、水、水・・・・・・・・」、とばかり言っていました。

 同じ日の夕方、再度、聞いてみました。

 妻、「黒い水が真ん中の土手をはさんで、左右(上は左へ、下は右へ)に激しく流れてる。水、水・・・・」、と言います。

 私、「地神さん、この巳さん、神霊か?」。

 妻、「違うと言ってる」。



 あくる日の朝、私の右耳から綺麗な音が入って来ました。

 正当な稲荷神からのお知らせです。

 妻は夜中から右足が動かないと言って起きてきました。

 私、「地神さん、私の右耳に入る御神霊、見せてください」。

 妻、「何かしょんぼりして元気の無い稲荷さん」、と言います。

 私、「あんた昨日の○○さんの所で祀られてる稲荷さんやな?」。

 妻、「うなずいたわ」。



 正直、あの様な蛇が居るこの家には行きたくはないのですが、伏見稲荷様が関わっている事ですので、命婦専女神様の意見を聞きたいと思いました。

 私、「地神さん、命婦専女神様に通してください」。

 妻、「二体の稲荷さんが前に来て、瓜を二つ、目の前に置いたわ」、と言います。

 私、「あんたらは命婦専女神様から聞いて来たんか?」。

 妻、「そうらしい」。



 私、「そうか、命婦専女神様が行ってこいと言われたんか。解った。行かせて頂くとお伝えください」、と伝えると、

 妻、「二人?、嬉しそうにひっついて帰ったわ」、と言います。

 再度、此方の巳神様に、

 私、「あのウツボの様な蛇は元は神霊か?」、と聞いてみました。

 妻、「違うと頭をふったわ」、と言います。

 あの蛇を神霊ではないと言われるので、神霊ではないのでしょうが、私の中では大いに気になる事が有ります。

 妻は、「水、水・・・・」、「黒い水、黒い水・・・・」、と言いますが・・・、普通この様なものが事前に発する私達への警告というものがどうも少ない気がしてなりません。

 そして再度、このウツボの様な蛇を家に呼んでもらいましたが、妻は普通の顔をしています。

 私、「今回○月○日にそっちに行くが、何もあんたと喧嘩をしに行く訳ではない事だけは解ってくれ」、という事を伝えました。

 この時はウツボの様な顔の蛇は直ぐに消えてなくなりました。

 まだ祈祷までには四日ほどあります。

 私、「地神さん、あの蛇に伝えてください。祈祷まで毎日伝えてください。私達は喧嘩をしに行く訳ではないので、其処の所を分かって欲しいと毎日伝えてください」、と言いました。

 妻、「うなずいてあったわ」、と言います。

 地神様は神霊ではないと言われるが、「此奴と一か八かの勝負をしたろ」、と思いました。

 何百と接してきた・・、形としては蛇の形を取るものですが、相当な覚悟が要る事は確かです。

 しかし、この様なものが発する独特なものが感じられない。

 ぽっと出のこの領域の者が此処へ行って、知ったかの様な振る舞いをすれば、即不治の病になるか、家族に不幸が来るか、または精神を侵される事は確かです。

 伏見稲荷様に関しては自信が有りますし、この稲荷様もその覚悟で私達を待って居られるでしょうから、心配はしておりません。

 祈祷の当日、先ずこの家の御先祖様の供養をします。

 大谷派の家ですので、「正信偈」、を上げさせて頂きました。

 妻、「何も解らない」、と言います。

 何故何も変化がないのか・・・、分からないまま、線香護摩に入ろうとすると、

 妻、「下の方に柄のあるウツボみたいな巳さんが出てるわ」、「その上に沢山の仏さんも出てるわ」、と言います。

 何故、「正信偈」、を上げても変化がなかったのかは、このウツボの様な蛇の作用でそうなったのか、此方の巳神様もこの蛇の出方というか、ある意味、蛇を尊重してあえて動かなかったのか・・・。

 この蛇に対し、

 私、「観る所、大変力の有る神霊と観る。此処に至るまで何が有ったのか、何故そうなったのかは知らんが、その力をもっと良い方につかったらどうや。人間の格好している者がきつい事を言うが、貴方くらいになると、今私はこの様な格好をしているが、元はどの様な存在だったのかが解るはず」。

 妻、「うなずいたわ」。

 私、「それなら私の言う事を聞いたらどうや。何かがあって、この○○家の者を憎む気持ちも解るが、それはあんたの本心ではない様に思う。もうこんな事は今日で止めにしたらどうや・・・・・・・・・・」。

 相当な時間を費やして説得を続けました。

 私、「貴方を神霊と観る。そんな下に居ないで、右上の位置に上がってください」。

 妻、「動かないわ。疑い深い顔で見てるわ」。

 私、「貴方が神霊なら、今から行う線香護摩がどの様なものであるか解るはず。それを行う私達の振る舞いも見ていて欲しい。私達がどの様な程度かが解るはず」、と伝え、線香護摩に入りました。

 線香護摩が終わりましたが、沢山の仏様、ウツボの様な蛇にも、何の変化もありません。

 ○○家の先祖に対し、

 私、「あんたらの中でこの蛇を殺した者、前に出てみ」。

 妻、「男の人が少し前に出たわ」。

 私、「あんたかこの蛇を殺したのは?。巳さんの前に行って謝ってこい。ひざまずいて謝ってこい」、と強く言いました。

 妻、「前には行かれないみたい。その場でひざまずいて謝ってるわ」、と言います。

 ウツボの様な蛇に向かい、

 私、「あんた、辛かったな。痛かったな。えらい事されたんやな・・・。憎たらしいやろ。殺した奴、この○○家の者も、憎たらしいやろ。よう辛抱したな・・・・・・・。あんた、聞くが、どないされたんや?」。

 妻、「家の中に入って来て、殺された」、と言ってるわ。

 私、「あんた、家に居ったんか。そこを殺されたんか。殺した奴を憎たらしいやろ。なあ、解るわ。恨む気持ちもよう解る。そやけどな・・・・、もう許してあげてくれ。何時までもこの家のものを憎んでいてもあんたも辛いやろ。もう許してやってくれ。あんたの目の前に、白い綺麗な女の巳神様が見えるやろ。この巳さん、私が昔ガソリンをかけて焼き殺した巳さんやねん。しかしな・・・、この巳さん、私を許してくれて・・・、まあ、いろいろあって、今はこうしていろんな所に来させて頂いて、こんな事をしている訳や。あんたもいい加減にせなあかん・・・・・・」。

 妻、「叩かれて殺された」、と言ってるわ。「中々・・・・、疑り深いかをしてるわ」。

 そうこうする内に此方の巳神様が白と赤の水引が結ばれた白い封筒の様なものを先祖に渡し始めました。

 妻、「暗かった先祖の人の色が明るくなったわ」、と言います。

 妻、「地神さんがウツボの様な蛇に向かい、何か・・・、口から出ているわ。意見をしているみたいやわ」、と言います。



 確かに、このウツボの様な蛇は相当な恨みを持っているのか、中々私の言う事を聞いてくれませんでした。

 途中、軟化した瞬間は一瞬読み取れたのですが、直ぐに元の顔になってしまいました。

 大概はこれだけ時間を割いて説得すれば此方の話を聞いてくれるのですが、それだけ恨みの深いものが有るのでしょう。

 長い時間の後、

 妻、「終わったみたい。地神さんが普通の顔になったわ」。

 私、「蛇は?」。

 妻、「青白い巳さんになったわ。小さくなったわ」、と言います。

 この家の者に殺された事の恨みで、本来は青白い綺麗な神霊のお姿が、あのウツボの様な姿になってしまっていたと観ます



 何度も書きますが、大概は私の説得だけで態度を軟化させるのですが、この家は巳神様の御力を借りる結果となりました。

 私、「解ってくれましたか。有難う御座います。許してくれたんやな。有難う御座います。もう貴方は神霊ですので、どうか右上の位置に上がってください」。

 妻、「右上に来てあったけど、小さい巳さんやわ」、と言います。

 途中ですが、四方からの敷居の中心に立つ黒い柱はこの巳神様です。この巳神様がこの家だけではなく、本家、親戚など、○○家、全ての生活の元を支えていた、守護していたと観ます。この柱(巳神様)を取れば、○○家は全滅すると観ます。事実、この○○家は大きく事業をされていましたが、今は廃業されています。そして、親戚筋も余り良い状態ではないと言われます。今が、今回が時間的にぎりぎりのタイミングだったと思います

 私、「○○家の地神様、今から釜を焚いて、貴方を本来の形の神霊に戻させて頂きます」、と伝えました。

 次にこの家に祀られている伏見稲荷様をお呼びして、釜を焚く旨を伝えようと思い、お呼びするのですが、全くお姿が出ません。

 仏壇の横に、立派なお社があるのですが、全くお姿がでません。

 変だと思い、

 私、「あんた、聞こえとるやろ。何で出んのや?。京都の命婦専女神様の方を向いて私らの事を聞いて。何と言うてか聞いてみ」、と強く言いました。

 妻、「下に出てるわ。力がないわ・・・」。


 私、「あんた、私の家に呼びにきといて、何で呼んでも出て来んかったんや」。




 妻、「弱々しいわ・・・」。

 私、「もっと前に出て、釜の近くまで来てみ」。

 妻、「来られない・・・・?みたい。この家には居ないのと違う」、と言います。

 私、「あんた、まだ前の場所に居るんか?。神主さんが連れて来てくれんかったんか・・・・?」。

 妻、「そうらしいわ」。

 私、「そうか・・・。そしたら釜で此処に連れてくるから、もう少し待っときよ」、と伝えました。

 よく有る事ですが、神霊としたらたまったものではありません。

 釜に入りますが、○○家の地神様には、○○家の者を許してやって欲しい事と、今回の依頼を受けた家の方の病気を治してやって欲しい事を伝えました。

 表白、願文、祝詞などの詳細は省きます。

 湯が沸騰して米を入れます。

 釜は大きな音で鳴り出しました。

 妻、「○○家の地神さんの体が、青白く輝いているわ」、と言います。

 私、「稲荷さんは?」。

 妻、「見えない」。

 私、「出ておいで。もう此処に来てるやろ」、と何回も強く言いました。

 妻、「出たくない。此処から出たくない、お社から出たくない、と言ってるわ」。

 私、「出て来んとあかん」、と強く言うと、

 妻、「朱色の木の柵の様なものから顔だけ出してるわ」。

 もうこの家のお社には入っているのですが、私の前には来ません。

 前の場所に置いてきぼりにされた事が余程こたえている様です。この稲荷さん。



 兎に角、ちょっと変わった稲荷様です。

 神様もいろいろあって面白いものです。

 上記した様な祈祷のスタンスを取りかけてから、「まだ解らんのか、このアホ、ボケが・・・」、という言葉は聞かれなくなりました。

 ふと目を閉じると、龍の様な目(怖いというのではなく、その純粋な深みのある目の純粋さが怖い)が私を睨みつけている事もなくなりました

 そして女の巳神様にしても、以前は祈祷の依頼が有っても、「此処は行くな」、「此処は行かせて頂け」、とはっきり私達に伝える様になりました。

 神霊も変わって行かれている事は確かです。

 上記した姿勢の祈祷を簡単に二例ほど書きます。

 地鎮祭の依頼が来ました。

 詳細は省きます。

 *親の家が全焼したが、その後に家を建てたいという息子夫婦の依頼内容でした。

 表面に出ている祓いの対象が、どの様な地形から来るものかは解りますが、当日現地に立ってみると、やはり横には川が流れています。

 そして裏に隠された祓いの対象は、釜を焚く前に無理やり引っ張り出しました。

 黒い大きな蛇が出て来ました。

 どう見ても神霊とは程遠い様に見えます。

 このものにも、「釜で綺麗にしたるから、もう一回修行して降りて来い。こんな所に居っても面白くないやろ」、と説得すると、初めは考えていましたが直ぐに私の言う様にすると言います。

 「そしたら他にも・・・、(手で示し)あの隅に小さいのが沢山居るやろ。あれも一緒に上に連れて上がってくれ」、と言うと、「連れて上がる」、と言います。

 同時に小さい蛇は消えて、黒い蛇だけになりました。



 釜を焚くと、白い蛇になって上に上がって行きました。

 今までの私なら、「こんなもの釜で消してやる」、という姿勢で行ってきました。

 これでこの土地は、何んの障りも無い気持ちの良い土地になりました。

 私達の体にも何の負担も感じません。

 
 *詳細は書きませんが、深刻な内容でした。

 お母さんが掃除をしている間に生後6カ月の息子さんが考えられない態勢で亡くなっていた。

 警察の検分でも、不可思議な態勢で亡くなっていた事の答えは出なかったと言われます。

 此方の巳神様にその事を聞くと、

 妻、「鋭い大きな刃物が、ある一定以上、上のものを斬って行くわ」、「かろうじて、やっとつながっている筒の様な上で、沢山の子供が遊んでいるわ」、「チビが頭にヘルメットの様なものをかぶってるわ」、と言います。

 この家系をこの時点で終わらそうとする魂胆です。

 尚、この家の御主人は右目を失明されています。

 線香護摩の途中で、

 妻、「巳さんが出とってやわ。白ではないわ」、と言います。

 私、「あんた、この家の主人の方に関係がある巳さんやな?」。

 妻、「そうらしいわ」、「この巳さん、右目がつぶれてるわ」。

 私、「あんた元は神霊やな、確か。何でそんな色になってるんや」。

 妻、「きつい顔で睨んでいるわ」。

 私、「あんた、此処の主人の家系の方の、誰かに目をつぶされたんか?。そうやな」。

 妻、「そうらしい」。

 私、「あんた、主人の方の男ばかりを狙って、男ばかりの命を取ってきたんか。今からも取って行くんか?」。

 妻、「そうらしい。知らん顔してるわ」。

 この巳神様?には、この家族に対する憎しみの空しさ、無意味さを説きました。

 そして、

 私、「あんたも神霊なら、あんたのやってる事がどんな事か解るはず、あんたも苦しいやろ。本来の道に外れた事をするのはどんな事か、あんたが一番知ってるはずや。どや、水に流せ。やられた事を水に流せ。この釜であんたを本来の姿に戻させてもらうから、この家族を許したれ。あんたも本来のお役に戻れ。そして今度はこの家族を守る方にまわれ」、と諭しました。

 妻、「納得したみたい。穏やかになったわ」、と言います。

 そして、この御主人にも説明して、これからはこの巳さんがこの家族を守る方にまわる事を説明しました。

 そして、釜が鳴ると真っ白い巳神様に変わりました。
 
 妻、「巳さんが前に(私の)行って、頭を下げてるわ」、と言います。

 私、「頼むで。これからはこの家族を守ってやってな。頼むで。それと、此処の御主人の左目、これ以上悪ならん様に守ってやってくれな。頼むで」。



 妻、「良い顔になったわ、この巳さん。右目をつぶれたままやけど」、と言います。

 簡単に二例を書きましたが、やっと私達の本当のお役が解ってからは、あの、「まだ解らんのか、このアホ、ボケが・・・」、は聞こえません。

 兎に角、「人助け」、と思い、それだけを頭に置いて今まで来ましたが、まだもう一つお役が有ったという事です

 しかしそれは、この領域の者が多いといえども、私達だけにしか出来ない事なのかも知れません

 それは私の元の存在があってこそのお役で、普通のこの領域の方では無理です

 思い起こせば、過去、神霊と言われる存在に対し何回御迷惑をかけた事でしょう

 その度に、奥に居られる男の巳神様に御迷惑をかけていた事になります

 九州からの祈祷から帰って、

 私、「今は違う形の、元は神霊であったもの、また邪神でも、救わせて頂けるものは救わせてもらわんとあかんねんな・・・、地神さん」。

 妻、「地神さんの横に、「龍」、と出たわ」。



 上記した地鎮祭から帰って来て、

 私、「邪神でも救わせて頂いた・・・・、あれで良いな?」、と言うと、

 妻、「地神さんの頭が大きなって、その周りを白い丸が包んでいるわ。にこにこしっているわ。木で出来た屋根の小屋の様なものが出て、その中に四つほど提灯の様なものが吊り下げられてあって、灯りがついてるわ・・・・」、と言います。

 私「????????、良し・・・・という事やろ。」。




 尚、最初に上記した中で、蛇を殺した人がウツボの様な蛇の前に行かれなかったのは、蛇を殺した人は今現在生きている為です。

 家の方の話では、家の中に居る白蛇を空気銃で撃って、撃って、撃って、殺したという事です。その直後この人は体調を崩されたらしいです。

 今生きている人の、その残酷な事をした後悔の気持ちが、当然本人は気づかないが謝りに来たのか、また、此方の(私の方の)巳神様が無理やり本人から引っ張り出して謝らせたのか・・・・・・、私には解りません。




















 

 

 

 

 

 
 
 

鳴釜神事の実際と考察
ひとりごと、たまに、ふたりごと
(某月、某日、(96))
「釜の修行は終わった」、の意味とは